———4年前———
12月24日。俗に言うクリスマス・イブという世界的にも有名な日。究極と言えるほどの聖人イエス・キリストの生誕祭の前日。
休日な者が多いので、街中は人で溢れかえっている。家族と友人と恋人と。そこには沢山の愛があり、暖かさがある。
今を楽しみトキメいている。素晴らしいことだ。なんでもない当たり前の日常、意識しなくてもいい平和というのは、なんと優しいものなのか。
その光景は、見ていた彼にとってはとても美しいものに見えていた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・っ」
奥底から絶え間なく湧き出てくる副作用を無視しながら、路地裏の壁に肩を預けながら這うように歩く。着ている衣服はボロボロで、焼き焦げた跡がある。美形だとすぐに分かるその顔は、よほど寝ていなかったのか、大きな隈が出来て台無し。
今すぐにでも倒れてしまいそうな程、荒い息をしながら路地裏を抜け出る。
路地裏の先にある住居。そこに行って、全員を連れていけばどうにかなる。追っ手は自分が全員殺せばいい。所詮この身はもうどうしようもないほどに悪で、闇に埋もれてしまっているのだ。自分が汚れるだけで守りたいもの全て、守れるのならば安いものだ。
それは淡い希望だった。既に共に戦った仲間を全員失った彼にとって、せめて死んでしまった仲間達と共に守ろうとした物を、最後まで守り通したかった。そうすることが彼らの死に報いると思っていた。
「あぁ・・・ああぁ・・・」
嗅ぎなれた匂いだ。それは炎が焼き燃えた時に発生する匂い。視線の先には幾多もの点滅する赤いランプ。パトカー消防車救急車。公共機関の所有物である三種の車体が幾多も詰め寄せている。
何が起きたと事情を知らぬ市民達はスマホのカメラを向けながら、シャッター音を鳴り響かせる。我が物顔で現場に侵入してくる報道達は、どれだけ悲劇的に映るかを模索しながら撮り続ける。
どうでもいい。そんなことはどうでもいい。
彼の目に入るのは燃え盛る一つの家。それは孤児院として数年前に建てられた養成施設。特異な子供たちが集められるその場所は、彼が何に変えても守ろうと、つい数時間前に決意した物だった。
そこが、燃えている。
痛み軋み壊れそうな身体を引きずり、何度も転びそうになりながら人波をかき分けて近付いていく。
「君、危ないから下がっていなさい!」
「うるさい、邪魔だ!!」
彼の侵入を止めようとする警察官を突き飛ばし、燃える施設に入ろうとするが押し寄せる警官達に取り押さえられてしまう。もう能力を使う余力も残っていない。正真正銘の全身全霊を尽くしてここまで来たのだ。ろくな抵抗も出来ず、ただ燃え盛る施設を見せられ続ける。
それでも必死に、抗って進もうとする。
「ダメだ!施設内にはもう誰もいない!」
炎に強いヒーローが、施設内から勢いよく飛び出してくる。そのコスチュームは煤にまみれ、所々が焼き焦げている。
「生存者は、ゼロだ」
報告のために言ったヒーローの言葉が、彼の心を完全に折った。瞳孔は開き荒れていた息が止まる。まるで心臓が止まってしまったかのように、彼の反応は驚くほどになくなった。
燃え盛る施設が消火され、骨組みだけになる光景を、彼はただ無力なまま見続けていた。
真っ黒に炭化した、燃え滓を見続ける。都内には珍しく雪が降り、てんやわんやの大騒ぎだ。だが彼には何も関係ない。そう、もう何も、関係ないのだ。
生存者ゼロ。施設にいた子供達は一人として生きていなかった。その全てが等しく燃え滓となってしまった。生きていた証はどこにもなく、存在していた証拠もない。
12月24日、彼は全てを失った。共に戦う仲間も、守るべき者達も。自分自身さえも。今ここにいる彼は伽藍堂の人形だ。まるで魂が感じられない。ただ心臓が動いているだけ。
弔いの花を置く者もいない。もとよりこの施設は身寄りがないか、訳ありの子供たちが集められていた施設。弔う彼は既に廃人同然で、動く気配は全くない。このまま、死んでしまいそうだった。
もとよりボロボロだったみなりは雪や消火のための放水で濡れに濡れ、宙に浮く灰が濡れた服に染み付き、白い服を黒く汚した。頬は痩せこけ、視界は朧気。
通りすがる人はせせら笑い気味が悪いと誰も近づかない、が、近所に住み彼のことをある程度知っている者は、彼の痛ましい姿から目を背ける。
「どうして、彼らは死ななければならなかったんだろうね」
誰かが彼に声をかけた。彼は何も返さない。ただ立ち尽くして絶望している。彼に声をかけた者はふむ、とわざとらしく考え込むように声を出す。
「知っているはずだよ、君は。理解しているはずだよ。どうしてこんな事が起きたのか。そして、これを見るといい」
声の相手は彼の前に行き、一枚の紙を見せる。それは目の前で消失された施設に関する書類。被害者数、放火規模、時間帯、状況、そして犯人。紙に描かれていた犯人の顔は、彼のものだった。間違いなく、彼が今の仕事を始めた時に撮った写真。
「私に・・・何を求める・・・」
ようやく彼が口を開く。死人のように弱々しい、枯れた声。その瞳には暗い絶望。その奥には確固たる悪意が。彼の瞳を見て、体を震わせる。期待以上だと言いそうに。
「君はどうしたいんだい?」
「・・・壊す。この理不尽を認める社会を。彼らのような悲劇を、あってはならない間違いを生み出す全てを。そして刻みつける。決して忘れないように。いなかった者達のことを、その記憶に」
それは実質、国の敵になるということ。この国を壊す。妄言としては笑えるものだ。酔った勢いで言うような言葉だ。だが彼は本気だ。正真正銘心の底から自分の全てを費やして実行しようとしている。
「良い答えだ。取引しよう、僕と。僕は君の願いを、社会の破壊を手伝う。場所を用意しよう、人材を用意しよう、環境を用意しよう、力を用意しよう。そして君は、僕の教育を手伝って欲しい。未来の象徴を。君の壊した世界の象徴になる存在を」
今はまだ幼いけどね、と笑う。邪悪だ。声を聞いただけて分かる。こういった邪悪な存在を消すのが彼の役目だった。法で裁けぬ悪を裁く。社会に、人々に尽くすことを良しとしてきた彼は、その信念に従うのだ、いつもと変わらない。ただ今まで見えなかったものが見えただけだ。
バチバチ、と彼の左手が閃電を発する。可視化されるほどの電圧を持った電撃の左手を、彼は自分の首の左側に押し付ける。痺れ焼き尽くされる痛み。その痛みを、心の苦痛を体現するように彼は首に、逆十字を刻んでいく。
人肉の焦げた匂いがする。いい匂いとはとても言えない。刺青のように刻まれた逆十字に触れ、彼は俯いていた顔を上げる。
丁度そこで、平和の証であり体現者であるヒーローが来た。名前も聞いたことの無い、見たことも無いヒーローだ。
「通報を受けてきた。孤児院放火事件の犯人、人見だな。大人しくしてもらおうか」
口ではそう言うが明らかな敵対姿勢。それもそのはず。彼らの言葉通り、どうやら彼は放火魔だ。殺人鬼とも言われるだろう。もしかしたら今までの仕事が、全て犯罪として公開されるかもしれない。捕まれば、死刑は確実。ろくな弁明も調書も行われずに、殺されるだろう。
「ふむ、ヒーローか。面倒だな、ここは僕が———」
声の相手が手を向けるが、彼はそれより早く前に出る。彼を見て声の主は手を下げる。これを試験にでもするつもりなのだろう。
「目には目を」
空気が震える。バチリと弾ける音が一つ、また一つと鳴り響く。それはまさに小規模の落雷。可視化出来るほどの電気は、人間を殺すのには十分すぎる火力がある。
「歯には歯を」
「ちっ、抵抗するなら仕留めさせてもらう。食らえ必殺トルネード———」
明らかな異常を察したヒーローが、危険を感じて襲いかかる。その判断は正しい。彼の発生させている電撃は、明らかにヒーロー達を狙っている。しっかりと殺す気で、絶対に逃す気がなく。
故に躊躇わず必殺を使う。個性によって操作された気流がヒーローの手の中に収まる。
「悪には厳正の閃電を」
恐ろしいほど一際大きな轟雷音と、一面を染め上げる白光。光が消えればそこには炭化した人間大の炭しか残らない。たった一瞬で人間を炭化してしまう閃電を放った彼を、邪悪は拍手を持って褒めあげる。
「素晴らしい。まだ余裕を残しているのにこれほどの出力。はは、ヒーローが一瞬でこの有様だ。いいね、僕が欲しくなってきた。
さぁ、いこう!君の新しい居場所に!君の居るべき場所に!
異能者、人見君!」