花魁恋歌! 藤兵衛吉原に消ゆ!? の巻   作:とりなんこつ

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花魁恋歌! 藤兵衛吉原に消ゆ!? の巻 ・後

 

 

 

 

 

 早朝の吉原からの帰り道。

 儂の隣を久蔵が歩いておって、二人揃って朝帰り。

 ゆっくりと白みは始めた空に、澄んだ空気が清々しい。

 

 …断っておくが、儂が久蔵と朝チュンしたわけではないぞ?

 

「旦那さま! おら、あんなふうに優しくされたのは初めてで…」

 

 興奮気味に訴えてくる久蔵の話は、もう何度目じゃろ?

 

「それに、太夫が言ってくれたんです!『わたしはあと五年で年季が開けます。そのとき、久さんがお嫁に貰ってくれますか?』って!!」

 

 リップサービスだとしても、正直うらやまけしからん!

 初体験が最高の美少女でおまけに結婚の約束って、それなんてエロゲー?

 

 まったく、久蔵のどこが今を時めく高尾太夫の琴線に触ったものか。

 なーんて考えて、実は少々心当たりがないわけでもない。

 

 昨晩、久蔵と太夫が消えたあと、ご新造と交わした会話を思い出す。

 

 遊郭で一番人気なのが花魁なわけで、そのご贔屓は数限りなく。

 中でもとある大名筋の大身から、高尾太夫の身請けの申し出があるそうな。

 身請け自体は、太夫を始めとした遊女たちにとって理想のゴールと言える。

 なんせ借金や何やらで、巷では二進も三進も行かなくなって苦界へと身を沈めたわけじゃなからな。

 その借金を返してもらって、あとはそれなりに贅沢な暮らしが約束されているとなれば、飛びつかない方がおかしい。

 

 にも関わらず、高尾太夫は全く乗り気ではないのだという。

 これは例の殿様がねちっこいのか何なのかは知らんけど、渋るご新造から、儂は一晩かけて殿様の名前を聞き出すことに成功。

 

「伊達陸奥守、か…」

 

 伊達とあれば、言わずもがな仙台藩である。

 その開祖は、その名も高き独眼竜。

 ならばその子孫も、少なからず祖先に似ているだろう。

 儂としては極力関わり合いたくない人種である。

 

「へ? 旦那さま、いま何か仰いましたか?」

 

 儂の呟きを拾った久蔵に、「なんでもないよ」と言い返して前を向きなおった時じゃった。

 

 場所は衣紋坂を下ったあたり。

 朝靄に包まれた路地から、わらわらと数人の若い衆が出てくる。

 

「なんじゃ、おぬしら?」

 

 いずれも柄の悪そうなオーラを発散していて、今更ながら新右衛門を連れてこなかったことが悔やまれる。

 でも仕方ない。新右衛門には儂の不在を取り繕ってもらわにゃならんのじゃ!

 

「へへへ…。旦那方には恨みはないが、少々痛めつけろって命令でしてね…」

 

 どこの誰ぞか知らんが嘘つけ! そのこん棒はともかく、そっちの鎌は刃物で明らかにオーバーキルじゃろ!?

 

 くっ、儂は暴力はからっきしの頭脳労働専門なのじゃ! なんて言わずに鍛えておけば良かった!

 どうにか久蔵だけでも逃がして…。

 

「はわわ…」

 

 どしん、と音が聞こえたと思ったら、久蔵が腰を抜かした音じゃった。

 気付けばすっかり儂らは囲まれていて、助けを求めようにも人通りもない。

 これは万事休すか…!?

 

「てめえら何をやってやがるんだ!?」

 

 早朝の路地に、よく通る声が鳴り響き。

 一人のお侍らしき風体の男が、衣紋坂を駆け下りてくる。

 

 お侍は、儂と久蔵、それを取り囲むチンピラを眺めて一瞬でどちらに味方をするか定めたらしい。

 

「おらッ!!」

 

 さっそくチンピラの一人を蹴飛ばして、別の一人は殴り飛ばす。

 いやその強いこと強いこと。

 

「くッ、てめえら引け引けッ!」

 

 アッという間にチンピラどもは退散していく。

 

「ったく、どこの野郎どもだ? …ああ? 大迫屋の若い衆ってか」

 

 お侍が、チンピラの脱ぎ捨てていった羽織りの屋号を見ている。

 ふむ、大迫屋か。

 最近、裏でキナ臭い取引をしていると専らの評判じゃが、これで何となく筋書きが読めてきたぞ…。

 

 それはともかく。

 

「お侍さま、ありがとうございます。おかげで命拾いいたしまた」

 

 儂は丁寧に頭を下げる。

 

「なあに、いいってことよ。こちとら、朝帰りのいい運動になったってところさ」

 

 洒脱に笑う声に儂は顔を上げ―――凍り付く。

 

 野生の和多田辺拳が立っていた。

 

 

 

 

 …伊達ぇええええええええ!?

 戦国DQN筆頭!? ナンデェ!? ドウシテェ!?

 

 

 と、おおおお落ち着け儂! どう見てもこの拳さんの片目は潰れてはおらんではないか。

 

 されど、極力関り合わないのが儂の基本スタイル。この江戸を生き抜くための小悪党のジャスティス。

 

「お、お礼といっては不躾ですが、これを…」

 

 儂は素早く懐紙に包んだ小判を差し出す。

 

「…いいのか?」

 

「いえ、命を助けて頂いておいて、この程度の些少で申し訳ありませんが」

 

「そういうことなら遠慮なく」

 

 照れ笑いを浮かべた拳さんは、素早く袂に小判を仕舞い込む。

 その所作は、実に男らしくて色気があった。

 

「こっちこそ助かったぜ。うちにゃあ大喰らいの婆ァがいてよ!」

 

 陽気に手を振って去っていく拳さんを見送り、儂はほっと胸を撫でおろす。

 どうやらこの拳さんは御家人だった様子。

 

 良かった。ドMで米俵にちんちんを突っ込んで鍛えている同心の方じゃなくて本当に良かった…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日付が飛んで、儂はめ組の住居の前までやってきていた。

 もちろん用心のため新右衛門を従えて、付け髭で変装済み。

 

「ちょいとお邪魔しますよ」

 

「あら、棟平屋の旦那、いらっしゃい」

 

 速攻で変装がバレた。

 もうどうでもいいや。

 

「嵯峨屋の落雁に、浅草寺前の茶店の草団子ですじゃ」

 

 め組の女将に手土産を渡す。

 

「あらあらまあまあ、勿体ないことでございます! いま、お茶を淹れますので、どうぞ中へ…」

 

「いえ、その前に、徳田様は…」

 

 儂が女将とやりとりをしていると。

 

「おう、棟平屋。どうしたのだ?」

 

 奥の暖簾を上げて、徳田新之助こと上様が姿を現したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「して、棟平屋の大旦那様が今日はいかが致しましたので?」

 

 め組の女将が茶を置きながら尋ねてくる。

 

「ちょいと近場まで用足しがあったので、ついでですよ」

 

 しれっと儂は答える。

 周囲にはめ組の若い衆。正面には徳田様を据えて、儂はいかにも茶飲み話でございという風情で語った。

 もちろん内容は先日の遊郭でのことである。

 

 儂のところの若い衆が高尾太夫を見初めたと思ったら逆に見初められたこと。

 しかし、その高尾を伊達陸奥守が身請けしようと画策していること。

 

 適当に脚色を入れたおかげで、太夫が久蔵に『嫁に貰ってもらえますか?』の件では、女将に女中も涙ぐんでおったわ。

 

 そして伊達陸奥守が動こうとしているところでは、め組の若い衆が憤慨していた。

 昔から権力者に仲を裂かれる男女という話は珍しくないからのう。

 

 最後に儂は、徳田様を見据えて、どうやら伊達陸奥守様の後ろには大迫屋の動きがあることを伝える。大迫屋の若い衆に、吉原の帰り道で絡まれたことも含めて。

 

 すると、茶を飲み終えて徳田様は一言。

 

「棟平屋。どうしてこのような話を俺にした?」

 

「なあに、茶飲みついでの艶っぽいお話でもと思っただけですよ。それに徳田様は、吉原なぞに行く機会はありませんでしょうからなあ」

 

「こやつめ」

 

 苦笑する徳田様に、儂は布石を打ち終えたことを確信する。

 これで徳田様は伊達家と大迫屋の関係を調べてくれるだろう。

 儂なりに調べさせても良かったが、やはり大名相手となれば上様にご出馬願うしかない。

 いっそ大迫屋と伊達様が盛大に癒着や抜け荷や人身売買やらをかましてくれていれば、一切合切上様のデデーン! で済むのじゃが。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと」

 

 め組を出た儂は、もう一つの布石、もとい確認をするため吉原へと向かう。

 もちろん今度は新右衛門付きでな。

 

 昼の吉原は、夜の煌びやかな様子も一転、ひっそりとしておった。

 その様子はまるで化粧を落とした女のようだ、とは誰が言ったのか。

 

 大手門を潜って、儂が真っすぐ向かったのは三浦屋。

 

「ちょいとごめんなさいよ」

 

「これはこれは棟平屋の大旦那さま」

 

 またもや速攻で変装がバレる。

 儂は泣かない。

 

 奥の座敷から弾けるように出てきた主人へ、高尾太夫に会わせてくれるよう頼む。

 夜の太夫に会うにはそれこそ予約で満杯だが、昼間こうして尋ねてくる分には、会おうと思えば会えるのだ。

 もっとも儂は吉原でVIP扱いされているからで、他の大店の主人とかは知らんよ?

 

「高尾でしたら、ちょうどいま琴の稽古で先生の所に…」

 

 言いかけた主人の視線に気づき、儂は振り返る。

 ちょうど暖簾を潜って、絣の着物を着て琴を抱えた少女が店の中へと入ってきたところ。

 

 小さな顔に大きな瞳。

 つん、と上を向いた鼻も愛らしく、あどけなさがたっぷりと残った彼女は―――なんと、高尾太夫なのか?

 

「あら。棟平屋の大旦那さま。こんにちわどす」

 

 …たまげたなあ。久蔵と大して齢は変わらないのではないか?

 

「う、うおっほん! 先日は、儂のところの若い衆が世話になったのう」

 

 久蔵自身がぶっちゃけているので、儂も取り繕うのは止めた。

 

「それでのう。その件で、ちと話があるんじゃが…」

 

 

 

 

 

 

 三浦屋の主人の計らいで、奥の座敷へ案内される。

 茶を置いて禿が去れば、あとは儂と高尾の二人きりじゃ。

 

「単刀直入に訊ねるが、太夫はどこまで本気なのじゃ?」

 

 久蔵への嫁入り志願。リップサービスとしたら大袈裟過ぎる。

 

「本気も本気でありんすよ」

 

 けろりと答える高尾。

 

「源平藤橘の四姓の人とお金で枕を交わす卑しい身を、三年も思い詰めてくれるとは、なんと情けのあるお方…」

 

 まだ幼さのある顔つきで、ついた溜息の深さに儂は絶句する。

 さすが花魁の最高位である太夫を獲得しただけのことはあるわ。この若さで、おそらく儂の想像を絶する経験を重ねて来たに違いない。

 

「されど、大身に身請けされれば、あとは極楽な生活が送れるのではないか?」

 

 儂がそういうと、高尾はふっと笑う。 

 

「しょせんあちきも苦界に咲いた徒花。枯れて色が抜け落ちれば誰も相手はしてくれません。道端に打ち捨てられるがオチでしょう」

 

「つまり、久蔵はずっとおぬしを大切にしてくれるということかの?」

 

 高尾は答えない。代わりにどこか遠くを見る表情で呟く。

 

「あたしの父親(てておや)は職人でした。とても誠実な人で、久蔵さんは同じ手をしていた…」

 

 言葉使いを改めた高尾の告白。

 彼女がどういう経緯で花魁となったのか、詳しくは儂も知らん。

 それでも、これは太夫ではない高尾の本心ということでいいはずだ。

 

「あい分かった。久蔵にはせいぜい五年後を楽しみにしておけと伝えておこう」

 

「よろしくお頼み申し上げます」

 

 二コリと笑う高尾に、先ほどの影っぽさは一切なかった。

 これだから女は怖い、と呟きながら座敷を出れば、「ちょいと旦那様…」と三浦屋の主人に袖を引かれる。

 なんぞ、どうした?

 詳しくきけば、例の伊達様の身請け話は勝手に進んでいて、つい先日も金子を持って乗り込んでこられて三浦屋も難儀しているとのこと。

 肝腎の太夫にその気がないのだから、まとまるものもまとまらんわけで。

 

 ふむ。  

 これはあまり時間がないのやも知れんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから幾晩が過ぎ。

 新右衛門を従えた儂は、商家の影からそっと大きな屋敷を眺めている。

 仙台藩江戸屋敷。

 さきほど中に大迫屋が入っていったのは確認済みじゃ。

 

「どれ、行ってくるかの」

 

「大旦那様。やはり拙者が一緒に…」

 

「いいからお前は控えておれ。ここから一町ほど下がって、しばらく屋敷へと近づいてはいけないよ」

 

「しかし…!」

 

「儂は話をしに行くだけじゃ」

 

 渋る新右衛門を無理やり説き伏せる。気持ちは有難いが、ここでこやつに出張られては、儂の乾坤一擲の策が成らんのだから仕方ない。

 

「開門! 開門!」

 

 屋敷の門を叩く。

 何者だ? の誰何の声に、

 

 「手前は島田屋と申します。今宵は、伊達のお殿様に、吉原の件でお話したいことが…」

 

 ごとり、と閂の外れる音がして門が開いた。

 家来らしき侍に連れられて案内されたのは中庭。

 そこからは座敷の様子も丸見えの、いかにもなロケーションじゃ。

 

 座敷には、大迫屋と伊達の殿様らしい男が座っている。

 どちらも脂ぎっているというかオイリッシュな見た目に、正直ゲップが出そう。

 

「…島田屋といったか? 吉原の話といったが、どういうことだ?」

 

 ジロリと伊達様に睨まれる。

 

「はい。殿様は高尾太夫を身請けしようとされているとか。しかしながら、太夫は健気にも年季明けを待って市井に嫁ぎたいとのことでして」

 

「ふんッ! 花魁なんぞしょせん売り物ぞ? 高値でワシが手に入れて何がおかしいのじゃ!?」

 

「伊達様の仰られる通り岡場所の沙汰も金次第。島田屋といったか? おまえさんに口を出されるいわれもないわッ!」

 

 追随するように大迫屋が吠える。

 

「もっとも、うちの店のように大金を用立てられるのならば話は別だがな!」

 

 なるほど、やはり伊達様をバックアップしていたのは大迫屋か。ついで儂らに痛い目を合わせようとしたのは陳腐な独占欲と見た。

 なので儂は叫ぶ。

 

「できらあッ!」

 

「…いま、なんと言った?」  

 

「同じだけ金子を積んで、高尾太夫を身請けできるといったんじゃよ!」

 

「こりゃあ面白い! ならば、うちが出した同じ金額で太夫を身請けして見せてもらおうか!」

 

「え? 同じ金額で太夫を!?」

 

「…馬鹿にしているのか、貴様はッ!」

 

 大迫屋が激昂して掴みかかってくる。

 その拍子で、儂の付け髭が飛んだ。

 

「ぬッ?! 貴様は、棟平屋ッ!」

 

 驚く大迫屋。

 なんと変装が通じていた。

 思いもよらぬ展開に、儂感激。

 

「大迫屋! 棟平屋とはなんじゃ!?」

 

「え、江戸でも指折りの大店でございますよ! そうか、棟平屋ともなれば、あれだけの金額も…!」

 

 大迫屋がめっちゃ動揺しているけど、儂はそんな金額を出す予定はないよ? ただ、さっきのやり取りをしたかっただけよ?

 やり遂げてニヤニヤしている儂の前で、伊達様と大迫屋が顔を見合わせている。

 

「…いくら大店の亭主といえど、辻斬りに会うことは避けられまい。もしくは酒に酔って堀に落ちたとかな」

 

 伊達様サイドが物騒なことを言いだすのは想定内。

 正直、賭けの部分が大きいが、おそらく成功する。そしてそのリターンは計り知れない。

 

「…なるほど。では、あとの始末はお任せを」

 

 大迫屋はニヤリと笑い。

 

「うむ。曲者じゃ! 出会え!」

 

 伊達様の声に、わらわらと出てくる近侍の家来たち。

 

「勝手に我が屋敷に忍び込んできた狼藉ものじゃ! 早々に討ちとれい!」

 

 儂の前に来た家来が、ギラリと刀を振りかぶる。

 南無三!

 

 儂が祈ったその瞬間、びゅーんと一枚の扇子が飛んできて家来へと命中。

 やった、これで勝つる!

 

 すかさず儂は上様の登場シーンを邪魔しないよう庭の隅へと退避。

 予想通り、上様は儂の危急に駆け付けてきてくれた。

 これだけでちょっぴり嬉しいのだが、ここで上様の活躍を目の当たりにするのが今回の作戦のキモ。

 全てが落着して、上様の正体を知ることが出来れば、 め組の辰五郎のようなポジションゲットだぜ!

 商家としても上様サイドに取り込まれるのがベストなのはいうまでもない。

 なにせ江戸最強の国家権力じゃもん。

 策成れば、儂も命を張った甲斐があるというもの。

 

 クククっ…まさに圧倒的ひらめき…っ! 悪魔的天啓……っ!

 

 内心でほくそ笑む儂の前に突如現れたのは、まさに闇に舞い降りし天才。

 いや、しげる違いじゃった。

 されどこちらの御庭番衆のしげるはストロンガー。強い(確信

 

 「そげぷッ!?」

 

 大安心で気を抜いた儂のみぞおちに、拳が吸い込まれる。

 なんで? どうして? フーン(気絶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

「き、貴様何者だ!」

 

 伊達陸奥守の誰何に、颯爽と登場した徳田新之助は大喝。

 

「うつけもの! 余の顔を見忘れたかッ!?」

 

「なッ!?」

 

 伊達綱宗は目を見張り、すぐにその顔は青ざめる。

 

「う、う、上様?!」

 

「へ? 上様ですと!?」

 

 庭の砂利の上にたちまち額をこすり付ける綱宗とその家来に大迫屋。

 平伏する彼らを見やり、徳川は八代将軍吉宗は言葉の刃を叩きつけた。

 

「伊達陸奥守綱宗! そなたは仙台藩当主という大身の身でありがながら、権勢に飽かして大迫屋と結託し、嫌がる太夫を身請けせんと画策するは武家にあるまじき振る舞い。恥を知れ!」

 

「く……!」

 

「そして何より、江戸の生き仏と称される棟平藤兵衛を害しようなどとは言語道断! こうなれば潔く、大名らしくけじめをつけて見せよ!」

 

 羞恥と怒りで真紅に染まった顔を上げ、伊達綱宗は叫ぶ。

 

「ええいッ! このような場に上様を名乗る不届きものがいらっしゃるはずは飛んで火にいる夏の虫!! こうなったらもはやこれまで! 上様の顔は知らぬワシは毒喰らわば皿まで~ッ!!」

 

 「なにを言っているのだおまえは」

 

 思わず素で突っ込んでしまう吉宗に、近侍の者たちは主君の錯乱した命令にも忠実だった。

 次々と刀を抜いて構える家来たちに、吉宗も刀を抜いて峰を返す。

 (はばき)に刻まれた葵の紋がキラリと光り、一方的な仕置きが始まった。

 

 

 

 

「おう、才蔵。伊達の手下(てか)の者も誰も殺してはおらんだろうな?」

 

 吉宗にそう呼ばれた御庭番衆随一の男は、静かに頷く。

 

「ご安心を。全て当て身で気絶させております」

 

「うむ。さすがに仙台藩の当主を成敗するわけにも行くまいよ」

 

 吉宗が苦笑する通り、伊達綱宗は大迫屋ともども砂利の上で気を失っていた。 

 公儀は隙あらば大名の各家を取り潰そうとしている。それは紛れもない事実であったが、さすがに大大名と称される仙台藩とあっては迂闊には取り潰せない。

 ましてや今回の話の根っこは、花魁の身請け話に端を発している。

 藤兵衛への殺害教唆は吉宗的には絶許だったが、実際に人死には出ていないのだ。

 さすがに将軍である自分に刃を向けたことは第三者から見れば死罪に相当するだろうが、ここはあくまで徳田新之助として相対したことで済ませることを吉宗は心に定めていた。

 

「ところで、棟平屋の方は…」

 

「離れた商家の軒下に、むしろを被せて寝せておきました。まもなくお付きの者が見つけましょう」

 

「ご苦労」

 

 短く才蔵を労い、吉宗は心の内でそっと呟く。

 

 棟平屋よ。

 俺の正体をおまえに明かすのは一向に構わぬのだが、俺は今少しおぬしとは気楽に茶を飲みかわせる関係でいたいのだ。

 だから、許せ。許せよ、棟平藤兵衛―――。

 

  

 

 

 

 そして藤兵衛の方はというと。

 才蔵の言った通り、仙台藩江戸屋敷よりちょうど一町ほど離れた商家の軒下で新右衛門に発見されていた。

 主の無事を喜ぶ新右衛門の表情と裏腹に、

 

「…あれ? やっぱり儂って将来の上様の粛清リストに載っちゃっているの…?」

 

 とガクブルしていたり。

 

 

 

 

 

―――― 

 

 

 伊達陸奥守綱宗様は、仙台藩へと戻って隠居されたそうな。 

 当然、高尾太夫の身請け話も有耶無耶になった。

 

 そして大迫屋は私財没収の上、江戸払いを命じられている。

 伊達様と結託し、その権勢を使って不正をしようとしていたらしい。

 

 もっともこれらはかなり温情な措置と言えるだろう。

 その裏に、徳田新之助こと上様の意向が働いているのは儂には分かる。

 

 だって元々は太夫を身請けするかどうかって話じゃん?

 儂は殺されそうになったけれど、実際に誰も死んでないわけだから、ここらが落としどころってヤツなのだろう。

 

 そんな上様の粋な計らいが一つ。

 

 なんと、高尾太夫の身請け金として三浦屋へ持ち込まれたおよそ500両は没収の対象とならなかったのだ。

 なので太夫は晴れて自由の身。

 

 だからといって、今さら久蔵のところに降嫁はせんじゃろうて。

 

 そう寂しく思っていた儂じゃったが、ほとぼりも冷めた一年後。

 神田の染物屋の前に、立派な籠に載った高尾がやってきたのには度肝を抜かれた。

 

『久さん。お元気でしたか? 約束通り、わたしを貰ってやって下さい』

 

 そう艶然と微笑まれ、久蔵はその場に卒倒。

 半信半疑で待ち構えていた儂もぶっ倒れそうになったもん。

 

 これまた半信半疑で準備していた祝言には、儂も媒酌人として参加。

 盃を交わしたあとは、儂が提供した樽酒の大盤振る舞い。

 噂の傾城を一目見ようと近所の衆がやいのやいのと押しかけて、あれほど盛大かつ騒がしい祝言は儂の記憶にもない。

 祝言を上げたその後も、染物屋にはひっきりなしに見物客が押し寄せて困ると六兵衛のやつも愚痴っておった。

 

 そしてそれらも落ち着きを見せてきた今日。

 夫婦となった久蔵と高尾が、二人揃って儂の屋敷へ挨拶に来るという。

 

 なので儂もちょいと朝から気もそぞろ。

 そして可笑しいことに、堅物の新右衛門もどこかソワソワと落ち着かない様子。

 

「新右衛門や。ぬしも噂の太夫を拝むのが楽しみかえ?」

 

「いえ、決してそのようなことなど」

 

「隠さんでも良い。おまえの部屋の押し入れの天袋の上に、高尾太夫の錦絵を隠してあることは知っておるぞ?」

 

「な…!」

 

 珍しく絶句する新右衛門に儂はにっこりとする。

 男のエロ本の隠し場所なぞ、古今東西同じじゃよ?

 

「大旦那さま、ご無沙汰しております!」

 

 玄関に姿を現した久蔵は、見事に垢ぬけておった。

 その三歩後ろに付き従う風の高尾は、逆に花魁の頃の華々しさを欠いていた。

 されどしっとりとした美しさは年相応で、影のなくなった屈託のない微笑みに儂は悟る。

 

 ああ、高尾は本当の幸せを手に入れたのじゃな…。

 

「このたびは、本当に大旦那様にはお世話になりまして…!」

 

 儂と顔を合わせるたびにペコペコと頭を下げてくる久蔵の挨拶は、完全に耳タコである。

 相も変わらず律儀というか馬鹿正直というか。

 まあ、高尾が惚れたのはきっと久蔵のこういうところじゃろう。

 

 そして高尾はというと。

 

「本当に大旦那様は恩人です。あの晩に呼んで貰わなかったら、きっとわたしは…」

 

 うんうん、廓言葉が抜けた高尾の口調も新鮮で良いのう。

 

 そんな風に頬をニヤけさせる儂だったが、背後にひやりと冷気を感じて振り返る。

 そこには儂の恋女房、おさよが立っていた。

 腕に、生まれて数月ばかりの二人目の男の赤ん坊、藤次郎を抱えて。

 

「…旦那様?」

 

 おさよの声に、儂は身体の芯まで震えあがる。

 

「ま、待ておさよ、誤解するな! これはなッ!」

 

「私が身籠っている間、男の子が生まれるよう祈願するため色断ちをすると言っていたのは嘘だったのですか…?」

 

 この時代の医療では、もちろん男女の産み分けなど出来るはずもなく。

 先だって神仏と先祖に祈りを捧げておった理由は、安産と藤太郎に続く男児の誕生を願ってのこと。

 だって息子たちと三角ベースをするのが夢なんじゃもの、儂。

 

「そ、それは嘘じゃない! じゃから、吉原にいったのはちゃんとした理由があってだな!」

 

「色街に行くのに他にどんな目的があるというんです?」

 

 ぐっとおさよに袖を掴まれる。

 そして藤次郎を抱えたまま、おさよはさめざめと泣き始めた。

 

 やめて、その攻撃。儂に効く。

 

 昔から、おさよの涙は儂特効。沸きあがる罪悪感に胸が押しつぶされそうになる。

 うう、こんなんだったら刃傷沙汰になった方がなんぼかマシじゃ!

 

 

 

 

 

 おい、新右衛門、そっぽを向いてないで助けておくれ!

 

 久蔵も、そろそろ失礼しますじゃない! 恩人のピンチじゃぞ? 助けろよ!

 

 高尾もちゃんと説明してくれ! お願いじゃから! ボスケテ…!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世はまさに太平。

 棟平屋の周囲は今日も平和で笑いに満ち溢れている。

 ただし、中心にいる藤兵衛を除いて。

 

  

 

 


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