記憶喪失になったけど実質ノーダメ   作:難民180301

3 / 3
家族

 マフマフとは退院を機にめっきり顔を合わせなくなった。といっても別に病室でのやりとりが愛の告白っぽくて気恥ずかしくなったわけでもなく、マフマフの高校生活が原因だ。

 

 ダスク騒動を経て過去を吹っ切ったマフマフは復学を決めたものの、半年前の戦い以来ずっと不登校だったため留年確定。しかし事情が事情だからとパラダイム機関の人たちが気を利かせ、学期末の進級試験に合格すれば留年は免れることになった。今頃は缶詰になって試験勉強に励んでいるだろう。まさかマフマフが私のいっこ上だったとは、知ったときは唖然とした。

 

 そうして私とすずねの二人暮しが再開し、ダスクの発生予想も悪の組織も刺客もいない平和な日常が戻ってくる。すずねやヨミは冬休み前の期末テストが近いため、魔法少女の活動よりも最近は勉強の方が忙しそうだ。私もマフマフを見習って復学してもいいのだけど、前世の名残なのか、なんとなく学校は面倒で窮屈な場所との印象があるので敬遠。最低限の家事とムラムラをこなすだけの怠惰な毎日が始まろうかという矢先──

 

「なんで……そんなこと言うの……?」

 

 すずねが病んだ。

 

 もっとも気の緩む夕食の席、何気ない調子で私の新しい決意を告げるなり、すずねの目からすうっと光が消え、感情が抜け落ちる。さらにはまばゆい光と共に例のえっちな魔法少女姿へと変身する始末だ。

 

「立派なニートになるって言ったのに……あれはウソだったの?」

「……ごめんなさい」

「謝ってほしいんじゃない、なんでって聞いたの。なんで──」

 

 記憶を取り戻すなんて言うの? と。すずねは暗い瞳のまま言った。

 

 前回のダスク騒動を経て私は改めて決意した。記憶と力をすべて取り戻す。前世含め前科が多いせいか、すずねはやっぱり反対のようだ。装束の羽衣部分がいつ発光して私を『束縛』するか分からない。ここで間違った返答をすれば生涯『束縛』され続けるかもしれない。

 

 だけどもしそうなったとしても意志は変わらないし、当然の報いだ。言葉は飾らずそのままの思いを、真っ向からぶつける。

 

「筋を通すためよ」

 

 過去には興味ない。昨日何があったとしても、今日を楽しく明日へ進むのが私の生き方だ。このためにまず通すべき筋があり、それは記憶なくして叶わない。

 

『私だって嬉しくなかった!』

 

 血を吐くようなマフマフの絶叫が脳裏をよぎる。あのときのマフマフのように、私はよかれと思った行動でたくさんの女の子を助けたつもりで、深く傷つけてきたのだろう。同時にヨミの言葉も理解し、前世の罪を痛感した。気づいてしまった以上見て見ぬふりはできない。やらかしたことと向き合わなければいけない。

 

 すずねやヨミ、マフマフは私に良くしてくれる。ちやほやしてくれる。それは前世の私が成し遂げたことがあるからこそだ。でもその裏返し、成し遂げたことの裏にやらかしたこともあると知ってしまった。ならば清濁両方を受け入れ、背負う。じゃなきゃ筋が通らないし、胸を張って今日楽しかった、明日も楽しみだって言えないもの。

 

 だから絶対に記憶と力を取り戻す、と。決意を告げたとき、すずねは難しそうに視線を落としてから、諦めたように笑った。

 

「お姉ちゃんはいつもそう」

 

 その笑顔には諦念と同時に嬉しさもあって、瞳はどこか熱っぽかった。

 

「えっちですけべで変態なシスコンなのに」

「おい」

「呆れるくらいまっすぐで誠実なの。そういうところが大好き」

 

 すずねは嬉しいような寂しいような、複雑そうに笑った。

 

「前までのお姉ちゃんなら、取り戻すって決めた時点でまた勝手に無茶してた。相談してくれたってことは、きっと本当に反省してるんだね」

「ええ」

「分かった。それなら」

 

 信じてるから。すずねは私の手を取って、決意を後押ししてくれた。ぶっちゃけよけいな罵倒のせいで体感プラマイゼロだけど、良かった。何をされても意志は曲げないつもりだったとはいえ、物理的に束縛されたら妹に体を開発される姉のプレイがまた始まるところだった。

 

 内心でほっと胸を撫でおろしていると、すずねはもじもじしながら顔を赤らめて、

 

「でもやっぱり、またいなくなっちゃうんじゃないかって不安だから……」

「うん?」

「寝るときは毎晩、束縛させてほしいの。ダメ、かな?」

「……いい、わよ?」

 

 良くない。この後どうにか言いくるめて週一に抑えてもらった。さすがに毎晩エッチな動画サイトのSM系動画出演者みたいな恰好にさせられるのは辛い。思い出すどころか逆に何か忘れそう。

 

 前回はダスクを討伐するまでと期限つきだったので、今回は魔法少女の力を取り戻すまでと条件をつけ、すずねのわがままを受け入れた。すずねいわく、私が力を完全に取り戻せば束縛の力含むデバフ効果が完全無効化されるとのこと。妹に体を開発されきってしまう前に、早く力を取り戻さなきゃ。

 

 割と切実な危機感を覚えつつまず頼ったのは、津久見探偵事務所の頼れる後輩、ヨミだった。

 

 パラダイム機関所属の魔法少女、ランク29の《アーカイブ》であるヨミはすべての魔法少女の任務を記録している。実際半年前の戦いの映像を見せてもらうと初めて映像の中の自分に当事者意識を持つことができ、記憶の一部が回復するに至った。同じ要領でヨミの所有する記録映像を多数見せてもらえば、少しずつ記憶が戻っていくかもしれない。

 

「先輩、よく来たっすね!」

「……疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

「はいっ、シィさんの火消しなんてもう慣れたもんっす!」

 

 そんなこんなで事務所を訪れてみると、ヨミは上機嫌に笑って中へ入れてくれる。目の下にクマが出来てるあたり仕事が忙しいのだろう。出直すべきかと一瞬考えたものの、応接用のソファに隣り合って座らされ、お茶まで出てきたら帰りにくい。機嫌良いみたいだし言うだけ言っちゃえ。

 

 ニコニコ顔のヨミだったが、私の決意を聞けば聞くほど表情が固くなる。しまいにはきれいなおでこにピキリと青筋を浮かべ、

 

「お断りっす」

 

 と、にべもなく拒絶の意を示した。

 

「うまい棒一年分でどう?」

「対価の問題じゃないっす。先輩の頼みなら基本何でもタダで請け負う覚悟っす」

 

 じゃあなんでと聞こうとしたところ、言葉に詰まる。かわいらしいジト目、尖らせた口とふくらんだほっぺた。腕を組んでふんぞり返ったその様は、どう見てもご機嫌斜めだ。

 

「もしかして怒ってる?」

「当たり前です! 先輩、つい最近似たようなことボクに頼みましたよね! その結果どうなりました?」

「流血沙汰」

「ですよねぇ! ここで問題、目の前で割腹見せつけられたボクはどんな気持ちだったと思います?」

「介錯仕る?」

「なんでトドメ刺そうとしてるっすか! 後悔と自責の念っすよ普通そうでしょう!?」

 

 うがーっと立ち上がり気炎を上げるヨミ。いやでも、目の前で腹を切るくらい思いつめてる人がいたら楽にしてあげようって考えない? 考えないのかな。

 

 言い訳がましい反論を考えてるうちにヨミは私の手を引き、事務所の外までぐいぐい押しやる。

 

「あんなことしておいてまた同じこと頼みにくるその神経にボクは、ボクは──」

「分かった、プンスコぷんぷん左衛門!」

「ドハツテン・ツキノスケですっ!」

「さらに上があったか……!」

 

 ツキノスケと化したヨミは猛然と私を締め出して扉を乱暴に閉める。頼み方を間違えてしまったらしい。過去の戦闘記録は記憶を探るにあたり一番有力視していた方法だけに、出鼻をくじかれた形だ。

 

 けれど急いてはことをしそんじるのは体験済みだ。すずねの笑顔を守るために焦った結果刃傷沙汰に及んでしまった。同じ失敗を繰り返さないためにも、長い目でじっくり取り組んでいけばいい。

 

 後から考えるとこのときの私は悠長だった。

 

 置いてきた過去がひとりでに走り出しどんな結果に至ったものか、すずねとマフマフの件で痛感したはずなのに。あるいはその経験の痛みが新しい過去として私を縛っていたのだろうか。取り戻すと決意したその時点で、私はどうしようもなく遅れをとっていた。

 

 その報いを痛烈に思い知らされることになるとは、まだ知るよしもなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 レディースマンションの一室、広々としたリビング。お風呂と歯磨きを済ませ後は寝るだけの時間、私とすずねはソファで互いの髪に櫛を通していた。つけっぱなしのテレビが音声を垂れ流す中、シーリングライトの優しい光がすずねのふわふわした栗毛を優しく照らしている。櫛を通してやるとくせのある毛先がかわいらしく跳ねっ返り、すずねは気持ちよさげに私の方へ体を預けてくる。

 

『速報です。本日午後四時頃、麻風市麻風駅前の路上で、赤い結晶のようなものに覆われ倒れている男女が複数名発見されました。男女は病院に搬送され命に別状はないとのことですが、県警は今年春の変死事件との関連性を視野に入れ捜査を──』

「うるさーい」

「あっ、気になってたのに」

「どうでもいいじゃない」

 

 テレビが消灯した。すずねがリモコンをソファに放り出す。私の気が逸れたのを感じ取ったのだろう。麻風駅前というと近所だから気になるんだけどな。

 

「それよりお姉ちゃんの話。まだまだたくさんあるよ」

 

 すずねはテレビの話題など心底どうでもよさそうに、前世の私のエピソードを話し始めた。記憶を取り戻すと相談したその日から前世のことを毎晩教えてくれるようになったのだ。古傷をまた抉るのは論外として、ヨミの記録を頼れない今は唯一の過去への手がかりだ。ありがたく聞かせてもらう。

 

 手始めに語られたのは私が中一の頃の話。私は顔面に秀でていることと誰にでも話しかけていく性格が相まって、何度か男に告白された経験があるらしい。そのたびにこう言って断っていたそうだ。

 

『ごめんっ、まず性転換お願いできる?』

「ひでえ」

 

 聞かなきゃよかった。

 

 次に、すずねが同い年の友達を二人家に連れてきたときの話。できるお姉ちゃんアピールをするためお菓子とお茶を運んだ私は、このきれいな顔面の人誰? と色めき立つ友達ちゃんたちにかく言ってみせた。

 

『すずねとは産道を同じくする仲よ』

「おいコラ私ィ!」

「あの時のドヤ顔と変な空気は忘れられないなぁ……」

 

 私は忘れてるけど、当時の思惑は推測できる。たぶんすずねと仲の良さそうな友達ちゃんらに嫉妬して、お姉ちゃんはもっと仲良しなのよと言外のマウントを試みたのだろう。すずねと同世代の子たちに意味が通じたとは思えないけど。

 

 その後も出るわ出るわ私の淑女エピソード。女の子同士なのでセーフなどと供述しつつ犯行を繰り返すセクハラクイーンだったとか、過剰なスキンシップでそっちの趣味に目覚めた女の子たちが『逆襲して分からせ隊』という不穏な秘密結社を立ち上げていたとか、それに構わず私は気の合う魔法少女仲間とこれまた怪しい組織を設立してたとか。もしかして前世の私は永遠にどっか行ってたほうが世のため人のためになるのではなかろうか。

 

「で、でも本当に嫌がる子には指一本触らなかったし……あっ、それと約束は絶対守る人だった!」

「すずね、フォローありがとうね……」

「本当だってば!」

 

 さもいいアイデアみたいに言うすずねだけど、約束を守るなんて当たり前のことじゃない。淑女どころか人として当然だ。映画版ジャイアン理論で美点のように聞こえても慰めにはならない。

 

 すずねは体ごと振り返って私の目をのぞきこむ。

 

「すっごく小さな口約束でも覚えてるし、できない約束はどんな時でもしなかったし──」

 

 パキパキ。

 

 すずねの言葉を遮るように不可思議な音が鳴る。何かに亀裂が入ったような硬質なそれは、氷が凝結した音を連想させた。

 

 すずねの体を抱き寄せ周囲を見回すと、おかしい。シーリングライトの光が風前の灯火のごとく明滅している。カーテンが揺れているが、ベランダへの引き戸は固く閉ざされて風の入る隙間もない。空気が張り詰め、血の気が引くのを感じる。

 

 明暗が目まぐるしく切り替わる中で、テレビのスイッチが勝手に入る。しかし映りだすのはどこかの番組ではなく、砂嵐だった。ざー、と大きな異音が室内を満たす。

 

 何かが来る。

 

「お姉ちゃ──」

「静かに、じっとしてなさい!」

 

 すずねを隠すように抱きしめ精一杯警戒を高める。

 

 考えてみればダスクや魔法少女が存在する世界に、おばけの類が実在してもおかしくはない。それにしたって前兆が不足している気がするけれど、なんにせよすずねだけは守る。

 

 やがて明かりがブツリと途切れ、闇の中に歪んだ砂嵐だけが煌々と浮かび上がった。超常的な状況なのに思考は冷たく、鼓動は先程よりも穏やかで、逆にすずねの破裂するほど高まる鼓動が感じられる。現役時代の名残だろうか。

 

 唐突にテレビが消え、室内は完全な闇に落ちる。奇妙な音も止んだが気配がある。私とすずね以外の何かが室内に忍んでいるのだ。

 

 ほどなく照明が復活し、リビングが明るく照らされた。ベランダは依然固く閉ざされていて、ソファ、テレビ、食卓、システムキッチン、見る限りどこにも異常はない。しかし奇妙な気配だけは変わらず感じる。

 

「あっ……」

 

 私が立ち上がるとすずねが名残惜しげに声を上げる。思わずもう一度抱きしめたくなるけどそれどころじゃない。気配がもっとも強く感じられる、カーテンの裏手へと距離を詰めていく。

 

 一歩、二歩。

 

 薄い布地に手をかけ、一息にめくりあげるとそこには──

 

「……気のせいだったのね」

 

 何もなかった。

 

 どうやら雰囲気にあてられてあらぬ妄想をしていたらしい。天井の灯りは古くなっていただけ。テレビがついたのはさっきすずねの放り投げたリモコンが変な風に着地したせい。カーテンが揺れていたのは暖房の風だろう。

 

 まったく真剣に現役時代の名残なんて考えていたのが恥ずかしい。そもそも本当に危ないならすずねが変身しているだろうし、私もまずあの双刃薙刀を出すべきだった。

 

 自分に呆れ、ため息と共に振り返る。

 

「縺頑ッ阪&繧薙?√d縺上◎縺」

 

 赤い瞳と目が合った。

 

 顔のほとんどを覆い隠す艷やかな黒髪の下に、凝結した血を思わせる瞳が輝いている。桜色の唇は奇怪な音を発したきり閉じられ、無表情へと収束した。

 

 見覚えのある幼女だ。

 

「ふにゃあ!?」

 

 シィちゃんだ、と理解したのは反射的にのけぞって引き戸のガラスに頭を打ち付けた後だった。視界に星が飛び散り後頭部に鈍痛が走る。痛い。頭を打って記憶が戻ることもない。驚き損だ。

 

「……!?(頭を抑えてうずくまる私の顔を覗き込みつつ紅葉みたいな手を所在なさげにわちゃわちゃさせている)」

「だ、大丈夫よ。びっくりしただけ」

 

 ボディランゲージで心配してくれるシィちゃんに苦笑を返す。

 

 すると後ろからすずねの手が伸び、シィちゃんの首根っこをつかんで私から引き離した。

 

「なーんーでーシィちゃんは普通に出てこないの! 毎回毎回クリーチャーみたいにして!」

「……!(お化けのように胸の前で両手を垂らし舌を出してみせてからすずねを指差す)」

「仕返しぃ? 最近は何もしてないでしょ!」

「……!(両腕をいっぱいに広げてからすずねを指差した後、片手の指でほんのちょびっとのジェスチャーをしつつ自分を指差す)」

「私がした分はこんなにたくさんなのにシィちゃんのやり返したぶんはたったこれだけ? そんなことないと思うな」

 

 すごく通じ合っている。なんだ、すずねがシィちゃんをからかってよくしばかれると聞いていたけど、仲良しじゃないの。

 

「仲良しじゃないもん!」

「……!(親指で首をかっきりサムズダウンしつつもう一方の手で中指を立てている)」

「うそぉ」

 

 息ぴったりに反目し合う二人。お姉ちゃん仲間はずれな気分。

 

 しばし無表情のシィちゃんと睨み合っていたすずねは、ふくれっ面のまま腕組み。シィちゃんも対抗心の現れなのか腕を組むが、組み方が変なせいでクロスアームブロックになってる。

 

「とりあえず変身解いて。落ち着かない」

 

 シィちゃんはいつか出くわしたときと同様、奇抜な恰好だった。前後合わせて尾の四つある奇形の燕尾服とミニサイズの山高帽。細い両の足には歪な蜘蛛の巣のようなダメージタイツが張り付き、裂け目からまぶしい白の肌が覗いていて、かかとから先の素足がむき出しになっている。

 

 たしかに落ち着かない。肌色面積が少ない分、見えてる素肌の箇所に視線が集まって、なんなら触ってみたい。タイツの裂け目から見えるむちむちした太ももとか膝とか触りたい。

 

「ほらぁー! お姉ちゃんがえっちな顔になってる! 早く変身解いてよぉ!」

 

 バレた。

 

 名残惜しいけど仕方ない。変身した魔法少女はいつでも能力を使うことができるため、抜身の刀や撃鉄を起こした銃に等しい。落ち着いて話をするには剣呑に過ぎるだろう。

 

 シィちゃんはきょとんと首をかしげてから小さくうなずき、体が赤黒い靄に包まれる。変身には光が伴うものかと思いきやシィちゃんは別口らしく、その靄はうごめく腐肉のように悍しく、てらてらと異質な光沢を放っている。

 

 ほどなく靄の消失したそこには。

 

「全裸は逆にエロくなーい」

「この前服あげたでしょおバカっ! お姉ちゃん見ちゃダメ!」

「衝撃の事実を教えてあげる。実はお姉ちゃん女の子なのよ」

 

 全裸の幼女がいた。ぺたんと女の子座りして、すずねと私の間に視線を行ったり来たりさせている。どうやら私の好みは一糸まとわぬ幼女ではないようで、パジャマの上に羽織っていた上着をシィちゃんにかぶせ、その間すずねは寝室のクローゼットを漁りに行って、一分と経たずサイズの合いそうなお下がりの部屋着を持ってきた。

 

「もー、もーっ! その調子じゃまだ住所不定なんでしょ! 機関に行きなさいってば全部お世話してくれるから!」

「……(ぶんぶん首を振って中指を立てる)」

 

 ぐちぐち言いながら丁寧に服を着せていくすずねを眺めていると、またもシィちゃんの赤い瞳と目が合う。砕けた結晶を思わせる歪な色彩をしている。しばらく見つめ合っていると、無表情の中に嬉しげな微笑みが刹那の間見えた気がした。

 

 無所属の魔法少女、《リーパー》。通称はシィちゃんでとても強い。マフマフとすずねはこれだけしか知らなかったけど、前世の私との関係やここに来た目的など、本人から聞けるかもしれない。

 

 あたたかそうなもこもこの部屋着をまとったシィちゃんは、すずねの手を離れ私の方へ近づいてくる。かと思うと、ソファに腰掛けていた私の太ももにちょんと腰を下ろした。対面する方向で、コアラみたいに。幼女の体温とぷにぷにしたお尻の感触。落ち着くんだ、私。すずねが怨嗟と嫉妬にまみれた形相になっている。落ち着くんだ。

 

「で、シィちゃん? 何か用があったんじゃないの?」

「……!(自分の小指をピースサインよろしくぴっと立てると私の手を取って小指同士を絡め合わせる)」

「約束? そんな、お姉ちゃん……っ!」

 

 すずねは慄然と肩を震わせ顔を青くして、

 

「裸の幼女をウチに呼びつけてイチャイチャする約束をしていたの……?」

「言い方ぁ!」

「……?(首をかしげる)」

 

 まずい、すずねに変なスイッチが入った。ただでさえシィちゃんとの対話は難しいのにすずねまで頼れなくなったらややこしい。口早にメモ帳と鉛筆を持ってくるようすずねに頼む。

 

 シィちゃんは口頭での発音ができない。見た目は流暢に話しているようだけど、声が空気ごと歪んでいるかのように奇天烈な異音と化してしまう。でも魔法少女専用のチャットルームでは普通に文字を使えていたから、筆記なら問題ないのだろう。

 

 すずねから紙と鉛筆を押し付けられたシィちゃんは、どうするの? と言いたげに私を見上げている。

 

「シィちゃんがここで何をしたいのか、何をしてほしいのか。書いてくれる?」

 

 大きくうなずきながら私の胸を机に書きなぐるシィちゃん。くすぐったい。

 

 やけに長い執筆期間の後、書き上がったものはというと。

 

『縺くらす、いっしょに頑ッ&縺』

「……!(歪んだ文字を上から塗りつぶすような筆圧で大きく書き足す)」

『やくそく』

「えっ」

 

 約束。私はこの子と一緒にくらす約束をしていた?

 

 すずねにアイコンタクトで確認してみると首を横に振られる。すずねも知らない約束を、私はシィちゃんと交わしていたのか。

 

 頭の中を必死で探すけどやっぱり前世の記憶はどこにもなくて。憶測と罪悪感で言葉がつまり、リビングに痛いほどの沈黙が落ちる。すずねも複雑そうに顔を伏せ思惑を巡らせている。

 

 その空気を不審に思ったのかシィちゃんが不安げに視線をさまよわせ出した頃、すずねは平坦に言った。

 

「シィちゃん。お姉ちゃんは記憶喪失なの。約束のことを忘れちゃったの」

「……!(ぶんぶん首を振って私の唇に人差し指をあて、もう一方の手で自分を指差す)」

「忘れてない。名前を覚えていてくれた、呼んでくれたから、って……」

 

 心臓が大きく脈打った。思わず息を呑み、唇を噛む。

 

 シィちゃんはあのチャットルームを使っていた。私が記憶喪失であることを知ったけどそれでも本当だとは思えなくて、直接確かめに来たんだ。でも私がチャットルームでのハンドルネームを呼んだことで、事実を捻じ曲げて受け取ってしまった。

 

 私はシィちゃんのことを覚えている、と。

 

「……!」

 

 ぐりぐりと私の胸に顔を押し付け、子猫のように目を細めるシィちゃん。まじりっけのない信頼と安心が伝わってくる。

 

「お姉ちゃん……」

 

 すずねの処置なしといった視線が痛い。

 

 やらかした。だってまさかネットのハンドルネームがそのまま名前だとは思わないじゃん。名前を呼ぶのがそんなに重要イベントは思わないじゃん。理不尽じゃんかさぁ。

 

 なんて見苦しい言い訳はマフマフも食わないから呑み込んで、決意。

 

「本気で記憶思い出ーす!」

 

 早く思い出さなきゃ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 本気で思い出すとは言ってもまた古傷を抉るわけにはいかない。その方法でたとえすべての記憶と力を取り戻したとしても、すずねの笑顔が曇るのでは意味がない。よって記憶を取り戻す穏便かつ早急な手段が必要になる。

 

 まず考えられるのは直接シィちゃんから思い出を語ってもらうことだった。

 

「こぉーらー! お風呂入りなさい髪整えなさいご飯残すなぁー!」

「……!(私を盾にしつつ二人して周りをぐるぐる走り始める)」

「うーむ」

 

 が、うまくいかない。

 

 約束したものは仕方ないというわけで、すずねの合意も得てシィちゃんはウチに住むことになったのだけど、スキあらばすずねと追いかけっこしたり言い合いしたり。もちろんすずねが学校に行ってる間話す時間はあるのだけど、どうもシィちゃんも過去のことは気にしないタチらしく、歪んだ筆談で話すことといえば『おいしい』『ねむい』『だいすき』などと今に関わることばかり。ふと、前に出くわしてから今までの二週間と少しの間何をしてたのか聞いてみても『おそうじ』と謎めいた答え。私とどんな関係だったか聞いても首をかしげてしまう。

 

 ただ、手がかりは得た。名前だ。

 

 すずねが夕ご飯を作っている間、私とシィちゃんはテレビの前のソファでぐうたらしていることが多い。連日例の赤い結晶事件が報道されているのに飽き飽きして電源を切ったとき、不意に気になった。

 

「シィちゃんって素敵な名前よね。どんな由来なの?」

「……?(私の膝の上でダラけながら首をのけぞらせて見上げてくる)」

 

 しばし私の瞳の内を見透かすように見つめていたシイちゃんは、一度私の膝から降りる。何か気に障ったのかと不安になっていると、私の方に生足を投げ出した。健康的に赤みがかった、白い足の裏が丸見えになっている。

 

 その土踏まずの部分に、無機質な英数字が記されていた。

 

『AMP 041』

 

 何かの略字だろうか。アリさんのミジンコパーティー。あんこが満タンのパン。ただのアンパンじゃねーか。アンプと読むならどこかで聞いたことがある気がするけど、どこだったろう。

 

 心中でセルフボケツッコミをしているうち、ついその文字を指でなぞっていた。暖かでぷにぷにした感触。指を上下させると足がびくりと震え、足の指が閉じられる。

 

「ご、ごめんなさい。くすぐったいわよね」

「……!(口を押さえ頬を赤く染めながら必死で首を振りつつも足は引っ込めない)」

「ん、んんっ」

 

 咳払いした。そう、これは仕方ないこと。別に幼女の足の裏を撫で回すことに興奮してる訳ではない。

 

 じっくり何度も撫で回して調べてみると、その印字は表面ではなく皮膚の内側にあることが分かった。鉛筆の芯の刺さった後のように、いわゆる入れ墨方式みたいだ。

 

「……!(私が手を止めている間に涙目で人差し指を私、自分の足、最後に自分の順番に向ける)」

「……私が名付けた? この数字を見て?」

「……!(コクコクうなずく)」

 

 041だからシィちゃん。由来は分かった。でも何の数字なんだろう。

 

「すずねは心当たりある?」

「ううん、こんなところ滅多に見ないし、初めて知ったよ」

「ふーん」

「ところでお姉ちゃん? いつまでシィちゃんをいじめてるつもり?」

 

 無意識にまた撫で回していたらしく、目の笑っていないすずねに指摘され手を止めたときには、シィちゃんは顔を真っ赤にして息も絶え絶えだった。なお、その夜すずねに『束縛』され同じ目に遭わされたことは忘れたい記憶である。

 

 アンプと041。いかにも意味深な情報だ。シィちゃんの過去、ひいては前世の私との出会いにもつながっているかもしれない。

 期待したものの、それ以上の収穫はなかった。

 

「シィちゃんとの出会い? 私はよく知らない。なんか急に出てきてお姉ちゃんにベタベタベタベタ……腹立ってきた、ぽっと出のくせに」

「どうどう」

 

 私がある任務を終えて帰ってきたその日、私に手を引かれてウチにやってきたのが初対面だったらしい。ちょっとだけ嫉妬深いすずねはそれ以来シィちゃんを天敵と見なしているとか。この点については両者とも譲らず、たまに私の膝の上を巡って骨肉の争いが始まることも。

 

 例によって私がリビングのソファに腰掛けぐうたらしていると、左右からシィちゃんとすずねが小走りで寄ってきて、僅差ですずねの方が先に私の膝に乗ってきた。

 

「ふっふーん、残念でした。お姉ちゃんはシスコンだけどロリコンじゃないの。絶壁幼女の出番はないよ?」

「……!(無言で変身し歪んだ赤い瞳を輝かせる)」

「ちょっ、シィちゃんの変身はシャレにならないって!?」

 

 すずねはドヤ顔から一転表情を引きつらせ、変身して広いリビング内を逃げ回る。トップランカー相当と言われるシィちゃんを戦う力もないくせにつついていくすずねを見ていると、妹なんだなあと実感。同時に疑問もわく。

 

 そこまで強い強いと評判で前世の私によく懐いていたなら、どうしてシィちゃんは半年前の戦いについてこなかったのか。無防備な懐きっぷりを見るに私が来るなと言っても無理やりついて来そう。もしかするとあの映像にはたまたま映っていなかっただけで、シィちゃんも参戦していた?

 

 直接は聞けない。すずねのマフラーやマフマフとの過去の件から私は学んだ。不用意な質問はお互いを傷つける恐れがある。特にシィちゃんは二人と違って記憶喪失の事実を受け入れていないから、どんな爆発をするか分からない。ここは慎重に手がかりをたどっていかないと。

 

 今のところ、手がかりは任務だ。シィちゃんを連れてきたその日、私が受けた任務とは。

 

「分かんない。機密だからって教えてくれなかった。妹なのに……」

 

 肩を落とすすずねの頭を撫でながら考える。すずねに漏らしていないといってもアテが尽きたわけじゃない。私のうっかり具合からして機密をポロリすることもあったはず。となると近場の魔法少女で話の聞けそうな子はとなると──そうだ、ヨミがいる。

 

 あの子はすべての魔法少女の戦い、いわば任務を記録している《アーカイブ》だ。シィちゃんのことも私の任務も知っているに違いない。

 

『ドハツテン・ツキノスケですっ!』

 

 が、ヨミは今やツキノスケと化している。よく考えれば目の前でスプラッタな光景を見せつけたのだから当然だ。記憶を取り戻すのにはもう力を貸してくれないだろうし、どんな顔して頼みにいけばいいのか分からない。シィちゃんの件が落ち着いて時間ができたら、謝りにいこう。

 

 同じ理由でチャットルームも使えない。ヨミの管理下にある場所でまた記憶を嗅ぎ回っているなんて、ヨミが知ったらいい気はしない。高らかにニート宣言した手前、チャットにも顔を出しづらいし。マフマフは家で詰め込み学習の真っ最中だし。

 

 じゃあ他の魔法少女たちと、直接顔を合わせればいい。

 

 こうして私は、目覚めてから初めて『パラダイム機関』の施設へと足を運んだのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 麻風大付属中学校は自宅から電車で二駅離れ、駅から徒歩十分の丘の上にある。私が不登校をかましている相手でもあり、高等部も併設する広大な土地の地下に、機関の施設はひっそりとあった。

 

 制服姿のすずね、ブカブカのパーカーが萌え袖になっているシィちゃんと共に、通学中の生徒たちの波に紛れる。私は先生に見咎められてはいけないから帽子を目深にかぶっていた。

 

 人通りの多い駅からの通学路を途中で脇道に逸れ、敷地の裏手に回る。一瞬だけ変身したすずねに抱っこされてフェンスを飛び越え中へ。シィちゃんもすました無表情で当然のように中へ侵入していた。

 

 なぜか開け放たれた非常口から校舎へ入り、机と椅子が雑然とする空き教室へ踏み入る。使われていない雰囲気なのにほこりっぽさは全くない。

 

 すずねは教室後ろのロッカーを開け、私とシィちゃんに中へ入るよう促した。魔法少女だけに反応する隠し通路になっているのだという。シィちゃんがいれば、力を失っている私もいっしょにパラダイム機関の施設へ運んでくれる。

 

 始業時間の予鈴が鳴り、すずねは小走りで教室を出ていく。別れ際、私をジト目でにらんだ。

 

「シィちゃんにヘンなことしちゃダメだよ、お姉ちゃん」

「ふーん、たとえば?」

「んもーっ!」

 

 頬を赤く染めて去っていくすずね。

 

 私はニヤニヤしながらシィちゃんと共にロッカーへ入る。がこん、と何かの駆動音が響き、エレベーターのような浮遊感を覚える。シィちゃんが落ち着きなく身をよじらせててくすぐったい。女の子と密閉空間に二人きりの状況に今更興奮してくるけど、私はロリコンじゃない。シスコンだ。強く言い聞かせているうち扉が開き、外へ出る。

 

 広大な空間が広がっていた。

 

 この地域の魔法少女たちが鍛錬に励む、通称『演習場』だ。床張りにステージ、バスケのゴール、キャットウォーク、何かのコートを形作る色とりどりのラインテープに、重たそうな扉──

 

「体育館じゃん!」

「……!(両手を広げてくるくる回りながら開放感を味わっている)」

 

 ついツッコんでしまった。演習場と言うからてっきりもっとミリタリーな雰囲気を想像していたのに。利用者の年齢層に合わせたのかな。

 

 私たちはステージ脇の体育倉庫にあたる扉から出てきたみたい。ステージの縁に腰掛け、足をぷらぷらさせてみる。意味もなく走り回っていたシィちゃんも飽きたのか、私の隣に座って手を握ってきた。あったかい。

 

 この演習場は麻風大付属の魔法少女だけでなく、他の地域からの利用者も多い評判の施設。先々代の魔法少女が永続魔法をかけたおかげで見た目以上に壊れにくい上、サービスもいい。私たちが入ってきた裏口ではなく正面口の方にはシャワールーム、ラウンジ、仮眠室、無人の売店など至れり尽くせりな設備が充実している。

 

 なので連日多くの利用者でにぎわう、と。そんなふうにすずねに聞いたから、来てみたのだけど。

 

「人こなーい!」

 

 だっれも来ない。こなーいと虚しくエコーが響く。他の魔法少女たちに、シィちゃんや私の過去を尋ねてみたかったのに。

 

「はっは、そりゃあ来ないさ」

 

 私の思いが天に通じたのか、渋い声が返ってくる。決して大きくはないのによく通る、いぶし銀な声音。

 

 正面の分厚い金属戸が開き、スーツ姿の男性が姿を現した。ごま塩頭、しょっぱそうで嫌だからモノクロ頭をオールバックに撫で付けた壮年の男の人。額と頬の骨が角張り顎がとんがっていて、鼻も高く切れ者の印象。けれど細いまなじりの奥にはひだまりのような温かみが感じられる。女の子の肉体にしか興味のない私でもひと目で分かるイケメンオヤジがそこにいた。

 

 指先がきしむ。シィちゃんが私の手を握る力を強めた。無表情な赤い瞳がイケオジをじぃっと見つめている。

 

 悠然と、ごく自然な歩調でステージへ近づいてくるイケオジ。

 

「……来ないんですか? なんで?」

「平日の朝だからね。魔法少女の子たちはみんな学校だ」

「ふぇ」

 

 至極当然だった。さっきすずねだってチャイムに急かされてたじゃん。すずねもすずねでそのこと知っててここに案内するなんて、姉妹そろって、もう。

 

「安心してくれ。別に君たちを叱りに来た教師じゃあない」

「ああ、はい」

 

 頭を抱えながら考える。誰だろうこの人。教師でもなくて魔法少女のことを知ってるってことは、機関の人。それとも刺客?

 

 イケオジはステージの手前、私の眼前十五メートルほどの位置で止まった。遠い。ツッコミ待ちだろうか。

 

「はじめまして、と言うべきかな。私は只見(ただみ)一郎。パラダイム機関の局長を務めている。タダオジと呼んでくれ」

「ご丁寧にどうも。真道みすず、こっちはシィちゃんです。ほらごあいさつ」

 

 この人は良い人だ、と思った。前世の記憶の影響もあるのだろうけど、何より立場より名前を先に言ったのが良い人っぽく思えた。初対面で分かりにくいボケをかましたのは水に流そう。

 

 シィちゃんはまんじりともせずイケオジ改めタダオジを見つめている。

 

 私とシィちゃん以外誰も居ない演習場に訪ねてきたということは、用があるのだろう。私の隣にどうぞとジェスチャーしてみたけど、丁重に手を挙げて辞退されてしまう。

 

「……えっ、局長? 偉い人?」

「ああ、すごく偉いぞ」

「ひれ伏す?」

「やめい」

 

 時間差で気づいた。道理で品がいいというか、やたら風格のあるわけだ。でもそんなに偉い人が護衛も付けず一人で外にいていいのかな。

 

「ここのセキュリティシステムはヨミくんの担当だ。地球上のどこよりも安全だろう」

 

 ものすごい信頼だ。ヨミとヨミを評価したタダオジの心象がぐんと上昇するのを感じる。

 

 せめて私がステージの下に下りた方がいいのかしらと、大人への対応をどぎまぎしながら考えだした間際。

 

 タダオジは頭を下げた。百二十度、やり手の営業マンめいた完璧なお辞儀だった。

 

「ありがとう。君のおかげで世界は救われた。世紀を超えた長い戦いに終止符を打ち、人類は未来へ進む権利を勝ち取ることができた。君たち子供に頼る大人を代表し、心から感謝する。ありがとう」

「はぇ、あっ、は、はい。光栄です。どういたしまして」

 

 気まずい沈黙。どう考えても軽く受け取っていいお礼じゃない。もっと着飾ったかっちょいい「どういたしまして」があったはずなのに。

 

 あたふたしていると、タダオジはゆっくり顔を上げくつくつと笑う。

 

「いや、済まない。記憶のない君にこんなことを言っても困らせるだけとは思ったんだが、回復するまでのうのうと待つ方が礼に失すると判断した。要らんなら捨てていいから、ひとまず受け取ってくれ」

「は、はあ」

 

 ふっ、とタダオジの肩から力が抜けた。余裕たっぷりに見えて一応緊張していたらしい。なのにわざわざお礼だけ言いに来るなんて、急に親近感が湧いてきた。

 

 もしかしてすずねはこの人と引き合わせるためにここへ案内してくれた? そうだ、ウチの妹は賢い。マフマフじゃあるまいし、誰も話相手がいないところに姉を放り込むドジなんてするはずがない。

 

「すずねくんには内緒だぞ、怒られてしまうからな」

「ドジだったわ」

「うん?」

「いえ何でも」

 

 たぶんシィちゃんの世話を焼くので疲れて来てるのかな。今度何かご褒美を、いや週イチで姉を束縛して発散するんだからそれで十分か。

 

 タダオジは難しそうに眉をひそめ、探るように私を見つめる。

 

「記憶を取り戻すことに決めた、とヨミくんから聞いたが。進捗はどうかね?」

「今のところはなんとも。まあ最悪古傷全部抉ってやればワンチャンあると思うんで、問題ないですよ」

「大ありだ。絶対にやめなさい」

 

 猛禽のごとく目を細め声が一段と低くなった。鋭い目線に射抜かれ反射でうなずいてしまう。大人って怖い。

 

 もちろんショック療法を繰り返すつもりはない。もっとも手っ取り早いとはいえ、関わりのある女の子たちを悲しませるのが明白な手段は使いたくない。痛いのも苦しいのも嫌だ。最悪の手に頼るのは、他のアテをみんな当たってからでいい。

 

 私の首肯を見るや、すぐにタダオジの表情は柔和な笑みに戻る。

 

「こう見えて私は物知りだ。気になることがあれば聞いてみるといい。クロ・ノスタルジス、魔法少女と大人たちのシステム、君の功績。たいていのことには答えてみせよう」

「やったぁ!」

 

 渡りに船とはこのことか。システムだのノスタルジスだの、終わった戦いのことはどうでもいい。シィちゃんとの過去を教えてほしい。たいていのことと言うからには知ってるはず。

 

 さすがにシィちゃんの聞いてる真ん前でする話ではない。シィちゃんは記憶喪失の事実を受け止めきれていないからだ。ステージから下りてタダオジに耳打ちしようとすると。

 

「シィちゃん!?」

 

 シィちゃんがおぞましい靄に包まれる。秒と経たずに晴れたそこには、改造燕尾服と山高帽、ダメージタイツ姿のシィちゃんが立ち上がっていた。

 

 同時に、パキパキと何かが凝結するような音。真っ赤な瞳が頭のクラクラするような怪光を発し、穴が開くほどタダオジを睨みつけている。すぐ隣から肌を刺すような感触は、殺気だろうか。

 

 タダオジは寒気がするこの威圧を一身に受け、固い表情で一歩引く。

 

「そう、か。君は私のことを許してはいないのだね。……済まなかった。私は君たちに背負わせてばかりだ」

 

 先程までの堂々とした態度はなりを潜め、タダオジは悄然とシィちゃんを、次いで私を見据える。悔悟の念をたたえたその表情はひどく痛々しい。

 

「みすずくん、私は……間違った判断をしたとは思わない。君の未来に進む意志は誰よりも強く輝いていた。人類のためには、ああするしか……」

 

 ばきり、と爆ぜる音がした。

 

 眼前の床から赤黒い壁が突き出す。よく見るとその壁は水晶のように透き通る結晶だ。グロテスクな赤黒い色彩の結晶が突如床から生え、私たちとタダオジの間に割って入った。ぞっとするほど鋭利な結晶の槍衾がタダオジに穂先を向ける。ずっと聞こえていた凝結するような音はこの結晶の音だったのだ。

 

 赤い結晶の内部には怖気が走る黒い液体が、毛細血管のごとくうごめいている。禍々しい色合いはシィちゃんの瞳のそれと一致。シィちゃんの魔法なのだろう。

 

 さっさと消えろ、殺すぞ。シィちゃんから漂う剣呑な空気と赤黒い結晶は、言葉よりも雄弁にそう言っている。

 

 結晶の向こうのタダオジは、口を真一文字に引き結び、表情を歪め、踵を返して外へ消えた。

 

 きぃん、とひときわ高い音と共に結晶が砕ける。破片の一つ一つが、床に落ちる前に中空で溶け、夢のように消えていく。シィちゃんもまた、気づけば元の萌え袖パーカー姿で私に腕を絡めている。

 

「……どうして?」

 

 いろいろな意味を込めた問いに、シィちゃんは私の手を取る。指で私の手のひらに一文字ずつ、歪んだ文字をつづる。その答えは極めてシンプルだった。

 

『あいつきらい。ころしたい』

 

 どんだけ仲悪いのよあんたら。と、突っ込むのはこらえた。せっかく後少しでシィちゃんとの約束も知られそうだったのに。

 

 記憶を取り戻す道程の幸先は、良いとはいえない。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「せいやー!」

「……!(私の周りを無表情のままぐるぐる走り回り時折飛び跳ねている)」

 

 二人きりになった演習場で、私は狂ったように双刃薙刀を振り回していた。私の掛け声に触発されてはしゃいでいるのかシィちゃんのボディランゲージがいっそううるさい。

 

 もちろん狂ったようにといっても本当に狂ったわけじゃない。やんごとなき理由がある。

 

 記憶と魔法少女の力は連動している。すずねとの思い出を取り戻したのをきっかけに不完全な魔法の武器を召喚できるようになったし、マフマフとの過去が心に響いたから完全な魔法の武器を取り戻した。

 

 じゃあ逆に、魔法少女の力を先に取り戻せば芋づる式で記憶も戻るのでは。そんな考えに基づき、素振りに励んでいるわけだ。

 

 効果のほどはともかく、話を聞けそうな魔法少女がやってくる放課後まで時間がある。仮眠室やラウンジで惰眠を貪るよりも有意義だろう。シィちゃんも楽しそうだし。

 

 静かな空間を分厚い刃が切り裂き、走る。柄と両端の刃を含め三メートル近くある長大な得物は、遠心力だけで鉄さえ斬りかねない斬撃の嵐を生んでいる。その中心に私みたいなぐうたら淑女がいるのは驚きだけど、もっと信じられないのはこの素振りをほとんど無意識で実現していることだ。柄のどこを握り、どこに重心をかけ、どこに足を運び体を捌くのか、呼吸のやり方のように理解し、実践できる。必死だったマフマフのときと違い考える余裕がある今、私自身の非現実っぷりをひしひしと痛感せざるを得ない。

 

「わぎゃー!?」

 

 しかしいくら体が覚えているといっても、筋力が足りない。手汗でわずかに操作を誤り、薙刀がすっぽ抜ける。連動して足も体も全部めちゃくちゃな動きに巻き込まれ、盛大にすっ転んだ。

 

 床に大の字。汗だくのせいか床の冷たさが心地良い。こんなに熱中するならタオルを持ってくればよかった。

 

 天井の照明に目を細めていると、視界にひょっこり真っ赤な瞳が現れる。シィちゃんが無表情のまま、両手をわたわたと左右に振り回している。

 

「大丈夫。ちょっと休むね」

 

 視界の端で、シィちゃんはぺたんと腰を下ろした。一緒になってはしゃいでいたのに汗一つかいていない。実質引退した身と現役の差かもしれない。

 

 そのまま寝そべって息を整え、どれほど経ったころだろう。

 

 汗が引いて寒さを覚えたその時、ガラガラと重たい金属音が演習場に反響した。シィちゃんが瞬時に反応して入り口の方を凝視しているから、やっと誰か来たのだろう。体感の時間ではまだ昼休みにもなってないと思うけど、誰だろう。

 

 扉を閉める同室の音の後、規則正しい足音。まっすぐに近づいてくる。私の頭の上で止まる。視界には……入ってこない。

 

 よっこいしょと上体を起こしてその方向を見てみると。

 

「……っ!」

 

 金髪ブロンドの美少女が、じいっと私を見つめている。

 

 麻風大付属共通のブレザータイプの制服。その上からでも分かるほどたわわに実った胸部が目を引く。そのまま視線を上に上げると次は北欧系の美しい人形のような木立ちとサファイアを思わせる碧眼、ハチミツのように透き通ったブロンドの髪に目を奪われる。髪飾りや編込みなど一切ないナチュラルなセミロングながら、金髪碧眼の美少女というジャンルの最先端を行く美貌が輝いていた。もしもこの子に出会うのが無骨な演習場ではなく日の差し込む教会だったなら、女神の類だと信じてやまないだろう。

 

 そんな金髪碧眼美少女完全体たる女の子が、私を見つめている。じーっと、何かを待っているかのように。

 

 あいさつだろうか。えっ、でも見るからに海外出身だし、日本語通じる? 英語のあいさつってハローで良かったっけ。いや波浪は日本語だった?

 

 少女のあまりの美しさに私の脳はオーバーヒート。

 

 結果、ハローよりもはるかに馴染み深い英語をあいさつとして採用した。

 

「ヘイガイズ! ウィーハブアギフトフォーユー!」

 

 これを受けた美少女、にやりと不敵に笑い一言。

 

「ヘイガイズ! ウィーウォナノウワットターンズユーオン!」

 

 私たちは固く手を取り合った。ありきたりな握手なんかじゃない、淑女と淑女が互いを認め合う、腕相撲スタイルでがっちりとだ。

 

 今のあいさつはただの英語ではなく、日々インターネットでえっちな動画を漁っている選ばれし乙女の脳に刻まれた呪文だ。これをノータイムで返した美少女はただ者じゃない。

 

 美少女は不敵な笑みを崩さないまま頬を上気させている。

 

「いっぺんくたばった程度では変わるはずがないと思いましたわ、盟友」

「そうかもね。あなたのことは何も覚えてないのに、不思議と『盟友』がしっくり来る」

 

 シィちゃんが能面のような無表情で、私と美少女を見比べている。困惑しているのが伝わってきた。私も記憶喪失以降ここまで前世との関係性が明らかな相手は初めてだから、ちょっと戸惑っている。

 

 美少女はいったん手を離し、ふぁさりとブロンドの髪をかきあげる。

 

「チャットルームの聖女こと、パラダイム機関のランク30、《サウンドジャングル》の花月(かげつ)エリーですわ! 見た目は洋モノですが大阪生まれ大阪育ち! ベッドの上では猛虎弁でしてよ!」

「妹一筋のお姉ちゃん淑女、元ランク1現ぐうたらニートの真道みすず! 最近妹に体を開発されるのが楽しくなってきたわ!」

「ドン引きですわ」

「なんでよそこはノッてよっ!」

 

 理不尽なリアクションにツッコミを入れると、美少女もといエリーは急に目を潤ませて私の手を取る。愛おしそうに頬ずりしたかと思ったら、ぎゅっと強く抱きしめられた。

 

 半年以上会えなかった空白を埋め合わせるように、強く、強く。ようやく解放されたときにはもうエリーの顔に弱気の色はなく、代わりに艶かしさと自信に満ちた微笑を浮かべていたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 エリーは演習場の位置に私の魔力を感じ取り、駆けつけてくれたらしい。会いに来てくれたのは前世の友人としても話を聞く意味でも嬉しいけど、今はまだ午前十時を回ったころ。授業はどうしたのかと聞くと、

 

「バックレたに決まってますわ」

 

 と実に淑女らしい答え。ますます気が合いそうだ。

 

「あら、結局記憶を取り戻すんですの? それは良かったですわ! 会議と教団のトップの座は、盟友の帰還まで永久に空座ですの。なんなら記憶がなくってもいつだって──」

「ごめん、気持ちは嬉しいんだけど、最優先で取り戻したい記憶があるんだ。アンプ事件って知らない?」

 

 チャットでのニート宣言から一転した意見を告げると喜色満面で賛成。逸るエリーをなだめつつ、シィちゃんとの約束や思い出のことを尋ねてみる。もちろんシィちゃんには聞こえないよう顔を寄せてだ。

 

 話を聞いたエリーは私に向けてまぶしそうに目を細め、ほんの刹那の間瞑目してから、難しそうに眉根を寄せる。

 

「アンプ事件……名前だけは知ってますわ。確か盟友が受けた特務のうちの一つですの。帰ってきたときにはもう、そちらのシィちゃんさんを連れておりましたわ」

 

 そこまでは推測の通りだったみたい。もっと何かを知らないかと期待してみたけど、エリーは首を横に振る。

 

 そもそも特務とは、ランク1の魔法少女にのみ特別に割り振られる高難度任務のことで、報酬も機密性も桁違い。本来なら任務の名前すら部外秘のはずなのに、うっかり私が「アンプ事件」と口走ったせいで仲間内に名前だけが知れ渡ってしまったという。何をしてるんだ私は。

 

「エリー、他に誰か心当たりはない? あの新☆ランク1ちゃんは知らないかな?」

「あの方は今日はお休みですし、そもそも当時魔法少女ではなかったですの。こういうときこそ《アーカイブ》の出番ではなくて?」

 

 チャットを見るにあの子も近くに住んでるみたいだからワンチャンあると思ったんだけどな。頼みの綱のヨミにも断られてしまっている。どうしよう。

 

「えっ、ヨミさんの目の前で割腹を? 頭大丈夫でして?」

 

 ヨミに塩対応を食らった経緯を聞くなりエリーは引きつった笑みを浮かべる。だしぬけに淑女の正気を疑うのは失礼だろう。

 

 文句を言おうとしたところで、袖を強く引っ張られる。見るとほっぺたを膨らませたシィちゃんが、心なしかむすっとした無表情で上目遣い。かわいい。退屈させちゃったかな。

 

 ぱんっ、とエリーが一つ柏手を打つ。

 

「ヨミさんが頼れない以上仕方ありません。記憶は後回しにして魔法少女の力の方を優先いたしましょう。この花月エリーが優しくご教授さしあげますわ。シィちゃんさんにもお手伝いしていただいて、ね」

「……!(胸を張って親指を立てる)」

「ほんと? ありがとー!」

 

 シィちゃんはものを教えることに向いているとは言えないから、助かる申し出だった。

 

 魔法の武器だけは取り戻しているので、変身のイロハを教えてもらうことに。まずは実際にエリーの変身を見せてもらう。

 

 豊満な体が強い光に包まれ、収まった後には清楚な聖女がそこにいた。グレーを基調にライトグリーンのサブカラー、クリムゾンレッドのアクセントを添えた露出の少ない修道衣。フリルと飾り紐が要所に盛り込まれ、清楚とメルヘンが調和している。ただし上半身の布地が体にぴったり張り付いて胸とくびれのラインが丸見え、下半身は大きなスリットから陶器のような肌がチラチラ見えるため、全体的には清楚な破戒のメルヘンといった様相である。

 

「『肌色の乱発は……浅い』。盟友の金言でしてよ」

「ふっ、私もなかなか良いこと言うじゃない」

 

 記憶喪失は知っていることでも新鮮な気持ちで味わえるのがいいところだ。たっぷりエリーの変身姿を目に焼き付けてから、魔法少女の変身レッスンを始めた。エリーは理屈の後に実践を持ってくるタイプのようで、まずは講義から。

 

 魔法少女が覚醒する条件とは何か。

 

「それは『未来へ進む意志』ですわ。過去を背負い、今を生き抜き明日へと進む気持ち。一点の『懐かしさ』もない曇りなき意志の力が、私たちの源ですの」

 

 懐かしい、すなわち過去を想う郷愁を核とするダスクとは対極をなす力。大人たちの懐かしいを慰め、払うことができる唯一の力だという。

 

 疑問が湧いた。懐かしいを知らないからこそその力が生まれるのだとしたら。

 

「……魔法少女が『懐かしい』を覚えたら、どうなるの?」

「卒業ですわ。魔法の力を失い、一人の大人となる。いずれダスクを生むかダスクに堕ちるかして、新たな魔法少女に討たれるでしょう」

 

 さも当然のようにエリーは言ってのけた。タダオジが言っていた世界のシステムとはこのことだったのだろう。

 

 過去に囚われた大人たちが怪物を生み出し、未来へ進む子供たちが退治することで、過去と未来へ向かう力のバランスが保たれる。そうして長年世界は回ってきたんだ。

 

 なんだか底のない穴を覗いてしまったような気分になりそうだけど、そのシステムの是非はどうでもいい。今重要なのは私の力と記憶が戻るのか、お姉ちゃん淑女の筋は通せるのか。この点に尽きる。

 

 未来へ進む意志が私たちに力を与える。なら明日のことを考えて変身してみればいいのかな。明日の献立、明日の朝ごはん……

 

「クソダサポーズは勘弁くださいまし」

「へーんし……先回り!?」

 

 ポーズと共に変身しようとすると先読みされてしまった。

 

 出鼻をくじかれたのか、その後いくら変身を試してもうまくいかない。試しに切腹したときとダスク騒動のときを回想してみたけど、いまいち過去に没頭できず、手札が尽きてしまう。

 

「はて、魔力は変わらずすさまじいのですが……ちょっとシィちゃんさん? お手本見せてくださる?」

「……!(任せてと言いたげに胸を叩くと共に赤黒い腐肉めいた靄をまとい変身してみせる)」

「なんでそんな禍々しい変身してますの……?」

 

 お手本を見せてくれたシィちゃんにエリーはドン引きしていた。そういえば今まで見た魔法少女たちはみんな光をまとって変身するけど、シィちゃんは謎のおぞましい靄だ。何が違うんだろう。

 

 シィちゃんの不思議がまた一つ増えたところで私の変身練習に進展はなく、小一時間が浪費される。

 

 スマホの時計を一瞥したエリーは腰に手を当てて、

 

「方向性を変えてみましょう。本格的な魔法を目の前で見れば、ビビッと来るかもしれませんわ。シィちゃんさん、こちらへ。盟友は舞台の上にいてくださいまし」

「何するの?」

 

 シィちゃんの手を引き、演習場の中央へで向かい合う二人。私は言われた通り舞台に上がり、縁に腰掛ける。

 

「模擬戦ですわ。未来へ進む意志の力、その具体的な使い方。見て学んでくださいな」

「えっ……シィちゃんは大丈夫?」

「……!(腕を曲げてありもしない力こぶをペチペチ叩いて強いぞうアピール)」

 

 二人が問題ないなら大丈夫だ。それに魔法少女同士の戦いは能力バトルみたいになりそうで割とワクワクする。すずねは夜にベッドでしか使わないし、マフマフはトンファーとキックでぶっ叩くだけだったから、なおさら二人の力への期待が高まる。

 

 エリーは合図を頼みます、と言ったきり黙ってシィちゃんに向かい合い武器を召喚する。身の丈ほどの尺がある細い逆十字で、色とりどりの花と蔓に覆われていた。対するシィちゃんの方はいつもどおりの無表情で、歪な赤い瞳も平生通りの輝き。パキパキと音が鳴り、赤黒い結晶が歪な小剣となってシィちゃんの手に収まった。

 

 見た目の関係上シィちゃんが心配だけど、この空気なら真剣な戦いにはならないだろう。二人の親切心に申し訳ない気持ちになりながら、私は精一杯の「よーいどん」を捧げたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「おーっほっほ! その程度ですの!? 草ッ、草草の草ですわぁ!」

「……」

 

 真剣な戦いにはならないだろうって? そう考えてた数分前の私をひっぱたいてやりたい。

 

 エリーは初っ端からガチだった。花に覆われた逆十字の杖を、抉るように地面へ叩きつけると、そこを中心に草が生い茂る。

 

 ステージの下の床張り全面が芝生に覆われ、文字通り草草の草状態になった。さらに、シィちゃんの足元の芝生が異様に伸長し、小さな手足に絡みつこうとする。シィちゃんはその草を鬱陶しそうに切払いながら、芝生の上を逃げ回っていた。

 

「ホラホラホラホラ! 逃げるだけですの。ええ!? 種もくれてやりますわ!」

「……!(芝生の中に紛れ込んだ花から砂粒ほどの種が発射されほっぺたに着弾し、小剣を上から花に突き刺す)」

「エリー、あんた……」

 

 あまりの剣幕にちょっと、いやかなり引いてる。たしかに私のために言い出してくれたんだろうけど、幼女相手に容赦なさすぎるような。

 

 数分間草と種でシィちゃんを追い回したエリーは、最高潮のテンションで高笑いしてみせる。

 

「おーっほっほっほ! トップランカー相当と言われた《リーパー》もこの程度でして!? 逃げ回ってるだけじゃありませんの! 刈り取る者(リーパー)ならきちんと刈ってみせろってんですわあ!」

「……!(苛立たしげに結晶の小剣を振り回し周囲の草を散らしてみせる)」

「無駄無駄ですのっ! 健気な抵抗に草っ草の大草原生い茂りましてよ! このまま草で動けなくして種まみれにして差し上げますわ、もう字面だけで興奮しちまいますわねぇ!」

 

 動けなくされた幼女が種まみれ……ダメだ、私までエリーのペースに呑まれちゃいけない。無垢な幼女を大人気なく汚そうとする破戒シスターを応援するような私じゃないんだ。草と欲望にまみれたこの戦場で、私だけはシィちゃんの味方でいたい。

 

「シィちゃん、頑張って!」

 

 その気持ちを声援に乗せてみる。エリーは煽り倒すのに忙しいのか見向きもせず、一方のシィちゃんの反応は劇的だった。目を大きく見開いて私と視線をかち合わせ、大きくうなずいてみせる。

 

 そこからの展開はまさに急転直下だった。

 

「ふっ、ようやく動きが止まりましたわね。降参するならR15程度の姿で勘弁──ひっ!?」

 

 エリーの下卑た笑みが凍りつく。

 

 シィちゃんがおもむろに草原へと突き刺した小剣。そこを起点にパキパキと音が響き──視界が真っ赤に染まった。

 

 演習場が赤黒い結晶で覆い尽くされている。床の草原はもちろん、壁も天井の照明もすべて、剣山がごとき結晶の群れで埋まっていた。結晶の一つ一つが黒く脈動しているため、まるで怪物の腹の中に囚われたような錯覚に陥る。

 

 ハッとする。結晶はどれも槍や剣を思わせるぎらつきを宿している。エリーが串刺しになっていてもおかしくない。

 

「なんですのこれ!? 動けませんのー!」

 

 しかし心配は無用だった。床と壁と天井、それぞれからひときわ大きく伸びた結晶の槍に装束だけが貫かれ、空中ではりつけにされている。

 

「……?(親指で首をカッ切るジェスチャーをしつつ首をかしげる)」

「ううん、とどめはいい。シィちゃんの勝ち! 下ろしてあげて」

 

 私が答えるや否やシィちゃんは変身を解き、それに伴い結晶がすべて粉々に砕け、静かな体育館が戻ってくる。放り出されたエリーはしたたかにお尻を打ってしまい、とても痛そう。

 

「うう、一瞬で刈りつくされてしまいました……伊達ではありませんのね」

「エリーは、その……勝利至上主義みたいな?」

「違いますわ! ただ、最弱最下位ランカーのレッテル脱却のために、このパッと見弱そうなシィちゃんさんを利用しようと──ああっ、語るに落ちるとはこのことですわぁ!?」

「うん、あんたの人となりはよーっく分かったわ」

 

 ついでにランカーが30までしかいないってことも。そういえば非戦闘タイプのヨミより下じゃんエリー。

 

「……!(私に飛びついて来て無言のまま頭を指差す)」

「シィちゃんよく頑張った、えらい」

 

 要求どおり頭を優しく撫でてやると、シィちゃんはひだまりの中の猫のように目を細める。うん、あの煽り大好きな破戒僧相手によく頑張った。

 

 シィちゃんの勇姿だけでなく、本来の目的である私の記憶についても収穫が得られた。二人の草と結晶の魔法から、なんとなく抽象的な魔力の流れを感じ取ることができたのだ。後少し、私自身が自前の魔力を感じ取れるようになれば、おそらく変身もできるようになるかもしれない。それに伴って記憶が戻れば万々歳だ。

 

 と、ここでチャイムが鳴る。時計を見ると、午前の授業が終わった時間だ。

 

 ブロンドの毛先をいじりながらぶつくさ言い訳を並べていたエリーは、軽やかに立ち上がる。

 

「わたくしはそろそろ戻りますわ。放課後もここにいますの?」

「ううん、もう帰るよ。シィちゃんも疲れたと思うし。いろいろありがとね、エリー」

「お安い御用ですわ」

 

 ふぁさっとブロンドの髪をなびかせると、照明の光がその間を木漏れ日のようにキラキラ照らす。その優雅さといったら今さっきの破戒系お嬢様が白昼夢のように感じられるほどだ。

 

 お別れのあいさつはごきげんようなのかしら。ひそかに期待していると、エリーは手招き。

 

 私といっしょにシィちゃんもエリーの方へ近づいていくと、エリーは私の耳元に口を寄せる。

 

「最近、CONNECTは使ってまして?」

「あんまり。バタバタしてて」

「でしょうね」

 

 言葉を選ぶような間を空けて、

 

「あのチャットの常連の精神異常ジャンヌ。あの子の能力は『神託』ですの。不定期で天使の声が未来を告げるそうですわ。胡散臭い方ですが、能力の確度は折り紙つきです」

「はあ」

「あの方が以前、シィちゃんのことを予言しました。盟友とはニアミスでしたわ」

 

 記憶の糸がつながった。

 

 初めてアンプ事件の単語を聞いたのも、元はあのチャットルームでのことだった。話題はシィちゃんについてで、あのジャンヌダルクちゃんが『お告げだ』と書き込んでいた。後でログを見直そうと思っていたけど今の今までログインも出来ていない。あのお告げが予言だったのだろう。

 

 当時の話題と同じくシィちゃんに関するものだったというそのお告げ。果たしてその内容を、エリーは静かにつぶやく。

 

「『今のシィちゃんは極めて不安定。不用意な刺激は控え、警戒せよ』」

 

 

 

ーーー

 

 

 

「いえーい!」

 

 麻風商店街、電気屋の店先にて。種々雑多な業種が軒を並べる通りに出てきた私、すずね、シィちゃんの三人組は勝どきを上げていた。

 

 何に勝ったかといえば値切り交渉だ。ようやくシィちゃんを加えた三人での生活が落ち着いたので、後回しにしていた洗濯機の新調にやってきた。気前の良さそうな店主のおじさんに美少女二人と幼女で攻勢を仕掛け、見事三割もの値引きに成功したのだ。送料と設置手数料込みで明日には新品が我が家にとどく。ぶっちゃけお金は余るほど溜め込んでいるとはいえ、税金もあるし無限でもない。カットできる出費は徹底的にカットする小市民的感覚は必要な工夫であり、けっしてケチってわけじゃない。ないったらない。

 

「あー、なんだか気分がいいわ。ようし二人とも、このお姉ちゃんがあのお肉屋でコロッケをおごってあげましょう」

「えっ、節約は!? ケチった意味は!?」

「細かいことは気にしない!」

「……!(野次を飛ばすように腕を振り回してイケイケの姿勢を指示している)」

 

 シィちゃんの応援を背に電気屋向かいの肉屋へ。何度か買い出しに来る中ですっかり顔なじみとなった店主のおじさんが胡乱げな顔を上げる。

 

「おうお前か」

「ええ私です! コロッケ三つください! あっ、もちろん美少女割使います!」

「いい度胸だてめー美少女税六割課税してやるオラ金だせオラ」

「暴利極まってますねぇ!?」

 

 すずねとシィちゃんが後ろにやってくると、ゴネていたおじさんは「その二人に免じて一割まけてやる」と鼻を鳴らす。えっ、客観的に見て私とすずねって同じくらい美少女だと思うんだけど。差別じゃないのコレ。

 

 コロッケを受け取り、ひしめく店舗の間に口を開けた細い路地へ入る。そこにはガタついたベンチと室外機、どこのものとも知れないトタン板なんかが雑然としている。シィちゃんを真ん中にして腰掛け、勝利のコロッケの味に酔いしれる。

 

 サクサクほかほかのコロッケを頬張りながら表通りの方へ目をやると、アーケードの下に絶えず雑踏の川が流れている。お昼前の時間帯なので主婦っぽい恰好の人たちが多い。八百屋や先ほどのお肉屋さんが呼び込みの声を張り上げていて、もっと遠くからも威勢のいい声が聞こえてくる。

 

 そのままわずかに顔を傾けて、目線だけでシィちゃんを盗み見た。リスみたいに頬袋を作って、美味しそうに食べている。口元の食べカスをすずねが見咎め「んもー」と零しつつハンカチで拭ってあげている。

 

『警戒せよ』

 

 ジャンヌちゃんの神託が頭をよぎる。エリーから伝えられて一週間が経つけれど、シィちゃんはどう見てもかわいい女の子にしか見えない。どこをどう警戒すべきなのか。

 

 あの日以来、私は演習場に足繁く通い、エリーやすずねに変身の指導を受けている。それでも力は戻らない。具体的な方法は分かるけどそのための道具がない感覚だった。プラスのねじを締めたいのにドライバーがどこにもないような。

 

 アンプやシィちゃんの情報も進展がない。念の為エリーに頼んでジャンヌちゃんに話を聞いてもらったけれど、やはりアンプの件は名前だけしか知らなかった。

 

 つまりは力も記憶も完全に手詰まりで、今は次のアプローチを探している状況だ。

 

 焦りはない。当初は不安だったすずねとシィちゃんの関係も、手のかかる妹とデビュー間もない新お姉ちゃんのような距離感で落ち着いている。下手に焦ってまた無茶に走ることのないよう、ある程度のんびり思い出していけばいい。シィちゃんとの出会いは。シィちゃんと交わした約束は、どんなものだったのか。

 

「こらっ、服で手ぇ拭かない。ハンカチ貸すから、っていうかシィちゃんのやつあげたよね!?」

「……?(頭を指差しくるくる回してパー)」

「忘却の彼方ぁ!? んもー!」

「ふふっ」

 

 そんな風に言い合っている二人を見ていると、思わず笑ってしまう。二人はきょとんとして私を見やる。

 

 休日に三人で出かけ、世話焼きなお母さんが小さな子の世話を焼く。今の私たちは親子というか、まるで──

 

「家族みたいね」

 

 対照的な反応だった。

 

 そうかなと照れたようにはにかむすずね。一方シィちゃんは、まなじりが裂けそうなほど目を見開き、わずかに瞳を発光させている。無表情だけど、動揺している。そのくらい分かるには十分なほど一緒にいるから。でも、どうして動揺しているのかは分からない。

 

「シィちゃん?」

「……!(激しく首を横に振ると私の手を取り震える指を走らせる)」

 

 手のひらにつづられたのは『やくそく』の四文字。どういうこと? 

 

 家族みたいと言ったのに対し、シィちゃんは否定した。それが約束だと言っている。つまり、

 

「……私たちは家族じゃない。それが約束?」

「……」

 

 ぴたり、と。石化したように動きを止めるシィちゃん。歪んだ赤い瞳の中で瞳孔が暗黒の口を開け、無表情の中ににじんでいた感情の欠片が微塵も残さず消え去る。

 

 すずねに視線で助けを求めた。すずねは私よりもシィちゃんの言いたいことを読み取れる。けれどシィちゃんを真ん中にしている位置取り上すずねからシィちゃんの表情は見えず、ただ怪訝に私たち二人を見ているだけだ。

 

 目を伏せ、シィちゃんはおもむろに立ち上がる。すかさず赤黒い靄が小さな体を覆い、燕尾服と山高帽をまとう。

 

「ま、待って!」

 

 慌てて手を伸ばしてももう遅かった。シィちゃんの体を覆うように鋭利な赤い結晶が生える。やがて結晶の中に閉じこもったシィちゃんは、小さな口を漫然と動かす。

 

 紡がれたのは、四文字。

 

「縺輔?縺励>」

 

 けれど聞こえるのは異様に歪んだ怪音ばかりで、内容の見当なんてつくはずもない。

 

 間もなくばきりと音が響き、突如として結晶が粉々に砕ける。破片は空気に溶けて消え、その中にいたはずのシィちゃんの姿も、忽然と消えていたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 走る、走る。線路沿いの細い道をともすれば電車よりも速いスピードで駆ける。変身できるほどの力はまだないものの、火事場の馬鹿力なのか自己治癒と身体強化の力はある程度戻っているらしい。望むものが少しずつ戻ってきているにもかかわらず、安心はまったく出来なかった。

 

 シィちゃんが何を思って姿を消したのか私には分からない。どこに行ったのかも。でもとにかく動き出さないと、がむしゃらにでも後を追いかけなければ二度と会えない。すずねも同じ予感を抱いたのか、言葉少なに心当たりを手分けして探し始めた。すずねは自宅と商店街、駅前。私は麻風太付属校周辺と演習場。

 

 人目も気にせず駅前に駆けつけた私は、シィちゃんの魔力に神経を集中しながら足を動かす。学校に着いた。道中に魔力はなかったけれど、地下、演習場の方向から馴染みのある感覚がする。文字を見るだけで悪寒が走る禍々しいそれは、間違えようもなくシィちゃんのものだ。

 

 校舎の裏へ回りフェンスをひとっ跳びで超える。休日のため空き教室の鍵は閉まっており、力づくで蹴破った。轟音と共にひしゃげた引き戸が吹っ飛ぶ。それからほとんど飛び込む勢いでロッカーへ入った。

 

 地下へ着くまでの二十秒と満たない間がやけに長く感じる。エレベーターが動きを止めるや否や飛び出して、危うくこけそうになった。

 

 果たしてシィちゃんはそこにいた。広々とした無人の体育館。中央でぽつんと、取り残された子供のようにうつむきがちで、ひとり寂しく突っ立っている。

 

 つい安堵のため息が出そうになるけど、まだ早い。どうして急に消えてしまったのか。私が何かをしでかしたのか。お話の苦手なシィちゃんからどうにか聞き出さないといけない。

 

 息を整え、汗をぬぐい。一歩一歩近づいていく。

 

「……っが!?」

 

 しかし、すぐに歩みは止まった。止めざるを得なかった。

 

 胸が痛む。いや、胸どころか全身が、古傷のすべてがすさまじく激痛を訴えだした。まるで皮膚の内側を、棘だらけの何かが這い回っているような。

 

 汗が吹き出し視界が歪む。痛みに慣れがなければとっくに気を失っていただろう。だけど今だけは、シィちゃんを一人にしておけない。淑女としての意地を総動員して歯を食いしばる。それでも痛みはとどまるところを知らず、どんどん強まっていく。

 

 やがてその激痛は、弾けた。

 

「うあああっ!」

 

 痛い。声を出しても誤魔化せない。背中の肉がぶちぶちと音を立てて千切れ、その下から血しぶきと共に得体のしれないものが飛び出してくるのを感じる。痛みの波が引いたけどまだ終わりじゃないみたい。少しずつまた強まってきている。

 

 どうにか首をひねって背中を見てみると──結晶が生えていた。赤く黒い、おぞましい鬱血色の結晶が、不規則に肉の下から生えている。見覚えのあるその色彩は、シィちゃんの魔法の産物だ。

 

 シィちゃんが私に魔法を使っている。なぜどうしてと目まぐるしく頭が回り、走馬灯のように過去の音声が脳裏をよぎる。

 

『──赤い結晶のようなものに覆われ倒れている男女が複数名──』

 

 いつかのニュースの音声だ。記憶の糸は今の私の惨状とつながるけど、重要なことは依然分からない。どうしてシィちゃんがこんなことを?

 

「縺輔?縺励>」

「シィ、ちゃん……っ」

「縺輔?縺励>」

 

 気づけば歪んだ赤い瞳が、間近で私を覗き込んでいる。倒れ込んだ私のそばにシィちゃんが屈みこんでいるんだ。

 

「縺輔?縺励>」

 

 聞き取りできない異音を、壊れた機械のように繰り返している。シィちゃんは何かを伝えようとしている。優しいシィちゃんが人を傷つけたいはずもないだろうに、それを押して伝えようとしている。それならどんなに痛かろうと、読み取らなきゃいけない。

 

 唇に集中した。普段桜色の唇は血の気が引いて白みがかっている。同じ動きをひたすら繰り返すのを見ているうち、紡がれる言葉が四文字の二単語であることが分かる。

 

 ついに内実を読み取ったとき、私は一瞬だけ痛みを忘れた。

 

『さ、び、し、い』

『や、く、そ、く』

 

「……っ、ご、ごめんね……!」

 

 シィちゃんは、どうかして理解した。私が記憶喪失になった事実を。あの家族に関するやりとりのどこかで、私がみんな忘れてしまったことを理解し、現実として受け止めてしまった。

 

 私は記憶が失われても、新しく紡がれる絆があればいいと心のどこかで思っていた。だけどシィちゃんが転がり込んできてからの一週間と少し、シィちゃんは新しい私なんて見ていなかった。過去に裏打ちされた前世の私だからこそ、一緒にいてくれたんだ。

 

 でも今の私は過去とは違う。その事実がさびしくなって、シィちゃんは手っ取り早い方法で私の記憶と前世を取り戻そうとしている。

 

『まあ最悪古傷全部抉ってやればワンチャンあると思うんで、問題ないですよ』

 

 あくまでも最悪の手段として口走っただけの浅い考え。切腹したときみたく本当に思い出す保証もない。

 

 けれど寂しくてたまらないシィちゃんには、それしかやり方が分からないのだろう。全身の古傷を抉り、穿ち、約束の『思い出』を取り返そうとしている。

 

「うあああっ!」

「縺輔?縺励>」

 

 今度はお腹を突き破り、結晶が生えた。痛みで頭が回らない。

 

 私はどうすればいい。このままショック療法の可能性に甘んじていればいいのか。すずねたちをまた悲しませることになるとしても、それがシィちゃんへの贖罪になるのか。分からない、痛い、痛い。

 

 ぶちぶちぐしゃりと肉が千切れ、潰れる音に混じって結晶が次々に飛び出してくる。痛みと申し訳ない気持ち以外、もう何も考えられない。

 

「何しくさっとんじゃワレェ!」

 

 唐突な怒声。一拍遅れて浮遊感を覚え、痛みの波が引いていく。

 

「すずねさんが泣きついて来たときには何事かと思いましたが……どういうつもりですの、シィちゃんさん?」

 

 翻る艷やかなブロンドの髪。サファイアを思わせる大粒の瞳と女神のような美貌。花月エリーが、私を抱きかかえている。

 

 ゆらりと立ち上がったシィちゃんは変わらず「縺輔?縺励>」と繰り返し、エリーに向かい合う。赤い瞳のきらめきは業火のごとく激しく猛り、その光輝は意志があるようにシィちゃんの周囲をうごめく。赤黒いその輝きは、ついにはシィちゃんの背中の部分で凝固し、一対の結晶の翼と化した。

 

「ぐうっ!?」

 

 出し抜けに鮮血が散る。エリーの肩から細い結晶が突き出していた。血相を変え後方へ跳び、シィちゃんが遠くなる。

 

「まさか近くにいるだけで結晶が生えてきますの!? 人が生やしていいのは草だけでしてよ!?」

 

 あ、草は生やしていいんだ。

 

 エリーは私を壁にもたれさせ、ふう、と一息。

 

「理解がまったく追いつきませんが、オイタが過ぎるのは確かです。このランク30が上下関係ってものを教えてあげましょう。草草の草ですわ」

 

 エリーの呪文に応じ床から魔法の草が生え、私を守るようにドームを形成した。

 

 花に覆われた逆十字の杖をくるくると回し、勇ましく構えるエリー。

 

「さあっ、本当の草不可避をご覧に入れて差し上げ──」

 

 何やら決めゼリフっぽい言葉をぶった切り、飛び抜けて大きな凝固の音が演習場に響く。シィちゃんが頭上に掲げた手を中心に、巨大な結晶が形成されていく。棘と亀裂にまみれた棒状のそれは数秒の時間をかけ、身の丈に倍する大鎌へ変じた。

 

 大鎌と結晶。対するエリーは花と草。私の嫌な予感を裏打ちするように、エリーの顔からさあっと血の気が引いていく。

 

「草刈り取られちまいますわぁ」

 

 シィちゃんは構わず大鎌を振り上げ、翼の力によってか中空へ浮遊し、私からエリーへと視線を固定し直して──絶望的な戦いが幕を開けた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ひえ~!」

 

 さっそうと助けに来てくれたと思われたエリーが必死で逃げ回っている。結晶の大鎌と地面から不意に突き出してくる結晶の剣山を器用に躱しつつ、距離を保って種や蔓を投げつけていた。

 

 その間に私は立ち上がって状態を確認。出血は止まっているけど全身が痛みに覆われ、一歩歩くことも難しい。さらに都合の悪いことに傷のどれもが内臓を抉るほど深くはなく、腹を切ったあのときほどの激痛はない。つまり過去へつながるほどの痛みではないのだ。

 

 どうする。シィちゃんは私との思い出を求めている。でもまた同じことをしてすずねやヨミを傷つけていいのか。他に過去を取り戻せる手段はないのか。誰も傷つけず元の日常に戻るにはどうすればいい。

 

「な、なむさんですわぁ」

 

 弱りきった声。思考を止めて見てみると、結晶の槍衾と壁に囲まれエリーが袋小路に陥り、シィちゃんがゆっくりと嬲るように接近している。このまま近づけば謎の能力によってエリーの体が結晶の苗床になってしまう。

 

 痛くて動けないなんて弱音を吐いてる場合じゃない。私は歯を食いしばり、固まった血の下から新しい血が滴るのを我慢して走り出し──

 

ACCESS DENIAL(アクセス拒否)

 

 ピンク色の光が閃き、シィちゃんの歩みが止まった。

 

 シィちゃんとエリーの間に、ビート板サイズのピンク色の板が割り込んでいる。表面にはアクセス拒否の英字。どこかで見覚えのあるサイケデリックなディスプレイだった。

 

「《アーカイブ》!? そういえばここのセキュリティ担当でしたわね、助かりますわ!」

『長くは持たないっす、早く──』

 

 ヨミの声だ。

 

 ディスプレイから切羽詰まった声が響くとほぼ同時、シィちゃんが鎌をひと振り。ディスプレイはあっさり切り裂かれ消滅してしまう。それでもエリーはどうにか蔦を天井に伸ばして壁際から脱出し、シィちゃんから再び距離を取る。

 

『マフマフさんと、無理言って明洲(あけす)さんにも応援を頼んだっす! 時間稼ぎますよ!』

「合点!」

 

 ほどなく復活したピンク色のディスプレイが勇ましく叫ぶ。

 

『大人しくするっすよ、シィさん!』

 

404 NOT FOUND(お探しのページは見つかりません)

 

 シィちゃんの顔の周りを無数のディスプレイが取り囲み、出来れば出会いたくない不快な英文が表示される。視界を塞がれたシィちゃんもこころなしか鬱陶しそうだ。そのスキにエリーは肩口から生えた結晶を引き抜き、蔦で応急処置を施す。

 シィちゃんはディスプレイの一つを無造作に掴む。

 

『縺ゥ縺?※驍ェ鬲』

 

 意味不明な文字列が画面上を染め上げる。そこを起点にすべてのディスプレイが禍々しい文字に埋め尽くされ、砕け散った。ピンクのディスプレイは数秒経っても現れない。その間隙を埋めるようにシィちゃんの足元から草が生え、エリーがまた気を引きつつ逃げ回る

 

 次にディスプレイが復活したのは、私のすぐ隣だった。

 

『せんぱ……っ!?』

 

 文字列攻撃が効いていたのか顔をしかめたヨミの顔。しかし私の惨状を見ると、悲しげに顔を歪め絶句する。この子にはスプラッタな光景見せてばかりで申し訳ない。

 

『もう経緯とか状況とかどうでもいいっす逃げてくださいっ! 出入り口を結晶で塞がれたら終わりっすよ!』

「ごめん、無理」

『歩けないっすか!?』

「ううん。でもね、ここで逃げたらシィちゃんが寂しいままなの。記憶を取り戻すしかない」

『意味がわからないっす……!』

 

 簡単なこと、要はすずねのときと同じだ。私が一方的に捨ててしまった過去の不可侵領域、すずねにとってのマフラーのような箇所に、どうかして私が踏み入ってしまった。シィちゃんは突然現実を突きつけられ、寂しくなって暴れている。泣いてる女の子に背を向けて逃げるなんて淑女の、私のやることじゃない。

 

「だからヨミ、お願い。埋め合わせする。出来ることならなんでもやる。私が私であるために──」

 

 もう一度力を貸して。

 

 画面の向こうのヨミはくしゃりと苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えてショッキングピンクの髪を振り乱す。さらに不明瞭な唸り声を発し、涙目で私を睨む。

 

『何でもするって言ったの、録音してましたからね』

「えっ」

『で、何を知りたいんです?』

 

 シィちゃんとの出会い、アンプ事件、私とシィちゃんとの約束。ヨミは沈痛な面持ちで手元を操作し、ピンク色のウィンドウの横に新たなディスプレイが一つ現れる。

 

『FILE: REPORT ON AMP INCIDENT

CLEARANCE LEVEL: 4』

 

『アンプ事件のレポートっす。約束のことはボクも知りませんが、出会いを含めシィさんと先輩のことはこれですぐ分かるっす。ただ問題がいくつかあって──』

「なっが! 長いわよこれぇ!」

『はい、そうっす』

 

 スマホの要領でディスプレイを下へスクロールすると、なーがい。要点の流し読みだけでも十分はかかりそうだ。普段なら短い時間でも、今はとても長い。というのも、

 

「うきゃー!? ちょっとそこ、何をのんきにガールズトークしてますの!」

 

 エリーが毎秒崖っぷちで時間稼ぎをしているからだ。

 

 非常に頼みにくいけれど、今のところ私がさっさと『やくそく』を含む思い出を取り戻すほかに丸い選択肢はない。再び深く自傷するか変身なしの薙刀のみでシィちゃんに特攻をかけるかのギャンブルよりも堅実だ。もうここは恥を忍んで他力本願しちゃおう。

 

「エリーごめーん! あと十分、いやさ五分でいい! 稼いで!」

「はぁあー!?」

 

 エリーは変身装束に結晶を掠らせながら素っ頓狂な声を上げる。見るからに崖っぷちなのに無茶過ぎたか。

 

 それでもエリーは私の目を見ると不敵にふっと笑い、次の瞬間には勇ましい淑女の顔つきになっていた。

 

「盟友に頼られちゃ断れませんわ。いいでしょう……最下位ランカーの意地見せてやりますわよっ!」

 

 降り注ぐ結晶の雨のわずかな隙間に蔦を閃かせ、ワイヤーアクションの要領でシィちゃんから大きく距離を取るエリー。攻撃が再開されるよりも早く、エリーは逆十字の杖を頭上で高速回転させる。

 

「草どころじゃありません」

 

 回転が止まる。杖に絡みつく花が残らず枯れ落ち、代わりに太陽のような極光が杖全体から発せられていて、

 

「わたくしがその気になれば──」

 

 演習場の床に、杭打ち機のごとく振り下ろされた。

 

「ジャングルだって、生い茂りますわぁっ!」

 

健全なる密林(サウンドジャングル)

 

 ジャングルが顕現する。ヤシの木、杉の木、ナラにブナ、種々雑多のあらゆる樹木という樹木が床から天井まで発射されるような速度で伸び、視界を葉の緑と梢の褐色が埋め尽くす。豊かな葉や格子を思わせる入り組んだ樹木たちがシィちゃんの姿を覆い隠し、私たちの姿も自然の中へと埋没させる。

 

 事前に私とヨミの近くに着地していたエリーは、樹林が茂り切る前に私たちへ合流していた。大樹の根本に口を開けた大きなウロの中へ飛び込み息をひそめる。

 

 とてつもない大技だったのだろう、エリーは全力疾走でもしたように顔が真っ赤で息絶え絶えだ。

 

「ち、ちなみにっ、私のアソコはジャングルじゃございませんのであしからず」

『誰も興味ないんで大丈夫っす!』

 

 ツッコミはヨミに任せておく。せっかく稼いでくれた時間、一秒たりとも無駄にできない。すでに樹林の向こう側からパキパキと硬質な結晶の音が聞こえてくる。刈り取られ、見つかる前に取り戻さなきゃ。

 

 ヨミのディスプレイに向き合う。

 

 スクロールしながら内容を追う。目にした文字が脳内で勝手に舞い上がり、不自然な記憶の空白部分にかちり、かちりと嵌まっていく。アンプ事件とは何だったのか、私とシィちゃんはどんな風に出会ったのか。一文字ごとに当事者意識が高まり、鮮烈で残酷な思い出が現実のものとして私を呑み込んでいった。

 

 スクロールが利かなくなる。すべて読み切った後も、私は動けなかった。ヨミとエリーの呼びかけに応じる余裕すらない。

 

 みんな思い出した。出会いのこと、アンプ事件のこと、約束のこと。そして──

 

「これは殺されても文句言えないなぁ」

 

 私が最低の女であることも、理解してしまった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 霧の晴れるように、ジャングルが消えていく。すべての魔力を使い果たして形成し、残りの精神力でぎりぎり維持してくれていたエリーが失神したからだ。やりきった笑みで親指を立てて倒れたその様はまさに淑女の鑑だった。私の罪と目論見を聞かせたヨミは「信じてるっす」とだけ言い置いてディスプレイを消失させ、後に残ったのは私とシィちゃんの二人だけだ。

 

 演習場の中央で、シィちゃんは結晶の翼を背負い大鎌を掲げている。照明のいくつかが壊れた薄暗い中に、歪んだ赤い瞳が爛々と浮かび上がっている。

 

 私の方から一歩、近づいた。

 

「ごめん、シィちゃん。私最低だ」

 

 一歩ごとに皮膚の下がかき回される痛みに侵される。すでに開いた古傷や結晶の刺し傷から新しい結晶が飛び出し、血と激痛がほとばしる。それでも歩みを止めるわけには行かない。この結晶はシィちゃんが受けた痛みそのものであり、今の私に出来る唯一の贖罪だから。

 

 シィちゃんの足が一歩下がる。それよりも大きく踏み込んで距離を縮める。共有した時間のない私はシィちゃんにとって別人だ。寄ってほしくないのだろう。

 

 だけど私はもう知っている。シィちゃんと出会い、どんな時間を過ごし、どんな約束をして、家族みたいと言ったのがどれほど深くシィちゃんを傷つけてしまったのか知っている。ならば取り戻した過去に正面から向き合い責任を取らなければいけない。過去を背負って今を生き未来へ進む生き方こそ、私の魔法少女としての原点なのだから。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 あの事件の始まりは今年の春。年齢も職業もバラバラな男女の連続怪死から始まった。被害者たちは体内から奇妙な赤黒い結晶が爆発的に成長し、剣山のような有様で息絶えていた。

 

 パラダイム機関はその結晶からすさまじい密度の魔力を検知し、ノスタルジス側に寝返った魔法少女の犯行の線で警察から捜査を引き継ぐ。当時は覚醒したての魔法少女が唆され、力を凶行に利用する事件が増えていたから、その類かと思われた。新人であれば機関のエージェントでも十分に対応可能だ。

 

 が、捜査チームは壊滅した。容疑者の魔法少女の元へ向かったチーム全員が結晶に覆われ、どうにか命はあったものの瀕死の状態で帰ってきた。

 

 生き残りから聞き取った情報からエージェントに対応できる手合ではないと判断され、そういった厄介事を請け負う専門の魔法少女に任されることとなった。

 

 その専門というのが私。ランク1にのみ任される特務の形で捕縛任務を請け負い──シィちゃんと出会った。

 

 あの時のシィちゃんは正直どんなダスクやノスタルジスの戦闘員よりも強力で、近づくものをみんな結晶の苗床にしてしまう。私も初めて魔法少女相手に本気を出して戦った。どうにか勝てたからそのまま捕まえようかと思ったけど、戦った感じや話してみた印象からして悪い子だとは思えなくて、完了報告の前にヨミのところへ相談に行ったんだ。どうして魔法で人を殺したりしたのか、何か事情があったんじゃないかと。シィちゃん当人はそのときから意思疎通が難しい子で、ヨミの情報網はとても頼りになった。

 

 その結果露見したのが、AMP。Artificial Magical-ones Project、通称アンプ。計画の目的は『素質のある少女たちに適切な刺激を与えることで人為的な覚醒および魔法少女量産の可能性を追求すること』。いわゆる女の子たちをモルモットにして戦力にしちゃおう、というムナクソ悪い計画だ。

 

 ノスタルジスとの長い戦いの歴史の中で提唱されたそれは、私が生まれる前にとっくに凍結破棄されていた。ただし表向きには、だ。ノスタルジスによる被害が深刻化していくにつれパラダイム機関の過激派が暗躍し、秘密裏に計画が動いていた。研究者たちは各地から素質のある子たちを拉致し、モルモットとして扱っていたんだ。

 

 投薬や肉体改造はまだ優しい。残酷だったのは『家族もどき』の実験だ。

 

 未来へ進む意志により覚醒するのなら、現状への不満を募らせることで覚醒を促せばいい。実際、不遇な家庭環境で生まれる魔法少女は多かったらしい。モルモットの少女たちは仮想現実世界に囚われ、そこでありとあらゆる『不遇な生まれ』を体験させられた。虐待、ネグレクト、罵倒、いじめ、無視、差別、心中──およそ社会のどこにでも転がっている、子供にとっての地獄を何回も何回も。これだけでも最悪だが、研究者たちは現役の魔法少女を言いくるめ、科学的な仮想現実を『幻覚』の魔法によって強化していた。現実とまったく変わらない仮初の世界で、子どもたちは延々と地獄を見せられ続けた。

 

 子供たちはたくさん死んだ。当たり前だ、耐えられるわけない。

 

 それでもシィちゃんは耐え、生き残った。

 

 廃品としてガス室に閉じ込められ意識を失う直前、シィちゃんは未来へ進む強い意志を抱いた。こんなに辛い世界はぶち殺すという思い。近づくものを全て壊し傷つけ殺し尽くすことで未来へ進む意志。積み重なった意志の力は臨死を経て、そのまんまな効果を持つ『殺意』の魔法へと結晶した。

 

 シィちゃんが魔法で施設から脱出した後、計画は費用対効果の面から凍結され、モルモットはみんな廃棄処分。計画に関わっていた機関の職員たちは逃げるように転職、引退しのうのうと過ごしていた。その中でも計画に深く関わっていた元研究員たちを、シィちゃんは殺した。

 

 もちろんシィちゃんは悪くない。子供をモルモット扱いする大人は殺された方がいい。シィちゃんがやってなければ私がやってた。

 

 実際、ヨミの報告を聞いてすぐに私は局長──タダオジを殺しに向かった。もし計画を知っていて止めなかったならシィちゃんの代わりに殺そうと思ったんだ。そんなことをすると最悪収入源がなくなるから、今思うとどうかしていた。結局タダオジの心の底から驚いた顔と見事な土下座を前に引き下がったっけ。

 

 でも結局私はタダオジをひっぱたいた。錐揉み回転で吹っ飛んでった。アンプの件は機密とする、つまりもみ消すと言い張ったからだ。

 

 私にも事情は飲み込めた。そのときの戦況はものすごく逼迫していて、ノスタルジスが大規模な攻勢を計画している情報もあった。そんな状況で機関の暗部が明るみに出れば、士気が下がるだけならまだしも離反の恐れさえある。

 

『世界が「回帰」を迎えるか否かの瀬戸際において、戦力低下のリスクは回避しなければならない。分かるね、みすずくん』

『……』

『ぶべらっ!?』

『先輩!? タダオジさん死んじゃいますよ!?』

 

 事情は分かる。でも我慢できなかった。ビンタを受け吹っ飛んだタダオジが壁に叩きつけられるのを見ても、収まらなかった。

 

 私はタダオジの胸ぐらを掴み、せめてあの子を元の家族のところに返すよう要求した。これに答えたのは、私の怒りように危機感を覚えついてきたヨミだった。

 

 ヨミはたいへん言いにくそうに、

 

『えっと……もうお亡くなりっす。拉致に際し激しく抵抗したため処分した、と……たぶん、シィさんの目の前で……』

 

 握りしめた拳は、グロッキーなタダオジの頬を掠め、後ろの壁にめり込んだ。

 

 悔しかった。悲しかった。気が狂いそうだった。

 

 子供を大人の都合のおもちゃにしたあげく、大人の都合でなかったことにされる。大切な人を奪われて、人格が破壊され名前も忘れ、溢れ出る『殺意』に言葉が歪む体質を押し付けられ、散々な目に遭わされたのに、大人たちは知らんぷり。そんなシィちゃんが他人とは思えなかった。悔しくて悲しくてやるせなかった。

 

 でも世界を守るためには受け入れるしかなかった。

 

 ここまでがアンプ事件の顛末。ヨミ率いる諜報部と分析の魔法が明らかにした事件の、真実の記録。

 

 私の記憶は、この記録に強く結びついていた。

 

『うえええん!』

『……!?』

 

 タダオジを八つ当たりでぶっ飛ばした私は、号泣した。シィちゃんを匿ってたセーフハウスに泣きながら駆け込んで、シィちゃんを抱きしめた。

 

 同情じゃない。共感と自己投影、それからシィちゃんの境遇を知っても何も出来ない自己嫌悪。色々な感情がぐちゃぐちゃになって、訳の分からないことをたくさん喚いた。

 

『腹立つよね、みんなぶっ殺したいよね。あいつら外っ面だけ繕うくせに結局子供を道具としか見てない。勝手に動く人形って思ってる。ふざけんなって話だよ、あいつらに産まない作らない権利はあっても、こちとら産まれてこない権利はないってのにさ、誰が、誰が産めと頼んだのって──』

 

 今思い返しても意味がわからない。

 

 でもシィちゃんにはどこか響くところがあったのか、その日からよく甘えてくれるようになった。

 

『あなた、名前は?』

 

 シィちゃんは黙って足の裏を見せた。AMP 041。四十一番目のモルモット。ヨミによると、仮想現実の中でもずっと番号で呼ばれていたらしい。

 

041(シィ)ちゃん。シィちゃんって呼んでいい?』

 

 シィちゃんは石みたいに固まったかと思うと、涙を流した。無表情で。私も泣いた。

 

 戦闘と学校生活の合間に時間を作ってシィちゃんの様子を見に行ったり、シィちゃんがうちに訪ねてきたり。短いけど平穏な日々があった。

 

『んもーまたお姉ちゃんは別の女の子侍らせて!』

 

 すずねは初対面から機嫌が悪かった。縄張りを侵された猫みたいにシィちゃんを牽制してた。

 

『私が誰って? 妹ですけど? お姉ちゃんのつむじからつま先まで全部知り尽くしてる妹ですけど? ゆりかごから墓場まで永遠に一緒な妹ですけど。ぽっと出のちんちくりんが割って入る隙間はないよ?』

『……!』

『ちょっ、何それ反則ぅー!?』

 

 たまにすずねがマウントを取ったり、カッとなったシィちゃんが殺意で逆襲したり。その数分後にはすずねが口うるさくシィちゃんの世話を焼いたりして、今思うとあの頃から二人の関係は変わらない。

 

 でもそんな平穏は長くは続かなかった。

 

 長年の情報収集が実を結び、クロ・ノスタルジスの総本山が特定されたのだ。首領から幹部まで勢揃いしているだけでなく、重要な活動拠点にもなっているそこを落とせば、百年以上続く機関とノスタルジスの争いに決着がつく。厳選されたトップランカーの魔法少女たちによる侵攻作戦が立案され、私も一番槍として参加することになった。

 

 当然、厳しい戦いになる。すずねやヨミには何度も引き止められたけど、ランク1の立場にある私が不参加では他に示しがつかない。きっと大丈夫だからと言い張って納得させた。

 

 だけどすずねたちよりも強くゴネたのがシィちゃんだった。

 

『……!(親指で首をカッ切る)』

『気持ちはうれしいんだけど……』

 

 たしかにシィちゃんの戦力は頼りになる。近づくものをすべて殺意の結晶に呑み込みズタズタにしてしまう魔法は強力だ。最上級のダスクだろうとシィちゃんの視界に入るだけで即死するだろう。

 

 ただ、それは味方の魔法少女に対しても同じことだ。複数のランカーが参加する総力戦でシィちゃんが殺意を発動させると、敵味方問わずみんな死ぬ。作戦も任務もあったもんじゃない。

 

 何より、私はシィちゃんの同行がイヤだった。ただただイヤだったんだ。

 

 シィちゃんは自分の意志で魔法少女になったわけじゃない。ヘドが出るような大人の都合で死んだほうがマシな経験を押し付けられ、それを乗り越えるために覚醒したんだ。苦痛にまみれたこの世界を憎悪し、鏖殺することにのみ未来の希望を見出す、殺意の化身に変じた。そんな子供を戦わせることがイヤだった。

 

 そう言い聞かせてもシィちゃんは敵みんな殺すと息巻くばかりで、ほとほと私は困った。どうにか説き伏せないと無理やり着いてきかねない。

 

 だから私は約束をした。

 

 私も、すずねも、シィちゃんも。戦いが終わってからみんなみんな幸せになれる約束をしたんだ。

 

 絶対に忘れちゃいけない約束をして──私は記憶喪失になった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「『家族になろう』」

 

 一歩、踏み込む。胸から結晶が突き出す。

 

「『この戦いが終わったら、家族になろう。すずねと私とシィちゃんと、一緒にくらそう。だから──』」

 

 また一歩、踏み出す。殺意の結晶は生えない。バキバキと何かの砕ける音。

 

「『いい子で待ってて』。約束、したわよね」

 

 血と激痛で真っ赤に染まる視界の中で、赤い粒子が吹き荒れる。結晶の翼と大鎌が微細に砕け、シィちゃんは地に足を着けていた。まだ変身を解かないのは私を信じられないからだろうか。

 

 それも当然だ。私はシィちゃんを裏切った。たとえこの場で殺されても文句は言えない。だから命尽きる前にもう一度歩み寄り、ごめんなさいをするんだ。

 

 シィちゃんはあの時、一人ぼっちだった。元の人格と名前を壊され人権は存在ごと抹消され、どこにも行くあてがない。パラダイム機関の局長あたりに頼めば徹底的に世話を見てくれるだろうけど、シィちゃんにとっては自分をひどい目に遭わせた悪い組織だ。私のセーフハウスを出れば一生一人ぼっちになってしまう。

 

 私はそんなシィちゃんに同情して、あるいは共感して。家族になろうと約束した。

 

「『家族が何かって? 一緒にいるのが当たり前な人のことよ。シィちゃんにとってはそう、私とかすずねとか』」

 

 首をかしげるシィちゃんにそう説明した。やくそくのことを『いっしょにくらす』とメモ書きしたのはこのせいだった。

 

 約束を交わした時のシィちゃんと、今のシィちゃんが重なる。無表情だけど歪んだ瞳だけが不安に揺れていた。あの時は『家族もどき』の実験が尾を引いて。今は本当に思い出してくれたのかと疑って。

 

 一歩寄ってはまたシィちゃんが後ずさる。徐々に距離を詰めていくさなか、声が聞こえた。

 

『こわい』

 

 頭に直接響く。でもシィちゃんがしゃべっているわけじゃない。私の体に刺さった針状の結晶──殺意の結晶に混入したシィちゃんの意志だ。

 

『また傷つける』

『殺した。たくさん殺した』

「大丈夫。大丈夫だから」

 

 シィちゃんは人を殺した。大人の都合で真実が隠蔽されても事実は変わらない。ふとした拍子に周囲を傷つける殺意も背負っていかなきゃいけない。

 

 でも大丈夫だ。過去の重さも強すぎる意志も一緒に背負う。そんな家族になりたくて、一人じゃないよと伝えたくて、私は約束したんじゃないか。ずっと待ってたシィちゃんをこれ以上待たせてたまるもんか。

 

 壁を背にしたシィちゃんの足が止まる。やっと追いついた。両手を伸ばし、華奢な体の背に回す。

 

 それを機に全身の力が抜け、膝をつく。もう忘れないように強く抱きしめればやっぱりあの時と同じく、小さな体は震えている。

 

「待たせてごめんなさい」

 

 シィちゃんの腕が背中に回される。結晶で穿たれた傷口に指が突っ込んで叫びを上げそうになるけど、そんなものに割く体力はない。私の口に許されるのはごめんなさいの想いだけだ。

 

「もう絶対忘れない……もし、シィちゃんがよかったら……」

 

 私にも、約束を果たさせてほしい。と、最後の方は痛みに歪んでほとんどうめき声に近い。

 

 それでもシィちゃんには伝わったみたい。一度私の体に手を突っ張って離れると、歪んだ瞳をまっすぐに向けて、

 

「縺翫°縺医j」

 

 と、うなずいてまた抱きしめてくれた。私の罪を、許してくれたんだ。

 

 シィちゃんはウチにやってきたあの日から、家族になったつもりだった。私が記憶喪失になったとは考えてないから、当然私もすずねもそのつもりだと思いこんでいた。でも私が家族『みたい』と言ってしまったことで、本当の家族ではないと突き放された気になったんだろう。シィちゃんは家族みたい──『家族もどき』の実験を幾度となく経験している。やくそくを裏切った私はムナクソ悪い大人たちと同じ、殺意の対象に成り下がった。だからシィちゃんは一度姿を消して、それでも家族のやくそくを諦めきれず、とある可能性に賭けた。

 

 古傷を全部抉ればワンチャンある。ほぼほぼ実行する気のない冗談みたいな言葉を、シィちゃんは聞いていたから。シィちゃんを傷つけ、暴走させたのもみんな私の責任だ。

 

 だけどシィちゃんは許してくれた。どうしようもなく愚かな私に、筋を通すチャンスをくれた。本来なら近づくだけで即死な殺意の魔法を加減し、エリーに対しても本気になることはなかった。前に戦ったときみたく、演習場全域を結晶で埋め尽くす力技を見せなかったのがその証左だ。シィちゃんはどこまでも優しい子だった。

 

 さて、こんなに優しい子に辛い思いをさせたんだから、のんびり痛い痛いとは言ってられない。まずはすずねにやくそくのことを話して今後の生活について話し合い──エリーやヨミには迷惑をかけっぱなしだからその埋め合わせ──

 

 と、未来に思いを馳せだしたその時。

 

「っが……っ!?」

「……!(シィちゃんの動き見てる余裕がない)」

 

 痛みが弾けた。

 

 どうにか首をひねって後ろを見てみれば、拳大の結晶が無数に背中から突き出している。すでにある傷口のすぐ下から、新しく突き出してきたらしい。

 

 ここまで来ると痛いとかどうとかいうレベルじゃない。視界が真っ白で意識が遠のき、走馬灯のように記憶がめぐる。

 

『ちょっ、シィちゃんの変身はシャレにならない──』

 

 慌てふためくすずねが逃げ回る光景。

 

 そうだ、魔法少女の変身した姿は抜身の刀。特にシィちゃんの殺意は、戦意がなくとも近づく者を徐々に苗床へ変異させる。そっかぁ、だからタダオジとかやたら遠くで立ち止まってたんだ。うっかりだなぁ。

 

「繧?□繧?□繧?□?」

『せ、先輩、センパーイっ!』

 

 ざりざりした異音ときんきん響くヨミの声を最後に、私の意識は暗転した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 次に目を開いたとき、そこには美少女がいた。

 

 ふわふわした栗毛を中央で分け、つつきたくなるおでこが丸出し。泣く寸前みたいに歪んでいた表情は、私と目が合うなりむすっと不機嫌なものへ変わった。その後ろに見える白い天井や覚えのある寝心地からして、おなじみの病院だろう。

 

「どのくらい寝てた?」

「二日」

「……私は結局みんな傷つけてばかり。だけどね、すずね」

「お医者さん呼んでくる」

 

 すずねは病室を出ていき、白衣のおじさんを連れ立って戻ってくる。昏睡から目覚めたあの日と同じ人だ。

 

 すずねの後ろから入ってきたお医者さんは私の直上、ベッドの上の天井を見て動きを止める。それから困惑を隠そうともせずすずねと私を交互に見やるけど、すずねの眼光にうめき声を漏らして、しぶしぶ私の検診を始めた。

 

 私の傷自体は大したものではなかった。シィちゃんの結晶は大部分が体の表層から生えており、傷の深さでいえば私が腹を切ったときの方が深刻だった。今の容態はというと、少しずつ魔法少女の力が戻りつつあるらしく、驚異的な再生能力によりここへ運び込まれる頃には傷の半分以上がふさがっていたとか。ただし半年前の戦いと同様失血がひどく、意識レベルが深く落ちていた。目が覚めたならほどなく退院できる、と。

 

 そんな風に説明されてる間も、天井から吊るされてるそれに目が奪われていまいち集中できない。お医者さんも同じみたいで、ものすごく気まずそうに天井をちらちら見ながら退室していった。

 

「あのう、すずね」

「なーに?」

「エリーは大丈夫?」

 

 本題の前にワンクッション。実際疲労困憊状態だったエリーのことは気になる。

 

 すずねによると、エリーは魔力と精神力が枯渇しあの後まる一日寝込んだものの、今はすっかり元気を取り戻している。ここにも何度か見舞いに来て「そのうち教団のみなさんに顔を見せに来てくださいまし」と言い残していったという。この場を切り抜けたらきっと会いに行こう。

 

 さて、いよいよ向き合わないと。

 

 分かりやすい直球を放つ。

 

「シィちゃん下ろしてあげて?」

「ヤダ」

 

 ぷい、とそっぽを向くすずね。天井から吊るされたシィちゃんは、無表情で左右に揺れている。

 

 そう、天井のそれとはシィちゃんである。薄手のシャツと短パンの部屋着スタイル。腕を後ろ、足を折り曲げた状態で緊縛されている。この恰好だと全体重が大事な部分の縄にかかるから、ほんとに身動きできないんだよね。経験済み。

 

「今すぐ締め出したいんだけど、すごく抵抗するの。せめて身動きできないようにって言ってみたら、いいって言うから」

「いいって言っちゃったの!? マジで!?」

 

 言われてみれば、シィちゃんの白いほっぺが少し朱に染まっている。純真無垢なシィちゃんがひどい影響を受けていた。

 

 ひどいのは絵面もだ。病室で幼女がいやらしく緊縛吊し上げプレイされつつまんざらでもない顔をしてるなんて、お医者さんからしたら事件だろう。口出ししてこないあたり機関の息がかかっているのかも。

 

「ええっと、すずねは今回の経緯聞いた?」

「まだ。ヨミちゃんは直接お姉ちゃんから聞いてって」

 

 アンプ事件はともかく、やくそくのことは私たちのプライベートな部分だから、ヨミも気をきかせてくれたんだろう。

 

 そこそこ長い話になるので要件を頭の中でまとめていると、すずねはなんでもないように「まあ」と切り出す。

 

「どんな経緯があっても、シィちゃんを身動きできない状態で海に沈めるのは決まってるけどね」

「すずね早まらないで」

「早まってたらお姉ちゃんの目が覚める前にやってるよ我慢してるのこらえてるの必死で抑えてるのっ!」

「ひえ」

 

 すずねはベッドをぼふぼふ叩く。動きは駄々っ子みたいでかわいいけど目が死んでるから怖い。

 

「よ、よく我慢してくれたわ。すずねえらい!」

「……ふん。おだてたって私の意志は変わらないよ。シィちゃんは二三十年後くらいに身元不明死体として発見されるの」

 

 まずい。シィちゃんはシィちゃんでしょんぼり落ち込んでるように見えるし、すずねが機嫌を直さないと大変なことになる。たしかに私も万が一すずねが誰かに同じことされたと知ったらこのくらい怒るけども。

 

 かくしてシィちゃんの命運をかけた私のプレゼンが始まる。アンプ事件のこと、シィちゃんとの出会いややくそくのこと。そして、やくそくを踏みにじった私の罪と、シィちゃんの行動について。

 

 すべてを語り終え病室がしんと静まる。すずねは腕を組んでうつむき審理を重ねているようだ。果たして裁定の結果は。

 

「む、むぐぐ……」

 

 ものっそい迷っていた。怒りと呆れをベースに悲しみと同情を混ぜ込み、アクセントに憐憫を加えた筆舌に尽くし難い顔でシィちゃんを睨みつけている。かと思うと、シィちゃんを縛っていた縄が光の粒子となって消える。空中で器用に回転し私にまたがる形で降り立つシィちゃん。ひとまず最悪の判決は回避できたらしい。

 

「シィちゃんも、辛かったと思うし……お姉ちゃんに当たるのもたしかに……ううん、ダメ! やっぱりダメ!」

「どの部分が?」

「家族になるってところ!」

 

 すずねはシィちゃんの首根っこを掴んで私から引き剥がす。シィちゃんの表情はやはり凍りついているけど、ショックを受けているのがなんとなく分かる。

 

「怒ったからって殺そうとするなんてあり得ない! 手を出すより先にもっと意志を伝える努力ができたはずだよ! 私もそれなりにはシィちゃんの考えてること分かるし──」

「えっ、すずねがそれ言うの?」

「どういう意味!?」

 

 どういう意味も何も。

 

「えーっとすずね。今日もそのマフラー、最高に似合ってるわね」

「当たり前でしょ! だってこれはお姉ちゃんが──はっ!?」

 

 愕然とした後、涙目になってぷるぷる震えだすすずね。床に降ろされたシィちゃんが心配げに見上げている。

 

 たしかに傷ついたシィちゃんの行動は、剣呑とは言わないまでも中々にいかつい。でもそれはマフラーの件のすずねも同じことだ。あの時私に泣いているところを目撃され自分がどんな行動を取ったか、すずねも思い出したのだろう。ある意味二人とも気が合う。

 

 すずねはたっぷり数分間頭を抱えて唸りに唸り、盛大なため息。それから少しかがんでシィちゃんと視線を合わせ、正面から向かい合う。

 

 何をする気かと思っていたら、出し抜けに両手を振り上げる。乾いた破裂音。すずねの両手が、シィちゃんのほっぺたを左右から挟み込んでいた。ビンタの挟み撃ちだ。シィちゃんはタコみたいな口をしつつも無表情で涙目になっている。

 

「けじめ。お姉ちゃんをこんなにした分は、これでいい」

「すずね、それじゃあ」

「私だって他人とは思えないんだもん。今日から改めて──家族として、よろしくね」

「……!(目を大きく見開いてすずねに抱きつき首元に顔をぐりぐり擦り付けている)」

 

 相変わらず動きがうるさいなあと苦笑するすずねと全身で喜びを表現するシィちゃん。そんな二人を見ながらほっと胸をなでおろす。

 

 アンプ事件とシィちゃんの境遇を知った時点ですずねの怒りは収まると踏んでいた。だけど仕方ない事情があったとはいえ私がケガをした事実は変わらない。そこにどう折り合いをつけるのか不安だったのだけど、すずねもシィちゃんと同じくらい優しい子だった。

 

 後は私が早くケガを治して退院すれば、三人での生活に戻って大団円。しかし安心しきりな私の目に、やけに悲しげなすずねの顔が映る。

 

「すずね、どうしたの? 何か不安?」

「うん……お姉ちゃんの妹が、私だけじゃなくなっちゃうなあって……」

「そんなわけないでしょ」

「ふぇ?」

 

 驚くほど間の抜けた声だった。淑女がそんな声を出すもんじゃありませんよ。シィちゃんもきょとんとして私を見上げている。

 

「ど、どういうこと? だって家族になるんでしょ?」

「うん。でも私の妹は生涯ただ一人。すずね、あなただけよ」

 

 すずねが胸に手をやり、顔を赤らめる。

 

 一方、シィちゃんは不安げに私の手を握った。妹じゃないなら私はなんなの、と言っているのが聞こえてくるみたいだ。

 

 なんなのと聞かれると答えは一つだ。見た目九か十歳程度のシィちゃんが、私やすずねの妹ではなくかつ家族であるとすれば──

 

「娘よ」

「あっ、娘かぁ。じゃあ安心だね! ……娘!?」

「いくつで産んだのよ私は」

「セルフでツッコむのやめて!?」

 

 私はもうすぐ十六だから、シィちゃんが九歳だとしたら七歳で生んだことになるのか。私すごい。

 

 目を白黒させるすずねとは対照的に、シィちゃんはあごに指を添えて考え込む。

 

 やがて顔を上げるや否やすずねを指差し、高らかにこう言った。

 

「縺翫?縺おばさん! おばさん!輔s縺翫?縺輔s」

「おばっ……!? だーれがおばさんかぁーっ!」

 

 お母さんの妹なら当然そうなる。

 

 殺意に歪んでいてもはっきり聞こえるほどの意志により、すずねは晴れておばさん認定。腕をぱたぱた振り回してシィちゃんを追いかけ回し、病室はすずねとシィちゃんのはしゃぐ騒音で満たされる。案の定、いつかのように看護師さんストップがかかって二人は追い出された。

 

 退院した後もシィちゃんはたびたび「おばさん」発言を繰り返し、すずねに追いかけ回され、そこに私が茶々を入れる日々。騒がしく共有される時間が、私たちを新しい絆でつないでいくのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 記憶はどうにも戻らない。まるで思い出すのを避けてるみたいに、戻るとしても部分ごとだ。変身能力もまだまだ。ノスタルジスが滅んだ今になっても、タダオジが事件のことを公開していないのも引っかかる。

 

 私の記憶が原因で、また一人傷ついた。私の体も傷ついた。古傷に新しい傷が重なって、とても人に見せられるものじゃない。私もみんなも傷ついて傷つけあって涙を流した。

 

 けれど雨降って地固まる。あいにく降ったのは私の血の雨だったものの、傷つけあった末に笑える今と明日を勝ち取り、過去に折り合いがついたなら──

 

 記憶喪失になったけど実質ノーダメ。

 

 そんな風に強がることも、まだ出来ると思うんだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

魔人ちゃんはがんばらない【完結】(作者:難民180301)(オリジナル現代/日常)

ニート幼女が泣いてる魔法少女を拾ってきて百合イチャイチャする話。


総合評価:10103/評価:8.92/完結:6話/更新日時:2022年08月12日(金) 21:30 小説情報

塵埃の魔法少女【完結】(作者:難民180301)(オリジナル現代/冒険・バトル)

性根が腐ってる元魔法少女ちゃんが、新人魔法少女たちをいじめる話。日記形式+三人称。曇らせ要素あり。


総合評価:41707/評価:9.12/完結:10話/更新日時:2023年11月03日(金) 06:00 小説情報

枯羽の天使(作者:難民180301)(オリジナルSF/冒険・バトル)

巨大ロボのベテランパイロットちゃんが、現場復帰して先輩風を吹かせる話。日記形式+三人称。全九話。


総合評価:12113/評価:9/完結:9話/更新日時:2024年06月23日(日) 19:02 小説情報

レグルスの初恋の人脳破壊TS転生者概念(作者:ノミの心臓)(原作:Re:ゼロから始める異世界生活)

▼リゼロ世界(100年前くらい)の寒村に転生したTS転生者が母性を爆発させノミ以下を溺愛するだけのお話。▼尚ノミ以下は無事脳みそを焼かれることとする。▼


総合評価:5942/評価:8.79/短編:4話/更新日時:2024年11月27日(水) 14:23 小説情報

魔法少女サクリファイス【完結】(作者:難民180301)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

性格最低のクズ魔法少女ちゃんが最底辺の肥溜めの中で輝くお話。日記形式+三人称。


総合評価:23134/評価:9.09/完結:9話/更新日時:2021年07月31日(土) 14:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>