え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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上弦の壱

 鬼舞辻無惨の目的は、太陽を克服することである。

 その為に千年もの間、鬼舞辻無惨は自分を鬼に変えた蟲師の薬の原材料である"青い彼岸花"の探索と、太陽を克服する鬼を探し続けた。

 

 

 1人では探索に時間がかかるため、多くの目を必要とした。その為に多くの人間を鬼に変え、国中をくまなく探させた。

 

 しかし、その青い彼岸花を探せど探せど、見つけることは叶わなかった。故に鬼舞辻無惨は、青い彼岸花はただの花ではなく、"蟲"と呼ばれる姿が見えない異形のモノ達であると、500年以上も前に確信する。

 

 そこからやることは単純だった。蟲師と名乗る異形のモノ達を対処する専門家達に、無理矢理探させた。

 自分が見えぬなら、見える者に探させればいいだけのこと。

 

 しかし、それでも青い彼岸花は見つからない。

 

 ほとんどの蟲師は鬼舞辻無惨に屈さなかったのだ。

 彼らは矜恃を胸に人々を蟲から守っていた。鬼舞辻無惨という人から外れた存在を許すことはせず、対立する道を選んだのだ。

 無惨に屈し、従った僅かな蟲師は殺されない為に必死にその蟲を探したが、手掛かりを掴むことすらできなかった。それもそのはず。その青い彼岸花は500年周期で限られた条件下で出現する蟲。ただの蟲師に見つけられるはずもなかった。

 鬼舞辻は青い彼岸花を見つけることも出来ない無能や、自分の命令に従わない蟲師はすぐに殺すか鬼に変えた。

 言うことを聞かぬなら、鬼にしてしまえばいい。

 鬼舞辻無惨は各地で活動する蟲師を探し出し、自分の血を分け自らの配下に加えたが、ここでも問題が生じる。

 

 鬼になった者は、蟲を視認することが出来なくなることを無惨は知らなかった。

 

 理から反した者は、理に最も近い蟲を見ることが出来なくなるのだ。

 

 

 いくら優秀で腕がいい蟲師と言えど、蟲を視認することが出来なければ何も出来ず。しかし鬼にしなければほとんどの蟲師は自分に従わない。

 

 鬼舞辻無惨の怒りが頂点に達するのはそう時間は掛からなかった。

 

 時代を追うごとに減少する、蟲を見る素質を持つ者。蟲師の家業を継ぐ者は年々減少の一途を辿り、ただでさえ少なくなった蟲師を殺し、鬼に変えてしまう鬼舞辻無惨。

 

 日の本の国から、蟲師の血が途絶えるのは必然だったと言えよう。

 

 

 だが、再び忌々しい蟲師が目の前に現れた。

 

 

「童磨が殺された。上弦の弐が、柱2人に殺された」

 

 

 上弦の弐を殺すという異常な剣の腕を持つ、蟲師でありながら産屋敷に与する剣士、鹿神ギン。

 

 上弦の、それもよりによって弐を殺されたことで鬼舞辻無惨はすぐにでも黒死牟を差し向けて殺そうかと考えた。

 

 だが、青い彼岸花を見つけることができる可能性を持った最後の蟲師である。

 

 上弦を殺したのは腹立たしいが、利用出来る。

 

 こいつが青い彼岸花を見つけるまで、殺すのは待ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その鬼から、目を離すことができなかった。瞬きすることすら許されない重圧。濃密な死の匂い。

 一体どれだけの人を殺せばこんな匂いになるのか分からない。一体どれだけの人を喰えばこんな匂いになるか分からない。分かりたくもなかった。

 身体中の細胞が叫んでいる、この鬼は俺よりずっと強い。もし一瞬でも目を離せば、俺の頸は一瞬で断たれる。

 

 なんだ、この匂い?

 

 恐怖の匂い?一体、どこ、から。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 違う、俺の匂いだ……恐怖してる!あの鬼に!

 

 炭治郎は自らの身体の震えを止めることができずにいた。

 

 手の震えが、汗が止まらない。刀を持てない、今すぐここから逃げ出したい!自覚すると止まらない、動悸が、焦りが、恐怖が、身体の奥底を支配する……!

 

「…………炭治郎。落ち着け、呼吸を忘れるな」

「は、はい……!」

 

 ギンの言葉に落ち着きを少し取り戻した炭治郎は、呼吸を繰り返し、改めて上弦の壱に向き合った。

 上弦の壱は、じっとこちらを見たまま動かない。けれど、いつでもこちらに攻撃できる自然体であると、実戦経験がまだ少ない炭治郎でも分かった。

 鬼殺の剣士?腰に刺しているのは、日輪刀か。だが、今まで会ったどんな剣士よりも、どんな鬼よりも強い。多くの戦場を駆け抜けた兵の匂い。

 

 大丈夫だ、十二鬼月と戦う為に、俺は鍛練をしてきたんだ。落ち着いて、いつでも相手の攻撃を対処できるように――!

 

「その耳飾り……どこで手に入れた」

 

 すると上弦の壱は独特な口調で話し始めた。炭治郎を見ながら、いや、睨みつけながら。

 

 ――なんだ、この匂い。何もかも燃やし尽くすような怒りの匂い……いや、嫉妬の匂い?

 一体俺の耳飾りが何の――

 

 

()ね」

 

 

 その時、炭治郎の視界はすべてがゆっくり動いていくのが見えた。

 上弦の壱の姿が一瞬で消えたかと思った瞬間、次の瞬間には自分の背後からあの鬼の声がしたからだ。

 

 声をあげる間もなく、後ろを振り返れば――鬼の刀が、自分の頸を斬り落とそうと迫ってきている。

 

 炭治郎は自分の死を感じた。刀がこっちに迫ってくるのは見えているのに、身体がまったく動かせなかった。

 

 ――動け、動け動け動け!避けろ!避けろ避けろ――

 

 

"森の呼吸 参ノ型 青時雨"

 

 

 鬼の刀が炭治郎の頸を斬り落とすその瞬間、ギンの刀が首と刀の間に滑り込み、その軌道を逸らした。

 

「む……」

 

 自分の刀を弾かれるとは思ってもみなかった上弦の壱は、炭治郎の頸を落とそうともう一度刀を横に振り払う。

 だが、それを許す"蟲柱"ではない。

 

"森の呼吸 肆ノ型 山犬"

 

 ギンはそれを防ぐために、鬼の刀を高速で二連、叩き付ける。

 

「ほう……頸を落としたと思ったが……今のを躱すか……まるで狼の牙のような剣戟……」

 

 鬼は多少驚きながらも後ろに跳ねて距離を取り、鞘に刀を収めた。刀を収めたと言っても、ギンと炭治郎にはそれが見えていない。見えぬうちに抜刀をし、ギンがそれをぎりぎり止め、そしていつの間にか納刀していたのだ。

 何千、何万と繰り返した動作に淀みはなく、高速で繰り出された技ですらない()()()()()

 

「お前の狙いは俺だろう。俺の弟弟子にちょっかいをかけるのはやめてくれねぇか」

 

 軽い口調でギンは言うが、内心はかなり焦っていた。

 

 ――なんだ、今の剣速は。速すぎて追いつくのがやっとだった……!あの上弦の弐とは比べ物にならないほどの速さと力。刀を叩き付けた腕が、びりびりと痺れやがる……!

 

「蟲師……名は……何と言う……」

「……鹿神ギンだ」

「私の名は……黒死牟(こくしぼう)

「ご丁寧にどうも……それで、なんで炭治郎を狙うんだ?柱でもない一般の隊士を、上弦の壱ともあろうものが」

 

 自分の動揺を悟られぬよう、会話で時間を稼ぐ。得体の知れぬモノと相対した時、やるべきことは無暗に攻撃するのではなく、情報を得ること。

 ギンは強大な鬼や蟲に遭った時は、攻撃ではなく"見"に入る。

 相手が異形のモノである限り、情報が最も重要だと言うことをギンは知っていた。初めて遭う種類の蟲を対処せねばいけない時、まず最初にやるべきことは、観察し、情報を集めること。

 

 相手を知れば、戦いにも蟲祓いにも有利に動ける。九年間、ギンが鬼殺隊で生き延びてこれたのは、戦闘力ではなく、観察能力。そして考察する力が鋭かったからである。

 

「その(わっぱ)が……日の呼吸の使い手だからだ……」

「日の呼吸……?始まりの呼吸の剣士のか」

「実に……忌々しい……まだ日の呼吸の使い手がいるなど……!」

 

 どうやら、日の呼吸の使い手に並々ならぬ恨みがあるらしい。だが、ギンや炭治郎にとっては知ったことではない。

 

「そうかい。で、俺に何の用がある。話だけなら聞いてやる」

 

 黒死牟は炭治郎を目的に襲ってきた訳ではない。ただ目についたから襲い掛かっただけなのだろう。その辺の石ころを蹴る要領で自分の弟弟子を殺されてはたまらないが。

 ギンは炭治郎を庇うように、黒死牟の前に立つ。

 

「ほう……」

 

 ギンさん、俺をかばってる……俺が1番弱いから。俺が足でまといになっているんだ……!

 

 炭治郎が悔しそうに歯噛みしながら、いつでも動けるように刀を抜いて構えている。けれど、もう一度あの黒死牟の攻撃を避けることができるかは分からない。

 けれど、俺にもできることがあるはずだ。

 炭治郎は自分の折れそうな心を叱咤しながら黒死牟を睨みつけた。

 

 そして黒死牟は、鹿神に手を差し伸べながら言う。まるで、同士を歓迎する仲間のような気安さで。

 

「話は早い……鹿神よ、私と共に来い……お前が見つけた……青い彼岸花をあのお方に捧げるのだ」

「っ!?」

 

 何故、青い彼岸花のことをこいつが知っている!?いや、俺が採取したと確信をして、こうして襲いに来たんだ!

 監視されていた……?一体いつから……くそ、情報が筒抜けだったのか。

 

「青い彼岸花?何のことだ?」

 

 自分の甘さに苛立ちながらも、ギンは黒死牟の言葉をすっとぼけた返事を返す。

 

「とぼけなくていい……お前の心は……手に取るように分かる……動揺で焦っているな……鹿神」

 

 鍛え抜かれた黒死牟は、相手の身体を文字通り見透し、心理状態を見極める。筋肉の動きや心臓の動き、呼吸音からギンが嘘を吐いていると看破する。

 嘘は通じないと分かったギンは舌打ちしながら問いかけた。

 

「俺を人の身のまま勧誘するのは、鬼に蟲が見えないからか?」

「……知っていたのか」

「人が持って生まれる妖質の量は、後天的に変質しない。変質するのは、呼吸法を会得した時、あの世を彷徨うほどの強烈な死の体験をした時、そして鬼にされた時だ。鬼にされた人間は、妖質が人から掛け離れ別物になってしまう」

 

 産屋敷耀哉の一族が短命なのも、この妖質が関わっている。

 親族である鬼舞辻が鬼と化してしまったことで、血縁関係である産屋敷一族は、この世に生を受けた瞬間から妖質が変貌し、人の肉を蝕む病を持つ。そういう物に変質してしまっていた。

 血縁関係者は、赤の他人より水脈(みお)が深く繋がってしまっている。産屋敷の水脈に、鬼舞辻と言う名の毒の液体を一滴入れられれば、その水脈全体が毒となる。

 光酒を処方したおかげで妖質の暴走を遅くすることができているが、それでも短命であることに変わりはない。呪いを断つには、その大本である鬼舞辻を殺さなければならない。

 

「知っているのなら……話は早い……童磨を討った剣士……欠けた上弦の穴埋めに……ちょうどいい……青い彼岸花を調合したあと……お前も鬼となるがいい」

 

 上弦の弐は、欠けたままだ。元々、鬼舞辻無惨の血は、必ずしもすべての人間に適合するわけではない。多くの者は細胞の変化に耐えられず、身体が崩れて消えてしまう。いきなり普通の人間に、上弦と同じ血液を与えても、人間は上弦の鬼にはなれないのだ。十二鬼月になれる鬼は、本当に一握りの素質を持った者だけ。

 童磨に匹敵する鬼は、まだ現れていなかった。

 

 上弦の弐を殺す実力を持つ鹿神ギンなら、鬼に、それも十二鬼月に匹敵する力を得られる。かつての自分と同じように。

 

「断る」

 

 だがギンは、間髪入れずに断った。

 

「俺は鬼狩りであると同時に、蟲師だ。自然と人を繋ぐ蟲師だ。人として、生物として、理の一部として死ぬことを望む。長く生きようとは思わない」

「何故だ……私の剣を止めたその技……森の呼吸と言ったか……聞いたこともない呼吸法……我流だろう……鬼となればその技を永久に保存できよう……」

 

 ただただ強さを求めて鬼となることを選んだ黒死牟。剣技を鍛え続けることを至上とするこの鬼は、鬼となればどれだけ素晴らしいか必死にギンに説こうとする。

 

「だが人の身は……脆く、柔い……肉体が朽ちていくと共に……その技も鍛え抜かれた肉体も滅びていくのだ……惜しいとは……思わんのか……?」

「思わない。悪いな、まったく魅力的に感じない。お前さんみたいに目玉が増えるなんてまっぴらごめんだ」

 

 俺は片目がないがな、と自嘲するようにギンは笑う。

 

「ギンさん……」

 

 鬼の勧誘を一蹴するギンの言葉は、炭治郎の心に深く沁み渡る。

 なんて大きい人だろうと、敵が目の前にいるのに、この人の背中がものすごく大きく見える……!

 

「人が行き着く先は、いつも同じだ」

 

 ――道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ

 

「――え?」

「……」

 

 ギンの言葉に、炭治郎と黒死牟は眼を見開く。

 

 ――どこかで聞いたことがあるような言葉。

 遠い昔、誰かが言っていた大切な言葉。

 

「この世全ての生物はいつか死に、そして土に還り、次の命に養分を与える。全ての命は廻っている。俺はもう、俺の全てを託せる奴を見つけてきた。いつでも人生の幕を引く覚悟はできている。元々、蟲にいつ喰われるか、鬼に喰われるか分からねぇ身だ。この命が尽き果てるまで、自分で決めたことをやり遂げるまで精々戦うだけだ」

 

 森を守るため。自然を守るため。大切な者を守るために、俺は医術、薬学、剣術を叩き上げてきた。

 苦しいことも辛いこともたくさんあった。だが、俺の学んだ全てを受け継ぐ奴がいる。それだけで俺は安心して人生の幕を引けるんだ。

 

「もう良い」

 

 黒死牟のその声は、どこか苛立ちか、怒りか、それとも懐古の情か――

 

「ならば……力づくで連れていくまで……脚の一本でも斬り落とせば……容易かろう」

 

 黒死牟から殺気が迸る。さっきまでとは比べ物にならないほどの重圧。

 まずい……来る、どうやって戦えば……!

 すると、黒死牟から目線を外さないままギンが言葉をかけた。

 

「炭治郎、走れるか?」

「え?は、はい!」

「これからお前に任務を伝える。それをなんとしてでも成し遂げろ。そうしなきゃ、ここにいる連中皆殺しだ」

 

 普段物腰が柔らかいギンが、緊張の面持ちを崩さないまま炭治郎に声をかける。

 炭治郎は唾を呑みこみながら頷いた。

 

「俺が切り離した車両に、薬箱を置いてある。鬼に奪われる可能性から置いてきちまったが、完全に俺の失敗だった。炭治郎はそれを取りに行ってくれ」

「く、薬箱を!?」

 

 ギンは「ああ」と頷いた。

 

「その薬箱の中に、"鬼を人に戻す薬"が入っている。それを使って、上弦の壱(黒死牟)を殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 しのぶは自分の診察室で、休息を取っていた。時計を見ると、すでに針は深夜を回っている。もう少しすれば夜明けだ。

 

「少し根を詰め過ぎましたね……」

 

 机にはたくさんの医学書と薬学書が所狭しと散乱している。

 医学の技術は一日事に進歩する。日本国内だけでなく、西洋の医者達が毎日のように人を救おうと、研究し、実践し、その知識を広めようと戦っている。

 医術の進歩は凄まじく、駆け足で発展していく。それに追いつく為には、いくら時間があっても足りない。医術、薬学、そして蟲。覚える知識は多く、それは日ごとに増えていく。しのぶは物覚えが良い方だったが、覚えることが多い為、こうして寝る間も惜しんで勉学に励んでいた。

 

 自分の力が、覚えた知識が人を救うと信じている。

 

 ギンさんが褒めてくれた手。鬼を殺す為の手ではなく、人を救うための手であれと。

 

 昔は、自分の手が小さかったことがあんなに悔しかったのにな……。

 

 今では自分の手に誇りを持ててしまっているのだから、不思議な物だ。

 

「ふふっ」

 

 思わず笑みが零れてしまう。

 

 炭治郎君は、あの夜、蝶屋敷の屋根の上で、姉の夢を受け継いで欲しいと、妹の禰豆子を守って欲しいと言う願いを聞いてくれた。自分は鬼そのものを憎んでしまうけれど、姉の夢を叶えてくれた禰豆子を見ると、心が軽くなるのだと。

 竈門兄妹が頑張ってくれれば、自分も頑張れる。ギンさんの弟子である君が頑張ってくれるなら、私も頑張れると。

 

「は、はい!姉弟子!」

 

 緊張した炭治郎君が、自分を姉弟子と呼んでくれた時は思わず笑ってしまった。

 自分の想いを託せる人がいる。

 弟子がいると言うのは、自分も成長させてくれることをしのぶは実感した。

 その後、自分が全集中の呼吸・常中のコツを教えると、すぐに炭治郎君は自分の想いに応えてくれるように常中を会得した。炭治郎の努力に引っ張られるように、善逸君や伊之助君も常中を会得してくれた。

 

 ギンさんも、私を継子にした時はこんな気持ちだったのかしら。

 

 私も花柱代理だし、自分の弟子を見つけるのも悪くないかもしれない。

 

「さて。もうすぐ夜明けですし、少し仮眠しますか……」

 

 晴れやかな気持ちで着替えようと思ったその時。

 

 開かれた窓に、鴉が一羽、止まった。その鴉はぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返している。どうやらここまで全力で飛んできたようだ。

 

「あら?ギンさんの鎹烏……こんな時間になんで――」

 

 その鴉はギンの鴉だった。

 少し年を取った老鴉だが、飛ぶ速さが若い鴉に負けないことで有名だった。

 

 そして、その鴉はとんでもないことを口にする。その指令はしのぶにとって信じたくないような内容だった。

 

 

『カァー!カァー!上弦ノ壱、襲来ィィィ!上弦ノ壱、襲来ィィィ!現在、"蟲柱"ガ応戦中ゥゥゥゥゥ!劣勢!劣勢ィィィ!付近ノ隊士ハ応援ニ向カッテチョーダイ!!チョォォォォダイネェェェェ!!』

 

 

 しのぶは鴉の言葉を聞き終える前に刀を握り、診察室から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は数刻ほど前に戻る。

 

 

「"鬼を人に戻す薬"……!?」

 

 炭治郎は信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

 訊き間違い?いや、確かにギンは言った。()()()()()()()と。

 

「本当は禰豆子に使いたかったんだが、こうなれば四の五の言ってられない。炭治郎!線路を逆に辿って、四両目の車両から薬箱をここに持ってこい!六里*1ほど走って行けばすぐに着くはずだ!」

「ギ、ギンさんは!?」

「俺は時間稼ぎだ。頼むぞ炭治郎!」

「は、はい!」

 

 鬼を人に戻す薬――それが何か、問い詰めたかった。炭治郎が鬼殺隊に入隊したのは、禰豆子を人に戻すためだ。その目的である"鬼を人に戻す薬"が何なのか、どうやって手に入れたのか、どうやって作られたのか知りたかった。

 だが、その心からの衝動を炭治郎はぐっと飲み込んだ。

 今は、そんなことを言っている場合じゃない……本当は訊きたい。その薬が欲しい!けれど、それがあの鬼を倒せる唯一の方法なら、我慢しなきゃいけない。

 

 炭治郎は力強く頷き、薬箱を取りに行こうと、線路の上を走り出す。

 

 

 ――だが、それを見逃す黒死牟ではない。

 

 

 

「行かせると……思うか?」

 

 

 

 ――ベン

 

 

 黒死牟の言葉に応えるように、夜闇に響いたのは琵琶の音。

 

「な、なんだこの琵琶の音!?」

 

 辺りを見渡すが、どこにも弦楽器はない。なのにどこからか、琵琶の弦を力強く弾いた音が響いてくる。

 

 ――ベン!ベン!

 

 頭の中にひっかき傷を残すような嫌な音だ。

 

 

「炭治郎気を付けろ!」

 

 

 ――ベベン!ベンベン!

 

 

「はい――……っ!」

 

 

 異常に気付いたのは、炭治郎だった。

 嫌な臭いがする。嗅ぎ慣れた血の匂い。鬼の匂い!

 

 

「ギンさん!全方向から、大量の鬼の匂いが!」

「なにっ!」

「こっちに向かって来てます!もうすぐそこに鬼が―――!」

 

 十……二十……三十……!まだ増えていく!琵琶の音が響くために、鬼がどんどん……!鬼の数が多すぎて、匂いが濃すぎて、数が把握できない……!

 

 森の中を、止められた列車を囲うように現れたのは、鬼だった。肌の色は変色し、目は血走り、牙が口からはみ出しており、こちらを食い殺そうと獣のように唸り声を上げている。

 ギン達は逃げる間もなく包囲されてしまう。炭治郎の目の前にも、六匹もの鬼が行先を止めるように現れた。

 

「ヒ、ッヒヒッヒ、肉ぅ……肉ぅぅ……」

 

 口からぼたぼたと涎を垂らし、明らかに飢餓状態だということが分かる。

 上弦の鬼はいないようだが、それでもこの数は柱からしても脅威だ。

 

「こんなに数が……!まだ増えていくのか……!」

「くそ……呼びやがったな!なんの血鬼術だ!?」

 

「青い彼岸花は……斬り離した四両目にあるのだな……鬼共よ……半分はここに……もう半分は……線路を逆走し……車両を見つけろ」

 

「!」

 

 黒死牟の言葉に反応した鬼共は、突如踵を返し線路を逆走し始める。狙いは――四両目にある薬箱と、乗客。

 

 ギンは焦る。マズイ。四両目より後ろには、一般客が二百人以上乗っているんだぞ!しかも全員が眠ったままだ!

 こんな数の鬼が一斉に押し寄せれば、二百人もの乗客はあっと言う間に食い尽くされてしまう。

 

「炭治郎走れ!乗客を守れぇ!」

「はい!」

 

 最悪の場面を想定したギンが怒鳴り声を上げ、炭治郎は線路を走るために疾走する。

 

「どけぇぇぇぇぇ!」

 

 

"水の呼吸 参ノ型 流流舞い"

 

 

 流れるように一匹、二匹と鬼の頸を落としながら、炭治郎は線路を逆走する。しかし、鬼の身体力は侮れない。

 数も倍以上にいる。炭治郎はすぐに、自分の行く先を塞がれ、取り囲まれてしまう。

 

「どこにいくんだぁ?俺達と遊ぼうぜぇ……!」

「あっちの方に人間の匂いがする!誰が先に着けるか競争だぁ!先に着いた奴が肉を総取りだぁ!」

「くっ!」

 

 こんなに数が多いと……走って向かうことができない!必ず足を止められてしまう!

 だがそれでも止まれない。鬼達に先に四両目に辿り着かしてしまってはダメだ!

 

「くっそ!炭治――」

「お前の相手は……私だ……」

 

 ギンが炭治郎を助太刀に向かおうとするが、黒死牟が刀を構える。柄、鍔、そして刀身の先まで眼球が埋め込まれた気色が悪い刀だ。

 

「くっそが!」

 

 黒死牟は異次元の速さでギンと肉薄する。

 

 

"月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮"

 

 

 鬼になっても呼吸は使えるのか……!

 

 

 反応できたのは、ほとんどカンだった。

 この攻撃に触れてはいけない。鬼狩りの生活で培われてきた本能、戦闘経験がギンを生かした。

 

 脚に力を入れ、爆発的に飛ばすことでその場から離れる。

 

 もし攻撃を喰らっていれば、片腕一本は持って行かれるほどの速さ。

 

「フゥ、フゥ、フゥ!」

 

 そして、ギンの頬は今の攻撃で掠ったのか、何重にも切り裂かれたように切り傷が刻まれていた。

 

 こちらが下手に動こうとすれば黒死牟が邪魔をしてくる。炭治郎に集中を割けば、すぐにでも頸が斬られる。

 

 万事休すか……!

 

 

 その時だった。

 

 

 

「ワッハハハハハハ!猪突猛進!猪突猛進!猪突もぉぉぉしぃぃぃん!」

 

 聞き覚えのある笑い声。その声の出所は、さっきまで自分達が乗っていた、無限列車の三両目からだった。

 

「……ようやく目が覚めたのかよ」

 

 ギンの呆れる様な言葉に反応するように、三両目の乗車扉を蹴破るように飛び出してきたのは、猪の被り物を頭から被った、上半身裸の嘴平伊之助。

 そして、黄色い頭の少年、我妻善逸。目を閉じたまま、雷の呼吸を使用し、居合の構えに入っていた。

 

 

「修行の成果を見せる時だ!行くぜぇぇぇ!」

「――仲間は、俺が守る」

 

 

 

"獣の呼吸 伍ノ牙 狂い裂き"

 

"雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 六連"

 

 

 

 伊之助と善逸は、目にも留まらぬ速さで鬼の頸をすれ違いざまに落としていく。常中の鍛練は嘘を吐かない。以前より圧倒的な速さと力強さで、正確に攻撃していく。

 

「善逸、伊之助ぇ!」

 

 炭治郎はほっとしながら、自分の下に駆け付けてくれた仲間の名を呼ぶ。

 

 そして、忘れてはいけない家族が一人。

 

「むー!」

「禰豆子!」

 

 伊之助達に少し遅れるように現れたのは、竹を噛んだ鬼の少女禰豆子。

 禰豆子もまた、周囲にいる鬼が兄の敵だと認知し、人ならざる蹴りで鬼を攻撃していく。禰豆子の攻撃の後に伊之助達に頸を落とされた鬼は、断末魔を上げながら灰になって崩れていった。

 

「ワッハハハハ!なんじゃこりゃ!すげぇー鬼がいるじゃねえか!待たせたなゲンゴロウ!この俺様が来たからにはもう安心だぜ!」

「遅れてすまない」

「むーむー!」

 

 伊之助と善逸、そして禰豆子が炭治郎の周りにいた鬼を次々に一掃していく。

 

「皆……!」

 

 三人の助太刀によって、炭治郎の周りの鬼が一掃され、線路の道が開く。

 

「――炭治郎、どうすればいい」

 

 鼻提灯を膨らませながら、善逸が炭治郎に尋ねた。……この四人なら、鬼が何匹来ようと怖くない。不思議と、勇気が湧いてくる。

 炭治郎は頷いて、今すべきことを三人に伝えた。

 

「線路を逆走した先に、ギンさんが斬り離した車両がある!そこに乗客が何百人も乗っている!それを守るんだ!三人とも、頼めるか!?」

「むん!」

「分かった」

「任せろ!俺様が一番にそこに辿り着いてやるぜ!爆裂猛進!爆裂猛進!」

 

 

「行かせるな……鬼共よ」 

 

 

 車両に人が残っていることには気づいていた。だが、まさか鬼狩りとは思わなかった黒死牟だが、すぐに他の鬼達に指示を出す。

 

「へ!数が増えたからなんだって言うんだ!こっちにはまだまだいるんだぜぇぇぇ!」

 

 まだ何十匹もの鬼がいる。いくら仲間が増えたからと言って、未だに危機に陥っていることに変わりはない。鬼は躊躇わず、炭治郎達に飛びつくが――

 

 

 

 

 

 

「よもやよもや!うたた寝をしている最中に鬼に取り囲まれるとは!穴があったら、入りたい!」

 

 

 

 

 

 

"炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天"

 

 

 

 

 

 

 この場において最も頼りがいがある男が、現れた。

 

「おっせーんだよ……」

 

 炭治郎達の背後にいた二十匹以上の鬼の頸が、一呼吸で落ちた。

 

「すまない、ギン!遅れた!」

「煉獄さん!起きていたんですね!」

 

 現れたのは、"炎柱"煉獄杏寿郎。

 鬼殺隊の柱の中でも高い実力を持つ、質実剛健、炎のような男。

 

「ほう……炎柱もいたのか」

 

「ふむ!あれが上弦の壱か!なかなかの重圧!うむ!」

「何してたんだよ、杏寿郎テメェ……こちとら死ぬところだったぞ」

「怒るな!ギン!車内に藤の花の香を焚き、窓から様子を伺っていたのだ!」

 

 無限列車の二両目には、ギンが気絶させた運転士、そして下弦の壱に協力していた人達を寝かせている。鬼に襲われないよう、気休めにしかならないかもしれないが、車内に藤の花の煙を充満させるまで時間がかかったのだ。

 

「ひとまずは、下弦の鬼に協力していた人達は安全だ!だが!うむ!それまでずっと寝ぼけてしまったのは申し訳ない!」

「まったくだ……」

 

 ギンは呆れながら笑ってしまう。どこか抜けた兄弟子だが、頼りがいはある。同じ鍛練を積んだ者同士、煉獄杏寿郎の実力は、鹿神ギンが一番よく知っていた。

 そして、上弦の鬼と戦う時、相棒が近くにいるだけでどれだけ心強いか。

 かつて上弦の弐を討伐できたのは、もう一人の兄弟子であり、共に鬼から人を守ると言う誓いを立てた親友がいたからこそ。

 そして自分の前には再び上弦の鬼、そして隣には、兄のような親友が。

 これが勇気にならずに、何になろうか。

 

「相手は上弦の鬼!うむ!眠りこけてしまった失態は、奴の頸で穴埋めしよう!」

「そいつはありがたい」

 

 すぅ、と息を呑み、切り替える。討伐対象は、上弦の壱。相手にとって不足はなし。

 

「竈門炭治郎!我妻善逸!嘴平伊之助!竈門禰豆子!指令を伝える!」

 

「「「「!」」」」

 

 夜の山に響く音量で、ギンが叫ぶ。

 本当の戦いは、ここからであると、ギンは言葉の裏に四人に伝えた。

 

「線路を逆走し、後ろの乗客を守れ!炭治郎は俺の薬箱を発見次第、ここに持ってこい!殿は俺達"蟲柱"と"炎柱"が務める!やれるか!?」

 

「はい!!」

「おうっ!!」

「はい」

「むー!」

 

 四人の後輩達は、鬼の頸を落としながら線路の上を走り出す。

 

「待てごらあああああ!」

「死ねやぁあああああ!」

 

 それを追いかける、大量の鬼達。

 

「この煉獄の赫き炎刀が、お前を骨まで焼き尽くす!行くぞ!ギン!」

「おう」

 

 そして、自分達の目の前には、文字通り最強の鬼。十二鬼月の一番。上弦の壱。

 

 

 

 

「……どうやら……面白くなってきたようだ」

 

 

 

 

 上弦の壱との戦いの火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

 

*1
約27キロメートル


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