疾きこと風の如く   作:白華虚

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いつも通りのスローペースです。トーナメントまではもう少し時間をいただきます。
それでも構わない方はこれからもよろしくお願いします。


第四十二話 重なる記憶

 騎馬戦終了後に重度の低体温症で倒れてしまった轟。実弥が咄嗟の判断で無数の指示を飛ばしたことにより、彼の命は無事に保護された。

 彼の父親であるエンデヴァーが、プレゼントマイクのアナウンスで招集されてから1分も経たないうちに必死の形相で駆けつけてきたのは言うまでもないし、彼は自分のことであるかのように必死になって轟の介抱に付き合ってくれた。

 存外親バカなのか。そして、息子の為にそこまで必死になれるのか、と意外に思った実弥であった。

 

 そして、今……実弥は体育祭の会場内に設けられた簡易型の保健室の中にいる。視線の先にはベッドですやすやと眠る轟の姿。実弥も人のことは言えないのだが、年齢にそぐわず幼なげな寝顔だと思う。

 更にそこには父親であるエンデヴァー。加えて、轟の目が覚めてから騎馬戦の最中に色々と煽ったことを謝ろうと決めていた取蔭と、自分も焚き付けてしまったからと罪悪感を抱えて保健室に同行した緑谷、純粋に轟を心配して同行したエリの姿もあった。

 

「……エンデヴァーの息子が雄英に入学してるって噂になってはいたけど、轟のことだったんだね」

 

「うん……」

 

「知ってた?」

 

「いや……知らなかった……。轟君、普段から1人でいて話したこともなかったから……」

 

「あー……一匹狼的な感じかぁ……」

 

 現在、保健室の中は無言の空間だ。気まずさを紛らわす為か、迷惑にならない程度の小声で話を交わす取蔭と緑谷。

 リカバリーガールが体温計を用いて今の轟の体温を測っている最中でもあり、その結果を待っているというのもあるとは思うが、隣に並んで彼の眠るベッドの前に立つ実弥とエンデヴァーは一言も会話を交わそうとしない。

 

 また、他のクラスメイトに比べて実弥と関わる機会の多い緑谷からすれば、気のせいかもしれないと思うほどに微かではあるが、実弥から怒気が発せられているような気がしていた。

 取蔭とエリも、保健室に向かう道中の実弥の眉間にずっと皺が寄っていたのを目撃している。

 

(……不死川君とエンデヴァーの間に何かあった……のかな?)

 

 何か2人の間にただならぬ因縁があるのではないかと思わざるを得ない。実弥の機嫌が悪そうなのは明らかで、触らぬ神に祟りなしということで余計なことをしないようにと気まずさを抱えながらもこの場にいるというのが正直なところ。

 

 待ち続けること数秒、ピピピッと無機質な機械音が部屋に鳴り響く。体温計が轟の体温を測り終えた合図だ。

 体温計を回収し、彼の首筋に手を当てて脈を測っているリカバリーガールの回答を待つ。

 

「……36.9℃。脈も安定してるさね。体温も平熱に戻ったようだし、じきに目を覚ますだろうさ」

 

 彼女の回答を聞き、実弥、緑谷、取蔭、エリの4人は同時にホッとしたように肩の力を抜いた。

 

「不死川、あんたが咄嗟に動いてくれたおかげだよ。ありがとうね」

 

 穏やかな笑みで礼を言われるも、会釈をしながら実弥は畏れ多いといった様子で返す。

 

「いえ、こういう応急処置に関する知識はまだまだ甘いので、轟が回復して安心してます。もっと早く対処が出来たのなら、それが最適だとは思いますが……」

 

「今の時点であそこまでやれたら十分さね。早めに止めていれば、轟が意識を失わずに済んだというのも事実ではある。けれども、あんた無しじゃ最悪の事態にもなり得たからね。胸を張りんさい」

 

「……ありがとうございます」

 

 そんな彼を見たリカバリーガールの言葉に激しく同意と言わんばかりに緑谷と取蔭は実弥の後ろで何度も頷いていた。

 

「……不死川君」

 

 ここでエンデヴァーが初めて口を開いた。声をかけられて体ごと振り向く実弥。轟々と燃える炎の髭を携えた表情一つ揺るがぬ厳格な視線が実弥を射抜く。

 その視線を受けながら、彼は思った。

 

(……やっぱ似てんなァ)

 

 親子である為、当然と言えば当然かもしれないが単なる見た目ではない。実弥が似ていると思ったのは、エンデヴァーが向けてくる自分のことを見ているようで別のところを……遥か遠くを見て、憎んでいる目つきだ。

 

(轟のあの目つきは父親譲りか)

 

 実弥がそんな確信を抱いていることはつゆ知らず、エンデヴァーは深々と頭を下げた。

 

「君のおかげで我が息子、焦凍は一命を取り留めた。……すまない、迷惑をかけたな」

 

「……お気になさらず。友人として当然のことをしただけです」

 

 No.2のヒーローが学生に頭を下げている。目の前で起きていることがとても現実だとは思えず、緑谷と取蔭は唖然とした。

 親として、我が子の命の恩人とも言える相手に感謝するのは当然と言えば当然なのだが、何せ相手は学生でエンデヴァー自身はプロヒーロー。プロヒーローが学生に頭を下げるという構図が単純に信じられなかったのだ。

 自分の頬をつねれば、ちゃんと痛みがある。目の前の光景は現実なんだなと再確認してから、取蔭は恐る恐る尋ねた。

 

「え、えっと……お知り合いなんです?不死川と……」

 

「ああ、詳しい事情は話せんが色々とあってな。1年ほど前から彼のことは知っている」

 

 厳格な表情を崩さない様子でいながらも、自分の質問にあっさりと答えてくれたエンデヴァーの姿に取蔭は思わずホッとした。

 というのも、一見しても元から威圧感を放っている佇まいな上に外見から言及しても近寄りがたいという評価をされているのが彼だ。その上、ファンやメディアにも媚びない姿勢は世間にも有名で、話しかけること一つ行うにしても緊張してしまう彼女は間違っていないだろう。

 

 因みに、実弥は雄英の入試を受けることが決まったのを機にヴィジランテとしての活動をきっぱりと辞めているのだが、その時に日本をさすらう中で割り出した犯罪の傾向や分析をまとめたレポートを塚内に共有し、更にそれがトップのプロヒーロー達の元に配布されている。

 その配布の際は、実弥も塚内に同行してプロヒーローと顔合わせをし、彼から直接自分の分まで犯罪を抑え込むよう協力を要請した。それが彼とエンデヴァーが顔見知りである理由。

 また、その際に実弥がヴィジランテとして活動していたことを含めて彼の身の上は全て共有された為、このことはその場に同行していた者達の間の機密事項として扱われている。「詳しい事情は話せない」のはそういう訳だ。

 

 詳しい事情を話せないからこそ、2人の間にそれなりな関わりがあるのは予想出来る。出久の場合は、実弥が雄英の上級生とも付き合いがあるのを知っている。

 

 「不死川って何者なんだろ?」と改めて思った取蔭と、「もしかしたら、エンデヴァーと関わりがあるのも不死川君の過去に関わってくるのかな……?」と思った緑谷であった。

 

「……っ、焦凍!目が覚めたのか!」

 

 ふと、エンデヴァーの歓喜と安堵の混じり合ったような声が聞こえた。声のした方を見ると、轟が瞼を開けてゆっくりと体を起こしていた。

 まだ本調子でないのは当たり前だが……その表情はとても不機嫌そうだった。それこそ、目を覚まして早々に嫌いな相手の顔を最初に見てしまったかのように。

 目を覚ました彼を見たエンデヴァーは、ホッとしたような表情から一転、厳格な表情へと早変わり。

 

「……焦凍。不死川君という格上がいることは分かりきっていたはずだ。何故、左を使わない?彼はまだしも、左を併用していれば他を圧倒することなら出来たはずだ。お前は頑なに己の我儘を貫こうとした結果、醜態ばかり晒している。……今の自分が如何に無様な姿を晒しているか、分かっているのか!?」

 

 直後、轟のことを強く責め立てるように声を荒げた。元から威圧感を放つような見た目であるせいか、更に凄まじい迫力がある。鋭い眼光を放つ瞳で、そっぽを向いている轟を睨みつけている。

 そんなエンデヴァーの様子にリカバリーガールはやれやれと言わんばかりにため息を()き、エリはビクッとして肩を跳ねさせた。緑谷と取蔭も何となく嫌な予感がして一瞬だけ顔を見合わせて、頷き合う。

 

「俺は、お前の為を思って――」

 

 エンデヴァーが強く拳を握り、握った拳を震わせながら言葉を続けようとしたその時――轟が毛布を握りしめながら、憎しみを(たぎ)らせた双眸で彼を睨みつけた。

 轟の目つきを見た途端に、緑谷は両手でエリの目元を、取蔭は両手を分離させてエリの耳元を覆った。胸の内の嫌な予感が一気に強まった2人が起こした咄嗟の行動だった。

 

「……俺のことを自分の野望を叶える為の道具だとしか思っていないくせに、一丁前に説教した上に心配か。どの(ツラ)下げてここに来やがった、クソ親父……!」

 

 一言一句に底知れぬ恨みが込められているのが分かる。あれが父親に投げかけるべき言葉だとはとても思えず、緑谷と取蔭は絶句した。

 憎しみを向けられたエンデヴァー自身も思わず硬直する。

 

「何度言われても俺の気持ちは変わらねえよ。今後も左を使う気は一切ねえ」

 

「その子供じみた反抗をやめなかった結果が障害物競走と騎馬戦での無様な成績だろう」

 

「……『反抗するな』だのなんだの、てめえはそれしか言えねえのか……!」

 

「分かっているのか!兄さん達とは違う!お前は俺の――」

 

 膨れ上がる憎しみと一方的な期待。その両方が爆発しかけている。

 エンデヴァーが親として、それ以前に人としてあり得ない発言をしかけるものの、そこから先の言葉は紡がれなかった。

 

「――そこまでにしとけェ」

 

 声に怒気を滲ませた実弥が2人の口喧嘩に割り込んだからだ。こめかみや首筋に青筋を浮かべた彼の姿は沸点に到達する直前の修羅のよう。

 轟が怯んだのは勿論、数々の死線を掻い潜ってきたエンデヴァーですらも、予想外の方向から向けられる怒りに怯んだ。喉元まで出かけていた言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 

「……失礼、つい言葉が汚くなりました。エンデヴァーさん、叱りたければ2人きりの時にしてください。親子喧嘩を目の前で見せられる方の身にもなっていただきたい。……この場にはエリもいるんですから」

 

 耐えきれなかった自分を叱りつけるようにため息混じりに怒りを収める実弥。先程まで自分に怒りを向けられていたのは気のせいかと思うほどの変わりようにエンデヴァーは戸惑いを見せるも、緑谷に目元を、取蔭に耳元を覆われているエリをチラッと見た後で感情を鎮めた。

 

「…………そう、だな。……君達も嫌なものを見せてしまったな。すまなかった」

 

「……い、いえ……」

 

「……え、えっと……色々と、大変なんですね……。あはは……」

 

 頭を下げたエンデヴァーに謝罪されるも、何やらとてつもない闇の一端を見せられた気がしてならない緑谷は一言絞り出すのが精一杯で、取蔭もエンデヴァーと轟から目を逸らしながら乾いた笑みを浮かべるので精一杯だった。

 

「……こういうのは理屈でどうこう出来る問題じゃねェからな。親から一方的に色々押し付けられて(つれ)ェだろうが、轟も一旦頭冷やせ。……な?」

 

「…………(わり)ィ……」

 

 肩に手を置きながら諌められた轟は、拗ねた子供のように俯きながら呟く。

 保健室内の雰囲気はあまりにも気まずく、澱んでいる。エリもこの場にいる以上、長居はしない方がいい。

 

「……轟、立てるかァ?」

 

「……ああ」

 

 そう判断した実弥は、轟を連れてここを後にすることを選んだ。1人で立ち上がるも、未だ若干フラついている彼に肩を貸してやる。

 

「……それでは、リカバリーガール。俺達は行きます」

 

 実弥が退室の意を伝えると、リカバリーガールは頷きながら答えた。

 

「分かったよ。……轟。あんた、不死川がいなかったら死んでてもおかしくはなかったからね。口で言って簡単に解決出来ることじゃないかもしれないが、無茶をせずに済むように今後のことをしっかり考えな」

 

 彼女に改めて自分がいつ命を落としてもおかしくなかった状況だったと伝えられた上で、今の自分のやり方を見直すようにやんわりと勧められると、轟は明らかに耳が痛いといった風な顔をしていた。

 

「…………分かりました。お世話になりました、リカバリーガール」

 

 お辞儀をする轟の横顔を(うかが)う。彼は密かに悔しそうに歯を食いしばっていた。

 彼を哀れむような視線を向けつつ、肩を貸しながらゆっくりと歩く実弥。すれ違いざまに、彼から「……行こうぜ」と声をかけられると、今まで呆然としていた緑谷と取蔭もハッとしながら会釈をし、周りを見回して疑問符を浮かべているエリを連れて、一足先に保健室を後にした実弥と轟を追っていく。

 流石のエンデヴァーも、保健室を出ていく轟を呼び止めることはしなかった。

 

 そして、気まずい空気が流れる保健室にはエンデヴァーとリカバリーガールの2人が残る。

 最初に言葉を発したのはリカバリーガールだった。

 

「……あの子はただならぬ憎しみを抱えていた。あのくらいの年の子が抱えるべき感情じゃないよ。……エンデヴァー。あんた……あの子に何をしたんだい?」

 

 問い詰めるように鋭い視線を向けられる。そんな視線を受けてもなお、エンデヴァーは何も答えない。

 

「……俺もここで失礼する。息子が迷惑をかけたな」

 

 それだけを言い残し、逃げるように立ち去っていった。

 

「……ヒーローってのは、どうしてこうも手のかかる子が多いんだか……」

 

 その背中を見送りながら、リカバリーガールは再びため息を()くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 保健室を後にしてもなお、4人の間には気まずい空気が流れていた。耳元を覆われて何も聞こえないかつ目元も覆われて何も見えない状況だったエリは、先程まで何が起きていたのかを把握していない為、心配そうに彼らの顔色を(うかが)っている。

 

 1番最初に話を切り出したのは実弥だった。

 

「……見ていて分かっただろうが、俺もエンデヴァーさんに思うところがあるのは轟と同じでなァ。(わり)ィ、耐えきれなかった」

 

 そんなことを呟きながら、元同僚の顔を思い浮かべる。……蟲柱の胡蝶しのぶ。運命に変化が生じていたら、前世の実弥の義理の妹になってもおかしくなかった女性。

 

 感情の制御が出来ないのは未熟者。そう言っていたのは彼女だったか。

 

(俺もまだまだ未熟だな。今じゃテメェの気持ちがよく分かるぜ、冨岡)

 

 彼女の持論からすれば、今の自分は未熟者だろう。思わず自嘲するように笑みを浮かべていた。

 

「……いや、止めて正解だったと思う……」

 

「うん、エリちゃんの前であんなの見せられないでしょ……。トラウマになるよ、アレ……」

 

 自嘲するように笑った彼をすかさず緑谷と取蔭がフォローする。

 かくいう彼らもショックが抜けきれていない様子だった。それもそのはず。彼らは赤の他人ならまだしも、同級生の親子喧嘩……しかも、相当に闇が深いものを見せられたのだ。

 

 2人とも、これまで両親との仲は良好だ。――緑谷は幼い頃から父親が海外赴任している為、実際のところはよく分からないが、少なくとも母親との仲は良好である――

 先程まで見せられていたようなものとは無縁の生活を送ってきたはずだ。突然あんなものを目の前で見せられては、ショックを受けるのも仕方がなかった。

 彼らにフォローを入れられ、実弥はエリの為にも止めて正解だったはずだと思い直すことにした。

 

 実弥は、轟家が"個性"をきっかけにした問題を抱えているのを知っている。"個性"をきっかけに轟が苦しんでいることを知っている。

 そのことを思えば……確かに喧嘩を止めて正解だった。親子の喧嘩が繰り広げられているという事実だけでなく、境遇故にあの喧嘩を目撃してしまったら、エリの中のトラウマが再起するに違いない。

 

「……そういや、緑谷、取蔭。ありがとなァ。咄嗟にエリの目と耳、覆ってくれたろ?」

 

 思い出したように、実弥が2人の咄嗟の行動に礼を言いつつ微笑むと、彼らの顔も綻んだ。

 

「いいのいいの。子供の未来を守るのはヒーロー志望として当然でしょ!」

 

「うん。きっと、エリちゃんにとっては見てて辛いものになると思うから……」

 

 ふと見下ろすと、変わりなく会話を交わす実弥達を見て安心したように微笑むエリの姿が。

 咄嗟に行動を起こして良かった。心の底からそう思う2人。会話を交わしているうちに本当の目的を思い出し、緑谷が言った。

 

「……ごめん、轟君。君が無理に"個性"を使い続けた原因って、君を焚きつけるような真似をした僕にもあると思うんだ……」

 

 彼の発言をきっかけにして取蔭も自分の目的を思い出し、両手を合わせながら恐る恐る言う。

 

「……私も色々煽ってごめん……。あまり下手なこと言えないからアレだけど……大変なんだね、轟」

 

 彼らに謝罪されると、轟はしばし考え込んでからゆっくりと口を開いた。

 

「……気にすんな。取蔭の言ったように俺の視野が狭いのは事実だと思う。だから、格下だと侮ってた奴らに色々出し抜かれたんだ。それに、あのタイミングで緑谷が発破をかけてくれなかったら、俺は……恐らく、最終種目に駒を進めることさえ出来てねえ」

 

 彼は続ける。取蔭のおかげで気づけたこともあったし、緑谷のおかげで自分は最終種目に出られたようなものだと。

 

「――だから、ありがとな……」

 

「っ……」

 

「……轟君……」

 

 どこか哀愁の漂う顔つきで礼を言う彼を見ていると、胸が締め付けられるような感覚に陥り、2人は何も言えなくなった。

 再び流れる数秒の沈黙。その後で轟が真剣な面持ちで言った。

 

「……不死川、緑谷。お前らに話しておきたいことがある。時間取らせて(わり)ィが、俺と一緒に来てくれねえか……?」

 

「……わ、分かった」

 

「……いいぜェ。付き合ってやるよ」

 

 彼の発するただならぬ雰囲気に息を呑みつつ頷く緑谷と、今の自分には轟から直接話を聞く義務があるとして彼の頼みを快く承諾した実弥。

 取蔭は不死川が呼び出されるくらいだし相当大事な話なんだろうなと察し、3人から離れた。

 

「……それじゃあ。私は邪魔になりそうだから、お暇するね」

 

「おう。……エリのこと任せていいかァ?」

 

 実弥がそっとエリの頭に手を置きながら言うと、取蔭は嬉しそうに笑った。

 

「……いいよ、任せといて!なんか不死川にお詫びしなきゃなって思ってたからさ。このくらいならお安い御用!」

 

 競技中は轟に対して色々と嫌みのある煽りなどをしていた取蔭だが、彼女もまた根はいい少女なのである。

 彼女も物間の煽りによって実弥が激怒したシーンを目撃している為、彼女なりにクラスメイトの失態を恥ずかしく思い、罪悪感を感じていた。故に些細なことであろうと実弥の為に何かがしたいというのが彼女の気持ち。

 

 自分の頼みを快く受けてくれた取蔭を見て安心したように笑みを浮かべる。

 

「ありがとなァ。……って訳だ。兄ちゃんな、これから轟兄ちゃんと大事な話をしなきゃいけねェんだ。取蔭姉ちゃんと一緒に待っててくれ」

 

「うん、待ってるね」

 

 優しく頭を撫でながら言うと、エリも笑みを返しながら頷く。

 彼女の年齢に不相応な聞き分けの良さに助けられているのが事実ではあると同時に、実弥は少しだけ寂しさを覚えた。

 エリがたまには我儘を言えるような、遠慮せずに年相応の女の子らしく甘えられるような……そんな日が来ることを彼は心の底から願っている。

 

「よーし!それじゃあ、私と一緒にお兄ちゃんのこと待ってよっか。改めまして……私、取蔭切奈。よろしくね、エリちゃん!」

 

「よろしくお願いします、取蔭さん。私はエリ。不死川エリです」

 

「うん、よろしく!エリちゃんはいま何歳?」

 

「えっと……6歳です」

 

「6歳……!ちゃんと挨拶出来て偉いね!」

 

「えへへ……」

 

 6歳という幼さでありながらもきちんとした挨拶が出来るエリを褒めつつ、彼女の頭を撫でる取蔭。

 エリも嬉しそうにされるがままでいる様子。取蔭に対して心を許している証拠だ。この調子であれば何の問題も起きずに過ごせるだろう。

 

 再びホッとしたように実弥は温かい笑みを浮かべた。

 

「さてと。行こっか、エリちゃん」

 

「うん!」

 

「……あ、そうだ。不死川、最後に一個だけ」

 

 去り際、ふと取蔭が何かを思い出したように向き直った。直後、彼女は実弥に向けて深々と頭を下げる。

 

「不死川。物間がとんでもないことやらかしたみたいで……本当にごめん」

 

 彼女がとったのは、騎馬戦の時の物間がとった言動についての謝罪だった。

 実弥は彼女を見下ろし、黙したまま話を聞くことに徹している。

 

 取蔭は続けた。

 

「……アイツがさ。B組を目立たせたい、A組だけじゃなくてB組だってやれるんだぞって知らしめたいって純粋な気持ちを持ってるのは事実なんだ。ただ、心がアレなもんだから、気持ちだけが突っ走るあまりにやり方間違えやすいって話で……」

 

 彼女としても葛藤しているのかもしれない。クラスメイトとして物間を庇いたい気持ちがある上に、彼のしたことが人としてあり得ないことだと分かってもいる故に。

 今の彼女は悩みに悩みながら言葉を選んでいるという印象だった。

 

「……分かってほしいとは、とても言えない。多分、アイツがしたのは不死川の傷を抉るようなことだと思うし……。でも、あんなんでもヒーロー志望なのは確か。だからさ。これからのアイツをちゃんと見て、信じてやってほしいんだ……」

 

 恐る恐るではありつつも、意を決して訴えかけるように言う。

 彼女の瞳を数秒真っ直ぐ見つめ返した後、実弥は言った。

 

「その辺は、自分自身の目で見て決めるつもりだァ。今は頭も冷えてることだしなァ」

 

「……そっか。…………ありがとね」

 

「……おう」

 

 物間が実弥の触れてはいけない部分に無神経に触れてしまったのは間違いない。実弥からすれば、二度と関わりたくないと思うほどの相手になっているはず。

 取蔭とて馬鹿ではない。そのくらいのことは簡単に察せる。

 

 だからこそ、実弥が今後の物間にどう対応していくかを自分の目で見てから決めると機会を設けたことが、取蔭からすればありがたかった。

 例え、彼の言ったことが話を合わせてこの場を凌ぐ為の上っ面だけの言葉だったとしても。

 

 取蔭に連れられ、手を振りながらこの場を離れていくエリに、優しい笑みを浮かべながら手を振り返す実弥。

 

「……んじゃ、行くかァ」

 

「人気のないところに行こう。……ついてきてくれ」

 

「う、うん……」

 

 そして、エリと取蔭を見送った後で轟に連れられ、人気のない場所へと向かう眉間に皺を寄せる実弥と緊張した面持ちの緑谷であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟に連れられて辿り着いた場所は、会場に設けられた生徒用控え室にも繋がっている学校関係者専用の通路だった。

 

 ここであれば他人の立ち入りは許されない故に第三者に余計な話を聞かせる心配はないし、今は休憩の時間帯で生徒達も昼食をとる為にほとんどが会場から離れている。現段階だと、秘密の話をするには最適の場所かもしれない。

 

 緑谷と実弥を睨みつけるようにしてじっと見つめてくる轟。幼馴染や保健室で出会ったエンデヴァーとはまた違った冷たい威圧感を放つ彼を前にし、緑谷は額から冷や汗のようなものを流しながら密かに息を呑んだ。

 

「……んで、話ってのは何だァ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに敢えて気づいていないふりをしながら、実弥が尋ねる。

 彼の言葉をきっかけにして、轟はぽつりと口を開いた。

 

「……戦闘において左側を絶対に使わない……。俺はそう誓っていた」

 

 左側――即ち、炎熱。例え、使えば己が有利な状況に立てるとしても、逆に己がどれだけ不利な状況に追い込まれていたとしても使おうとしなかった力。

 騎馬戦の最中、謎の超加速で実弥のチームの元に接近した轟が鉢巻を取られかけた瞬間に左半身から炎を発したのを緑谷も目撃している。

 

 そこまで使用する素振りを見せなかった分、何か理由があるのではないかと彼も思ってはいたが……まさか、己に制限を課していたとは。

 半分だけの力であってもA組上位だと誰からも認識されるような実力を有している轟の凄まじさを、緑谷は改めて感じ取った。

 

「そのはずだったんだけどな。俺は気圧(けお)されて、無意識のうちに使わされた。直感的にやべえって思った」

 

 轟は語る。あの場で実弥の近くにいた者達の中で、自分だけが本能的な「ヤバさ」を感じ取ったのは自分だけだったと。戦闘訓練で直接対峙した自分だからこそ感じ取ったものだったのではないかと。

 

「……それだけじゃねえ」

 

 更に、彼は己の左手を見つめながら付け加えた。

 

「覚えてるよな、USJの時の謎の声。それを耳にしたオールマイトは本気で怒って、凄まじい威圧感を発していた。不死川、騎馬戦の時のお前から……それに近いもんを感じた」

 

 近くで巨悪のプレッシャーを、それに対するオールマイトの怒りを間近で体感した轟だけが感じ取れた、殺意と錯覚する程の実弥の威圧感。

 何となく彼の言いたいことが実弥には解った。

 

「……お前から見て、俺がオールマイトに近い位置にいると思うからこそ、似たようなもんを感じたんじゃないか。……そういうことかァ」

 

「ああ、そうだ」

 

 実弥の答えを肯定すると、轟の目線は緑谷へと向く。今まで、息を呑みながら沈黙を貫いて話を聞くことに徹底していた緑谷は、自分の肩に思わず力が入っていくのが分かった。

 話の脈絡からして、自分の"個性"の秘密がバレたのかもしれない。もしもそうだった場合、どんな答えを返そうかと必死に頭を回しつつ、不安と緊張で高鳴る鼓動。上手く返事が出来るように密かに深呼吸をした。

 そんな彼を見つめながら、轟は言う。

 

「……そして、緑谷。不死川ほどのもんじゃねえ、ほんの微かなやつだ。だが、『本気で獲りにいく』って宣言したお前からも、『諦めるな』って俺に発破をかけたお前からも……確かに似たようなもんを感じた」

 

 「そもそもの話、お前は"個性"もどこかオールマイトに似てるもんな」と付け加え、瞼を閉じて一呼吸分の間を置く。

 

 要するに、轟は緑谷と実弥の両方からオールマイトと同様、もしくは近い何かを感じ取ったと言いたいのだ。

 そこから導き出される結論は――。心の準備を整えながら、轟の答えを待つ。

 そして……瞼を開けると、彼は真剣そのものな面持ちで尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、お前ら……オールマイトの隠し子かなんかか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」「……へっ?」

 

 問いを聞き、同時に呆けた声を上げる2人。自分達の聞き間違いか……と言わんばかりに轟をじっと見つめるが、彼は一切表情を変えないし、自分の言ったことに対して違和感などを感じてもいない様子。

 完全に視覚外から打撃を叩き込まれたようで、世界が一時的に停止したかのような感覚に陥るが……。

 

「……ははっ、成る程なァ。そうきたかァ」

 

 予想外の答えに実弥が失笑したことで時が動き始めた。

 

「……俺、なんかおかしなこと言ったか?」

 

 そんな彼を前に、眉をひそめてムッとする轟。実弥は失笑してしまったことを謝罪しながら弁明する。

 

「悪かったなァ。てっきり、弟子なのかと聞かれるもんだと思っていたからよォ。隠し子だって判断されるとは思っていなかったもんだから、可笑しく思えてきちまってなァ」

 

 そこから、彼は自分とオールマイトの間には特に特別な繋がりはないことを説明した。

 

「――まあ、色々と世話になったことがあるのは事実だがなァ。単なる生徒と教師の関係性でしかねェさ」

 

 "ワン・フォー・オール"の秘密と彼の負った重傷についてを共有していることも、オールマイトが自分にヒーローへの道を示してくれた恩人の1人であることも事実ではあるが、それ以上の特別な関係性はない。

 

 それを説明した後、次はお前の番だと緑谷に目線を送る実弥。彼とアイコンタクトをとって頷き、緑谷も自分とオールマイトの関係性を説明し始める。

 

「え、えっと……流石に隠し子じゃないよ。"個性"が似てるのはごもっともだけど……。ほら、僕って少し前まで"個性"を使う度に大怪我してたでしょ?それを見兼ねたオールマイトが、"個性"を扱う感覚を教えてくれたんだ」

 

「……"個性"を扱う感覚を?」

 

「うん。僕の"個性"ってだいぶ特殊らしくて……」

 

 雄英に入学してから、わざわざ"個性"の扱い方を教えてもらったということに違和感を感じたのだろう。再び眉をひそめて尋ねてきた轟に、緑谷はかつて波動にした時と同じように「"個性"を扱うに相応しいレベルに体が成長するまで、脳が無意識に発現を止めていた」という秘密を守る為に作り上げた設定を話した。

 

「――それで、"個性"が発現したのが中学3年の時の4月くらい。轟君は"個性"を自分の手足みたいに自在に扱えるだろうけど、僕の場合は当然そうもいかなくてさ……」

 

 轟の"個性"を扱うレベルを今現在の高校生の彼自身だとすると、今の緑谷の方はようやく自分の意思で歩いたり走ったり出来るようになった幼児程度でしかない。

 

 ましてや、発現したばかりであれば、歩いたり立ったりすることもままならない赤子同然なのも当然のこと。右も左も分からない赤子同然の子供を何の援助も施すことなく命のやり取りが必要な現場に放り込むなど、人として出来る訳がない。

 

 そう考えると、似たような"個性"の持ち主であるオールマイトが緑谷を気にかけ、手助けをするのも納得がいった。

 

「……それで、今も色々見てもらってる訳か」

 

「うん……そんな感じ。オールマイトは平和の象徴として、色んな修羅場をくぐってきてる。ヒーローとして活躍することの厳しさっていうか、現実っていうか……そういうのも知ってるはずだから、心配してくれたんだと思う」

 

 自身とオールマイトの抱える秘密のことを上手く隠しつつ、作り話と事実を交えながら彼との関係を説明した緑谷。そのおかげで変に動揺を見せることなく話が出来た。

 

 "個性"の特殊性は作り話だが、オールマイトが"個性"を扱う感覚を教えてくれたのは事実――正確なことを言えば、その辺を明確に教えてくれたのは実弥に天喰と波動、殴り放題と言っても過言ではないサンドバッグ状態になって何度も殴りつけることで、体に具体的な出力を刻みつけてくれた通形。彼らなのだが――だし、中学生の時に出会って「夢を追うのもいいが現実も見なくては」と諭してくれたあの日に自分のことを思い遣り、心配してくれているというのも感じとっている。

 

 己を継ぐ者として緑谷を選んだ今でもなお、彼を心配し、気にかけてくれているのは変わらないはずだ。

 

「……分かった。取り敢えず、お前らとオールマイトとの関係については納得した」

 

 嘘も交えた話を特に違和感を抱くこともなく一旦は信じてもらえたようでホッとする緑谷。

 実弥もなるべく自然に話が出来た彼の成長っぷりを見て安心する。かつての彼ならば、ここで必要以上に動揺していたことだろう。

 だが、轟は眉間に微かな皺を寄せつつ、2人を睨みつけるようにして見つめてきた。

 

「俺のアテは外れたみてえだが……正直なところ、お前らがあの人とどんな繋がりがあるかはどうでもいい。お前らからオールマイトに近い何かを感じた……。俺がお前らに勝たなきゃならねえ理由はそれだけで十分だ」

 

 冷たい威圧感を発し、瞳に憎しみの炎を宿しながら轟は告げる。

 

「2人もさっき会ったから分かるだろ。エンデヴァー……万年No.2のヒーロー。奴が俺の親父だ」

 

 エンデヴァーのことを語り始める轟だが、彼と妙に目線が合わない。正面にいる自分達を見ているようで見ていない。

 

(……本当にお前の目線の先にいるのは、俺達なんかじゃねェ。いつでもエンデヴァーなんだな、轟)

 

 彼が見ているのは遥か先にいるエンデヴァーの背中なのだろうと、実弥は改めて察した。

 

 エンデヴァーは極めて強い上昇志向の持ち主。雄英を卒業した直後の時点でもトップヒーローに匹敵する実力を有しており、破竹の勢いで名を馳せた。

 だが、その強い上昇志向故に彼は自分の地位に決して満足はせず、当時既に絶対的な存在として君臨していたオールマイトを本気で超えようと背中を追い続けてきたという。

 そして、本気で超えようとするからこそ、オールマイトの実力を他の誰よりも肌で実感出来てしまった。背中を追い続ける中でエンデヴァーは彼と己の間にある覆しようもない差を見せつけられることになる。

 

 誰もがオールマイトを絶対視する中で彼を超えようとするエンデヴァー。その姿勢を世間から冷ややかに受け止められようとも、オールマイトとの差がいくら大きくなろうとも背中を追い続けた。

 追い続け、追い続け……。その末に精神を摩耗し、いつしか彼は悟ってしまった。

 

「――自分じゃオールマイトを超えられねえ、ってな。それを悟った親父は……次の策に出た」

 

「……次の、策……?」

 

 闇の深そうな親子喧嘩を目の前で見せられた時と同じような嫌な予感が緑谷の脳裏に走る。冷や汗を流しながら、彼が鸚鵡(おうむ)返しにして尋ねると……口を開いたのは実弥だった。

 

「……自分じゃ超えられねェから次の世代に託す。そういう魂胆だろォ。"個性"が蔓延(はびこ)る社会でそれを実現させたきゃ、策は一つ。……個性婚しかねェ」

 

「……そうだ。よりにもよって、胸糞(わり)ィ手段をあのクソ親父は選びやがったんだ……!」

 

 ――個性婚。"個性"が日常の中に溢れる中、第二から第三世代で問題になった倫理観の欠落した前時代的発想。

 自身の"個性"をより強化して、我が子に継がせる。それだけの為に配偶者を選び、結婚を強いるというもの。

 醜い欲望を抱えていたエンデヴァーではあったが、当時の時点でも実績と資金は十分にあった。彼はそれらで轟の母親の親族を丸め込み、彼女の氷に関する"個性"を手に入れたのだと轟は語った。

 

「俺はクソ親父の野望を叶える為につくられた道具って訳だ。だが、奴の望み通りに動く気はさらさらねえ」

 

 途方もない憎しみを感じる。息が詰まるようで、緑谷は何も言葉が出なかった。実弥も眉間に深い皺を刻み、床一点を見つめて何かを考え込んでいる様子。

 

「記憶の中の母はいつも泣いている……。『お前の左側が醜い』と母は俺に煮湯を浴びせた。……クソ親父の醜い野望は、母すらも狂わせたんだ」

 

 仮面を被せるようにして、左手で顔の左側にある火傷を覆う轟の瞳は虚げだ。

 誰もが"個性"の扱いに失敗して出来たものではないかと考えていたであろう彼の火傷は、母親によって負わされたものだった。

 更に、轟は己が幼い頃から虐待染みた訓練を強いられてきたこと、その矛先がそれを止めようと己を守ってくれた母にすらも向いたことを付け加えた。

 

「……ッ、そんな……」

 

 ゾッとした感覚が背筋を走り、身体の底が冷えていくような気がした。

 ヒーロー社会の闇。または、表面上の輝かしい活躍によって覆い隠された真実。ヒーローオタクの緑谷としてはショックが大きいだろう。消え入るように呟き、思わず地面に視線を落としていた。

 

「俺は……何としてもお前らを超える。左の個性(ちから)を使わず、右の個性(ちから)だけで。親父の個性(ちから)を使わずに1番になることで……奴を完全否定する」

 

 とても15歳のヒーローを志望している少年から聞かされるものだとは思えない宣言だった。轟焦凍は、個性社会の闇の一部を体現していると言っても過言ではない少年。

 こうも見ている世界が違うのか。緑谷はある種の恐怖さえ覚えた。自分は本当に表面的で狭い部分しか見ていなかったのだと痛感していた。

 

「……俺の方が一方的に因縁つけてつっかかってるからな。不死川と緑谷には知ってもらう必要があると思って話した。お前らがオールマイトの何であろうと、俺は右だけで上に行く。それだけ覚えておいてくれ」

 

 「時間取らせて悪かったな」と付け加え、自分の伝えたいことは伝え終えた様子で背中を向けて歩き去ろうとする轟。

 オールマイトに憧れ、彼のように笑って人を救ける最高のヒーローになりたい。あまりにも純粋で綺麗過ぎる理想。轟に比べれば、些細で軽過ぎる目標。

 そんな風に思えてしまった緑谷は、何を言うべきか答えが見つからない様子だった。

 

「……エンデヴァーさん、随分と心配していた様子だったぜェ。お前のことを」

 

 背中を向けた轟に先に声をかけたのは、実弥だった。騎馬戦終了後に駆けつけてきたエンデヴァーの様子を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「焦凍ォォォォォ!!!!!」

 

 彼は、天に轟く雷鳴のような声量で息子の名を叫びながら炎の噴射による高速移動で駆けつけてきた。

 普段メディアなどを通して見ている厳格な表情はなりをひそめ、息子が倒れたという事実に対しての動揺が露わになっていた。

 

「焦凍……!死ぬな、焦凍!お前まで死なせてなるものか……!お前には俺の望みを叶える責務がある……!お前が俺の希望なんだ……!」

 

 実弥の指示に従いながら、轟を"個性"の影響で常人よりも高い己の体温で温めていく際の言葉からも、心の底から彼を思い遣っているのが分かった。その気持ちに嘘はなかったように思う。

 死なせたくない。それだけは何がどうなろうと彼の本心であることに違いはないのだろう。

 

 低体温症を引き起こして体温を戻す場合、緩やかに温める必要がある。故にエンデヴァーの出番は比較的轟の体温が平熱に近い状態まで戻ってからだったのだが、そうでない時も彼が一番必死に轟を繋ぎ止めようと声をかけていた。

 

 少なくとも、あの時だけはまともな父親としての姿を見せていたように思えた。

 

 

 

 

 

 

「……そうか。自分の長年の野望を叶える為の道具を失いかけるような事態になったんだ。心配もするだろうさ。俺のことを道具としか見ていないくせして、父親(ヅラ)なんてふざけてるよな。……今更過ぎるって話だ」

 

 駆けつけてきたエンデヴァーの様子を思い出しながらした実弥の発言を受け、振り返りながら自嘲するような笑みを浮かべた轟はそう答えた。

 

「……そうかい。息子のお前が言うってんなら……そうなのかもなァ」

 

 悪い意味で自分の存在意義を理解してしまっている。息子である轟に確信を持たせた上でこう言わせるとは……。

 

(尚更、あんたを許す訳にはいかなくなったな……エンデヴァー)

 

 怒りと虚しさが実弥の胸中を埋め尽くす。哀愁の漂う轟の表情を見ながら、彼は眉間に深く皺を刻み込んだままで伏目になり、こめかみに青筋を浮かべて血が出てしまうのではないかと心配になる程に拳を握りしめた。

 

「……轟君」

 

 気持ちの整理を終えたのか、ここで緑谷も声を上げた。自分の掌を見つめ、拳を握りながら続ける。

 

「……僕は、誰かに救けられてここにいる。誰かの救けがなかったら、きっと雄英にすらいない。いつだって僕を見ている人達がいる。期待してくれている人達がいる。その人達に恩を返す為にも……改めて言わせてもらうよ、轟君」

 

――僕も君に勝つ!

 

 力強い瞳で轟を射抜きながら、緑谷もまた宣戦布告する。

 

「……ああ」

 

 彼を見つめ返し、轟はたった一言だけ静かにそう答えた。

 

 風が吹き、3人の頬を撫でる。それぞれの思いを胸にしまう中、彼は空を仰ぎながら独り言のように呟いた。

 

「……もし、俺が騎馬戦の時の無茶のせいで命を落としていたとしたら……クソ親父はどんな反応をしていたんだろうな」

 

「……!」

 

「と、轟君……」

 

 場の空気が一気に凍りつく。彼の問いに対する答えを知り得る者は誰もいない。自分なりの答えがあるとしても、答えられる訳がなかった。

 沈黙が流れる中、ハッとする轟。自分は何を言っているんだと言いたげな顔つき。きっと、無意識のうちに口走ってしまったのだろう。

 

「……!(わり)ィ、洒落にならねえ冗談だったな。……忘れてくれ」

 

 それだけを言い残し、ズボンのポケットに手を突っ込んだ彼は重い足取りで立ち去っていった。

 寂しげな背中を見送る中、緑谷が言った。

 

「……ヒーローって、いつだってカッコよくて、キラキラしてて、どんな困難を前にしても挫けなくて……。そんな眩しい存在だと思ってた。けど、本当は違った。……僕が今まで見ていたのは、ほんの一部の見えている部分だけだったんだ……」

 

「……」

 

 オールマイトの重傷や彼が笑う理由。そして、エンデヴァー及び轟家の抱える闇。No.1とNo.2の両方が決して表には出さない秘めた部分を知った彼だからこそ辿り着けた結論だろう。

 人間は誰しも、生きていれば複雑なものを抱え込む可能性がある。彼らとて自分達と同じく、ただの人間だ。

 

 彼らは、ヒーローであって英雄(ヒーロー)ではない。もっと分かりやすく言えば、ヒーローという肩書きの職業を生業にしている人間であって、神話や創作上における英雄(ヒーロー)と同じようにいついかなる時も超人的で完全無欠な存在という訳ではない。

 それを思えば、複雑な事情を抱えるのも当然の話だ。だが、人々はヒーローを持ち上げ続け、神格化して彼らの輝かしい部分だけしか見ようとしない。彼らを自分達と同じ人間だと思わない。人々が平和の象徴であるオールマイトをどう見ているかに関して言えば、特にその傾向が強い。

 

 緑谷もまた、その中の1人だった。事実、彼はオールマイトを神格化していると言っても過言ではないレベルで尊敬している。正直、彼の場合は"個性"すらも神格化していると言ってもいいのかもしれないが、それは一旦置いておこう。

 

 人々から見えないヒーローの現実。一度目撃してしまったからこそ、目を逸らして見ないふりをするようなことはしたくない。轟の事情は、決して忘れてはならない衝撃的な社会の真実だと思うからだ。

 

「……僕が轟君にしてあげられることは、言ってあげられることは……ないのかな……?」

 

 自分の両手の掌を見つめながら、緑谷は呟く。自分の手が届く範囲なら、やれるだけのことをやりたい。手を差し伸べたい。そう思っているかのように。

 

「……この手の問題は、他人の口出しや手出しで簡単に解決出来るもんじゃねェからなァ。すんなり答えを出せる問いじゃねェ」

 

「……そっ、か……」

 

 実弥の答えは当然のもの。ただ、簡単に納得は出来なかった。当然だと分かっていても、自分に出来ることの選択肢がない。それが緑谷には悔しかった。

 

「……轟は、必死に意地張ってエンデヴァーを否定しようとしていやがる。直面してる複雑な事情に対して意地を張るって行為が絡んでくるとな……人間ってのは、誰から何を言われようが自分の考えを曲げたくねェと思っちまう生き物だァ。……例え、他人の指摘が正論だったとしても、な」

 

 地面の一点を見つめながら、実弥はそう語った。複雑な事情を抱え、地雷を踏まれた側の人間である実弥だからこそ分かる。

 

 かつて、彼は意地になってでも炭治郎と禰豆子――竈門兄妹を否定していた。

 初めて彼らと邂逅した柱合会議の際。人を喰わず、守って共に戦う2人。初っ端から、実弥は彼らの存在を己の全てを賭けて否定した。鬼の醜さを証明しようとした。

 

「善良な鬼と悪い鬼の区別もつかないなら、柱なんてやめてしまえ!!!」

 

 炭治郎から糾弾されようとも実弥は己の意地を曲げなかった。何故なら、鬼に善も悪もないことを彼は知っているからだ。

 かつて、実弥は母親を鬼に変えられた。彼の母親――不死川志津は、優しく子供思いの女性で自分や年下の弟妹達を降り注ぐ虐待から守ってくれていた。そんな彼女ですらも、鬼に化した途端に弟妹達を全員喰い殺してしまった。

 鬼と化せば、身内だろうが問答無用に襲い得る。そんなものは常識だ。人間だった頃の志津は誰がどう見ても善良な人間だった。そんな彼女でさえも鬼になるや醜い欲望に呑まれ、炭治郎の言葉を引用すれば、悪い鬼にさせられた。故に……鬼に善悪の概念などない。実弥にとって、鬼は総じて悪だった。

 

 鬼であろうが人を守れる。その事実を否定しようと、実弥は己の血を利用した。彼の血は稀血の中の稀血。鬼にとって、稀血の人間は普通の血の人間を喰らうよりも遥かに効率よく強くなれる貴重なもので、どんな鬼であろうが喉から手が出るほど欲しいもの。

 実弥はその中でも特に貴重な極上の稀血の持ち主。これまでの経験上、彼を無視出来る鬼はいなかった。

 鬼に変えられた炭治郎の妹、禰豆子もその例外ではない……はずだったのだが、彼女は飢餓状態である上に実弥に傷つけられていたにも拘らず、彼に喰らいつくことも、彼を喰らおうとする素振りすらも見せなかった。

 

(……なんでこいつが、こいつらが……!)

 

 実弥の中に湧き上がってきた第一の感情はそれだった。

 竈門兄妹の在り方は、何かが違えば実弥にとってもあり得たかもしれない形。鬼に変えられた母と共に人を守る為に戦い、鬼と共に戦う鬼殺隊士の先駆者として竈門兄妹を導く未来もあったかもしれない。

 

 禰豆子も家族思いで善良な人物だったのだろう。考えなくても何となく分かる。鬼から人間に戻れた彼女を知っている今であれば尚更。

 だが、その部分に限れば実弥の母親……志津も同じはず。何が彼らと違ったのか。どうして彼らだけが他と違うのか。何故、自分達は彼らと同じ道を歩めなかったのか。

 いくつもの疑問が頭をぐるぐると回り、虚しさとやりどころのない怒りが胸を埋め尽くした。

 

 極上の稀血を持つ自分を前にしても捕食衝動に耐えた禰豆子を前に、その場では一旦引き下がった実弥ではあったが、心の奥底から竈門兄妹を認めることは決してなかった。

 ここで彼らを認めてしまえば、母親を殺してまで命懸けで玄弥を守り抜いた自身の行動の何もかもを否定してしまうことになる。自分の中の何かが壊れてしまう。そんな予感があったからだ。

 無限列車での戦い、遊郭での戦い、刀鍛冶の里での戦い……。これらを経て2人は実績を重ね、他の柱の面々にも認められ始めたが……実弥だけは鬼との決着がつき、禰豆子が人間に戻ってわだかまりが完全に解けたその日まで、ついぞ彼らを認めることはなかった。

 

 竈門兄妹の存在は実弥にとって地雷同然。隊士時代は話が別だが、戦いが終結した後と今に関しては彼らが嫌いな訳ではない。

 ただ、今もなお彼らが地雷である事実は変わりない。

 

 鬼となっても人を守る為に戦った禰豆子と、鬼に変えられて愛する子供達を殺してしまった志津。

 鬼となった妹を守り、共に戦う道を選んだ炭治郎と、玄弥を守る為に必死だったとは言え、鬼となった母親を殺してしまった実弥。

 決して互いの手を離さず、最後まで共にあり続けた竈門兄妹と、幸せになって欲しいが為に最愛の弟であった玄弥を突き放し続け、その上で守りきれなかった実弥。

 それに加え、実弥は今世でも弟妹達と育ての親を守りきれなかった。残るは血が繋がらずとも最愛の妹であるエリだけ。

 

 竈門兄妹の凡ゆる面と己に関する諸々を比べ、実弥は強い劣等感を感じている部分がある。当時は自覚していなかったが、今なら分かる。

 玄弥を突き放し続ける選択をした件についても、彼は意地を張り続けた。最愛であるが故に彼を愚図呼ばわりした上に弟じゃないと宣言して突き放し、目潰しによる再起不能までも狙った実弥は……そこでも炭治郎に糾弾された。

 

 貴方にそこまでする権利はない。兄貴じゃないと言うのなら玄弥の選択に口出しするな。どちらも正論だろう。それでも、実弥は譲らなかった。

 玄弥を半殺しにしてでも鬼殺隊を辞めさせ、彼に普通の暮らしを与える。彼の普通の暮らしを守る。その意地を貫き通す為に彼と大喧嘩を繰り広げ、そちらの考え方も曲げなかった。

 実弥は玄弥を失うことになってしまったが、彼の考えが間違っていたのかというと、決してそうではない。やり方は間違っているかもしれないが、最愛の家族を命を賭けて戦うような組織から突き放し、ごく普通の幸せな暮らしをしてほしいと願うのは当然のこと。それが人間として当然の感情であることも彼は分かっている。

 

 だから、玄弥の件についても意地を張り続けた。そう、彼もまた自身の抱えた複雑な事情を前にして意地を張り続けた男だった。

 

「……そういう奴らには、他人が何を言おうが響かねェ場合が大半だァ。そんな奴らを相手に頑なに突っかかって抱えてるもんをぶち壊そうとする奴もいるが……俺の経験上、大体拗れる」

 

 炭治郎と実弥がそうだった。実弥と玄弥の仲を取り持とうとした彼を前に、実弥は激昂。元々、鬼を連れていることもあって炭治郎を認めていなかったり、シンプルに反りが合わなかったりと色々あって仲が悪かったが、それを機に更に拗れた。

 荒療治が、かえって患者に苦痛を与えて症状を悪化させる可能性があるのと同じように、他人の干渉が本人の抱える問題を更に深刻化させる場合もある。

 

 どうして実弥がこんなことを緑谷に対して伝えるのかというと、何となく彼が炭治郎と同じようなタイプだと感じているからだ。

 

 恐らく彼は、目の前にいる人が困っているというのならば無遠慮に地雷を踏み抜き、抱えているものを叩き壊してでも救けようとする。その悪気なしで無遠慮に地雷を踏み抜いてしまう姿勢は炭治郎も同じだった。

 また、ナヨナヨしているように見えて、緑谷には結構頑固な一面もある。炭治郎も物理的な意味でもそうでない意味でも頭が固く、同じような一面を持つ少年。

 更に、炭治郎は鬼舞辻無惨の討伐、緑谷はオールマイトのような笑顔で困っている人々を救ける最高のヒーローと、身の丈に合わないと思われてもおかしくない大きな目標を掲げているという点でも。

 

 実際、実弥はここ最近の緑谷に炭治郎の面影を何となく重ねることがあった。

 

 現実的な考え方を前にして俯きつつある緑谷の頭にポンと優しく手を置きながら、彼は続ける。

 

「けどなァ、逆にそういうやり方が心を開くきっかけになる場合もある。……他人に気づかされる大事なことってのもあるもんだァ」

 

 意地を張って己の意志を貫き通すということは、それだけ己の意志に反するものを自分の内から排斥すること。他人の意志を頑なに介入させまいとするあまり、大事なことを見落としがちだ。

 そんな時に必要なのが第三者の介入。他の誰かの言葉や行動をきっかけにして、大事なことに気づけるかもしれない。

 些細なことをきっかけに再び花開く。記憶とはそういうもの。かつて、元霞柱の時透無一郎は炭治郎から言われた言葉をきっかけにして自身の忘れ去っていた記憶を紐解いていき、全て取り戻した。

 

 また、そういう強引なやり方は心を塞ぎ込んでしまった者に対して有効な場合もある。

 実際、両親から虐待を受け続けた過去故に感情を閉ざした、しのぶの継子であった栗花落カナヲと、最終選別で親友を失って塞ぎ込み、親友から言われた大事な言葉さえも忘れてしまった元水柱の冨岡義勇は、強引に話しかけてくる炭治郎に根負けした結果、彼の言葉と行動をきっかけにして心を開いた。

 

 自身のやり方を肯定もする言葉を受けて再び顔を上げた緑谷に、彼は微笑みかける。

 

「間違っているとも言えるし、正しいとも言える。お前がやろうとしてんのは、それくらい複雑なことだァ。一般論的に言えば、介入すべきじゃないってのが答えだろうなァ。そいつを頭に置いた上で、時間かけてゆっくり考えてみろォ」

 

 そこで一旦言葉を区切ると、彼のモサモサとした緑髪を荒っぽく撫でながら言った。

 

「……それでも救けてェ。そう思うんなら……お前の思う通りにやってみりゃ良い。間違った時はきっちり叱る人達がいる。学生のうちだけの特権だァ。勿論、余計に傷抉っちまったことを謝るのも必要なことだがなァ」

 

「……うん。言われてみてハッとした。確かに衝動的に動いていいような問題じゃないよね……。頭を冷やしてから、もう一回考えてみるよ」

 

 実弥の助言に頷く緑谷。また一歩先に進む様を見て、オールマイトが彼を後継者に選んだ理由を改めて実感する実弥だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、実弥は緑谷を一足先に戻らせて1人だけその場に残った。

 理由としては、頭を冷やしたかったからだ。轟自身の口から彼の過去と彼がどう思っていたのかを聞かされ、どうもエンデヴァーに対する怒りが収まらない。

 

「フゥゥゥッ……」

 

 ゆっくりと時間をかけて深呼吸をする。アンガーマネジメント。直訳して、「怒りの管理方法」。

 その方法の一つとして挙げられる6秒ルールに、気分をリセットする為の深呼吸を組み合わせた。

 だが、それはあくまで怒りを完全に鎮める訳ではなく、コントロールするだけ。元よりアンガーマネジメント自体が「怒らない」状態を目指さないものである為、当然と言えば当然なのだが。

 

「……クソッ、あのろくでなしの(ツラ)がチラつきやがる」

 

 壁に拳を叩きつけながら、実弥はボソッと呟くように吐き捨てた。――彼の中で記憶が重なる。

 ろくでなし。その正体は、前世の実弥の父親――不死川恭悟。子である実弥や玄弥を始めとする弟妹達、更には妻である志津にさえも虐待をしていた父親……否、人間の屑と言っても過言ではない男。

 

 実弥は、父親に虐待染みた訓練を強いられ、道具扱いされ続けている轟を、前世の己とこれ以上ないほどに重ねていた。

 

 どうしてもエンデヴァーに対する怒りが収まらないのは、彼があのろくでなしの父親と重なるからだ。自分のことであるかのように轟に寄り添おうとしているからだ。そして、幼い彼を守る為に訓練を止めようとした彼の母親と、物心つかないくらいに幼い自分を父の虐待から庇ってくれたかつての自分の母親をも。

 

 奇しくも、彼らは同じように母親を狂わされた。志津は何者か――恐らくは鬼舞辻無惨の手によって理性もない鬼に変貌させられ、轟の母親はエンデヴァーの野望や虐待を前にして精神が参り、心が壊れた。……寄り添わずにはいられなかった。

 

 だが、実弥が怒りを抱く理由はそれだけではなく、もう一つ……何よりも大きな理由があった。

 

("個性"で人生を狂わされたのは、エリも同じだったな……)

 

 そう。"個性"の影響で父親の野望を叶える為の道具扱いされて人生を狂わされた轟を、エリにも……今世の最愛の妹にも重ねているのだ。

 詳しいことは未だ不明であるも、世話役であった男の野望を叶える為の道具とされていたことだけは確実に分かっているエリ。

 そして、父親のオールマイトを超えるという野望を叶える為の道具として扱われている轟。

 

 どちらも実弥にとっては、自らの持つ力に翻弄されながら生きている、全てを賭してでも守るべき幼い子供だ。

 

 考えれば考えるほど、轟に寄り添うべき理由が見つかる。

 

「……何か、些細なきっかけでも与えてやれりゃあいいんだけどなァ……」

 

 空を見上げて呟きながら、自分が既に彼に対して手を差し伸べる前提でいることに気がつく。

 偉そうなことを言っておきながら、一番冷静じゃないのは自分なのかもしれないなと実弥は苦笑した。

 

「……」

 

 そして……通路の曲がり角で偶然その場に居合わせ、轟の過去から実弥と緑谷の話、実弥の独り言まで全てを密かに聞いていた爆豪は、終始無言のまま真剣な面持ちで静かにその場を立ち去るのであった。




実弥さんが竈門兄妹に対して抱える諸々に関しては、完全なる独自解釈です。
互いの解釈の押し付け合いは嫌なので、解釈違いで無理って方は素直に回れ右をお願いします。
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