Re:上から目線の魔術師の異世界生活   作:npd writer

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皆様、お久しぶりです。私、しっかりと生存しております。

白鯨戦が終わり、いよいよ次は魔女教討伐戦。今回はその前の準備段階のお話です。


四十八話 新たなる戦いへの旅立ち

掲げられた剣がその月光を映し、反射する光景は美しくすらあった。

白鯨の巨躯がフリューゲルの大樹の下に横たわり、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。

 

「終わったな」

 

「ああ、ようやくだ。人々を苦しみ蝕み続けてきた厄災は今日遂にここに倒れた」

 

白鯨の死体を眼前にして、感無量な気持ちに浸るクルシュの横に、マントを靡かせたストレンジが並ぶ。彼にとってはこの巨大な生物が持つ魔力に興味を惹かれるものの、それを口にするような無粋な真似はしない。

 

「卿の力無くして白鯨は討ち取れなかった。改めて礼を言わせてもらう。ドクター・ストレンジ、此度の卿の働きは他に類を見ない偉大なものだ。討伐隊の指揮を執った身として心から感謝を」

 

「ありがたく受け取ろう。だが、当然の務めを果たしたまでだ。礼を言われるまでもない」

 

「そう謙遜するな。卿の活躍はこの戦場において、多大なものだったぞ」

 

微笑するクルシュの顔は達成感に満ち溢れている。戦いは終わった、しかし喜ぶ面々とは裏腹に、彼は浮かばれない顔をしていた。

 

「この戦い、得たものは大きいが失ったものも大きい。やるべきことをやったが、それでもこの結果には……納得がいかない部分もある」

 

アガモットの目を持ちながら、何処か悲しそうな表情を浮かべるストレンジに、クルシュは声をかけなかった。

 

ーー最善の策。ストレンジがタイム・ストーンを通して見た未来において、彼は勝利のために幾つかの犠牲を払うことを余儀なくされていた。それは、今回の白鯨戦だけでなく、この先の戦いにおいても変わらない。これから、どんな犠牲が起ころうとも、このユニバースを良き未来へ導くための通過点となる。

 

「卿の見た未来ーー、良ければ私に話してくれないだろうか。私も、卿の苦痛を少しでも分かち合いたい」

 

「前にも言ったはずだ、クルシュ。何が起こるか明かせば、その未来は実現しない。それどころか、予期せぬ現実を生む。タイム・パラドックスはそれだけ危険なんだ」

 

「……そうか。卿が見た唯一の勝ち筋。それが揺らぐことはあってはならない。その言葉を信じよう」

 

「すまない。こればかりはどうしても言えないんだ」

 

真剣な顔で否定するストレンジの気迫に、クルシュはこれ以上追及できなかった。以前、彼も語っていたが未来に何が起こるかを明かせば、その未来は来ない。そのことをクルシュは理解できていない。

一つの選択肢から、無数の世界が生まれる多次元宇宙(マルチバース)の誕生は、この世界にとっても良くないのだから。

 

「これからの戦い、少なからず犠牲は出てしまうだろう。無論、その大半は救えるが救えない命もある。ーーこれほど自分の弱さを痛感したのは、あの日以来だ」

 

そう告げるストレンジの顔は何処か暗い。白鯨の勝利に浮かれる大多数の面々とは異なり、彼は失った命を大きさに心を痛めていたのだ。

そして、クルシュはその一瞬を見逃さなかった。

 

その言葉を吐くストレンジの表情が、悲壮なものに満ちていたことに。

 

「ドクター?」

 

彼女は加護の直感で感じ取る。彼が、重大な事を隠していることに。そして、それはあのドクター・ストレンジをして、これほどの顔をさせることになる出来事であること、それが必ず未来で起こることを確信したのだ。

 

「いや、何でもない。さて、あそこで熱愛を繰り広げているバカップルの様子でも見てくるか。人目を憚らず、イチャコラするのは気に障るが、最大の功労者を労わないわけにはいかない。少しばかりは褒めても、奴はアガらないだろう」

 

そそくさと離れていくストレンジの背をクルシュはじっと見つめる。

 

(卿を追い詰めるものとは、一体なんだと言うのだ……?あのような顔をするのは、それほど多大な犠牲を伴う戦いがこの先に控えていると言いたいのだろう。この白鯨との戦いにおいてもそのような表情をしなかった卿が、これから先の未来にそこまでの表情するとは)

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、絶対に死んでしまったりはできませんね」

 

「たりめーだ。死んでも、死なせたりしない」

 

顔を近づけて、その額に額を押しつけて至近で見つめ合う。

レムはそんなスバルの仕草を愛おしげに見つめ、息遣いさえ触れ合う距離に少女の姿があることがスバルにはむず痒い。自然、視線がその桃色の唇に引き寄せられ、心臓の鼓動がかすかに早まるのを感じ――、

 

「――お二人さん、もうそろそろいいんじゃにゃいかにゃ?」

 

「イチャつくのは別の場所にしてくれ。デリカシーがなさすぎだ。……ああ、ゲームオタクとヤンデレには求めても無駄か」

 

それまでいちゃつきを遠巻きに見ていたフェリスと、合流したストレンジの二人が呆れた様子で、肝心の場面に割り込んで盛大に邪魔をしたのだった。

 

「あんにゃに必死になって呼びかけちゃって、スバルきゅんてば可愛いよネ。「お前がいなくちゃ、俺は生きていけない……!」だって!にゃんともまぁ、胸が熱くなるお話だよネ〜。ストレンジ先生はどう見ますかにゃ?」

 

「若いな、実に若い。私の知人にも若い高校生カップルの二人がいたが、この二人のようなザ・青春という感じだったな。フェリス、苦さ濃いめのブラックコーヒーを頼む」

 

「うるせぇ、黙れ!じろじろ見てるとか、てめぇらの趣味の悪さを省みろ!」

 

「何も見たくて見たわけではないさ。我々の趣味の悪さを言いたいのであれば、せめて人目につかないところでやってくれ。それとも、見られて喜ぶ露出癖でもあるのか?」

 

「そもそも、冷静になればわかるじゃにゃい。負傷者の傷の手当てして回ってるフェリちゃんがすぐに行かなかった時点で、レムちゃんの傷が命に関わるほどのものじゃにゃいみたいにゃことにさぁー」

 

「冷静になれる場面かぁ!好い……!惚れ……!大事な女の子がケガして意識ないんだぞ、混乱して当たり前だろうが!」

 

怒鳴りつけるスバルにどこ吹く風で、フェリスは掌に浮かぶ青い輝きをレムへと向けながらへらへらと笑っている。その横顔に収まらない苛立ちを叩きつけながらも、スバルは徐々に和らいでいくレムの表情に安堵の気持ちを隠せないでいた。

 

フェリスの言には素直に頷けない部分も多いが、重傷者から順番に治療を施していた彼やストレンジがレムを後回しにしたということは、彼女の怪我が然程、酷くない事を示している。白鯨討伐の功労者であり、余所の陣営の戦力であるレムやスバルを軽々しく扱うことなど彼の主が決して許すまい。

 

「無事か、ナツキ・スバル」

 

と、件のフェリスの主――クルシュがゆったりと草を踏みながら現れる。

血や泥で各所を汚しながらも、真っ直ぐに背筋を伸ばすクルシュの立ち姿は美しかった。

 

「どうにかこうにか、な。クルシュさんも無事そうでなによりだ」

 

「私はな。だが、討伐隊の方の損耗は決して少なくない。白鯨を討ってなお、消えたものたちは戻らないのだから」

 

手を掲げて応じるスバルに顎を引き、しかしクルシュはその表情に沈痛なものを浮かべて首をめぐらせる。彼女の視線が向くのは、いまだ大樹の下敷きになったまま動かさずにある白鯨の屍だ。時折、ストレンジもそちらを気にしてか、目線をそこへ向けていた。彼のその心情を正確に読み取れないが、表情は沈痛さを隠せないでいる。

 

そのすぐ近くでは、視線の先では生き残った討伐隊の、比較的負傷の少ない面々が寄り集まり、白鯨の上から大樹を退けようとしているようであった。

 

「なにをやってんだ、ありゃ」

 

「白鯨の屍を運び出さなくてはならない。作戦の犠牲になったフリューゲルの大樹に対しても、なにかしらの処置は必要だ。戦いのあとにこそ、気が休まらない」

 

「運び出すって……あのでかい死体を?」

 

聞き間違いかと確かめるが、クルシュの態度は変わらなかった。スバルは慌てて視線を白鯨に戻し、その全長五十メートルにも及ぶ巨躯を眺める。

 

「できない、では話にならない。四百年、世界の空を泳ぎ続けた脅威だ。その屍という確かな証拠があってこそ、人心は真の安堵を得る。最悪、頭部だけとなる可能性もあるが」

 

口惜しげに語るクルシュの言葉を聞きながら、スバルは思い直す。もともと白鯨の討伐はクルシュにとって、商人方へのアピールの意味が大きい。最有力候補として国民からの支持も高く、そして懸念されていた商人からの好感度をも稼いだとなれば、彼女の立ち位置は盤石であり――、

 

「あれ、ひょっとしてけっこうまずい後押ししてねぇ?」

 

他陣営への肩入れという意味では取り返しがつかないぐらいの功績をやらかした気がしてならなくなってきたスバル。自然、自分の立つ陣営の不利さに拍車をかけた感がスバルの背を冷や汗が伝った。

 

「ずいぶんと暗い顔をするものだな。――白鯨を落とした英雄の顔には見えん」

 

「エミリアたんに開口一番裏切り者って罵られ……え、今なんて言った?」

 

「白鯨を落とした英雄、だ。――卿の功績を、そのまま当家の手柄の全てにするほど恥知らずではありたくない」

 

白鯨の方から視線を戻し、クルシュは剣のように鋭い眼差しでスバルを射抜く。姿勢を正されるような輝きに瞬きして、スバルもそれと向かい合った。

そうするスバルにクルシュはゆっくりと、胸に手を当てると、

 

「此度の協力、感謝に堪えない。卿がいなければ白鯨の討伐は苦戦を強いられていた」

 

そう言いながら、深々とスバルに対して礼の姿勢をとったのだ。

その高潔な人間から向けられる真摯な謝意に、スバルや側で見ていたストレンジをも感嘆した。

 

「い、いや……やめてくれって。俺、ドクターと違ってそんな大したことしてねぇし……」

 

「白鯨の出現の時と場所を確定させ、足りぬ戦力を整えるのに奔走、士気が折れかけた騎士たちの覚悟を奮い立たせ、自らの身が危うくなる起死回生の献策をし、その上で見事にそれをやり遂げてみせた」

 

途切れ途切れに言葉を返すスバルに、クルシュはこの戦いにおけるスバルの行動の結果を羅列してみせる。そうして整然と語られた自分の行いの帰結を見ると、それはまさしく、

 

「我ながら頭おかしいとしか思えない活躍してんな……」

 

「獅子奮迅ではないが、卿はこの戦いにおける立役者の一人だ。その行いが軽んじられるのであれば、私は私の名誉に誓ってそれを正すだろう」

 

スバルを真剣な目で射抜き、真っ直ぐな言葉を投げてくるクルシュの賞賛には一切の打算も躊躇もない。誠実、の二文字を体現したかのような人物だけに、その口が紡ぎ出す感謝の念には嘘の欠片もないだろう。

 

(その姿、やはりキャプテン・アメリカによく似ている。彼とは共闘したことはないが、YouTubeの映像に残る彼にそっくりだ。高潔を体現したような彼と戦えば、気が合うだろうな)

 

彼女の言動、振る舞い、能力を見て元いた世界にいた彼の姿をストレンジは連想した。ニューヨーク、ワシントン、ソコヴィア……ラフト刑務所から脱獄し、以後消息が分かっていない彼とクルシュは意気投合するに違いない。もしかすると……

 

「……クター?ドクター?大丈夫か?」

 

「ん?ああ、気にしないでくれ。昔を思い出していただけだ」

 

思考の世界から帰還したストレンジは、決意を固めたスバルに視線を移す。様子から察するに、クルシュが陣営に誘ったもののフラれてしまうところか」

 

「――俺は、エミリアを王にするよ。誰のためでもなく、俺がそれをしたいんだ」

 

「……わかっていたことではあるが、それなりに堪えるものだな」

 

「だがその気持ちも分からないこともない。私も愛する女性になら全てを捧げてもいいと考えるからな。彼女への思い、決して無駄にするなよ。少年」

 

スバルの答えを受け、クルシュはその唇を綻ばせると顎を引いた。彼が異世界に来て以降、ずっと心に抱き続けているエミリアへの想い。拒絶された今でも変わらぬ想いは必ず彼女に届く。

一度は離れ離れになるも、一人の女性を思い続けるストレンジにとって、理解できる感情だ。

 

「良いだろう。卿の功績には別の形で報いる。クルシュ・カルステンの名に誓い、その約束は果たされよう」

 

厳かに言い切り、クルシュは握り固めた拳を解いて自分の掌を見る。

それからわずかにその声の調子を落とし、

 

「思えばこれほど気持ちよく、誘いかけを断られるのは初めての経験だな。悩む素振りすら見せられないとは、いっそ清々しい敗北感だ」

 

「……クルシュさんやドクターはすげぇ奴だと思う。俺だってふらふらひとりなら間違いなく、その手を支えにしようって思うだろうさ」

 

寄る辺もない状態で、なにひとつ定まっていない状況で、クルシュ程の人物にそうやって手を差し伸べられたとしたら、きっと迷うことなく飛びついて、縋りついて、全てを委ねてしまうに違いない。現に、ストレンジと話し境遇が似たもの同士であると感じた時、スバルは一気に孤独感から解放されたのだから。

だけど、今のスバルは手を伸ばして掴まっていたい相手がいて、ふらふらと揺れる背中を支えてくれる掌の持ち主がいて。

 

「同盟の件は、よろしく頼む。最終的にどんな状態になって敵対することになっても、それまではきっと仲良くやっていこうぜ」

 

「ナツキ・スバル。ひとつ、考えを正そう」

 

スバルの言葉にクルシュは首を横に振り、唇を引き結ぶと厳しい表情を作る。再び張り詰めるような気配が彼女から発され、スバルは背筋に痺れるような感触を覚えて目を見開いた。

クルシュは指をひとつ立て、それをスバルの顔の前に突きつける。

 

「雌雄を決する機会がきたとしても、私は卿に対して友好的であろう」

 

「――――」

 

「いずれ必ず来たる決別の日にあっても、今日の日の卿への恩義を私は忘れまい。故に敵対するときがきたとて、私は卿に最後まで敬意を払い、友好的である」

 

指を立てた腕を振り下ろし、クルシュは凛とした声音ではっきり断言する。

その彼女の振舞いに、今度こそスバルの背筋を寒気が走り抜けた。それは負感情を発端とするものではなく、ただただ偉大なものに圧倒されたが故のものだ。

 

――これがカルステン公爵。あのドクター・ストレンジをも従える素質を持ち、高潔さを体現したクルシュ・カルステンという人物なのだ。

 

「俺の心の一番目と二番目が埋まってなかったら、かなり危ないとこだった」

 

「女として、卿をどうこうというところまでは考えていない。いくらか琴線に触れる場面がないではなかったが、私自身の意思とは無関係にそれなりに高値なのでな」

 

動揺する心を誤魔化すスバルの軽口に、それこそ軽口で応じてクルシュは薄く笑う。それから彼女は表情を切り替え、ひどく冷静な目をすると、「して」と前置きし、

 

「できるなら私はこのまま、負傷者と白鯨の屍を王都へ運びたいところだ。が、卿にはまだなにか使命が残っているようだな」

 

「……やっぱ、加護持ちにはわかるか」

 

「その目を見ればようと知れる。加護の力など必要あるまい」

 

スバルの黒瞳をジッと見ながら、クルシュは片目をつむるとそう答える。それから彼女はスバルの姿を上から下まで流し見て、

 

「卿も無傷ではないはずだ。それを押して、やらなければならないことか」

 

「重傷でもやらなきゃならねぇことだな。それをやってのけるための、鯨狩りだ」

 

「ほう、この白鯨討伐がついでときたか」

 

聞こえの悪いだろう言い方に、しかしクルシュが腹を立てる様子はない。

彼女はそこまで言うスバルの目的とやらに興味を持った様子だ。

 

「当家との同盟も、それを考慮してのものだろう。なれば、求められている役割も思い当たらないでもない。……手が必要か」

 

「必要だ。けど……正直、ここまでキツイとは思ってなかった」

 

力なく応じて、スバルは負傷者だらけのこの状況を見渡して肩をすくめる。白鯨討伐を終えたスバルを待つのは、エミリアの待つメイザース領への帰参であり、それは忌まわしき集団との相対を意味する。

その憎き相手との戦いにおいて、できればクルシュ陣営の力を借りることができるのが理想であったのだが――、

 

「こんだけケガ人が出てんのに、無茶は言えねぇ。クルシュさんにだって感情じゃなくて、当主としての意見があるだろ。この上で、手ぇ貸してくれとは……」

 

「私は行くつもりだ」

 

「この老躯、使い潰されるがよろしいでしょう」

 

ストレンジの後に続けて聞こえてくる老声。静かな語調で歩み寄ってくる長身の影――全身に返り血を浴び、今もなお左腕の負傷が痛々しい老剣士、ヴィルヘルムだ。

彼はその負傷の影響を微塵も感じさせない足取りでこちらへくると、右手に握っていた宝剣をクルシュの方へと差し出し、

 

「クルシュ様、お貸しいただいたものをお返しいたします。ならびに、此度の件、心より感謝を申し上げます。我が身の悲願が叶いましたのも、クルシュ様のご協力があればこそ。――ありがとう、ございます」

 

「私の目的と卿の悲願、互いに利害が一致しただけのことだ。――その剣は、今しばらくは卿が持っているがいい。このあと、丸腰では役に立つまい」

 

「は。ありがたく」

 

ヴィルヘルムの絞るような感謝の言葉に短く応じ、クルシュが顎で示すと、彼はスバルを振り返る。

改めて間近にすると、その身から漂う血臭はすさまじく、迸る剣気は意図せずしてスバルの細い肝に刃を突きつけるような緊迫感をもたらしていた。ただ、戦いの前にあった張り詰めるような雰囲気――そこからは解放されて、今のヴィルヘルムは晴れやかな様子であるのは事実だった。

 

「ナツキ・スバル殿。此度の白鯨討伐、成りましたのは貴殿の協力あらばこそ。この身が今日この日まで、生きてきた意味を全うすること叶いましたのは、貴殿あってのことです。感謝を。――私の全てにかけ、感謝を申し上げる」

 

「――――」

 

敬意を表するヴィルヘルムの姿。剣に捧げた半生の、そして十余年の時間をかけて、復讐をやり遂げたその彼から向けられる感謝の言葉に、その膨大な情熱の波に呑まれながら、しかしスバルは口ごもることを恐れて言葉を発することができない。

しばし気を落ち着かせ、目の前の老人の言葉へ正しく発声する気が整うのを待つ。彼の覚悟に対し、みっともない姿を見せることなど、それこそあってはならないのだから。

 

「やれたのは、ヴィルヘルムさん自身の力ですよ。あの白鯨を倒そうって考えて、調べて、鍛えて、諦めないで戦って……」

 

スバルは言葉を続ける。

 

「奥さんをすっげぇ愛してたから、白鯨を倒すまでいけた。その手伝いが少しでもできたってんなら、なによりです。こう言っていいのかわかんないッスけど……おめでとうございます。あと――お疲れ様でした」

 

「――――」

 

スバルの言葉に顔を上げて、ヴィルヘルムはその皺だらけの顔の中の瞳を大きく見開く。スバルが感じた思いや感動は、彼が勝手にヴィルヘルムに共感して思い描いたものだ。それが今の短い言葉で伝え切れるとは思わないし、わかったような口を利かれるのはヴィルヘルムも面白くないだろう。

しかし、それでも言いたい気持ちを堪えられなかった。十四年も、亡くした妻への愛を燃やし続け、ここまで走り続けてきた、運命と戦った先達に、労いの言葉を。

 

「――感謝を」

 

短く、声を震わせてヴィルヘルムがそう答えた。

 

 

 

 

ヴィルヘルムの他にフェリス、そしてストレンジも魔女教狩りに加わることになり、スバルとしては心強い味方の参戦に内心ホッとしていた。だが、愛する人は納得いかない様子だ。

 

「駄目だ。そのような身体で次の戦いには行かせられない。大人しく、王都に戻ってほしい」

 

「――どうしてですか!」

 

ストレンジの言葉に、強い語調で否定を発する声が響く。レムは、半身を起こした彼女は恨めしい目でストレンジとフェリスを睨みつけ、

 

「レムなら、レムなら大丈夫です。スバルくんがこれからまだ危ないところに行くっていうのに、レムがいなくてどうして……」

 

「そんにゃこと言っても、体、動かないでしょ? ほとんどひとりで白鯨を迎え撃って、おまけに最上級の魔法まで何度も使って……レムちゃんのお体は今、限りなく消耗してスカスカ状態にゃの。治癒術師として、これ以上の無理をさせることはできませーん。おわかりかにゃ?」

 

「でも!」

 

納得いかない、とばかりにレムは立ち上がって言い募ろうとする。が、起き上がろうと立てた腕に力が入らず、震える体を支え切れずにその場に倒れ込みそうになる。と、その崩れ落ちる彼女の体を駆け寄ったスバルが慌てて支え、

 

「危ね。――おい、頼むからドクターやフェリスの言う通り、あんまし無茶すんなよ」

 

「でも! 嫌なんです、苦しいんです。耐えられないんです」

 

間近に迫ったスバルを見返し、レムはその瞳に大粒の涙をたたえていた。置き去りにされることよりもなによりも、彼女が恐れていることは、

 

「スバルくんが困っているとき、誰よりも先に手を差し伸べるのはレムでありたい。スバルくんが道に迷っているとき、背中を押してあげる存在でいたい。スバルくんがなにかに挑むとき、隣にいて震えを止めてあげたい。それだけがレムの、それだけがレムの望みなんです。ですから……」

 

「それなら心配なんか、いらねぇよ」

 

「え?」

 

泣きそうな彼女の声に、その愛しさ募る言葉をぶつけられて、スバルは自然と面映ゆいものに唇がゆるめられるのを感じながら、

 

「手はいつだって繋いだままだし、背中なら何度も押してもらった。震えるのだって、お前を思うだけでどうとでもなる。――俺はお前にもう、ずっと救われてる」

 

「……ぁ」

 

「大丈夫だ、レム。全部丸ごと、俺がどうにかしてきてやる。俺はお前の英雄だ。その一歩を踏むと、そう決めたんだ。だから、なにも心配いらない」

 

震える瞳がスバルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。そんな彼女にスバルは笑顔を向けて、歯を剥くように獰猛に笑い、

 

「鯨狩りもやってのけた。お前の英雄は超、鬼がかってんだろうが」

 

「スバル、く……」

 

込み上げてくるものが堪え切れなくなったように、スバルを呼ぼうとしたレムの言葉が途中で途切れる。それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し、幾度も息を呑んだあと、抑えられなかった溢れるものを瞳の端からぽろぽろこぼし、

 

「――はい。レムの英雄は、世界一です」

 

と、泣きながら微笑んだのだった。

 

 

 

「クルシュ、少しいいか?」

 

王都への帰還準備を整えるクルシュの下に、ストレンジが歩み寄ってきた。真剣な表情で見つめる彼は、場所を変えて話し合おうとクルシュに提案する。それに応じた彼女は、二人でフリューゲルの大樹跡までやってきていた。

 

「これから簡単な保護呪文を、その身体と剣に刻む。『ヴィシャンティの呪文』だ」

 

「『ヴィシャンティの呪文』……?」

 

「簡単ながら強力な魔術だ。そうだな、例えるとするならばあの化け物騎士、ラインハルトの攻撃を2度は防げる」

 

彼の口から放たれた驚きの事実。あのラインハルトの攻撃さえも一時的には耐えられる魔術だと彼は言う。

 

「ならば、白鯨戦の時はなぜ使わなかった?これほど強力な魔法を使えば、より多くの同士を生かせられたのではなかったのか?」

 

「残念ながら、強力であるこの魔術は一人を対象にすることが精一杯だ。私の今の力ではこの場の全員にかけることはできない」 

 

クルシュはそれ以上の言葉を噤んだ。彼がそこまで言うのならば、その通りなのだろう。事実、彼に嘘の風は吹いていなかった。

 

「だが、その魔術をなぜ私に?」

 

「よくあるだろう?『一難去ってまた一難』と。これほど疲弊している討伐隊の残党。奇襲でも受けようものなら、恐らく助かる人間はいない。その中で、比較的戦闘力の高いクルシュには、何としてでも戦ってもらわなければならなくなる」

 

ストレンジによって次々とルーン文字が展開されていく。この文字の存在を知らないクルシュにとっては解読不能な文字になる。

100を超える文字が展開されると、それはクルシュの身体に貼り付くように纏わりつき、そして消えていく。

 

「これは……」

 

「これで終わりだ。どうだ?予防注射よりも早かっただろ?」

 

身体には変化がない。だが、心なしか白鯨戦の疲れが軽減されているような感覚をクルシュは覚える。

 

「念の為だ。もしこの魔術が無駄になるようなことがあれば、それは嬉しい限りだかな」

 

そう語るストレンジの顔には、珍しく心配そうな眼色が浮かぶ。

 

「疲れが軽減されている?不思議な魔術だ。だが、邪気はないな」

 

「これには欠点もあり、長期戦には向かない。もしも敵に見つかるようなことがあれば即座に逃げる、もしくは短期決戦で敵を倒してくれ」

 

「……分かった。どの戦でも、常に万全の準備をしておくことは大切だ。心に留めておこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「布石は打った。あとは、彼らに賭けるしかない。

 

ーーさらばだ、レム(So long, Rem)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レムや他の負傷者と王都へ帰参するクルシュに護衛を半数残し、残る討伐隊を連れてスバルは一路、メイザース領を目指す。

 

ヴィルヘルムやフェリス、ストレンジを代表に、スバルと同行する討伐隊の数は三十六名。想定した数よりは減ってしまったが、大事な戦力には変わりない。

 

「あー、それにしてもえーとこはみぃんな、兄ちゃんに持ってかれてしもうたな!」

 

「ダンチョー!ミミも!ミミもがんばった!ちょーすっごいがんばったー!」

 

リカードとミミの二人はこの戦いにおいて、ほぼ無傷で生還した数少ない戦力だ。それだけでなく、生き残った獣人傭兵団の十名ほども同行している。残った負傷者たちはもうひとりの副隊長である、ヘータローが率いて王都へ戻るそうだ。

 

「それにしても、弟があんだけ息切らしてたのにどうしてそんなお前は元気なの?」

 

「ヘータローはひんじゃくー。きたえてるミミとはちがって、なんじゃくくんなんだよ。なさけなーい!」

 

けらけらと、笑いながら弟の貧弱ぶりを笑い飛ばしている。が、スバル判断としてはおそらく姉の方が体力馬鹿なだけだろうと思う。戦いが楽しくてしょうがない、バーサーカータイプなのだ。姿が愛らしい子猫型の獣人だけに、逆にそういった姿であるのが不憫にすら思える。

 

「ま、あんましやったけど心配せんでえーで。ちゃんとお嬢に頼まれてるさかい、兄ちゃんの目的には協力したるから」

 

「目的の協力つったって、お前、俺がなにしようとしてるのか知って……」

 

「魔女教と、事構えるんやろ?」

 

ふっと、声を低くするリカードの言葉にスバルは声を詰まらせる。強張るスバルの横顔にリカードは「驚かんでもええやろ」と歯を剥き、

 

「商人は情報の鮮度が第一で、ワイらはお嬢に雇われとる身や。背景事情やら含めてある程度は目と耳を利かせてるっちゅーわけやな。伊達に耳がでかいのと違うんやで」

 

「そうだー! ミミはでっかいぞー!」

 

「お前のこととちゃうわ、ちびっ子」

 

リカードの冗談にミミが斜め方向から反応し、彼の苦笑を買っている横で、スバルは小さく息を呑み、アナスタシアの手の伸ばし方を甘く見ていたことを思い知る。とはいえ、目的に協力してもらう以上、黙っているわけにもいかない部分であり、その情報を開示するのは当然の流れだ。

もっとも、それらのことはスバルの保険――王都を出る前の時点で張っていた、それらの結果を見届けてからにしたいのだが。

 

「おっと、合流できそうやな」

 

「あ?」

 

ふと、前を見るリカードが遠い目をするのにスバルは気付き、その視線の方向を慌てて追いかける。目を凝らし、それでもなにも見えずに苦心しているスバルに、リカードは小さく含み笑いをしながら、

 

「そんな必死こかんでも、ちゃんと待っとけばわかる。安心しい」

 

「不確定要素はなるたけ早めに排除しときたいんだよ。もったいぶんな」

 

「せやな、したらもったいぶらん。――ちょい遠いんやけど、向こうからくるのはワイら傭兵団の、もう半分や」

 

「半分?」

 

リカードの言っている意味がわからず、スバルは首を傾げて聞き返す。半分、というか負傷者などはそのまま、クルシュたち共々王都への帰路に同行しているはずだが。

 

「半分っちゅーのは、そのままの意味や。もともと、ワイら『鉄の爪』は白鯨の討伐に半分の人員しか出しとらんかった。残りの半分は半分で、やることがあったんでな」

 

「やること、っつーと」

 

「街道に他の人間が入り込んで、戦いに巻き込まれんようにせなあかんやろ? せやから、街道の向こう側をあらかじめ封鎖しとく役割や。昨晩の内に出発しとったから、兄ちゃんと顔合わせる機会はなかったんやけどな」

 

リカードの説明に耳を傾けながら、スバルは納得に顎を引く。もっとも、白鯨討伐に全力を傾けていなかった、という点にはなかなか頷き難いところはあるが、クルシュの白鯨討伐が万が一失敗する可能性がないでもなかった。その場合、貴重な戦力を全て失うことを避けたアナスタシアの判断も間違いではないだろう。

 

「じゃ、今からくるってのが、残りの仲間なのか。そっちにもリーダーが?」

 

「ミミのおとーとのティビーがやってる。ヘータローの代わりに、ミミと合体技もできるスゴイ奴だぞー!」

 

スバルの質問に誇らしげに答えてミミが胸を張る。彼女の返答を聞いただけで、その残りの仲間への期待値が若干下がるが、

 

「いや、でも弟はまともだったしな。こっち側の弟も、それと同じでまともな可能性が微レ存……?」

 

「心配しとるとこあれやけど、ティビーはワイらの中やとかなり賢い子ぉやぞ。金勘定やら交渉も担当しとるし、ミミの扱いもうまい。ヘータローの上位互換やな」

 

「言ってやるなよ、ヘータローが不憫になんだろ……」

 

戦力外で置いていかれた点も含めて、ヘータローが哀れになりすぎる。それらの哀れみはさて置き、そういう面子が合流して戦力がさらに拡充されるのであれば儲けものだ。彼らの合流を待って、改めて話し合いの機を作るべきだろう。そのスバルの眼前に、リカードが言った通りに徐々に徐々に、合流を目指すライガーの群れが土煙を上げて近づいてきて、

 

「――ん?」

 

ふと、違和感に気付いたスバルが小さく声を上げる。目の前、走り寄ってくる複数のライガーの群れの中、ひとつだけ特徴が違う影が紛れているのが見えたのだ。

次第に距離が近づき、その輪郭がおぼろげなものからはっきりしたものに変わるにつれて、明快になり出したビジョンに地竜の姿が浮かび上がる。

 

そして、その地竜の背にまたがっているのは、

 

「――なんで、てめぇが」

 

「援軍に対して、ずいぶんな物言いをするものだな。相変わらず、君は」

 

立ち止まった地竜を互いに向かい合わせ、スバルとその人物は対峙する。紫色の髪を丁寧に撫でつけ、荘厳な近衛騎士団の兵装に身を包み、悠然とした微笑みを口の端に上らせる男。

 

 

――因縁の人物、ユリウス・ユークリウスが優雅な佇まいでスバルを見つめていた。

 




白鯨戦の後の分岐点であるクルシュやレムとの別れ。
ですが、クルシュ様の運命が原作から大きく変わりましたね。これが果たしてどのような波をもたらすのか。
この時、ストレンジが使った『ヴィシャンティの呪文』は、『What if』のエピソード8話でドクター・ストレンジ・スプリームが対ウルトロン戦で使っていた呪文と同一のものです。私の自己解釈でこのように判断しました。


ストレンジが言った「So long, Rem」は『ノー・ウェイ・ホーム』のセリフである「So long, kid」のオマージュです(日本語訳では「さらば少年」)。
なぜ、「See you」や「Bye」ではないのか。その重さや参考にした『ノー・ウェイ・ホーム』から察することができるかも……?
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