え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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柱合裁判


 

 

 

 悪鬼滅殺。

 それが鬼殺隊の絶対不変の掟。

 

 

 鬼は人を喰う。

 人を殺し、血肉を喰らう獣。鬼舞辻の血を入れられた人間は理性を失い、記憶を失い、ただただ人を無差別に殺す。時に人を喰う為に嘘も吐き、残酷に、人を不幸にする。

 

 

 故に、鬼殺隊は鬼を見つければすぐに殺す。

 それ以上鬼が人を殺さない為に。

 

 一匹の鬼を殺せば、何十人もの人間が救われる。

 十二鬼月を殺せば、何百人もの人間が救われる。

 

 故に、鬼殺隊は慈悲なく鬼の頸を斬り落とす。

 

 鬼を庇うなど言語道断。

 

 それが鬼殺隊の掟だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして その絶対の掟を破った隊員が一人。

 

 

「カァー!カァー!緊急柱合裁判!緊急柱合裁判!鬼ヲ庇ッタ隊員ノ処遇ヲ決メルカラァー!産屋敷邸ニ来テチョォォーーダイネェーーーー!」

 

「ついに見つかったか。仕方ない。俺も行くか、柱合会議」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだぁ?鬼を連れた鬼殺隊員っつーから派手な奴を期待したんだが……地味なヤローだなオイ」

「うむ!これからこの少年の裁判を行うと!なるほど!」

 

「な、なんだ……この人達は……?」

 

 うめき声をあげながら声をあげる炭治郎を、隠の後藤が頭を掴んで押さえつける。

 

「馬鹿野郎!まだ口をはさむな!誰の前にいると思ってんだ!柱の前だぞ!?」

 

 

 産屋敷邸。

 鬼殺隊の本部であり、鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉の屋敷である。

 光脈筋の上に建てられたその屋敷は山と森に囲まれた、人里から隔絶された場所だ。この屋敷に来ることは一般の隊員は叶わず、来ることができるのは柱や一部の隠のみ。

 

「ここは鬼殺隊の本部です。ここで、今からあなたの裁判をするんですよ。竈門炭治郎君」

 

 そして、一流の職人達によって整えられた庭園で、裁判が始まろうとしていた。

 

 

「裁判の必要など無いだろう!明らかな隊律違反、我らのみで対処可能!鬼もろとも斬首する!」

「ならば俺が派手に頸を斬ってやろう。誰よりも派手な血飛沫を見せてやるぜ。もう派手派手だ」

 

"炎柱"煉獄杏寿郎の厳しい言葉に、"音柱"宇髄天元が同意する。

 

「ああ……なんというみすぼらしい子供だ、可哀想に。生まれてきたこと自体が可哀想だ。一思いに殺してやろう」

 

"岩柱"悲鳴嶋行冥が涙を流しながら数珠をじゃりじゃりと鳴らしている。

 

「殺してやろう」

「うむ」

「そうだな、派手にな」

 

 目が覚めたばかりの竈門炭次郎は混乱の極みにいた。

 那田蜘蛛山で十二鬼月である下弦の伍と戦い、助太刀に来た水柱によって救い出された炭治郎だが、その後の記憶があいまいだ。確かその後、別の女性の隊員がやってきて、鬼となった妹の禰豆子を殺そうとしたのだ。なんとか禰豆子を抱えて逃げ出したのはいいが―――駄目だ、その後のことが思い出せない。多分、気絶してしまったんだ。

 そしてここに連れてこられた。

"柱"と呼ばれる者達の前に。

 まだ鬼殺隊に入隊してから日が浅く、内情をよく知らないのは無理もない。だが、鼻がよく利く炭次郎は、目の前にいる人達が圧倒的な強さをもった剣士だということはすぐに分かった。

 

―――禰豆子!禰豆子どこだ、禰豆子!善逸、伊之助、村田さん!

 

 那田蜘蛛山で戦った仲間を思い出す。腕を縛られ上から押さえつけられている為、首を回して周りをみることしかできない。けれど、禰豆子も善逸も伊之助もここにはいない。

 

「そんなことより冨岡はどうするのかね。拘束もしていない様に俺は頭痛がしてくる。胡蝶めの話によると隊律違反は冨岡も同じだろう?」

 

"蛇柱"伊黒小芭内はネチネチと厭味ったらしく、松の木の上から非難を飛ばす。その相手は、炭治郎の兄弟子であり、那田蜘蛛山で命を救ってもらった"水柱"冨岡義勇だ。

 

「うむ。上弦の弐を討伐した功績が帳消しになりかねん愚行だ!」

「ああ……煉獄の言う通りだ。"柱"が鬼を庇うなど、なんという……南無阿弥陀仏」

「どう処分する、どう責任を取るつもりだ?冨岡」

「……事情がある。炭次郎は俺の弟弟子だ」

「弟弟子だと?ということは、冨岡の弟弟子ってことは、ギンの弟弟子でもあるのか。はっ、兄弟子も兄弟子なら、弟弟子もなかなか派手なことをしやがるじゃねーか」

 

 聞き覚えのある名前だった。

 ギン?ギンって……善逸や真菰さんが話していた人のことか?

 おそろしく強い人。そして、目に見えぬ何かを対処する薬師……いや違う。確か―――

 

「まあ、いいじゃないですか。大人しくついて来てくれましたし。義勇さんの処罰は後で考えましょう。それよりも私は坊やから話を聞きたいのです。さ、これを飲んでください。鎮痛薬入りのお水です。顎を怪我しているので、これを飲めば話すこともできるでしょう」

 

"花柱代理"胡蝶しのぶは、懐の小さな瓢箪の蓋を取り、炭次郎の口に流し込む。それを呑むと、身体中の痛みが徐々に薄れていくのを感じた。

 

「……ごほっ。俺の妹は鬼になりました。だけど人は喰ったことはないんです!今までも、これからも!人を傷つけることは絶対にしません!」

 

 

 炭治郎は必死に説明する。

 鬼となった妹を人間に戻す為、鬼殺隊に入隊したこと。禰豆子は二年以上も前に鬼になり、その間人を一度も食わなかったことを。

 

 

「くだらない妄言を吐き散らすな。そもそも身内なら庇って当たり前。言うこと全て信用できない俺は信用しない」

「あああ……鬼に取り憑かれているのだ。早くこの哀れな子供を殺して解き放ってあげよう」

「そんな話は地味で説得力もない。人を喰っていないこと、これからも喰わないこと。口先だけでなくド派手に証明してみせろ」

 

 

 駄目だ……聞く耳を持ってくれない。俺がいくら叫ぼうとも、俺の言葉じゃ信用してくれない。このままじゃ、禰豆子が殺されてしまう!

 炭治郎の全身に焦りが回っていく。このまま何もできずに殺されてしまうと、心臓で血管が破れそうになっていた。

 

「あのぉ……でも疑問があるんですけど……お館様がこのことを把握してないとは思えないです。勝手に処分しちゃっていいんでしょうか?いらっしゃるまでとりあえず待った方が……」

 

 控えめに小さく声を上げたのは、"恋柱"甘露寺蜜璃。

 甘露寺の言葉は正論だった。あの産屋敷耀哉が、この少年と鬼のことを知らなかったとは思えない。

 甘露寺のもっともな指摘により、ここで独断で少年を殺すのは良くないと考え、柱達の間で張りつめていた空気が解けた――しかし。

 

 

「オイオイ、なんだか面白いことになってるなァ」

「困ります不死川様!どうか箱を手放してくださいませ!」

 

 

 隠の言葉を無視し、現れたのは"風柱"不死川実弥だった。

 

 ――禰豆子の匂いがする。あの箱の中に!

 

 全身切り傷だらけの男は、軽々と禰豆子が入った箱を片手で持っている。

 

 

「鬼を連れてた馬鹿隊員はそいつかいィ」

 

 ――その左手には、妹が入った背負箱が。

 

「一体全体どういうつもりだァ?」

「不死川さん、勝手なことをしないでください」

 

 しのぶが眉を顰めながら風柱の行動を咎める。

 しかし、不死川は聞く耳を持たない。

 

「鬼が何だって?坊主ゥ。鬼殺隊として人を守るために戦えるゥ?そんなことはなァ、あり得ねえんだよ馬鹿がァ!」

 

 刀を抜いた不死川は、そのまま哂いながら、禰豆子が入った箱に刀を突き刺した。

 

 ――肉に刃が突き刺さる音、そして貫かれた穴からぼたぼたと真っ赤な血が流れ出す。

 

 その瞬間、頭に沸騰した血が流れ込んだ炭治郎は、両腕を縛られたまま不死川に向かって走り出した。

 

 

「俺の妹を傷つける奴は、柱だろうが何だろうが許さない!」

 

「ハハハハ!そうかい良かったなァ」

 

 不死川が躊躇なく日輪刀で炭治郎を殺そうとした時、義勇が叫んだ。

 

「やめろ!もうすぐお館様がいらっしゃるぞ!!」

 

 その声に気を取られたのか、炭治郎は間一髪で不死川の顔面に――頭突きを叩き込んだ。

 

「ぷっ」

「……蜜璃さん」

「ご、ごめんなさい……」

 

 笑いを堪える甘露寺と、それに呆れるしのぶ。

 そして、柱達はその一部始終を見て、呆気にとられた。

 

――冨岡が口をはさんだとはいえ、あの不死川に一撃を入れた。

 

 鬼を殺す達人。それが、ここにいる九人の剣士だ。

 そして不死川は、柱達の中でも上位に君臨する実力者。それをただの隊員が――

 

「善良な鬼と悪い鬼の区別もつかないなら、柱なんてやめてしまえ!」

 

 炭治郎は両腕を縛られながらも、禰豆子が入った箱を庇うように不死川の前で起き上がる。

 もちろん、それを黙っている風柱ではない。

 

「てめェ、ぶっ殺す!」

 

 不死川が刀を炭治郎の首元に沿える。そしてついに炭治郎の頸が斬られる――その瞬間。

 

「お館様のお成りです」

 

 屋敷の方から子供の声が聞こえた。

 開かれた襖の奥から現れたのは、黒く長い髪と白い羽織を着た男の人だった。

 

「よく来たね、私の可愛い剣士(こども)たち」

 

 ――この人がお館様?

 

「お早う皆、今日はとてもいい天気だね。今日も空は青い。顔ぶれが変わらずに半年に一度の柱合会議を迎えられたこと、また君達をこの目で見ることができて、本当に嬉しく思う」

 

 不思議な男の人だった。

 鬼殺隊の当主――炭治郎は、きっと強い人なのだろうと勝手に想像していた。

 しかし、今目の前にいるこの人からは強い人の匂いを感じない。

 

 そう考えていると、突然、頭を地面へ叩きつけられる。

 不死川が頭を地面に押さえつけたのだ。

 自分が全く反応できないほどの速さで。すぐに抵抗しようと試みるが、柱全員が一斉に並んで膝をついている。

 

「お館様におかれましてもご壮健でなによりです。益々のご多幸を切にお祈り申し上げます」

「ありがとう実弥」

「畏れながら、柱合会議の前にこの竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じますがよろしいでしょうか?」

 

 知性も理性も全く無さそうだったのにすごいきちんと喋り出した……あまりの豹変ぶりに驚きを隠せない炭治郎だった。

 

「そうだね。驚かせて済まなかった。だが、私から説明する前に、まだ来ていない柱が一人いるね」

「あー。悪い。遅れた」

 

 庭に、今の状況にそぐわない、抜けた声が響いた。

 

「……あれ。もう全員揃ってたのか」

「遅いよ、ギン」

「悪かったな。ちょっと取りにいくもんがあって、探すのに手間取った」

 

 奥から現れたのは、白髪の、緑の眼をした男の人だった。腰に刀を差してここにいるということは、この人も柱なのだろうか。しかし、隊服を着ておらず、異国の服を身に纏っている。

 

 ――空気が和らいだ。なんだろう、この人の匂い。すごく落ち着く。森の匂いがする。大きな樹の匂いがする。

 

「お、そいつが噂の隊員か。で、その箱に入っているのが鬼か」

 

 俺のことを知っている?一体、誰だろう。

 そう疑問に思っていると、青年は自分の名を名乗った。

 

 

「俺は"蟲柱"鹿神ギン。一応、立場上はお前の兄弟子ってことになる」

 

 

 

 ――恐ろしく強い人で、優しい人だった。俺が一時期雷で死にかけた時も、その人がいろいろ手助けしてくれた。今も時々、文を出すんだ。いろんな相談事に乗ってくれる。悩んだ時はいつも俺が欲しい答えをくれるんだ

 

 ――ギンさんはね、すごい人なんだよ。私が病床に臥せっていた時も、ギンさんが助けてくれたんだ。私が死んでもいいと思っていた時も、私に生きる力をくれた人なんだ。

 

 ――その人は、鬼殺隊なんですか?

 

 ――うん。でもね、鬼狩りだけど、それ以外にも別の名前があるの

 

 

 

 そうだ確か、あの時真菰さんと善逸が呼んでいたのは―――

 

 

 

「竈門炭治郎。一度会ってみたかったんだ」

 

 

 

 ―――蟲師。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ。よっこいしょ」

 

 ギンと名乗った青年は、そのまま薬箱を縁側に降ろすと、柱達のように跪かずによっこいしょとお館様の隣に座り込んだ。

 

「おいコラ鹿神。テメェどこ座ってんだァ。曲りなりにもお館様の前だぞォ?一体何様のつもりだァ?」

「うむ!ギン!さすがに失礼だぞ!」

 

 不死川と煉獄がギンを注意するが、ギンは「あーはいはい」と気が抜けた返事をするだけだった。

 

「痛いんだよ、そこ。砂利がさ」

「関係ねえんだよ。テメエも柱ならこっちに来て跪けやァ」

「なんでわざわざ庭でやるんだよ。会議なら部屋の中でやろうぜ。俺陽の光ダメなんだよ、なあ耀哉?」

「話聞けやァ!」

 

 不死川が声を荒らげるが、ギンはそれをまったく異に介さず、懐から紙を取り出したかと思うと、それを産屋敷耀哉の娘であるひなきに渡した。

 

「久しぶりだな、ひなき。みちか。薬は効いてるか?」

「はい。ギン様。おかげで毎日元気です」

「そいつはよかった。耀哉、"瞼の裏"で話した通り、そいつが義勇が見つけてきた例外だ」

「うん。ありがとうギン」

 

 ギンが淡々とお館様に報告する様を疑問に思った小芭内が問いかける。

 

「おい鹿神。何を言っている。まさか、お前も竈門炭治郎のことを知っていたという訳ではあるまいな」

「ああ。俺と義勇は2年前から竈門兄妹のことを知っていた。鬼殺隊に入隊していたことも」

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

 柱達の動揺の匂いが強くなる。その中で一番強い戸惑いの匂いを上げていたのは、胡蝶と呼ばれた女性だった。

 

「先生!?一体どういうおつもりですか。二年前から知っていたのに、何故私達に話さなかったんです?」

 

 怒りと戸惑いの匂いを混ぜた胡蝶しのぶの言葉に、ギンが答える。

 

「今みたいなことになるからだよ。俺が話したら、不死川辺りがすぐに突っ込むだろ?お前には悪いとは思っていたが、この話は耀哉、義勇、そして義勇の継子である真菰にしか話さなかった機密だ」

「鬼を庇うと言うことですか、先生」

「庇う……って言うと、ちょっと語弊があるな。これには深い事情がある」

「どう語弊があると言うんだ、何の事情があると言うんだ鹿神。裏切り以外に言いようがないだろう。"蟲柱"そして"水柱"、二人もの柱が鬼を庇っていたなど、どう責任を取る?どう処罰する?俺は怒りで腸が煮えくり返りそうだ」

「ギン!見損なったぞ!尊敬し、信頼していた友に裏切られるなど!はっきり言って失望した!」

「テメェ、覚悟はできてんだろうなァ?」

「ほら。こいつら聞く耳持たないだろ。だから情報統制してたんだよ」

 

 そうしのぶに言い聞かせるギンだが、しのぶは納得いかないと言わんばかりに頬を膨らませる。

 

(しのぶちゃん!可愛いわ。頬を膨らませちゃって!鬼を庇っていたことより、秘密を教えてくれなくて仲間外れにされたと思ってるのね!拗ねちゃってて可愛いわ!)

 

 それに対して、甘露寺蜜璃はきゅんきゅんしていた。

 

「義勇とギンから、炭治郎と禰豆子のことを既に報告されていたんだ。驚かせてすまなかったね」

「何故ですかお館様!」

 

 煉獄の言葉に、耀哉は頷きながら答えた。

 

「人を喰わぬ鬼。義勇は、禰豆子が鬼になった直後、兄である炭治郎を襲わずに庇う所を目撃し、そしてギンは、禰豆子は治療薬の元になる可能性があるかもしれないと語ったからだ」

 

 治療薬の……元?

 そういえば……珠代さんが言っていた。

 

『私も数年前、鬼を研究している鬼狩りと接触しました。その人は、私が鬼であることを知りながら、様々なことに協力していただいています。鬼舞辻を倒す為に。そして、鬼を人に戻す薬を研究するために』

 

 珠代さんが言っていたのは、この人のことだったんだ……。

 

「ギンと義勇から報告を受け、そして私は炭治郎と禰豆子のことを容認していた。そして皆にも認めて欲しいと思っている」

 

 まさか、鬼殺隊の当主から『認めてもらいたい』と言う言葉が出てくるとは思わなかった柱達。

 

「嗚呼……たとえお館様の願いであっても、私は承知しかねる」

「俺も派手に反対する。鬼を連れた鬼殺隊員など認められない」

「僕はどちらでも……すぐに忘れるので」

「信用しない信用しない。そもそも鬼は大嫌いだ」

「心より尊敬するお館様であるが、理解できないお考えだ!全力で反対する!」

「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。竈門、冨岡、そして鹿神、三名の処罰を願います」

 

 しかし案の定と言うべきか、柱のほとんどが反対意見を上げる。当然だろう。長い間鬼狩りの最前線で戦ってきた柱達は、鬼がどれだけ危険で醜悪かよく理解している。それ故に、いくら当主の意向であれど首を縦に振ることはできなかった。

 

 だが。

 

「なら、私は賛成します」

「あ、しのぶちゃんとお館様が言うなら……私も賛成で」

 

「胡蝶!?」

「甘露寺!?何を言っている!」

 

 女性陣が賛成したことにより、空気が一変する。

 

「いいのか、しのぶ」

「先生。これには意味があることなんですよね?」

 

 ギンを睨みつけながら、しのぶは問いかける。

 

「ああ。俺は必要なことだと思っている」

「なら、私は反対する理由はありません」

「何を言っている胡蝶!テメェそれでも柱かァ!」

 

 まさか鬼に強い憎しみを抱いているしのぶが賛成すると思わなかった不死川が、しのぶに向かって怒鳴り散らす。しかし、しのぶはどこ吹く風と言わんばかりに「フン」と鼻を鳴らした。

 

「確かに私は柱ですが、あくまで"花柱代理"。本来なら私は"蟲柱"の継子。師の意思を汲むのが弟子の役目という物です。何か文句がありますか?」

「テメェ……」

「甘露寺。お前はどういうつもりだ」

「わ、私はお館様の望むままに……それに、ギンさんにはいつもお世話になっているから」

「……」

 

 伊黒はどす黒い殺気をギンに向かって飛ばす。その怨念は今すぐ自分を呪い殺しそうな勢いだった。ここが柱合会議の場でなければきっと刀を抜いてきたに違いない。

 

 

「やっぱり、ほとんどの柱に反対されたね。それじゃあ、例の手紙を」

「はい」

 

 耀哉がそう言うと、先ほどギンから手紙を受け取ったひなきが手紙を開きながら言った。

 

 

「こちらの手紙は、元柱である鱗滝左近次様から頂いたものです。一部抜粋して読み上げます」

 

 

 

 

炭治郎が鬼の妹とともにあることをどうか御許しください。

禰豆子は強靭な精神力で人としての理性を保っています。

飢餓状態であっても人を食わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。

俄かには信じ難い状況ですが紛れもない事実です。

もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は

 

 

 

「竈門炭治郎及び、冨岡義勇、鱗滝真菰、鱗滝左近次、鹿神ギン、以上五名が腹を切ってお詫び致します」

 

 

 

「……上弦の鬼を討伐した柱が、その功績を帳消しにしてでもその鬼を庇うの?」

 

 今までほとんど話を聞き流していた"霞柱"時透無一郎が疑問の声をあげる。

 

「義勇さんと先生は、現柱の中で唯一上弦の鬼を討伐した剣士。特記戦力である柱の命を賭けるのは、ただの隊士が命を賭けるのとは意味合いが違います。先生、義勇さん。これの意味がお分かりですか?万が一、竈門君の妹が人を傷つければ、鬼殺隊の柱が欠けることとなるんですよ」

「覚悟の上だ」

「ああ。兄弟子として、男として当然のこと」

「それに、竈門兄妹には見どころがある。カラスから聞いたが那田蜘蛛山で下弦の伍をあと一歩まで追い詰めたんだろ?おまけに不死川に突っ込んで頭突きを食らわす度胸と気合がある」

「なっ、見てたのかテメェ!」

「そんな見どころがある奴を、なんで殺すんだ」

 

 

「―――――!」

 

 

 自分を育ててくれた、鱗滝さん。自分に呼吸を教えて助けてくれた、真菰さん。そして俺をここまで導いてくれた冨岡さん。そして、まだ話したこともない人が、俺を、禰豆子を、認めてくれている。

 純粋に嬉しかった。歯を食い縛らなきゃ、泣き叫んでしまいそうだった。

 

 

「切腹するから何だと言うのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ。何の保証にもなりはしない。いくら冨岡と鹿神が上弦の弐を討伐したからとはいえ、特別扱いする理由にはならない!」

「不死川の言う通りです!人を喰い殺せば取り返しがつかない!殺された人は戻らない!ギン!今からでも遅くない!撤回しろ!」

 

 しかしそれでも反対の声を上げる炎柱と風柱。更には、先ほどの手紙の内容を撤回しろと煉獄が言う。

 煉獄にとって、ギンは弟弟子であり、友でもある。幼少期を共に同じ釜の飯を食って過ごした大切な友人だった。そんな友人に、簡単に命を賭けて欲しくはなかったのである。

 

 しかしギンはそんな杏寿郎の心配をよそに、いつの間にか取り出したパイプ煙草で煙を吸いながら足を組んでくつろいでいた。

 

「そもそも、俺は鬼だから皆殺し、って言うのは元から大雑把で好きじゃねぇんだ。撤回したら、すぐに禰豆子を殺すだろ?杏寿郎。なら、俺は撤回はしない」

「甘い。甘いな鹿神。元"花柱"の下らぬ性根が移ったか?鬼と人は仲良く手を取り合っていけるとお前も戯言を宣うつもりか」

「鹿神。テメェも分かってるだろうがァ。今まで俺達鬼殺隊が、どれだけの想いで戦い、どれだけの者が犠牲になったか知っているだろうが!?」

 

 ギンの言葉は、かつての花柱の考えを想起させる。伊黒は舌打ちをしてそれを咎めた。

 

「そんなことは言わねぇよ。鬼は人を喰う。これが絶対の法則だ。だが禰豆子を今ここで殺したとしても、鬼が今すぐ滅ぶわけじゃない。大勢の人間が苦しめられているのは、禰豆子と炭治郎のせいじゃない。事実、禰豆子は人を傷つけていない。それでも殺したいと言うのは、最早ただの八つ当たりだ。こっちは五人の命を禰豆子に賭けてるんだ。その内柱が二人もいる。これと釣り合う何かを差し出せるなら、禰豆子を殺せばいい」

「ギンの言う通り、禰豆子にはこうして五人の命を賭けられている。その内の一人は、私の親友でもある鹿神ギンだ。確かに、実弥と杏寿郎の言う通り、禰豆子が人を襲わないという証明はできないが――人を襲うということもまた証明できない」

「っ!」

 

 耀哉の指摘に、思わず不死川が唸る。

 

「禰豆子が二年以上もの間人を喰わずにいるという事実があり、五人の命がこうして懸けられた。これを否定するには、否定する側もそれ以上の物を差し出さなければならない」

「……むぅ!ならばどうすると言うのだ!ギン」

「無論、働いてもらう。鬼を匿う価値、それを竈門兄妹には示してもらう。具体的には十二鬼月の討伐。それでなんとか帳尻合わせって訳にはいかねぇか、不死川」

 

 先ほどからギンを殺す気で睨みつけているのは不死川実弥だ。

 元々、ギンと不死川は意見が合わないことが多々あった。性格の相性もそうだったが、鬼に対して甘い考えを持つギンと、全て滅ぼさなければ気が済まない不死川とでは、元から価値観が合うはずもなかった。

 それでも今まで何度か同じ任務でやってこれたのは、互いがしっかりと「鬼を殺す」という役割を全うし続けたからだ。

 

「いかねぇなぁ、鹿神」

「竈門が鬼舞辻と遭遇していると言ってもか?」

「何!?」

 

 柱が今まで誰も遭遇したことがない鬼舞辻と遭遇した――それを聞いた柱達は一気に慌て出すが、

 

 耀哉が人差し指を口に当てた瞬間、声が静まる。

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に向けて追手を放っているんだよ。単なる口封じかも知れないが、私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで離したくない。恐らく禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きているのだと思うんだ」

 

「「「………………」」」

 

「それでも納得できない、と言いたげな顔だね。ギン。例の物を」

「……できればこいつは使いたくなかったんだが」

 

 なんだ?何をする気なんだ?

 炭治郎は不安になっていると、ギンは薬箱から小さな小瓶を取り出した。

 

 その小瓶には、赤黒い泥のような……血のような液体が入っていた。

 

 なんだ、あの液体は?

 果実酒のような甘くていい匂いがするけど――鼻の奥が痺れる……

 

 炭治郎はその匂いを嗅いだ瞬間、鼻を塞ぎたくなった。決して不快な匂いじゃない。炭治郎の身体が本能的に拒否したのだ。それを嗅いではいけないと。

 

「おい、ギン。なんだそれは」

「チッ。また蟲か変な薬か?そいつで何をしようって言うんだ」

「こいつは、腐酒という。光酒と対になる酒……いや、成れの果てとでも言うべきか。光酒よりも採取は難しい希少な物だ」

「光酒の対となる物だと?」

 

 普通の光酒は人や生物に対しては良い影響を与えるが、この腐酒は真逆だとギンは言った。 

 光る酒をよくねだる宇髄も思わず顔をしかめる。あの酒は決してあんな赤黒い色ではなかった。あんな地味で飲むことを拒みたくなるような色をしていなかった。

 

「これは光酒が腐った物だ。本来、地下深くの光脈で蟲となれなかったモノ達の集合体。どうしてこれが地下からあふれ出るのかは不明だが、これは人に対しては猛毒だ。だが、鬼に対しては最高の美酒となる液体だ」

「何!?」

「そんな液体、聞いたこともないぞ!」

「つい最近俺が見つけてきた物だから仕方ない。だが、これを侮るなよ。一滴だけで稀血1人と同等の栄養がある」

 

「一滴で稀血一人分だと!?」

 

 稀血。

 それは、特殊な血液の性質を持った人間のことを指す。鬼はこの稀血の人間を喰うと普通の人間50~100人分を食べる事に相当する力を得る。

 

 簡単な話、栄養価が鬼にとって段違いなのだ。一人喰うだけで、厄介な力を身に着けてしまうほど強力な血。

 

 それが、たった一滴で稀血一人分の血肉に相当する。

 もしこれを鬼が飲めば――

 

「その辺の鬼に匂いを嗅がせれば、一瞬で正気を失う劇薬だ」

「……それをどうするつもりなの?」

 

 淡々と訊く時透無一郎に、ギンも淡々と返した。

 それは、炭治郎にとって信じがたい言葉だった。

 

「禰豆子には、これに耐えてもらう」

「なっ!!?やめっ――」

 

 禰豆子にそんな物を嗅がせるな。嗅がせないでくれ。そんな液体で、禰豆子を鬼に堕とさないでくれ!

 

「悪いな、ちょっと借りるぞ」

 

 しかし、炭治郎の願いは無情にも――禰豆子が入っていた箱は取り上げられ、いつの間にか屋敷の日陰へ移動したギンが箱を開いた。

 

 中から現れたのは、先ほど不死川に刺された血で濡れた禰豆子だった。

 箱に入るために小さかった身体が、大きくなっている。身体を自由に作りかえれるのは鬼である証拠でもある。

 

「これの匂いを嗅いでそれでも正気を保てれば、禰豆子にはそれだけの価値があるんだ。悪いな、禰豆子。頼むから耐えてくれ」

 

 やめろ―――そう言いたかった。禰豆子は今怪我をしている。回復するためには寝なきゃならない。その状態で稀血以上の液体を出さないでくれ――しかし、炭治郎は伊黒によってその場に押さえつけられてしまう。

 

「伊黒さん。強く押さえ過ぎです。少し緩めてください」

「動こうとするから押さえているだけだが?」

「竈門君。肺を圧迫されている状態で呼吸を使うと血管が破裂しますよ」

「血管が破裂!いいな響きが派手で!」

 

「ねず……こォ……!」

 

 ギンは、蓋を開けた。

 瞬間、甘い果実酒の匂いが屋敷の庭まで漂い始める。それは甘く、いい匂いだった。だが、どこか血か何か――腐った肉が混じったような、屍の匂いがした。鼻が利かない柱達でも、感じ取れるほどに濃い死の匂い。

 

 禰豆子に変化が訪れたのはすぐだった。

 

「フゥー……!フゥー……!」

 

 目を血走らせ、口枷から大量の涎が溢れだしている。

 飢餓状態――いや、腐酒によって本能を刺激されているのだ。鬼としての、人食いとしての食欲を。

 

 これを飲めば、いや一滴でも舐めればこの苦しみから解放される。この空腹が消えてなくなる。

 

 呑みたい、呑みたい、呑みたい。

 呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい呑みたい

 

 禰豆子の思考を埋め尽くす食欲。

 血が滲むほど拳を握っても、舌を噛み千切るほど歯を食い縛っても、溢れる涎。

 

「がぁぁ……!」

「竈門君?」

 

 禰豆子が苦しんでいる。頑張っている。火事場の馬鹿力か、それとも本能で動いていたのか――炭治郎は自力で腕の縄を引きちぎった。

 

「なっ」

 

 戸惑う伊黒の腕を、冨岡が掴む。拘束が緩んだ瞬間、炭治郎は縁側に駆け寄って叫んでいた。

 

「禰豆子――――――!」

 

 呑みたい。呑みたい。……呑めない。呑みたくない。

 人の肉は、人の血は、喰わない。

 人間は皆、家族。人は、守る―――絶対に、傷つけない。絶対に、負けない。

 

 

「っ!」

 

「……よく堪えた」

 

 ギンはそう言って、腐酒の瓶に蓋をした。

 瞬間、甘い匂いは消え失せた。

 

「―――これで、禰豆子が人を襲わないと証明できたね」

「よかった……!禰豆子……!」

 

 禰豆子は、耐えた。腐酒の誘惑を跳ね除け、そっぽを向いたのだ。

 

「悪かったな、炭治郎。禰豆子を試すような真似をしちまって」

 

 ギンはそう言いながら、精神力を使い果たした禰豆子を箱にそっと戻し、柱達に眼を向けた。

 

 

 

「禰豆子はたった今、こうして証明して見せた。だから俺も義勇も、この命を賭けられる。この兄妹は今から蟲柱と水柱の預かりとなる。それでもまだ文句がある奴は言ってみろ」

 

 

 

 

 反対の声は―――ひとつも上がらなかった。

 

 


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