え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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約束

 

 

 

 

「よぉ」

「……やぁ、ギン。お帰り」

 

 産屋敷邸の中庭に向かうと、耀哉が縁側でのどかに空を眺めていた。

 ギンが来たことを認めると、心底嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「随分、心配を掛けちまったらしいな」

 

 薬箱を縁側に降ろしながら、耀哉の隣にギンは腰を掛け、ちっとも申し訳なさそうに耀哉に言った。

 

「もちろん。()の大切な友人だ。心配するのは当たり前じゃないか。あまねや娘達も、君がいなくなって随分心を痛めてた。もちろん、僕も」

「悪かったよ」

 

 微笑みを崩さず、けどその口調はどこか刺々しい。さすがのギンも困ったように謝った。

 

「もう怪我は大丈夫なのかい?」

「一応、三日ぐらいで歩けるようになったんだが……しのぶ達が病室から出させてくれなかったんだよ。すぐにこっちに顔出そうとしてたんだが」

 

 ギンが蝶屋敷に現れた時、鬼殺隊のほとんどはギンの生存を諦めていた。ギンの生存を諦めずに探し続けていたのは胡蝶姉妹を筆頭にした蝶屋敷の女性陣、そして"水柱"冨岡義勇とその兄弟弟子である水の呼吸一門だけだった。

 

 蝶屋敷の中庭にギンが現れた時、蝶屋敷は大騒ぎだった。

 

 中庭で眼を閉じていたしのぶが抱きかかえるように、ギンが突如現れたのだ。傍で見ていたカナエにも、何が起きたか分からなかった。

 

「姉さん!ギンさんが!ギンさんが帰ってきたぁ……!」

 

 大粒の涙を零しながら、喜びを溢れ出しながらギンをしのぶは強く抱き締めた。上弦の壱との戦いでの傷のまま、常闇の中を歩いてきたのだろう。体中は傷だらけで、しのぶが処置した包帯は血が滲んでいた。

 しかし、確かにしのぶの腕の中で生きていた。疲労が溜まっていたのか、すぐに気を失ってしまったが。

 

 

「どこに行ってたのよぉ……!ずっとどこに……探してたんだからぁ!このバカ師匠!もう、どこにも行かないで……!」

 

 ―――暖かい、生きている。

 

 確かに心臓の鼓動が聞こえる。血だらけで、ぼろぼろだけど、確かに生きている。生きていてくれている。

 

「ギンくん……!」

 

 感極まったようにカナエも涙を流しながら、しのぶと一緒にギンを抱き締める。

 ずっとずっと不安だった。もしかしたら死んでしまったのかと、心のどこかで思ってしまっていたからだ。あの鹿神ギンが死ぬわけがない、そう心に言い聞かせても、死んでしまっているかもしれないと考えてしまうと、夜も眠れなかった。

 

「生きてる……ギンくん、ギンくん……う"あ"ぁ……」

 

 ギンの手の平の温もりが、自分の手の平から伝わってくる。

 カナエとしのぶが涙を流していると、騒ぎを聞き付けたアオイや、隠の部隊達が駆けつけ、ボロボロのギンを手術室に運んで行った。

 

 

「蝶屋敷の子達は、ずっとギンを気に掛けていたからね。特にしのぶとカナエは君が生きているとずっと気を張っていたからね。戻ってきてくれて、嬉しいんだろう」

「そりゃ気にかけてくれて嬉しいんだがな……」

 

 限度がある、とギンは溜息を吐いた。

 

「ギンくん、あーん」

「……いやあの」

「あーん」

 

 手術後、ギンはすぐに意識を取り戻した。だが、目を覚ましたギンを迎えたのは看病地獄だった。

 

「私、ギンくんがいなくなるかもしれないって考えて、すごく不安になったから」

「ああ……悪い」

「だからこれからは、しのぶにも遠慮せずにがんがん行こうと思うの」

「は?」

「はい、私の手作りのおかゆ!食べさせてあげるから、口を開けて!」

「……勘弁してほしいんだが。拒否権は?」

「ダメ!」

 

 ずっとこんな調子である。鬼殺隊の男性隊士の多くが憧れるカナエが、有無を言わさずに世話を焼いてくれる。善逸が見れば目を血走らせて飛び掛かってくるような光景だろうと、かゆを食べながらぼんやりとギンは思った。

 

「なほ、きよ、すみ……」

 

 こうなったら頼れるのは蝶屋敷三人娘である。助けを求める様な目でさっきからずっと部屋の外から覗き込んでいる娘達を見てみるが……。

 

「カナエさん、頑張ってる!」

「しのぶさんも負けていられないね」

「どっちを応援したらいいのかな?迷っちゃうなぁ。でもどっちも応援したい!」

「「うん!」」

 

 一体何があったんだ。俺が眠っている間に。

 

 ギンは常闇の中にいた間の記憶がほとんどない。覚えているのは自分の名前を呼んでいたしのぶの声が聞こえていた、ということだけである。目が覚めて辺りを見渡せばそこは常闇ではなく蝶屋敷で、おそらくずっと付きっ切りで看病していたであろうしのぶが、ベッドの傍の椅子で居眠りをしていたのである。

 

 そして目を覚ましたしのぶは――

 

「せ、先生。常闇の中で、私の言葉、聞こえていたんですか?」

「ああ。俺の名前を呼んでくれたんだろ?おかげで自分の名前を思い出せたんだ。ありがとな、しのぶ」

「そうですけど!」

「なんでキレてんだ」

「その……他にも私の言葉、聞こえてました?」

「…………悪い。覚えてない」

「……!ならいいです!なんでもないです!忘れているなら絶対に思い出さないでください!」

「え?」

 

 なんでトマトみたいに顔真っ赤にさせてるんだ。

 

「なんでもないんです!いいですね!これからしばらくの間絶対安静ですから!」

 

 しのぶは怒ったように言うが、その口調はどこか嬉しそうで、ギンはますます困惑するばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、蝶屋敷から抜け出してきたのかい」

 

 耀哉は楽しそうにくつくつと笑った。

 

「あのままずっと看護されてたら、俺の身が持たないんだよ。察しろ」

 

 積極的に看病をしてくれるしのぶとカナエ。本人はあまり自覚はないが、ギンは文字通り命に係わる重傷を負っていた。失血死一歩手前まで血を失い、全身を何十針も縫合する大怪我だ。普通の隊士なら今頃動けずに痛みでベッドで喘いでいる頃だが、光酒を人体実験で体内によく入れていたギンは回復が常人より数倍早かった。鬼ほどの回復力ではないにせよ、歩く分には支障はない。

 

 だが、二カ月もの間行方不明で心配をかけた反動か、特にしのぶはギンが怪我を負ったまま消える姿を目撃している。

 二人の献身的な看病はギンの胃をキリキリと痛めた。蝶屋敷の男性隊員からの嫉妬の目が尋常じゃなく痛いからである。

 胡蝶姉妹は美人である。器量が良く朗らかで優しい胡蝶カナエ。気は強いが傷ついた患者を優しく手当する胡蝶しのぶ。一部からは女神と崇められており、高嶺の花として男達の心を掴んでいる彼女達の好意を受け続ける男。

 

 女の子大好き美人大好き我妻善逸が見れば、激昂するのは当たり前であった。

 

「ギンさん、目が覚めたって!見舞いに来た……はぁぁぁぁぁぁあ!?てめぇコラギン!なんでしのぶさんやカナエさんにそんなに丁寧に看病されてんだよ!ふざけんな!こっちはずっと煉獄さんの地獄の鍛練で死ぬような目に遭ってたのに、心配して見に来ればなんだその幸せ天国はぁぁぁ!しのぶさん達に身体拭かれたり!ご飯あーんしてもらったりしたんだろこの野郎!俺は地獄にいたのになんでそんな幸せそうなんだ貴様ァァァァァ!」

「善逸やめろ!!しのぶさんとカナエさんからはずっと幸せそうな匂いがしてるんだ、邪魔するのはよくないだろ!!」

「ふざけるな堅物デコ真面目!鬼殺隊はきゃっきゃウフフする場所じゃねーってことをこの男に叩き込まなきゃいけねーんだよぉぉぉ!!」

「相手は"蟲柱"だ!いくら仲がいいからってギンさんに失礼だろ!」

「いーもんねもうすぐ俺"鳴柱"になれるからね!立場的には同じになるんだから今叩き斬っても問題ないだろ!」

「あるに決まってるだろ!いいから落ち着け!」

 

 嫉妬に狂う弟分のタンポポ頭。それを必死に羽交い絞めにして止める炭治郎。はっきり言ってカオスであった。

 

「べ、別に身体を拭いてもあそこを見た訳じゃないから……!」

「そ、そうです!あくまで看病なんですから!先生にそんな邪な考え……!」

 

 カナエとしのぶが顔を真っ赤にさせてそんなことを言うため、善逸は嫉妬のあまりその場で気絶した。

 

 こんな風に、ギンが戻ってきたと聞いて見舞いに何人もの友人達が病室に訪れてきたのだが、カナエやしのぶの様子を見て嫉妬に狂う者、胡蝶姉妹との関係を邪推する者、茶化して笑う音柱や南無阿弥陀仏いつ祝言をあげるのだと喜びの涙を流す岩柱、ギンはどっちが好きなんだと空気が読めないド天然な兄弟子の言葉に、ギンは「ここにいたら俺の心が死ぬ」と確信し、蝶屋敷から脱走した。要は(チキン)である。

 

「それで、一体何があったんだい?二カ月もの間消えたかと思えば、蝶屋敷に突然現れたと聞いて驚いたよ」

 

 改めて、耀哉はギンに問いかけた。あの時一体何があったのか。

 

「右目の常闇が出てきちまったんだ。おそらく、光酒を呑み過ぎた副作用かは分からないが……。暗闇の中で……何かと会ったような気がする」

「何かと?」

「……何か言われたような気がするが、思い出せないんだ。悪い」

 

 "常闇"は、取り込んだ者の記憶を喰う蟲である。瞼の裏と繋がる空間でもあり、しのぶの叫びでギリギリ自分のことを思い出せた。

 

「常闇の中は、どうやら蟲の時間が流れていたようなんだ。俺は常闇の中をひたすら歩いていたが……体感的には二刻程度だったはずなのに、目を覚ませば現世では二カ月が経っていた」

 

 あの闇の中にずっと彷徨っていれば、銀蟲に喰われるか、記憶を無くして常闇に喰われていたか。いずれにせよ、二カ月で現世に出ることができたのは幸運としか言いようがなかった。

 

「生物の寿命は種によってそれぞれ違うが、その生涯で脈打つ回数はほぼ同じだと言われている。体内に流れる時間の密度は、皆違うってことだ。あの暗闇の中の一刻の時間は現世では一カ月だった、ってことだろう」

「……蟲は、どこまでも摩訶不思議だね」

「ああ」

「杏寿郎の事は、聞いたかい」

「炭治郎から最後の言葉を聞いて、昨日炎屋敷に顔を出してきた。槇寿郎さんと瑠火さん、千寿朗と一緒に墓参りに行ってきたよ。俺が常闇の中を歩いている間に、葬儀も終わっちまってた」

 

 ギンはどこか寂しげに空を眺めながらそう言った。

 

 鬼殺隊は、殉職者が多い。どんなに鍛練を積んでも、鬼と戦う以上必ず生きて帰れる保証はない。そういう仕事だった。だから同僚が必ずしも明日生きているとは限らない。頭では分かっていた。

 

「さすがに、堪える」

 

 鬼は人を喰う。故に、死体が必ず家族の許に帰れるとは限らない。そう考えれば、錆兎や杏寿郎はまだ運がよかった方なのかもしれない。

 だが、杏寿郎が眠っているという墓を見た時、申し訳なさと自分が生き残ってしまった罪悪感でいっぱいになってしまう。

 

 杏寿郎の両親である槇寿郎と瑠火は、ギンを責めようとはしなかった。

 

「上弦の壱と戦い、よく生き延びた。杏寿郎と共に、よく戦った。俺はそれを誇りに思う」

「杏寿郎は使命を果たしました。ギン、あなたも死の際まで戦ったと聞いています。よく頑張りましたね」

 

 二人は決して、ギンを責めなかった。本音を言うと、ギンは少しでも恨み言を自分にぶつけて欲しいと思っていた。

 

 杏寿郎が死んだのは、俺が弱かったせいなのに。杏寿郎が命を落としたのに、あの鬼を殺しきることができなかったのは俺の責任だったのに。

 

 そんな泣きそうな、それでも本当に自分が生き残ってくれたことを二人が喜んでいると分かってしまえば――自分の弱さを憎むしかない。

 

 兄弟を失うのは初めてではない。

 だが、この痛みは慣れないなと、改めて胸の中の痛みを感じた。

 

 ――錆兎、杏寿郎。

 

 目を閉じれば、すぐに二人の顔が思い浮かぶ。同じ釜の飯を喰らい、同じ師の下で学んだ。戦い方は違えど、互いを誇りに思っていた。

 

「――ギン」

 

 心配そうに自分の名を呼ぶ耀哉に、ギンは首を振った。恐らく、数年前の荒れていた自分に戻るのではないかと危惧していたのだろう。最終選別戦で錆兎を喪い、自暴自棄になっていた頃の自分に。

 

「大丈夫だ耀哉。己の弱さを憎めど、立ち止まることはしないさ。そういうことをしても意味はないって、数年前義勇と戦って教えられたからな。それに、杏寿郎や錆兎は死んだわけじゃない。還っただけだ。会えなくなっただけだ」

「会えなくなっただけ?」

「命は回帰しない。けれど、還るんだ。"理"との"約束"の中に」

「"約束"……」

「……だが、きっちりケジメはつけにゃ。黒死牟は、上弦の壱は俺が殺す」

「……復讐かい?」

「違う。あの時トドメを刺し損なったのは俺の責任だ。俺に復讐だなんだは合わない」

 

 あの時。

 黒死牟に逃げられる瞬間、もっと早ければ頸を斬り落とせた。

 日蝕みの核を使ってまで逃げられてしまい、杏寿郎は命を落とした。

 

「割に合わないんだよ。杏寿郎が死んで、あいつが生きているってのは」

 

 杏寿郎の死を無駄にしないために、あの夜の戦いを決して無駄にしないために。

 

「青い彼岸花は見つけた。次に見つけるのが上弦の壱になっただけだ」

「……気を付けるんだよ、ギン。鬼舞辻はどうやったか分からないが、君が青い彼岸花を手に入れたことを知っている。今後、君を狙い続けるだろう」

「分かってる。俺ももっと強くならなきゃな」

 

 そうしないと、大事な物をもっと取りこぼしてしまう。

 

「強くなって、幸せに生きよう、ギン。そして未来の子供達が幸せに生きていけるように戦おう。僕は君達みたいに戦えないが、それでも知恵の限りを尽くすよ」

「助かるよ、耀哉」

 

 耀哉がそっと伸ばしてきた右手を、ギンはしっかり握って握手をする。

 

「もう行くのかい?ギン」

 

 名残惜しそうに手を放しながら、耀哉は静かに問いかけた。

 

「ああ。青い彼岸花をなんとかするために、珠世さんの所に行かなきゃいけないからな。またなんかあったら、連絡してくれ」

「分かった、そうするよ。でも、今度ここに来る時は蝶屋敷から抜け出さないように。今頃しのぶ達が、カンカンになって君を探しているだろうから」

「うわ……憂鬱だ」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら、ギンはよっこらしょと縁側を立ちあがる。

 

「ま、精々気張るさ。じゃあな、耀哉」

「またね、ギン。……そうそう」

「ん?」

 

 まだ何か言うことがあるのか?疑問符を浮かべながら後ろを振り返ると、耀哉はそっと微笑みながら言った。

 

 

「また君に会えてよかった」

 

 

「――ああ。親友」

 

 

 

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