ある日突然、私は前世を思い出した。きっかけは何もない。ただ夜道を歩いていただけだと思う。要因が何も存在しないて起きたことにしては些か現象が大きすぎないかと思ったのも記憶に新しい。…まぁ、新しくない記憶なんて、無いのだけれど。
というのも、私は前世を思い出すと同時に、今世の記憶をそっくりそのまま全て無くしてしまったのである。私は当時かなり困った。何で自分が古めかしい道路に居るのかも分からなければ、家の場所も分からない。だって私としては、車に轢かれて死んだかと思ったら、何やら古めかしい知らない場所に、しかも着物を着てぽつんと佇んでいたのだ。驚くのも困惑するのも当然のことだろう。まぁ、すぐに前の私を知る現地住民に遭遇し話を聞く事が出来たから、私が誰だったのかも、家がどこにあるかも、すぐに分かったけれど。運が良いことに現地住民らしい男は、元の私の婚約者だったらしい。怪しまれずに、いろいろ聞き出すことができた。
彼は、顔色が悪いと私を心配して家まで送ってくれた上、母が出掛けているだろうと食事まで作って共にしてくれた。良い人だ…。私には勿体無いようなレベルである。もし私になる前の私はこの人に釣り合うような人だったなら、申し訳ないことをした気がする。こんな私でごめんねでも不可抗力なんだ。だって気がついたらこうだったしね。そう思いながらその日は一人で夜を明かした。
次の日には母が帰ってきたし、それからも私の生活には特に問題は起こらなかった。母さんが用意してくれたご飯を食べて、外をぶらつき、空が赤くなる前に家に帰って親を手伝う。特にすることもなかったから、私は唯唯そんな日々を繰り返した。元々社会人として生きていた記憶を引きずっているので人にご飯とかを用意してもらうのは少し気が引けたけど、まぁ今の自分はまだそういう年頃だしいいでしょ。ぽやーとそう言うことを考えていたらいつの間にか年月が経っていた。
今日も今日とて私の生活は変わらない。この世界に来たのけっこう前な気がするけど、私は未だヒモである。この前母の都合で引っ越しをしたから、それを機にいろいろ出来ることを増やしてはいるけれど。それだけともいう。食べ物の調達とか、ね!…あれ、私これと洗濯物の手伝いぐらいしかしてなくない?ダメな奴じゃない?
そんなある日、私が越してきた先の、どこにでもあるようなありふれた町に、鬼がやって来た。
どうやら随分と食事が汚い鬼のようで、食い荒らされた死体の様はすぐに町中に広がり、町の人々は夜間の外出を控えるようになった。
程なくして、噂を聞きつけたらしい鬼殺隊員が二人、やって来た。いや、話しかけられるまでその人が鬼殺隊員って分からなかったんだけどね。なんと私、この瞬間までここがただの明治時代だと思っていた。
鬼滅の刃の世界だなんて知らなかった。
…まあ、仕方のない話ではあると思う。
だって鬼殺隊とか藤の家紋の家とか鬼とかを見ないと鬼滅の刃の世界なんて判断できない。…あれ、そういえば前の家の斜向いの家、藤の家紋、付いてなかったか……?いや、その、うん。きっと気のせいだ。
話を戻そう。その二人の鬼殺隊員は暫く町で聞き込みをしていたので、私の所にももれなく来た。家の戸を叩かれたので誰かと思ったら黒い詰襟の男がドーン!…正直ビビった。うわって言っちゃった。鬼殺隊員の男も私のリアクションを見て少し驚いてた。なんというか大変申し訳ない。恥ずかし。
私に凄い驚きを与えてくれた彼だが、家に招き入れてから余り時間も使わず、話し合いは終わった。人を食い散らかしている鬼を知らないかと聞かれたので知らないと答えたら終わった。数打てば終わる作戦かな。お疲れ様。あと鬼殺隊について教えてくれてありがとう。おかげでこの世界が鬼滅の刃の世界だと確信が持てた。
さて、ここが鬼滅の刃の世界だと言うのなら、私にはやりたいことがあった。
それは冨岡の親友錆兎と、炎柱煉獄さんの救済だ。
ムリゲーとか思っちゃいけない。二人を殺す手の鬼も上弦の参も女の子が立ち向かえるような敵ではないけど、直接戦うだけが救済方法じゃない。他の方法も考えてある。
まず、手の鬼。錆兎は刀が折れて驚いたところをやられる。そして首を切るのは炭治郎のように特殊な方法で隙を察知しなければ無理。何だこのクソゲーは。試験の場の鬼ぐらい管理しとけよ…下手な鬼殺隊員なら殺されるレベルの強さあるぞたぶん。
上弦の参より対処がましだと言えばその通りだけども。ひどい話だよ。
前世で見た鬼滅の刃の考察を思い出したところ、確か錆兎が殺されるのは最終選別七日目。六日までは生きて他の人を守ってないとおかしいからだ。なら、その七日目に私が錆兎を足止めすれば良いのではないだろうか。
お話しするとかをするだけで良い。錆兎は良い人なのできっと話を聞いてくれるでしょう。多分ね。
錆兎達が最終選別に参加するのは、確か明治41年(ってどっかで言われてた)。来年だ。私はそれまでに力をつけて、藤襲山に入れるようにならなければならない。一年で、足りるの?少し疑問だが、まあなんとかなるだろうと思うことにする。
次は、上弦の参。正直これ、ほんとにどうしようもない上、いくつかやり方を考えても、成功の未来が見えない。原作では、痣出し柱一人と同等の痣持ちで主人公補正と長男力と透き通る世界への理解を持つ主人公が頑張って倒していたわけだが、その、これ、さ?
キッツイ。
あの時あの実力であの人達であのタイミングじゃないと倒せなかったんじゃ無かろうか。長男力が必須な時点でもう私じゃあどうにもならない。
じゃあ、どうする?
できれば原作にあまり影響を及ぼさない方が良い。バタフライエフェクトで主人公が無惨様に負けてしまったらもうこの世界に未来はないからだ。ならばどうするのか?
私の答えは、錆兎だった。
さて、時は流れ藤襲山だ。あの日、私は行動は早い方が良いとその日の内に母に別れを告げ、家を出た。思いきりの良さは重要だ。流石に村に愛着も湧いていたので少し寂しかったけれど、仕方ない。
最初は選抜参加者として入ろうかとも思ったけど、知り合いに育手なんていないし、バレても困る。仕方がないので、山の麓から藤の花を掻き分けて進むことになった。
鬼を絶対に通さないという漆黒の意思を感じる藤の花の群生地をくぐり抜け、選抜の日。私は受験者達が鬼を狩る現場を横目で見ながら、草むらに隠れ七日目を待った。
参加者たちは食事的な意味で凄いサバイバルをしていたので、その恩恵にあやかりつつ、ひたすら待つ。野性動物も少ない…っていうかいない。きっとここにいる鬼達が食いつくしたんだろう。ある程度なら人間の代用ができるから。
そして、運命の七日目がやって来た。この頃になるともう参加者は錆兎に導かれ西の方へ粗方避難していて、人の姿は無かった。鬼の気配もすっかり無くなり残り一つ。手鬼だけだ。
錆兎はどこにいるんだろう。割と広い山なので、走りながら気配を探った。
__あ、居た。近くの木に飛び移ると、錆兎は警戒するようにボロボロの日輪刀を向けてきた。私は錆兎を害することは無いのに失礼な。私は上から覗き込むように身を乗り出した。
「お前、何者だ」
無視する。私は頭が悪いので下手をすると話の主導権を握られかねない。悲しい事実。だから私は一時的にサイコパスっぽくなる。口調だけね。
「ねぇねぇ。君はどうして戦おうとするの?そんなことしても待っているのは死だけだよ」
「何だと?…愚問だな。そこに鬼がいるのなら、それを俺が倒すことで、救える命が一つでもあるのなら、俺はその鬼を殺すだけだ」
「へぇ…流石錆兎君だね」
ニヤニヤしながら名前を言うと、相手は更に警戒してきた。眉を潜め刀を握る錆兎君かっこいい。
「…何故、俺の名前を知っている」
錆兎は私を鋭く睨み付けてそう聞いてきた。私は適当に笑い返す。答えなくて良いよね。このまま問答を続けていくと失敗しそうだ。割と本気で。
あくまでも今私がやりたいのは錆兎の足止めな訳で。いやホントは、後は手鬼しか残っていない訳だし錆兎をここで気絶させるなり何なりしておけばいいんだけど、ムズいじゃない。ムズいじゃない。大事なことだから二回言うよ。
「さあね。私は暇なんだよ。錆兎君。話し掛けた理由はそれだけ。だからお喋りでもしよう。あと試験参加者を害すような鬼はあのでかいのだけだしね。」
「…………」
「しかもそいつも図体の大きさからか知らないけど鈍いしさぁ。錆兎君が動かなくても誰も死なないよ、安心しなよ。」
「…何が望みだ」
「あはは。そんなに構え無くても。ただの雑談なのに」
だから、ここで喋りつつける。んで、煉獄さん救済の目処を付けておく。
「君は今日、ここで死なない。」
「君はここで生存して、六年後に炎柱煉獄杏寿郎と汽車に乗るんだ!」
サイコパスモードon!未来を知ってる得体のしれない奴になりきれ!いやまあそれそのものであると言えばそうだけどもね!
「君が救える命の最たる例はきっとそれだよ。君が動くべきはそのときその場所だ。今でもなければここでもない。今ならそれこそ無駄死にだね。君が死んで喜ぶ人が居ないもの」
「何を言って…」
「私の言葉は未来だよ。私が手を加えなければそのまま進む筈の、未来。信じられない?いいよ、ならいくつか他の事も教えてあげよう。分かりやすく、君が関わるだろう事だけね」
知らないけどさ、と言い添えて、とにかく原作から錆兎が生きてたら関わりそうなことを話す。炭治郎って弟弟子出来るよとか、将来柱になる人の名前一覧とか。カナエさんが死ぬとかは言えない。だって下手に錆兎が介入して錆兎が死んでしまったら煉獄さんが救出できなくなるからね。ごめんねカナエさん。しのぶさんしか童磨を倒せないから。私じゃこれが精一杯だ。これ以上欲張れば何かを落としてしまう。
私の命とかね。笑えないなー…。
「これを本当か見極めるのは未来の君だよ。だからそれまで死なないでねぇ……と、ああ、もうタイムオーバーか」
空が明るみ始める。最終選別の終わりだ。そろそろ私も帰ろう。お腹減ったし。
「義勇君を大切にね、錆兎君?」
バイバイ。手を降って森の中へと全力疾走する。追って来ないでねー義勇君の方に行ってねー私上手く対処なんてできないからねー?
まあたぶん大丈夫だろ。布石は打てるだけ打ったから、これで錆兎君が私の語った未来を確かめようとしてくれたら勝ち。後は待ちの姿勢だ。
久しぶりに全力で頑張ってお腹もすいたから豪勢にいこう。近くに町があったかな?私は今にも雨の振りだしそうな空を覆う雲を背景に、一歩町へと踏み出した。
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あの鬼の言葉を、錆兎が忘れることはない。
最終選別で会った奇妙な鬼の言葉を、錆兎が忘れたことはない。初めて邂逅した自我を持つ鬼は、意味の分からない事をまくし立て、一人で満足し、錆兎を生かしてそのまま去った。
──赤く血の飛び散った着物を纏い、血に塗れた牙を剥き出しにしたまま。
待っているのは死だけだと、目を歪めて笑ったあの鬼には、自我はあったが理性は無かった。いつ殺しにかかってきてもおかしくない。そんな雰囲気を常に漂わせ、そして鬼は話を誘ってくるのだ。
不気味なこと、この上ない。錆兎が鬼の言葉に耳を貸したのは、一重にそうしなければ殺される可能性が高かったからだ。
錆兎では、それこそ唯唯無駄死にするだけ。何故最終選別にハッキリとした自我を持つような鬼が居るのかは分からないが、それを気にしている余裕もなかった。この試験が死と隣り合わせだと言うことを思い知らせるような存在感を持って、錆兎は戦わぬまま敗北を悟らせた。
そのような敵を、何故忘れることが出来るだろうか。
鱗滝さんの元へ戻りまずしたことはあの鬼が語ったことの記録だ。一言一句忘れてなるものかと、筆を手に取り、身体を休める事もせずに紙へ向かった。いつかあの鬼を倒す。探し出して目的を吐かさせてやる。錆兎は一人そう決意し、任務先では度々それらしい鬼を探していたものだった。
しかし何の手がかりも見つからず、鬼の戯言だと捨てきる事も出来ないままに時は来た。錆兎が下手を打ち負った大怪我を療養している間に柱となった義勇が語る同僚の名前はかつて聞かされたものそのままだ。新しくできた弟弟子の名前も、弟弟子が連れる鬼の名も。全てが、合致していた。
(今日、ここで、明らかにする)
私服を着たまま、偶然を装って炎柱の居る汽車へと乗り込んだ。煉獄はすぐ見つかった。錆兎は彼の食事が大変賑やかな事を知っていたから、見つけるのは容易だった。その横に自分の弟弟子が居たことには驚いたが、何とか動揺を隠し知らぬふりをして時を待った。
──そして。
太陽から逃げ去った上弦の参の背を、誰も追うことができなかった。いくつもの臓器を損傷し目を潰された煉獄は勿論、途中から加勢に入った錆兎も、主要な骨を幾つか折られ鬼を追うことができるような体ではなくなっていた。いつもなら真っ先に追いそうな伊之助も、座り込んだままだった。
朝日が、昇る。山々の間がらゆっくりと姿を表す太陽が、ボロボロの錆兎達を照らしていた。
(──終わった…のか…?)
日の光を受けながら呆然と思う。あの嵐のように訪れて大怪我を負わされた上弦の参が姿を消した事が未だに信じられなかった。それほどまでの強さ。それほどまでの、恐れ。足を引きずって、錆兎は静かに立ち上がる。
森の入り口に程近い木にもたれ掛かり錆兎は小さく嘆息した。…最終選別に現れたあの鬼は、ついぞ現れることは無かった。藤襲山の特性を考えれば出てこられないのはごく自然のことではあるが、発言からして、腑に落ちない。錆兎の疑問は募るばかりであった。
錆兎は座り込んで、あの思わせ振りな言葉を回想し目を伏せる。そんな彼を、誰かが覗きこんだ。
視線が、合う。
「錆兎君今、もしかして私のことを考えてくれた?嬉しいなぁ、覚えてたんだね」
「──っ!!?」
何時の間に現れたのか。錆兎が思い描いていたままの姿の女鬼が、色の塗られていない白の番傘をさしてそこに立っていた。光を呑み込んだような黒の瞳に、感情の伴わない頬だけの笑み。かつてと、何ら代わりがない。立ち上がろうとした錆兎を、しかし女鬼はにやにやと笑い手で制した。場に、緊張が走る。
「やめときなよ錆兎君。その怪我で動いたら人間は壊れるよ?そんな無駄なこと、しないでいいと思わない?」
「…どういう意味だ」
「そのままだよ。私は今君を害するつもりは無いんだから」
女鬼は眼を細めた。片手で番傘をくるくると回し、日の届かないギリギリのところで上からの木漏れ日を防いでいる。その姿はいっそ美しくもあったが、錆兎は、それに猛烈な違和感を感じていた。だが、それがなにか、分からない。
「何が目的だ」
「言ったじゃない。私の言葉は未来だよ。だから、狂いがないか確認しに来ただけ」
「………貴様の、思う通りになっただろう」
唸るような錆兎の言葉に、鬼はただ笑うだけだ。相変わらず、よく分からない鬼だった。
「うーん、そうだね…」
そう呟いた鬼はおもむろにくるくると回していた傘を止め、錆兎から一歩距離をとった。伊之助が日輪刀を構え突っ込んできたからだ。彼女はそれを笑顔のまま軽く掴む。
「嬉しかったよ。忘れられてないみたいで」
捕まれた伊之助の刀の、彼女に捕まれた部分がサラサラと消滅していく。その様子に、錆兎と煉獄は目を見開いた。
まさかこの鬼は日輪刀を、血鬼術で消滅させたのか。
「でも…あれ、何だったかな。私、何でこんなことしたんだっけ?」
忘れちゃった。そう女鬼は呟いて、ひとつ瞬きをする。
「まあ、いいや。確認は出来たからさ、私帰るね?傘持ってるけどさ、そろそろ限界かなぁ」
「貴様、」
「じゃあね錆兎君。ふふ、また会えるのを楽しみにしてるよ」
バイバイ、といつかと同じ様に女鬼は軽く手を振って、するりと姿を消す。錆兎はそれを見ていることしかできない。あのときとは違う。女鬼に気圧されるような事も無くなった。今万全の状態でやつと相対すれば、恐らく錆兎は勝つことができるだろう。──しかし。
あの何を考えているのか分からない淀んだ瞳が、未来を知っている不確かさが、かの鬼を取り巻く不気味さが、立ち竦んだ錆兎を苛む。
結局、あの鬼の言う通りだ。錆兎は列車に乗り込み、煉獄を、弟弟子たちを救った。
また会えるのを楽しみにしてるというのが言葉だけなのか、それとも実際に会うと未来を見ているのか。錆兎には分からない。鬼の心など、有る筈もないのだから。
次会うときが、きっと決着の場だ。
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パラパラと天井から木屑が舞った。どこかで鬼が轟音を立てて暴れまわっているのだろう。不規則にどんどんと立てる音を意識して聞いていれば、少しの悲鳴も混じっているのが感じられた。どこかでまた1つ命が失われた。無惨様の声と上弦たちの気配が荒ぶっているのも余所にして、私はのんびり、ただ畳の上に座していた。
近付いてくる気配は一人、二人。どちらも一度は感じたことの有るもので、私はそれを自分の中のどこかが喜んでいると思った。
もしかしたら、それは勘違いだったのかもしれない。それでも久し振りに食事と戦い以外に感じたその感覚は、私にとってはそれこそ無惨様の血に匹敵するほど素晴らしいもので。
──自分がかつて人間だったことを思い出させてくれる、懐かしいものだった。
「やあ、久し振りだね。錆兎君に煉獄君」
扉が音を立てて開かれる。その前に立っていたのは、嘗て私が救いたいと願い、そして私を保たせた人たちだった。
二人ともに怪我1つ無い。雑魚鬼に相手が勤まるとも思わないから、戦っては来たんだろうけど。その無事な姿に、私の中に微かに残されていた願いが、すっと輝いて消えていったのを感じた。
「君は…」
「ようやく見つけたぞ、女鬼」
にっこりと笑って、私は目を細めた。下弦の壱、と印された私の瞳を、錆兎は静かに睨んでくる。煉獄は、戸惑いもあるみたいだった。私はゆっくりと立ち上がれば、二人は無言で刀を抜き放つ。
「うふふ、嬉しいな。二人とも来てくれて。嬉しいのかな?」
「言っている意味が分からないな」
「でも、ねぇ。私は二人にお礼を言いたいと思ってたんだよね」
今は別にそんなに思ってないけど。段々希薄になっていく人としての理性を、原作の改変、二人の救済を考えているときだけは感じることができた。それがどれだけ過去の私にとって慰めになったか、彼らは知らないだろう。
私は、この世界で私という自我を得たときには既に鬼だった。なんの感慨もなく婚約者だといった稀血の男を喰い、鬼になって暫くしても見捨てられず私を養っていた母親を喰らい、訪ねてきた鬼殺隊の男を殺して、ここまで生きてきた。
錆兎と煉獄を救いたいと考えることで自分という理性を確かめて、人を殺して食らって生きてきた。
「はは、」
だから、私は錆兎と煉獄に殺されたいと願っていたのだ。
「私はやり遂げた。おめでとう、人間(わたし)。それに、さよなら」
錆兎が一歩、部屋へと足を踏み入れる。煉獄は入ってこなかった。
「俺を生かした、目的はなんだ」
「私がわたしで居るためだよ。錆兎君」
「…お前は鬼だろう」
「そうだね。今は」
私の言っていることを、錆兎はきっと理解できないだろう。でも、それでいいのだ。
「お前は、鬼だ」
「そうだよ」
隙無く構えられた日輪刀がぐいと引かれ、呼吸の型をなぞる。受け止める気はない。戦えばすぐ決着が着く。下弦の鬼なんてそんなものだ。
弾丸のように飛び出した錆兎の体に、私は受け止めるように手を差し出した。触れれば殺せる。でも殺さなくていい。
人間への手向けだ。藤の花や日輪刀さえも崩壊させるわたしの血鬼術は人間に当てると食料も消えてしまうから使っていなかったし、無惨様にはそれで発動が遅れたとでも考えてもらおう。
──トン、と、音がして。
気がついたら私の頸は撥ね飛ばされていた。一切の痛みは無く、むしろ暖かみを感じるような一閃。
「お前は鬼だ。禰豆子とも違う。幾人もの人を喰い、人々を苦しめた」
錆兎はそっと側頭部に付けた面を撫でる。煉獄は相変わらず部屋の外でこちらを見るに留めていた。──二人がそろってここに居ることが、なんと嬉しいことか。瞳から、忘れていた涙が一粒、溢れる。
「ありがとう」
塵になって消えていく。それはまるで自分の血鬼術の様だな、と霞む意識の中で考えて、私の口からそう溢れ落ちた。
彼らには、それが何故かは分からないだろう。