頭の中が微睡んでいる。ここ数日、あまり眠れてない。身体はだるくてあまり動きたいと思わない。けれど意識は何故かはっきりしてる。こういうこと、前にもあった。
窓を流れる風景が見えていても、今どこを走っているか分からない。
汽車ってこんなに速かったっけ?
昔は新幹線に乗っていたはずなのに、それ以上に速く感じる……。
……いや、もう前世のことは記憶がない。十六年もこの世界で生きていたせいか、大分記憶も摩耗した。覚えていることと言えば、蟲のことだけ。
汽笛の音は車内まで響いてくる。線路を踏む音が振動になって伝わってくる。
普段歩いてばかりなだけに、慣れない汽車の中は自分の睡魔を妨げてくる。
中途半端な眠りと覚醒のせいで、頭の中が麻痺してしまっていた。
「どうした!ギン!疲れているようだな!」
「そりゃぁな……」
寝癖だらけの頭をぼりぼりと掻きながら前を見ると、相変わらず明朗快活な杏寿郎の顔があった。相も変わらず、炎柱という名に負けず劣らず暑苦しいし声がでかい。
寝起きの時に一番会いたくない男だ……。
「だらしないぞ!ギン!それでも蟲柱か!」
「半日以上も汽車を乗り継いでる……眠くもなるさ」
「この汽車には鬼が出るんだぞ!居眠りをしている間に鬼にやられたなど、笑い話にもならない!ちゃんと起きるんだ!」
「眠いもんは眠い……」
「起きろ!」
「イテぇよ杏寿郎!殴るなっての!」
何故、こんなやかましい兄弟子と相席になってしまったんだ。外を見ると、流れる景色の上に陽が赤く光っているのが見えた。そろそろ夕暮れだが、夜になるまでまだ時間はある……。まだ鬼の時間ではない。少しぐらい居眠りをさせてくれてもいいのに。
そう心の中で愚痴っていると、杏寿郎はさっきの駅で買い占めていた弁当をむしゃむしゃと食べ始めた。
「うまいうまい!この焼肉弁当は、なるほど、さすが美味いな!」
「もうちょっと静かに食えよ」
乗客の「何事だ?」と言わんばかりに視線が集まってる。なんでもないです。食いしん坊がご飯食べてるだけです。
「ギンは喰わないのか!うまいぞ!」
「いや……俺はいい」
「どうした!肉はギンの大好物だろう!」
「……そーいう気分じゃないんだよ。眠いし」
周りの視線が痛い。同僚だと思われたくない。他人のフリをしたい。
「なるほど!それで、この汽車に乗ってどうだ、ギン!俺より先に乗っていたんだろう?お前の意見を聞かせてくれ!」
「……いや。乗っている限り異常はない。異様なほど普通なんだ、この汽車。四十人もいなくなっただなんて嘘なんじゃないか?」
「いや!確かな情報だ。短期間の内にこの汽車で四十人以上の人が行方不明となっている!数名の剣士を送り込んだが全員消息を絶った、確かな情報だ!」
「だから俺とお前に指令が来たのか?」
「そういうことだ!十二鬼月の可能性もあるからな!」
「……降りていい?」
「ダメに決まってるだろう!」
蝶屋敷に帰って寝たい。仕事したくねぇ……。
「どうした、珍しく今日は腑抜けているな!」
「さっきも言っただろ、こっちは仕事を終えてきたばかりなんだ。疲れてるんだよ」
「その様子だと鬼殺ではなく蟲師の仕事か!」
風呂浸かって飯食って寝たい。
……蝶屋敷を空けて、もう二週間ぐらいか。しのぶはしっかりと蟲下しを作れただろうか?この間の日蝕で、障りがないといいが。文がこっちに届いていないということは、無事に乗り切れたんだろう。だが、やっぱり心配になる。
「弟弟子が頑張って仕事をしてきたんだから、労ってくれよ。杏寿郎」
「うむ!ご苦労!だが仕事は仕事、きっちりするべきだ!」
弟弟子の願いをばっさりと切り捨てる。なんて冷たい男なんだ……。
煉獄杏寿郎は厳しい。甘さ、という物が一切ない。そう言う所は相変わらず槇寿郎さんそっくりだ。頑固な所とか、融通が利かない所とか。とにかく真っ直ぐだ。
「……ところで、あの隊士はどうだ?」
「ん?どの隊士だ?」
「決まっているだろう!鬼を連れた隊士のことだ!」
「炭治郎のことか?」
「うむ!ギンが直々に稽古をつけていると聞いたぞ!お前から見て、あの隊士はどうだ?」
「いい奴だよ。性根も真っ直ぐで地力がある。きっと杏寿郎と気が合うと思うぞ」
「そうか!それはいいな!確か彼が使うのは冨岡と同じ水の呼吸だったか?」
俺は「ああ」と首肯する。
「ただ、本人と水の呼吸はあまり合っていないように俺は思える。本人は水の呼吸とは別に"ヒノカミ神楽"と呼ばれる呼吸法を使っているようだが」
「ヒノカミ神楽?」
首を傾げる杏寿郎に簡単に説明する。
炭治郎の父親が"ヒノカミ神楽"なる呼吸法を使っていたということ。ただの神楽を戦いに応用できたことから、火の呼吸と呼ばれる物ではないかと。だが、威力は凄まじいが使うとすぐに身体が動かなくなってしまうと。
「知らんな!ヒノカミ神楽など初耳だ!」
「まったくか?」
炎と火。聞くだけなら関連性がありそうな気がするが。
「ああ!だが、一つだけ心当たりがある。ギンは始まりの五剣士は知っているか?」
俺は頷いた。
呼吸法には大まかに5つの系統がある。
炎・水・風・岩・雷、合計5つの基本呼吸。そこから枝分かれするように様々な呼吸法がある。しのぶが使う"蟲の呼吸"は水の呼吸から派生した物。甘露寺が使う"恋の呼吸"は炎の呼吸から派生した物だ。
呼吸法は個人によって千差万別。その本人の体質によって呼吸の系統が合う合わないがある。鬼殺の剣士は育手から呼吸を修得するが、使っている呼吸を変えたり新しい呼吸を派生させることは珍しいことではない。
故に、多くの派生した呼吸が存在する。
「ギンは更に特殊だな!どの呼吸にも属さない、深緑の呼吸法"森の呼吸"!刀の色から無理やり当てはめるなら、風の呼吸の派生ということになるが!風の呼吸を使う不死川よりも更に濃い緑色の刀だ!父上もギンの育て方に随分苦心していた!」
「え、苦心してたのか?」
「既存の物に当てはまらない呼吸法だったからな!」
だからあんまり炎の呼吸の型は教えてくれなかったのか……。唯一、俺が使う弐ノ型は炎の呼吸を参考にした物だが、ほぼ我流で型を編み出したからな……。
「だから俺は、ギンが使う森の呼吸は始まりの呼吸だと考えていた時期があった!」
「始まりの呼吸?」
「炎・水・風・岩・雷は全てその呼吸の派生だ!戦国時代、その呼吸法が誕生したからこそ、今の鬼殺隊は呼吸で鬼と戦うことができている!その始まりの呼吸の名は――」
日の呼吸と言う!
「――日の呼吸、ですか?」
「ああ!ヒノカミ神楽がどういう経緯で生まれたか分からないが、その可能性がある!実際、その日の呼吸を使っていた剣士の刀は、黒刀だったと言う記録を読んだことがある!あまり読み込まなかったから詳しくは分からんが!」
火の呼吸について尋ねた炭治郎に、杏寿郎はそう答えた。
ヒノカミ神楽――火の呼吸について調べていた炭治郎は、しのぶの紹介で"炎柱"煉獄杏寿郎に会うため無限列車に乗り込んでいた。伊之助と善逸も連れて。
日蝕から二週間、ようやく会得した全集中の呼吸・常中と同時に傷を完治させることができた三人は指令が来た時動きやすいようさっそく行動に出ていた。まだ指令も出ていないのに連れ出された善逸は蝶屋敷から離れたくないと駄々をこねたが、都会に出たことがない伊之助と炭治郎は刀を持っていると憲兵に捕まること、そして汽車の存在自体もまったく知らなかった二人を心配し、呆れながら付いてきたのである。
「うぉおおおお!すげぇすげぇ速ぇぇ!さすがヌシ!なんつぅー速さだぁぁ!俺外に出て走るから!どっちが速いか競争する!げっへへへ!」
「危ない馬鹿このっ……馬鹿か!馬鹿にも程があるだろ!」
汽車に乗ったことがない伊之助はその速さにはしゃいで窓から顔を出し、高速で流れる景色を楽しんでいる。今にも飛び降りそうな所を善逸が叱っている。
「ところで、ギンさんはどうしたんですか?眠ってますけど……」
そして、善逸達が隣で滅茶苦茶騒いでいる中でも、ギンはいびきをかいて爆睡していた。
「うむ!どうやら別の仕事であまり寝れていなかったようでな!さっきからずっとこの調子だ!」
どうやら相当疲れているらしい。善逸があんなに叫んでいるのに起きる素振りすらない。
「なんだ、白髪ヤロー。こんな所で寝やがって!」
「こら!伊之助、駄目じゃないか、ギンさんが起き……」
伊之助が無防備になっていたギンの前髪をいじり始める。それだけならよかったが、まるで寝ている兄弟にいたずらする子供のように、ギンの瞼を指で触り始めたのだ。それを止めようとした炭治郎だが、ギンの右目を見て言葉を失った。
「……ギンさんの右目、真っ暗だ……」
「本当だ。なんじゃこりゃ、暗闇か?」
「ひ、ひぃ。なんだよギンさんのその眼……!」
ギンが隻眼だということは、鍛練を一緒に行っていたから3人は知っていた。しかし、長く白い前髪に隠れていてはっきりと見たことがなかった。
闇を掬い取ったかのような右目だった。
隻眼だと聞いて、最初は怪我か何かで眼を失った物だと炭治郎は思い込んでいたばかりに、その眼は異様だった。
なんだ、この異様な眼は?
元々浮世離れをした風貌だけど、この眼は闇そのものだと、炭治郎達3人は直感で感じた。
「ギンのその眼は、蟲のせいだ!」
杏寿郎が腕を組んで神妙そうな顔つきで言った。
「蟲?」
「
「銀蟲……」
「ギン曰く、その蟲は"常闇"と呼ばれる暗闇の中で生きる珍しい蟲だそうだ。その蟲が放つ光は強く、直接見てしまうと目がそうなってしまうようだ。俺は蟲が見えるわけではないし、それを見たことがあるわけではないが、昔ギンはそう語っていた」
幼い頃、ギンと共に修行をしていた時に、杏寿郎はギンにその見た目について尋ねたことがあった。
見えない蟲達の話は、杏寿郎にとっておとぎ話だった。よく、母の煉獄瑠火と共に、ギンの不思議な夢物語を聞いたものだと杏寿郎は懐かしい気分になった。
あの頃は鍛練嫌いで、目に見えない何かばかりを追いかける、手がかかる弟弟子だった。
けれど今は、俺と同じ鬼殺隊最高の位である柱として、俺とこうして任務に励んでいる。
父親は自分が柱になると同時に引退した。
こうして、同じ釜の飯を食い、鍛練を励み合ったギンと共に戦えることが、杏寿郎は嬉しかった。
「そうだな!こうして出会えたのも何かの縁!三人とも、俺の継子として面倒を見てやろう!何、心配はいらん!」
「この汽車に出る鬼を退治したら、さっそく鍛えてやるからな!」
「――……え?鬼?鬼が出るんですか?」
訊き間違いなのか、思わず聞き返してしまう炭治郎に、杏寿郎は頷いた。
「出る!」
「嘘でしょっ!!!鬼の所に移動してるんじゃなくてここに出るのぉ!?聞いてない聞いてないですぅ――――!!」
「今言ったからな!この汽車で40人以上の行方不明者が出ている!隊員を何人か送り込んだが全員が消息を絶った!だから、柱である俺が来た!もちろん、君達にも協力してもらうぞ!」
「はぁーーーーん!なるほどねっ!!降ります!!!」
「ダメだ!」
「ですよね!!」
善逸の必死の懇願もばっさりと切る杏寿郎。この黄色の少年、昔のギンにそっくりだなぁ、と少し懐かしくなった。
「ギンさんいるじゃないですか!俺達がいなくても別にいいんじゃないですか!?」
「そういえば、ギンさんはなんでこの汽車に……?」
二週間ほど蝶屋敷を空けていたことは知っていたが、どうしてこの汽車に乗っているのだろうか?
「ギンはお館様の屋敷に向かう為に偶々この汽車に乗っていたんだが、物のついでだ!ギンにもこの任務に参加してもらうことになっている!」
「でもギンさん寝てるじゃないですか!起きる気配これっぽっちもないですよ!」
「ああ!だから俺も困っている!だが安心しろ!俺は強いからな!」
杏寿郎が力強く断言すると、騒いでいた善逸も思わず安心してしまったように肩の力が抜けてしまう。杏寿郎の言葉があまりにも力強く、その言葉に裏打ちされた圧倒的な実力を肌で感じ取ったからだ。
伊之助も炭治郎も、思わずほっと息を吐いた。
「……はいっ」
「ふっ、お前なんかに頼らなくても俺様一人で十分だ!」
「おい伊之助!失礼だぞ!俺はこの人に守ってもらうんだから!」
「うるせぇぞ紋逸!この弱味噌がぁー!」
「はっはっはっ!元気があっていいな!」
そう杏寿郎が笑っていると。
「――――切符を、拝見……いたします……」
やつれた様子の車掌が車両の奥から歩いてきた。
「? なんですか、この人」
「車掌さんだ!切符を確認して切込みを入れてくれるんだ!」
汽車に乗ったことがない炭治郎に説明する杏寿郎。
杏寿郎の言葉に気を取られたのか――
その切符から、血鬼術の匂いがしたことに気付かなかった。
パチン。
―――長い夜が、始まる。
下弦の壱である魘夢は、人に夢を見せる血鬼術を使う眠り鬼だ。
人間を眠らせ、その人物にとって都合がいい夢を見せる。決して自分から戦うことはせず、眠らせた相手の精神の核を破壊し、廃人にした人間を喰う。そうして鬼殺隊の隊士を何人も食い殺し、下弦の壱へと上り詰めた。
恋人を亡くした者。不治の病にかかってしまった者などに都合のいい幸せな夢を見せ、人間の協力者を何人も持つ鬼でもある。
この無限列車の車掌も魘夢の協力者の内の1人。
この無限列車の切符は魘夢の血が混ぜられたインクで書かれており、車掌が切符を切れば術が発動する遠隔術だ。
こうして眠らせた鬼狩りの夢の中に、刺客である人間の協力者を送り込み、精神の核を破壊させるのである。
――魘夢のミスは、二つ。
ひとつは、術を掛けた鬼狩りの特徴を、『黒い隊服を着た人間』だとしか伝えなかったこと。
黒い隊服を着た炭治郎や杏寿郎と違い、西洋の服に身を包みいびきをかいて眠っていた男が鬼狩りだと、協力者の人間達は気付かなかった。更に魘夢の術によって眠らされていたのではなく、最初から眠っていたので術の効果が及ばなかった。
もうひとつは、その男が"柱"であることを、魘夢は知らなかったことである。
―――ガリッ
「んあっ……ぐえ。苦い」
眠っているギンは、奥歯に挟んでいた丸薬を噛み砕いてしまい、眠りから目が覚めた。
気付け薬として口の中に含んだ丸薬はとてつもなく苦い薬で、眠くなったら噛もうと考え奥歯に挟んだまま、眠ってしまったのである。
「ぺっ、ぺっ。やっぱこれ最悪な味だ。自分で調合しておいてあれだが……あ?」
そして眠りから目が覚めたギンは周りが異常事態になっていることに気付く。
「なんだこれ。なんで炭治郎達がここにいるんだ?」
見てみると、自分以外の人間が全員眠っていた。杏寿郎も、炭治郎も善逸も伊之助も。そして、眠っている四人の手首には何か変わった縄が巻き付けられ、その縄は他の四人の一般客の腕と繋がっている
「……杏寿郎は何やってんだ?」
見ると、杏寿郎は眠っている。眠っているのだが、何故か立ちながら少女の首を掴んでいた。
随分と器用な眠り方をするなぁ……と思う反面、その原因に当たりをつける。
「血鬼術か。この縄だな……。おい、杏寿郎!起きろ!」
どうやら自分が眠っている間に、鬼が動き出していたらしい。これはまずい。
杏寿郎の頬をぺちぺちとはたいてみるが、反応がない。起きる気配なし。すぐに席の下に隠して置いてあった刀を持ち、辺りを見渡す。
自分以外の乗客全員が眠っている。まず間違いなく、鬼は人を眠らせる血鬼術を使う。この縄もその鬼が創った物だろう。鬼独特の気配を帯びている。
どんな効果をもたらす縄か知らないが、今斬るのは多分マズイな。眠っている人間というのは、無防備になる物。それは肉体的な意味でも、精神的な意味でも。血鬼術で作られたこの縄は、多分眠っている人間に干渉するための物だ。今斬ってしまえば、炭治郎や杏寿郎の精神がどうなるか分からない。
「と、すれば。先に列車を止めるか、鬼を探し出すか……ん?」
すると、席に置かれていた箱が動き出した。この箱は……。
蓋を開くと、そこには小さくなった禰豆子がいた。
「よぉ、禰豆子。息災か?」
「むーっ」
頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める禰豆子。相変わらず鬼とは思えない。
「ちょっと俺はやることがあるから炭治郎達を見ててやってくれ」
「むっ!」
力強く頷く禰豆子に炭治郎達は任せ、ギンは刀を抜きながら車両の後ろの方へ向かう。
確か、この汽車は八両編成だったな。
今自分達が乗っている所は、前から三両目。
残り五両は……よし。
ギンは一両目から三両目までの一般客をどんどん四両目に投げ込む。前の方の車両にはあまり客が多くなかったことも幸いして、すぐに一般客の避難は完了する。
「こいつも念のため、置いていくか」
鬼が現れた以上、せっかく採れたものをわざわざ奪われる危険にさらす必要はない。いつも背負ってる薬箱から必要最低限の道具を取り出し、四両目の床にそっと置いた。
そして通路――三両目と四両目の連結部分にギンは立つ。
縄を巻き付けた四人以外は特に異常はなさそうだった。眼球がぴくぴくと動いているせいで瞼が動いている、ただ夢を見ているだけで毒を仕込まれたわけでも、何かの病に陥っている気配もない。本当にただ眠らされているだけと判断。
ならば、自分達が乗っている車両から後ろは、一般の客は、わざわざこの列車に付き合う必要はあるまい。
"森の呼吸 陸ノ型
陸の型は、横に切り払う型。荒々しく、力に任せた剣。前後左右の障害を一気に切り払う伍ノ型の"陰森凄幽"と似ているが、陸ノ型は前方を切り払う。範囲は狭くなるが、その威力は鉄をも斬り裂く。
ギンは呼吸の力を乗せ、鉄でできた連結部分を力づくで斬り離した。
「あああああ!!!」
炭治郎が叫びながら飛び起きた。夢の中で自害し、無理やり覚醒したのだ。首に刀を刺した嫌な感触がこびりついている。けど、辺りを見渡せば、汽車の車両だった。
「よお炭治郎、起きたか」
「ギ、ギンさ……?」
「落ち着け。血鬼術にかかっていたんだ。禰豆子がお前の腕にかかっていた縄を燃やしてくれたんだ」
「むーむー!」
「禰豆子……」
妹が無事だったことに安堵しながら、炭治郎は禰豆子の頭を撫でる。
「とりあえずこれを喰え。羊羹だ。元気になる」
「あ……ありがとうございます……」
ギンが懐から出した羊羹を受け取り、一口齧って……炭治郎は現状を思い出した。
「いやこんなことしてる場合じゃないですよ!鬼の攻撃が!他の乗客を助けないと――」
「いや、もう大丈夫だぞ?」
「――え?」
ギンが後方車両の方を指差すと、そこには―――後方車両はなかった。巨大な獣が破壊したように、三両目の後ろの扉が粉々に破壊されていた。眠ってしまう前まではあと五両も大きな車体がつながっていたはずなのに、そこにはもう何もなく、ただただ車輪がリズムよく線路を踏む音と、風が流れ出る音がただ響くだけである。
「一般の客は全員、三両目より後ろに担ぎ込んで車両を切り離した。鬼は先頭の方にいる。さっき『俺の餌をよくも』とか言って滅茶苦茶怒鳴り込んできたが、前方車両の方へ逃げられた。頸を落とし損ねたが、そんなに大した鬼でもない」
「――えっ、斬り、車両を!?」
車両は硬い鉄や木材でできていたはずなのに。ギンさんはこれを斬った?
爆薬か何かを使ったと言われたほうがまだ納得できる。
「ちなみに下弦の壱だ」
「下弦!?十二鬼月の!?」
起きたばかりだからか、―――いや、ギンがやったことに驚きで眼を回す炭治郎。
「炭治郎。やれるか?」
「は、はい!――あっ、ギンさん!」
「よくも……よくもぉぉぉぉおおおお!!」
ギンの背後に、飛び掛かる少女がいた。手に錐を持った、さっきまで杏寿郎に首を絞められていた少女だ。縄を禰豆子が焼き切ったことで、眠りから覚めたのだ。
「やっぱり、鬼の協力者か」
「ぐぅ……!放しなさいよ!」
だがギンは、前の方を向きながら左手で突き出した手首を掴んで防ぐ。掴まれた少女は必死に振り払おうとあがくが、ギンに掴まれた腕はまったく動く気配を見せない。
「協力者……!?」
「ここの鬼の血鬼術は鬼殺隊にばれないよう、人間が手を貸していたんだ。無論、自分の意思でな」
「そんな……」
「邪魔しないでよ!あんたたちが来たせいで夢を見せてもらえないじゃない!あんたも起きたのなら加勢しなさいよ!結核だか何だか知らないけどちゃんと働かないならあの人に言って夢を見せてもらえないようにするからね!」
ぬらりと起きる、3人の男女。少女に怒鳴られた痩せた男性以外は、手に錐を持っている事が、明らかな殺意を物語っている。
「……人の心に付け込んだんだ」
「その様子を見るに、かなり楽しい夢を見させてくれるようだな。下弦の壱は」
「そうよ!あんた達の精神の核を破壊すれば、夢を見させてもらえるの!だから、死んでよ!」
「同情するが、お前さん達の為にくれてやる命などない。夢は所詮夢でしかない。命の上に成り立っていい妄想なんて、この世にはないんだ。可哀そうだが、辛くても生きていくしかないんだよ。炭治郎」
「くっ――」
ギンの呼び声に応えるように炭治郎が3人の頸に手刀を走らせ、糸が切れたように倒れ込んだ。
「……お前さんは、刺さないのか?」
「ギンさん、その人は、多分俺と繋がっていた人です。敵意の匂いはしません」
「ふむ……病持ちか」
「……すまない」
青年はそうぺこりと頭を下げた。
ギンと炭治郎はそれ以上、彼に何も追及せずに先頭車両の方へ走っていく。
車両を走り抜けながら、炭治郎は怒った。
人の悲しみに付け込む鬼を。許さない。家族を、自分の心の中に土足で踏み入られたことを。
「炭治郎、平気か?」
「はい!あの、煉獄さん達は―――」
「もう禰豆子が縄を焼き切った。直、目が覚めるだろう。それまでに俺達は下弦の壱を討伐しておこう。わざわざ炎柱が出る幕じゃない。確か、十二鬼月の血を集めてるんだろ?その為にも、とっとと斬らなきゃな」
「――はい!」
車両から屋根の上に跳び上がると、そこには文字通り、鬼の形相で怒り狂う鬼が立っていた。
「お前……お前お前お前ェェェェ!よくも……よくも俺の餌を!時間をかけて一度に乗客を大量に喰うはずだったのに!台無しだ!」
「台無しにできた?そりゃ上々。せっかくの汽車の旅を、邪魔するなんて無粋だろ?」
軽い調子で語るギンに、鬼は血管が浮き出るほど叫ぶ。
汽車の勢いは止まらず、屋根の上は風が吹かれていた。普通の人間ならしがみ付いていないと飛ばされるほど強い風なのに、ギンは静かに刀を構える。
「これだけ手間と時間をかけたのに!あの人間ども、せっかく俺がいい夢を見させてやると言ったのに、ひとりも鬼狩りを殺せていないじゃないか!役立たず共め、ああなんて悪夢だ!最悪だ最悪だ!せめてあの柱だけでも殺せば……!」
「悪いが、杏寿郎は殺させない。あれでも俺の兄弟子なんでね。やかましくてうるさいが、お前が獲れる首じゃない」
「……ならいい。お前を先に殺してやる!お前を眠らせて、ここから突き落としてやる!お前の肉なんていらない、ここから突き落として挽肉にしてやる!」
"血鬼術 強制昏倒催眠の――"
下弦の壱"魘夢"は、目から血が出るほど怒り叫びながら、対象の人間を昏倒させる血鬼術をギンにかけようとした―――が。
「俺を殺すのはいいが、後ろがお留守だぞ」
「―――え?」
一両目の屋根の上に立っていた魘夢。ギンは後ろの方から。そして―――
彼の弟弟子である竈門炭治郎は、前の方から魘夢を挟み撃ちにした。
ギンが注意を引いている魘夢の背後は、炭治郎にとってただの案山子同然だった。
"水の呼吸 壱ノ型 水面斬り"
「―――え?」
下弦の壱魘夢は、呆気ない最期を迎える。
柱ですらない一般の隊士に首を斬られると言う、なんとも惨めな最期だった。
―――ああ……なんという、悪夢だ……。
運転士を気絶させ、なんとか無限列車を停めることができた。
蒸気の音を立てながら、山の中腹辺りに止まったようだ。
ギンは鴉に指示を出し、"隠"の部隊に連絡する。
列車の四両目から八両目の客達を保護すること、今回の鬼騒動の隠蔽処理をすることなど――。
「下弦の壱、討伐おめでとう炭治郎。これでお前も柱就任だな」
「いえ……ギンさんに助けてもらったからなんとか頸を斬ることができただけで……俺は乗客を助けてもいないですし、ギンさんのおかげですよ」
「謙遜するな。下弦の壱の血も採れたし、被害もひとつもない。これ以上の戦果はないだろう。もっと自信を持て」
ギンはそう笑いながらぽんぽんと炭治郎の肩を叩く。
「それに、肝心の炎柱なんてまだぐーすか寝てるんだぞ。もっと胸を張れ」
「――はい!」
「さて。それじゃあ駅まで歩こう。隠の部隊も到着に時間はかかるだろうが、のんびり――」
「!」
「!」
途端。炭治郎の鼻に、吐き気を覚えるほどの血と死肉の匂いが突き刺さった。
これまで嗅いだどんな匂いよりも醜悪で。
何百もの人を喰った匂い。
那田蜘蛛山で遭遇した下弦の伍よりも。たった今倒した下弦の壱よりも、ひどい、悪臭。
――なんだ、この匂い!ひどい、なんだ、死そのものの匂い……!
ギンもその気配を感じ取ったのか、冷や汗を垂らしながら、その重圧な気配を漂わせるモノの方へ視線をやった。
息が詰まる。
心臓を冷たい手で掴まれるような感覚。
空気に鉛が含まれたかのような、重く、鋭い気配。炭治郎は立っているのがやっとだった。
「……お前が……蟲師か……」
「嘘……だろ……?」
喉が渇く。汗がひどい、なんだこいつは。
暗闇から現れたのは、六つの赤い目を持った鬼だった。
紫色の和服を纏い、腰に刀を提げている。
そして、その眼に刻まれた数字は―――
「上弦の壱が、なんでこんなところにっ……!」
悪夢はまだ、終わらない。