東方被常識 あべこべなこの世界で俺は   作:自律他律

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 今回やたらと構成の下手っぴ度が高すぎてめっちゃ読みづらいかもしれません なので目を通す際は十分に心してかかって下さいまし



妖怪寺体験入信日記 その伍

 

 

 この『幻想郷』という奇怪な異界に迷い込んでから今日という日を迎えるまで、十と少々の日数が経過した。だいたい大雑把に言い表して二週間ほど。テレビも無え、ラジオも無え、バス等の公共交通機関も当然のように無え。そんなつい嫌気が差してしまいそうになるこの世界の古式ゆかしい生活スタイルにも、そろそろ適応してきた頃合いである。

 

 ふと思い返せば、初めの一週間はそれはもうツラくキツい毎日だった。「何を為すにしてもまずは金策からだろう」と踏んで始めた商いは何一つ軌道に乗ることがなく、故に満足に腹を満たすことすら叶わない。糊口を凌ぐ為、現代社会からは面白いように切り離されたこの土地で、日夜右往左往せざるを得ない非常にストレスフルな日々であった。

 更には、『夜の遊園地』の夢を見たが最後、その後起床すると大抵身体のどこかしらが負傷しているという謎現象に見舞われたそのときは、これは一体どうしたものかと深刻に苦悩したものだ。

 

 そんな有り体に言えば地獄みてえだった日々とは対照的に、その後残りのだいたい一週間──つまり俺がここ命蓮寺に体験入信希望者として身を寄せることになってからの日常は、まさしく天国、もとい極楽のようであったと言っても過言ない。

 (酒や肉の類がご法度なのが至極残念だが)ちゃんとした飯が毎日三食出て、適量を摂取できる。参拝客の前でお勤めをすることもあるからと、寺院という場所に則した清潔な衣服が与えられる。

 そのほか細かいところでは、早寝早起きが習慣化して規則正しい健康的な生活が送れるようになっただとか、修行という名を冠した単なる雑用に取り組むうちに心なしか筋力や体力がついてきただとか。現在進行形で寺のお世話になっている身としてありがたく思う点を列挙するとすれば、その辺が真っ先に思い浮かんだ。

 いつの間にか変な夢を見なくなっていて、朝スッキリ気持ち良く起床出来るようになった点は──まぁこれは確か命蓮寺で寝泊まりするようになる直前の出来事だったはずだからギリ除外しておくとしよう。

 

 そうそう、村紗水蜜と雲居一輪。忘れてはならないのは、ここの時代劇さながらな生活様式と対峙し苦戦する無知な現代人の面倒を、彼女達が見てくれたことだろう。

 

 それが決して「新しくやってきた同居人の世話を私らでやってやろうぜ」的な純粋な厚意(ノリ)から来るものではなく、「彼を経由して密かにお酒を入手していたのを隠さなきゃ」というひどく不純な使命感から来るものに過ぎない事は重々承知している。

 しかしそれでもこの一週間と少しの間、実践面知識面問わず様々な場面で助けられてきた事実は決して揺らぎようもなく。だからこそ、彼女達には感謝してもしきれない。

 

 例えば体験入信初日、俺が幻想入りしたての外来人とはまだ知らなかった聖さんから風呂の支度を頼まれたとき。

 ヤベェ水を張るだけならともかく肝心の薪を燃やす為の火はどうやって確保するんだ……と長考しかけたその時、一輪が様子を見に来てくれたお陰でなんとか支度できた──なんてこともあった。

 

 ご丁寧にも彼女は離れの蔵から錐揉み式の火起こし道具を持ってきて、その使い方を俺に分かり易くレクチャーしてくれた。

 

『…こうか!?』

『違う、もっとグッと全身を使って体重かけて!』

『…こうなのか!!?』

『そう! そのまま強く板に棒を擦り続けるのよ』

『んんんおぉぉ! これは腕が死ぬぅ!』

 

 もっとも、分かり易くと言ってもその習得は全然容易ではなかった。その日は前に洗濯(全自動ならぬ全手動)と薪割り(言うまでもなく重労働)という現代人が普段は全然行わないであろう動きをやりまくっており、既に全身の筋肉がほぼほぼ死に体だった為だ。

 

『次はその木屑を火口(ほくち)で包んで。そして息を吹きかけて』

『よ、よし。フ、フゥーー!!』

『ちょっ、バカ! そんな強くしたら……』

『フゥー! フゥー! あれ、今なんか言った?』

『……火種が消えちゃったから、また最初からやり直しね。お気の毒だけど』

『………………………マジで?』

『マジで』

 

 膝から崩れ落ちる、という慣用的表現をそのまんま体現するほどの絶望を味わったりもした。

 

『お、おお!? やった! ついた! 火がついたぞ! プロメテウスの火だ! 新たなる文明の誕生だぁ!』

『え〜と、そんな大袈裟に喜ぶことでもないんだけど。でもその、まあ、おめでとう?』

 

 それでも無理やり気合を入れてどうにか火をつけられたそのときは、抑えのきかない謎の高揚感に全身が震え、ふと目が合った一輪とハイタッチを交わしたものだ。

 あの時に俺達が経験した一体感のほどは、なんとも言葉では表現し尽くし難いように思える。

 

『……あっ、でもよく考えたらこんな苦労する必要はなかったかもな。散々頑張った後になって言うとアレだけど』

『は? どういうこと?』

『うんまぁその、見たら分かるか。ほい』

 

 ただしその直後。そう言えば俺アレを習得してたなぁ、これに関しては隠す必要も無いし明かしても別にいっかーと判断して、指先に霊力を集めボゥと炎を灯してみせたのは、とんでもなく悪手だった。

 

『あ、あんた、それ……』

『ふふん、どうよ? つい最近になって体得したばかりの術なんだけど。いやぁなんで必要なくなった今になって思い出すかなぁ、これなら一瞬で火ぃつけられたのに。うっかりうっかり、あっはっは』

『……それ出来るなら最初からやんなさいよ!』

『グハァ!』

 

 ハイタッチでパーだった手がグーになってたからね。

 ちゃんと加減してたらしいけど、もし当たりどころが悪かったらノックダウンまでいっていたかも分からない。

 格闘技やってないからテキトー言うけど、世界を獲れる一発だったぜあれは……

 

 うえっ、なんだかそのときの光景をまじまじと振り返ってみると、腹部を襲ったあの憤怒の一撃が今にも鮮烈にリプレイされるかのようだ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ、よっしゃ隙ありぃっ! 喝っ!!!

 

「い゛ッ!」

 

 麗かな日差しの降り注ぐ正午前。俺の右肩に強い衝撃が襲い掛かってくるのと同時に、パァンと乾いた大音量が禅堂内に響き渡った。

 

……メッチャクチャ痛かった。

 

 何、今の喝。えらく嬉々とした声音に聞こえた気がするが。まさかとは思うが、無防備な人の肩を棒で打つという行為に何らかの娯楽性を見出したりとかしてないよね?

 てか、隙ありってなに? 坐禅ってそういうバトル系漫画みてえなセリフが飛び出すようなシロモノだったっけ?

 

 呆れながらそれでも結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢をキープしつつ背後を窺う。

 するとそこには、何やら大層満悦したご様子の妖怪少女、雲居一輪がいる。

 

 晴れやかな表情を見せる彼女はひと昔前の不良漫画に登場するヤンキーもしくは熱血指導教員よろしく、片手で持った凶器(警策)を肩でトントンしていた。

 被害者として、それがやたらと様になって見えるのがかえって腹が立つ。仮に今、堂の端っこのほうで主に代わって『すまぬ…』って顔をしてる雲山が視界に入ってなかったとすれば、今ごろ俺は派手にキレ散らかしていたに違いない。

 ふう危ない危ない、怒りなどという拙い感情に振り回されずに済んでよかったよかった。

 

 あれっそういえば。そもそも今みたいな場面だと、直前に軽く肩を叩くなりして「今からここを打ちますよ」と合図するべきところであったはず……

 おいコラ何の事前通告も無しに全力ブッパしてんじゃねーぞオラァ!

 

「……あの、一輪。確かにいま余計なこと考えてて集中力切らしてたのは認めるよ? でもさ、もう少しこう何というか手心というか、優しい感じで注意を促して欲しいなーって思ってるのよ俺は。なんならこれ始めるときそう言ったじゃん? 痛くしないでねってお願いしたじゃん? なのに今のは一体どうして? なんで痛くしちゃったの?」

 

「ふふっ、ごめんごめん。あまりにも判りやすく気が散ってたから、つい」

 

「つい、で繰り出せるような半端な威力じゃなかったんだよなあ…ってか、半笑いで謝るのやめてもらえる? そういうの本当に心証良くないからね?」

 

 こやつ、もしや俺たちが知り合ってまだ一週間程度しか経ってないって事実を忘れてるんじゃ…?

 

 至極愉快そうに口元を緩ませる少女を見ては、そんな疑いを持たざるを得ない。今の俺の表情はこれ以上無いほどの完璧な顰めっ面となっている事だろう。

 非常に嘆かわしいことに、どうやら彼女の脳内辞書には『遠慮』や『距離感』といった類いの文字は記載されていないらしい。信じがたいほどの気安さがそこにはあった。

 いや待て、果たしてこれは本当に気安さのひと言で片付けていい問題なのだろうか? 受け取り方次第ではこれはただの理不尽な暴力沙汰で、互いの信頼関係にヒビが入りかねない致命的な……ま、いっか。

 悪意あっての事ではないのは言われずとも分かっている。気まぐれな猫にじゃれつかれたものと思って、ここはひとまず気を静めておく事として。

 

 ともあれなんにせよ。やっぱ頼み込む相手を間違えたよなぁと、今朝方の己の行動を悔いるより他無い。

 

一輪に声を掛けたのは失敗だったかな。少なくともちゃんと僧侶の格好してるぶんムラサより適任かと思ってたんだが……

 

「え、何々どういう意味? 説明して?」

 

「いや聞こえてんのかい。説明……まぁいいけどさ」

 

 求められては特に拒む理由もなく。慣れない組み方に悲鳴を上げつつあった脚を労わりながら、耳ざとくも小さくこぼした独り言を聞き逃さなかった一輪の要望に応えるべくして、彼女の方へと身体をクルリと振り向かせる。

 

 

 

 

 

 昨日の話である。いつものようにやって来た修行合間の空き時間、この間を今日は何をやって埋めてやろうかと自室で思案していたとき。

 ふと命蓮寺を初めて訪ねたあの日の事を思い出し、何故無茶を承知で身分を偽った上でここに一時留まる事を選択したのかを思い出し、さらに聖さんからのささやか過ぎる『お願い』の事を思い出し。そしてそれら全てを踏まえた上で、こう考えたのである。

 せっかく体験入信という体で潜り込んでいるのだから、洗濯だとか掃除だとかどこでも出来そうな雑事ではなく、ここでしか出来ないようなもっとちゃんとした、お寺らしい修行(イベント)を体験しておかないといけないのでは──と。

 さして仏教に関して造詣が深いわけでもないので、ぱっと思い付けたのが滝行と坐禅の二つのみ。とはいえ前者はそもそも近所に滝が無く実質的に一択状態。となると自分以外にも最低一人、誰か監督役として修行を手伝ってくれる人が欲しいよなぁと、そう考えたあとの俺の動きは速かった。

 ちょっとこれからお散歩でも……と何やらコソコソと寺を抜け出そうとしていたムラサを呼び止めて、そんなに暇してるなら是非とも直日(じきじつ)(警策を与える人のこと)を、と頼み込んだのだった。

 

 

 

 

 

「何というか聞いててあんまり話が入ってこないんだけど? 特に前半の部分」

 

「あー、そこは…………適当に聞き流してもらっていいところだから気にしない方向で頼む」

 

「ふぅん? で、結局村紗に声を掛けたあとはどうなったの?」

 

「……思えばあのときムラサのやつ、里の酒屋か血の池地獄かのどちらかに行こうとしてたんだな。ところがそれを阻まれてしまって、だからあんな見るからにご機嫌斜めな顔付きになっていた、と」

 

 その時の事はなんともツキが無かったというか、間が悪かったんだなぁとしか言いようがない。

 

 先日の封獣ぬえとの一件以降。理由は定かではないが一段と親身に接してくれるようになったから、この頼みもきっと快く引き受けてくれるはず……とか何とか考えて、安易に甘えてしまったのがきっといけなかったのだろう。

 

「つまりは、合法的に人をぶん殴れちゃうような口実を、この上無く気が立った状態のムラサには絶対に与えちゃいけないよねっていう教訓を得られたわけ。この身を犠牲にする事でな……」

 

「……? あっ、そういう事。災難だったわねー」

 

 肩を撫でながら自然とどこか遠くを虚ろに眺めてしまう俺に、一輪は少し遅れて同情の気配を見せる。

 が、すぐさまそれは疑問の様相に切り替わった。

 

「だったら、それでよく今日も坐禅しようって思えたわね? 痛かったんじゃないの?」

 

「当ったり前だろ好き放題バシバシやられてめっっっちゃ痛かったわ。……でもあの失敗は割と俺の人選ミスによるところが大きかったからね、だから今回こそはと期待してたんだけど。でもさっきの事を考えるにこれならまだ、駄目元でぬえを頼ったほうがマシだったかも分からんな?」

 

「……さ、休憩はこのくらいにしてそろそろ再開しましょ? お互いお昼まで予定ないのは判ってるわけだし、それまで時間たっぷりしばき──修行に付き合ってあげるから」

 

「ちょ、今の失言聞いて『じゃあまた続きの方お願いします』って俺が言うと思ったん? そんな事ある? まぁこっちも言い方にトゲがあって悪かったとは思うけどさぁ」

 

 言われるままに坐禅修行を再開した場合、昨日に引き続き蓄積されてきた肩へのダメージは果たして如何程のものとなってしまうのか。

 想像するだけで身体が震えてしまったので、無造作に両足を床に放り出す。

 自ら進んで痛い目遭いに行くなんてのは、大バカ者のする事だ。こんなん中止に決まってんだろ。

 

 そうやって固辞を表明すると流石に修行の継続不可を察したのだろう。一輪はやれやれしょうがないといった表情で、警策を手放し静かにその場で腰を下ろした。そこは丁度こちらから見て真正面にあたる位置であり、自然と俺は彼女と見つめ合う形になる。

 

 ………………。

 

 えっ、なに。ここは一旦解散する流れじゃないの? と突如訪れた暫しの静寂に戸惑う。

 

 すみっこに控えている雲山を含め一輪がこの禅堂にいるのは、ひとえに俺が彼女に修行を手伝ってくれないかと頼み込んでのこと。

 なのでそれが終わった現在、彼女がこの部屋にとどまり続ける理由は特に無いはずなのだが。

 

「どうした。生憎と叩かれるのは趣味じゃないからね、断言するけどそんなに見つめられても絶対に坐禅はやらないからな」

 

「や、それはもう満足したから別にいいし。そんな事よりも、お昼までの時間が結構余っちゃったじゃない? それまでちょっとお喋りでもと思って、ダメ?」

 

「お喋り? はあ、駄目ではないけど……」

 

 彼女の言っている事は、要は単なる暇つぶし目的のお誘いといったところだろう。

 実のところ、俺と一輪が聖さんから仰せつかった本日の“修行”は午後からの人間の里への買い出しだった。ならばその時刻になるまでちょっと坐禅でもと思い立ち(『えっじゃあ私もう一回()りたい!』と目を輝かせるムラサを何とか宥めて)、一輪にお越しいただいた──というのが今日これまでの流れなわけで。

 その坐禅がこうして急遽中止されてしまった以上、代わりに雑談でもして時間をつぶそうじゃないかと、彼女はそう言っているわけだ。

 

 まあ、悪くない提案だと思う。

 

 しかしここで問題になってくるのは、普段はそうでもないのにいざこういうフリートークを意識する場面になると途端、目ぼしい話題がなかなか頭に思い浮かんでこなくなるという悲しい現実。

 

「とはいえそうだな。何を話したもんか」

 

「別に何でもいいんじゃない? なんならこっちから話を振るわよ? 言い出したのは私なんだし」

 

「お、ほんと? じゃあお願いするわ」

 

 まるでこの時を待ち望んでいたかのように。自ら発案しただけあって、申し出るその声の調子は何とも力強かった。

 相変わらずいい塩梅な話題は何一つ思い付かないしここはもういっそのこと、全部彼女に丸投げしてしまう事にしよう。

 となればこれよりは、これといったテーマもオチも何も無い只の雑談タイムである。どのような内容であれそこそこに掘り下げて、そこそこに盛り上がらせて見せようではないか。

 そんな風に考えて、すっかり身体の緊張を解きリラックスしていると。

 

 

 

 

 

 

「うーんと、そうね……じゃあ、ここ数日の間ずっと感じてた疑問なんだけど。()()()()()()()()()()()()()()()()()()のはどうして?」

 

 

 

 

 

 

 淡々としたその声音から、あまりにもクリティカルすぎる質問を急に投げかけられて、ちょっぴり心臓が跳ね上がった。

 心のうちから一斉に後ろめたい気持ちが湧き出てくるその一方、ほとんど条件反射で素知らぬ顔を装う。

 

「お、おー、星って寅丸さんのこと? いやあ? 無視だなんてそんな酷い事した覚えは無いけどね」

 

「へー、否定するんだ? だったら私の記憶違いかしら。それとも、あんたにとってああいう対応の仕方は無視のうちに入らないってこと?」

 

「……一応聞くけど。ああいう対応の仕方、とは?」

 

 記憶違いというワードを口にしながらも、一輪からは自信の無さだとかそういったものに類似するような様子は微塵も見受けられない。

 どうしようもない詰みの気配を感じ取りつつ、それでもまだ知らぬ存ぜぬを突き通せるかもという淡い希望を胸に秘め、念の為に聞き返してみる、が。

 

「本当に、覚えは、ないのね?」

 

 正面には物凄いデジャヴを感じさせる、見惚れそうなほどの“いい笑顔”。これがどんな意味合いを持っているのかはとっくに学習済みであったので、容易に察しがついてしまった。

 事ここに至っては素直に事実を認め白状する、どうやら今の自分にはそれ以外の選択肢などひと欠片も残されていないらしい、と。

 

──聖さんに詰められた時もそうだったが、我ながら何とも諦めが早いな?

 

「ゴメンやっぱ思い出した。確かに俺、無視と思われかねない素っ気ない対応を寅丸さんにやっちゃってたかもだわ……」

 

 整ったその面差しにこれ以上の青筋を立てさせるのも忍びなく、降参の白旗代わりにさっくり認める。

 

 命蓮寺体験入信の初日から一貫して、俺は寅丸さんとだけは出来るだけ距離を置き、なるべく関わり合いにならないようにしていたというその事実を。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 何かしらの意図があってのことか、それとも単なる親切心や好奇心からか。

 体験入信してる身の上としてなかなかに新鮮な毎日を過ごす只中。実際、俺はしょっちゅう寅丸さんから声を掛けられていた。

 お勤めの前後や食事時、修行合間の休憩中、たまに廊下ですれ違うときなどそのタイミングは様々で、その内容も多くは特に言うことのない無難な日常会話ばかりであったわけなのだが。

 

 どうにも避けてしまうというか。例えば「もしこの後お暇でしたらご一緒に如何ですか」と写経を勧められたり、「先ほど、茶菓子を奉納品としていただいておりましてよろしければ」とお茶に誘われたりしても、一回も首を縦に振ることがなかったというか。

 

「いえ、これから響子ちゃんと掃き掃除しに行くとこなんで〜」とか、「またぞろ墓荒らしが出没してないか心配なので見回りを〜」とか、「響子ちゃん一人で洗濯は大変そうだしちょっと手伝いに〜」とか、「今日あんまりお腹の調子良くなくって〜」とか、「そろそろ響子ちゃんが山に帰る時間なのでそのお見送りを〜」とか。

 

 思い返せば、今までにそれはもういろんな理由をつけて彼女からのお誘いを拒否し続けていた。

 そういったやり取りを知らぬ間に傍から目撃していたらしい一輪が、俺が寅丸さんの事を無視しているものと捉えたのは、至極ごもっともな話だった。

 密かに自らに課していた『御本尊様とのコミュニケーションを極力控える』というタスクを達成させるにしても、もう少し露骨さを抑えたやり方を実行するべきであったかとひっそり内省する。

 これ第三者視点からだと、付き合いも愛想も悪いただひたすらに嫌な奴じゃねーかコイツ()。こんなヤツ相手に寅丸さんはよく構い続けられたもんだわ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「あと、事あるごとにあんたの口から響子の名前が聞こえてきた気がするけれど、それはなんでよ」

 

「なんでってそりゃ……実際でまかせ言って断った後はその通りに動かなきゃいけないわけで。だったらせめて、気分の良くなるような事をしたくなるのが人心ってもんだろ?

 で、最近あの子と接してて気付いたんだよね。ああいう『無邪気で元気な子ども』の世話をする事って滅茶苦茶心が洗われる事なんだなって」

 

 だから、響子ちゃんの名が挙がりやすかったんじゃないか? と回答を締め括る。

 無論、用心の為「ちなみに『無邪気』ってのは見た目とかじゃなく内面性の事だからね?」と添えておく事も忘れない。

 

 境内に木霊するほどの快活で気持ちの良い朝一番の挨拶であったり、お手伝いを提案した際の弾けるような笑顔であったり。

 幽谷響子という少女が時折見せてくれるそれらの価値は、まさしくプライスレスと評されて然るべきもので。その愛らしさ故にたいそう庇護欲の掻き立てられて仕方がなく、ついつい本能的に世話を焼きたくなってしまう。詰まるところ、

 

「フッ……差し詰め、“父性の目覚め”といったところかな……?」

 

「は? キモ」

 

「わーお、辛辣ぅ。いやそりゃ正直そう言われるかもとは思ったけどさ、一応こっちにもそれなりの事情があっての率直な……いや言っても仕方ねぇかこれ

 

 直截的すぎたその感想に物言いをつけようとして、やっぱりやめた。

 

 要は『自分もあんな感じの“受けの良い”子どもであったのなら』という、不意に垂れ込めた後悔と、ごく僅かな嫉妬、そして純粋な羨望とが入り混じって発露した、ネガティブともポジティブともつかぬ曖昧模糊とした心情に由来するものであるわけだし。

 仮にその事を赤裸々に伝えたとて、一輪も反応に困るだけだろう。

 

 虚しい自己開示をしたところで何も意味が無い。ここは一旦、整理も兼ねて話を戻すべきか。

 

「ともかく。言い訳にしか聞こえないかもだが、そもそもの話どうして俺が寅丸さんの事をその、無視、的な? よそよそしい態度でもって接しているのかと言うとだな?」

 

 そのきっかけがいつから始まったものなのかと問われたら、最初っからとしか答えようがない。

 逆に初手で“あのような思い違い”をしてさえいなければ、必然的に今この場で一輪から問い詰められる事もなかっただろう。

 

「簡単に言えば、寅丸さんの肩書きを事前に知らされていなかったからなんだよね。初対面のときに」

 

「……はい?」

 

「順を追って話すと、まず──

 

 

 

 

 

 

 

 

 寅丸さん──即ちここ命蓮寺の祀る御本尊そのものであり、また七福神のうちの一神であるとか昔の偉人やら武将やらがこぞって信仰していただとかで何かと有名な毘沙門天、その代理を務める者として正式に認定されているらしい“寅丸(とらまる) (しょう)”という少女。

 

 彼女と初めて知り合ったのは、一週間ほど前の事。

 

『あの〜聖さん? さっき部屋の隅でこんなのを見つけたので確認してもらってもいいですか? 見た感じかなり高価そうな物ですし、放っておくのはどうにも』

『えっちょっと! それ、私の……ぁ』

 

 そそっかしく、人見知りの傾向が強い。それがひと目見て抱いた彼女に対する第一印象だった。

 

 何処となく落ち着きのない振る舞い。伏し目がちで自信のなさそうな受け答え。

 初見でそれらを目の当たりにしては、そんなややマイナスめいた第一印象を受けてしまった事はもはや不可抗力であったと断言しても良いだろう。

 故に、寅丸星という人物に対して『内気で人見知りする性格かぁ、じゃあ普段よりも輪をかけて丁寧かつ親身な接し方を意識しないとなぁ』とそのときの俺が判断し、なるべくフランクな応対を心掛けるようにした事は当然の成り行きだった。

 つまりはこれもまた避けようのない事態、不可抗力であったと言える。

 

『わ、私は寅丸星です! よろしくお願いします!』

 

 更には、とっても元気で簡潔だった自己紹介。その中に彼女自身の肩書きや立場についての情報は“一切合切”含まれていなかった。

 だから、それまでに顔合わせしていた面々を踏まえ改めて命蓮寺という組織の事を頭の中で諸々整理した際に、すっかり思い違いをしてしまったのだ。

 虎柄の髪色が特徴的なこの女の子は、寺での立ち位置としては先に出会った山彦少女や鵺を自称する少女とさして変わらないものであって、少なくとも視界の端に控えている聖白蓮その人こそが、彼女達の中で最も高い位に就いている人物に違いないのだと。

 常識的に考えて、お寺という枠組みの中で『住職』という肩書き以上の役職を持つ者など存在するわけがないのだと。

 

 そう思って気楽に話していたのだが。ところがどっこい互いに自己紹介を終え、少しの間談笑する段になってから発覚する、驚愕の真実。

 

 毘沙門天(ビッグネーム)を耳にして、驚きを隠せない俺の反応に謙遜してだろうか。「いいえ、私はあくまでも代理に過ぎませんから…」と彼女は困ったように笑っていたが、しかし実際に人々や妖怪達から信仰されており、かつ偶然やこじつけの類いでなく本当に現世利益があるというのだから、それってもう代理がどうとか関係なくね? 由緒正しい神様と何も違いなくね? と個人的には思うのだ。

 つまり寅丸さんと初めて顔合わせしたそのときの状況は、言うなれば『教会の告解室に入ったら仕切りの向こうでキ◯ストがスタンバッてました』レベルの、超絶にぶっ飛んだお話であったわけだ。いやマジで奇怪極まってる。

 

 今にして振り返ると、寅丸さんの正体についてというか肩書きに関しては、洞察出来るヒントがまったくなかったわけでもなかった。

 宝塔と呼称されるらしいアイテムを指して自分のものであると主張した。たったそれだけでも『もしやかなり格の高い人物なのかも?』と推し量る事は十分に可能であった筈なのだ。

 

 あくまで一個人の経験を基にした拙い見解ではあるが、あれほどの超常的パワーを秘めたアイテムは、いくら世界広しといえども滅多にお目にかかれるものではない。

 高校時代、とある後輩との付き合いの中で入手していた複数のパワーストーン。それら全てを束ねてやっと互角かどうかといった具合のふんだんなエネルギーが、あれには宿っていた。

 それまでの、素人目にも明らかな逸品。しかしてその所有権は寺で一番偉い立場にある筈の住職にではなく、寅丸星にあるのだという。

 だから実を言えば、彼女に宝塔を手渡す際は『えっ本当に君の物なの?』と失礼ながら疑っていたりもしていたのだ。

 

 その疑いは、所謂“信仰される者”としての彼女の振る舞い方を知る今となっては、完全なる誤りであったと認めざるを得ない。

 認めざるを得ない、のだが。反面、やはり内心ではぼやかずにはいられない。

 初めて会った時の気弱そうな彼女と今の彼女。本当に同一人物なのかと疑っちゃう程度には、まるでキャラが違って見えるのよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは一体どういう事なのか。これ以上は口頭で説明するよりも直接見てもらった方が理解しやすかろうという配慮のもと、一輪・雲山ペアを伴って禅堂から別のところへと移動する。

 

 めざす場所は本堂、の手前の廊下。時間帯を考慮するに取り込み中である可能性が高いので、流石に内部にまで立ち入るつもりはなかった。

 入り口辺りに差し掛かったところで息を潜め、屋内の様子を窺うべくそこの襖を薄〜く開け、皆して身体を寄せ合いながらコソコソと覗き込む。そうすると、

 

……どうやら俺達が禅堂であれこれしているうちに、今日も今日とてぽつぽつと人里からの来客があったらしく。片目で覗く縦の一筋から、何名かの参拝者の後ろ姿が確認できた。

 そして、彼らの前には紫と金のグラデーションをふわりと揺らし、物腰柔らかに何事かを説く住職の姿がある。きっと得意の説法なり法話なりを語り聞かせているのであろう。

 語り方が巧みなのかそれとも余程その内容が有り難いものなのか、或いはその両方という線も十分に考えられる。相対する里人たちは随分と熱心に聞き入っている様子だった。

 

 ここ迄は、ここ数日ですっかり見慣れたいつも通りの光景。しかし問題は、聖さん達のいる場所から更なる奥へと視線を向かわせたところの──

 

 

 

 動かざる山の如く屹立する、“無”の表情をした少女のその威容。

 

 金と黒が入り混じったショートヘアに花っぽいデザインの施された髪飾り。赤を基調とした仕立ての良い衣装の上に虎柄の腰巻きを身に付けていて、物々しくも長柄の鉾を片手に携えている。

 もう一方の手には宝塔があって、そこから滾滾(こんこん)と湧き出る煌めきには、遠目にも確かな目視が叶うほどの神々しさが認められた。

 

 

 

 毘沙門天の名を掲げるに相応しい威厳溢れるその立ち姿に、知らず息を呑む。

 柔和な印象の聖さんとの対比もあってか。全てを威圧するかのような、何という重厚感。覗き見るこちらの身体が無意識に強張ってしまいそうだった。

 

 “御本尊様”と、里の人達は口々に寅丸さんの事を指してそう呼んでいるらしい。

 それを初めて知った時は『なんだかちょっと仰々しすぎる気が…』と違和感があったのだが。

 この光景を見れば、なるほどなぁと思う。確かに彼女は“御本尊様”だった。

 紛う事なき神様だった。畏れ敬うべき存在だった。

 

 ところで話は変わらないのだが。どうやら最近の命蓮寺には、そんな崇め奉るべき御本尊様に対して「寅丸さん」だの何だのとひどく馴れ馴れしい呼び方をする、信仰のしの字も無い輩の姿が度々目撃されているらしい。

 オイオイオイ、随分と無礼なヤツがいたものだ。一体どんな間抜けヅラ晒していやがるのか是非ともお目見えしたいもんだぜ。

 

 無いわ〜、マジ空気読めてないわ〜。

 

 だって、他の参拝者全員が“御本尊様”と恭しく言うなか、一人だけ“寅丸さん”つってんだよ?

 寅丸さん『あれ? この人だけなんかおかしいな』って言葉にはしないけど薄々思ってるよ確実に。

 絶対に周囲から浮きまくってるじゃん。絶対に悪目立ちしちゃってるじゃん。絶対に変なモノを見る目が突き刺さってくる訳じゃん。絶対に嫌なんだが?

 

──あぁチクショウ、なんてやらかしだ。

 

 何で初めましての時だけあんなラフな格好だったんだ、何であの時だけ引っ込み思案風な雰囲気を醸し出していたんだ。

 

 あんまり偉そうに見えない装い & 極度に緊張しているようだからと気を遣ったつもり のダブルコンボで、ともすれば自分なんかが及びもつかない上位存在を相手にタメ口を叩いていたかもと思うと、末恐ろしい。

 

 な〜にが『フランクな応対を心掛ける(キリッ)』だよ、自らが信仰する(という事になっている)神様仏様に対してそんな舐めたスタンスでかかる人間なんて、普通どう考えても居るわけねーのになぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もちろん寅丸さんの肩書きを事前に把握していたのなら、こんな事にはならなかったと思う。下手に気安くしようとはせず、信心深い感じの畏まった態度を取れた筈なんだよ……」

 

 拾った宝塔を手渡す際は片膝を床につけてただろうし、呼び方ももう少し(へりくだ)ったものに出来ただろう。

 

 とはいえ今更しれっと“御本尊様”呼びに切り替えるのも難しい。それをやって本人からもし『どうして急に呼び方変えたんですか?』とでも万が一訊かれようものなら、果たしてどんな顔をして先の内容を説明すれば良いのやら皆目見当も……

 

「あれ、一輪? 聞いてる?」

 

 何故、俺は体験入信初日から寅丸さんの事を避け続けているのか。その理由を長々と述べてきた訳であるが、思えば少し前から一輪からの反応がない。

 どうしたんだろと怪訝に思い、本堂の最奥へと向けていた視線を真下に向けてみる。

 

 案の定、しゃがみ込んだ彼女の紺色のフードとそこから飛び出す空の髪色ぐらいしか視界情報として頭に入ってこない訳なのだが。

 その代わりに声は聞こえてくる。この上なく呆れ果てたような調子のものが。

 

「……つまりは何? あんたが星の事をずっと避け続けていたのは、“御本尊様”っていう肩書きに畏縮してたからってことなの? それが理由?」

 

「あー、そ、そうだね。要約すると大体そんな感じ? 何というか、思ってた以上に相手が目上の人すぎてビビり散らかしちゃってね……」

 

「……ちょっと引くわー。理由がというよりも、その物の捉え方自体があまりにも仕様もなさすぎて……」

 

「いやしょうもなさすぎって、お前な……」

 

 散々な言われようだった。だがその点について本音を言えば、自分でも強く不甲斐なさを感じていたところなので、全く否定できない。むしろ一緒に同意できちゃうまであった。

 

「……でもそうね、さっきの言葉の裏を返せば。毘沙門天の代理を務めているって事実を知るまでは、仲良くしようとはしていたのね」

 

「うん? ああ、まぁね。体感何十秒もしないくらいの短い間だけだったけどな」

 

「他のみんなとの関係は良好。いつの間にかあのぬえとも上手い事やってるみたいだし、となると単純にきっかけの有無が問題なのかしら? 例えばちょっとした後押しがあったとして……」

 

「え、急に何の……あっなるほど独り言ね? てっきり俺は会話してるつもりで……そ、そっか、 おっけーぃ……」

 

 何やらぶつぶつ言いながら物思いに耽り出していた一輪。

 変わらずこちらに視線を寄越さぬままなので、いつ始まったのか全然気付かなかった。

 普通に返事しちゃっててだいぶ恥ずかしい。

 

……まあ、とりあえず寅丸さんに関する一輪からの質問には回答し終えたので、一旦この場から離れたいところだった。このまま本堂の出入り口付近に居ては、通行の妨げになるだろうし。

 

 しかし深く考え込んでいる最中の彼女はテコでも動かなさそうだ。

 

 

 

 さてどうしたものかなと思考を巡らそうとしたその途端、一輪は勢いよく顔を上げる。

 間近に目に映ったその表情が、やたら生き生きとしているように見受けられるのは気のせいか。

 

「藤宮さんって確か()()に来てまだ日が浅いって話だったと思うんだけど、そろそろ一人でも里まで買い出しに行けるようになってたりするのかしら?」

 

「? おう行けるぞ、何度かムラサにパシられたお陰もあってな。つってもまだ品揃えの良い店を何軒か把握できたかなって程度なんだが……」

 

「ふんふん、迷子にならないだけでも十分よ。安心したわ、付き添いとして私が同行してあげなくても問題無さそうで」

 

 急激すぎる話題転換に戸惑いつつ彼女の言葉を素直に拾っていくと、ふと気付くものがある。

 

「……つまり午後からの買い出しは俺一人で行ってこいって? 一輪はサボりか」

 

「なによ人聞きの悪い……でも言われてみると確かに、結果的にはそうなっちゃうわね? 私自身は行かない事になるわけだし。ともあれ、どのみちあんたは時間通り表門に集合なんだけどね?」

 

 こちらのチクリとした言葉を割とあっさり肯定した眼下の少女は、続けて何やらおかしな事を付け加えるようにして言ってくる。

 あまりの不可解さに、クエスチョンマークが頭の中で瞬く間に増殖していった。

 

 他に聖さんからその“修行”を任された者がいるわけでもなし、この子は一体何を言っているんだろう?

 

「待て待て、そっちは買い出しには行かないんだろ? それでどうやって『集合』しろと……一人じゃどうあがいても不可能なやつだよそれは」

 

 いやもしかして、自分の代わりに雲山を寄越してやろうとかそういった段取りにするつもりだったり?

 

 言い終わりにそんな考えに辿り着き、自然と顔は真上を向く。そのままモクモクと浮遊する彫り深い雲を眺めていると、どうやらその様子から一輪は俺が何を考えているのかおおかた察したようで。

 

「ちなみに勘違いしてそうだから言っておくけど、私が代わりを頼む相手は雲山ではないからね」

 

「そうなのか? じゃあ教えて欲しいんだけど、俺が待ち合わせる相手は誰に「別に誰でもいいでしょ、行けば判るわよ」……お、おう。そりゃそうだが」

 

 だったら今伝えてくれても全然いい筈では……?

 

 やや食い気味な返しに戸惑っていると、「じゃあそういう事でよろしくね」と短く告げ、一輪は共に覗き込んでいた襖から身体を離す。その際に、

 

──ほんとしゃんとしなさいよ? これでも藤宮さんには結構期待してるんだから。

 

 自分の耳元で、そんな囁きが聞こえてきた。そしてこちらの返事を待つ事なく少女は足早に立ち去っていく。少し遅れて雲山も追従して行ってしまった。

 

……期待? 一輪が俺に? 何について?

 

 不意に襲ってきた耳のこそばゆさに気を取られていた所為もあって、その場に一人残された俺は彼女達を呼び止める事が出来なかった。

 先の言葉の真意を聞きたかったところなのだが、どうやら機を逸したようだ。仕方ない。

 

 兎も角今は気を取り直して、この後の買い出しに向けていろいろと準備を整えないと──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表門にて少々の待ちぼうけをしていると足音が聞こえてきて、その方向に目をやって、愕然とした。

 

──いやぁ一輪、マジか? さっきまでの会話を一緒にやってて何でそんな無茶振りを……鬼かな?

 

 引き攣ってしまいそうになる表情筋に、しかし何とか頑張って喝を入れる。要は俺が勝手に勘違いして勝手に気後れしている、たったそれだけの話なのだ。

 “彼女”には、何の過失も存在しない。

 誤解の誘因となった初対面時に見せていたおどおどとした様子も、きっと見間違いか何かだったんだろう。

 

 その証拠に、こちらへと歩み寄ってくるその鷹揚な所作や荘厳な装いには、随分と“御本尊様”らしさが溢れている。

 今からちょっと近場で買い物するだけの筈なのにそんな格好をしているという事は、やはりあれこそが“彼女”のデフォルト状態。気弱そうな印象を受けたあの時の事は、最早存在しなかったものとして扱った方が良いのかもしれない。

 

 

「遅れました。長らくお待たせさせてしまったようで申し訳ありません、身支度に少々手間取りまして」

 

 

 “彼女”──寅丸星は凛と澄んだ表情でこちらに謝意を示してくる。が、とんでもない。

 恐らくは一輪の急な思い付きなのであろうそれに、きちんと対応してくれている。その事実を思うだけで逆にこっちが申し訳無くなるくらいだった。

 

「いやいや自分も丁度準備し終えたばかりで全然待ってないです……それより、いいんですか? 買い出しって正直雑用みたいなもので、わざわざ御本尊様自らが出向く程の重大な用事って訳でもないような」

 

「そのような事はありませんよ? 受け売りですが、『身の回りの事をするのも大切な修行の一つ』とも言いますし。それに──」

 

 そこで一旦言葉を区切り、彼女は俺を真っ直ぐに見つめる。

 

「実のところ初めてお会いしたその時から、貴方とは一度十分な時間を取ってお話してみたいと思っておりまして。それ以降何度かお声がけさせていただいたのですが、どうにも毎度折悪く……」

 

 なかなかお忙しくしていらっしゃったようですね? と、ふふふと微笑みながら言われ。

 俺の視線はつつつと寅丸さんから逸れていく。

 

 皮肉? 俺は今、皮肉を言われているのか…? それとも何の含みも無い事実に対して、過剰に反応しちゃってるだけ?

 分からない、寅丸さんの性格がさっぱり分からない。これが聖さんや響子ちゃんであれば後者、ぬえであれば前者と確信が持てるのだが……

 

 これは、眼前の彼女を避けて生活し続けてきたその代償か。しかしそう捉えると不平不満の一つも言えやしない。詰まるところ、単なる自業自得に過ぎないのだから。

 

「で、では行きましょうか、寅丸さん」

 

「はぁ〜、やっと、やっとお話ができる……ええ、よろしくお願いしますね。藤宮さん」

 

 まさかの待ち合わせ相手にずっと怯んでいても仕方がない。ひとまずは、己が身に課された“修行”達成を第一に考えて行動するべきだろう。

 その他諸々の心配事に関しては……まあ追々、追々ね……うん。あれ、ついこの前もこんな感じで問題を先送りにしていたような…? 気の所為かな…?

 

 そんな事をつらつらと考えている俺と、何やら疲労感を滲ませながらも満足げに頷いている寅丸さん。ふたり並んで、人間の里目指して歩を進めていく。

 






 中途半端感あるかもしれませんが、ここらで一旦ひと区切り 次回『妖怪寺体験入信日記その陸』、どうか首を長くしてお待ちいただけますと幸いです
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