「どうして、どうして! 傷が治らないんですか、いつもみたいに何食わぬ顔で起きあがってくださいよ!」
耳もとで、書記が騒いでいる。
激痛に蝕まれながら、わたしは眉をひそめた。体の半分を吹き飛ばされた上に魔力をほとんど奪われたのだ、書紀の言っていることは無茶苦茶だった。
「わたしが死ぬことは残念だがもう変えようのないことだ。君も栄えある王立学園生徒会の書紀なならば、過去を嘆かずに未来をみたまえ。まだ助かる見こみのある者がたくさんいるだろう」
書紀の治癒魔法は強力だ。こんな死にかけの人間に貴重なリソースを裂くよりもするべきことがあるだろう。
「ふ、ふざけないでください! 会長が死んだら、誰があの怪物を倒すんですか! この王国で最強の魔導師になるって、そういわれてた会長がいなきゃ!」
「わたしは所詮ただの人だ。それを失ったからといって揺らぐほどの国ではない。必ずわたしの意志を継ぐ者が現れる」
そうだ、わたしは所詮は噛ませ犬にすぎない。ラスボスの力を際立たせるためだけの、学園最強という張りぼてだ。
遠くでわたしをじっとみつめているあの少女。あの主人公が必ずしやこの学園を襲ったあの怪人を倒してくれるはずだ。
だから、わたしはなにも恐れていなかった。
「黙ってくださいよ!」
書紀が狂ったように頭をかきむしっている。せっかくの美しい金髪がそうもぐしゃぐしゃになってしまうのはもったいないだろう。
わたしは書紀の頭のうえに、手をおいた。
「あ……」
「どうだ、落ち着いたか。取り乱す気持ちもわかるが、われら生徒会は学園の規範とならねばならないのだから常に優雅たることを忘れてはいけない」
書紀の瞳に、静かに大粒の涙がにじみだす。
「死んじゃうんですか、会長」
「そうだな。よく言われている噂は間違っていて、わたしは無敵ではなかったということだ」
書紀がわたしの胸もとに顔を埋める。わたしは霞んでゆく視界のなかで、ふと思い残したことがあるのを思いだした。
「そういえば、生徒の皆は無事だったか」
「ええ、無事です。会長のおかげで死人はでませんでした」
書紀が涙を袖でぬぐって、いつもの冷静な顔を作る。肩がまだ震えていることにわたしは苦笑しながら、そっと曇天の空をみあげた。
「そうか、それはよかった。書紀、学園のことは任せられるか」
「……お任せください。わたしの命をかけます」
書紀の言葉に安心して、そっとまぶたを閉じる。耳もとでまた書紀が叫んでいるのを、わたしはもう聞くことはなかった。
わたしはしがない転生者である。生前に読んだラノベで学園最強の魔導師をさせてもらっている。
わたしは原作では瞬殺される噛ませ犬である。
学園を襲ってきたラスボスに守るべき生徒たちを殺され、最後には逃げようとしたところを殺される、そんなひきたて役がわたしである。
そのことに気がついたからといって、わたしはどうしようともしなかった。
ラスボスはけた違いに強い。わたしの死を目にして奮起した主人公が十年がかりで死線をくぐり抜けた果てにようやく相討ちにもっていけたほどだ。
だから、わたしがちょっと頑張ったところで死ぬことにかわりはない。
そういう星の生まれということだ。学園で最強と讃えられてちやほやされて、ラスボスに襲撃されて殺される、そんな運命ということだ。
名門の貴族の生まれだから、ずっと魔法の勉強をする。そんな努力もラスボスの前ではまったく意味がないことなどわかりきっているのに、ただ惰性で魔導書を読む。
自分でもどうしてそんなことをしているのかわからなかった。
限りある命なのだから、せっかくなら遊んだほうがよいだろう。なのに、どうしてそんな無駄なことをしているのか。
最後までその訳というのはわからなかったが、それに感謝する日はやってきた。
「学園最強と名高い会長、その補佐を務められることを光栄に思います」
短く切り揃えられた金髪に、人を殺せそうなほど鋭い瞳。これで何度目かわからない生徒会結成の日に、わたしは初めて書紀と顔をあわせた。
初めはずいぶんと口うるさい奴だと思った。
どうやら書記は生徒会長、あるいは学園最強としてのわたしの外面に憧れていたらしい。だからわたしが思いのほかいい加減な性格だと知るとことにつけて叱ってくるようになった。
わたしが拾ってきたドラゴンの卵を気まぐれに孵そうとした時など、こちらが殺されるかと思うほどに怒鳴られたものだ。
「なんなのですか、会長は。学園最強、やがてはこの王国を背負って立つ偉大なる魔導師、そんな人間がこんな有様でよいとほんとうに思っているのですか!」
書紀の小言をわたしは聞き流す。
「っ、聞いていますか! だいたい面白そうだからなんてそんなくだらない理由で最上位の悪魔を召喚しようとしないでください! 馬鹿なんですか!」
「そういわれても、ついかっとなってやってしまうのはどうしようもないというか、わたしの性根なのだから変えられんぞ」
「……ほんとうに、最低ですね」
「案ずるな、ほかの生徒の目がある時はきちんと生徒会長の仮面をかぶっておこう」
書紀の冷え切った瞳を身にうけて、わたしは首を竦めることしかできなかった。そんなわたしに書紀はなぜか裏切られたような顔をしていた。
「もういいです、会長にはなにも期待しません」
呆れ果てたような声でため息をつかれる。それからわたしのなすことに書紀が口を挟むことはなくなった。
まあ、今度はわたしが書紀の私情に首をつっこむことになったのだが。
「ふむ、生徒会の書紀が暗黒教会の暗殺者だったとはまったく気がつかなかったな」
「か、会長……?」
書紀が、信じられないという顔をみせる。
学園長である王子の暗殺に失敗し、ボロボロで傷だらけの書紀。そんな彼女にわたしは上着をかけた。
暗黒教会はこの国の裏で暗躍する狂信者たちの集まりだ。神の教えを絶対視し、暗黒教会が頂点に立つ神の国というものを作ろうとしている。
ゆえに、その障害となる王や貴族を神に逆らう叛徒として命を狙っていた。
書紀は、学園長を殺すためだけに暗黒教会から潜りこんできた使い捨ての暗殺者だったのだろう。わたしはまったく気づかなかったが。
「は、ははは。会長に知られてしまいましたか」
書紀が乾いた笑い声をあげた。自らを嘲るように、書紀が虚ろな瞳をうかべる。
「それで、どうですか? あれだけ生徒会長のありかたに口うるさかったわたしが実は最低最悪の犯罪者集団の手先と知って、わたしを嘲りますか」
「…まずは、話を聞こうか。この期に及んで逃れられるとは思ってもいまい」
血まみれでもう手も動かせないほどの書紀の口は軽かった。もしかするともう自分が助からないと、そんな風に考えていたのかもしれない。
確か、書類上は書紀は地方の弱小貴族の生まれであったはずだ。そして、書紀の言うことを信じるのならば、そこに間違いはないらしかった。
「確かに、わたしはあの貴族の娘です。でも、父も母も実は暗黒教会の熱心な信徒だったんですよ。実の娘を暗殺者としてさしだすほどに、です」
まさか貴族に暗黒教会の者が紛れこんでいたとは。だが、それならば話もわかるというものだった。
書紀は貴族の娘なのだから、学園に通っていてもおかしくない。誰もその素性を怪しむことはないだろう。そうして貴人に近づき、その命を奪う。
そう考えると、書紀は確かに暗殺者にむいていた。
「会長の話を聞いて、願ってしまったんです」
学園最強、公正明大にて他に類をみぬ正義感の持ち主。そんな噂を聞いて書紀はわたしに希望をみたのだという。
幼いころからずっと暗黒教会に暗殺者として育てられた書紀。人を殺すことだけを望まれて生きてきた書紀にとって、生徒会長としてのわたしはとても眩しかったらしい。
そんなわたしに、書紀は己の罪を裁いてほしかったというのだ。
「ずっと苦しかったんです、人殺ししかできないわたしが。そんななんの役にもたたないわたしと違って会長には輝かしい未来があった」
書紀がわたしの顔をみあげる。その瞳はまるで太陽でも目にしているかのように眩しそうに細められていた。
「もしかしてわたしの正体に気がついてくれるんじゃないか、そんなふうに願っていたんです。馬鹿ですよね、勝手に期待して勝手に失望して。いったいわたしはなにをしたかったんでしょうか」
書紀が笑った。
「でも、これでもう終わりです。もうわたしには帰られるところなどありません。暗殺をしくじった者に暗黒教会は情などもちませんから、消されるでしょう。だから、せめてでも罪を償いたい」
書紀は、わたしに捕まるつもりらしかった。
暗黒教会の者を捕えれば、王から莫大な褒美を与えられる。ただでさえ賞賛されているわたしの名声がさらに高まるだろう。
だが、書紀はどうなるのか。
「暗黒教会に属していた者は、みな極刑を免れたことがない。打ち首になるというのに、それでも衛兵に身を預けるというのか」
わたしがそう問いかけると、書紀はびくりと震えた。
そうだろう、いくら暗殺者として育てられてきたからといって死を恐れぬ者などいるはずがない。それも、こんなに幼い歳で罪人として首つりともなればなおさらである。
「でも、それがわたしの罪ですから」
だが、それでも書紀は笑みを作ってみせた。人の機微に聡くないわたしでもばればれの作り笑顔であったが。
なにはともあれ、この書紀は生まれの不幸をすべて負ってそのまま殺されるつもりらしい。なんとも高潔な志なことだ。
虫酸が走る。
わたしは書紀の腹にポーションをかけた。傷にしみるのか、書紀が顔をしかめる。
「ふむ、それは面白くないな。まったくもって面白くないぞ、書紀よ」
「そうですか、つまらない人生なことはそうですね」
ふと口をひらいたわたしに、書紀は自嘲するようにほほ笑んだ。
それからしばらくして、牢獄に捕らえられた書紀のもとをわたしは訪れた。書紀はみずほらしい衣でうずくまっている。
どろりとしたその瞳は、たしかに数日後の死罪を言い渡された人間のものであった。
「会長……? ありがとうございます、こんなわたしのことを忘れずにいてくれて」
「わたしはこうみえても生徒会長であるからな。己の性根がふざけたものであることは知っているが、きちんと学園のものを導き守るという責務は果たそう」
「ははっ、お勤めご苦労様ですね」
暗い瞳で笑う書紀を横目に、わたしは牢獄の鍵をあけた。足にかかっていた鎖をはずしだしたわたしに書紀が目をまるくする。
「なにをしているんですか?」
「決まっている、無実の罪で囚われたわが書紀を助けるのだ。わかりやすく書類をまとめてくれた書紀がいないせいでわたしの机は酷くてな。とっとと帰ってきてもらわなければ困る」
がちゃりと鎖が落ちる。
わたしは書紀のやせ細った体をかかえると、牢獄を後にした。しばらく夢でもみているかのようにぼんやりとしていた書紀がいきなり暴れだす。
「やめてください! こんなこと、みつかればいくら会長でも殺されますよ! どっちにしろ暗黒教会に殺されるか死刑になるかのどっちかなんです、せめて罪を償わせてください!」
「書紀がなにを言っているかはわからんが、もう暗黒教会は壊滅してその教主も殺されてしまったのだ。たとえお抱えの暗殺者がいたとしても誰なのかわかりはしないだろうな」
「もういいです、情けはかえって迷惑ですから! そもそもわたしが暗殺教会が壊滅したなんてそんな嘘信じると……」
ぴたりと書紀が手足をばたばたさせるのを止めた。震える声で書紀がわたしの首筋をなでて治癒魔法をかけてくれる。
わたしは久しぶりの暖かな感触に目を細めてしまった。
「なんですか、この傷。これ、もうすこしずれていたら死んでますよ」
「なにしろ、治癒に秀でた書紀がいないことを忘れていてな。暗黒教会なる犯罪者の集会に殴りこんだときになかなか無茶をしてしまった」
「そんな、まさか教主や幹部が集まるあの日に足を踏みいれたのですか……? 暗黒教会でも凄腕の魔術師が集結する、よりにもよってあの日に……?」
そうだ、原作では学園最強ともてはやされていたわたしでも暗黒教会の壊滅はいささか荷が重かったらしい。何度も死にかけたし、書紀ほどの癒してでなければ治らぬ傷も負った。
「言っただろう、わたしはこうみえても生徒会長なのだぞ。書紀もふくめて、わたしは学園の者たちを導き守ってゆく責務がある」
わたしは背にじんわりとした温もりを覚える。じわりとわたしの服を濡らしていくその液体は、やがて大きな嗚咽にかわっていった。
「なんで、なんでそんなことをわたしのために……。会長が命をかけることなんてない、わたしはもう学園の学徒ではなかったのですよ……」
「たしかに、責務がどうのこうのというのは嘘だったな。なに、わたしが愚かにも死にかけたのは、いつもの気まぐれだ」
どうせわたしは噛ませ犬としてラスボスの前で無様を晒して死ぬのだ、ならばそれまで気まぐれに生きても罰はあたるまい。そう考えてわたしは生きている。
書紀の泣き声はもっと大きくなった。
「書紀、ただ今戻りました」
「うむ、では書類仕事を頼む。わたしはつい先日により力を注がなければならぬ重大な使命に目覚めたのだ」
「競馬をするために夜なべして作っていた偽の身分証でしたら、とっくに焼き捨ててしまいましたよ」
なん、だと……!
わたしは死神でもでくわしたかのような思いで、書紀をまじまじとみつめた。なんという極悪非道で冷酷な人間なのだろうか、やがて死にゆくわたしからささやかな生の幸せを奪うとは……!
「まったく、わたしならともかくほかの生徒の前では決して口にしないでくださいね。あの学園の生徒会長が競馬に現を抜かすなどろくな話ではありませんから」
「まかせたまえ、幻術はわが渾身の魔術をかけている。かの魔王とてやすやすと見破ることはできないだろう」
わたしが魔王の名を口にすると、書紀になにを言っているんだこの人はという風な目でみられる。わたしとて魔王がとうの昔に勇者に封じられていることなど知っているとも。
それがひょんなことから封印が外れ、この学園を襲いに来ることも、だ。
なにはともあれ、とわたしは書紀の顔をじっとみつめた。あの日、牢獄から救い出してから書紀はほんとうによく笑うようになった。
今も口ではなにやら文句を言いながら、機嫌よさそうに鼻歌を歌っている。
書紀だけではない。わたしは会長として学園の生徒の困りごとに顔を幾度となくつっこんだことがある。だがその度に心にしみたのは、彼らは生きているということだった。
これからやがて襲いかかってくる魔王に無残に殺されるとも知らずに、日々を幸せそうな笑顔で生きている。時に悩み、苦しみながらも、それでも必死に歩いている。
なんというのだろうか、わたしにはそんな彼らが眩しくみえた。
初めから死ぬものと決めつけて諦めてしまっているわたしよりも、ずっともっと彼らの人生というものは貴いもので、はたしてそれは簡単に失われてしまっていいものなのだろうか。
「会長? どうしました?」
「いや、なに。いつまでもこうしていられればよいなと思ってな」
書紀の不思議そうな顔に、思わず心のうちを漏らしてしまう。妙なことを口走ってしまったと焦ったその時、書紀が大輪の花のような笑みをうかべた。
「大丈夫です。困った時には会長が助けてくれるんでしょう?」
「……ああ、そうだな」
その瞬間、わたしは運命にあがくことを決めた。
それから、わたしは寝る間も惜しんでただひたすらに己の才を磨きあげていった。血を吐くような思いで禁術にも手を出した。
もちろん、ほかの人にはみせていない。書紀にも、だ。
わたしはこの世で初めて気まぐれでいられないものをみつけた。この学園の会長として、いや未来を知る者としてなさなければならない使命を知った。
惰性で魔術を学び続けてきたことに感謝する。
恐らくどれだけ魔術の腕を磨こうとも、かの魔王の前においてはただの児戯なのだろう。だが、それでも死人の数だけは違うものにできるはずだ。
噛ませ犬のわたしにも、意地というものがある。
この世界で生まれて暮らしてきた、ひとりの魔術師として。たとえ己が物語の舞台装置の歯車にすぎないとしても。
それでも、わたしには命を賭して戦わなければならない訳をみつけたのだ。
運命の日は、唐突に訪れた。
虚空から、捻じ曲がった角の生えた男が飛びだしてくる。その男はたった腕のひとふりで山脈をひとつ吹き飛ばしてしまった。
その悪魔のごとき魔人の名は、古より伝わりし最恐最悪の魔術師。
「恐るべき破壊者、魔王……」
誰かの呟いた言葉が、恐怖となって学園を伝播していく。死への恐れに駆られて我先にと逃げだしていく生徒の波に逆らうようにして、わたしは一歩ずつ己の死へと近づいていった。
一人の生徒の命を奪うところであった魔王の気まぐれの炎を、己の全力の魔術で防ぐ。
「あ、あああ……」
「生きているな、ならば走れ。死ぬには若すぎる」
学徒に手を貸し、逃す。そうして歩いていると、わたしの傍にはいつのまにか生徒会の者たちが集まっていた。
「会長ひとりで死なせるわけにはいかねえよ」
会計の巨漢がにかりと笑い。
「僕の計算が正しければ、このままだと生徒会は全滅ですね。でも、まあ殴ればなんとかなるでしょう」
広報の女がぼそぼそとした声で呟き。
「やったー! 今日はもうつまらない授業をうけずにすむや!」
庶務の少年がもろ手を挙げて喜ぶ。
「会長、あなたの傷はわたしがすべて癒しますから」
そして、書紀がわたしのそばによりそった。
「では、頼もうか」
すくなくとも、わたしは生徒をおいてひとり逃げることはしなかった。こうしてすこしでもついてきてくれる生徒がいるだけでわたしはなかなかよい会長だったのではないか。
そんなふうに思いながらわたしは死地へと赴いた。
結論から言おう。わたしたち生徒会はほぼ全滅に近かった。
戦い始めてからすぐに、魔王の気まぐれの一撃で会計が沈んだ。庶務は吹き飛ばされて壁に埋もれたまま動きがない。広報は地を這いつくばっている。
すでに戦っているのはわたしひとりだけであった。
「あああああっ!」
らしくもない雄たけびをあげながら、渾身の魔術を魔王に叩きこむ。わたしのすべてを賭したその一撃を、魔王はまるでそよ風のようにうけとめた。
余裕の笑みを浮かべながら、魔王が笑う。
「なんだ、この時代にもなかなかの魔術師はいるではないか。ほかのやつらはすぐに倒れてしまって他愛もなかったが、おまえだけはみどころがありそうだ」
「なに、わたしは学園最強の生徒会長であるからな。そうやすやすと死ぬわけにはいかん」
骨がぼきぼきに折れた腕をだらりと垂らしながら、わたしは虚勢を張る。
すでに激痛で頭が動いていない。背後の書紀が必死に治癒魔法をかけてくれているが、残念ながら雀の涙にもなっていなかった。
「まあいい、そろそろ終わらせるか。冥土の土産に俺の魔術の秘奥をみせてやろう」
魔王が動きをとめ、とんでもない量の魔力を手のひらに集めていく。その魔術を目にして、その正体がわからぬ者などこの学園にはいなかった。
かつて大陸ごとなにもかもを吹き飛ばしてしまったという魔王の最強の魔術。
発動までに時間はかかるものの、放たれてしまえばもはや死を逃れることのできない最悪の魔術。それを目にして、書紀の瞳が絶望に染まる。
「では死ぬがよい。この俺に殺される幸運を噛みしめながら逝け」
魔王が傲慢な笑みをうかべて、どす黒い魔力の球をかかげた。
そんな絶体絶命にあってわたしの心は嘘のように凪いでいた。もしかすると、それはこれまで死ぬものとばかり諦めて生きてきたからかもしれない。
だから、今ならずっと失敗し続けてきたあの魔術が成功するような気がしていた。
「"我が手に、ありとあらゆる絶望をうちはらう力を"」
わたしの声に、書紀が信じられないとばかりに目を見開く。
「"この世すべての光を束ねて、わたしは人々を救う希望とならん"」
詠唱を耳にした魔王が、怒りとも嘲りともつかぬ顔でわたしをまじまじとみつめた。
「"なればこそ、我、名を高らかに叫ばん"」
これまでどれだけ試してもなにも起こらなかったはずなのに、わたしの手に純白の光が集まってくる。それはどこか剣のような姿をとっていた。
「あ、ありえん! それはあの忌々しき勇者の!」
魔王の声に、はじめて恐怖が蘇る。
あまりの力に、全身がはちきれてしまいそうだ。気を失いそうになってしまうのを、ただの執念でもちこたえる。
数瞬でよい。
もとよりなにもかもを諦めてしまっていた己にはふさわしくない力だと知っている。だから、頼むから、この一瞬だけでも運命を覆す力が欲しい。
ふと、わたしは校舎の陰から主人公が顔を覗かせているのを目にした。
わたしはここで死ぬだろう。この勇者の魔術をもってしても魔王に手傷を負わせるのがせいぜい、その後にわたしは魔王の魔術で死んでしまう。
だが。
この世でわたしというひとりの人間が生きた証を。この世の主人公に、この魔王をいつかは討ち取ることになる真の英雄の瞳に。
焼きつけてやろうではないか。
この背に悲痛な叫びをあげてくる書紀の顔を思い浮かべる。これまで話をしてきた学園の生徒たちの顔がどんどんと思い浮かんでくる。
死んでやろうではないか。
彼らの幸せとひきかえに、わたしの命が終わるのならばそれは本望だ。こんなくだらない、つまらない人生もこんな最後なら悪くはない。
わたしはその魔術の名を口にした。
「”聖剣、われに力を”」
「お、お前!」
そうして、わたしはその生に終わりを告げた。
気がつけば8000字を越えてしまった……。