でもメスガキになってた。
誰もが心に一匹のメスガキを飼っている。
その事に気がついたのは、就職して半年が経ったある日のことだった。
好きで入った業界で、仕事にはやりがいを感じていた。自分の未熟さを知りながらも、着実に経験を積んでいる実感があった。
充足した日々を送っていた俺には、けれども性格に2つの欠点があった。どちらも適度であれば欠点として挙げるほどでもないのだが、俺の場合は少し行き過ぎていた。
ひとつは、自己否定的な性格だ。
謙虚というわけではない。おそらくは、批判的思考が過剰に身に馴染んでしまったのだと思う。
賢者タイムだとか、仕事がうまくいかなくて頭の動きが鈍ってきた頃だとか、そういったときに俺は自分の批判を始める。
なに無駄なことやってんだとか、能力不足だとか、大した才能もない凡人だとか。クソ雑魚SEだの給料泥棒だの自嘲して、果てには生きている価値がないとまで評する。
もちろん、鬱だ死のうと思っているわけではない。本当に無意識レベルでそういうことをやってしまっていて、俺の一部の感情であり、俺が心の底から絶望しているわけではないのだ。
自信満々の人のほうが人生上手く行くだなんてよく聞く話だけれど、俺は俺でこんな面倒な性格をした自分が嫌いじゃなかった。ちょっと穿っているような感じが格好いいと思っていた。
もうひとつの欠点は、熱中しすぎることだ。
これはもうよく理解してもらえると思う。物事に熱中するのは悪いことではない。けれど、熱中するあまり他のことが目に映らなくなって失敗しがちな奴っていると思う。俺はそのタイプだった。
ゲームに熱中して母親に怒られるなんてまだ可愛いもので、免許の本試験で道行く歩行者に気を取られるあまり信号のことが頭から抜けて不合格を出されたことさえある。その後もう一度試験を受けて合格したが、「都内在住なら……なるべく車とは縁のない生活を送ることをお勧めします」と試験官に言われた。
結局ペーパードライバーとして生きている。彼女はできないが、リモートワークのシステムエンジニアにはそもそも外出が必要なかった。ネット通販さえあれば人は生きていけるのだ。
しかし、その性格が祟った。
先輩に「使い物になってきたな」だなんてニカリとした笑顔で言われた俺は、その後任された新しいプロジェクトにそれはもう若さとしか説明できないほどの熱量で取り組んだ。
それでも納期というものは大きな壁で、アジャイル形式*1の開発とはいえ一番最初のリリースは締切間近になって地獄の様相を呈していた。
とにかくバグがなくならない。
想像していたよりも機能面において精度が悪い。
こんなんでは競合他社の製品に負けてしまう。
述べたとおり、俺のプロジェクトへののめり込み具合は並外れていた。
もしかしたら、その時点で終わらせていてもそれなりの評価はもらえたのかもしれない。類似の製品と比べて唯一抜きん出ているとまではいかなくても、長所と短所がうまいことトレードオフになった、横並びの存在として認知されたのかもしれない。
ただ、短所がある時点で俺のひとつ目の性格が許さなかった。
ふたつ目の性格が、食わず寝ずでの開発を可能にさせた。
──ダメ人間。
任せられたことひとつ全うできない。
無能、凡人。
好きで上手くならないなら単なる下手の横好き。
クソ雑魚エンジニア。
一生アボート*2されてる♡
他のことの時間削っても大して成果出せない。
PCスペックの無駄遣い♡
他の家ならマイニングさせてもらえてるはずのPCに詫びろ詫びろ♡
あ……? なんか変なの混じってたか……?
とにかく疲れていて、自分の脳内の統合なんてやってられなかったし、普段無意識でやっていることがまるで別の人格のように俺を批判し続けた。
別の人格というのは不正確か。俺には違いないのだが、自分にこんな一面があったことは知らなかった。
視界カスカス♡ 人格もカス♡
それだけ頑張っても給料うっすい♡
うるせえな、と思うものの否定しきれない罵倒は、自分自身だからこその鋭さがあった。
だから、ふらつく体と薄れゆく視界の中、心臓の不規則な拍動を聞きながら寝ぼけたことを思い浮かべたのだ。
──ああ、人ってのは心ン中にメスガキがいるんだな。
椅子から落ちる体を、もはや認識できずに。
久しぶりに自然な目覚め方をした。
ゲーミングチェアの上で体育座りをして15分程度瞑想を取る眠り方ばかりしていたから、起きたときに体が横たわっていて、更にはそれがベッドらしいと気づいた瞬間、大声を上げて飛び起きた。
「あ゛゛!! 納期!!!」
寝ぼけ眼で白もやのかかっていた視界は一瞬で晴れた。
眠ったおかげか頭の回転もいくらかマシになっている。だからこそ、納期が死ぬという最重要事項が一気に浮かんできた。
「……あれ?」
2つ、違和感があった。
ひとつ。部屋が自室でない。病院とかでもないから搬送はない。
違う。よく見ればそこは、小学校高学年になって俺が与えられた部屋だった。
ふたつ。視点が低い。声が高い。ハスキーだとかテノールだとか、そういう次元でない。そうして視線を下に向けると、女児向けの服装をしている。
一応ここまでで説明したか定かでないから明言しておくと、俺は男だ。性的指向も、自己認識における性も、おそらくは日本で一番多いタイプの男だ。
不思議と、落ち着いていた。諦めに近い何かがあったのだろう。
俺にとっては納期に追われている瞬間の方が焦燥を感じられたから、溜息を付いて後頭部を掻き(サラッとした髪の毛に一瞬ビビった)、カレンダーにちらりと視線を送りながら棚の横に掛けられた鏡を手に取った。
立派なメスガキがそこにいた。
日付はきっかり俺が小6の頃だった。
──ああ、特殊なタイプの走馬灯か。
そう結論づけた。
正直言って、ベッドで目が覚めた時点で緊急搬送された可能性を覚悟していた。居場所が病院であることかどうかよりも納期が大事だっただけで。
命を削っているという感覚はあったのだ。それでもやりたいことがあった。俺は俺の意思で生きて、その結果死んだ。老衰ではないが、こういう死に方だってひとつの在り方ではないだろうか。
とまあ、一瞬開き直って、いやでも仕事渡して死なれた上司とか困るよなぁ……と申し訳無さにも襲われる。後悔先に立たず。皆は程々にな、という言葉は出てくるが、誰だって熱中してしまえば俺の言葉は届かなくなるだろう。
だから、後悔ではないのか。あくまで「申し訳無さ」だ。
「なんかこう、概念としてのメスガキだ……」
そしてまぁ見た目がメスガキというのは、意識が飛ぶ間際に変なこと考えていたからだろう。夢とかも直前まで考えてたことが内容に出てきたりするし。
俺が一言でメスガキと評したことについてだが、別に俺の性的嗜好がそっちに偏っているからではない。イラスト投稿サイトとかでたまに目にするような、可愛くて、でもどこか挑発的な表情で、チョロそうな、謎の概念的存在。それが鏡に映っていたのだ。
一度二次元文化に染まってしまうと、現実でメスガキなどというものに遭遇したこともないのに概念として理解してしまう。もはやミーム汚染だろそれ。
「しかし、走馬灯ってこんなゆっくりしたものなんだな」
俺のイメージでは過去の光景が入れ替わりに流れていくものだったのだが、この走馬灯はかなり現実感があるし、行動の自由も利く。おそらくは記憶から再現されているのだろうが、ここまで自分の脳内に子供の頃の部屋の記憶が残っているのだって驚きだ。無意識というのは奥が深い。
どこまで再現されているのだろうと部屋を出て、階段を降りる。我が家は二階建てで、風呂場やリビングは一階にある。
リビングに入ると、ソファに座った父親が書籍を読んでいる。
漫画だとか難しそうな本だとか色々入り混じっていて、今日はああしてゆっくり過ごすつもりなのだろう。俺のよく知る父親の姿だった。
年を取ってかなり物静かになったが、この頃の父親はかなりウザいやつだった。成人して分かったが、結婚して子供を持った父親とは言えまだまだ中身はガキなのだ。
何がウザいって、いちいち一言多いし、自分の価値観を押し付けてくる。生活を縛られるほどの押しつけではなかったが、何かと口出ししてくるところが嫌いだった。
「お、起きたんか。ちょっと朝遅くなってるんじゃないか? もうじき中学生だからって、生活リズムを崩すなよ」
「…………うっさい」
父親は走馬灯の中でも相変わらずのようであった。
昔は特に理由もなく(大人の男というだけで理由にはなるが)怖がっていたが、子供も大人もあまり違わないのだと気付いた今となっては恐れる理由がなかった。そのせいか、意図せず心のなかで思ったことがそのまま口に出る。
俺が少女であることに驚くだとか、そういうことはないようだった。
まあ走馬灯に期待する話でもない。
その代わり、普段なら絶対に言われないような罵声を自分の子供から浴びせられて、まず理解できないと言った風にぽかんとし、その後段々と思考が追いついたのか、顔を赤くして眉を吊り上げた。
「……な、な、な、……むっ、娘が父親っ、大人に向かってっ、うっさいだと!?」
「いやマジでうるさ……キレすぎでしょ?」
「それがっ、親に対する態度か!!」
大人っていう言葉に縋ってるガキなんだろうなと思えた。
我が父親ながら、しょうもない人間だなと冷静に観察していた。
身体に引っ張られたのか、煽り性能極振りみたいな言葉遣いで口が滑った。
「だって別に大して稼いでもないじゃん♡」
正直、俺が自分の子供にそんな事言われたら手が出ると思う。
そこは流石は人の親と言うべきか、父親は拳をきつく握りしめながらも振るうことはなく、しかし怒りの上限は越えているようで過呼吸気味に震えていた。
その姿に、俺の中のメスガキがゾクゾクと身を震わせた。
情けない大人が、子供相手に本気になってキレている。
浮かれた身体は、嫌なくらい流暢に煽り文句を紡ごうとする。
「あれ、言い返せないの? 情けなぁい♡ 薄給♡ うすうす♡ 髪もうすうす♡ 将来ちゃんとハゲてるぞ♡」
死んだ身としては関係ないが、少し俺自身の未来を恐れてしまったレベルで父親はちゃんとハゲる。よくある悪口ではない。俺は事実を述べているのだ。優しく慈悲をもって未来を教えてあげているのだ。
「はっ、ハゲるわけねぇだろ! ねぇだろ……」
「育毛のCMになるとテレビ消してるのバレバレ♡ 気にしすぎ♡ そんなんだからすぐハゲる♡」
「ぐっ……」
怒りよりも髪への恐怖が勝ってきたらしい。段々と顔の色が赤から青になる父親に、それはどうなんだと息子(娘)として言いたくなってくる。
「娘に言い負かされて恥ずかしくないの? もしかして小学生以下? あ、未満か♡ よちよち、かわいいでちゅね♡」
「お前……っ!」
「きゃあこわーい♡ 拳骨握りしめて、殴るんだ? 最低♡ 口で負けてすぐに手が出る♡ 人間の屑♡」
そろそろぶっ飛ばされるかなと思った。
けれど、不思議とスカッとした。子供の頃は納得いかなくても上手く言葉にできなかったけれど、その時感じた理不尽を仕返しできているような気分だ。
「運動音痴♡ 足おそい♡ むしろギックリ腰になるから走れない♡」
「この……! 大人が運動不足だからって舐めやがって……!」
個人的に一番名状しがたい感情に囚われたのが、小学校の運動会におけるパパさんリレーだ。
それまでは気付いていなかったが、俺は父親とキャッチボールをしたり、サッカーの練習をしたりするような機会がなかった。公園に連れて行っても、ひとり駆け回る俺を眺めていた。俺の父親は運動が苦手だった。
周りには、今でも週二でフットサルに行くような父親を持つ子供がいた。その子自身もサッカークラブに入っていて、女の子からの人気もあった。
そんなわけで、当然だが俺の父親はパパさんリレーで情けない結果を残した。そのときに言い残した言葉が、「やっぱこういうのはできる人だけやってればいいよな」という負け惜しみだ。
その時は感情の名前が分からなくて、凄い嫌な気持ちになったという記憶だけ残った。
今にして思えば、俺は失望したのだ。なんてみっともない人間なんだろう、俺はこの人の血を受け継いでいるのか、と。
「低学歴♡ 就活ちゃんと拾ってもらえたのか♡ 学歴コンプ♡」
「なっ、おまっ、それを言ったら戦争だろうが! くそっ、くそっ」
そして、運動ができないからと言って勉強ができるわけでもなかった。
言うほど低学歴というわけではない。高校まではそれなりで、高校で部活にかまけていたら、大学受験でその高校からはかなり水準の下がった大学に入ったそうだ。
だからこそ周りとの差異が気になったのだろう。子供の俺に耳にタコができるほど「良い大学に行けよ」と言ってきた。俺が高校生になる頃には学歴だけが全てじゃないという考え方も普及していて、この時期は本当に父親と口を利かなかった。
「低身長♡ 加齢臭くさい♡ 卒業式だけカッコつけてくる♡」
「いや平均身長越してるがっ……て、ん? そつ?」
本当に、褒められるところなんてほとんどなくて、友達に自慢なんて絶対にできないようなクソみたいな父親だ。
見栄っ張りで、でも普段見栄なんて気にしてないから、張ろうとしてもどこかズレた感じになってしまうクソダサおじさんだ。
「パスタを音立てて啜る♡ たいして役に立たないのに将来のアドバイスしてくる♡ 嫌なことあったらすぐにお酒勧める♡」
本当にお節介焼きで、不器用なくせに勘ばかり鋭くて、酒カスかって呆れるくらい何でも酒で流そうとする。
俺が初めての彼女と別れた日は、何も聞こうとしないくせに馬鹿みたいに強い酒を勧めてきて、勝手に自分の学生の頃の話をし始めた。
「母さんのこと好きすぎてキモい♡ すぐ頭撫でてくんのムカつく♡ でも、好き……♡」
「……」
俺は何も返せやしなかった。あの人に。あなたに。
愛されていた。気付いていた。自然と伝わると思っていた。
体が動かないならわざわざリレーになんて参加するな。
息子の友達にカッコつけたいならダサいパパファッションからやめろ。
耳を塞いだ息子に助言なんてしなくていい。見守るだけでも親の勤めは果たしているだろう。
成人したてのガキに焼酎なんて飲ませるんじゃない。
「好き♡ 好き♡ 好き……♡」
嗚咽混じりで後半は言葉になっていたか分からない。
後悔はなく、申し訳無さだけだなんて嘘だ。
こんな言葉で本当に伝えたいことが伝わるだなんて思わない。
本当に伝えたい人に伝えられてすらいない。
「愛してる♡ 生んでくれて、ありがとう……♡ 直接伝えられなくてごめんなさい……♡ ちゃんと生きられなくて、ごめ、なさい……っ♡」
「……聞こえてるよ。伝わってる」
伝わんないよ、あなたには。
もうそこにいないんだから。
そう口にしたけれど、もう涙と鼻水でぐずぐずで、何一つ言葉にはならなかった。
懐かしい温度に抱きしめられて、余計に慟哭が溢れた。
流した汚いもの全部が、父さんのダサいポロシャツに染みていった。
それでも離れようとしない温もりに、いつの間にか俺は寝息を立てていた。
「んみゃ……」
「おお、起きた? なんとか本は読めるんだけど流石に腕の感覚無くなってきたから降りてもらっていい?」
「はゃ……?」
ぼんやりと目を覚ますと、澄ました顔の父親が眼の前にいた。
俺はと言えば、間抜けな寝顔を晒したままその腕の中で眠りこけていたらしい。
「……ずっと寝顔見てたの!? バカ! 変態っ♡ キモすぎっ♡」
「いやだから本読んでたって」
ところで、最近の走馬灯って、一眠りできるの?
「名状しがたい感情♡ でも、大好き……♡」
疲れていたので書きました。三時間でした。
小説はオナニーだから出したら少しスッキリした。
こんなん連載したら精神崩壊するので続きはありません。
近い内にもう少しちゃんとした作品を出すのでそっちを読んで下さい。
あとは皆さんも心の中のメスガキを作品として投稿してくれればそれで。