「胎児の夢の観測者」「アイデンティティの消失者」こいしちゃんと「無名の存在」「憎しみの純化せしもの」純狐さん。二人はどこか同類のような気がするよね、という話です。

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こいしちゃんと純狐さんの奇妙な類似性について

 夢の世界のその更に下。自他の境界の曖昧な場所。無意識領域のその中で、私はそれを目にしていた。

「……綺麗」

 思わず言葉が漏れる。私はその光に目を奪われていた。心すらも奪われていたのかもしれない。

 それはもうすぐ終幕であると思われた。生い茂る緑の蔦らしきものものが、黒くその形を崩していた。美しくも残酷な白色の光が、一帯を照らし尽くしていた。

 

 

 その日、私は、古明地こいしは。

 

 ――「胎児の夢」を、目撃した。

 

 

 

 

 

 

 彼女と目が合ったのは偶然だった。偶然里ですれ違ったところでやけに清浄すぎる空気を肌に感じて、振り返ったところで目が合った。後で尋ねたところによると、彼女は薔薇の香りに思わず振り返ったらしかった。どちらもまともな人間の目には留まらぬような存在だったから、誰も私達に一瞥をくれるようなことはなかった。たぶん傍から見るならばとても絵になったのだろうなと思う。

 

「不思議な程に純粋な方ですね」

 先にぽつりと言葉を漏らしたのは、彼女の方だった。その瞳が真直ぐに私を捉えていたように見えて、思わず私は声をかけた。

「私のことが見えるの?」

「……私もそう尋ねようとしたところです」

 変わったこともあるなと思って、それが彼女との出会いだった。彼女は名前を純狐といった。

 

 

 

 私を指して純粋と呼ぶのは奇妙なことだと私は思う。私は継ぎ接ぎだ。サトリであってサトリでない。子供であって子供でない。存在しないようで存在する。一貫した存在理由のない私が、純粋であるとは、私にはあまり思えない。

「いえ、貴方は純粋ですよ」

 彼女は尚もそう言って譲ることがなかった。

「あらゆる生命は死の香りを身に纏うものですが、貴方にはそれがありません」

「どういうこと?」

「死の香りをその身に溜め込むと、何処かの時点で限界が来ます。それでなくとも大抵の者は死を純化すれば死ぬのですが、死の香りをまるで持たない貴方は、その純化する香りがない」

 奇妙なことです、と言って彼女は私のことをじっと見つめた。

「死を、純化する?」

 私は困惑していた。初めて聞くような理論体系を前に、理解が追い付いていなかった。鸚鵡返しに声を漏らすと、ああと彼女は付け加えた。

「私はそういう能力を持つのですよ。純化する程度の能力。例えば」

 そう言って彼女は道端の花を掌で包み込んで見せた。一拍の後にその手を開くと、

「……石桜」

「ええ。これは生命力を純化したものです」

 私の驚いた様子を見たのか薄く微笑んだ彼女は、けれど再び真剣な顔で私を見つめて問い直した。

「それで……死の香りに満ちたこの地上で、尚も穢れを持たぬ貴方は、いったい何者なのですか」

「と言われても」

 私もいまいちよく分からない。自分がそこまで特殊だとは知らなかったし、なにより彼女の言葉を理解できているのかも怪しかった。

 首を捻りつつも、とりあえず、と袖から妖弾を放って宙に浮かべてみる。

「ハート形?」

「うん、私の能力は精神寄りだから。無意識を操って、見えなくなれたり、ひとの手を滑らせたり、反射行動を組み替えられたり、……後は、精神世界に潜り込んだりもできるかな」

「そうでしたか」

 ふむ、と彼女も首を捻った。何か気になることでもあるのかと思ったが、心当たりはまるでなかった。

「どうかしら、原因になりそうなものはある?」

「どうでしょうか。少なくとも、目に見えて分かりそうにはありませんね」

「そっかー」

 心なしか、彼女の視線が優しくなった気がした。

 

 

 

 それから、私たちはお互いの身の上を語り合った。彼女が特に興味を示したのは旧都の話だった。

「旧都、ですか」

「うん。もとは地獄だったんだけど、昔に切り捨てられたって聞くわ。まあでも私が住み着いたのはそれよりずっと後だけど」

「なるほど……私にも地獄に住む友人がいるのですが、旧都という名は聞いたことがありませんね」

「まあ、地獄っていっても広いしね。それに、あそこがよその地獄からどういう名前で呼ばれてるのかも分かんないし」

「今度会う時に、尋ねてみることにしましょう」

「それがいいんじゃないかな」

 交友半径が広いのか狭いのか、よく分からないひとだな、と思う。私のことが見えるの、なんて言う輩が、交友関係を広く築けるとは思えないのだけど。いや、でも当の私だってフランちゃんに命蓮寺に、と考えてみれば案外交流の輪は広い気がしなくもない。きっとそんなものなのだろう。

 逆に、彼女は何処に住んでいるのだろう。そう疑問に思って尋ねると、仙界、という言葉が返ってきた。

「なにそれ」

「さて、改めて問われると難しいのですが……」そう言って彼女は首を傾げる。「ある種の、結界のようなものです」

「……? でも、結界ならどこかに張ってあるものよね。どこに張ってるの?」

「さて、何処に、なのでしょうか。術で出入りしていますから、外とは完全に断絶させてありますし。それに随分昔から使っていますから、もうすっかり忘れてしまいました」

「ふーん……どんなところなのかしら」

「大した場所ではありませんよ。上下もなく、天地もなく、ただ見渡す限りに何もない空間が広がっているだけです」

 聞く限りでは本当に、大したこともなさそうな場所だ、と思った。思わず呆れた声が漏れる。

「なんでそんな場所にいるの……?」

「これが案外、心地良いのですよ。恐らく、私がまっさらに純粋なものですから、何処か親和性があるのでしょう」

「親和性……」

 ふ、と、その言葉が引っかかった。糸を手繰るように記憶を引き寄せて、ああ、と手を叩く。

「どうかしましたか」

「いえ、ちょっと思い出したのよ。そういえば、私も似たような場所を知ってるなって」

「似たような場所ですか」

 首を傾げて見せた彼女に、ねえ、と言って私は問うた。

「無意識領域って、知ってる?」

 

 

 

 現実世界から落下して、夢の世界に辿り着く。夢の世界の奥へ奥へと潜り落ちつつ進んで行くと、夢の果てまで辿り着く。夢の果てから更に潜れば、そこは自他境界のない世界。深層無意識領域だ。

 ……普段はこんな遠回りはしない。一気に落ちれば私ならすぐに辿り着く。それをしないで正規の道を辿ったのは、彼女に負荷がかかりすぎないようにという配慮からだ。

 彼女に生の無意識領域を見せるか否かということについては、かなりの時間悩まされた。彼女はそんなものに呑まれるほどには弱くない、と豪語して、実際見せてもらった妖力は私どころか鬼に比べても桁の外れてるほどだった。けれどあの場所に耐えられるか否かは別の話だった。少なくとも私以外で耐えられたものはいなかった。鬼も、獏も、覚も、すぐに耐え切れず倒れ伏す。あそこはそういう場所だった。

 結局私の方が折れて、数秒限りで見せることにした。たった数秒で満足するかは疑わしいと思っていたが、終えた彼女の様子を見るに、十分楽しめはしたらしい。

「実に、不思議な空間でした」

 そう、彼女はあの場所のことを評した。

「存在と不在、有色と無色、有限と無限、それに自己と他者。あらゆるものが在る無しの狭間で揺らいでいるような場所でしたね」

「楽しめたなら良かったわ。身体は大丈夫?」

「今はもう問題ないのですが、なるほど、長時間いると私でも危ないかもしれませんね」

「だよねー」

 一人頷く。無意識領域では自他の区別が曖昧になる。私のような特殊例でもない限り自己を保てず崩壊してしまうだろう。そしてそれは、妖力の強さとはあまり関係がない。

「常にあの様子なのですか」

 そう問う彼女に私は曖昧に頷いた。

「まあ、普段はあんな感じだね」

「普段は」

「うん。たまにね、ちょっと変わった様子になるの。私はそれを、胎児の夢、って呼んでるんだけど」

 言った瞬間、彼女の瞳がいやに鋭さを増した。どうしたの、と問うてみても、いまいち彼女は要領を得ない。

「それは、いつ頃に来れば見ることができるのですか」

「や、流石にそれは分かんないかな。私もここのことなら全部知ってるーってわけじゃないし。というか、そこそこかかる現象だから、先に身体が耐えられなくなると思う」

「そうでしたか……」

「どうしたの? やけに気になってるように見えるんだけど……なにか縁でもあったのかしら」

「或いは、そうなのかもしれません。……昔のことは覚えていないのです。自身のことまで純化して、記憶までもを削ぎ落としてしまったものですから」

「そっか」

 残酷な話だ、と思った。

 自身が変質していく感覚は、私も身に覚えがある。耐えることこそできたのだが、次また体験したいとは流石に思えないものだった。

 けれど、記憶すらなくして自己を変質させるというのは、どれほど恐ろしいことか。私が未だに古明地こいしで在れるのは、覚だった頃の記憶があればこそだ。それさえ失くしてしまった彼女は、どうしてそれに耐え得ることができたのだろう。そもそも耐えられたのだろうか。

「……ねえ。本物は見せられないけどさ、偽物なら見せられる、って言ったら、どうする?」

 私の言葉に、彼女はばっと顔を上げた。

「良いのですか」

「うん。というか、元から見せようとは思ってたし」

 立ち上がって、すっと距離を取る。彼女のことだ。少しぐらいの被弾があっても気にすることはないだろうが、意識が散らされてしまうのは私としては本意ではなかった。

「穢れが……」

 私がスペルカードを構えたところで、彼女はぽつりと呟いた。何かと首を傾げたものの、尋ねるのは後でもできると思い直して、私はスペルカードを構え直した。

 

 

 

 

 

 

「――――「胎児の夢」」

 

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 弾幕を終えて地に降り立つと、彼女は涙を流していた。

「どうしたの?」

「よく、分からないのです」

 私の問いに、彼女は涙を拭うこともなく、困惑するように首を傾げた。

「貴方の弾幕を見た瞬間から、何故だか懐かしさと悲しさが溢れて止まらないのです」

 私は首を傾げた。胎児の夢は、そういうものではなかった筈だが、と。

「ねえ、貴方……」

「……伯封」

 ぽつり、と呟かれた言葉に、私は思わず動きを止めた。

 はくほう、という単語に聞き覚えがあったわけではない。けれど、その言葉に乗せられた感情が、嘆きである、ということだけは朧げながら理解できてしまったのだ。

「……どうしたのですか?」

 またも首を傾げる彼女に、私は思わず問いかけた。

「今、口走ったのは、なに?」

「なんのことでしょうか」

「いや、今、はくほうって」

「はくほう。誰かの名前ですか?」

 ああ、と私は思わず呻いた。そういうことか、と。

「……や、何でもないや」

 奇妙なものでも見るような彼女の視線を誤魔化した。

 恐らくあの言葉は、彼女の失われた過去に関わる言葉なのだろう。それも、嘆くように紡がれたということは、失われたものか、ひとか、或いは場所か。

 どちらにしろ、たぶん、思い出しても不幸になるだけだ。あれはきっと、悲しみから逃れるために削り取られた記憶なのだ。偶然忘れたのではない、己で忘れんとしたのだ。私にはそれが、何となく想像できた。だから、これはこれ以上、掘り下げるべきではないことだ。

 

 

 

 暫く待つと、彼女の涙もどうやら途切れたようだった。「心配させてしまいましたね」と言った彼女に、気にしてないと手を振った。

「忘れていましたが、貴方が死の香りを持たない理由が分かりましたよ」と彼女は言った。

「どうしてだったの?」

「先の弾幕の中で、貴方は繰り返し、死に至る程の死の香りを纏っては、その全てを妖弾へと注ぎ込んでいました」

「え、そんなことしてたんだ」

「ええ、恐らく自覚はないと思っていました。恐らく、別の何かを流し込む過程で吸われていったのでしょう」

 へえ、と私は声を漏らした。よく分からないが、不思議なこともあるものだ、と。

「ともかく……貴方のそれは一過性のものではないということです。穢れを溜め込み過ぎた者には私のことは見えないのですが、貴方ならそのようなことは起こり得ないでしょう」

 そう言った彼女は、何処か嬉しそうな様子だった。

「つまり?」

「きっと、そのうちに再び貴方と会うことはあるでしょう、ということです」

 促すと、そのようなことを彼女は言った。

 

 

 それは、とても素敵なことだな、と私は思った。



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