有り余る魔力を用いて、私はゆっくりと黒い地上に降り立った。
着地とともに、鎧全身が重々しい音を立てる。
「……さやか?」
怪訝な表情でほむらが訊ねる。
隣のマミさんも似たような顔だった。私が本当にさやかであるのか、疑うような……。
「どう見たって私……ああ、そっか」
銀のヘルムのフェイス部分を魔力稼働で跳ね上げる。
魔法で透視していた視界よりもより鮮やかな、いつもの色彩のみんなが見えた。
「フルアーマーさやかちゃんです」
「……何が起こったの?」
ボケにつっこみが入らない。悲しいなぁ。
「私は、嵐の中で……魔女の攻撃に引き裂かれた貴女を見たわ」
「そして佐倉さんもね」
私も魔女にこっぴどくやられたのは覚えている。
確かに、痛覚を切っていなかったら到底耐えられない、拷問のような死に際だったと思う。
だから見ていないけど……マミさんの口ぶりでは、その後に杏子もやられたのだろう。首が無かったのはそのせいか。
「うん……確かに、一時は死にかけたよ。上半身消し飛んで、遠いところまで風に煽られて……だけど、ソウルジェムはギリギリで無事だったみたい」
消えたのが上半身だったからこそ助かったのだろう。
下半身だったら臍のソウルジェムが壊れてたな。
「ソウルジェムが無事なら大丈夫なのは知ってるけど、だからってあの死傷から……信じられないわ」
「……ま、それは正直、私もね」
「……あは、あはは……勝利の余韻に浸っている反面、戸惑いを隠せないわね」
緊張感は一気に抜けきらなかった。
疲労感がどっと押し寄せてくることもない。どことなく微妙な後味の勝利だ。
けど、私達は間違いなく強敵を打ち破った。それだけは確かなこと。
「……よし」
「終わった?」
「ああ」
降ってきたグリーフシードを全て回収した杏子は、黒い大地の中央で祈りを捧げていた。
膝を折って手を組む仕草は、普段の乱暴な彼女からは全く想像できないものだ。
祈る先はグリーフシード……かと思いきや、自前のアンクである。
「佐倉さんも無事だったのね……良かった」
「まあな」
膝についた灰を払って、杏子がこちらに向く。
ワルプルギスを撃破した張本人である彼女の表情は、晴れても沈んでもいない。無表情だ。
……私と同じで、まだ整理がついていないのだろう。思考も、感情にも。
「あなたも生き返ったのね」
「……おかげさまでね」
「?」
杏子はじっとほむらを見て、複雑そうな顔をしていた。
……うん。今の私にはわかる。杏子の複雑そうな内心が、手に取るように。
「おい、暴れるなよ?」
「え? ……えっ!?」
なんて心のなかでクスクス笑ってたら、突然杏子がほむらを抱きしめたではないか。
その奇行にはさすがの私もびっくりである。いや、されたほむらの方がびっくりしてるだろうけど。
「ちょ、ちょっと、なに……!」
「……なんでもない」
どう見てもなんでもないことはないはずだけど、情緒不安定な杏子の抱擁はすぐに終わった。
残されるのは顔を赤くして慌てるほむらばかり。
「一時的にだけどさ。神様が、アタシらに奇跡をくれたんだよ」
「え?」
ああ……神様ね。私は思わずクスリと笑った。
面白かったわけではない。その通りかもしれないと、彼女に共感したのだ。
これまでの私の人生、そして夢を叶えてくれた奇跡。神様、その通りと言う他ない。
「しかしこの奇跡も、一度きりみたいだね……さっきこそ大暴れできたけどさ、もう底から漲るようなパワーは出てこないよ」
「あー……確かに、そう言われてみれば、よ、鎧が重く……」
「解除しときなよ。知らないうちに魔力を食ってるかもしんねーぞ」
「そ、そうしておこうかな」
全身を包む鎧を解除し、剣も消滅させる。
体は元通り、普通の魔法少女の姿に戻った。
……また膨大な魔力を使わない限りには、また先程までの姿にはなれそうもない。
「奇跡、か……二人共、力を願ったからかしらね」
「強さを求める心が、力を呼び覚ました? ふふ、強引だけど、ロマンがあって良いわね」
「へ、かもね」
ロマン。確かにそうだ。
……けど、手に入れた新たな能力は、私は癒やしの力で、杏子は惑わしの力だ。
私の願いも杏子の願いも、同じ力の願い。
単純な私達の願いを強化した奇跡なのだとすると、癒やしならそれに多少の説明は付くものの、幻影や幻惑の理由を説明するにはちょっと不十分なように感じる。
あの奇跡はもっと別の……例えば、別の何者かの願いなんじゃないかな、と思ってしまうのだ。
私達の意志とは別の何か……。
「“この世界の因果と、私の因果”……因果、か」
暁美ほむら、煤子、時間遡行、平行世界、因果……。
護りの力……癒やしの力……美樹さやか。
美樹さやかと癒やしの力、か。
ふと脳裏に、幼馴染の顔が浮かび上がってきた。
「……ほむら」
「? え、なに、ちょ……」
私はほむらを優しく抱きしめた。
杏子に続いて二人目だ、そこまで驚きはしなかったけど、驚いてはいる。
……細い身体だ。
「よく頑張ったよ、今まで……今まで本当によく頑張ったよ」
「……」
全ては、地獄のような時を何度も繰り返し、挑戦してきた一人の少女の願いが始まりだった。
何度も何度も戦い続け、決して挫けることなく戦い続けてきた彼女の、最初の強い願いが、この時を呼び寄せたのだろう。
私は……きっとその重さを、知っている。
「ほむらがいるから、今この時があるんだろうね」
「……」
「……お疲れ様。ありがとう、ほむら」
「……!」
嵐は過ぎ去った。快晴を見上げた人たちは、段々と街へ戻ってくるだろう。
ここもそう長くは居られたものではない。
だけど暫くの間だけ、ほむらは周囲を気にすることなく泣いた。
努力が報われ、願いが叶ったことを理解して、堰を切ったように嗚咽し続けた。
おめでとう……お疲れ様、よく頑張ったわね。
本当にみんな、よく頑張ったわ。
これでもう、私は思い残すこともない。
……だってそうでしょう、私の願いが叶ったのだもの。
完成されたこの世界に何を望むというのかしら。
繰り返すことは、これでおしまい。
これで私は満足だわ。
……最高のゲームオーバーよ、ありがとう。
見滝原の被害は、極大のスーパーセル到来にもかかわらず、かなり小規模な被害で済んでいた。
衰えることなく突き進むであろう気象予測とは裏腹に、スーパーセルは早い段階で消滅してしまったのだ。
観測所の誤探知、誤報、統計の誤り……。
……まあ逆に色々と風当たりが強くなった所もあったみたいだけど、局所的に残っているとてつもない風害の傷跡は、観測所の人々の首の皮をなんとか繋げたようだ。
しかしそんなことよりも驚くべきは、今回の災害による死傷者と負傷者の数だ。
局所的な被害であったとはいえ、避難に遅れた人々はゼロではない。
少なからず巻き込まれ、何百人と犠牲が出たはずである。
が、それも極端に少なかった。
理由は……不明。
気味の悪いことに、強風によって瓦礫の下敷きになった人や、飛来した物にぶつかって怪我をした人たちの傷が、ほぼ完全に癒えてしまっているというのだ。
ある人は、こうだ。
家屋の下敷きになり、身動きが取れず出血だけが続き、絶望の中で意識を手放した人がいた。
だけどその人が目を覚ましてみれば、破れた服と血溜まりがあっただけで、自分は一切の傷を負っていなかったのだという。
……いやあ、恐ろしい話もあったもんだよね。こわいこわい。
見滝原は未曾有……であろうはずの大災害から難を逃れた。
街は風でちょっと荒れていたものの、それもすぐに元に戻るだろう。
数日の休みがあったものの、学校もすぐに始まるらしい。
良かった良かった。
……と、他人事だけど、実は今日がその嵐明けの登校初日。
「……ふんふんふーん」
いつもの登校風景。いつもの青空。
見慣れた道を歩いてゆけば、いつもの場所に彼女たちがいる。
「さやかちゃーん!」
「さやかさん、おはようございます」
「おはよう」
「おー、おっはよー!」
まどか、仁美、そしてほむら。
「きゅっぷい」
『おお、キュゥべえもいたか、おはよ』
「うん、もちろんだよ」
キュゥべえは特に悪びれもせず、当然のようにまどかの肩に乗っていた。
……まぁ、これからも折にふれてキュゥべえが茶々を入れてくるだろうけど、ワルプルギスの夜を乗り越えたまどかにはそんな手も通用しないだろう。
心配は無用だ。
「……」
「睨まないでよ」
ほむらの目は相変わらず、そうは言ってないけどね。
「ところでさやか、杏子について話を聞いているかい?」
『え? 杏子?』
「うん。彼女はしばらくこの付近からも姿を消すらしいんだ」
『えっ』
『え?』
それは初耳だ。
っていうか、え? なんで?
「理由は聞いてみたけど、僕には意味がわからなかったよ」
『なんて言ってたのよ。せっかく平和が戻ってきたっていうのに、復学もしないであいつは……』
「さあね、元々何を考えているのかわからない魔法少女だし……ええとね」
キュゥべえは思い出すようにしっぽを横に振った。
「“煤子さんはまだ消えずに、この世を彷徨っているのかもしれない”」
「……」
「“煤子さんを探しにいってくる”」
「……」
「彼女はそう言って、たくさんのグリーフシードと一緒に旅に出た。グリーフシードは有り余るほどあるからね、実力もあるし心配はいらないけど」
『……煤子さんって、さやかちゃんの、あの?』
「うん、だね……そうか」
彼女は魔女になった煤子さんを探しに行ったのか。
……確かに、煤子さんの魔女を倒した記憶はない。ワルプルギスと一緒に消滅した……っていう可能性があるかといえば、なさそうだ。
まだ魔女としてどこかにいるかもしれない。その読みは、意外と現実的なのかも。
『……煤子、ね』
ほむらは思案している様子。
彼女の中ではほとんど確信的に思い当たっているのだろう。
ただ、それに干渉する必要性はないと考えているようだ。
「さやかも彼女に心酔しているんだろう? 君はどうする? 杏子と同じで、煤子っていう人を探しにいくのかい?」
『え? さやかちゃんも旅に出ちゃうの?』
煤子さん。私にとってかけがえのない恩人。
とても大切な人。また、一度でもいいから会いたい人……。
『ううん、私は行かないよ』
「そう? 意外だな」
『でも、探すのを無駄なこととは思わない。正直杏子と一緒に探しに行きたいよ。意義のあることだと思う……けど』
私の横を歩くほむらを見る。
『多分、煤子さんはなんてことのない、こんな平穏な日々を望んでいるから』
『……』
『私はその中で、生きていくつもりだよ。ずっと』
そう、私はこんな日々を守っていきたい。
まどかを守り、ほむらを守る。二人の日常を守っていくために、私はここで生きていきたい。
それも、煤子さんが望む願いでもあったのだと思うから。
『そう、それでいいのね? さやか』
『うん! もちろん』
私はほむらに微笑みかけた。ほむらも、薄く口元で笑い返してくれた。
「い、いけませんわ……」
「え?」
そんな私達の様子を見て、勘違いした仁美が走り去っていく。
私達は慌ただしくその後を追いかける。
青い空。爽やかな風。
こんな日々を送って行こう。
『おはよ』
『あっ、マミさん! おはようございます!』
『おはよう』
『おはようございまーす!』
これから再び魔法少女として、見滝原を守っていこう。
ワルプルギスの夜を倒しても、この世から魔女が消え去ったわけではない。
私はまだまだ、戦い続けなくてはならない。
この手の届く限りに、人々全てを守っていこう。
かけがえのない笑顔を守るために、絶望に悲しませないために。
日常を守り抜くために。
とん、とん。
「ん?」
しかしその日常の前に、ちょっとした非日常的な出来事が待っていた。
私の右腕を、一冊の本が小突く。
本の表紙には管楽器の文字があった。
「さやか、おはよう。早速だけどこれ返すよ。新鮮で面白かった。ありがとう」
「恭介、おは……あれ?」
恭介は左手に持った本を私に差し出している。
「あ、上条くんおは、よう……?」
「……? あ、あれ?」
「……恭介、その左手……」
杖もつかず、二本の脚で私達と並んで歩く彼の姿。
腕にはギプスもなく、元気に手まで振っている。
恭介は左手に持った本を軽く掲げて、言った。
「完治、だってさ」
「……うそっ」
「本当」
拍子抜けしたような、けど空元気でもなんでもない、恭介の自然な笑み。
それはまさに、彼の言うことが嘘ではなく、真実ということで。
「……マジで?」
それは、よく晴れた日の出来事だった。
おわり