〇月▽日
ついに、最終選別へ向かう時が来た。
俺と錆兎と義勇は、鱗滝さんと同じ模様の羽織をもらい、厄除の面をもらった。
悪いことから守ってくれる呪いのお面らしい。
「最終選別、必ず生きて帰って来い。儂はここでお前達の帰りを待っている」
「「「はいっ」」」
鱗滝さんの激励に、俺達は力強く頷いた。
腰に刀を携える。
義勇と錆兎は、鱗滝さんが用意していた水色の真剣を。
俺は森でシシガミ様からもらった、深緑色の真剣を。
『日輪刀』
一年中陽が差していると言われる陽光山で採れる鉱石から創られた特別な刀。
どんな武器で傷を負わせてもたちまち回復してしまう、不死身の鬼を唯一殺せる武器。この刀なら、鬼の頸を落とせば如何に不死身と言えど殺すことができる。鬼殺隊の武器。
そういえば、シシガミ様はこの刀を一体どこで手に入れたのだろう。あの人が入らぬ森で、誰があそこに刀を置いたのだろう。まさかシシガミの森の住民の誰かが―――ありえそうで怖いな。
「お前の日輪刀は深緑か。お前らしい」
「そうか?」
「そうだよ」
錆兎は笑った。柔らかな笑みだった。数か月前、何かに思い詰めていた男の顔は、もうどこにもない。
「義勇、準備はいいか?」
「もちろん。ギンこそ、大丈夫か」
「ああ。さくっと行って、さくっと終わらせて来よう。そんなめんどくさい試験、俺達なら楽勝だ」
俺達は自信に満ち溢れていた。
俺達ならやれる。俺達ならできる。
鱗滝さんの厳しい修行を突破してきた俺達なら、鬼なんて目じゃないと。
「…………」
「どうした、ギン」
「いや、なんでもないです鱗滝さん。それじゃあ、行ってきます」
唯一の懸念材料と言えば……鱗滝さんの弟子だけを狙って殺している、異形の鬼のことだろうか。
●月▼日
鹿神ギンが、狭霧山に入ってから一週間。
「――――ん?」
目隠しをして、真っ暗で何も見えない中、何かが視界の中で動いた気がした。
「――蟲の気配だ」
ここは光脈筋ではない。普通の山だ。ヌシもいない、静かな山。
獣も少なく、蟲もほとんどいない。蟲が常に見える俺からすれば、かなり新鮮な場所だった。
今までは行く先々に蟲が視界の端にちらついていたから、『蟲がほとんどいない』場所は俺にとって珍しかった。
多分、またこの常闇の眼が蟲を呼び寄せているんだろうが……。
「……蟲タバコ作んなきゃなぁ」
この山はムグラが少ないから、蟲タバコの材料や薬草は自分で探して作らなきゃいけない……。
今から憂鬱だ。
はぁ、と溜息を吐いていると。
「ねえ、君は鱗滝さんのお弟子さんかな?」
聞き覚えのない声をかけられた。少し悩んだが、ばれなきゃいいだろと俺は目隠しを取った。顔を上げるとそこには、俺と同い年ぐらいの子供が立っていた。月明かりに照らされた少年は、狐の面を着けていて顔は見えない。
こんな夜に、誰だ?この山には俺と義勇と錆兎、そして鱗滝さんしかいないのに。
「まあ、そうだけど。あんたは……」
よく見てみると、ほのかに蟲の気配がする。いや、蟲の気配と言うより……蟲に近い気配?
この独特な、冷たい屍の気配。生命と死の境界線を飛び越えたモノ達の気配だ。
「幽霊?」
「へぇ、分かるんだ」
どうやら当たっていたみたいで、狐の面の子供は驚いたように声を上げる。
「あいにく、こちとらあんたみたいなのを毎日見てるんでね。で、俺に何の用?」
悪意の気配はしない。こちらに何かしようという気配がない。
「僕らは、鱗滝さんの弟子。いや、元弟子と言えばいいのかな……」
「……死んだのか?」
「うん。最終選別で鬼に殺された。魂だけは、この山に帰ってこれた。僕達のことが見えたのは、君が初めてだ」
「……気の毒に」
なんと声をかければいいか分からなかったけれど、俺は絞り出すようにそう言った。
「気にしないで。僕達は気にしてないから」
「そうかい。それで?」
「僕達を殺した鬼について。それを君達に伝えたいんだ。君と、錆兎と、義勇に」
★月×日
最終選別――鬼狩を生業とする鬼殺隊に入隊するための特別な場所。
山には数えきれないほどの藤の花が咲いていた。今は季節でもないのに。
「すごいな」
「あぁ……」
俺達はその幻想的で神秘的な風景に驚きを隠せずにいた。おそらく、木々の一本一本に何かしらの蟲が棲んでいるのだろう。
木霊……ではないか。あれには木々を狂い咲かせる力はなかったはずだし。
ここは光脈筋というわけでもなさそうだが……。
「行くぞ、ギン」
「あ、ああ」
錆兎に背中を叩かれ、意識を戻す。考え込むのは悪い癖だ。今夜は考えている暇はない。今から、鬼がうようよしている所に自分から行こうって言うんだから。
石の階段を登り、鳥居をくぐると開けた場所に出た。そこには、おそらく各地の育手達から送られてきた、鬼殺隊の見習い達が集まっていた。
ざっと見て30人はいるだろうか。
「……こんなにいるのか」
「皆、それぞれ理由を持ってここに来た鬼殺隊の見習いだ」
代々鬼狩りをしてきた家系の者。あるいは柱の継子。あるいは身内を鬼に殺され、憎しみを燃やしてここまでやってきた鬼殺隊の卵達。
「皆様、今宵は最終選別に集まって頂き感謝いたします」
俺達が最後だったのだろう。広場の中央から響くような、聞いていて落ち着くような声が響く。
その声は俺にとって、聞き覚えのある声だった。
(耀哉……)
具合はあまり良くなっていないだろうに、わざわざ案内役として出て来てくれたのだろうか。
おそらく周りの子供達は彼が鬼殺隊のトップだとは知らないだろう。
まさか自分と同い年ぐらいの子供が鬼殺隊の当主だとは夢にも思うまい。
落ち着いていて、普段は大人っぽいがどこか茶目っ気がある耀哉らしい、と俺は思った。
「この藤襲山には鬼殺の剣士が生け捕りにした鬼を閉じ込めていて、外に出ることはできない。山の麓から中腹にかけて、鬼共が嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからです」
「しかしここから先には藤の花は咲いておらず、鬼共がおります」
この中で七日間生き抜く
「――それが最終選別の合格条件です」
余所行きの言葉で語る耀哉を見て、ようやく鬼と戦うんだなと、自分は今更ながら自覚した。
錆兎と義勇も、いよいよ始まることを感じ取ったのか、静かに、藤の花の向こうの山を睨みつけた。
「それでは、皆様の武運長久をお祈りします。行ってらっしゃい」
最終選別一日目。
山に入ってまず最初に俺がやったのは、現在位置の把握だ。
この日の為に保管しておいた光酒を少量、辺りの地面にばら撒き、地面に触れる。
「ムグラノリ」
光酒に誘われたムグラ達と意識を同調し、山の情報を得る技術。
「東に……鬼が……17匹。西にも鬼が10匹以上。東に向かう隊士達を追っている。北の方にも鬼が数匹。大雑把だけどこれぐらいか。恐らくもっといるだろうけど」
多分、傍から見れば俺はただ目を閉じて地面に手を付けている風にしか見えないだろう。錆兎と義勇は俺が蟲を見えることは話していない。話しても信じてくれることの方が少ないからだ。特に、異形の現象を見たことがない者には。実際は今、俺の身体に何匹ものムグラが纏わりついている。だが、いちいち伝える必要もない。
「よし、それじゃあ俺達も東に向かおう。襲われている人を助けず、鬼殺隊は名乗れない」
「ああ」
義勇と錆兎はやる気満々だ。この二人はまあ、正直言って普通の見習い達とは一線を画すだろう。炎柱の息子であり、継子であった杏寿郎と同じぐらいの実力を持っているのだ。二人は心配する必要はない。めいびー。
「ギンはどうする?」
「俺はやることがあるから、別行動だ」
「何故だ?3人でいれば、生存率が上がる」
義勇が首を傾げる。
「俺は仲良しになるためにここに来たわけじゃない。いくら同門とはいえおんぶにだっこでは、この最終選別を生き残れても、いずれ死ぬ。それに、森の呼吸で自分がどれだけやれるか、試してみたいんだ」
俺はそう
「そうか……お前がそこまで言うなら、俺も止めはしない」
「ああ。俺達は二人で行動する」
そう聞いて俺は安心した。よかった。もしこれからやることを二人に伝えれば、絶対に俺に付いてくる。
それだけはしたくなかった。真実を知れば、どうなるか分からない。あの鬼を前にすれば、あの二人はきっと怒る。親代わりであった鱗滝さんの為に。
これは第三者である俺だからこそできること。
それに、これは蟲師の依頼として頼まれたことだから。俺が独りでやらなければいけないことだから。
「死ぬなよ、錆兎、義勇」
「そっちもな」
「死ぬな、ギン」
「では、七日後に」
義勇が静かに、そして力強く。
「ここに生きて戻る」
俺が、そう確認する。
「絶対だ。約束だ」
男なら、約束は必ず守るものだと、錆兎は口に出して言わなかったが俺の心に伝わった。
「さて。やるかぁ」
「藤襲山の異形の鬼?」
「うん。それを、倒してほしい。義勇と錆兎の代わりに。二人じゃあの鬼は倒せないかもしれないから、もうこれ以上、鱗滝さんを悲しませたくないから」
「だから、部外者の俺に頼んだってことか」
狐の面の少年は、そう頷いた。
11人―――11人もの鱗滝さんの弟子が、その異形の鬼に殺された。
どうやらその鬼は、鱗滝さんの手によって捕獲され、藤襲山に閉じ込められた。
鱗滝さんに深い憎しみを抱いており、その復讐の為に鱗滝さんの弟子を全て殺しているとのこと。鱗滝さんが最終選別に向かう弟子に渡す、『災いから身を守れるように』と祈りを込めて創った、厄除の面を目印にされて。
「鱗滝さんにこの話は――」
「しないで欲しい。厄除の面を目印に殺されたと聞けば、きっと鱗滝さんは自分を責める。今でも充分、僕達の為に苦しんだのに」
―――これ以上、苦しませても意味がない。
「…………」
少し悩む。鱗滝さんの弟子を11人も殺せる鬼。現在の俺の兄弟弟子である錆兎と義勇を見るに、その殺された11人もかなりの実力者だったはずだ。その弟子達を11人も殺せるのは――
「頼む、お願いだ」
こうして頭を下げられるのは、2度目だ。
「まあ、しょうがない」
「!」
「鱗滝さんには一週間だけだけど世話になってるし。俺の眼や見た目も恐れずに剣を教えてくれる。その恩返しっていうことでよければ、俺が討ってやる。その鬼を」
俺は二つ目の依頼を受けた。
蟲師として、鬼狩りの剣士として。
鱗滝左近次の弟子達の願いを。
「やっと見つけた」
「来たなぁ。俺の可愛い狐がぁ」
異形の鬼。肉が腐ったような匂いを漂わせながら、俺の方に芋虫のように進んでくる巨体。
体中を何本もの巨大で太い腕で巻き付けている。狭霧山で聞いた通りの見た目だった。
鬼の位置は、ムグラに聞いたおかげですぐに分かった。北の山頂近くで眠っていた。
俺が近づくと、鬼はまるで俺が来ることが分かっていたかのように起き出した。
煉獄槇寿郎の継子、鱗滝左近次の弟子。そして、シシガミ様。
俺には二人と一匹の師がいる。
でも、俺は二人の師の呼吸を使うことができなかった。
だから少し、羨ましかった。
いつでも師と会える、錆兎と義勇が。いつでも父と会える、杏寿郎が。
俺はもう、あの森に行けることは二度とないだろう。
あの森は異界。この世にはない場所。蟲と光脈筋で隔絶された、現代に残された最後の秘境。
錆兎。俺はお前と義勇が羨ましかった。家族のような師弟。見ていて気持ちがよかった。
だから、あんたらを守るために、俺は今日刀を振ろう。
「狐のガキ。今年は明治何年だ?」
「答える義理はない」
最初に狩る鬼が、異形の鬼とは笑えるなぁ。ハードル高くない?
「鱗滝の弟子にしては教育がなってないなァ!」
異形の鬼は身体中から何本もの腕を生やし、俺に向かって伸ばしてくる。掴めば一瞬で握り潰すであろう巨人の手だ。
だが、温い。
"森の呼吸 弐ノ型 剣戟森々"
伸ばされた腕は、一瞬でずたずたになり、腕の形を保てなくなって地面に落ちた。
「なにぃ!?」
鬼が驚いたように声を上げるが、俺は少々、拍子抜けだった。
「やるなぁ……狐のガキ。俺の腕をここまでやるだなんてなァ。鱗滝もさぞかし鼻が高いだろう」
執拗に、さっきから鱗滝さんの名前を出す。多分、俺に訊かせたいのだろう。
「どうして鱗滝さんの名前を知っている?」
「そりゃ知ってるさ。俺を閉じ込めたのは鱗滝だからなぁ。もう四十年も前になる」
「へぇ。そりゃ随分長生きで……」
話では、この藤襲山の鬼は一人か二人ぐらいしか人を食べたことがない弱い鬼しかいないと言うが―――ここは、藤襲山は蟲毒だ。
鬼を閉じ込めておくことで、共食いをし、生き残り続けた鬼は凄まじい力を付ける。人を喰い、鬼を喰い、結果、戦闘の経験も他の鬼と桁違いになる。
正直、こんな鬼は選別試験も突破していない見習いの剣士に相手をさせていい奴じゃない。
「アアアア!鱗滝め鱗滝め鱗滝め!許さん、許さんぞォ!俺をこんなところに閉じ込めやがって、絶対に許さぁん!」
体中から血管を浮き出して鬼は癇癪を起した子供のように地面を拳で殴っている。
「で、わざわざ鱗滝さんの弟子を狙っているって訳か」
俺がそう言うと、何が楽しいのか鬼は「くひひひひ」と手で口を押えて笑い始めた。
「ああ、そうだとも。鱗滝に聞いたのか?」
死んだ本人から聞いたよ、と言っても鬼は信じないだろう。
「七……八……九……十……十一……そしてお前で十二人目だ♥くひひひひひっ、あいつ、自分の弟子が帰ってこなくてどんな顔をするのかなぁ?厄除の面だったか?自分が送った面を目印に殺されていると知ったらどんな顔をするかなぁ!」
「で、その話を聞いた弟子達は怒りで我を忘れて、その隙を突いて殺す……か。なんともまあ、くだらない」
「なぁにぃ?」
「殺された弟子達は、決して物言わぬ
義勇達がここにいなくてよかった。いたらきっと、我を忘れて突っ込んでいっただろう。良くも悪くも、優しい奴らだから。
「確認したかったことも確認できた。俺に挑発は通用しない。とっとと倒させてもらう」
「倒す?俺をぉ?いくらなんでも調子に乗りすぎじゃないかガキぃ。俺はお前の兄弟弟子を全員殺したんだぞ?お前が俺を殺せるのか?」
けらけらと笑う鬼。
不思議と、怒りは沸かなかった。
今夜、初めて俺は鬼を殺す。俺は何を以って殺すかと疑問に思っていたが、ただただ、鬼が哀れだった。
人は鬼であり、鬼は人でもある。
あんなナリになってしまったが、元は人だった。理から外れてしまった人間だ。
ただただ虚しい。
優しさと慈悲は心から消え失せ、人を喰らうだけの存在となった者は、それは人間として生きていると言えるのか?
「もう楽になれ」
「アぁ?」
刀を鞘に納め、居合の構えを取る。
「楽になれ。お前はもう、鬼として生きなくていい」
"森の呼吸 参ノ型 青時雨"
ありがとう、ギン
これで俺達は狭霧山へ帰れる
鱗滝さんの許に―――
ありがとう ありがとう
藤襲山に入山してから、6日目。
鬼の数は飛ぶ鳥を落とす勢いで減り続けている。
水の呼吸一門が、鬼をひたすら狩り続けているからだ。
一人は、黒髪をした少年。
力強く、まるで激流のような勢いで鬼の頸を斬り続けた。
傷を負いながら、窮地に陥った隊士を助けて行った。
もう一人は、白髪の少年。
静かで、森を思わせる剣術で鬼の頸を斬り。
傷ついた隊士を、その場で調合した薬で癒して行った。
そして、宍色の髪をした少年。
彼は、昼夜問わず鬼を狩り続け、傷ついた隊士を庇いながら戦った。
そして―――――
「義勇……」
「ギン……」
「錆兎が……死んだ」
冨岡義勇―――
鹿神ギン―――
最終選別、合格。
錆兎は、傷ついて動けなくなった隊士を10人、庇いながら戦った。鬼達に囲まれ、腹を貫かれて死んだ。
すぐに駆け付けた富岡義勇によって鬼は駆逐されたが、錆兎の傷は血が止まらず、その場で息絶えた。
錆兎の遺言で、遺体は狭霧山へと埋められた。
最終選別後、生き残った二人の隊士は、一晩中、彼の墓の前で泣き続けたそうだ。