え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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大正こそこそ小噺 其ノ壱

 

 

 

 

 水の音がする。

 水が落ちる音がする。

 

 

「よく来た、ギン。義勇」

「……久しぶりです、鱗滝さん」

「……ただいま、鱗滝さん」

 

 

 狭霧山の滝壺の前には、かつての師匠が待っていた。水飛沫が辺りに飛び散り、辺り一帯は涼しかった。激流が滝壺に注がれる音は激しく、森の声はここには響かない。水の音に閉ざされた神聖な修行の場。確か目隠しされた状態でここに突き落とされたなぁ、なんてことを思い出す。

 水模様の羽織に、赤い天狗の面。久しぶりに見た鱗滝左近次の姿は、やはり威圧感があるとギンは思った。

 ここを卒業してから約7年。

 ついこの間の出来事だったような気がするのに、どうしてこんなに懐かしく感じるのか不思議だった。

 

 

 かつてここで俺と義勇、そして錆兎は己の体を鍛え、呼吸を鍛え、剣を鍛えた。

 苦しい思い出も、辛い思い出も、悲しい思い出も、ずっとここに埋まっている。

 

 

「最終選別を生き残り、ここから卒業したのが七年前。そして、五年前だったな。お前達がここで決闘をしたのは」

「……あれは、俺達が未熟だったからです。俺達は言葉を上手く語れる方じゃない。特に義勇は」

「……俺は喋るのは得意だ」

「嘘つけ」

「ふっふっふ。お前達は相変わらずだ」

 

 鱗滝さんはそう言って笑った。

 あの時。錆兎を喪って自暴自棄になっていた俺は、義勇と決闘した。

 

 

 

 最終選別の後、義勇は自棄になって不眠不休で鬼を狩り続け。

 そして俺は、蟲を鬼狩りに使っていた。時には、その山にいた動物達や自然を傷つけることも厭わずに。

 

 決闘のきっかけは、よく覚えてない。錆兎の墓参りにこの山に立ち寄った時、義勇とばったり出くわした。

 その後、少し会話をして――多分、どっちかの嫌味がきっかけだったんだと思う。

 

 

『なんでお前は俺達と共に行動しなかった!最初から一緒にいれば、錆兎は死なずに済んだかもしれない!それなのに、お前はっ!』

『知るかこのクソ野郎!お前こそ、お前が錆兎に一番近い場所にいたくせになんで死なせた!俺達の親友を!』

 

 

 俺達は未熟だった。錆兎を守れなかった理由を、相手に押し付けることしかできなかった。

 そうしなければ、自分が弱いと言うことを認めてしまう。分かってしまう。

 

 

 錆兎が死んだのは、自分のせいだと。そう思いたくなかったから。

 俺達はその後悔や無念を相手にぶつけるしかなかったのだ。

 

 

『お前の噂もよく聞くぞ、怪我も顧みずに寝ずに鬼を馬鹿みたいに狩ってるみたいじゃないか!死ぬ気か馬鹿野郎!』

『お館様から聞いたぞっ、山や森を荒らしてでも鬼を狩ろうとしているとな!森を一番大切にしていたお前が、どうしてそんなことをしているっ!』

『義勇は昔からそうだったよな!言葉足らずのくせにド天然で、いつも俺や錆兎を困らせた!』

『俺は天然じゃない!ギン、お前はいつも俺の分の飯を勝手に摘み食いをしていたな!錆兎が飯を分けてくれなければ俺が飢え死にしていた!』

 

 

 最初は憎しみをぶつけ合うしかなかった俺達は、いつの間に兄弟喧嘩になっていた。

 気付けばお互い泣いていた。持っていた刀もぼろぼろで、使えなくなったから殴り合いになっていた。

 そして殴り合いをし続け、やがて一歩も動けなくなった俺達は血まみれになりながら仲直りをしたのだ。そして『強くなろう』と誓い合った。

 

 

 錆兎の分も、俺達が頑張ると。錆兎の魂を、俺達が引き継ぐと。

 

 

「あの時、お主達の喧嘩を止めることはできなんだ。錆兎の死は、儂にも原因がある。儂がもっと鍛えてやればよかったと、最終選別などに行かせるべきではなかったと、何度も思った。じゃが――」

 

 

 

 

「お主ら二人は"柱"となり、そして"継子"を育てる立場になるまで成長した。そして――今まで多くの柱が成し得なかった十二鬼月の上弦の弐を討伐した。これを喜ばずにいられるか」

 

 

 

 天狗のお面から、ほろほろと大粒の涙が流れていたのを、俺は確かに見た。

 そして、俺達を鱗滝さんは大きな腕で抱きかかえる。

 

 

 ―――ああ、でも。いつの間にか俺達は、この人の背を追い越していたのか。

 

 

「よくぞ、よくぞ生きて帰ってきた。まずは、儂から祝いの言葉を言わせてくれ。義勇。そしてギン」

 

 

 その姿は、七年前、俺達を厳しく鍛えた強靭な育手ではなく。

 子を思う父親の温もりを、与えられた気がした。

 

 

「お前たちは儂の……いや、儂と錆兎の誇りだ」

 

 

 その後俺は、しばらく静かに涙を流し続けた。普段無表情な義勇も、静かに涙を流し続けていた。

 

 

 

 錆兎。俺達は少しでも前へ進めたか?

 同じ兄弟弟子として誇れる男になれたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝶屋敷の一室に、鬼殺隊の隊士が二人、ある患者を見舞いに訪れていた。

 隊士、と言ってもただの隊士ではない。鬼殺の剣士の最上位である"炎柱"煉獄杏寿郎、そしてつい先日、引退した花柱と入れ替わる形で柱に就任した"恋柱"甘露寺蜜璃である。

 

 そして見舞った相手は、上弦の弐討伐と言う快挙を成し遂げた、"蟲柱"鹿神ギンだ。

 

「うむ!さすがギン、そして冨岡だ!ここ数百年の間倒せなかった上弦の弐を討伐し、更に二人揃って生還するとは、大変喜ばしい!」

「いや杏寿郎。お見舞いに来てくれたのは嬉しいけどさすがにうるさい」

「さすがだわギンさん、上弦を倒してしまうだなんて、本当に素敵!カッコイイ!」(今日も白い髪に緑の眼が素敵だわ!包帯だらけだけど、本当にたくましい!)

「もう出てけよお前ら……」

 

 

 上弦の弐、討伐。

 その報せは鬼殺隊全体に直ちに知らされ、隊士達の士気を盛り上げた。それはもちろん、柱も。

 上弦の鬼を倒せたと聞き喜ぶ者。柱なら当然だと言う者。涙を流しながらお経を唱える者。その反応は様々だ。

 そして、蟲柱と深い関わりがあった煉獄杏寿郎と甘露寺蜜璃は、ギンと義勇の成果を一番喜んでいた。

 

 ――ちなみに、花柱を救う蟲柱の一部始終を細かに見ていた鴉が隠に伝えた所、恋話が大好きなその隠が「壮大なラブロマンス」として脚色し、鬼殺隊の間に広めることになるのだが、そのことをギンはまだ知らない。

 

「うむ!母上も父上も、大層お喜びだった!どうだ、ギン!そろそろ炎屋敷に顔を出したらどうだ?」

「嫌だ」

「本当に嫌そうな顔をするな君は!そう言う所は昔と変わらない!」

 

 眉根を曲げて心底嫌そうな顔をするギン。そんなギンの表情を見た甘露寺は、首を傾げる。

 

「どうしてですか?確かギンさんは、槇寿郎様の継子だったんですよね?それなら、炎屋敷に顔を出しても何も不都合はないのでは……」

「それはだな、甘露寺!ギンが昔、母上に送った手紙のせいだ!」

「手紙?」

「ああ!ギンは母上にいたずらの手紙を送ったのだ!厳しい育手の所に送られた意趣返しに!その手紙のせいで、父上がブチ切れたのだ!」

「えぇ!?」

「幸い誤解はすぐに解けたが、父上は大層お怒りでな!うん!あれは俺もあまり思い出したくない!ギンが久しぶりに顔を出した時、ギンは刀で二刻程の間、父上に追いかけ回されたそうだ!そのせいでギンは父上に顔を合わせ辛いのだ!」

「おい、やめろよ杏寿郎。人の黒歴史を後輩に語るんじゃない」

「ぶっ」

「おい甘露寺?今笑ったな?人の過去を笑ったな?おいこっちを見ろ。笑い堪えてるの丸見えなんだぞこっちは」

「ご……ごめんなさい……」

 

 甘露寺蜜璃は笑いで悶えていた。彼女にとって蟲柱の鹿神ギンは恩人だが、ギンは日本各地を旅して蟲を研究し続けているためあまり話せたことがなかったのだ。故に、彼女の中でギンは「ミステリアスでクールな青年」というイメージがこびり付いている。しかし、ギンの黒歴史とも言える幼少期の話を聞くたび、笑いを堪えることができなかった。特に杏寿郎はギンと一年間も一緒に過ごしていたせいで、ギンの弱み(面白話)をよく知っていた。

 

「まったく……ああ、そうそう。"恋柱"就任おめでとう、甘露寺。俺と義勇が寝ている間に就任したんだって?」

「あ、ありがとうございますギンさん。けれど、これもギンさんのおかげです。ギンさんが鬼殺隊という居場所を私に教えてくれたおかげで、私は自分の生きる場所を見つけることができました。これからも多くの人を助けたいと思ってます」

「別に、俺は何もしちゃいねえよ。ただまあ、あの時の怪力猪突猛進娘がいつの間にか立派に俺の同僚になっただなんてなぁ」

「い、言わないでくださいっ、昔のことはっ」

「さっきのお返しだ」

「ハッハッハ!これは一本取られたな、甘露寺!」

 

 甘露寺蜜璃は特殊な体質の持ち主である。

 それは、彼女の異様な怪力だ。

 何かの病気かと疑われたが、どんな医者に見せても見当がつかず。最終的に甘露寺の両親が藁にもすがる思いで頼ったのは、当時甘露寺の地域の蟲を研究していたギンであった。

 

「こいつは、妖質の持ち過ぎですな」

 

 赤ん坊の頃から、甘露寺は怪力と異様な食欲で悩まされていた。子供が本来持てぬ重い物を軽々と持ちあげる、女子らしからぬ筋力。そしてそれに伴う空腹感。彼女の空腹を埋めるには飯がいくらあっても足りはしない。健啖家という言葉すら生温い、大食い怪力娘が甘露寺蜜璃という少女だった。

 それを解決してくれたのがギンである。

 

 ギンが特別な薬を手の平に塗ると、甘露寺は以前のような怪力を発揮することができなくなっていた。関取を思わせるかのような食欲も、鳴りを潜めていた。

 

「妖質ってのは、人間なら誰しもが持っている資質だ。人によって体内にある妖質は様々だが、お嬢さんは偶々多く持って生まれて来ちまったんだろう。この塗り薬を定期的に塗れば、その妖質が抜け、一時的にだが筋力や食欲を鎮めることができる。しばらく使い続ける必要はあるが、ま、薬は安くさせてもらうよ」

 

 ギンの薬は効果抜群だった。

 今まで悩ましてきた甘露寺の悩みである筋力や食欲はなんだったのか、そう思わせるほど徐々に普通の少女へと甘露寺は向かっていった。

 昔から、甘露寺蜜璃は惚れっぽかった。今でも相当惚れっぽいが。

 

「ま、そんなに悲観することもない。お前は変なんじゃなくて、特別なだけだ。その髪も、力も誇るといいさ。それに見てみろ。俺なんか白髪に隻眼だぞ。俺と比べたらそれぐらい普通だ」

 

 そんな惚れっぽい乙女の悩みを解決してくれた青年。長年の間苦しめていた体質を治し、励ましてくれた通りすがりの青年、鹿神ギン。

 髪は白く、目が翠という異様な外見をしているが、その頃には甘露寺蜜璃の髪は桜餅の食べ過ぎで桜色に変わっており、特に気にならなかった。

 つまり、ギンに惚れこまない訳がなかったのだ。

 

「わ、私と夫婦になってください!!」

「は?」

 

 当時、甘露寺は十五歳。鹿神ギンは十七歳。甘露寺は未来で言う逆プロポーズをその場で申し込んだのだった。

 

「いや、無理」

「なんでですかっ!?」

 

 だが残念なことに、甘露寺は渾身の求愛を断られてしまう。生まれて初めてプロポーズをされたギンはたじたじになりながら、自分が祝言を挙げられない事情を語った。

 自分が鬼狩りをしていること。明日も生きて帰れるか分からぬ身だと言うこと。自分より強くてかっこいい奴は鬼殺隊にたくさんいるから、もっといい人を探せと。

 

 だが、後に"恋柱"と言う称号を獲得する乙女は、その程度では止まらない。

 

「じゃあ、私も鬼狩りになります!鬼狩りには、ギンさんのように強い人がたくさんいるんですよね!?だったら私、恋をするために鬼狩りになります!」

「は?」

 

 人生であの時ほど、思考が止まってしまった時はないと、ギンは後に語る。その後、鬼狩りになるため体質を改善する薬を使うのをやめた甘露寺は、粘着質にギンに頼み込んだ。そしてギンは最終的に根負けし、兄弟子である杏寿郎を師として紹介した。つまり、丸投げした。

 その後甘露寺は杏寿郎とその父、煉獄槇寿郎に教授されながら、"恋の呼吸"を完成させ、柱に就任したのである。

 あんな猪突猛進な少女が今や鬼殺隊最強の剣士の称号を持つとは、時間が経つのは早く、感慨深い。

 

 ちなみに、後にこの甘露寺蜜璃に一目惚れをした蛇男が、ギンと甘露寺の出会いの話を聞かされ、嫉妬の炎に燃やされるのだが、それはまた別の話。

 

「とにかく、今は傷をしっかり癒せ!上弦を討伐できたとはいえ、鬼はまだいる!今やお前はただの柱ではない!鬼舞辻達も、より一層ギンと冨岡のことを警戒するだろう!止まっている暇はない!」

 

 上弦の弐を討伐したことにより、"水柱"と"蟲柱"の名はただの柱の称号ではなくなった。

 ここ数百年の間、鬼殺隊が成し遂げなかった偉業を成し遂げた二人は、鬼殺隊最高戦力と言う扱いを受ける。

 

「分かってるよ。戦いはこれからも続く。もう傷は塞がったし、三日後には任務に復帰できるってしのぶにもお墨付きをもらえた。寝ているカナエの分までやらせてもらうさ」

「うむ!その意気だ!」

「そうだよ、ギンさん!あ、そうだ!今日はたくさん桜餅をお見舞いに買って来たから!よかったら食べて!」

「うむ!俺も肉をたくさん注文してきた!たくさん食べて療養するといい!」

「いやそんなに食えねえって。大食漢のお前らと同じ量を喰わされたら腹が破裂する。比喩ではなく」

 

 

 

 その後、蝶屋敷に大量に届けられた牛肉と桜餅は、蝶屋敷で暮らす子供や入院中の隊士達に分けられたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "蟲柱"の鹿神ギンは、光る酒を持っている。

 そんな噂が隊士の間で囁かれていた。

 

 

「おい鹿神。お前、ド派手に美味くド派手に光る酒を持っているらしいじゃねえか。俺にもちょっと飲ませろや」

「は?」

 

 

 ギンは眼を点にしていた。唐突にカツアゲのようなことをしてきたのは、ギンの同僚である"音柱"宇髄天元である。

 大正時代には珍しい、六尺以上*1の身長。筋骨隆々の身体に、宝石をあつらった額当てに、目元を化粧で飾った派手男。こんな男だが元は忍者だと言う。忍びとは一体なんなのか疑問に思わせるぐらい自己主張が激しい、個性的な柱達の中でもかなり個性派な部類に入る男である。

 

 

「いや、これ耀哉の治療の為の光酒なんだけど……」

 

 

 そう言ってギンは手に持っていた瓢箪を見せた。

 

 

 光酒とは、地下深くに流れる光脈と呼ばれる命の川から抽出した液体である。命そのものとも言える液体で、これを使えば滋養強壮にもなり、蟲患いを起こした病人への薬にもなり、蟲達を誘き寄せる餌としても使うことができるまさしく万能薬である。

 ただ、抽出の仕方は蟲師であるギンしか知らず、世に出回る品ではない。

 ギンはこの酒を、鬼舞辻の呪いに冒されている産屋敷耀哉や、蝶屋敷の怪我人たちの治療、そして鬼や蟲の研究に使っていた。当然ながら数に限りがあり、娯楽で呑むために使ったことはほとんどない。

 

 

「ていうかどこから聞いたんだよ」

「そりゃもうド派手に噂になってるぞ。隊士達の間じゃぁ、"光る酒"がどんな味がするかいろんな推測が飛び交う始末だ」

「はぁ、それで?」

「こうなったら、俺がその酒の正体をド派手に掴んでやろうと思ってな!こうしてやって来たわけだ!」

「本音は?」

「ただ呑みてえからだ!」

 

 

 退屈な柱合会議が終わったばかりだと言うのに、面倒な奴に絡まれてしまったとギンは溜息を吐いた。

 

 

「なぁ、いいだろう?鹿神だってその酒を全部お館様に使う訳じゃあるまいし、ちょびっとぐらい飲ませてくれよ。な?な?」

 

 

 宇髄天元は、興味津々だった。

 隊士達の間で噂される光る酒。"光る酒"。そりゃもう、俺好みの派手派手な酒だ。是非とも飲んでみたいと以前から考えていた。

 

 だが、ギンのその酒は治療用とは聞いていたし、お館様もその酒を治療に使っていると聞かされていた。私欲で呑ましてもらうのは気が引けたのだが――

 

 きっかけは、煉獄杏寿郎の父、元"炎柱"の煉獄槇寿郎の言葉である。

 

「あの酒はダメだ。一口でも呑んではダメだ。あれを呑んで以来、他の酒が水みたいになってしまった。決して酔えなくなったわけじゃない。だがどんなに美味い酒も、あの光る酒には勝てない。以前、ギンが保管していた光る酒を興味本位で一口飲んで以来、他の酒を呑めなくなってしまった。他の酒を美味いと感じなくなってしまった。あれほど美味い酒はこの世にはないだろう」

 

 飲んではいけない―――と言われてしまえば飲んでみたくなるのが人の性。

 元々興味があった光る酒。それはとんでもなく美味だと聞かされれば―――

 

「頼む!鹿神!一生のお願いだ!」

 

 もう形振り構っていられないのである。

 

「いや知らねえよ。なんで俺がお前さんの一生のお願いなんて聞かなきゃなんねえんだ」

 

 が、当然ながらギンはその要求を突っぱねる。

 

「そこをなんとか!」

「なんとかじゃねえって」

「頼む!」

 

 実は宇髄天元は酒に目がない。

 元々、温泉めぐりが好きだった宇髄だが、風呂上りの酒とフグ刺しがたまらなく好きなのだ。

 もちろん、鬼狩りである為節度は守っている。だが、それはそれ、これはこれ。どうしても呑みたいのである。

 

 必死に粘着質に頼み込む宇随をどうしたものかと、ギンは頭を抱える。彼は自他共に認めるお人好しだった。というより、押しに弱い。

 

 胡蝶カナエとの会話を見る限り、ぐいぐい押されるとすぐに根負けするのが鹿神ギンという男。それが柱達が持つギンへの印象だったのだ。

 だがこれは親友である産屋敷耀哉の治療のためのもの。この光る酒のおかげで、耀哉を蝕む呪いが少しずつ緩和しており、今では普通に外へ散歩へ行けるほど力も回復しているのだ。定期的に光酒を呑まなければすぐに呪いの浸食が始まってしまうのだが。

 どうやって断るべきか考えるギンだが――

 

「いいんじゃないかな、ギン」

「っ、お館様っ」

「なんだ、耀哉か」

 

 声をかけてきたのは、鬼殺隊当主、産屋敷耀哉だった。中庭で話していたギンと天元に、縁側から声をかけてきたのである。

 

「ああ、天元。大丈夫だよ。今は柱合会議の場ではない。楽にしてほしい」

「どうした、耀哉。なんかあったのか?」

「お前っ、またそんな態度を……!」

 

 気安いギンの態度に、天元は苛立ちの声を上げる。柱合会議中でも昼寝をしたり、耀哉を呼び捨てにする柱。それが鹿神ギンだった。なんでも、昔からの友人らしく、ギンは耀哉に対していつも気安い。耀哉を尊敬する風柱や天元にとって、その態度はあまり許せるものではないが、お館様が容認しているため注意することができないのが現状だった。

 

「ギンがなかなか来ないから心配したんだよ。それより天元。君もその"光酒"を飲んでみたいのかい?」

「恐れながらお館様……」

「ああ。気持ちは分かる。君はそう言った美しい物が好みだったからね。それじゃあ、今晩は君も一緒に呑むかい?」

「よろしいのですか!?」

 

 天元は喜びの声を上げた。

 

「いいのか、耀哉?」

「いいさ。偶には、子供達と一緒に呑むのも悪くないからね」

「感謝しますお館様!そうとなりゃ、街で一番の料亭から料理を頼もう!そりゃもう最高のつまみもな!」

「はぁ。どうなっても知らねえぞ俺は」

 

 

 こうして、公然と光る酒を呑むことができることになった天元だった。

 

 

 

 

 

 

 

 街一番の高級料亭から運ばれてきた料理を楽しみ、次はいよいよ主役の登場となる。

 

 

「さあ、ギン!腹も膨らんだ、月明かりも最高!こりゃもう、最高にド派手な月見酒になるぜ!!」

「うん。いい夜だ。今日はお月様がよく見える。きっと天元も、今日の酒は忘れられないと思うよ」

 

 中庭が見える縁側で、天元と耀哉は月を眺めながらそう言った。

 

「せっかくの光る酒だ、それなら月が出るまで待って最高の月見酒にしようじゃねえか!」と言うのが天元の談。

 

「まあ、雰囲気が酒を美味くするのは認めるけどさ」

 

 この時代では未成年の飲酒は一応法律上は禁止されている。しかし、それほど法律的に厳しかったわけではなく、江戸時代の風習がまだ根強く残っていた大正時代では、15才になると酒を呑む子も多かった。

 

 縁側に置かれた赤い漆が塗られた盃は、見事な一品だった。産屋敷家が用意した最高級の盃である。

 

「じゃあ、注ぐぞ」

 

 ギンはきゅぽんと、瓢箪から蓋を外した。

 

 蓋を外した瞬間、辺りに漂う香ばしい香り。甘く、そしてどこまでも透明感がある。まだ蓋をあけたばかりだと言うのに、鼻はそこまでよくない天元と耀哉の嗅覚をくすぐる濃厚で香しい匂い。

 

 

 ああ、なんてド派手で最高な匂いだ……。

 

 

 さっきまで、最高級の料亭の料理を食べていたはずだった。だが、さっきまでその料理を食べていたことを、天元は忘れた。

 それほど光酒の匂いは――

 

 

 そして、盃の上に少しずつ注がれる、黄金色の酒。

 

 

 蛍のような淡い光。黄金のような光。月のような光。―――美しい光だった。

 

「すげえ、ド派手じゃねえか……」

 

 ごくりと唾を呑みこむ。

 強く淡い光は、夜に包まれた辺りを照らしだすほどだった。だが、不思議とまぶしくはなかった。

 

 

「そういえば宇髄には話していなかったな。光酒ってのは、地下深くに流れる光脈と呼ばれる命の川から抽出された酒だ。これは、生命そのものだ。生命の源泉とも言ってもいい。酒は百薬の長と言うが、これは人間の身体にいい効果を与えてくれる。俺はこれを治療に使っているが、宇髄、お前はこれを、命そのものを頂くんだ」

 

 

 ――"蟲柱"鹿神ギンという男は、不思議な男だった。

 

 

 そいつの言葉は、いつも俺の心にすっと入ってくる。まるでそこにあるのが当たり前かのように。

 

 

 天元はギンの言葉を胸に刻みながら、ゆっくりと酒に口を付けた。

 

 

 

「――――!」

 

 

 

 一口飲むごとに、考える力が失われていく。

 なんて美味い酒なんだ。

 こんな酒、飲んだことがない。

 一口飲むごとに、体の疲れが抜けていく。

 一口飲むごとに、心が軽くなる。

 

 きっと、この酒の味を全ての人間が知れば、争いなんて二度と起きない。

 

 天元はそう確信してしまえるほどに、光る酒に感動する。

 

 

「……うん、美味しいね」

「それだけかよ、耀哉。見ろよ、宇髄なんて涙を滅茶苦茶流してるぞ」

「幼い頃からこれを飲んでいるんだ。私にとっては、もうお茶と同じだね」

「舌が肥えちまったなぁ、耀哉」

「君のせいだよ、ギン」

「それで、体の調子はどうだ?」

「うん。身体のあちこちが楽になっていくのを感じる。今日のもよく効いてくれる……」

「よかった」

 

 

 酒に打ち震えて一言も喋らなくなった天元を余所に、ギンは耀哉に旅の話をしていた。

 こくこくと酒を呑み続けるギンと耀哉を余所に、"音柱"宇髄天元はその酒を大事に大事に、一口ずつ時間をかけて飲んでいったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ以来、他の酒が水みたいに感じる。もう光酒じゃなきゃ酔えねえ。光酒を寄越せぇ!!」

 

 

 

 後日。見事に光酒にドハマリした宇髄天元は、その後度々、ギンから酒を奪おうと襲い掛かる所を隊士達に目撃されたと言う。

 

 更に、宇髄天元が光る酒がどれだけド派手に美味いか柱達に吹聴した結果、光る酒をねだる柱達が増えたと、ギンは耀哉に愚痴を零していた。

*1
約180cm。大正時代の成人男性の平均身長は160cmなので、ギンの身長175cmでもかなり大柄な部類に入る。


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