本編モース様がダアト関係者からどう見えているのか妄想
時系列は多分本編前
証人その1 ハイマン
日が昇ると同時に目を覚ます。ダアトのローレライ教団本部内でこの時間に起きて活動しているものは稀だ。それこそ夜番の兵か港の漁師達、それと熱心な商人くらいのもの。たかが教団員である自分がこの時間に目を覚ましているのは当然ただの趣味というわけでは無い。この時間には既に起きて訓練に精を出しているであろう自身の上司を迎えるためだ。
手早く身支度を整え、パンを一つ腹に収めて自室を出る。向かう先は今のローレライ教団本部の中で最も重要な人物の執務室。部屋の主はまだ来ていないが、自分は合鍵を頂いているため困ることは無い。今の仕事を始めたばかりの頃は、あの方が訓練を終えて部屋に来られるのを扉の前で出迎えるのが習慣になっていた。最初はそこまでしなくても良いと窘められていたが、私が自発的にそうしているのだということを理解して頂いてからばこの部屋の鍵を渡され、先に部屋に入っていることを許された。この鍵は私の居室の鍵以上に大切なものであり、私財の大半を叩いて購入した細いながらも耐久性に優れたミスリルのチェーンに通して首から下げて生活している。これを我が身から離すことは鍵を頂いてから一時たりとも無い。
部屋に入ると灯りを点け、昨夜のうちにあの方が片付けてしまった書類に目を通す。大詠師であるあの方に集まる仕事の量は膨大だ。まともにやっていればとても一人が処理できるものではない。だからこそ一つ一つの案件に対する精度は落ちていく。それを補佐するのが詠師の仕事だが、そも詠師の仕事ですら激務なのだ。だからこそ自分が補佐として役に立てていることに喜びを感じている。
修正や不認可となった書類をまとめた後は未処理のものを仕分ける作業に移る。緊急性の高いものから順に並べ、自身に与えられた権限で判断しても良いものは別の山に積み上げる。もう慣れ親しんだ朝のルーチンワークを熟していると、静かに扉が開く音が耳に入る。
「おはようございます、ハイマン君。今日も早くから来てくれてありがとう」
「おはようございます、モース様。今日も朝から訓練をされてきたのですね」
部屋に入ってきたのは自分の上司であるモース様。汗を流してきたのだろうか、少し髪が濡れている。それを見た私は朝の換気の為と開けていた窓を閉じる。
「何か温かいものを用意します」
「いえいえ、構いませんよ。そのまま座っていて下さい。私が用意しますから」
席を立とうとした私を制してモース様は茶器の下まで歩くと、テキパキと二人分の茶を用意してくださる。しまった。次からは言う前に動かなくはいけない。固辞するのも失礼と、カップを受け取った私は暫しの休憩を取る。私はモース様が手にタオルを握っているのに目を留めた。いつもお使いになられているものとは違う。ということは、
「モース様、今日はカンタビレ様も訓練に?」
「おや、良く分かりましたね。ええ、偶然練兵場に来ていましたから、ちょうど良いと彼女の厚意に甘えて稽古をつけてもらっていました」
何となくです、と誤魔化しながらモース様に続いて私はカップに口をつける。偶然、偶然と言うが……、こんな早朝からわざわざ練兵場に足を運ぶ人間がモース様以外に早々いるとは思えない。とはいえカンタビレ様も多忙なため、例えば夜番の仕事明けに訪れた、ということもあるのかもしれない。
「それで、今日の予定についてですが……」
私はそこで思考を打ち切って話を変える。朝のひと時はお茶と茶菓子を楽しみながら、その日の予定についてすり合わせる時間でもある。今日は珍しくどこかに出掛けなければならない公務は無い。本部内で詠師達との会合がある他、導師様と定期的に行っていらっしゃる打ち合わせ等、ダアト内で事足りる用事だけだ。とはいえ、それは日中の話になるが。
「そして今日の夜に出る最終の船でバチカルに向かいませんと」
「用向きはいつもの
「それでしたらここに」
私はそう言って自身の机の上にまとめられた書類の束を示す。緊急性はそこまで高くないが、モース様の裁可が必要な案件だ。中にはキムラスカとの交易に関する内容もある。モース様の予定の管理も私の仕事の一つである以上、こうして先回りして仕事をしやすいように整えておくのが自分に求められることだ。
「ありがとう。ではこれは船で片付けることにします。午前の会合の前に片付けられるものは片付けてしまいましょうか」
その言葉と共に朝のささやかな茶会は終わりを告げる。モース様からカップを受け取って片付けた後は教団本部が活動し始めるまでは二人だけの静かな仕事の時間になる。カリカリと書き物をする音と、ペらりと紙をめくる音、時折、二言三言程度の言葉を交わす他に発する音は無い。そんな時間が、私はこの上なく好きだった。余人の邪魔が入らず、黙々とモース様と仕事を進められるこの時間が。誰よりも優しく、そして誰よりも自身を厳しく律するこの方は間違いなく歴代最高の大詠師だと、胸を張って言える。あの痴れ者の似非詠師が嘯くユリアの
もちろん最初からそうだったわけでは無い。補佐に任じられる前、一教団員でしか無かった頃はあまりにも先進的なモース様の考えについて行けなかった。そも、
「そう言えば、今日の会合には詠師オーレルも出席するので?」
「ええ、前回は欠席でしたが、今回は出られるようですよ」
「欠席でも良かったものを」
「そう言うものではありませんよ。彼とて己の職務に忠実なだけなのですから」
「堂々と導師様に実権など無いと公言する輩ですよ」
「まあ今のダアトは大詠師が出しゃばり過ぎていると言われては否定出来ませんからね」
苦々しく呟いた私をモース様は苦笑しながら窘める。モース様の献身を知らぬ外野がよく吼えたものだと言いたくなる。この方が自らの贅沢に耽っている姿を見たこと等一度も無い。ダアトにいる間、最もこの方と長い時間過ごしていると言える私が証人だ。華美な服を着ることも無く、常に大詠師に与えられるローブに身を包んでいる。キムラスカやマルクトに向かう時ですら正装なのだからとそれで行くのだから。他の詠師連中のようにジャラジャラと宝石を身に付けていることも無い。よく商人が訪れては宝石を購入してはいるようだが、自身で身に付けるのではなく部下への報奨として用意しているだけだ。この方自身が身に付けたり、私財として溜め込んでいたりしておらず、傍から見ていて清貧を貫き過ぎていると言える生活ぶりなのだ。
「自分達は甘い汁を啜っているのを見逃してもらっておいて、よくも言ったものです」
「人は清いところもあれば濁ったところもある。全体の天秤が清に傾いていればひとまずは良いのですよ」
天秤が傾き過ぎて片方の皿が地に着いているどころか地にめり込んでいる人がいるお陰で今のダアトは全体として清に傾いているのではないだろうか。そう言いたくなるのを堪えて私は整理が終わった書類をモース様へと手渡す。
「……何ですかその目は」
「いえ、何も」
どうやら口に出すのは堪えられても目は口程に物を言う、ということらしい。
証人その2 トリトハイム
「相変わらずお忙しいですね、大詠師モース」
「これでもまだマシになってきているのですがね、中々要領が悪く」
午前の会合が終わり、他の詠師達が退出した後の部屋に残ったのは私と大詠師モースの二人だけ。示し合わせたわけでは無いが、気が付けば定期的に行われるこの会合の後は私と大詠師モースとで二人だけの会合が始まるようになっていた。
「大詠師モースでそれでしたら私などは仕事のまったく出来ない愚か者ですな」
「何をおかしなことを。ダアト内の取り纏めを任せられる人物が愚か者のわけがありますまい」
大詠師モースはそう言ってジト目をこちらに向けてくる。そう言われても、私程度の仕事ぶりなど目の前の男と比べるべくも無いだろうに。ローレライ教団の中で最大派閥である大詠師派のトップであり、なおかつ今のローレライ教団の大詠師、一手に実権を握っていると言って差し支えない彼が中立派という名の日和見主義者にダアトの内政を任せると最初に聞いた時は驚きのあまり冗談かと疑ってしまった。
「導師イオンと大詠師のどちらにも付かぬ半端者ですよ、私は」
「それを選べる人間は中々いないのですよ。だからダアトをあなたに任せたいのですから」
今の導師イオンは身体が弱く、実権は大詠師モースがほぼ握ってしまっている。それ故に大詠師にすり寄って権勢を増そうとするもの。一方で導師イオンの唱える
「大詠師派からの反発もあったでしょうに」
「そういう者にはキチンと大任を担って頂いていますとも。ダアト内の取り纏めよりも余程大切な、キムラスカやマルクトの支部の取り纏めを」
つまりはダアト内には一切噛ませないというわけだ。
「だから先ほどの会合でも散々私が詰められたのですよ、大詠師モース」
「それを凌げる人物だと私は信用していますよ、詠師トリトハイム」
「まったく、口の上手いお人だ」
期待されること、自らの仕事を認められること、そして何より信頼すること。人を動かすには教導、受容、承認が必要だと、詠師として多数の部下を持つ立場になった人間であれば誰でも理解している。だが、この男ほどそれを忠実に実践している人間はいないかもしれない。前導師の頃から大詠師派の中で頭角を現し始めてきた彼に対する警戒は、彼が大詠師になる頃にはすっかり解けてしまっていたのだから彼の人心掌握術には恐れ入る。
「とはいえ、あまり無理をするのも考えものです。夜遅くまで頑張るのは結構ですが、あまり無理を出来る歳でも無いでしょう。今日は早く帰ってはいかがですか」
「よりにもよってあなたがそれを言うのですか」
誰よりも早くから活動し、誰よりも遅くまで仕事に打ち込む人間から無理をするなと言われてはいそうですかと頷けるだろうか。
「私も褒められた働き方をしていませんが、だからこそ他の人はもっとゆとりを持てるようになればと思うのですよ」
「それはそうですが……」
「たまには早く帰って奥方を安心させてあげてはいかがです?」
「そう言うなら大詠師モースも身を固められては?」
「……むぅ」
私の言葉に大詠師モースは難しい顔をして黙り込んでしまった。詠師になる前から彼は女性にモテないわけでは無かった。むしろ人気はあった方ではないだろうか。教団内でも実力を発揮し、神託の盾騎士団の訓練にも熱心だったのだから、同年代の男性の中では優良物件としてずっと名前が挙がっていたような気がする。何故この歳になるまで彼が独り身なのか、誰もが首を傾げるだろう。
「もはやこの歳になるとそういったことも考えられず……」
「だから無限に仕事をする譜業人形だなどと言われるのですよ?」
「一体誰ですかそんなことを言っていたのは……」
「あるいは大詠師モースは禁じられた譜術で自身の複製を造って交代制で働いている、等々」
「ハハハ……、それはまた突飛なことを言う者もいたのですね」
乾いた声で笑う大詠師モース。少し顔が引き攣っているのはやはり陰で仕事人間と言われているのは多少堪えたのだろうか。
「そう言われる程度にはあなたも無理をしているのですから、休んでもバチは当たりますまい」
「そう、なんでしょうか」
そう言って大詠師モースは何とも言えない表情で視線を落とす。時折、彼はこうして考え込むことがある。それはこうして他愛のない話に興じているときだったり、黙々と仕事をしているときだったりと様々だが、いつもその目が辛そうに歪むのだ。ここではないどこか遠くを見据えて。
「……大絵師モースは今日は導師イオンにお会いしましたか?」
「いえ、まだですが。それが何か?」
「では時間を見つけて導師イオンとお話しされると良いでしょう。お互いに良い息抜きになるでしょうし」
導師イオンと話されているときの彼の目は、少なくとも今よりは辛そうなものではないのだから。という言葉は飲み込んだ。大詠師モースが人知れず抱えている痛みを癒やせるのは今は導師イオンだけなのだろうから。
彼は大詠師になってから、いやなる前からずっとダアトに尽くしてきた。ならば少しくらい報われても良いではないか。そう思ってしまっている私は、中立派などではなく立派な大詠師派なのかもしれない。