曇り後晴れ。時々豪雨。(タキオン編開始)   作:にゃす

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 すいません、すいませんでしたぁぁぁぁぁ!


アグネスタキオン.1

 タキオンの屈腱炎が判明してから、一日が経過した。俺は学園にタキオンに起きた事の旨を伝え、昨日からずっとタキオンに付きっきりである。

 パイプ椅子に座りながらの睡眠は首に来たな…。

 

 肝心のタキオンは……ベッドの上でずっとぐったりだ。時折、患部の調子を確認するように左脚を揺らしたりしている。

 

 …屈腱炎は骨折のように、歩行困難になる程の重大な後遺症をもたらす訳ではない。だが、骨折のように療養すれば治ると言う訳でもない。

 

 ウマ娘にとってはまだ回復する見込みのある骨折の方がありがたいのかもしれないな。

 屈腱炎は…ゆっくりと、靭帯、筋、筋肉を蝕んで行くのだ。それは患部の発熱や痛みと言う形で現れる。…療養をすれば、その発熱や痛みは沈静化していくが、最悪な事にそれは高確率で再発する。

 完治したように見えても、再び走ればまた発熱し痛みが伴う。この治りの悪さが…ウマ娘の全盛期を奪い、ウマ娘のキャリアを殺す。

 脚部限定の癌のような物だ。気付いたら、もう手遅れだった。

 

 最もウマ娘を殺した病が、屈腱炎だろう。

 

 数日、長くて数週間すればタキオンは痛みを伴えど歩けるようにはなる。病院にいる時間はそう長くない。

 問題は治療期間。短くて数ヶ月。長くて数年は要するはずだ。

 

 まず確実に菊花賞は諦めなければならない。タキオンには悪いが。

 ……菊花賞以後は?

 どうなっているかはわからない。俺は屈腱炎から数ヶ月で復帰したというウマ娘の話を知らない。そして復帰後に、元の走りができる保証も無い。

 

 問題は山積みだな。あれを考えればそれ、それを考えればあれ。

 

 俺はタキオンのためにリンゴの皮をを剥きながら、果物ナイフを睨み付けて。

 

 その時、ふと。鏡のように光を反射する果物ナイフに、俺の顔が映った。

 

「………………」

 

 

 

 可愛気のねぇ奴。

 

 

 

 ナイフの俺……いや、お前か? ソレの目は何処か酷薄な印象を持たせる。

 お前は俺を責めているのか?

 

 

 

 ダービーの出走までに、止めるチャンスはあった。お前が止めていたら、お前が考えを貫き通していたら、今頃大事にはなっていなかった。

 

 

 

 タキオンを見殺しにしたのは俺だ。

 タキオンを見殺しにしたのはお前だ。

 

 ああ、そうとも言えるな。

 

 なら…俺はどうすれば良かったんだ? タキオンの夢ではなく、選手生命を優先すべきだったのか?

 

 俺は………。

 

「モルモット君」

 

 ________約数十時間振りの、タキオンの肉声に俺は現世へと意識を引き摺り出された。

 

 タキオンのいるベッドに目を向ければ、ノイズ掛かったテレビのような模様の浮かぶ、独特な模様を浮かばせる瞳が俺を出迎える。

 

 いつもより…そのノイズは激しく見えた。

 

「…調子、どうだ」

 

「悪いねぇ。言わなくてもわかるだろう?」

 

「…………」

 

「…よもや私とは、ね」

 

「…お前を出走させるべきじゃなかった。俺は…」

 

「誰のせいでも無いよ……モルモット君。あの時どうして止めてくれなかった、なんて事を言うつもりは無い。私はそれなりに利口だからね。君が何を考えているか位はわかる」

 

「……………」

 

「だが、強いて悪者を探すなら、屈腱炎と…この脚さ」

 

 タキオンは恨めしそうに左脚を睨みつけ、ボス、と殴り付けるように。毛布越しから左脚を叩いた。

 

「止めとけ…」

 

「…………」

 

 ギリリッ、と。タキオンの歯軋りが病室に響く。

 

「……果てを見ようとした私への罰かもねぇ、コレは。何処かの誰かは太陽を目指した罰として焼かれたらしいしねぇ?」

 

 患部辺りの毛布を、タキオンは力一杯に握り付ける。そのまま千切ってしまいそうだ。

 

 …やはり、タキオンもウマ娘か。普段からキャラではないと飄々と振る舞ってはいたが…悔しくて、死にそうなのだろう。

 

「……トレーナー君」

 

「?」

 

「菊花賞までに間に合うと思うかい」

 

 タキオンの首は…まるで振り子のように力無く動き、顔が俺に向けられた。

 

 …間に合うか、か。

 

 間に合わないだろうな。

 

「………タキオ」

 

「間に合わないだろうね」

 

「………」

 

 俺はタキオンを見ずに、頷いた。

 

「三冠。ウマ娘なら、誰もが一度は夢に見る。その三冠が…見える所にまで来ていたと言うに」

 

「二冠は達成できた」

 

「二冠か。確かに聞こえの良い肩書ではある。だがね、トレーナー君。二冠は三冠じゃないんだよ」

 

 タキオンの言葉の切れ目は…随分と、掠れていた。

 

 タキオンは三冠でなければ意味が無いと言いたいのだろう。確かにその通りである。クラシック期での三冠は大きな意味があるのだから。名誉と言うか、実力の証明と言うか、ファンへの恩返しと言うか。

 

 ……ここまで憔悴したタキオンは、見たことが無い。

 …何とか……してやれないな。今は…。

 

「タキオン。ほら、リンゴだぞ」

 

 今はただ時が過ぎるのを待て。それが俺の頭が出した結論だ。心の中にある物、と言うか。それは時間でしか干渉できないだろう。こういう状態の人間には、基本的にこうしろああしろとか言わない方がいい。何かアクションがあればそれに真面目に反応して、そっとしておいてあげるのが1番だ。

 

 俺は急いでリンゴを一口サイズにまで切り分け、その一欠片にフォークを刺し、それをタキオンの口にに向かい差し出す。

 

「今は何も考えなくていい」

 

 タキオンの眉間に皺が寄る。何も考えるな、だと? と目が俺に訴えかけているようだった。

 俺はそれを受け流すように、流し目で対応して見せて。

 

「……君は…酷いトレーナーだね。わざわざ楽な道を提示するとは」

 

「今俺らに何ができる?」

 

「……………」

 

 いつものタキオンならば、もっともらしい理由を…と言うかその通りの理由を見つけてすぐ切り返してくるのだが……今回は、何度か口をパクつかせて……答えに窮しているようだ。

 

 そして…。

 

「ぁ……」

 

 タキオンは受け入れるように、小さく口を開いた。

 

 俺はそこ目掛けてリンゴの欠片を突っ込み、唇が閉じられたのを確認すると…。

 

「んぐっ」

 

 しゅぽっ、とフォークを引き抜いた。

 

「…………」

 

 不服そうではあるが、もごもごとタキオンの口が動く。

 

「……………」

 

「それでいい。今は休んで、そっからリハビリなり何なりするんだから。そして回復したら、また走れば」

 

「…ふ、は…はははっ」

 

 タキオンはリンゴを飲み込むと、右手で口を押さえておかしそうに笑い始めた。

 

「……タキオン?」

 

「君は本当によく私に尽くしてくれるねぇ。もう回復後の事について考えているのかい?」

 

「…何だよ。そりゃ…俺はお前のトレーナーなんだから」

 

「本当に君は…甘いと言うか、優しいと言うか」

 

「俺は別に…」

 

「…トレーナー君。一昨年及び去年及び今年の屈腱炎完治者の名を言ってご覧」

 

「…………」

 

「いないだろう? 君ならどういう事かわかるはずだよ。もう、アグネスタキオンの価値は決まったようなものさ。ほぼ終わったよ、わた」

 

「言うな」

 

 短く、遮る。

 …タキオンは困ったような表情を浮かべ、俺から視線を外した。

 そして俺の顔が見えない事をいいことに…。

 

「…治る怪我ならば私もここまで言わない。君、次の宛を探しておきたまえよ」

 

「何言ってんだ」

 

「走れないウマ娘の管理なんて、金にはならないのだから。この仕事はボランティアじゃないんだ。……君の腕ならすぐ引き継ぎもできるだろう。私は干上がって行く君を見たくは」

 

「黙れよ」

 

 我慢できなかった。俺はタキオンのベッドに右手を付いて、身を乗り出す。

 タキオンは驚いたように、こちらへ体を向けた。

 

「そんなのはわかってる。そういう問題じゃないんだよ。担当が怪我したら、同意があるなら手続きすりゃすぐに他に乗り換える事ができるのは俺だって知ってる。だがな、人間が人間に対してそんな薄情になってたまるか」

 

 …そして、屈腱炎になればほぼ詰みであることも、知っている。それが理由になるかは別問題だとして。

 

「……………」

 

「お前は黙って俺に世話されてろ」

 

 捲し立てるようにタキオンに吐き切れば…タキオンは、何処か諦めたような。そして何処か嬉しそうな表情を浮かべた。

 

 

 

「君はよくそこまで人に入れ込めるねぇ……はぁ…」

 

 

 

「あ?」

 

 

 

「そこまで言うのなら。私について最後まで…責任を取って貰おうか」

 

 

 

「……ああ」

 

 

 

「…ほら、リンゴを食べさせておくれ」

 

 

 

 俺は…タキオンに言われるがまま、リンゴをその口へと運んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……俺はこの時に間違えてしまったのか。それともタキオンに間違えさせてしまったのか。

 

 少なくともここで…お互いに道を踏み外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

「トレーナー君」

 

 2週間程経過して、タキオンの不法占拠する教室にて。俺は各新聞社のメールへの返信やウマ娘達の情報の整理、学園の情報の整理を行っていた。

 トレーニングのないトレーナーの仕事はこういう膨大な雑務である。

 

「トレーナーくーん」

 

 タキオンは無事に……いや、無事ではないが、退院することができた。もちろん病院からの指示は絶対安静。

 

「トレーナーくぅーん。私の世話をしてくれるんじゃなかったのかーい」

 

 絡みつくようなドロっとした声が耳に木霊する。しつこいな本当に……。

 今になって後悔……はしないけども。

 

「…俺は確かに責任を全うすると言ったが、お前の食事事情まで管理するとは」

 

「おっとぉ、男に二言は無いだろう? 私は一応重症者なんだ。優しくしてくれたまえよ」

 

 トントン、トントン、とタキオンが机を指で叩く音がする。

 嫌々、振り向いて見れば…机を一つ挟んで、相変わらず何を考えているのかもわからない含み笑いを浮かべたタキオンが俺を見据えていた。そのタキオンのいる机の上には俺の作った弁当が置かれており。

 

「なぁタキオン、いくらなんでも俺を頼り過ぎだ。飯位一人で食えるだろ」

 

「あーー、体に力が入らなくてねぇ。スプーンもフォークも箸も持てそうにないよぉ」

 

「…今だけだからな、タキオン」

 

 ……まぁ、口ではこう言うが…今のタキオンの望みを聞かない訳にも行かず。俺は仕方なく、仕事をしていた机から離れてタキオンの対面の席へと移動し。

 

「ほら、食べろ」

 

 箸を手に取り、鯖の煮付けをそれで切り分け白米に乗せ、白米ごと鯖の煮付けを掬い上げてタキオンの口へ運ぶ。

 

「あー」

 

 自然な流れでタキオンは口を小さく開き…そこへ箸を突っ込んだ。

 

「んむ」

 

 タキオンが口を閉じたタイミングで箸を引き抜く。

 

「はぁ……本当に。俺は何だ? ドえらいもんレベル100か?」

 

「ハム…モグ……いいじゃないか。お似合いだよ、トレーナー君」

 

「……………」

 

 病院での一件以降、タキオンは酷く無気力と化していた。怪我以前からも、好きな分野以外にはずっと無気力無関心だったが…確実に悪化している。

 タキオンの興味関心は基本的には走る事関連だが、今その走る事が奪われている状態のため…精神的に参っていることだろう。

 一応、授業等にはしっかり参加しているけども。

 

 タキオンが最近やっていることと言えば、専ら薬品の調合だ。多分、屈腱炎治癒のための物。効果は…今だ無し。むしろ薬品のせいで余計に体調を崩す事が増えた。その度に、俺が世話をしてあげている訳だが…。

 

 後は、俺や友達と話をするくらいか。

 

「あー…」

 

 餌を求める雛のように、タキオンがだらしない声を漏らしながらまた口を開いた。

 

 本当に……こいつは。いや…結局求める通りにしてしまう俺も俺だけど。

 

 このような調子で、タキオンの口に弁当を運び続け…。

 

「ごちそうさま。美味しかったよ、トレーナー君」

 

「…おう」

 

 ……そう言えば。タキオンには他にももう一つ変化があった。

 

 比較的素直になったことだ。屈腱炎になるまでは俺による介護はされて当然、みたいな態度を取っていたが……今ではお礼を言ってくれるようになった。

 

 どういう心境の変化なんだ?

 

 変に、聞く気も無いが……屈腱炎を境にこうも変わってしまうと、色々勘繰ってしまう。

 

 …とにかく。食べさせる物も食べさせたので、俺はカタカタと弁当箱を一つに重ねて、ランチマットで包み回収した。

 

 俺が弁当を手提げにちょうどしまい終わった時。

 

「……君の作る弁当はいつまで食べられるんだろうね」

 

「突然、何だよ」

 

 手提げへと消えた弁当を見てか、タキオンが何とも言えない質問をしてきた。

 タキオンの方を向いて見れば……ちょっと心配になる無表情であった。

 

「いやぁ。ただ気になっただけだよ」

 

 ……俺がいつまでタキオンの弁当を作るのか、か。

 普通に考えればタキオンが引退するまで、だが。

 

「…そりゃ、タキオンが引退するまでじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       「引退までか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

 首筋を舌で舐められたような気がした。

 

 今のは…タキオンの声なのか?

 

「そうだろうね。そうだろうとも」

 

 ガタンッ、とタキオンは上半身を叩き付けるように机へと伏せ、頭のみをこちらへ向けた。

 

「君の存在も、最終的には無くなってしまうんだ」

 

「何、言って」

 

「トレーナー君」

 

 タキオンは……右腕を壊れた機械のように痙攣させながら、俺へ向けて伸ばす。

 

「手を、見せてくれないかい」

 

「はあ…?」

 

 異様だ。何だよ、これ。

 

 タキオンに手を差し出すなんて、別になんてことないだろうが。なのに何故手を差し出せない?

 

 小さい頃、何の躊躇いもなく触れていた昆虫が、大人になって見れば恐ろしい物に見えるような。そんな感覚だ。

 

「…………」

 

 手を差し出すのに時間が掛かれば掛かる程、目の前にいるタキオンが恐ろしい何かのように思えてくる。

 

 数秒か、数十秒か。その位の時間、体を硬直させた後…俺はタキオンに向かって右手を差し出した。

 

「もっと近付いて」

 

「っ」

 

 有無を言わさぬ剣幕。俺は恐怖心からか、それとも使命感からか、言われるがままに一歩、二歩タキオンに向かい接近して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タキオンの右腕が蛇のように波打ち、俺の右手を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 そのままグイィ、と引っ張られ、俺の体は机へと倒れ込み……タキオンと机の上で向き合う形になってしまった。

 

「タキ、オン?」

 

「………………」

 

 タキオンのノイズ掛かった瞳が目の前にある。

 

「俗な言い方をすれば、大事な物は失ってから初めて気付くらしい」

 

 ギョロ、ギョロ、とタキオンの目が俺の瞳を覗き込んだ。

 

 蛇に睨まれた蛙とはこういうことか。

 

「君がそうなのかい?」

 

「知らない、知らないぞそんなこと」

 

「教えてくれないか、トレーナー君」

 

「俺にもわからねぇよ、離せ、離せ」

 

「ああでも」 

 

 ぎゅうぅぅうぅぅ、とタキオンの指が俺の指に絡み付く。

 

「今、私は君の手を離したくないと思っている。つまりは」

 

「さっきから何言ってんだよ。落ち着いてくれよ」

 

「私は至って冷静さ…トレーナー君」

 

「どこが…! いいから、離せ、って…!」

 

「……………」

 

 タキオンがどう判断したのかはわからない。普段のタキオンならばいいからいいからと事を押し進める場面だが…しかし俺の拒絶のせいか、タキオンは眉を下げた後、名残惜しそうに、そっと右手を開放してくれた。

 

「っはぁ…」

 

 俺は右手を押さえながら、飛び去るように机から離れて。…右手は未だに生温い。

 

「…あんまり、驚かせるなよ」

 

「……………」

 

 残念、と言わんばかりに、タキオンは上半身を軟体動物のように動かして、椅子に座り直す。

 

「……弁当、今日もすまなかったね。もう、今日はいいよ」

 

「…ああ」

 

 一連の出来事の締め括りにしては、あまりにも呆気ない。

 タキオンは今日はこれで終わりだ、と言う雰囲気を醸し出しているため、これ以上何か聞く事は叶わないだろう。

 

「では、ね」

 

 タキオンが顎で扉を指し示す。

 

「…………じゃあな」

 

 俺は立ち上がり、手提げを回収して扉へと向かい…取っ手に左手を添えた所で、一度振り返る。

 

「……………」

 

 風邪引くなよ、と言うべきか。早く寝ろよ、と言うべきか。ちゃんと食べろよ、と言うべきか。

 

 俺は…結局何も言い出せないまま、タキオンの研究室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉を閉め切る瞬間。

 

 

 

「君、許してくれたまえよ。…いや。君ならきっと許してくれるよね。モルモット君」

 

 

 

 タキオンの声がした。それはまるでこれから起こる事への懺悔のようで。

 

 

 

 今のを、風の音にする余裕は…俺には無かった。




 次回、土砂降り。
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