地球の衛星である月。探査機の存在も遠くなって久しいその地表に、謎の痕跡があった。真っ直ぐに走る塵を割った跡。それが2つ。並走、或いは追走する2つの何かがここを高速で飛行したような跡。
不意に月から然程離れていない所で光が瞬く。2度、3度と場所を変えながら繰り返し、徐々にその間隔が短くなっていく。
その先にあるのは地球。
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「響、どうしたの?」
「未来、あれ何だろう」
日常を謳歌する2人の少女が、夕闇に染まる空を見た。
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「星って動いたっけ」
「私が知ってる限りではあんなには動かなかったと思うけど」
束の間の休息を過ごす2人の戦士が、夕闇に包まれた空を見た。
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「衛星ではないんだな?」
「あんな機動性を持つ衛星なんかないし、況してや航空機だって無いわよ」
「時折見えるのは光線か?」
「詳細は不明ですが、ここからでも測定できる程の強大なエネルギーを持っています」
「……戦っているのか、あの2つの光は」
国防の要となる組織が、明らかに戦闘軌道を描いている2つの物体を観測していた。
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人工物で描けない軌道。飛び交う光条に光弾。
地上から遠く離れた空間で行われているそれは、ノイズと言う脅威に晒されている人々にとっても現実感を伴わないものであった。むしろどこか神話めいたものさえ感じさせていた。
人々は足を止め、見入っていた。長かったのかもしれない。短かったのかもしれない。時間の感覚さえ忘れさせた相克は、終わりを迎えた。
光の奔流のぶつかり合い。その瞬間、2つ目の太陽の如き光を放った。人々が目を背け、再び見上げた時にはどちらもいなくなっていた。
光の中で堕ちる流星を見た者はいなかった。
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「そう言えばこの間のアレ、結局何だったんだろうね」
「宇宙人とかアメリカの実験とか色々言われてるみたいだよ」
すれ違った生徒の話題を借り受け、響に話を振る未來。
平時であれば見向きもされない陰謀論主義者やオカルトマニアが、水を得た魚のようにあちこちのニュース番組で得意気に語っていた。キャスターや他のコメンテーターも、今日ばかりはその話を真剣に聞き入っていた。
しかし世間にとって非常にセンセーショナルな話題であっても、この少女達にとってはそれほどの事でもなかった。
「それより! 週末のライブ! もう今から楽しみすぎて眠れないよ!」
「もう響ったら。当日寝坊した、なんてダメだからね」
当日にバテやしないかと心配になるほど燥ぐ響を、未來は優しげな笑みで見守っている。しかし、気持ちが高まり過ぎているのか、踊る様にステップを刻み始めると流石に注意しようとしたが、一歩遅かった。
曲がり角に差し掛かったタイミングで、対向者と出会い頭にぶつかってしまう。不安定な体勢だった事もあり、あわや転倒、と言う所をその対向者に支えられ事なきを得ていた。
「すまない。怪我はないか?」
随分と高い所から声が聞こえていた。体勢を直し向き直ると、190cmを超える白髪の偉丈夫がいた。素直な口から、おっきい、と声が漏れていた。
「こら響!」
「ご、ごめんなさい! はしゃぎ過ぎてて……」
曲がり角をよく見ないで対向者とぶつかる、と言う改めて自覚すると小学生のような失敗を仕出かしている事に流石に羞恥を覚えた。
「いや、こちらこそすまなかった。この体格なのだからこちらが注意して然るべきであったのだ」
そう言って深々と頭を下げる白髪の男性。自分に非があると思っている響は、慌ててそれを止めさせようと謝罪を重ねる。そのまま謝罪合戦が始まるかと思いきや、
「分かった。君の謝罪を受け取る。君も私の謝罪を受けてくれ」
の言葉で一件落着となった。
しかし元来の性格からか、何か手伝える事はないかと視線を巡らせていた。すると、男性が地図を持っている事に気付く。天啓を得たと言わんばかりの勢いで食い付く響。
「迷ってるんですか?!」
逸る気持ちに突き動かされるようにズズイ、と詰め寄る響。慌てて未來が窘めるが、響も譲る気はないようだった。男は少し困惑したような表情をしたが、響の気持ちを汲み取り、案内を頼む事にした。謝礼のために相手に気を遣わせてしまうと言う本末転倒に、未来が恐縮する事になってしまう。
「この会場に行きたいのだが、ここに来るのは初めてでね」
「!! お兄さんもツヴァイウィングのライブに行くんですか?!」
思わぬ共通点にテンションが上がってしまう響。案内の事を早くも忘れたかのようにマシンガントークを展開するが、男は特に咎める事なく相槌を打ちながら足を進める事で自然に促した。典型的なシングルタスクな幼馴染の姿に思わずため息を吐いてしまう。しかも男の足取りから、迷っていない事も分かり、ますます恐縮する未来。
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一歩引いて歩いている未来は、男に不思議な雰囲気を感じていた。外見からすると年齢は20代半ばなのだろうが、話し方や佇まいが老成されているように感じられた。相槌や質問のタイミングが上手く、元々人懐っこい性格の響だが、それを抜きにしても打ち解けるまでが早かった。
未来自身、初めて会う男性であるにも拘らず、こう言う人が身近にいたら何かと頼りにしてただろうなと考えていた。
そうこうしている内に会場に到着した。既に設営は終わっており、警備員が配置されていた。
「ありがとう。案内だけでなく、知らない話が聞けて楽しかった」
「いえいえこっちこそ、楽しくお話しできて嬉しかったです。あ、そう言えば名前聞いてませんでした。わたし立花響って言います。こっちは親友の小日向未来」
臆面もなく親友と言い切れる所に、彼女たる所以がある。
「私は……ノアと言う。ノア・アルトゥル」
「よろしくお願いします!」
名前を交換し合った事で、本人の中では友人と見做される。その友人が同好の士であった事と、一足早く会場へ足を運んだ事で、沈静化しかけていたテンションが再び急上昇。規制線ギリギリの所まで駆け足で向かってしまう。
「ノアさん、あのすみませんでした。響の我儘に付き合わせちゃって」
「構わない。お陰で退屈なはずの道中が楽しく過ごせたのだ」
そう言って静かな笑みを向けるノア。その表情から、お為ごかしで言った訳ではないと分かる。
広い街での偶然の出会い。一期一会で済ますには惜しいと感じた。ライブで偶然を期待するには、観客が多過ぎる。連絡先を聞き出すには、勇気が足りなかった。結局家の近くまで送ってもらった時にも聞き出せず、少し後悔する事となった。
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その日は響にとって、忘れられない1日になるはずだった。
赤と青に彩られた両翼が、その小さな体躯からは想像できない圧巻の声量とパフォーマンスで、会場を席巻していた。未来がいない事で不安を抱いていたが、そんなものはあっと言う間に吹き飛び、只々魅了されていた。少しでも未来にこの感動を伝えようと、目を皿のようにしてステージを見続けた。
それが全て破壊されている。突如発生した爆発、そこから出現した大量のノイズ。歓声と歌声に包まれていた天国は、悲鳴と断末魔に支配された地獄と化した。
人が灰になる。そこに確かにいたはずの人が風に散らされる。何も残らない。肌に触れても擦れば消えてしまう。そのあまりに現実離れした光景は、自身を客観視できるほどに意識を乖離させていく。避難しなければ、と言う思考は全く湧かなかった。
突然の破砕音が意識を覚醒させる。発生源を確認するよりも早く、頭上を何かが疾った。三日月のような形を何か。
「綺麗……」
次々と飛来するそれは、人を襲わんとするノイズに、まるで吸い込まれるように直撃する。何故助かったのか分からずとも、九死に一生を得たのだと理解し、脇目も振らずに逃げていく観客。
それを見て、自分も逃げなければ、と遅まきながらも危機感を抱く響。しかしやはり遅過ぎた。観客席内部に出現したノイズが彼女の足元を破壊。ノイズと装者が鎬を削る戦場へと落ちていく。
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出現したノイズは明らかに従来のモノと異なっていた。タイプ毎に分かれていた色は全て赤と黒になり、何よりその強さが段違いであった。大型は疎か、小型でさえ一撃で滅する事ができずにいた。
「くそ、何なんだこいつら!」
時限式と言うハンデを背負う奏にとって、1体1体に手間取る事は死に繋がる。刻一刻とリミットが迫っている事が分かる。その焦りが動きに出たのか、撃ち漏らしからの体当たりをまともに受ける。その上場所が悪かった。鳩尾。呼吸が止まる。それは即ち動きが止まる事であり、戦場に於いてそれは致命的な隙であった。
強襲型の攻撃が迫っている。硬直が解けず、防御姿勢を取る事さえできず、できる事は目は閉じまいと意地を通す事と、死なない事を祈るだけ。
直撃。全身がバラバラになったのかと感じる程の衝撃。地面を何度も弾み、瓦礫に身を強かに打ち付け、ようやく止まる。
「ぶはっ……」
吐瀉物に血が混じっている。ガングニールの至る所に亀裂が入り、シルエットが変わる程に欠損していた。
何とか立ち上がろうとする奏の手に、液体が触れた。それを認識した途端、濃い臭いが鼻をついた。
「お、おい! しっかりしろ!」
胸から夥しい量の血を流している少女がいた。素人目にもすぐにでも治療しなければならないと分かる。そのためには状況を終了させなければならない。だが体が動かなかった。ギアがあった事で骨折こそしていないものの、重度の全身打撲により手足が麻痺していた。
勿体ぶるように、絶望をより深くするようにノイズの大群は緩慢に距離を詰めている。
「くそ、動け! ここで動けなくて何が装者だ! 何がシンフォギアだ! 動け、動けえぇぇ!」
石突きを地面に叩き付け、その反動で上体だけを持ち上げた。その動きが内臓の損傷を悪化させる。口腔と鼻腔から血を垂らしながら、渾身の力を以って槍を投擲。平時と比べるべくもない程に弱々しい一撃が、しかし強襲型を打ち砕く。
だがそれだけ。たったの1体と引き換えに、彼女は力を使い果たした。辛うじて手を付けたが、最早体を起こす事もできない。霞む視界の最奥で翼が孤軍奮闘している。どうにか合流しようとしているようだが、強化されているノイズに手古摺っているのが見える。合流は期待できそうにない。
この少女を救うために残された手段は1つしかない。『絶唱』。しかし適合率の低い彼女が行うには己の命を引き換えにするしかない。
躊躇も恐怖もある。復讐に支配されていたかつての自分であればそんな思いを抱かなかっただろう。それが変わったのはいつからだろうか。翼と出会った時か。歌で誰かを救えると分かった時だろうか。
もっと翼と共にいたい。もっと歌いたい。もっと生きていたい。
次々と生まれる未練が涙となる。
「いつか、心と体を空っぽにして、思いっきり歌いたかったな」
その呟きに応える者はいない。いないはずであった。
──ならば諦めてはならない!
「え……?」
光が降り注いだ。
大量の砂塵に一瞬目を塞がれる。開くと、そこには何もなかった。数えるのも億劫になる程にいたはずのノイズは、一体もいなくなっていた。
呆然とする奏に、突然声が掛けられた。
「酷く消耗しているな」
男の声。場違いなほどに落ち着いたその声の主が、先の攻撃を行ったのだと容易に想像できた。
正面に回り込んで来たその男が膝を付き、視線を合わせた。白髪が目を引くが、それよりも前腕部を覆う銀色の何かがより目を引く。そして奏の反応を待たず、肩に触れた。
何を、と言おうとして、触れられている箇所から暖かな波が広がっていく感覚に口を閉ざしてしまう。その暖かさが、LiNKERの反動とノイズの攻撃により深刻なダメージを負っていた体を癒しているのだと分かる。
「あ、アンタ何者だ……」
「ノア・アルトゥル。ただの宇宙人だ」
前腕部の物体の側面にあるエッジに暖色のエネルギーが充填される。音が聞こえる程の高密度のエネルギー。更に両腕を水平に重ね1つにする事でその威力はより強大なものになる。
背後にいる奏に熱量さえ感じさせる程に高められ、臨界を迎えているエネルギーが今解き放たれた。
目で追う事が敵わなかった。余りに静かで、ともすれば消えてしまったのではと錯覚する。しかし実際に消えたのはその先にいたはずのノイズの大群。余りに静か過ぎる決着であった。
「翼は!?」
「案ずるな。きちんと伝えてある」
指し示された方に呆然とした翼が立っていた。
強化されたノイズ、決死の覚悟、その覚悟をあっさりと撤回させた謎の男。その全てが目の前で瞬く間に通り過ぎていった。翼を見た途端、それらからの精神的な負担が彼女にどっと襲い掛かってきた。酷い虚脱感に抗う事ができない。瞼に塞がれて行く視界に、走り寄ってくる翼がボヤけて見えた。