秘封倶楽部の二人は、ラヴクラフト著のエーリッヒ・ツァンの音楽に出てくる、走り書きを偶然見つけ、走り書きについての調査を始める。軈て、二人は走り書きに恐怖する。

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二人で捜索する夢

 宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン(メリー)は、京都のとある大学の秘封倶楽部という、サークルと語りながらも、特にこれといった活動をすることのないオカルトサークルに所属していた。

 ある日、メリーは、レポートのための調べ物をするために大学図書館を利用していた。高度に情報化されたこの世界で、今になっても、尚、紙の本で調べ物をしているのは、時代に逆行しているように思えるが、ネットにはメリー含め大学生が望むほどの、専門的な情報は少ない。そのため、大学図書館を利用するの学生が多い。勿論、電子でも閲覧できるが、それでは、一度に一冊しか見ることができない。そのため、未だ、大学図書館には紙媒体の本——本と謂うよりも辞書や辞典の類、専門書を何冊も置いている。

 夏であれば、空調の効いた、涼しい図書館で涼まろうと、多くの人が図書館に足を運ぶが、その日は冬であったがために、図書館に居るのは、論文や、授業のための調べ物をしようとする人のみであった。

 メリーが調べ物をしていると、メリーが専攻している相対性精神学の用語集の中から、一枚の紙が出てきた。その紙は、古めかしく、一目で現代に作られた均質な紙とは違う、紙であることは分かった。しかし、メリーは紙について、他人よりも秀でた知識を持っている訳ではないため、古めかしい紙切れが挟まっていた。只、そう感じただけだった。

 メリーは、本に挟まった、何も書かれていない、白茶色の紙が何なのか気になり、手に取って裏返した。すると、そこには、鉛筆で雑に書きなぐられた筆記体のアルファベットが現れた。

 メリーは、この書きなぐりの中に、いくつかの知っているドイツ語の単語を見つけ、電子辞書にあるドイツ語の辞書を使い、調べ物を忘れ、好奇心から、この書きなぐりを翻訳し始めた。

 メリーは、先ず、ノートに筆記体を読みやすい字体に書き直し、分からない単語や熟語を一つずつ翻訳していった。幸運にも、ドイツ語の講義を受けたことがあり、基本的な文法を知っていた。その上、文字もアルファベットが主であるため、翻訳は順調に進んだ。

 一時間ほどかけて、書きなぐりの全文を翻訳したところ、内容が支離滅裂であったことから、書きなぐりは前後に何編かあり、その一部分であることが分かった。しかし、一部分とはいえ、その書きなぐりは、言うも憚られるほど、悍ましい内容だった。

 「メリー、調子はどう?」

メリーが書きなぐりに戦慄していると、授業が終わった蓮子が調べ物をしていたメリーを訪ねてきた。

「用語集に変な紙が挟まってて、ドイツ語が書かれてたから、翻訳してみたら、大変な内容で、暫く、活動のネタに困らなそうって思っていたところよ。はい、これ」

メリーの話を聞きながら、興味深そうにしていた、蓮子に、書きなぐりと翻訳したノートを渡した。

 蓮子は、暫く、書きなぐりの紙を見つめたのち、ノートに書かれた日本語訳を読んだ。

「気味悪いでしょ?」

「そうね。でも、この一枚だけじゃ何とも言えないわね。他にはないの?」

「探せばあるんじゃないかしら」

「今日の活動は決まりね。この書きなぐりを全て見つけ出して謎を解く!」

蓮子は暫くの間は手持無沙汰な思いをせずに、サークル活動ができると生き生きしている。

「そうね。私も、この書きなぐりは気になるから、手伝うわ。ただ、私は、レポートを書かないといけないから、序でに相対性精神学の本を調べてみるわ。」

「じゃあ、私は他の学問の用語集なんかを重点的に調べることにするわね。専門書に挟まっていたんだったら、他の紙は違う専門書なんかに挟まっているのがセオリーよ」

こうして、二人のサークル活動が始まった。

 蓮子が暫く探していると、メリーは、調べ物を終え、本格的に捜索に加わった。書きなぐりは、蓮子の予想に反して、専門書、小説、辞典、と様々な種類の本から出てきた。文庫本なんかに挟まっているときは、隠れるように、他の書きなぐりよりも、折る回数を多くして入っていた。本によっては、二枚入っていることもあり、紙が入っていた本を種類ごとに分けてみても、一切、法則や規則は見えてこず、捜索は難航し、図書館中を虱潰しに探すことになった。しかし、本は電子が主流になり、紙の本が減っているとはいえ、大学図書館には、到底一冊一冊全ての頁を調べることができないほど多くの本があった。

 四日ほど探すと書きなぐりは二十編見つかった。二人は、書きなぐりが全部で何枚あるのかも分からないため、新しい書きなぐりを探すことを諦め、見つけた分の書きなぐりを翻訳し、順番に並べた。

 そして、メリーが初めの一枚を見つけてから一週間が経った。二人は日に日に明かされていく書きなぐりの狂気に戦慄し、恐れた。

「ねえ、メリー、この不気味な書きなぐりって、本当に此の世の物なの?」

「ええ、私の眼には普通の物に見えるわ」

「じゃあ、抑々どうして、本の中に挟まっていたというの?誰かの悪戯?それにしては手が込みすぎてる。やっぱり、メリーに関係のある何かが関わっているんじゃないの?」

「何度見ても、何も視えないから、そういうのは関係ないはずよ」

蓮子は黙り込み、考える。

「⋯⋯ねえ、これ以上は調べないで、この書きなぐりも、元の場所に戻しましょ」

 書きなぐりの狂気に触れた二人は、日に日に不安になっていた。科学が発展し、心霊現象が否定されても、正体の分からない不気味なものは、恐ろしい。蓮子は、これ以上書きなぐりの内容が明らかになることを恐ろしく感じ、捜索を止め、手元に置いておきたくもないと考えた。しかし、メリーは蓮子ほど精神にダメージを受けていなかった。

「でも、折角見つけたんだから、元の場所に返すのは勿体ないし、面倒くさいわ。だから、探すのは止めて、この書きなぐりはこのままにしておきましょ」

蓮子は、メリーの提案に暫く唸った後「そうね。そうしましょ」と言い、秘封倶楽部のその日の活動は終わった。

 メリーは夕方頃に自宅に着き、簡単な夕食を済まし、これといって、特別なことはせずに普段通りの健康的な時間に眠った。

 メリーは気が付くと、その日、大学で着ていた服装で、悪臭のする濁った川に架かった橋の上に立っていた。正面には石畳の坂道があり、メリーは何の疑問もなく、坂道を登り始めた。

 「街並みは素敵だけど、高齢者が多いわね。若者を見かけないけど、経済は回っているのかしら。それにしても、急な坂ね。虚弱な私には急すぎるわ。ここの老人は足腰が達者なのね。どこかで休憩できないかしら」

 メリーが息を切らして、休憩場所を探していると、何処かから美しいヴィオラの音が聴こえてきた。メリーはこのヴィオラの音に感動し、是非近くで聞きたいと思い、音のする方へ歩き出した。

「この街道沿いの家は高い家が多いわね。でも、大分、道側に傾いているけど、欠陥建築なのかしら。おしゃれだけど、崩れそうで怖いから、住みたくないわね」

メリーは、街路に覆い被さるように、高い家家が傾いた街並みに趣を感じながら、美しい音を追い、大通りから少し離れた、街はずれの、蔦に覆われた古い城址の前に出た。

 メリーはその城址の前の小さな広場で、椅子に座りヴィオラを弾く、窶れた金髪碧眼の老人を見つけた。メリーは老人の奏でる美しい音色を広場で聴いていた。

「本当に綺麗な音色ね。音楽に興味のない蓮子でも、このヴィオラはきっと気に入るはずだわ。今度、蓮子を連れてこようかしら」

 暫く、メリーが老人の奏でるヴィオラの音を聴いていると、突然、老人は焦燥し、ヴィオラを掻き鳴らす。ヴィオラは信じられないほど甲高い音を発し始めた。メリーは驚き、思わず三歩ほど後ろに下がり、一体何事なのかと思い、その場を立ち去ろうとした。

 その時、老人の背後にあった城址は突然漆黒に包まれた。それは、世界一黒い塗料とも違い、新月の夜の曇り空とも違う、夜の遠洋のような深く澄み渡り、吸い込まれるような黒だった。空は夜のように暗くなり、老人は更に激しくヴィオラを掻き鳴らす。老人の目に光は無く、まるで、操り人形のようだ。一定の間隔で並んでいた街頭は、その役割を果たそうともしない。そんな時、メリーは走り書きの一節を思い出した。

 ――突然部屋の窓から強い風が吹き込み、窓外には永遠に続くような闇が広がっていた。その深淵の中に私はこの世の物とは到底思えることの無いほどに、忌々しく淫らな踊り狂う半獣人を見たのだ。半獣人は、私を嘲笑うかのように、刺すように鋭い響きを響かせ、私を狂気へと――

 メリーは恐ろしくなった。それまで心の内にあった感動や興味の念は完全に消え失せ、不気味や焦りなんかも例外なく恐怖へと変わった。

 メリーは逃げようと城址に背を向け、走ろうとしたが、強い風が吹いた。その風は、城址に向かい、城址から離れようとしているメリーにとっては向かい風だった。メリーは、台風のように強い風に帽子が飛ばされたが、早くその場を立ち去るため、帽子を諦め、風に逆らい走り出した。ヴィオラの美しい音に魅了され、音の出所を捜した時とは全く違う感情を抱きながら走った。家の覆い被さった街路も最早、景観の良い物とは思えない。この時、メリーは走ることに必死で考えもしなかったが、後に思い返してみれば、行きに見た、高齢化した街の住民を帰りには一人も見かけることは無かった。街には唯、メリーの足音、荒れた息の音、狂った老人が掻き鳴らす甲高いヴィオラ。そして、吐き気のするほど奇怪で、理不尽ではあるが、憎悪を感じずにはいられないような鋭い響きのみであった。

 メリーは夢を見始めた橋に戻ってきた。橋を渡ると目が覚めた。その時、初めて夢であったことを察した。

「書きなぐりの夢?」

 メリーは夢から覚めて後、一睡もできなかった。しかし、どうせ、眠れてもその日は朝早くから授業があった。そのため、眠れても二、三時間だと思い、諦めて、未だ耳について離れない、荒れ狂うヴィオラとそれを揶揄う響きを忘れることはできないだろうかと考えていた。

 メリーは、未だ気持ちは落ち着いていないが、大学へ行くための準備を始めた。着替え終わり、鞄を持ち、帽子をかぶろうとしたところ、帽子が見当たらなかった。思い当たるところを探してみたが、見つからないため、諦め、家を出た。

 メリーは授業が始まるよりも早く大学へ行き、昼から授業で、まだ寝てるであろう蓮子にメールを送り、人目のないところで、走り書きとその訳を焼き捨てた。

 暫く後に、大学図書館で、メリーの帽子が落し物として見つかった。


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