中世農民転生物語   作:猫ですよろしくおねがいします

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採取

 人の手の殆んど入っていない原生林は、村近くの里山なんかとは様相がまるで異なっている。

 慣れない人が迂闊に緑深き樹海に足を踏み入れれば、異界に入り込んだかのように方向感覚を喪失し、仮に百数える程度の距離を適当に歩いただけであっても、戻る道を見失いかねない。そもそも分厚い枝や土中から飛び出した太い根が奇怪な蛇の如く絡み合う様には、人間は疎か、兎が通り抜ける隙間さえなさそうだ。まるで壁であった。

 比較的に往来しやすい箇所も、頭上に幾重と連なる枝は夏の陽光を僅かな木漏れ日へと変え、途方もなく樹齢を重ねた巨木が見通しを遮り、濃厚な苔や土の香りが混ざれば風の匂いまでもが変じて、挙句の果てには猪や狼が彷徨っている。

 辺土の狩人でも滅多に踏み込もうとは考えぬ森の深部を既に半日、木製シャベル背負って彼方此方とうろついてる農民の小僧。言うまでもなくわたしだ。知ってた。

 

 一見すれば森の道なき道を迷い子が当て所なく彷徨っているように思えるかも知れないが、わたしの目には入り口から人の通れる経路が連綿と続いているように映っている。住み慣れた我が家を歩き回るような気負わぬ足取りで大樹の捻れた根を乗り越え、段差となった地層を迂回し、四半刻歩いては、手頃な岩などに腰掛けて羊の胃の水筒を一口、二口と呷って息を整える。

 

 勿論、初見の場所ではない。何年も森を探索しながら少しずつ道を切り開いては、忘れぬよう記憶と体に刻み込んできた。物心付いた頃より森を探検してきた身であろうとも、慣れた道を少し外れてしまえば、そこは見知らぬ地形が広がっている。絶対に油断は禁物だった。

 

 縦え、他人の目には気楽に歩き回っているように見えようとも、森が人の領域ではない事をわたしはよく承知していた。特に新しい道を調べる時など、細心の注意を払っている。

 森で人が惑う最大の要因なのだが、森の道は見る方角の僅かな違いによってさえ、与える印象を全く異なるものへと変えてしまうのだ。少し歩いては目印を地面に置き、前後から見れば瞬く間に変貌してしまう景色を度々確かめつつ、こまめに引き返しては飽きるほどに幾度も往復して少しずつ地図を作り、粘土の地図と脳内の記憶、そして足の感覚が完全に一致するまで馴染ませ、そうして初めて、森は人が歩き回る事を許してくれる。

 

 だから、獣道を辿り、亀裂を迂回し、起伏を乗り越え、目印となる大岩や針葉樹の大木に刻んだ数字を確かめながら森を歩き回っているわたしは、今回の道行きで知っている道から一歩たりとも外れていなかった。

 

 朝起きては地図を眺め、夕飯前に地図を刻み、寝る前には指で粘土板をなぞり、そうやって森の概略図をそらで描けるようになるまで馴染ませた。指で粘土板の凹凸に触れれば、宵闇に包まれながらも地図を読むことが出来る。子供の記憶力とは侮れぬもので、努力の甲斐もあって、わたしは森の地形のおおよそを把握していた。勿論、踏破したのは西の森のさらにほんの一部であるし、細かい部分などは完全に覚えきっていない。兎も角、今回の遠征は、手のひらほどの持ち運びやすい小さな粘土板をかごに入れて持ち運んでいた。

 

 森においては、時刻を確認できる場所は案外少ない。時の経過に耐えかねた楡の枯木が崩れ落ちたるばかりの僅かな空き地で空を見上げてみれば、太陽は中天を回っていた。

 甘さに酸っぱさが残る瑞々しい野生プラムを齧りつつ、緑濃き初夏の森林を歩き続けていたわたしは、球形に咲いてる紫の花を見つけて足を止めた。

 紫色の可愛い花だが、愛でようなどという気持ちはない。プラムの種を吐き捨てると、容赦なく地面を掘り起こす。花は土中の根っこが食べられる根菜となっている。種類が違うのか、夏にも冬にも収穫できるのがありがたい。玉ねぎである。

 花が咲いた後は実が固くなっているが、食べられないことはない。汗が吹き出てきた。普段の農作業で固くタコが出来ている手のひらにとっても、地面を掘り返す作業は大変にきついものだった。本日、3回目ともなれば尚更だ。

 

 息を整えながら、土を払い落として玉ねぎを植物性の籠へと放り込む。近くの森で採れる物といえば、主なものだけで野生の玉ねぎに蕪、どんぐり、ローズヒップにえん麦、茸とかなり豊富に違いない。茸だけは、同じ種類でも季節に拠って毒を持ったり持たなかったりするので慎重に採取する必要があったが、他は一年を通していずれかを採取することが可能だった。

 

 寒冷な土地ではあるが、森の実りは意外にもかなり豊かで、暇な日に半日ほどを歩き回っただけで、わたしはどんぐりに季節外れの野生の蕪、人参などの幾つかの根菜とニンニク、蛙に野鳥の卵などを籠いっぱいに入手できた。

 

「38番、玉ねぎ」鋭い石のナイフを取り出すと、粘土板の小さな地図の裏面に数字と玉ねぎっぽい絵文字を書き込む。数字と言ってもアラビア数字ではなく、縦線と横線を組み合わせた独自の記号に過ぎない。

 幸いというべきか。村の数字は前世と同じ十進法であったので、意識もずれないで済んでいる。斜め線を3本に縦線7本、横線を4本の縦線の上に刻み込む。これで誰が見ても、立派な38である。

 地図上で目印となる大木の幹やら大岩やらに番号を割り振り、傍らに石を埋めた十字に折った枝を置いて、後日わかり易いよう工夫しておいてある。

 

 大量の根菜や木の実を入手したものの、しかし、悲しいかな。この身は痩せた子供であり、十数キロの荷を持って森を半日歩き廻るにはあまりにも非力であった。

 まあ、実際のところは大して疲れてないので、或いは平気かも知れないが森で体力の限界を試す真似はしたくなかった。なので、植物の蔓で編んだ籠に玉ねぎを入れ、目印となる大木まで戻ると縄を通して枝から吊り下げた。荷物は集積し、探索の帰り際に一気に回収して持ち帰るのだ。

 

 森の深い場所に放置しようとも他の村人に取られるなんて、まず有りはしないが、忘れてはならない。森で最大の脅威のひとつが、動物さんである。イノシシは貪欲でおおよそ人間の食べるものなら何でも食べてしまうし、森の王者の毛深い猛獣も同様。底なしの食欲で人間が採取すべき木の実や果実を悉く食べ尽くしてしまう。そもそもが狼などから見れば、人間の子供こそが美味しい獲物であった。もし下手に遭遇してしまえば、わたしなんておやつに転職しかねない。

 

 だからこそ、わたしは森をこそこそと這いずり回っている。ときに犬のように四つん這いになり、時に木に登り、地面の匂いを嗅ぎ、土に触れて違いを確かめ、耳をそばだてて音もなく地面を這い回った。なんかこういう感じの生き物、映画で見たな。水の匂いがするよ……いとしいしと、ゴクリゴクリ。

 

 狼やク……あれの縄張りと思える痕跡には近づかないように経路を計画した。遠出した時に見つけた大木の背丈よりも高い幹に刻まれた凶暴な爪痕は、名前も出したくないあの獣の縄張りの主張だと言い伝えられている。見た瞬間に下半身が縮こまった。絶対に会いたくない。マーキングにすら近づきたくない。心臓が嫌な鼓動を刻み込んでいる。臆病な小型の草食動物のように細心の注意と用心深さを欠かさず、常に逃げ道を確保してそっと移動し続ける。

 

 それでも生き残れるとは限らないけれども、獣どもの縄張りからは比較的に遠いと考えている場所を徘徊しつつ、小細工を施すのも忘れない。太腿に結びつけたる植物籠から取り出したるは乾燥した犬の糞。葉っぱに包んで持ってきたそれを手頃な枝に刺すと、縄張りの境界に聳えたる木々の幹へと擦り付ける作業も欠かさない。村でも若くて獰猛で特に馬鹿っぽい犬たちのうんこ。それを土壁を造る大工の要領でただ無心に幹に擦り付ける。潰すと当然だが、猛烈に臭い。これがどの程度の効果を持つか、分からない。しかし、肉食獣っぽい複数の動物の糞の匂いが漂うところに熊でも狼でも踏み込もうと考えるだろうか?実際の処、なんの意味もないかも知れない。効果があるのか。分からない。分からないが少しでも生き残る確率を上げたい為に行っていた。この作業中、村東の悪餓鬼たちが仕掛ける落とし穴にはうんこが転がっているなどというどうでもいい話が何故か脳裏を掠めていた。

 

 森での採取と縄張りの匂い付けは基本、別の日に行っているが、今回は既知の境界ギリギリまで出張るほぼ半日掛けての遠征であった。半ば狂気に近い心持ちで匂いに拠るマーキング作業を終えると、粘土板にうんこっぽい図形と場所の番号、日付(……と言っても此方は年度と季節くらいだが)をペン代わりの鋭い石片で刻み込んだ。半笑いの衝動が吹き出してきた。こんなのが本当に有効なのか、作業中に背後から熊に襲われたらどうしよう、死にたくないよぅ、とビクビク怯えながら犬のうんこを塗り終わると、枝を投げ捨てた。

 

 手を洗いたい。糞がつかないよう細心の注意を払ってきたが匂いがついている。水筒の水で軽く流す。本格的に洗うのは、森の中を流れる水場で補充してからだ。

 森の中には沼もあるが、ぬかるみの水は人が飲むにはあまり適さない。なので手近な小川へと向かった。流れがそれなりに速いので寄生虫は居ない……と思いたい。一口、二口程度なら大丈夫な水だが、慣れてないので大量に飲むと腹を下すかも知れない。手を洗ってから、土器の小杯で水をすくい上げて大丈夫、と思う程度に喉を潤し、その後は川べりの粘土を手に擦り付けた。

 

 それから数瞬、手についた灰色の粘土を眺めてから顔や腕など露出した肌に擦り付けた。獣の嗅覚は鋭い。どの程度に誤魔化せるか分からないが、匂い消しになるかも知れない。小川で採れた粘土には、特に毒性らしきものはないと思う。多分。

 今日、やれることはすべてやった。非効率的かも知れない。無駄に体力を使ってないか?死にたくない。もう帰ろう。いや、予定通り行動すべきだ。疑心暗鬼や迷い、切羽詰まった気持ちが偏執的にぐるんぐるんと胸のうちで渦を巻いている。知ったことか。人間なるようにしかならないんだ。蛮勇と自棄糞に身を委ねて兎に角、足を動かし続けた。

 

 わたしの脳髄には、西の森が入ってる。まあ、ちょっと言い過ぎかも知れない。

 それでも、村から間近な西の森林。その一部なりともわたしより詳しい者はまずいないと考えていいだろう。何故なら、歩いた痕跡がないからだ。より詳しい村人がいるならば、わたしが森の中で野生の人参だの新鮮なプラムだのを拾い放題に出来よう筈がない。

 

 季節は初夏。これから秋に掛けて畑や菜園は勿論、森や野山にも豊穣の実りがもたらされる。長いようで短かった半日ほどの森での冒険で、わたしは戦利品を背に担いで村への道を急いだ。

 

 家まで帰り着いたのは日没後。予定よりは随分と遅れたが、半ば想定通りでもあった。日中までに帰れぬと判断した時点で、敢えて日没後まで帰宅を延長した思惑もあった。冬から春に掛けては、食べ物が尤も少ない季節で、今の時期は腹を空かせてる子供が村中をうろついている。そして今日のわたしは、どう見ても誤魔化しようがないほどに大量の食べ物を背負っていた。

 

 人は、飢えれば何でもする。敢えて刺激するのは避けたいと思う。他者への優越感かなんか知らないが、これ見よがしに食べ物を見せびらかす子供もいて、そこから取った取られたと喧嘩している光景も珍しくない。食べ物の取り合いなんかに巻き込まれて溜まるかとも思う。それが村の子供の生活なのだとしても、今は手加減する余裕もなければ、取られて笑って済ませる分量でもなかった。

 

 秘匿して何度も往来するにも疲労の極地にあって考えつかなかった。頭の端を掠めたが面倒だった。自分に運があるかを確かめたかったのかも知れない。非論理的だが、そんな事は知ったこっちゃない。人間の小賢しい思惑を越えた勘働きと勝負運を欲していた。兎も角、誰にも見つからずにわたしは家へと帰り着いた。

 

 両親が迎え入れてくれると、床に倒れるように寝転んだ。下の子たちは既に寝入っているようだ。

「い゛ま゛帰ったよ」告げると、意図せずして声が掠れて震えていた。

 全身に疲労が重しのようにまとわりついている。吹き出した汗が気持ち悪い。

 

 天井を眺めながら、呼吸を整えて思考を走らせる。上手くいった。次回はどうする?修正の必要はあるか?否、だからこそだ。計画は分割しなければならない。無理して全てを持ち帰らず、森の外縁で枝に食べ物をぶら下げて、余裕のある日に水瓶などに隠して持ち帰っても良かったのだ。小手先すぎる気もする。誰かに見抜かれるのもつまらない。囮として、偶に少量の食べ物を持ち帰るのはどうだろうか?本命を隠す役割に。悪童を誘引しないか?巻き込まれたくない。色々と考えながら少しだけ目を閉じる。と、次の瞬間、何故か光に照らされたので訝しげに目を見開くと、夜明けの曙光が差し込んでいた。

 

 




森に行って食べ物採ってきた。の一文で済ませられる話
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