早苗が御扉を大きく開け広げた。
一般的な神社の本殿は小さいものも多いが、守矢の本殿は居室の様に広々としている。その理由は主神の姿がヒトガタであるからだ。主神が過ごしやすい様に設計するのは当然であろう。加えて、謁見などの際には守矢の威を示す必要もあるため、本殿も御扉も大きく立派に作られていた。
「失礼致します、神奈子様。お客様をご案内しました」
「ああ、早苗。御苦労」
凛とした声が聞こえた。女性の声だ。少なくとも夏目が予想していたような
「怖がらせてしまってすまないな、人の子たちよ。皆、そう強張らずに頭を上げてくれ。なにも取って食べたりはしない」
「ははっ!」
皆を代表して斑が返事をする。後方でちょびや中級たちが姿勢を戻す気配を感じて、夏目たちも恐る恐る顔を上げた。
目の前に座っていた『八坂様』は美しい女性だった。紫色に近いセミロングの青髪を持ち、赤と黒のコントラストをした和装を着ている。
しかし、中でも一際目についたものは彼女が背負っている巨大な
「守矢神社へようこそ、客人。我こそが守矢の主神、八坂神奈子だ」
神奈子は片膝を立てて座ったまま*1ニヤリと笑って言った。
そんな彼女の見た目は20代ほどにも見える。しかし、神格の見た目に年齢が関係しないことは、諏訪子の例からしても明らかだ。ただ、流石に戦の神が女性だとは思わなかったのである。夏目はそこに驚いていており、つい口を滑らせてしまった。
「は、はい!お招きありがとうございます…!えっと、八坂様は女性…の神様なんですか?」
「こ、こら夏目!普通に失礼だろうが!」
「あ、すみません!」
慌てた斑が夏目を窘めると、失言に気付いた彼もすぐに頭を下げた。だが、神奈子はクスクスと楽しそうに笑っている。どうやら全く気にしてない様子だった。
「フフフ、軍神が女神で驚いたかな。伝承などでは男神として扱われているし、驚かれるのは慣れている。そう謝る必要はないさ」
神奈子は手を口元にあてがいながらそう言った。
無論、口では夏目を窘めた斑だったが彼ら妖勢にも同様の驚きはあった。聞き及んでいた守矢の伝説は間違いなく男神としてもの。まさか女神だとは露にも思わなかったのだ。それでも礼儀として動揺を極力抑えて彼女と対面していた。
「まずは君たちの貢物と信仰に感謝する。良き山の幸、良き花、良き酒、そして良い菓子だ。今夜にでも食し、そして愛でよう」
「ははっ!」
「も、勿体ないお言葉。ありがたき幸せであります…!」
神奈子が礼を述べると、それに驚いた斑やちょびたちは一段と畏まって深く頭を下げた。
神格はそう簡単に礼など言わない。大神格ともなれば尚更だ。それは傲慢などという話ではなく、神とは奉ずられて然るべき存在であるからだ。そういう点では自由奔放な諏訪子の方が神格らしいともいえるだろう。
「うむ。それで、こうやって君たちをここに呼んだのは他でもない。信仰についてだ」
「信仰…さっきのお参りですか?」
「そうだ。我に対しても、諏訪子に対しても深い畏敬の念を感じた。3人だけとはいえ久々に得る良質な信仰だった」
格式張った挨拶を早々に済ませて神奈子は本題に入った。先ほどの参拝に何か問題があっただろうかと夏目は心配したが、そういうことではないようだ。むしろ、良いものだったと彼女は語る。
「3人?私たちの信仰だけですか?」
タキが疑問の声を上げた。妖たち含めて7人で参拝したのだが、神奈子は3人と言い切った。それは夏目、タキ、田沼という人間の数を表わしている。
その疑問に対しては、早苗が訳知り顔で頷きながら答えてくれた。
「妖と人間では信仰の質が違いますからねぇ。そもそも神とは人々の信仰によって産まれた存在です。なので、人間からの信仰というのは神格にとって非常に重要だったりします。私も現人神になってから身を以てそれを痛感しましたよ」
早苗は説明しながらも実感の篭もった溜息を吐いていた。
その点に関しては夏目も理解出来る。彼もまた
「君たちの信仰が良質であったのは、この世に妖や神格が存在することを認識しているからであろう。人の子が参拝に来てくれたとしても、心の底から神々の存在を信じている者は現代においてほとんど居なかった。やはり“見える見えない”の違いは信仰心にも大きな差をもたらすようだ」
「諏訪の地で見える人は、大抵がお寺や他神社の関係者でしたので…。思えば、なんの
見える人間を守矢の信者に勧誘しようにもそういう人間は少ない。居たとしても大抵は神社仏閣や祓い屋関係に属しているから、そう簡単には勧誘できなかった。
その為、夏目たちのような何処にも所属していない人間は極めて珍しかったのだ。
「近々、我ら守矢は新しき地へ移る。その地の名は幻想郷。人、妖、神格が共存する秘境だ。しかも、幻想郷は妖力に溢れる神秘深い土地であるため普通の人の子たちでも全員“見える”のだ」
「そ、そんな地が!?」
「全員…見える…?」
神奈子の言葉に皆が驚く。守矢神社が引っ越すという話は聞いていたが、まさかそんな特異な土地だとは思っていなかったのだ。中でも衝撃が大きかったのは夏目である。妖が見えることで周囲から異常者扱いされてきた彼にとっては、“全ての人間が見える”というのは信じられないことだった。
「この先、我々は幻想郷でそんな人の子たちから信仰を集めることになるだろう。そこで幻想郷へ行く前に聞きたいのだ。見える君たちは我ら神格に何を求める?」
神奈子は夏目たちに問いかける。その瞳は真剣そのものだ。彼女たちにとっては死活問題なのだから当然だろう。だからこそ神奈子はわざわざ本殿まで夏目たちを招いたのである。
そしてその質問に、まずはタキが答えた。
「神様に求めるモノですか?え~と、御利益とかでしょうか?」
「うむ…。それでは見えない人の子たちと同じだな」
神奈子は困ったような笑みを浮かべつつも頷いた。
神様に御利益を求めるというのは実に一般的だ。守矢神社も厄除けに金運上昇、安全祈願、天候祈願、必勝祈願と様々な御利益を謳っている。
しかし、そもそも神社とは信仰を捧げる場であり、御利益とは神格の功徳や威徳(御神徳)を僅かながら戴くことにある。つまり、神社の本質とは利益を求める場ではないのだ。見えない者はそれを勘違いしていることが多かった。
「あ、すみません!私、普段は全然見えないタイプなので、発想が普通の人と同じなのかもしれません!」
「えっと…、自分もそんな感じです」
タキが慌てて謝ると、田沼も後に続くようにして答えた。タキが妖を見えるようになったのは『姿写しの陣』を書けるようになったここ数年のことであり、田沼は何となく程度でしか妖を感じられない。言ってしまえば、彼らは妖が見えない一般人に毛が生えた程度でしかなかったのだ。
「ほうほう。では、皆さんの中で常日頃から妖が見える人間といえば1人しかいませんね。さぁさぁ夏目さん!お願いします!」
「いや、ちょっと…俺は別に…」
早苗は目をキラキラさせながら夏目に視線を向ける。そんな期待は荷が重いと彼は言い淀むが、神奈子は暖かくも静かに語りかけた。
「本心で良いのだ、人の子よ。思うがままを語ってくれないか」
「あの…、俺は……俺は悪い妖に何度も襲われたことがあるので、そういうのから助けて欲しいなと思っています。ニャンコ先生と出会う前のことですけど、タチの悪い妖に襲われた時は良く神社の境内とかに逃げ込んでいましたから…」
夏目と斑との出会い。思い返せばその出会いからは未だ1年も経っておらず、それまで夏目は妖に襲われる日々を送っていた。当時は頼る相手も居らず、唯一の対策は逃げるだけ。しかし、ただ逃げるだけではいつまでも追いかけられるので神社の境内に逃げ込むことが多かったのだ。
「でも、同時に神様が怖いと思う時もあります。過去に神格から襲われそうになったり、祟られそうになったりしたことがありましたので…。今回も、八坂様が戦の神様だと聞いていたので実は結構怖かったです…」
「おい、夏目!」
「良い。続けてくれ」
不敬だと斑が窘めようとするも、それを止めたのは他ならぬ神奈子だった。彼女はこの程度で怒るほど狭量ではない。むしろ、こうやって本心で語ってくれる夏目の話は、守矢にとって必要なものだと感じていた。
「えっと…なので、見える人たちが沢山居るのでしたら、何て言うかこう…“神様は怖くない”ってことをアピールした方が皆は安心出来るのではないでしょうか…。人間ではどうしようもない出来事でも頼ることが出来る存在が見守っていてくれているのは凄くありがたいと思います」
夏目はそう言って斑を見た。かつて夏目は祓い屋集団の長、的場静司から『君にとってのにゃんこが皆に居るとは限らない』と言われたことがある。その通りだ。斑と出会えた夏目は本当に運が良かった。だが、“君にとってのにゃんこ”に出会えなかった者たちはそうではない。独学で妖を祓う力を得たり、祓い屋に所属したりすることで身を守る道しか彼らには残されていなかったのだ。
ならば、そんな者たちをも庇護してくれる神様が居てくれたのならば。身を寄せて安堵できるくらい強くて優しい神様が常に見えて、そして温かく見守ってくれてもらえるのであれば。見える人間たちは安心して日々を暮らし、神様に感謝するのではないか。夏目はそう思ったのである。
「そうか…。今は威厳を見せつけるよりも友好的であることを示す時代か。うむ、参考になった。感謝する人の子よ」
「フランクで気軽な神様…。有りですね!参拝に来たら、神様とお話出来る神社なんて斬新じゃないですか。あ、そうだ!
しみじみと頷いて理解を示す神奈子と、話を飛躍させて恐ろしい商売を始めようとしている早苗。完全な善意でこれを提案しているところが早苗のヤバいところである。これには妖たちもドン引きだった。
「どこぞのアイドルグループみたいだな…」
「発想が現代的といいますか、なんというか…」
「いやはや…であります」
因みに『アイドル』とは元々ギリシア語で『偶像、崇拝される人や物』という信仰の対象を意味する言葉であったため、神格がアイドルをするというのは語源的には間違っていない。まぁ、信仰的には確実に間違っているだろうが。
「アイドル商法は流石にやらないけど、参拝者と話すくらいなら全然構わないかな。私は別にお喋り嫌いじゃないし、それで信仰が増えるなら言うことなしだ」
「そういえば神奈子様って素は結構フランクな性格ですもんねぇ。逆に諏訪子様はそういうの嫌がりそうですけど」
「アイツは気分屋なところがあるからな。まぁ、機嫌が良い時は幻想郷の参拝者とも仲良くやるだろうさ」
アイドル商法は無しにしても神奈子は人間と友好的に接することに嫌悪感はない。そう語る彼女の口調も心なしか柔らかいものになっていた。早速、夏目の提案を取り入れているのだろう。大神格だというのに中々腰の軽い神様である。
一方で、諏訪子は一般的な人間に対しては無関心であることが多かった。だが、逆にいうと気に入った者に対しては寛容なので、そういう相手には友好的に接するだろう。実は、夏目一行が湖の畔で諏訪子に出会ったのも偶然などではなく、彼女の“お気に入り”に認定されているからであった。
しかし、そうとは知らない彼らからすれば不意に魔王が現われたようなものであり、非常に恐ろしかったのである。そのため諏訪子の話題が早苗たちの口から出た時、斑は複雑な表情で神奈子に伺いを立てた。
「八坂様。洩矢神様についてなのですが…」
「あ、にゃんこ先生!まだ諏訪子様のことを疑っているんですか!?ダメですよ、もう!」
「いや、疑っている訳ではないのだが…」
早苗が頬を膨らませて諌めると、斑は言葉を濁らせる。
確かに諏訪子からは伝え聞いていたほどの邪悪さなどは感じられなかったが、それでも彼女は伝説に残るほど悪辣で強大な祟り神なのだ。その恐ろしさに萎縮してしまうのは妖の性ともいえよう。故に、神奈子と謁見出来たこの機会を斑は逃さなかった。
つまりところ、彼は諏訪子よりも強大な神格である神奈子から、安全の保証が欲しかったのである。
「ふむ、やはり何の説明無しでは諏訪子の存在に不安を感じてしまうか。昨日のことも有るのだろう。しかし、アレは仕方なかったのだ。守矢神社はあのような行為を許しはしない。諏訪子がやらなければ私がやっていただろう。それは分かるな?」
「はっ!」
「…?」
神奈子の言葉に妖勢は畏まり、人間勢は首を傾げる。
彼女のいう『アレ』とは早苗を襲おうとした低級妖を諏訪子が始末したことだ。それは守矢にとって許されざる行為であり、粛清も止む無しである。むしろ、連帯責任で周囲一帯の妖を殲滅されなかっただけ恩情があるといえた。
「しかし、そもそも諏訪子は伝承に残されているほどの悪神ではないのだ。祟り神としての力が凄まじい故に多くの者たちから畏怖されていたが、当時は洩矢の国を治める良き神格であったからな。人の子たち領民からは大いに敬われていたし、配下であったミシャグジたちは今でも慕っているほどだ」
「では何故、洩矢神様にそのような伝承が…?」
古くから伝えられているからには何かしらの理由があるのではと中級の牛顔の方がそれを尋ねる。すると、神奈子は憂鬱そうに手を頭に添えながら答えた。
「我ら大和の神々のせいなのだ。私は大和の尖兵として軍を率い、洩矢の国に攻め込んだ。祟り神の悪しき支配から人々を解放するという名目でな。諏訪子は人情に厚く部下や領民には寛大であった反面、罪を犯した者や国外の敵対者には一切の容赦がなかったから、そういった悪評を我らは利用したのだ」
俗に言うプロパガンダである。その情報が真実である必要はなく、世論を誘導して信じ込ませてしまえば嘘であってもそれが事実として世間に認識されるのだ。
加えて諏訪子の場合、祟り神としての力を強く持ち合わせていたのでプロパガンダも信憑性を増していた。それこそ今の時代にまで語り継がれているほどだ。当時はどれほど周囲の国々から恐れられていたかが理解できるだろう。
「まぁ、当の諏訪子本人は全く気にしてなかった。大義名分が真実であろうと嘘であろうと弱い奴が悪い。昔はそういった弱肉強食の気風が今よりも更に顕著だったからな。そんなことより諏訪子は私との戦いを愉しんでいたし、私も戦を司る神格の一柱だ。諏訪子ほどの強者との戦いは心躍るものがあった」
「それがかの有名な諏訪大戦でありますか…!」
ちょびが感嘆するように言うと、その通りだと神奈子は頷いた。
諏訪大戦は互いに軍を率いての戦争であったが、結局のところ決着は両名の勝敗に委ねられていた。すなわち、彼女たちの個の力は軍に勝るほど突出していたのである。
そうして二神の戦争は幾日も続いた。しかし、神奈子の操る『藤の蔓』が諏訪子の武器である神具『洩矢の鉄の輪』を錆び朽ちさせたことで形勢は神奈子に傾いた。いや、そうでなくとも元々の実力においては神奈子が上回っていたのである。武器を破壊されたことは諏訪子にとって決定打となった。
「そうして私との戦いに満足した諏訪子は降伏した。元々、周りに請われて国王をやっていただけで王の座には固執していなかったらしい。洩矢の国を私に任せると、さっさと山奥に引退してしまったよ。当時はこれで一段落ついたと思っていたのだが…、とある問題が起きた」
「問題ですか?」
話を聞いていたタキが問いかけた。夏目や田沼などは歴史にあまり興味を持つタイプではないが、彼女は祖父の影響もあってか古書が読めるくらいには歴史が好きである。人間どころか長年を生きた妖たちですら知らない守矢神社の歴史を前に、タキは興味津々だった。
「人々が諏訪子に畏れを抱き続け、私に信仰が集まらなかったのだ。先も言ったように諏訪子は敵対する者に容赦がなかったから、その逆鱗に触れることを恐れて人々は諏訪子を信仰し続けたのだ。あれには参った。どんなに宥めすかしても人間たちは私を全く受け入れてくれなかったからな」
「い、一大事でございますな…。神格の方々は信仰が薄まれば弱体化してしまいますゆえ…」
「如何にして解決を?」
中級のツルツルの方が額に汗を浮かべつつ呟いた。彼の言う通り、それは神格にとって一大事だ。その問題を一体どうやって打開したのかと斑が尋ねると、神奈子は事も無げに答えてみせた。
「ああ、引退した諏訪子の所まで赴いて頭を下げた」
「「「「…は?」」」」
斑たち妖勢が揃ってポカンと口を開けた。勝者が敗者に頭を下げるという意味が理解できなかったのである。神奈子はそんな彼らの呆ける様子を眺めながら続きを語った。
「人々の信仰が私に向かないのであれば、諏訪子を経由して私に信仰をくれないかと頭を下げて頼んだのだ。そうすれば私も信仰が得られるからな」
「それは非常に危険なのでは?もしも、洩矢神様が信仰を
そう、それでは諏訪子の匙加減一つで神奈子を弱体化させることが可能になってしまう。しかも、諏訪子にとって彼女は己の国を奪い取った侵略者であるのだから、ますます危険になるであろう。
誰がどう考えても無茶な話なのだが、そんな斑の問いかけを前に神奈子は笑みを浮かべていた。
「フフフ、当時の諏訪子にも最初は『アンタ馬鹿じゃないの?』と本気で呆れられたな。だが、私には確信があった。諏訪大戦で殺し合った私たちだが、全力で戦ったが故にお互いのことを誰よりも深く理解し合ったのだよ。当時は私にも知古の神格が多く居たが、それでも諏訪子は私にとって既に特別な存在になっていたのさ」
「なんと…!」
「うんうん、何度聞いても素晴らしいお話です!」
斑たちが驚愕の表情で呟く。そんな彼らを横目に早苗は腕を組みながら誇らしげに胸を張っていた。早苗にとっては両親ともいうべき二神の馴れ初め。いつ聞いても胸が高鳴る思いだった。
「まさに友情!不良たちが河川敷で
「「え…いや、別に…?」」
「がーん!男の子なら憧れませんか!?」
(す、少し分かるかも…)
早苗は満面の笑みで夏目たちの同意を得ようとするも、草食系男子である彼らからの賛同は全く得られなかった。そもそも大神格同士の戦争が不良の喧嘩程度に例えられるはずもなく、何とも滅茶苦茶な比喩である。
ただし、タキだけは早苗の憧れに共感するところが有るらしく、軽く苦笑いを浮かべていた。流石はクールで格好良いと学校の女子たち黄色い声を受けているだけはある。因みに、早苗はロボットアニメや特撮などが大好き系の女子だったりする。
そんな彼女たちはさておき、神奈子は続きを語った。
「私の話に呆れていた諏訪子だったが、しばらく考えた末に受け入れてくれた。そうして我らは共に歩き出したのだ。無論、撃退したはずの祟り神が表立って信仰されていると他の大和の神格たちから批難を受けかねん故『洩矢神は秘境に引退した。追放された。八坂神の部下になった。封印された。処刑された』などという偽りの噂を流したりと色々な偽装工作をしたな」
「なるほど、道理で…」
斑たちが聞き及んでいた伝承の中で
そしてこれだけの噂がある中で、一体誰が『戦争で負かした相手から信仰を受け取り、一緒に仲良く暮らしている』という真実に辿り着けようか。流石は軍神。先のプロパガンダといい、こういった偽情報も軍略の内という訳だ。
「その一方で、領民たちには我らを祀った神社を信仰させた。諏訪子を信仰させつつも、洩矢ではない新しき信仰の社。それがこの守矢神社なのだ」
「それで守矢という名に…。納得いたしましたであります。しかし、これほど大事なことを我らに話して良かったのでありますか?この真実が漏れてしまえば他の神格の方々から咎められるかもしれないでありますが…」
八坂神社でも洩矢神社でもない、『守矢』という名の理由を聞いてちょびは深く頷く。しかし、それを自分たちに暴露しても良かったのかと彼は尋ねた。
ちょびたちにしても無闇に吹聴する気は無いのだが、『諏訪子のことが他の神格に露見した!さてはお前たちが暴露したな!』と冤罪をかけられても困る。そんな心配も僅かに抱いていたが、それは彼の杞憂に終わった。
「いいのさ。今や、どこの大神格ですら己の信仰の維持で手一杯の時代だ。余所の神社を気にする状況ではない。それに我らは幻想郷に行く。忘れ去られた存在が最後に行き着く秘境、幻想郷。…私は最後に守矢の真実を誰かに伝えたかったのやもしれんな」
神奈子は遠い目をしながら言った。
真実が露見しようがしまいが最早どうでもいい。そんなことよりも、幻想郷に行ってしまえば現世の者たちは守矢のことを更に忘れていくだろう。幻想入りは熟考した上での決断だったとはいえ、そのことに対しては一抹の寂しさが残っていた。
故に、せめて彼らの記憶の中だけにでも。神奈子は守矢神社を残しておきたかったのだ。
「ん、すまない。そういうわけで諏訪子については私が保証しよう。多少は安心してくれたかな?」
神奈子はパシッと軽く膝辺りを叩いて湿っぽい空気を切り換えると、皆に笑いかけた。彼女なりの気配りだ。その配慮に斑たち妖勢は深く頭を下げた。
「ははっ。洩矢神様を疑いましたこと、どうかお許しくださいませ八坂様!」
「良いでしょう!許しますよ、にゃんこ先生!」
なぜか早苗が鼻高々に許しを与えているが、神奈子も全く気にしていないようなので良しとしよう。
そうしていると、夏目が小声で斑を呼んだ。
(にゃんこ先生、にゃんこ先生)
(む、なんだ夏目?)
失礼にならないように自然な装いで2人は小声で会話をする。内容は名取から頼まれていた件についてだった。
(先生から切り出してくれないか?名取さんとの食事に誘う話)
(阿呆、なんで私が言わねばならんのだ!自分で言え、自分で!)
(頼むよ、先生)
早苗の両親は不在であるようなので(夏目たちは早苗が両親と死別していることを知らない)、ある種の保護者ともいえる神奈子に許可を貰おうとしたのだ。だが、この空気感でそんな話は切り出しにくい。それは斑も同様で、2人でその役目を押し付け合っていた。
そんな彼らに助け船を出したのは他ならぬ神奈子だった。
「ふむ。早苗に祓い屋の人の子から食事の招待、か」
「え!?な、なんで…!?」
声が聞こえたのかと夏目は慌てて姿勢を正した。しかし、内容についてまで口に出していないはずである。そのことに夏目は困惑するが、斑は力ある神格ならばそれも当然かと納得していた。
「妙に言いにくそうにしていたから勝手に読み取らせてもらった。こういうのは
「う…。すみません…」
神奈子としては『どうしたのかな?』程度で軽く意識を向けてみただけだったのだが、予想以上に夏目の思考を読み取れてしまって驚いていた。余程に彼は妖力に溢れているのだろう。そして、それに対する自己防衛が全く出来ていないのだ。これは危険な状態だった。
「私の加護で守ってやっても良いが…キミの本心はそこまでのことを望んではいないようだ。少し心配だが、この地を去りゆく私が何かするのは余計なお世話になるな」
今までの夏目は妖を恐れており、可能ならば妖との関係など絶ってしまいたかった。
しかし、斑と出会ってからそれは少し変わってきた。妖の中にも優しい者は居る。恐ろしい外見であっても内心は温かな者も居た*2。簡単に心で妖と繋がってしまうからこそ、夏目は彼らの本心を知ることができた。時にそれは祖母レイコの想いを感じる切っ掛けにもなり、彼の大切な思い出となったのだ。
神奈子はそこまで見抜いたからこそ、あえて夏目をそのままにした。自己防衛は皆無だが、彼には斑たちが近くに居る。ならば、見守るだけで良いだろう。それが夏目の為にもなると神奈子は確信していた。
「早苗、祓い屋の者から食事の誘いがあるそうだ。明日、何が食べたい?」
「お肉です!」
「だそうだ。では、明日は早苗を頼んだ」
神奈子が問うと、早苗は高速のレスポンスで肉と答えた。“神職なのに肉が好物なのか…”という妖たちの心の声が聞こえてきそうだが、早苗は食べ盛りの高校生なのだ。お肉が好きなのは仕方ない。それに神奈子は狩猟神の一面も持っており、別に肉食は禁じていないのである。
ジュルリと口の端からヨダレが垂れそうになっている早苗の横で、彼女を託した神奈子は注連縄の重さを感じさせない様子で優雅に立ち上がった。
「今日は参拝に来てくれて感謝する。改めて礼を言おう。早苗、来てくれた人の子たちにお茶でも出してあげなさい。妖たちは酒の方が良いかな?守矢の酒でも楽しんでいってくれ」
「はい、神奈子様!」
「おお、ありがたき幸せでございます!」
酒好きたちが嬉しそうに頭を下げた。酒豪の伝説を持つ守矢の主神ならば、きっと良い酒を持っていることだろう。そう斑たちは目を輝かせていた。
そして神奈子が姿を消して本殿から去ったことで謁見は終了となり、早苗は彼らを客間へと案内した。妖たちが美味そうに酒を呑んで騒ぐ隣で、早苗たちは学校や地域の話題などで会話を弾ませる。
特に、早苗はタキと話が合うらしく、今度一緒にクッキーを作ろうという約束も交わしていた。試食役には田沼と夏目が抜擢されたので、“それなら結局、また4人で集まることになるな”と笑い合う。そうした穏やかな時間が流れていた。
妖が見えるどころか半分神様の転校生、東風谷早苗。そんな新たな友人を夏目たちは快く迎え入れるのであった。
八坂神奈子
原作では口調が安定していないため台詞が難しいキャラ。神様モードの時は『我』、素の時は『私』。
風神録では霊夢に「随分とフランクな神様ね」と言われた際に「最近は厳かな雰囲気を見せるよりも友達感覚の方が信仰が集まりやすいのよ」と返答しています。
なので、このSSではそれを提案した人物を夏目くんにしてみた感じです。