「あら、随分と可愛い子が居るじゃない」
鈴の音のような声が聞こえる。
それは店に入って15分程が経った頃。
それなりの量のあった魚料理をペロリと食べ上げ、果実酒を飲みながら主人のミアと他愛無い会話をしていると、例の怪しい集団から抜け出して来た銀髪の美しい女性が声をかけて来た。
一目で女神であると分かるような強い存在感、そして思わず見惚れてしまいそうになるほどに美しい容姿。これほど美しいものがこの世界にあるものなのかと驚いてしまうほどの美貌。
これは流石に………『母に匹敵するかもしれない』と、本気でそう思ってしまった。
「なあにミア、こんなに可愛い子が居るのなら紹介してくれてもいいじゃない」
「……はぁ、追い出すよ」
「もう少し話に付き合ってくれても良いと思うのだけど」
「知らないよ、あんな連中を受け入れてやってるだけ感謝しな。口出しはしないけど、協力するつもりはサラサラないよ」
「……本当、変わらないわねぇ」
そう言って睨み付けるミアに、白銀の女神はつまらなさそうに溜息を吐く。
2人は当然ながら知り合いなだけでなく、どうもそれなりに近しい仲なのだろう。それでもミアの雰囲気からして、迷惑ばかり掛けられているというところだろうか。
それにこちらの女神もそれなりにトラブルメーカーであるということが分かる。まあこれほどの美貌なのだから、何処へ行っても注目の的なのだろう。それはしかたのないことだ。
……それに。
(この声って……)
その鈴の音のような声を、自分は何処かで聞いたことがある。それは確かに意識が混濁していた時のことではあるものの、あの苦痛を一瞬でも和らげてくれた声の主。であるなら、もしかしなくとも……
「あの……貴女がフレイヤ様ですか?」
「あら、声だけで覚えていてくれたの?ユキ」
「やっぱり!それに私のことも覚えていてくれたんですね!嬉しいです!」
「ふふ、当然よ。忘れたくても忘れられる訳がないじゃないの。貴方も、元気そうで何よりだわ」
「えへへ」
一体なんの偶然なのか、探していた相手とこんなところで会うことが出来た。それに相手も一度会っただけの自分を覚えていてくれたということにも、素直に嬉しく思う。
むしろ声を聞いて直ぐに気付けなかったことが申し訳ないくらいだ、相手は恐らく直ぐに気付いて声をかけに来てくれたのだろうに。
「実は私、主神様からフレイヤ様へ手紙を渡すためにこのオラリオに来たんです。本当はオラリオまで来たんですし、冒険者にもなってみたかったのですが、今はそれが叶わないので」
そうして懐から一通の手紙を取り出す。
アストレアからこの手紙をフレイヤに渡して欲しいと頼まれてこの街へとやって来た。恩恵を失った自分では冒険者になることは出来ないけれど、本当にこのためだけにオラリオにやって来た訳であるが。とにかく役割を果たせたことに安堵する。
なんとなく違和感のある手紙を、それでもしっかりとフレイヤへと手渡すと、彼女はまた笑顔でそれを受け取ってくれた。
「手紙、アストレアから頼み事なんて珍しいわね。内容は知っているのかしら?」
「いえ、特に聞いていないです」
「ふぅん……取り敢えず読ませて貰うわね」
「?」
感じる奇妙な違和感。
しかしその正体が分からず首を傾げながら、一先ず女神フレイヤの反応を待つ。あの手紙には一体何が書かれているのだろう。全く想像が出来ない。
「………」
「………」
「………」
「………?フレイヤ様?」
「ねぇ……貴方、恩恵が無いのよね?」
「ええ、無くなってしまいました。手紙に書かれていましたかね……?」
「それは別に良いのだけれど……どうしてそんな風に、何事もないように私を見ていられるの?」
「え?」
言われている意味がよく分からなかった。しかしミアもまた少し驚いた様子で見ていたし、なんならフレイヤの背後に居た怪しい男達もまた訝しむような目をこちらに向けていた。
「あの、何かおかしかったでしょうか……?」
「……私は美の女神、その中でも特に魅了の力が強いと自負しているわ。少なくとも私を見れば、女性だろうと顔を赤らめて見惚れるのは当たり前」
「ええ、私も不躾にも見惚れそうになってしまいました」
「……スキルのせいでは、なかったの?」
「???」
よく分からないが、この場所に来てからなんとなくこうして相手と会話の噛み合わなくなることが多い。ただ自分が他の人間よりも惚れ具合が弱いと言われていることはなんとなく分かったので、それについての答えを考えてみる。きっと自分の反応は、異常なのだろうと理解できたから。……そうなると理由として挙げられるのは。
「……多分、フレイヤ様の雰囲気が母に似ているからだと思います」
「母、親……?」
「ええ、私を育ててくれたお母さんです。残念ながらもう亡くなってしまったのですが、真っ白で、優しくて、本当に綺麗な人で。今でも私の憧れでもあります」
「……名前を聞いても、いいかしら?」
「へ?え、ええ。メーテリアお母さんですけど……」
「「っ!?」」
母の名前を口にすると、目の前の2人の顔がそれまで以上に驚愕に染まる。
もちろん雰囲気は似ていても、少なくとも母は女神ではなかったはず。加えて目の前の女神とは性格も全く異なっていたし、似ているのは本当に雰囲気だけ。その雰囲気というものも口で説明するのは難しい。
「あの、もしかしてお母さんを知っているんですか……?」
「………いえ、同じ名前の眷属を知っていただけよ。彼女はこのオラリオで亡くなった筈だし、別人ね」
「そうでしたか……」
「それにしても……本当にままならないわね」
「?」
「なんでもないわ、こっちの話よ」
「そうですか……?」
もう何が何だか分からなくなってきた。とにかく手紙を渡すことは出来たので、その反応を待つことにする。手紙を渡した後のことについては女神アストレアにしては不思議な話だが、特に指示はなかったので、その辺りのことについても手紙に書かれていると信じるしか無い。
……しかし本当に不思議な話。思い返す度に記憶の中の自分が今の自分と噛み合わないような、奇妙な感覚に陥る。何故もっと主神に突っ込んで話を聞かなかったのか、何故もっと不思議に思わなかったのか、自分でも分からない。
「それで、私はこれからどうすれば……」
「え?ええ……そうね。一先ずアストレアからは貴女の住む場所と働き先を用意して欲しいということだったわ」
「なるほど」
「そういうことだからミア、お願いしてもいいかしら。責任は持つわ」
「……ここが限度だ、これ以上アンタの都合に付き合うつもりはないよ。ただでさえ従業員に手出されてんだ。今回の件でアンタとは完全に手を切る、それでいいね」
「ええ、構わないわ。……ありがとう、ミア」
「ふんっ」
「……?」
なんだかとても大変な話をしているように聞こえるものの、当の女神は笑ってばかり。それに今の話を聞くに、彼女が用意する自分の働き口というのは……
「そうと決まれば、こっちに来な。アンタは器用そうだからね、早速今から働いて貰うよ」
「え?あ、いいんですか!?私の性別は……」
「男なんだろ、知ってるよ。どうせバレやしないんだ、気にする必要なんざないね」
「は、話が早くて助かりはするのですが……!!」
強引に引っ掴まれると、そのまま店の奥へと連れて行かれてしまう。振り返れば美神は優しく微笑みながら小さく手を振っていて、自分も感謝の気持ちを込めて振り返す。
少し困惑するくらいに偶然が重なりはしたものの、恩恵を失った自分にも役立てるような仕事を貰えた。それはとても恵まれたことで、嬉しいことだ。
「フレイヤ様、ありがとうございました〜」
「……」
……ただ、なんとなく。
その瞬間になんとなく彼女が寂しそうな顔をしたのは、気のせいだったのだろうか。恩恵を失い、目も悪くなってしまった自分では確証が持てない。
遠ざかっていく女神の姿は、何処か孤独にも見えた。
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「一先ずこっちの棚を使いな、ユキ」
「あ、はい。ありがとうございます。………あれ、そういえば私の名前って言いましたっけ」
「……言ってなかったら私が知ってる筈がないだろう」
「ん、それもそうですね」
「中に入ってる物も自由に使っていい。制服も洗ってあるから直ぐに着替えな。大きさも問題ない筈だよ」
「分かりました」
「………」
それだけ伝えてまた店に戻って行ったミアを見送ると、ユキは案内された棚の中を覗いてみる。まさか今日の今日から働くことになるとは思っていなかったものの、決して嫌な訳ではない。何故か性別もバレていたし、それでも良いと言ってくれたのなら、後はとにかく役に立てるように働くだけ。
「あれ……これ、本当に使って良いんですよね?結構色んな物が揃っているというか、それも割と新しいというか………んん??」
しっかりと折り畳まれた制服だけでなく、手拭いから着替えまで。他にも小物から諸々と、少し準備され過ぎなくらいに物が入っている自分の棚。しかもそれ等全てがなんとなく自分の好みであるのだから、困惑する。
しかも、よくよく見てみれば棚に貼ってある名札に『ユキ』と書かれている。あの一瞬で貼り付けたのだろうか、若しくは自分がその瞬間を見ていなかっただけなのか。
「多分前の従業員さんのものだとは思うんですけど……偶然ってあるものなんですねぇ」
本当に不思議な偶然。好みが同じなだけでなく、体格まで同じだったのか、制服が驚くほどピッタリ自分のサイズ。それに自分自身も初めて着る筈のものなのに、なんとなく着慣れた感覚もあった。
しっくり来るに越したことはないが、しっくり来すぎると、それはそれで困惑する。とは言え、いつまでも着替えに時間を掛けては居られない。頭を切り替えて店へと戻る。
「あの、着替え終わりました」
「……うん、やっぱり似合うじゃないか」
「そ、そうですかね。……あれ、フレイヤ様帰ってしまったんですか」
「ああ、あんな奴のことは気にしなくて良いよ。……リュー!こっち来な!」
「はい……?」
「っ」
やっぱり何処かフレイヤに対する当たりが強いミアのことはさておき。そんなミアに呼ばれて寄ってきたのは、"リュー"と呼ばれた1人のエルフの女性。
ユキよりも少し年上なのだろうか。エルフの気質以上に生真面目な雰囲気を宿しており、しかし性質に漏れず美しい容姿を持った、そんな女性だった。
「………」
「………」
「………」
「………」
「……何を見つめ合ってんだい、アンタ等」
「「はっ」」
目と目を合わせた瞬間に思わず意識を引き込まれてしまい、互いに数秒見つめ合ったまま停止するという、まあ確かに客観的にみれば非常におかしな反応をしたユキと彼女。
本人達にもその理由は分からない。しかし分かることは、きっと目の前の人物は自分と気が合うということだった。何故か互いに互いを見た瞬間に心音が早くなりつつも、それを確信していた。
(どうしたんだろう、私……)
……そんなロクな理由もなく、自分でさえも意味が分からない思考が妙に走る。昨日まではこんなことはなかったのに、今日に限ってどうも違和感が酷い。
まるであまりに現実的な夢を見ているかのよう。けれど頬を引っ張ればしっかりと痛みはあるし、どうやっても目の前にあるのは現実なのだから分からない。
「新人のユキだ、アンタが仕事を教えてやりな」
「新人、ですか」
「あ、えっと、ユキ・アイゼンハートです。よろしくお願いします」
「ええ、リュー・リオンと言い、ま……?」
「……?」
ユキの差し出した"手"を、リューは自然と取る。
何の抵抗もなく、何の不思議もなく、まるでそうするのが当然かのように。心より頭より先に、身体がそうしたかのように。他者と肌を触れ合わせることの出来ないリューの身体が、反射で他者と触れ合った。
それに驚いたのは当然本人……
「…………は?」
「あの、どうかされました?」
「私は………なに、を……」
「?」
こうして話している間も、2人の手は繋がれたまま。徐々に頭が真っ白になっていきつつも、それでも確かなのは繋がれたこの手が嫌ではないということ。……むしろ、それどころか自分の身体は飛び付いた。思考が働くよりも先に、差し出された手を取りに行った。今もこうして、その手を離すまいと繋ぎ続けている。
「なに手なんか握りあってるんだい、馬鹿なことやってんじゃないよ」
「っ……す、すみません」
「い、いえ、私は全然。……それで、お仕事を教えて貰ってもいいでしょうか?」
「え、ええ、それは勿論。……ええと、どうしましょうか。一先ずは配膳からでも」
「分かりました、よろしくお願いします」
焦りながらも、しかし何処か名残惜しそうに離した2人の手の軌跡をミアは見る。
ユキに仕事を教えるために彼を連れ出し、店の内装から仕事の流れまで、何処となく先輩風を吹かせながら色々と教え始めたリュー。直前までフレイヤが居たからか今日は客が少ないことが幸いしている。多少息をついたところで仕事に影響はないだろう。
(まったく……アタシはどんな気持ちでこれを見ていればいいんだい)
正直なことを言ってしまえばミアは困惑していた。ユキのことも当然、しかしなによりフレイヤの行動について。
まさか彼女だって思わなかったのだ。あの女神が自分から頭を下げて、ユキをここで働かせるように頼みに来るなどとは。
ミアだってなんとなく分かっていた、フレイヤの目が時々この酒場で手伝いをしていたユキに向いていたことを。間違いなくフレイヤはユキを狙っていたことを。故にある程度聞かされた事情から考えるに、普段のフレイヤならばそのままユキを自分の側近やメイドとしての役割を与えて無理矢理側に居させただろう。
……しかし、今回彼女が取った行動は真逆。
むしろフレイヤでさえも頼み事という形をしなければ手を出せないミアの店に、彼女はユキを送り込んで来た。わざわざ自分の手が届きにくい場所に、ユキを連れて来た。それの意味することが、付き合いの長いミアにも分からない。
「そ、それでですね、調味料は確か……」
「あ、これですね。お料理なら自信がありますので、任せてください!」
「りょ、料理に自信……!?」
「……ふんっ」
これが果たして仮初のひと時なのか、それとも新たなる現実なのかは、ミアには分からない。今の状況に納得もしていないし、このままで終わらせるつもりも毛頭ない。娘とも言える従業員達に手を出したケジメは付けさせるし、必ず娘も取り戻す。そこは絶対だ。
……とは言え、目の前でこうして娘達が再び手を取り合っている姿を見ることが出来たのは。素直に嬉しいとも思っている。少なくともフレイヤの魅了が発揮される前のリューの様子を見ていたミアからすれば、それが一時的なものであったとしても、否定する気にはなれない。
「さて、どうなるのか……これが本当に全部が丸く収まるんだろうね、フレイヤ」
今はただ静観する。
この魅了に支配された偽りの街で、変わらず客の腹を満たし続ける。その行末を見届けるまで、ミアは変わらず自分の望んだ役割をこなし続ける。