この世はクソだが娘は天使だ   作:小森朔

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養蜂の準備と隣人たちとの付き合い方の話。


お久しぶりです。
大変お待たせしました。

もう4月って嘘じゃろ……?


春の風、潮の風

 髪も括らずに潮風にそのまま靡かせる、文字通りの妖精である私の娘は。

 

「ちょっ、う、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっっっ!?」

 

 ──突風に負けて吹き飛ばされかけていた。

 

 

 潮風がぬるくなり、いきなり強い風が吹くことが増える。ようやく、春が来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「アリー、用意はいいかい。全部抱えられそう?」

「うん、大丈夫!」

「無理だと思ったらすぐ言うんだよ。母さんも重たいのはわかってるから」

「もー、心配しすぎだってば」

 

 

 よいしょっ、と掛け声をあげてまとめて巣枠を持ち上げるアルトリア。とはいえ、一息にではないので持ち上げるときには腰を傷めないように、十分に気を付けているから安心して見ていられる。

 

 

 ──春の仕事は多い。冬のうちにできなかったことをひたすらにしなくてはならないからだ。

 なかでも、今日の仕事で大事なのは巣箱の設置だ。今年は暖かくなるのが早かったから、きっともう居着いているだろうと踏んでいた。

 

 だから今日は二人して荷物を持って、今年の巣箱の設置と見回りに出る。

 例年は一人でやっていた仕事。本来なら、私が生まれつき知っていて、ずっと義務として負っていくべきだった仕事だ。とはいえ、妖精國ではそこまで縛られるわけではないのだけれど。それでも、というべきか、だからこそというべきか。私からアルトリアに教えることが必要なことでもあった。

 

 生業なら、もし別に好きに生きられるようになったとき助けになる。そう思うなら、ちょっと面倒でもアルトリアの顔合わせはしておいたほうが都合が良かった。

 

 もしも蜂蜜も果物もクリームも好きに使えたら。きっと、この子は蜂蜜もクリームもたっぷりのパンケーキを食べて、目をキラキラさせて笑うんだろう。

 

 

 

 

 向かうのは、畑の方角だ。

 行かなくては行けない巣箱の場所は数ヶ所あり、その後に巣枠が余ったり、撤去するものがあるなら海の近くにも出ていくことになる。

 

 

「お母さん、蜂妖精ってどんな奴らなの」

「少し虫っぽいかな、でも牙の氏族に似てるね」

 

 

 道すがら、アルトリアが木枠を抱え直しながらそんなことを言った。

 

 

 この子は蜂妖精を見たことがない。だから、当然のといえば当然の疑問だった。言われるまで気づかなかったけれど、初めて見る相手のことは知りたくなるだろう。

 

 でも、答えるのは非常に難しいことだった。便宜上蜂とは呼んでいるが、蜂のようであって蜂ではないものだから説明が難しい。あれはヒト型とも言えるし、牙の氏族にも似ていると言えるし、同時に虫なのだ。

 

 

 女王陛下は虫を嫌う。普通の妖精たちも、毒虫を嫌っている。

 

 だから、比較的近くに残れたのは毒が弱く、虫らしいとは言いにくい妖精であったのだろう。形容が難しいのは、そういう理由なのだと私は思っている。

 ただ、蜂としての機能は確かに有していて、彼らは蜜を集めて花粉と蜜を食む。それは普通の蜂と共通だし、基本的に仕事には忠実で温厚だが、食事以外の働きをしたがらない種類の妖精だ。

 

 

 そんなわけで、あれを口で説明することは困難だった。

 

 

 

「まあ、会えばわかるから」

「ふーん。まあ、嫌なやつじゃなかったら、いっか」

「嫌なやつだったら?」

「火炎瓶で巣ごとぶっ飛ばす」

「……アルトリア・キャスター」

「ごめんなさい! 冗談でも二度と言わないから拳骨は待って!」

 

 

 

 アルトリアは、流せない言葉には(目の前で拳を握ったとはいえ)きちんと気づけるようになったのだから前進しているはずだ。今後は自分で気づいて口に出さないようにできるとなおいいけど、親の私にも難しいし、なかなかできないことだ。手を出さない、というのも。偉そうには言えないなら、ちょっとずつそうなってもらえるようにしていくしかない。

 

 とはいえ、それも今後何も起こらなければ、ではあるのだが。

 

 

 おてんばじゃ済まされない言葉を咎めた後、気まずくなったのか小走りになって斜め前を行ったアルトリアを眺める。

 

 

 たった一冬を越しただけなのに、本当に、大きくなるのが早い。髪も伸びたし、背丈は去年一年で伸びた分と同じくらい高くなった。ぐんぐん伸びるから、私の背丈にもあと二年もあれば届くかもしれない。

 

 それに、体も動かしている分、体力もしっかりと出来てきているようだった。

 今だって重たい巣枠を三つも抱えていて、それでもよろめかず、しっかりと歩くことができている。筋力が付いたのだろう、ものを抱え直すこともあまりなく、疲れを見せている様子もなかった。

 

 

 

 

 そんな様子のアリーと向かった最初の巣箱は、畑から比較的近くにある場所。

 林の中の一角で、周りには獣避けになる野草が自生していた。

 

 

 もともと、彼らは何代か前から巣箱のある辺りに好んで巣を張っていた。とはいえ、とても大変そうだったから、手を出し始めたのである。

 私としても仕事をしたかったこともあって、私が巣箱を作る-彼らは巣箱を使って蜜蝋を提供する、という関係に落ち着いた。けれど、これが本当の蜂に近い姿の妖精だったなら、本来の養蜂の手法での採蜜をすることになっていただろう。

 それは、他の妖精に危害を加えるということでもある。だから、これで良かったとは思っていた。共生関係かと言われれば、怪しいところではある気もするけれど。

 

 

 

 巣箱の側に、真新しい巣枠を一度下ろす。

 私が荷を下ろしたのを見たアルトリアもそれにならって、巣枠が積み上がった。

 

 巣箱の新調はしていない。実をいうと、巣箱は去年新しくしたのだ。まだまだ壊れそうにないし、木材もたくさん必要になるから巣箱の新調はもっと先になる。

 その証拠に、雨風に晒されているとはいえ、巣箱はまだ比較的ピカピカだ。

 

 

 巣箱を観察している間に、荷を下ろす音を聴いた蜂妖精たちが中から何体も出てきてこちらの様子を窺い始めた。

 

 羽音と警戒音が混じった唸り声の合唱が聞こえてくる。

 アルトリアは隣で身を固くしているが、見慣れない相手が居たら警戒するのは当然だから、これは少しずつ慣らしていくしかないだろう。

 

 

「はじめまして、今年の蜂妖精」

《urrrrrrr?》

「アタシはアンタたちの隣人だよ。ほら、そこの巣箱、使うんだろう? あれはアタシが作ったんだ。でも、巣枠だけはもう三年目だからやめときな、途中で壊れるよ。新しいのを作ったから、こっちを使うといい」

《urrr》

《urrrrrrr》

《sorrrrrrr?》

《urrr》

 

 

 彼らは私とアルトリアを見ている。

 

 言葉はわからない。私たちと彼らの言葉は違う。

 だから、牙の氏族の唸りにも似た会話に耳を澄ませる。巣箱にくっついてこちらを眺める彼らの様子をよくよく観察する。

 

 

 中の一匹が、私に近づいてきた。

 令呪のわりに、図体が大きい。新しい群れのリーダーなら、巣枠も巣箱も新設しないといけないだろうか。旧来の主が死んでいなければ、群れが分かれたと見た方がいい。

 

「だから持ってきたのさ。これまではアタシだけだったけど、今年はこの子もいる。何かあれば言いに来な。ティンタジェルの西の端の家。黒い屋根の、白い女の家だよ」

 

 

 じいっと見られている。

 複眼がこちらを向いている。

 見透かすように、値踏みされている。

 

 

《urrr》

《urrr!》

 

 あるものは、納得したように。

 あるものは、まあいいか、と言いたげに。

 

 まずリーダー格の蜂妖精が避け、どんどん巣箱の中から蜂妖精たちが出てきた。

 一体が、特に主が動くとこの手の妖精たちは動きが早い。ありがたいが、敵だったら厄介なことだろう。

 

「……それじゃ、入れ換えをするから、みんな少し出てて頂戴な。すぐ交換しちゃうから、よろしくね」

《urrr》

《urrr. rr》

《urrr!》

「アリー、戸を開けて、そっちから三分の一は入れ替えをお願い」

「わかった!」

 

 

 まずは私が作業するのを見てから、アルトリアも同じように巣枠の入れ替えを始める。

 

 グローブも、もう一枚くらいは布を重ねた方がいい。それか革を使ったものを用意した方がいいのだろう。でも、今日は残念ながらそんなもの無い。

 私は慣れているからいいが、アルトリアが怪我をしたら大変だし、次は用意しよう。

 

 ささくれ立った巣枠に気を付けながら30分もすれば、入れ替え作業は大方終わってしまった。

 

 

 

「もういいよ。今年もよろしくね」

《urrrrrr!》

《urrrr!》

《urrrrrr! urrrrrr!》

 

 

 私の声に、もす、もす、と毛の塊のような蜂たちが巣に潜り込んでいく。

 

 返ってきたのは相変わらず明確に理解はできない、羽音混じりの返答だった。それでも、彼らの態度から基準はクリアしたと思っていいだろう。だいたい春先の彼らはいつもあんな感じではある。

 

 

 

 一匹残らず巣箱に消えると、ふっ、と張り積めていた糸が緩んだような感覚がした。

 

 

 蜂たちはアルトリアを見ても特に興味は無さそうだった。ちら、と見るだけ見てそこまでだったので、本当に予言の子だと気づかないどころか、他の妖精なんぞどうでもいいらしい。

 

 私の引き継ぎだとだけは伝えているから、何かあれば私かどちらかを呼びには来るだろうけど。

 

 なお、相手の値踏みやらの態度に対して、うちの子猪はひっそりとガルガル唸っていた。

 元気で何よりだし、腹を立てて暴れたりせず、巣箱も壊さなかったのでヨシ! 

 

 

 

「お、わった?」

「うん、終わったわよ。お疲れさま、アリー」

 

 

 アルトリアは、少しだけ不思議そうな顔をした。

 ただ、それがすぐ僅かに歪んだのが、不安を煽る。どこか気になることがあったのだろうか。蝶番が緩んでいたとか、巣箱が異様に歪んでいたとか。

 

「じゃ、行きましょ」

「……うん」

 

 何にせよ、思うところはあるのだろう。

 娘は黙って、唇を噛んでいる。

 

 

 

 

 

 

 入れ替えた木枠を担いで、二人で帰り道を行く。

 巣から遠く離れてから、やっとアルトリアが顔を上げた。

 

「も~! アイツらなんなの、こんなに頑張って巣枠作ったのにお礼も無し? 引きこもって寝てばっかで、冬の熊より怠惰で何にもしないじゃん!」

「これ、アリー!」

 

 

 不満は仕方ないとはいえ、最後の一言はいただけなかった。

 

 ──あれは冬眠から目覚めたり、新しく命を得たものたちだ。まだ完全に調子が整ってはいないが、それは彼らのせいではない。生態は責めていいものではないのだ。

 

 他の生き物と比較するなら、ヤマネの方が動いていない。でも、蜂妖精たちにしても、他の生き物にしても、動かない時期というものは冬を越すためには必要なことなのだ。それを怠惰と言うのは、間違っている。

 

 

 

 違うと私が言っても、この子は納得していない。

 それで正解だ。私が言ったことを考えた上で怠惰だと思うなら、それでいい。それが、いい。

 

 

「……お母さん、わたし、ちゃんと成長してる?」

「もちろん。あと二年もしないうちにアタシより背が高くなるでしょうね」

「……うん」

 

 

 ぎゅう、と握りしめられたスカートに皺が寄る。

 うつむいている顔は、伸びた髪がすだれのようにかかって見えづらいけれど、きっとへの字の口をしているのだろう。

 

 不安なのだ、この子は。

 押し付けられた仕事から逃げる方法を知らないから。それに、きっと今はまだ逃げたくないと思っているから。

 

 

 

 アルトリアに向き合って、目線を合わせる。

 まだ、私よりも小さなこの子にとっては、この村が全てだ。世界は遠く、広く、この子をその隅から隅まで走らせるとしても、まだ今ばかりは。

 

 

「アリー。お前なら大丈夫だから、面と向かってバカにされたらぶっ飛ばしてやんな。出来なさそうなら、母さんがやったげる」

 

 私が手を頭に伸ばすと、スカートを掴んでいた手がゆっくりとほどけた。

 怒られると思っていたのだろう。目が真ん丸だ。

 

 

「……でもね、蜂たちのあれは、そうやって命を繋ごうとしていることなの。彼らにとっては、母さんだってどうでもいい相手なのよ」

「……え?」

 

 

 

 ちなみに、この子に令呪がないことについては気づこうが気づくまいが蜂妖精たちは誰も言わないし、私のつぎあてばかりの服にだってなにも思わない。

 というより、令呪についてはそんなもの、あるのが当たり前なのだ。服やら飾りやら毛やらで隠れる者も多いから、無かったところで気づきやしないのである。

 

 まだ妖精紋様が育ちきっていない、魔力が弱いアルトリアは彼らからしたらあまり気にする相手ではないのだろう。ここの蜂妖精たちは、外敵でも自分より弱そうなら気にしたりしない。

 

 ただ、生きていく上で使えるものは多いほうがいい。それだけだ。

 

 

「私たちは、お互いを利用して、お互いの利益に繋げたいから交流しているの。蜂は私たちがトラブルを解決して安心できるから巣箱に居着くし、私たちは巣箱に残った蜜蝋や、分け前の蜂蜜が手に入るから手を貸してる。

 私たちが弱くても強くても、何かあったときにちゃんと手を貸していられるなら、蜂たちにはあんまり関係ないのよ」

「それで、いいの?」

「いいの。仲良くなることもあるし、そうじゃないことだってある。……蜂妖精の寿命はね、あんまり長くないの。蜂蜜は納められるけど、それでも存在税を納められる蜂妖精自体が、群れの中ではかなり少ないのよ」

「っ……じゃあ、」

 

 

 またへの字の口だ。

 

 

 アルトリアは優しい。まだ柔らかい心だ。

 誰だって自分から傷つきたいと思うことはないし、傷つけたくないと思うのも自然なこと。

 

 

「でも、仲良くなるわよ。相性が悪くなければね」

「つらく、ないの」

「つらいわよ。でも、いつ消えるかわからないのは私たちだって同じでしょ。先のことじゃなくて、今、相手を

 見てなくちゃ」

 

 

 交流を持つこと、別れを嫌うこと、好き嫌いは全部別だ。

 

 納得したのか、してないのか。頭を抱えて考えている素振りをしてから、アルトリアは顔を上げた。

 どことなくさっぱりした顔をしているから、たぶんキリがなくて一旦は考えるのをやめたんだろうな。焦って結論付けることでもないのだし。

 

 

「さて、今日はもう片付けね。まだ大雨はなさそうだし、全部一気にやらなくてもいいから。大変だったでしょ」

「うん。思ってたより大変だった……お母さん、本当にこれ、ずっとひとりでやってたの?」

「当たり前さね。誰もやりゃしないんだから」

 

 

 積み上がった木枠を眺める。

 

 今はまだ、使わなかった余り枠の片付けの途中。

 潮風は物も体もボロボロになりやすくするけれど、あんまり人里の近くに置きたくはない。遊んでいて壊されたら作り直しが大変だからだ。雑木林の岬にも近いあたりなら、ほとんど村の住民はやってこないから遊び道具にされることはない。

 

 

 二人で木枠を担ぎ直して、また歩く。

 置き場は、そこまで遠くはない。

 

 

 去年より前の木枠を積んだあたりについて、今年の入れ替え分と、残りのそれを幾分か片付ける。入れ替え分はアルトリアに積み上げてもらった。秋口に使うか使わないか見極めたら、使わない分は薪にしてしまおう。

 

 最後の一枠だよ、とアルトリアに巣枠を渡すと、華奢な腕で、しかししっかりと抱えている。蜂妖精たちのサイズに合わせて作られ、汎人類史の倍近くの大きさのそれを、アルトリアはよろめきながらも、ちゃんと全て重ねることができた。

 

 

 養蜂は一年がかりといっても、他の妖精の住居づくりの手伝いをする、あとの呼び出しやら相談やらなんかは臨時でハウスキーパーをするようなものだ。

 これで、とりあえずは一段落したといえるだろう。

 

 春先の仕事が終われば、あとは時おりの見回りや突発事故の対応などばかり。でもそのあとに都合さえ良ければ蜜蝋がもらえる。ハチミツが得られたときは、献上品としてどこかで消費されていく。

 

 でも、本命は蜜蝋だ。蜜蝋が手に入ればアルトリアの手の荒れが少しは落ち着くだろう。最近はとても荒れてしまっていたから、そろそろどうにかしないと出血するほど割れてしまう。

 

 

 

 ガコ、と積み重ねた巣箱の余り枠から大きな音が立つ。重ねるときにどこかが少しずれていたのだろう。

 彼女の背丈は伸びたし、冬を越すために籠ったときよりも確実に成長している。重たいものだって、前持てなかった大きな壺が運べるようになったから、嬉々として釜で何かを煮る魔術やら薬品やらをやりたがっている。

 正直、食べ物も煮炊きする暖炉でやっていいんだろうかと不安はあるけど、楽しそうだし止めたら癇癪起こしそうだから止めるに止められなくなった。

 

 

「風、気持ちい、いいい~!?」

 

 

 力仕事が終わって跳ね回るアルトリアが、括っていた髪の毛を下ろした途端に、びょう、と大きく吹き始める。

 着地している時だったから、アルトリアは杖を思い切り地面に突き立てて飛ばないように踏ん張っていた。

 

 地面が固くて杖が刺さりきっていないから、ガガガガガッ、と地面が削れて音が立つ。

 それを聞くとちょっと不安になるのだが、そんなに雑な扱いしていいんだろうか。一緒に流れ着いたものだったけど、やたらに頑丈すぎるような気がしないでもない。

 

 あれ、本当にただのトネリコ材なんだろうか。

 

 

 

 

「さ、これで一段落か。アリー、ちょっとお話しようかね」

「え、なに?」

 

 

 

 大きく伸びをしていたアルトリアがそのままビョインと跳び跳ねた。猫かな、猫みたいだな。

 

 訝りつつも私の隣に腰を下ろしたところで、持ってきたお茶を注ぐ。春先の野草茶は、ちょっとだけ香りが違う。私はこれが好きだ。

 

 

「勉強のこと。どう?」

「うん、楽しいよ。冬は暇だったからずっと色々試してみたりできたし」

「そっかそっか。なら、森の奥の雪が溶けたらそっちで色々練習してみるかい?」

「うん! 火薬の魔術ね、絶対に大技完成させてやるつもりだから!」

 

 

 本当にただの話で気が抜けたのだろう。アルトリアは茶を一気に半分ほど飲んで、残りをちびちび啜った。

 でもその目はバスケットに向かっているので、おやつも期待してるだろうな。今日は焼き締めたクッキーだからあんまり甘味はないんだけど。

 

 それから、もうひとつ。

 冬の間考えていたことも、今日の様子を見て気持ちが決まった。

 

 

「マーリン先生だけに教えてもらうのもいいんだけどね、そのうちエクターのとこにも顔見せに行くわよ」

「エクターって、あの、岬の上の工房の?」

「そう。お前は鉄に触っても大丈夫だからね。とはいえ勉強をするのかどうか、弟子にしてもらえるかはお前とエクター次第。よく見極めて、考えなさい」

 

 

 考えていたのは、そのことだった。

 もう岬のエクターのことは知っているし、この子もエクターの妖精嫌いはよく聞いている。同時に、鍛冶仕事についても興味を引かれていた。

 本当は少し早いかと思っていたけど、体がしっかりと出来上がったら大丈夫なはず。

 

 危ないもの、重たいものはあっても、この子はちょっとずつ慣れてきている。

 頼りないと思っていても、すぐに強くなる。慣れて、できるようになる。だから好きなことをしっかりやるのがきっといいだろう。

 

 

「ああ、それと、いくら大丈夫とはいえ素手で鉄は触るんじゃないよ、金属と薬品は手袋つけて扱いなさい」

「わかってるよぉ……」

「で、残念なことにお前はアタシに似ちゃったので、口が悪いです。相手が相手だったらブッ飛ばされかねないからね。口の利き方には気を付けなさいな」

 

 そう、残念なことにアルトリアは口が悪いのである。

 バカじゃないの、ぐらいのことならまだいいけど、口の悪さでトラブルになるのはいただけない。

 

「うぐ……けどマーリンも同じくらい口が悪いよ!?」

「そっちは別。きちんと切り替えられるならいいって話よ。工房、出禁にされたくないでしょうが」

「むー……」

 

 

 そもそも彼、ティンタジェルの妖精じゃないから。その集団で受け入れられていたらそれでいいのである。

 

 マナーと言葉遣いの本があれば教えられるのだろうけど、この辺りじゃなかなか手に入るものでもなし。

 ついでに、私もマーリン氏もアルトリアの前でずっと口が良いわけじゃない。真似をしてしまうのは仕方ないからなんとも言えない。どうしたものか。

 

 

「お母さん、マーリンが言ってたの気にしてる?」

「ん?」

「お母さんのこと、ブラウニーって。あれからちょっと考え事増えたでしょ」

「んー、そんなでもないかな。アルトリアは知ってた?」

「うん。なんとなく」

 

 

 結局、私の種族がわかってた理由は内心とか、そんなところだったんだろう。私が気づいていなかった、ということで終わりだ。

 そうでなかったとしても、もう別に知らなくてもいいことにする。知ったところでろくなことにならないだろうし、アルトリアは先生がいなくなったら楽しくないだろう。

 

 生活の彩りが消えるのは、想像以上に寂しいことだ。食事も睡眠など人間には必要不可欠なものを必ずしも必要ではない妖精にとっては特にそうだと言える。

 

 楽しそうな、我が子。

 制御できないなら、それが危険であると取り上げてしまっても良かったのだろうが今のところうまくできている。マーリンという先生もいる。

 

 

 ならば私がすることは、手放しで楽しんでいられるように時間稼ぎをすること。

 ただでさえ村はなんだかんだ忙しい。ものは壊れるし、潮風は強いし、海の近くの拓けたところでずっと潮風を浴びたらベタベタする。

 

 

 

 それでも、一応ここに生きているのだ。

 

 この子の故郷はここで、親は今のところ私で。それに、アルトリアは暖炉で暖めたチーズトーストが好き。

 だから、今はそれを大事にして、嫌なものからはできるだけ離れて。そうして、生きていけるように。

 

 

 

「マーリン、出てきたらいいのに」

「通信教育だからね、先生も忙しいんじゃない?」

「月謝で妖精バターもチーズも持ってったのに!」

「教えてもらってるんだから文句言わないの」

「むー……」

 

 

 お月謝は当然です。相手の時間をもらって、相手が学んだことを分けてもらっているんだから。

 

 アルトリアもそのあたりはわかっているから、それ以上は文句を言わない。自分の腹に収まらなかったチーズへの未練は残ってるみたいだけど。

 

 

 でも、もう春だ。

 だから、これからもまたチーズを作れば良い。きっと今年は去年よりいい出来になるだろう。なんてったって、アルトリアは仕事のコツをつかむのが上手なのだ。

 

 

 

 ざあざあ吹いていく潮風が、今度はゆったりとアルトリアを髪を遊ばせている。

 

 今年の仕事は、新しいことも出来たらいい。新しい洋服も作ろう。

 きっと、アルトリアには帽子もあった方がいい。私も野良仕事のときに巾で頭を覆うけれど、よく動くこの子には帽子の方がきっと似合う。

 

 

「いつか、みんなでピクニックしたいね」

「きっと、できるわよ」

「うん」

 

 

 

 確かにそうであればどんなに楽しいだろう。

 

 そんな日が早く来たらいい。きっと、アルトリアが望んだならできることだ。いつかは、きっと。

 本当に、本気でそう思ったから口に出して、娘の頭を撫でた。

 

 

 

 ティンタジェルにも、春が来た。

 この春は、いつかアルトリアの思い出にされるだろうか。




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