え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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"炎柱"煉獄槇寿郎から見た『妖の少年』

 突如お館様が柱合会議に連れてきたのは、浮世離れした少年だった。背はお館様より少し高く、線は細い。歳は同い年ぐらいだろうか。

 いや、「浮世離れ」どころではない。人の形をした妖の類だと、私を含めた鬼殺隊の柱全員がそう思った。

 

 私は彼を見てすぐに気付いた。

 

 彼が――産屋敷耀哉様が探していた、300尺はある巨大樹の森に住む片目の少年なのだと。

 

 

「皆にも紹介しよう。私の友である、鹿神ギンだ」

 

 

 異国の服を身にまとった少年は、仮面をつけたような無表情で頭を下げた。

 

 色という色が全て抜け落ちたかのような白髪。

 頬に浮かぶ、木の葉のような、入墨のような変わった痣。

 鮮やかな深緑を想わせる緑色の左目。

 そして――闇を掬い取ったかのような右目。

 

 そこに眼球はない。今日の天気は雲一つない快晴だ。彼の顔も太陽の光に照らされているのに、その右目だけは暗く、昏く。

 

 はっきり言って異様だった。

 人の形をしているが、人ではない。人だとしても、良くない何かだと、頭ではなく本能で理解する。これでも長年鬼殺隊として鬼を討伐してきた我々だ。

 彼が普通の人間ではないということは嫌でも分かる。

 妖や鬼なのではないかと、柱の何人かが苦言の言葉を上げた。

 

 しかしお館様は――

 

 

「私の友を、悪く言わないでほしい」

 

 

 普段優しく、温和なお館様から想像できない強い口調だった。

 

 ――お館様が、怒っている?

 

 齢10を越え、鬼殺隊の当主となってから更に風格を身に着けたお館様が、怒ったことに、我々は驚いた。我々鬼殺隊をいつも導いてくださるお館様からは想像すらもできない。

 

 すると、件の少年が声を上げた。

 

「あー、耀哉。別に俺は気にしてねえから」

 

 ――無遠慮な言葉。

 子供が、同い年の兄弟を宥めるかのような口調。

 

「すまない、ギン。予め私が彼らに君のことを話しておくべきだった」

「大丈夫だって。それに俺、この見た目結構気に入ってるんだぜ?」

 

 ギンと呼ばれた少年はからからと笑い、それを見たお館様は、嬉しそうに微笑んだ。

 

 私はこの時初めて、お館様はまだ成人もしていない子供だということを思い出した。

 もしお館様が産屋敷家に生まれず、普通の家庭に生まれていたのなら、きっと今のように笑うのだろう。

 

 ――なるほど。お館様にとって、この少年はそこまで心を許せる存在なのか。

 

 私は立ち上がり、鹿神に問いかけた。

 

 

「鹿神ギンとやら、聞きたいことがある」

 

 

「ん」

 

 

「お前にとって、お館様はなんだ?」

 

 

 答えによっては切り捨てるつもりだった。先代が亡くなり、耀哉様はこれからも鬼殺隊を率いていく運命にある。

 お館様は我々にとって太陽と同じだ。我々の希望そのものだ。

 

 もしよからぬことを企てているのなら――

 

 

「俺の友だ」

 

 

 緑の眼はまっすぐ私を見つめている。

 

 暗闇に包まれた右目ではなく、私はこの国の森を想わせる彼の眼を、信じてみようと考えた。

 

 

 

「俺は煉獄槇寿郎だ!よろしく頼む!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿神ギンは、炎屋敷で預かることとなった。

 どうやらギンは既に呼吸法を会得しているらしく、鬼殺隊に入隊するつもりのようだ。

 

 しかし、彼はまだ10歳。最終選別に行くにはまだ早い。最終選別までは私の継子として鍛えるのがいいだろう。

 

 息子の杏寿郎とは一つ違い。きっとよい修行相手になる。

 それに、私としてもこの少年が一体何者なのか、しっかりとこの目で確かめたかった。

 あのお館様と友好な関係を結べるこの少年が一体何者なのか……。

 

 ギンを屋敷に連れてきた私は、さっそく妻の瑠火に紹介した。

 

「と言うわけだ。当分ここで預かることになった鹿神ギンだ」

「なるほど、そういうことでございましたか。初めまして、鹿神ギン殿。煉獄槇寿郎の妻の瑠火と申します」

 

「…………」

 

 ギンはぺこりと不愛想に頭を下げるだけだった。私はその態度に少しカチンとした。

 

「なんだ、失礼だぞ、ギン」

 

「……いや」

 

 ギンは頭を下げたまま震えた声で言う。どうしたと言うのだ?

 

「……すいません。瑠火さんがあまりにも綺麗で、びっくりしてしまって」

 

 その言葉を聞いた瑠火と私は一瞬ぽかんとしてしまった。よく見ると、ギンの頬は若干だが赤くなっている。

 瑠火もそのことに気付いたようで、嬉しそうに微笑んでいる。

 後に訊いて分かったのだが、ギンは山暮らしで人と会うことがなく、女性と会ったのが瑠火が初めてだったそうだ。

 

「…………ギン。お前は見どころがある奴だ」

 

 何より、私の妻を『美人』と言えた所。見どころがある。自分の妻を褒められ、嬉しくない亭主などいない。

 なるほど。この少年はいい少年だ。

 

 何故、私はこの少年を疑ってしまったのか。どこが『妖』なのか。お館様と同じ、そして私の息子たちと同じ、年相応の少年だと言うことを私は確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……やっべー超美人じゃん煉獄さんの嫁さん。マジパネェ。常闇から出て生まれて初めて会った女性があんな綺麗な人とか、やばい。俺の好みの女の基準ガチ上がり。面食いになっちゃうじゃんこれ。ていうか槇寿郎さん結婚してたのかよ。こんなパツキンなのに。くっそう……男としての格の違いを見せつけられた気がする。これが柱か……柱になれば嫁とか来るのかなぁー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギンは「森の呼吸」という独自で編み出した呼吸法を使うようだった。

 その実力は、幼少期から鍛えていた杏寿郎と同等、いやそれ以上だ。しかし型がどこかぎこちない。おそらく人と打ち合ったことが少ないのだろう。

 その動きはほとんど我流で野生の獣のようだったが、身体能力が元々高いのか、私が教えた技術をどんどん吸収していく。

 

 だが、本人は修行嫌いなのか、私の鍛練から逃げようとすることが多かった。

 

「やだやだブートキャンプは嫌だぁぁぁせっかくシシガミの森ブートキャンプを卒業したのになんで現世に来てまでトレーニングしなきゃいけないのぉぉぉぉ外で遊びたいぃぃぃ街にいかせてくれぇぇぇぇぇ!!」

 

 お館様からは彼が森育ちと言うことは何度か聞いていた。

 生まれてからほとんどを森で過ごしてきた為、俗世の娯楽にかなり飢えているらしい。半分ぐらい何を言っているのか分からなかったが、とりあえず軟弱なので引っ叩いて黙らせた。

 

 だが時々、彼は不思議な言動をする。大人も分からないような生き物の名前を呟いたり。

 たまに何もない場所を見続けていては、「蟲か……新種」と呟く。

 筆と紙を持っては、不思議な生き物の絵を描く。それは何か、と訊くと。

 

「蟲だよ。ほら、今槇寿郎さんの肩の上にもいる」

 

 自分の肩を見てみたが、そこには何もいない。

 だが、ギンは『蟲』と呼ぶ、透明な何かが見えているようだった。

 私はその時、彼は疲れているのかそれとも夢でも見ているのかと思ったが、あのぽっかり空いた右目の暗闇を見るたびに、そう断じることができずにいた。

 

「何を吸っているんだ、ギン」

「蟲タバコ。俺、蟲を呼び寄せる体質だからさ。ここの近くに光脈筋があるし、こうして藤の香と一緒に焚かないと、この辺りは蟲の巣窟になっちまう」

「またその話か。蟲だのなんだの、もっと分かるように説明してくれ」

 

 ギンは時折、ぱいぷ、と呼ばれる煙を吸う道具を使っていた。普通なら大人が吸って楽しむ物を、何故かギンは吸った。

 煙は肺を痛める。呼吸の命である肺を傷つけてはいけないと、ギンにそう言ったが。

 

「この蟲タバコは特別性なんだよ。肺を傷つけたりしない」

「ならせめて香にはできんのか。たばこなぞ、子供が吸うものじゃない」

「んー、できないことはないけど、こっちの方がかっこいいからやだね」

 

 ここでの暮らしに慣れてきたのか、最初の不愛想な子供はどこに行ったのか。笑うばかりで私の言うことをちっとも聞かなかった。聞けばあのぱいぷはお館様からの贈り物だそうで、取り上げることもできなかった。

 もちろん、生意気な口をきいた罰として拳骨をくれてやったが、ここ半年で随分感情表現が豊かになったと思う。

 

「あの子は嘘を吐きませんよ、槇寿郎様」

「しかしなぁ、蟲だのなんだの、よく分からないことを言う。この間なんか、俺の鼻に鼻水を創る蟲がいる、などと言ってきたんだぞ」

「きっと、あの子は何か特別なのです。私達とは違う視点を持つ子なのですよ。それに、杏寿郎や千寿郎もあんなに懐いているではありませんか」

「…………むぅ」

 

 瑠火に叱られ、思わず肩を落とす。瑠火の言葉はいつも正しい。私はよく、迷った時は瑠火を頼った。瑠火に話すと、頭の中にいつも答えをくれるからだ。

 

「あの子は見えない物が見える。それだけですよ。それとも、鬼をも恐れさせる炎柱様はあの子が恐ろしいですか?この世ならざるものが見える妖怪の子だと」

「そんなわけなかろう!あの子は私の大事な継子だ!」

 

 ここ数か月、あれと暮らしていればどれだけ優秀で、賢い子かよく分かる。

 

「ならそれでよいではありませんか。あなた様がしっかりせずにどうするのです」

 

「…………そうだな」 

 

 1月前、瑠火が倒れた。あれから調子を崩し、布団から出ることができていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この土地の光脈、ズレ始めている……? ヌシが、何かに殺されたのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「槇寿郎さん。このままだと、瑠火さんが死にます」

 

 私はその言葉を聞いた時、初めてギンを殴った。本気で殴った。鍛練や罰で拳骨をしたことはあっても、本気で殴り飛ばしたことはなかった。

 ギンは口の中を切ったのか、血を吐きだしながら床に倒れた。

 

「瑠火が死ぬわけないだろう!薬師から一番いい薬をもらっているっ、町一番の医者を診てもらっている!すぐにっ」

 

「あれは医者には治せない。原因が蟲だからだ」

 

 蟲。またそれか。目に見えないそれがなんだと言うんだ。

 

「あんたも気付いているだろう、槇寿郎さん。いくら酒を飲んでその不安を塗りつぶそうとしたって、頭のどっかで分かってるんじゃないのか?このままだと瑠火さんが助からないって」

 

「やめろ」

 

「医者の言う薬を飲み始めてから一体何日経つ?医者に何回来てもらってる?瑠火さんは一向によくならないじゃないか。このままあの意味のない薬を飲み続けても金の無駄だ」

 

「だったら!!」

 

 

 

 私は"炎柱" 煉獄槇寿郎だ。

 

 鬼を滅殺し、人々を助ける。今までも、そしてこれからも。

 

 

 なのに私は。

 

 

 

 

「大切な妻一人も助けることができない……!」

 

 

 

 

「助ける」

 

 

 

 

 

 涙で滲む私の視界に、凛とした声が響いた。

 普段ちゃらんぽらんとした自分の継子の言葉とは思えない、しっかりとした声が。

 

 

 助けると言う意志が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1月半前から、光脈筋が大きく乱れている」

 

「……命の水が流れる、光る河がある土地のことだったか」

 

「ああ。そしてその土地を管理するモノを、ヌシと呼ぶ。そのヌシが殺されると、その土地が乱れる」

 

「乱れるとどうなるのだ?」

 

「草木は熟れて腐っていき、河はやがて汚染され、辺りによくない蟲が集まり出す。もう影響が出始めている。その結果、瑠火さんは、蟲患いを起こしてしまったみたいなんだ。光脈筋が乱れたことで身体が弱り、様々な病気を誘発している。アンタには見えてないだろうが、今この部屋は蟲がうじゃうじゃだ。俺の蟲タバコもほとんど意味を為さない」

 

 

 ギンはそう言って口の中に含んだパイプ煙草の煙を天井に吹きかけた。私には見えない蟲が、そこにいるのだろうか?

 

 

「なら、俺や杏寿郎と千寿郎は何ともないのは何故だ?」

「身体の作りが違うからだよ。呼吸法を会得している人間は、どうやら蟲患いの影響を受け難いみたいなんだ」

 

 全集中の呼吸は、厳しい鍛練をした者がようやく獲得できる秘技だ。病床に臥せっている瑠火は、今更呼吸法を会得しようとしても間に合わない。

 

「ならどうすれば……」

 

「方法は、一つだ。この光脈を、正しい状態に戻すんだ」

 

「正しい状態に……?」

 

「ヌシ様に取って代わったクソ野郎を殺すんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この近くにある山に、蛇のヌシがいたらしい。

 美しい白い鱗を持ち、蔦を身体に生やした美しい大蛇がこの山のヌシであり、光脈筋を管理する役目を持っていたそうだ。

 

「二月前、3つほど山を越えた所で鬼が目撃されている。その鬼がヌシを殺した。ヌシが鬼を山から追い出そうとして返り討ちにあったんだ」

「何故分かる?」

「ムグラに聞いたから」

 

 通常、光脈筋に鬼は近づかない。光る河から漏れ出る生気を、藤の花ほどではないが鬼は得意としないからだ。

 だが、そのヌシを殺した鬼は、極度の飢餓状態に陥っており、山中の獣を食い散らかしていたそうだ。「おそらく、鬼狩りに痕跡を辿られないように獣の肉で食い繋いでいたんだろう」とギンは言った。 

 

「普通、ヌシを殺しても殺した奴がヌシになることはありえない。人間が仮にヌシを殺しても、特別な術を使わないとヌシにはなれない。けれどそれが鬼なら、異能の存在である鬼なら、ヌシに取って代わることも不可能じゃない。そもそも、ヌシが死んだだけでここまで山が荒れることは有り得ないんだ。だが、理から外れた存在である鬼がヌシになってしまったことで、光脈筋が滅茶苦茶に乱されているんだ」

 

 相変わらず、ギンの話は分からない。見えない存在の物を理解しようとしても、上手くいかない。私はお世辞にも、頭を使うのは得意ではなかったようだ。

 だが、分かったことがひとつ。

 

「つまり、瑠火が苦しんでいるのは……その鬼のせいか!」

 

 私の言葉に、ギンは頷いた。

 

「槇寿郎さん、アンタ、自分は鬼は斬れるが妻は救えないと言ったが、そんなことはない。あのヌシ面した鬼を斬れば、瑠火さんは助かる。アンタの大切な家族を助けることができるんだ」

 

「ああ。相手が鬼なら、俺に斬れぬ道理はない」

 

 

 待っててくれ、瑠火。

 

 私は鬼殺隊 "炎柱" 煉獄 槇寿郎。

 

 だが、今日だけは、人の為ではなく。

 

 お前を救う為だけに、刀を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アア、気分ガいイ、気分ガイい。アノ蛇ヲ喰ッてカら体ノ調子ガイイゾォ。コノまマ人里に下りテ、人を喰イにイコウ。グヒひヒ。ソレガいイ、ソレガイい。あノ方ニ認めラれ、いズれ上弦の鬼に――」

 

 

「おお、すごいなギン。お前の言う通りに走ったら、本当に鬼がいたぞ」

 

「ムグラに聞いたから、この山のことならある程度は分かる。まったく、新しいヌシがこんな醜悪な奴とは、先代が浮かばれない」

 

「アァ?ナン―――だ?」

 

 

 

 

 

 

 

「よくも俺の家族を苦しめたな。地獄で悔い改めろ、鬼」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――決着は一瞬で付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぇー……あれが鬼。本当に首斬ると死ぬんだな……」

 

「そういえば、お前は鬼を見るのは初めてか。よく覚えておけ。あれは血鬼術すら使えぬ雑魚鬼だったが、人を喰えば喰うほど、鬼は強くなる。次の最終選抜は、アレを相手取るんだぞ」

「……はい」

「これで、山は元に戻るのか。ここに来るまでひどかったが。草は枯れ始め、小川からはひどい匂いがした」

「完全には戻りません。けれど、いずれ新しいヌシがここに現れる。元凶の鬼も退治した。これで瑠火さんの蟲患いもよくなるはずです」

「……そうか」

 

 私はその言葉を聞いた瞬間、思わず肩の力が抜けて膝を突いてしまった。

 

「よかった……!本当によかった!私は大事な妻を、かけがえのない家族を守れないのかと!自分のことが大嫌いになる所だった……!」

「安心するのはまだ早いですよ。身体が弱っているのは事実なんですから、当分はしっかり看病しないと……そうだ」

 

「ん?」

 

 涙を拭っていると、ギンは懐からごそごそと何か取り出した。

 それは、私が酒を飲むために使っていた瓢箪(ひょうたん)だった。いつの間に盗ったんだ。

 

「何をする気だ!」

「いいから」

 

 ギンは地面に瓢箪を立てるように置くと、今度は何かもう一つ取り出した。竹でできた水筒だ。

 

「それは?」

 

 ギンは答えず、きゅぽん、と水筒の蓋を開いた。

 

 

 

 すると、水筒の口から黄金色の光が漏れ出していた。その光と一緒に、辺りに香ばしい匂いが漂ってくる。

 それは果実の匂いのような。米の匂いのような。この世のありとあらゆる美味い食べ物を混ぜたような匂いだった。

 

 

 

 

「光酒」

 

 

 

 私はおそらく、その光景を一生忘れることがないだろう。

 ギンが水筒から垂らした一滴の黄金色の液体が、瓢箪の口に吸いこまれた瞬間。

 

 底から湧き出るように、あの黄金色の液体が湧き始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 美しく、神秘的な幻想に目を奪われた私は、お館様と瑠火の言葉を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――彼は、きっと鬼殺隊に大きな力を与えてくれる。そんな気がしてならないんだよ

 

 

 ――――きっと、あの子は何か特別なのです。私達とは違う視点を持つ子なのですよ

 

 

 

 

 ああ、お館様。あなたの言葉のとおりだった。

 瑠火。お前の言う通りだった。ギンは凄い子だ。特別な子だ。

 

 

 私は彼の姿を見て確信した。

 

 ギンは、きっと鬼殺隊の今を変えてくれる。

 

 千年もの間変わらなかった鬼達との戦いを変えてくれる。

 

 力があるとか、才能があるとかではない。

 

 彼の姿勢、その在り方が、きっと今よりもより良い未来に導いてくれる――今ならそう信じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空の瓢箪に光る酒が一杯になった後、私とギンは山を下りた。

 屋敷に着くと、ギンは瑠火にあの光る酒を一口与えた。

 すると、すぐに瑠火の顔に生気が戻り始めた。

 身体がものすごく軽くなったと、瑠火は喜んでいた。

 私はその姿を見て、思わず泣いた。

 無事でよかったと。本当によかったと。

 

 ギン。お前は凄い子だ。ああ、一体この借りはどうやって返せばいいのか。

 

「……槇寿郎さん。俺には家族がいません。5歳より以前の記憶がありません。思い出せるのは、真っ暗な闇の中を歩いていたことと、蟲達のことだけ。けれど、煉獄一家は、こんな怪しい俺を家族同様に接してくださり……家族とはこういうものかと、幸せだった。俺の方がもらってばかりだった。俺はいつだって助けてもらって、育ててもらってばかりだった。あんた達を助けられて、本当によかった」

 

 

 私と瑠火、そして杏寿郎はその言葉に感極まり、ギンを抱き締めた。

 

 ああ、姿形がなんだと言うのだ。

 

 他の誰かが認めずとも、私達は認めよう。

 

 ギンは私達の家族であり――やがて、鬼殺隊の柱となると。

 

 

 

 

 

 




蟲師用語図鑑


"光酒"

 
 黄金色に光り輝く液体。「命の水」とも呼ばれ、地底深くを流れる「光脈」から抽出することで取り出すことができる。
 あらゆる生命の原点。蟲、植物、山、動物……ありとあらゆる生命は光酒が流れる光脈から生まれ、光脈に還ると言われている。
 意思は持たないが、命そのものでもある為、ありとあらゆる影響を及ぼす。
 蟲師にとっては蟲患いの薬になったり、身体が弱った人間に呑ませれば活力剤としても使うことができる万能薬。

 ただしいつでも取れる液体ではない為、かなり希少性は高い。

 この世の何よりも美味い液体だと言う噂。
 産屋敷耀哉も自身の身体を蝕む呪いの進行を止める為にギンに呑まされた所、あまりの美味さに涙を流したと言う。

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