今さら謝って泣きついてきてももう遅い! 私は”真実の愛”に目覚めたの!! これからは彼とともに幸せな人生を歩む!!!   作:スポポポーイ

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多くの感想や評価をいただき、本当にありがとうございました!

か、書かなきゃ……!(強迫観念)

という訳で、後日談的なおまけです。
但し、ヒロイン君(昴くん)視点の話になりますので、ヒロインちゃんの限界化とか二人のいちゃラブとかだだ甘な展開を期待している人はブラウザバック奨励です。

多分、求められているのはこういうこっちゃないんだろうなとは思いつつ、書き上がったらこんな風になっちゃったので、ゆ、許して……(震え声)

無駄にダラダラと長いので、本当に暇な人だけ読めば良いと思います(逃げ腰)


おまけ:タワーマンション ~ カノジョとオレと、時々、木下家 ~

 

 新築の高級タワーマンションと比べてしまうと何ともしがない我が家に、彼女の男前すぎる宣言が轟いた。

 

 

「結婚を前提に同棲させてください」

 

 

 キョトンとする両親。

 頭を抱える俺。

 ご機嫌でニッコニコの彼女。

 

「……だから、色々とすっ飛ばし過ぎというか、ぶっ飛び過ぎだってば」

「あ、そうですよね。私としたことが、まだ自己紹介もしていませんでした」

 

 溜息交じりにぼやく俺の言葉に、彼女────西園寺(さいおんじ)美琴(みこと)は誰もが見惚れるようなテヘペロを披露すると、居住まいを正して俺の両親へと頭を下げる。

 

「はじめまして。この度、(すばる)くんとお付き合いさせていただくことになりました西園寺美琴と申します」

「ど、どうも……スバルの父です」

「は、母です」

 

 彼女の自己紹介に、戸惑い気味ながらも素直に頷き返してくれる両親。

 ははっ……、どうしてだろう。なんだか両親に対して無性に申し訳ないという思いが募ってしょうがない。

 

 言うなれば、外敵のいない平穏な世界に住まうグッピーの水槽に、獰猛なザリガニを解き放つに等しい行為。間違いなく鬼畜の所業。『ザリガニ天国』俺の脳裏にはそんな天国名がうかんだ。

 ちなみに、何も知らずに首を傾げている両親がグッピーで、内に秘めた天然由来の獰猛性を隠したまま澄まし顔をしている美琴がザリガニである。

 

「本日は昴くんの御両親にご挨拶と、折り入ってご相談があって参りました」

「それはご丁寧に……。それで相談とは……?」

 

 如何にも品行方正なお嬢様然とした態度で話を進める美琴。

 

 父さんはそんな彼女に対して穏やかに対応しながらも、どこか困惑したような、驚愕したような視線をこちらに寄越す。

 まぁ、気持ちはよく分かる。だって俺が父さんの立場で、突然、自分の冴えない息子が如何にも育ちの良さそうな家の子を彼女として連れてきたら、めっちゃ戸惑うもの。絶対、雰囲気に呑まれて気品に圧倒されて年齢差も忘れて年下相手に下手にでちゃうまである。

 

 但し、母さんだけは女の勘というか、母親の為せる業というのか、開幕初手同棲宣言をかました女のインパクトを忘れていなかったらしく、彼女に訝しそうな眼差しを向けていた。

 

 

「昴くんは私が必ず幸せに養ってみせますので、どうか息子さんを私にください!」

 

 

 そして、母の警戒は正しい。

 この子、ちょっとヤバいんですよ……。

 

 綺麗に三つ指をついて頭を下げる美琴の隣で、俺は再び頭を抱えた。

 

「昴、説明」

「はい……」

 

 スッと目を細めた母が、俺に事情を説明しろと端的に告げる。

 ですよねーと項垂れながら、俺は力なく頷き、どうやって説明したものかと今日ここに至るまでの経緯を振り返るのだった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 学園のトップカースト連中が文化祭で婚約破棄イベントを繰り広げたと思ったらタワマンに連行されていたでござる。

 

 我ながら流されやすい性格だと思う。

 意志薄弱だと罵ってくれても構わない。

 

 そもそも、突然教室で迫られて、それにすんなり応じてしまっている時点で俺のダメさ加減がわかるというもの。

 

 ……次から俺は、どの面下げて学園に通えば良いんだろう。

 

 

 いや、それよりも──────

 

 

「ここがバスルームで、トイレはこちらです。キッチンは基本的に私しか使わないと思って、勝手ながら私が使い易いように整えてしまいましたが、もし希望があれば仰ってください。あ、リビングにあるゲーム機などは自由に使ってもらって大丈夫ですよ。アナタが好きなタイトルは一通り揃えてありますが、他のモノが欲しくなったら遠慮なく言ってください。即日で用意しますから。その代わりと言ってはなんですが、この手前の部屋は私の私室兼仕事部屋になりますので、その……は、恥ずかしいので…なるべく立ち入らないでくださいね。で、ででででも、アナタに隠し事をしている訳ではないんです! なので、その…気になるなら……覗いても良いですよ? そ、それでですね。この隣の部屋が二人の寝室…ふた…り…の……しん…しつ………っ…あはぁ♡ …………ハッ!? いけないいけない。ごめんなさい。ちょっと『二人の寝室』っていうワードが余りにも魅力的でイマジネーションがウェディングナイトでパーリィナイトしてしまいました。……ふぅ。これで私たちの新居の説明は大体終わり……ああ、そうでした。こちらの奥の部屋はあまり気にしないでください。万が一の介護部屋ですので。…………大丈夫です。きっと必要ないと私は信じていますから」

 

 

 ──俺、ここから五体満足で帰ることが出来るんだろうか。

 

 

 何はともあれ、だ。

 未だに二人揃って文化祭の衣装のままっていうのもどうかと思うので、とりあえず着替えたいです。

 

「あの、そう言えば制服とか荷物を学園に置きっぱなしなんだけど、どうすれば……」

「あ、それならここに!」

「……いつの間に? というか、さっきまで俺と同じく手ぶらだったよね?」

「うふふ……。乙女の嗜みです」

 

 乙女の嗜みってすごい(小並感)。

 

「そ、それじゃ……制服に着替えるね。いつまでも犬耳と尻尾を付けっぱなしっていうのも──」

「それをっ はずすなんてっ とんでもないっ」

 

 いい加減、頭上とお尻の先でゆっさゆっさと鬱陶しい犬耳と尻尾を外そうと手を伸ばしたら、食い気味で制してきた西園寺美琴によって俺の手足は手錠で拘束されていた。

 な…、何を言っているのかわからねーと思うが、というお決まりな常套句でボケる気力もない。いやだって、本当にわからないんだもん。本能が理解することを拒否している。

 

「あっ、ごめんなさい。その、つい……」

「はは、そうか。つい、かぁ……」

 

 美琴は()()で、こちらの動体視力を超える速度で手枷を嵌めることが出来るのか。なるほどな~、え? どゆこと?

 

「さすがに手錠はちょっと……」

「そ、そうですよね。失礼しました。やだ、私ったらはしたない」

 

 はしたないって、そういう問題かな?

 …………よくよく考えたら色々と今さらだった。なら問題ないね(遠い目)。

 

「すぐに外しますねっ」

「あ、うん。お願いします」

 

 そう言って彼女は何処からともなく手錠の鍵を取り出すと、それを握りしめて鍵穴へと挿し込むのだが……そこで彼女は固まってしまった。

 俺がどうしたのだろうかと美琴の様子をしげしげと観察していると、おずおずといった風に顔を上げた彼女がうるうると涙目で訴えてくる。

 

「あ、あの……。手錠外しますから、せめて今日一日だけでも、その…犬耳と尻尾を付けたままで……いてくれませんか?」

「…………ヨロコンデー」

 

 どうも、意思の弱さに定評のある俺です。

 

 ……涙目上目遣いの使いどころ間違ってないかなぁ。

 美少女キャラの無駄遣いはズルいと思うんだ。もっと自重して。このままじゃ身が持たないから。主に俺が。

 

 あと、さらっと言われて流しちゃったけど、今日一日ってことはもう泊まるの確定なんですね。

 いや、ここに連れて来られたときから薄々は感づいてたけど。とりあえず、親には友達の家にでも泊まるとでも連絡しておくか……。

 

「そうだ。私、まだお茶もお出してないですよね。すぐに準備してきますので、リビングのソファにでも座って待っていてください」

 

 ぱんっと両手を叩いた美琴が、華やぐような笑みを浮かべながらふんふんと鼻歌まじりに、意外にも下手くそなリズムのスキップでルルンタッタッタンとキッチンに消えていく。なにそのリズムの刻み方、斬新!

 そして、その場に残された俺も言われた通りリビングに向かう……前に、ふとした好奇心から彼女の私室の扉を開けて、チラッと中を覗いてみた。

 

「……うわぁい」

 

 俺はそっと部屋の扉を閉じた。そっ閉じだ。ブラウザバック奨励。

 いやね、よく創作の世界なんかだと、ヤンデレとかストーカーキャラの部屋って隠し撮り写真が部屋一面にびっしり貼られてるとかあるじゃん? ちょっと怖いもの見たさというか、そういうものを想定して覗き見たんだけど……あれだ。所詮、空想は空想なんだなって。やっぱ、リアルってハンパないわ。

 

 結論から言って、俺の写真は無かった。

 その代わり、あったのは彼女の自作らしい作品の数々。

 

 

 ・ベッドに溢れかえるデフォルメされた俺のぬいぐるみ ←わかる

 ・写真と見間違うほど写実性のくっそ高い俺の肖像画 ←まぁ、わかる

 ・俺を模したであろう石膏彫刻(全身1/1スケール) ←わからない

 ・某東洋な工業もビックリな俺そっくりのラブドール(全裸) ←???

 

 

 おわかりいただけただろうか?

 

 『好奇心は猫を殺す』

 『事実は小説よりも奇なり』

 

 そんな言葉の神髄を垣間見た気分だった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 俺は今、何事もなかったかのように平然と大人しくリビングのソファで寛いでいる。

 

 え、奥の介護部屋は確認しないのかって?

 

 ……俺は学んだ。

 世の中には、知らずに済むなら知らなくて良いことだってあるんだって。

 

 ほら、みんな大好きシュレーディンガーさんちのお猫様と同じだ。

 部屋の中を改めない限りは、そこが誰の何のための介護部屋なのか確定しない云々的な話。正直、言葉の活用法として正しいのか自信ないけども。所詮、知ったかのにわか知識です。

 

 そんな風に現実から目を背けて逃避していたら、美琴がトレーにティーポットやカップを載せて戻ってきた。

 

「紅茶は無糖でよかったですよね?」

「うん、ありがとう」

 

 彼女が当然のように俺の好みを把握していることについては、最早ツッコミを入れるのは野暮というものだろう。

 ただ、何というか、こう……貴族令嬢的なドレス姿の美琴に給仕をさせているという状況に違和感がすごい。この部屋の現代的な家具デザインとのミスマッチも違和感に拍車をかけている要因かもしれないけど。まぁ、呑気に犬耳と尻尾を生やしているマヌケな俺が言っても説得力皆無なんですけどね。わんわん。

 

 紅茶美味しいワン。

 

 流石と言うべきか、彼女の淹れてくれた紅茶はド素人な自分でもハッキリと分かるほど美味しいものだった。

 やだ、俺ってばあっという間に餌付けされちゃってる。こういう紅茶とかコーヒーの味の違いって、てっきり通ぶってる人が適当に言っているだけだと思っていたけど、本当に良し悪しってあるんだね。舌が肥えてしまって市販のペットボトルな紅茶に戻れなくなったらどうしよう。

 

「……ところで」

「どうかしましたか?」

「そのゴツイ一眼レフカメラはなに?」

「……乙女の嗜みです♡」

 

 乙女の嗜みってすごい(便利)。

 

「昨日、クラスの女子たちと写真を撮っていたでしょう? 実は私……あれが羨ましくて」

「あ、ああ……。なるほどね」

「だから、せっかくなので私も記念に一〇〇枚ほどよろしいでしょうか?」

「うん、わかっ…………んんっ?!」

 

 いや待って? ちょっと撮影枚数バグってない? ……うわぁい、すっごいキラキラした瞳でニッコニコしてらっしゃる。

 

 この子、これ本気だわ……。

 

「あとですね、犬耳と、その……頭も撫でさせて欲しいです」

「う、うん」

「もちろん、尻尾も。余すところなく」

「アッハイ」

 

 あ、あれ? おかしいな……。

 さっきまで煌めいていた彼女の瞳が、急速に欲望に溺れて濁っていくような気がするぞ。気のせいかな……?

 

 

「…………んふふ♡」

 

 

 このあと滅茶苦茶撫で回された。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 自分のスマートフォンを取り出し、俺は言った。

 

「頼みがある」

「なんでしょうか?」

「せめて、今日は友人宅に泊まると家に連絡を入れても良い? 無断外泊は両親が心配すると思うから」

「えぇ、もちろんです。ご家族の方を心配させる訳にはいきませんものね」

 

 意外にも彼女は二つ返事で了承してくれたので、さっそく電話を掛けようとスマートフォンのスリープを解除したのだが……。

 

「……西園寺さんや」

「美琴」

「…………美琴さんや」

「美琴」

「………………美琴」

「はい! なんですか?」

 

 花が咲くような笑顔で返事をしてくれる西園寺美琴に、俺はすっと手に持ったスマートフォンの画面を突き付けて問いかけた。

 

「電波が圏外なんだが、心当たりは?」

「……少々お待ちください」

 

 彼女は一切表情を崩すことなく、澄まし顔をして席を立つと私室へと引っ込み、数分もかからずして戻ってきた。

 

「これでどうですか?」

「……復活した」

「申し訳ございません。ジャミング用の妨害電波を停止させるのを忘れておりました」

 

「……」

「……」

 

「理由を訊ねても?」

「せっかくアナタと二人きりなのに、無粋な横槍に邪魔されたくはありませんから」

 

 清々しいまでに爽やかな笑顔で、彼女はとても利己的な理由を教えてくれた。

 

「とりあえず、電話しちゃうわ」

「どうぞどうぞ」

 

 俺は家に電話して当たり障りのない内容でアリバイ工作を施し、通話を切る。

 

「では、元に戻してきますね。また電話したくなったら遠慮なく声を掛けてください」

 

 そういう装置って、映画の中だけじゃなくて現実にも存在するんだね。勉強になりました。

 でも、その装置ってたぶん電波法違反だと思うから、ご利用は計画的にね? というか控えて? 普通にご近所迷惑!

 

 

 このあと滅茶苦茶説得した。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 リビングのソファで向かい合って座る俺に、西園寺美琴はいつになく真剣な顔つきで口を開いた。

 

「お願いがあります」

「……内容による」

 

 色々とぶっ飛んでいる所が多い彼女だが、意外なことに、大抵の場合はこちらを尊重して御伺いを立ててくれる。立ててくれない事もままあるけれど。

 まぁ、その御伺いを断った場合、俺にどんな末路が待っているのかまったくもって不明なんだけどね。……介護部屋? 知らない子ですね。

 

「その、ですね……」

 

 緊張しているのか、彼女は不安を押し殺すように、膝の上に乗せた両の拳をギュッと握る。

 顔を真っ赤に染めて、もじもじと羞恥に悶えながら、それでも美琴は溢れる思いの丈をぶつけるように、訥々と声を絞り出した。

 

「アナタを、な、な……」

「な?」

「っ……! な、ななな…なま……で」

 

 なま? ……生?

 アナタを、生で?

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 それって────カニバリズ…

 

 

「アナタを名前で呼んでも、いいですかっ!?」

「もちろんOKだよ。うんうん、まったく問題ないね。どんとこーい」

 

 よかった。本当によかった。

 うん、汚れてたのは俺の心の方だったね。……浄化しなきゃ(使命感)。

 

「でも、どうして突然? なんか意外というか、今さらというか……」

「そ、そのですね! あの、うぅ……。誠に遺憾ながら、本当に不本意なのですが、抗いようのない現実の前に、私はまだ…ぐっ……ぐぬぬ……アナタと、結婚することが、できま…っ……せんっ!」

「そうだね。法の壁は分厚いもんね」

 

 民法第七三一条は偉大なり。

 ちなみに二〇一八年に条文が改正されたため、あと数年もしないうちに婚姻適齢が男女ともに一八歳へ統一されるらしい。いま調べました。

 

「はじめは”アナタ”という呼称も新婚さん気分が味わえて良いかなって思ったんです。もう事実婚みたいなものですし、こういう積み重ねが大事だとも思いましたから」

 

 人、それを『既成事実化』と言う。

 

「でも、段々とこう……まだ結婚できないという事実を突き付けられているように感じてしまって、それがなんだか切なくて、苦しくて……」

 

 目尻に滲んだ涙を隠すように、彼女は俯き、そっと両手で自分の顔を覆う。

 

 

「ですが、ふと思ったんです。名前呼びも、恋人気分が味わえて尊いなって……!」

 

 

 いつの間にか、顔を覆っていた両手を頬に当てて身悶えながら、だらしなく緩んだ顔でトリップしている西園寺美琴がそこに居た。……そういうとこだぞ。

 

「なので! 今から私は、アナタを名前で呼びます!!」

 

 フンスッと意気込んで、美琴が胸の前で両の拳を握って気合を入れている。

 ……なにその仕草かわいい。もう一回やって。

 

「っ……。では、な、ななな名前で…呼ばせて、いただきます」

「どうぞ」

 

 さぁ、来い。

 

「……」

「……」

 

 おーい?

 

「す…す………っ…すばる……くん!」

 

 どうも、昴くんです。

 

「えへ……すばる…スバル……昴くん。えへへ」

 

 あ、待って。ちょっと待って。これダメだ。思ってたより破壊力がヤバいやつだった。

 

「昴くん……!」

「な、なんですか……?」

「んーん、呼んでみただけ♪」

 

 やめて! どこぞの煽りAAみたいなことするのヤメて!

 その幸せそうな顔が眩し過ぎて直視できないから!! 浄化されちゃう!!!

 

 

「昴くん、えへへ……。昴くん…スバル………しゅばる……んへ、うへへへ……しゅばりゅきゅん」

 

 

 だから、そういうとこだぞ!

 

 

 

 このあと滅茶苦茶名前呼ばれた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 美味しいはずなのに、まったくもって味が感じられないという筆舌に尽くしがたい夕飯をなんとか致命傷でくぐり抜け、これまた柔らかい以外の思考が一切合切奪われたお風呂タイムを瀕死になって生還した俺。

 

 そして現在、夜が更けました。

 

 異性同士、密室、初夜。何も起きないはずがなく……。

 

「もうこんな時間ですね。そろそろ寝室に行きましょうか」

 

 当然のように俺の膝の上で丸くなっていた美琴が、ふと壁掛け時計を見上げて呟いた。

 

「……そっか。なら俺はこのソファ借りるから」

「そうですか? それなら、このまま一緒に横になりましょう」

 

 だよね、知ってた。

 

「いやいや、家主の美琴は寝室でゆっくり休んで? 俺はここで十分だから。それにほら、このソファじゃ二人で眠るには狭いし……」

「いえ、お構いなく。私の事はマットレスだとでも思って気にしないでください」

 

 気にする。気にするから。めっちゃ気にするよ。

 そのマットレスって低反発なの? それとも高反発なの? どっちなの!?

 

「はぁ……」

 

 いや、わかってる。わかってるよ。

 自分がヘタレでフヌケでマヌケだってことくらい。

 

 

 流されるままに受け入れて、ここまで来てしまった。

 彼女に手を引かれて、捕まえられて、俺はこれ幸いと便乗しただけだ。

 

 けれど、このまま彼女の好意に甘え続けて、溺れることだけはしてはいけないと、そんなことは馬鹿な俺でも解る。

 

 ケジメを付けるべきだ。

 彼女の好意にも、自分の気持ちにも。

 

 ただ流されるのではなく、ただ受け入れるのでもなく、あのとき自分で後悔しないようにと選んだのなら、その選択をキチンと言葉にして伝えるべきだ。

 

 

 ────俺は弱い。

 意思が弱い、意気地がない、勇気もない。すぐ何かに感化されて影響を受けるのも、確固たる自分が無いからだ。

 

 

 このまま場の空気に流されて、有耶無耶のまま一線を超えてしまえば、きっといつか後悔する日がやってくる。

 それはおそらく、俺にとって致命傷だ。抱いた好意が罪悪感で塗り潰されて、手を伸ばした感情が悔恨の情に上書きされて、何もかもが破綻する……そんな悪夢のような最低最悪の未来。

 

 分水嶺は、ここだ。

 

「……昴くん?」

 

 俺の膝の上で甘く微笑む彼女をそっと起こして、ソファの上で一人分の距離を取った。

 彼女の揺れる瞳に、戸惑いが浮かぶ。小刻みに震える肢体に、怯えが視える。

 

西()()()()()

「……美琴」

 

「西園寺さん、話がある」

「…………美琴!」

 

「……西園寺さん」

「………………やだぁ」

 

 彼女の頬を伝う涙に、慌てて手を伸ばしそうになって、それを下唇を噛みしめて必死に堪える。

 

 今やるべきことは、それじゃない。

 いくらこぼれる涙を拭っても、頭を撫でて慰めても、それは一時的なものでしかないのだから。

 

 いま彼女を泣かしているのは、俺だ。

 呼び名を変えただけで不安に押し潰されて泣いてしまうほど、彼女を弱くしているのは、俺が受け入れるだけで彼女に何も与えていないことの証左だ。

 

 だから、ここから始めないといけない。

 

 

 あの日の続きを────。

 

 

 彼女が今日まで必死に走って、足掻いて、手繰り寄せてくれたバトンを、今度は俺がしっかりと受け継いで走るべきだ。

 

 

「……痛かった」

「ふぇ……?」

 

 

 俺の言葉が余程意外だったのか、それとも唐突で理解できなかったのか、彼女の口から幼気な声が漏れる。

 

 こちらの勝手な自分語りみたいなものに付き合わせてしまって悪いと思うけど、少しの間、聴いて欲しい。

 

 

「いつも下を向いて階段を上ってた。でもあの日は、虫の知らせのようなものを感じて、ふと顔を上げたら、いきなり前から人が降ってきて、驚いたし慌てた」

 

 

 人間あれだ。本当に驚いているときって、『親方! 空から女の子が!』とかボケる余裕なんて微塵もない。

 気がついたら、身体はもう動いてた。ただ無我夢中で手を伸ばして、引き寄せて、抱き締めて、俺が守らなきゃ、助けなきゃって、ゴロゴロ階段を転がる間、ずっとそんなことばっかり考えてた。

 

 

「階段から転がり落ちるのなんて初めての経験だったけどさ。もう背中とか頭とか全身痛いのなんのって……ぶっちゃけ、君が腕の中に居てくれなかったら痛みで無様にのたうち回ってたと思う」

 

 

 正直、骨の一本くらいは折れたと思った。だって、すんごい痛かったし。

 でも人間の体って案外丈夫なもんで、実際には打ち身程度でしかなかったっていう。……あのとき、みっともなく泣き喚かなくて本当に良かった。

 

 

「女の子に耐性なんて無かったからさ。自分が抱えている存在が女子だって理解して、今度は別な意味で慌てた。セクハラで訴えられたらどうしようって……」

 

 

 あれは本当に心臓に悪かった。

 同時、なんかもう柔らかくていい匂いで、不謹慎だけど、ずっとこうしていたいとか馬鹿なことを考えてしまったっけ。

 

 

「でも、そんな考えも君が突然泣き出して、抱き着いてきたときに全部吹っ飛んだ。もう頭真っ白になってパニックだよ」

 

 

 最初は痛みで泣いているのだと思った。

 どこか怪我でもさせてしまったのかと、そう思ったら守れなかった自分に腹が立ったけど、それもすぐに勘違いだと解った。

 

 

「自分なんかに縋りついて、駄々をこねるように泣いている君を見て、はじめに抱いた感情は憐憫と、庇護欲だったんだと思う」

 

 

 彼女の事情なんて、俺にはさっぱり理解できない。

 いくら階段から落ちたからといって、助けた相手だからといって、どうして彼女が自分みたいな冴えない男を(よすが)とするのか。

 

 

「恥ずかしながら、こんなとき、どうやって女の子を慰めればいいのか全然わからなくて……。仕方がないから、昔、泣いた俺に母さんがそうしてくれたように、抱き締めて頭を撫でてあげることしかできなかった」

 

 

 でも、多分それで正解だったんだと思う。

 甘えるように制服の襟をぎゅっと握りしめた君の手を見て、安心したように泣き止んだ君の吐息を聴いて、満たされたように震えの消えた身体を委ねる君を感じて、そう思った。

 

 そうであってほしいと、信じてもいない神に祈るほどに……。

 

 

「眠ってしまった君を保健室まで運ぶのは、本当に骨が折れた。最初は男らしくお姫様抱っこで運ぼうとしたんだけど、ちょっと難しくて…………ああ、ごめん。言い方が悪かった。別に西園寺さんが重かったからダメだったんじゃないんだ。情けない話だけど、単純に俺の腕力が無さ過ぎただけだから」

 

 

 俺の話を聞いて、顔を真っ赤にしてプルプルと震えて俯いてしまった彼女を見て、慌てて訂正する。女の子に対して、デリカシーが無さ過ぎた。

 

 

「結局、おんぶで運んだんだけど……いや、もうほんっとに怖かった。人を背負って階段を下りるって、すごく難しいんだなって初めて知ったよ」

 

 

 加えて、彼女も眠っていたから、こっちでしっかり支えてあげないとずり落ちそうになって危ないし、背中に感じる柔らかい感触に現を抜かす余裕なんて一瞬で吹き飛んでしまった。

 

 

「やっとの思いで保健室に辿り着いて、先生に言われるがままベッドに君を降ろして、そして────君の寝顔に見惚れてしまった」

 

 

 女性の寝顔を勝手に覗くのも失礼かと思って、なるべく見ないようにしていた。

 でも、今になって考えてみると、それだけが理由じゃ無かったんだろうなって思う。

 

 きっと俺は、怯えていたんだ。

 

 彼女の寝顔を見てしまったら、好きになってしまうんじゃないかって、純粋にただ俺に甘えてくれていただけの彼女に、邪な気持ちを抱いてしまうんじゃないかって……。まぁ、無駄な努力だったわけだけど。

 

 

「幸せそうに眠る君を見たら、途端に気恥ずかしくなって逃げ出した」

 

 

 もう心臓とかバックバクだし、顔も火照って有り得ないくらい熱を持っていた記憶がある。

 引き留めようとしてくる先生を無視して、校舎内を無意味に全力ダッシュ。何がどうなってそういう結論に至ったのか今となっては判然としないけど、昇降口まで走りきったところで、俺は流れるように上履きを履き替えて早退を決断した。

 

 登校してくる生徒たちとは逆走するように、自宅まで自転車を全力で漕いだ。なんか感極まって叫びながら必死にペダル漕いでたと思う。

 それで家に帰りついたら極度の疲労からベッドに倒れ込んで、汗だくのまま寝落ちする始末。しかも、それが原因で風邪ひいて翌日以降は学校休む羽目になったし。

 

 

「西園寺さんは憶えてないと思うけど、実はあの日から数日後に、廊下で擦れ違ったことがあったんだ」

 

 

 熱が下がって何日かぶりに登校して、仲が良かったクラスメイトと二人で廊下を歩いてた。

 そうしたら、あのとき保健室まで送り届けた子が前から歩いてきたからすごく吃驚して、でも同時に困惑もした。

 

 

「なんというか、ただ歩いてるだけなのに、気品みたいなものが凄くてさ……。あのとき俺の胸で泣いていた女の子とは雰囲気が似ても似つかなくて、別人なんじゃないかって思った」

 

 

 そして、尻込みしてしまった。

 目が合っても、声を掛けることもできなくて、ただ見入ることしかできなかった。

 

 

「結局、君の存在感に圧倒されてヘタレた。あの日、階段で助けた女の子なのか確認する勇気もなくて、そのまま擦れ違って終わってしまった」

 

 

 もちろん葛藤もあったし、後悔もした。

 それでも、悠然と廊下を歩く彼女の姿に、深い安堵を覚えたのもまた事実。

 

 

「そのとき、友人から君が”西園寺美琴”という名前の有名人で、既に婚約者がいる身だと教えられたんだ」

 

 

 まさか自分と同年代だろう少女に、婚約者がいるなんて思わなくて愕然とした。

 

 

「ひどく驚いたけど、同時に納得もした。そんな有名な人なんだから、特定の相手がいたって全然不思議じゃないだろうなって」

 

 

 そうやって、無理矢理に自分を納得させたんだ。

 彼女には婚約者がいるから、そこに俺が入り込む余地なんてないからと。

 

 

「そうして俺は、君に抱いていた自分の気持ちを諦めることにした」

 

 

 いま目の前でひどく動揺している彼女の姿に、胸の奥がチクチクと痛む。

 俺にもっと勇気があって、意気地があれば、俺と彼女の関係はもっと早くに別な道を辿っていたのかもしれない。

 

 

「それでもやっぱり未練たらたらでさ、君の婚約者だっていう王子拓真の評判を調べてみたりもした。……滑稽だよね。仮に彼の評判が悪かったとしても、俺にどうこう出来る訳でもないのに」

 

 

 きっと居ても立っても居られなかったんだ。

 もし相手の婚約者が酷い奴で、その所為であの日、君が泣いていたんじゃないかって考えたら、ジッとしていられなかった。

 

 

「それで調べてみた結果が、完璧超人の『学園の王子様』なんだから、思わず笑っちゃったよ。自分じゃ逆立ちしたって敵わない相手だって……」

 

 

 集めた情報の一部には、王子が婚約者がいるにもかかわらず、他の女に言い寄っているなんて噂もあって怒りが湧いたけど、だからと言って俺に問題を解決できる気概も、力も無かった。

 

 

「それから暫くして二年生になった頃、君と王子が高校卒業後に結婚するっていう噂が学校中に広まって、やっぱり俺なんかが割って入れる話じゃないんだなって改めて思い知らされた」

 

 

 所詮、俺みたいな庶民からしてみれば、王子も西園寺さんも住む世界が違う存在で、すべては雲の上の話だったのだと、そう自覚させられた。

 

 

「それからは、西園寺さんのことも、王子のことも、全部自分には関係のない他人事だと捉えるようになった。……そうあるように、努めた」

 

 

 唯一、君がまた何処かで、ひとりぼっちで泣いているんじゃないかと気が気じゃなかったけど、進級して同じクラスになったことでそれも杞憂であると知った。

 婚約者である王子と同じクラスになれたからか、教室での君はいつも微笑んでいて、とても幸せそうだったから、だから俺なんてもう必要ないんだとそう思えた。

 

 その事実にひどく胸が痛んで、同時にとても安心している自分に苦笑したのをよく憶えている。

 

 

「だからこそ、王子に婚約破棄された君から迫られたときは驚愕したし、状況が理解できなくてひどく困惑した」

 

 

 あの時の肉食獣のような目の西園寺さんは本当に恐ろしかった。

 ガチで物理的に食われるんじゃないかと思ったし。……まぁ、事実喰われたようなものだけど。

 

 

「それでも君に求められたことが嬉しくて、とっくに諦めていたはずなのに、まったく諦めきれていなくて、俺はあっさりと君に陥落してしまった」

 

 

 西園寺さんが、緊張していた表情をにぱっと綻ばせる。

 歓喜を滲ませたように輝く笑顔に、俺は固く拳を握り締めて、ゆっくりと首を横に振った。

 

 

「すば…る……くん?」

「まだ、話は終わってないよ」

 

 

 おずおずといった風に伸びてくる彼女の右手を、俺はやんわりと制する。

 俺の勝手な自己満足で彼女を傷つけてしまうのは、本当に心苦しいし、申し訳ないと切に思う。

 

 

「あの日、俺が君を助けたのは単なる偶然だ。偶々、あの現場に居合わせたのが俺だったってだけに過ぎないんだ」

 

 

 それを『運命』だと言うのなら簡単だ。

 そんな有り触れた言葉で俺と彼女の関係性を片付けて、綺麗で尊い想い出の一ページとして額縁にでも飾って思考停止してしまえれば、どんなに楽なことだろう。

 

 

「もし、あの場に居たのが俺じゃない誰かであったなら、今ここに居るのは俺じゃなかった」

 

 

 だから西園寺さんが俺に抱いている想いは勘違いなんだって、そんな否定をするつもりはない。

 それじゃ、どこぞの捻くれぼっち野郎と同じだ。相手の優しさを好意と勘違いして、それで自分が傷つかないための自己防衛。俺はそんなことがしたいんじゃない。

 

 

「つまりは『吊り橋効果』と同じだ。今は良くても、いつかその熱が冷めるときが必ずやってくる」

 

 

 極度の『緊張』を『恋愛』と誤認する。そこにあるべき積み重ねなんて無い。

 だからこそ、時間の経過とともに冷静さを取り戻したとき、あっさりと瓦解するのだ。本来、相応のステップを経て育むべき恋愛感情が、土台となるべき想いが、一過性の『緊張』という薄っぺらい張りぼてでしかないから、吊り橋効果で結ばれた恋愛は続かないと言われてしまう。

 

 

「そうなってしまえば、俺はあっさり捨てられる」

 

 

 そんなことはないと、必死に反論しようとする彼女を目で制して、俺は純然たる事実を並べていく。

 

 

「王子と比べて……いや、彼と比べなくても、世間一般からして、俺はイケメンでもなければ、何かに秀でている訳でもない。誰にも負けない特技もなければ、誰もが認めるような人徳もない」

 

 

 自分を殊更に卑下するつもりも無いけれど、これが驚くほどに何も無いのだ。

 ”西園寺美琴”という特別な存在に釣り合うほどの特質が、俺には皆無と言っていい。

 

 

「だから、何かの拍子に君の熱が冷めてしまえば、それで終わりだ。俺という存在じゃ、西園寺美琴を繋ぎ止められない」

 

 

 そんな当たり前の事実を認めることが、これほどまでに苦しいとは想像だにしていなかった。

 

 

「それでも、そうなっても、もしかしたら君は俺の傍に居てくれるのかもしれない。でもそれは、きっと罪悪感とか、同情とか、義務感によるものだ。そこに恋愛感情は無い」

 

 

 心臓が握り潰されたんじゃないかと疑うほどに胸が痛む。鼻の奥がツンとして、堪えようもなく目頭が熱い。

 

 

「でも……ッ」

 

 

 滲んだ視界の先で、心配そうに狼狽える君の姿を捉えて、情けなさから死にたくなった。

 それでも、ここで止めるわけにはいかない。ここで自分を誤魔化してしまったら、俺は一生後悔することになる。

 

 

「それじゃ、嫌なんだっ」

 

 

 これは俺の勝手で、傲慢な戯言で、強欲な願いだ。

 

 

「君が俺にどんな幻想を抱いているのかは知らない。でも、本当の俺はこんなにも情けなくて、冴えない、ちっぽけな男なんだよ」

 

 

 俺は誰でも助けるヒーローでも、お姫様を救う白馬の王子様でもない。

 

 

「だからどうか……幻想でも、幻影でも、虚構でもない、いま目の前にいる…俺を視てほしい」

 

 

 ────俺は弱い。

 意思が弱い、意気地がない、勇気もない。惚れた相手に声を掛けることも出来ないくせに、その相手から声を掛けられたらホイホイ頷いてしまうような浅ましい男だ。

 

 

 それでも、そんな俺でも、譲れないものだってある。

 

 

「西園寺美琴さん────」

 

 

 女の子には女の子の矜持があるように、男の子には男の子の意地ってものがあるんだよ。

 たとえそれがちっぽけなプライドだとしても、時代錯誤で古臭いと嘲笑われても、譲れないものは譲れないんだ。

 

 

「あなたが好きです」

 

 

 瞠目して、ピシリと固まる西園寺さんに構わず、俺は続ける。悪いけど、いまは彼女を慮ってあげられる余裕がない。

 

 

「幸せそうに眠る君の寝顔に一目惚れして、甘えるように俺の服を掴む君の仕草が愛おしくて、ふと目が合ったときに見せる君の微笑みに動悸が止まらない」

 

 

 ふざけんなよチクショウいちいち可愛い過ぎるんだよ。こんなん好きになるだろ、好きになっちまうだろ。

 

 

「……西園寺家なんて俺は知らない! 君が金持ちだとか、お嬢様とか、優等生とか、そんなことはどうでもいい。俺は、俺は…っ……”西園寺家の美琴”だから好きになったんじゃないっ」

 

 

 俺はあの日の階段で出逢って、保健室で幸せそうに眠る名前も知らない君に惚れたんだ。

 

 

「泣き虫で、怖がりで、そのくせ警戒心が薄くてあっさり俺なんかに懐いて、安心しきった表情で眠っちゃう……そんなどこか抜けたような、放っておけない、どうしようもない甘えん坊な西園寺美琴が好きで好きでしょうがないんだよ」

 

 

 言っていることは支離滅裂だ。

 全然論理だってないし、感情任せで矛盾だらけで、滅茶苦茶言っている自覚はある。

 

 もしかしたら、あの日の幻想に囚われているのは、俺の方なのかもしれない。

 

 それでも、止まらないし、止められない。

 

 

「私を視て……? 視てた、ずっと視てたよ! 諦めたフリして、それでも気がついたら自然と目が君を追っていた!」

 

 

 何を言ってるんだ。

 違う。俺はそんなことを言いたいんじゃない。

 

 

「なら俺のことも視てくれ……。こんなガキみたいに喚き散らして、泣き言ばっかりで、どうしようもない俺を視てくれ……」

 

 

 君に嫌悪されたら、きっと俺は泣いてしまう。

 君に拒絶されたら、きっと俺は死んでしまう。

 

 それでも、一度手に入れた幸せを後になって手放すことになると考えたら、こんな愚かな方法しか思いつくことができなかった。

 

 

「俺は西園寺美琴が好きだ。誰よりも、何よりも、君を愛してる」

 

 

 薄っぺらい言葉だ。

 ありきたりで、冴えない、文才の欠片もない台詞だ。

 

 だとしても、言わずにはいられない。言わざるを得ない。

 ここで尻込みなんてしていられるか。

 

 

「だから──────」

 

 

 涙で歪んで霞む視界の先から、彼女の息を呑む気配が伝わってくる。

 もしかしたら、俺のあまりの身勝手さに、情けなさに、幻滅して、失望されたのかもしれない。軽蔑されたのかもしれない。

 

 それでも今は、ありったけの想いを込めて、俺は目の前の西園寺美琴に思いの丈をぶつけた。

 

 

 

「結婚を前提に付き合ってください」

 

 

 

 愛の告白も、結婚のプロポーズも、男からって相場が決まってんだろ。

 勝手に俺の役目を持ってくな! 俺の出番をかっさらうな! ちょっと男前すぎるんだよ!!

 

 涙で濡れる目元をゴシゴシと袖で拭って、さっきから何の反応も返してくれない彼女を見据える。

 

 やはり、幻滅されたのだろうか。

 我ながら、百年の恋も一時に冷める告白であったと自負している。なにそれダメじゃん。

 

 それでも、あのまま彼女の気持ちに便乗して、いつ下されるとも知れない死刑宣告に怯えるくらいなら、これで良かったのだと思う。

 西園寺さんに振られるのは死ぬほど辛いけど、今の俺にはこれが精一杯だから、これでダメならきっぱりと諦めよう。……時間はかかるかもしれないけれど。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 いや、さすがに無反応すぎない?

 スン…と真顔のまま微動だにしない西園寺さんに、一抹の不安が過る。

 

 え、ちょ…まさか……えぇ…?

 

 

「──────」

 

 

 目の前で手を振ってみる。

 開きっぱなしの瞳孔に反応なし。

 

 鼻と口の前に手をかざしてみる。

 呼吸……なし。

 

「いや、西園寺さんっ!? 息、息して! 死んじゃうから!!」

 

 蝋人形みたいにピクリとも動かない彼女の両肩を掴み、俺は必死にゆっさゆっさと前後に揺さぶる。

 

「────ゴプァ」

 

 なんかもう女の子が出しちゃいけないような擬音とともに、西園寺さんが息を吹き返した。

 

「だ、大丈夫っ!? ほら早く息吸って! 呼吸整えて……」

「スー、ハー、スゥーー、ハァーー、スゥーーー、スゥーーー、スゥーーー…………」

「誰が俺の胸で過呼吸しろって言った!? 深呼吸しろよ! 俺の匂いじゃなくて酸素取り込んで!!」

 

 ほんっと歪みないな、この子!

 もっと自分の命大事にして! いのちだいじに!

 

 どうにかこうにか宥めすかして、やっとのことで呼吸を整えた西園寺さんと向き直る。

 

「それで、西園寺さん。あの、今さっき生死の境を彷徨っていた相手に言うのもどうかと思うけど、俺の告白……」

 

 身勝手なのは重々承知してるけど、それでも変にズルズルと関係を続けるよりは、ここでスッパリと断られた方が良いと判断して返事を訊こうと思ったんだけど、やっぱり西園寺さんの様子がオカシイ。

 

「────しゅき」

「え?」

「みこと しゅばるきゅん しゅき」

 

 幼児退行した…だと……?

 いやいやいやいや待って待って待って待って。

 

「ちょ、頼むから正気に戻って! 自我を取り戻して!!」

 

 もしかして呼吸が止まってた時間が長すぎて、脳が深刻なダメージを負ってしまったとかだろうか。

 だとしたら、俺はなんてことを…………いや、無理だろ。

 

 だって告白したら相手が心肺停止に陥るとか、普通思わないじゃん。蘇生したら幼児化するとか、どうやって予想しろと。

 こんなん危険予知トレーニングでも想定されてないわ。

 

「しゅばるきゅんと けっこん しゅる」

「いや待って? ほら、お菓子、お菓子あげるから! だから、一旦落ち着いて……あ、ちょっ……なんで俺のシャツの下に潜り込もうとするの!?」

「やーっ! みこと しゅばるきゅんと けっこんしゅるのー!」

「俺のシャツの下に! 潜り込む行為を! 結婚とは呼ばない!」

 

 ちょっとこの子、欲望に忠実すぎない……?

 それから五分間にも渡る死闘の末、俺はどうにか西園寺さんに正気を取り戻させることに成功した。

 

「……ごめんなさい。取り乱してしまって」

「取りみだ……? あ、うん。そうね」

 

 呼吸停止した挙句、幼児退行までしてのけた出来事を取り乱したの一言で片付ける西園寺さんのメンタルしゅごい……。

 

「……昴くん」

「……はい」

 

 少し乱れてしまったソファの上で、何故か二人して正座で向かい合う俺たち。

 

「その……」

「うん……」

 

 視線を忙しなく右往左往させる西園寺さん。

 視線を上下左右に彷徨わせてはテンパる俺。

 

「あの、えと……ご、ごめんなさい!」

「ああ、うん。そう…だよね。大丈夫」

 

 やっぱり、ダメかぁ……。

 そりゃ、あんだけワケわからん告白すれば、誰だって興ざめするよね。

 

 はぁー……。

 

 つっら。え、好きな人にフラれるのって、こんなに辛いの……?

 いや無理だわ。だって軽く死ねるもん。なにこの喪失感。心にポッカリ穴が開いたって比喩を最初に考えたヤツは天才だと思う。

 

 なに、世のカップルってこんな地獄みたいな試練をくぐり抜けて結ばれてるの?

 そりゃ勝ち組って言われるわ。だって断れたら即地獄行きだもん。何度も告白してる奴とか正気を疑う。どんなメンタルしてるの? タングステン鋼?

 

 はぁー……。

 

 帰ろう。帰って、ちょっと一週間ぐらい部屋に引き籠ろう。

 震えそうになる手足をなんとか動かして、俺がソファから立ち上がろうとしたときだった。

 

「五分間だけ…いえ、三分……一分でいいんです! 私に時間をください!!」

「ふぇ……?」

 

 なんだか西園寺さんがよく分からないことを言い出して、こちらの返事も待たずに疾駆して自室へと消えていった。なにごと……?

 それから待つことジャスト一分。現れたのは悪夢ではなく、この部屋には場違いな貴族令嬢姿の西園寺さんだった。どゆこと……?

 

「え、何でわざわざ着替えたの?」

「気にしないでください。ちょっとした験担ぎですから」

 

 そう言ってクスクスと可笑しそうに笑った彼女は、相も変わらずソファの上でポカンと正座している俺の前までやってくると、俺の両肩にそっと手を置いた。

 

「えいっ♪」

 

 そんな可愛らしい掛け声と共に俺の両肩がドンッと押されて、俺はあっさりとソファの上に押し倒される。

 

「は……?」

 

 自分を悠然と見下ろしている存在を呆然と見つめながら、俺は働かない思考でアホみたいなことを考えていた。

 

 

 ……肩ドン?

 

 

 え? 俺、いま西園寺さんにソファへ肩ドンされてるの?

 普通、こういうときの男女の立ち位置って逆じゃない?

 

「……舐めないで」

「はい?」

「あ、勘違いしないでくださいね。私のことは物理的に幾らでも舐めてもらっていいんですからね!」

「なにその斬新なツンデレ」

 

 どういうことなの……?

 

 

「言いたかったのは、私の覚悟を舐めないでくださいねってことです」

 

 

 蠱惑的に微笑む西園寺美琴が、ゆっくりと迫る。

 

 

「確かにキッカケは、アナタの言う通りかもしれません。吊り橋効果で刷り込みです。自分の感情が歪で、純粋な恋愛感情だけでないことも自覚しています」

 

 

 労うように伸ばされた両手が、俺の頬を優しく撫で摩る。

 

 

「俺を視て……ですか。視てましたよ。私だって、ずっとアナタを視てました」

 

 

 どこか淋しそうな、なぜか泣きそうな彼女の瞳が、静かに俺を見据えている。

 

 

「憶えてないワケないじゃないですか。気がつかないワケないじゃないですか」

 

 

 いつの間にここまで接近したのか、切なげな彼女の吐息が顔にかかる。

 

 

「私だって、一年以上アナタのことを恋焦がれて、ずっとずっとずっと……想い続けてきたんですよ?」

 

 

 囁くようにぽしょりと紡がれた言葉と一緒に、ぽたりとこぼれた熱い雫が俺の頬を濡らす。

 

 

「好きです。情けなくて、冴えない、ちっぽけなアナタが好き」

 

 

 慈しむように、彼女は語る。

 

 

「不愛想にしようとしてるのに、結局はへにゃって愛想よく笑っちゃうアナタが好き。誰かが廊下に捨てたゴミなんて放っておけばいいのに、誰に頼まれた訳でも、誰が見ている訳でもないのに、当たり前みたいに拾ってゴミ箱に捨てちゃうアナタが好き。授業中、ウトウト微睡んでいるときのあどけないアナタの寝顔が好き」

 

 

 二人っきりのリビングに、甘く囁くような彼女の『好き』が躍る。

 

 

「私はそんな木下昴が好き。誰よりも、何よりも、アナタを愛してる」

 

 

 薄っぺらい言葉だ。

 ありきたりで、冴えない、文才の欠片もない台詞だ。

 

 それなのに、立場が違えばこんなにも響くものなのか。

 

 目を見開いて驚きを伝える俺に満足したのか、したり顔を浮かべた西園寺美琴が男前すぎるお返事をくれた。

 

 

 

「添い遂げることを前提によろしくお願いします」

 

 

 

 幸せそうにはにかんだ笑みが、ゆっくりと迫る。

 

 

「んっ……」

「……!」

 

 

 ふわりと、着実に、一切の躊躇もなく、確実に、西園寺美琴は俺と口付けを交わした。

 

 

「…………んぅ」

 

 

 それは、数秒にも満たない触れるようなキスだった。

 ファーストキスのインパクトとは比ぶべくもない。

 

 それなのに、今の方がよっぽど印象深くて、深く脳裏に刻み込まれたのはどういう理屈なのだろう。

 

「こちらはとっくに家も婚約者も捨てて覚悟を決めてるんです。今さらアナタの情けない姿を見たくらいで、私が嫌いになるとでも思いました?」

「西園寺さん……」

 

 彼女は怒ったように眉を吊り上げて、けれどすぐにへにゃっと哀しげに眉尻を下げてしまう。

 

「そんなことくらいじゃ、私は幻滅も失望もしてあげない。でも、もしアナタに嫌われてしまったらって考えたら……そんなの不安になるに決まってるじゃないですかっ」

「……ごめん」

 

 雨が降る。ソファに横たわる俺の上に覆い被さる黒い空から、ぽつぽつと、熱を持った雨が俺の頬を叩く。

 

「だから…アナタが告白してくれて、私がどれほど嬉しかったか解りますか? まったく、どれだけ私の心を弄べば気が済むんですか」

「いや、俺の心を散々に弄ぶ西園寺さんに言われたくはないんだけど」

「……文句を言うのはこの口ですね」

「ん……!?」

 

 異議を唱えたら強制的に口を塞がれた件(物理)。

 

「ふむ……っ…ふぅ………んっ…言ったでしょう? もう逃がしてあげないって、絶対に離してあげないって……」

「……確かに言われた」

「私が呼吸も忘れて死にかけちゃうような熱い告白をしてくれたんですから、必ず責任とってくださいね」

 

 敵わないと、思ってしまった。

 

 自分では澄まし顔をしてるつもりで、それなのに口の端が自然とニマニマしちゃって、湧き上がる嬉しさを堪え切れていない実に残念な表情をしている彼女を見ても愛おしいと感じてしまうのだから、これはもうまったくもって敵わない。

 あれかな、これも一種のわからせなのかな?

 

「大体ですね、相手の悪い面を後から知って熱が冷めるって言うなら、アナタはどうなんですか?」

「は……? 俺?」

「今日一日、婚約破棄から今に至るまで、私の言動って世間の常識からしたらそうとう狂ってると思いますよ?」

「それを自分で言うのか」

「……文句を言うのはこの口ですね」

「んんっ……!?」

 

 異議を唱えたら天丼以下略……!

 

「それで、どうですか?」

「どうって……何が?」

「……私のこと、幻滅しましたか?」

 

 確かに色々と吃驚したし、恐れ戦いたこともあるし、呆れもした。

 けれど、どういう訳か不思議と嫌悪感のようなものだけは感じなかったように思う。

 

「いいや、まったく」

「ふふっ……。うん、良かった。私も同じです」

 

 真っ黒な夜空を彩るように、西園寺美琴は満天の星空のように顔を煌めかせる。

 

「何でも受け入れてくれるくせに、私がどんなに迫っても絶対に自分からは手を出してくれないんですもの。……このヘタレ」

「返す言葉もございません」

「……文句を言わないのはこの口ですね」

「なんっ…んんっ……!?」

 

 異議を唱えてないのに天丼以下略……!

 

「私も同じなんですよ。そんなヘタレなアナタを知っても、愛おしくて堪らないの」

「……複雑」

 

 嬉しいのは確かなんだけど、そこはかとなく思春期男子としてプライドがズタボロで泣きそう。

 そんなこちらの複雑な心境なんて知るもんかと、西園寺さんが俺の耳元に口を寄せてそっと囁く。

 

「ねぇ、こういうのを何て言うか知ってますか?」

 

 彼女の細くしなやかな指が俺の両手を絡みとり、熱く繋いで放さない。

 

「それはね────」

 

 蜂蜜のようにとろとろと甘ったるい、甘えん坊な声音が俺の耳朶を直にすり抜けた。

 

 

 

「『惚れた弱み』って言うんですよ」

 

 

 

 このあと滅茶苦茶夜更かしした。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 日曜日の次は、月曜日。

 そう、平日だ。しかし、折しも今日は祝日、ハッピーマンデー。学校も世間もお休みである。

 

 つまりは二度寝し放題。

 遅く起きた朝のなんと清々しいことか。

 

 そう思っていた五分前の俺はもういない。

 

「……美琴」

「なんですか、昴くん?」

 

 俺グッズに囲まれた彼女の私室で、俺は一心不乱に作業に集中する彼女へと意を決して声を掛ける。

 ちなみに、昨夜のあれやこれやのどさくさに紛れて、お互いの呼び名はまた名前呼びに戻りました。詳細は諸事情により省略。だって恥ずかしいので。

 

「それ、何してるの?」

「ちょっと昨日までの一連のエピソードを長編大作アニメーションにして国際映画祭に出品しようかと……」

「 や め て ? 」

 

 だから思考がぶっ飛び過ぎなんだって。

 ちょっと持て余したパッションの持って行き場を間違えてない? というか、なんで普通に絵コンテとか作れてるの? どこでそんな技術学んでくるの?

 

「安心してください。私、こう見えてもアナログ派なので、全編セル画で制作予定です!」

「どこにも安心できる要素ないよ!? もはやセル画アニメなんて絶滅してるから! どうして自らそんな苦行に飛び込んでいくの!?」

「あ、じゃあデジタルにしますね」

「そういうことでもないんだよなぁ……」

 

 セル画とかCGとかって話じゃないんですよ。

 そもそも、アニメーションを作るところから離れて?

 

「あっ、ごめんなさい。私ったらまた一人で暴走してしまって……」

「ああ、良かった。話が通じてくれたか」

「昴くんは、やっぱり実写化の方がいいですか?」

「現実の実写化ってなに? それただのノンフィクション映画だからね?」

 

 だから映画から離れて?

 

「そうじゃなくて、ちょっと話があるんだ」

「……昴くん?」

 

 こちらの真面目な雰囲気を察してくれたのか、彼女も一旦筆を置いて、話を聞く態勢を整える。

 そう、昨日の一件とはまた別に、美琴とはきちんと話さないといけないことがあるのだ。

 

「俺、家に帰るよ」

「……ふぇ?」

 

 何を言われているのか、まったくもって理解できないという風に、彼女は唖然とした表情で俺を見つめている。

 だがしかし、こちらとしても大変心苦しくはあるのだが、いつまでもこの部屋でお世話になる訳にはいかないのだ。

 

「落ち着いてよく聞いてほしい。一日二日ならいざ知らず、未成年が親の同意もなく自宅に帰らないことを世間では『家出』あるいは『失踪』と言う」

「……知らない概念ですね」

「現実逃避するな」

「むぎゅ!?」

 

 そっぽを向いて知らんぷりしようとする美琴の頬を両手で掴み、強制的に正面を向かせる。

 

「やだ昴くんったら強引……スキ!」

「茶化すな」

「襲いますよ」

「誤魔化すな」

 

 頑なにこちらの話を聞こうとしない美琴に、俺も根気よく応対する。

 多分、彼女自身も自分が間違っていると理解しているのだろう。だから、素直に認められない。昨日、安心できてしまったから、尚更に……。

 

「美琴が実家を飛び出してここで暮らすのも、本来なら認められないんだろうけど、そっちはもう何かしら手を打ってあるんだろう?」

「それは、まぁ……盤石に」

「だから、そちらについてはとやかく言わない。都合が良いように聞こえるかもしれないけど」

「……」

 

 不満そうに俺の目をジトッと見つめる美琴に、しかし俺も目を逸らさず応じる。

 

「でもね、俺の両親は絶対に認めない。最悪、失踪届を出されて警察沙汰だ」

「……そう、ですか」

「だから、今日のところは帰るよ。俺の方でも、週末だけでもとか交渉して、両親を説得してみるから──」

「やはり、最低限の礼儀として、筋は通すべきですよね」

 

 ……おや!? 美琴のようすが……!

 これはあれですね。まーたぶっ飛んだ思考回路が働いてますね。

 

「わかりました。私も昴くんの御自宅へ同伴します」

「……一応、理由を訊こうか」

「将来の義父母となる両親に御挨拶をと思いまして……うふふ」

 

 何か企んでますね、わかります。

 別に木下家に不和は無いので、強引に家族仲を引き裂くようなことはご遠慮願いたいのですが……。

 

「そうと決まれば早速向かいましょう。既にタクシーは呼びました」

「あ、うん。もういいや」

 

 今まさに俺と会話してたはずなのに、一体いつの間に呼んだんだろうね。

 とにかく、ここで俺がウダウダ言っても話が前に進まないだろうから、俺も腹を括るか。……惚れた弱みって大変だ。

 

「ちなみに私はちょっと下準備……いえ、所用がありますので、昴くんは先に御自宅へ向かってください」

「それは良いけど、何をするつもり?」

「御挨拶に伺うのに、菓子折りの一つも持参しないというのは礼を失するかと思いまして」

 

 ニッコニコと微笑む彼女の姿からは、まったく邪な気配は感じられない。

 でも、昴くん知ってる。これは何かありますね。せめてウチの両親の顰蹙を買わない程度のぶっ飛び具合であることを祈るばかりだ。……自分の無力感に絶望しそうだよ。

 

 

 

 ────そして話は冒頭に戻る。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 ……ダメだ。ここに至るまでの経緯を回想してみたけど、何をどう説明しても頭の病気を疑われかねない。

 なんか改めて振り返ってみても、非現実的というか、俺の空回りっぷりが酷いというか、とにかく碌な言い訳が思い浮かばないです。

 

「あー……、その…うん。アレです。アレがこう…アレな感じで、こちらの西園寺美琴さんと恋人になりました」

「……昴」

「だからアレなんです。その、週末とか偶に外泊することになると思うけど、特に心配はしないでくださいと言いますか」

「昴」

「いや、わかる。母さんの言いたいこともわかるよ? でも、こちらとしても止むに止まれぬ事情があると申しますか、引くに引けないというか、どうかその辺りの息子の心情を汲んで忖度した上でここはどうか穏便に……」

 

 俺がどうにか母親からの追及を躱そうと、誠心誠意言葉を尽くして煙に巻こうとしてみたけれど、当然ながら俺程度の語彙力では無駄な努力であった。

 

「いいから、昴」

「アッハイ」

「全部話しなさい」

「……うぃっす」

 

 

 もうだめだぁ…おしまいだぁ……。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 昨年の階段での出会いから今日に至るまでの仔細を説明し、なんなら途中で美琴もノリノリで注釈を加えて、ようやく話し終えた結果がごらんの有様であった。

 

「……そう」

 

 母さんは頭痛を堪えるように、片手をこめかみに添えて俯く。

 

「そうくるかぁ……」

 

 父さんは両手で頭を抱えると勢いよくテーブルに突っ伏した。

 

「……なんか、ごめん」

 

 いや、ホント、もう……不出来な息子でスミマセン。

 そりゃ外泊した息子がいきなり異性を家に連れ帰ってきたと思ったら、その女の子が開口一番同棲宣言からの養う発言に息子さんくださいときて、その正体は名家のお嬢様で婚約破棄されて嬉々として家を捨てて俺を搔っ攫って今に至りますって説明されたら、誰だってこんな反応すると思うの。

 

 居たたまれない空気に包まれる木下家の三人だけれど、そんな空気をまったく意に介さない猛者が若干名。というか、彼女しかいない。

 

「つきましては、こちらが結納金になります!」

 

 何処から取り出したのか、なんか銀行が使ってそうな、刑事ドラマで身代金を用意するときに使うようなどデカいアタッシュケースが『うるせェ! 受け取れドンッ!!』とばかりに我が家のテーブルを占拠した。

 

「結納金って……昴を西園寺家に婿入りさせるということかしら?」

「いえ、どちらかというと私がお嫁さん希望なので、持参金になりますね」

 

 そう言うこっちゃないだろう。

 え、なんで母さんも美琴も素でそんな会話してるの? もっと他に気にするところあるでしょ!?

 

「……待って。そもそも、どうしてそんなお金用意してるの? さっきは菓子折りを買いに行ったんじゃなかったの?」

「相手から便宜を図ってもらうには、山吹色のお菓子が定番だと時代劇チャンネルで学びましたので……」

「いやそれ、もう山吹色でもお菓子でもないじゃん。どストレートに現金じゃん。ただの買収だよ、それ」

 

 両親への初めての挨拶で札束の暴力ってひどい。

 流石にこの事態には物申さねばと思ったのか、それまで哀愁を漂わせて項垂れていた父さんが苦笑しながら口を開く。

 

「西園寺さん。お気持ちは嬉しいけど、流石にそれは受け取れないよ。悪いけど……」

「まぁまぁ、そう仰らずに」

 

 やんわりと断ろうとする父の言葉を遮るように、美琴がガパッとアタッシュケースの蓋を開けて我が家の両親へ差し出した。

 

「これまで昴くんの養育に掛かったであろう費用と、これから先お二人が豊かに穏やかに老後を過ごせるだけの金額を勝手ながら算定させていただきました」

 

 中々の大きさを誇るアタッシュケースにぎっちり詰まった札束。

 ヤバい……。何がヤバいって別に俺が貰うんでもないのに、さっきから体が震えてゴクリと生唾を吞み込んじゃってる自分がいること。これが現金の魔力か……。

 

 横から眺めているだけの俺ですら、この惨状なのである。

 況や、正面から差し出された父さんはと言えば……。

 

「…………スゥーーー」

 

 変な呼吸音を発生させながら、札束ガン見してめっちゃグラついてた。

 多分、いま父さんの胸中では受け取る受け取らないの天秤が、シーソーよろしくギッタンバッコン揺れ動いてるんだと思うんだ。だって、俺が父さんの立場だったら同じように葛藤するだろうから。まさか、こんな所で親子の血のつながりを感じてしまうとは……。

 

 そんな苦悩に塗れた父さんとは対照的に、母さんは何も言わず、全ての判断を父に任せているかのように静観していた。

 これだけの現金を前にして平然としていられるって、我が母ながらどんな胆力してらっしゃるの。これが母は強しということなんだろうか。

 

「っ……」

 

 時間にしたら、おそらく三分も経ってないんじゃないかと思う。

 ハイライトが消えてレイプ目な父さんが亡者のようにヨロヨロとアタッシュケースに腕を伸ばす。

 

「ぬ…ぐっ……ぅ……ふんっ!」

 

 そして、物凄く苦渋に満ちた表情でアタッシュケースを手に取ると、未練を断ち切るようにバタンッと勢いよく蓋を閉じた。

 

 す、すげぇ……!

 うちの父さん、山積みされた札束の誘惑に打ち勝ちやがった!! こ、これが子を持つ親としての矜持か……。いまの俺じゃ絶対に無理だろうな。

 

 そして、まるで何かをやり遂げたかのように疲弊しつつもやり切った顔の父さんが、ポカンと呆けて固まる美琴に苦言を呈する。

 

「西園寺さんと言ったね?」

「は、はい……」

「多分、君の言葉に嘘は無いんだろう。ここにはこれから私が稼ぐだろう生涯年収以上の額が入っているのだろうし、悪意があってこんな真似をしているんじゃないってことも、君の態度を見ればわかる」

 

 ホント凄いな、父さん。よく分かったね? そうなんです。そうなんですよ。

 俺も美琴が何か企んでるんだろうなとは思ってたけど、それがまさか現生による賄賂攻勢だとは思ってもみなかった。でもさ、これ一見、金で俺を買い取ろうとしてるように見受けられる言動なんだけど、美琴的にはマジで持参金のつもりなんだろうなって思う。

 

 まぁ、山吹色云々の話からして、少しでも印象を良くしたいとか、外堀を埋めたいとか、あわよくば買収したいって考えもまったくゼロでは無かったんだろうけど、一番は『昴くんのお嫁さんになるんだから、持参金を納めて当然』みたいな思考回路が過剰に働いた結果なんじゃなかろうか。

 ……あれ、それってやっぱり俺が買われちゃってない? 大丈夫? よし、ここは気のせいってことにしておこう。

 

「でもね、だからこそ、私たちはこのお金を受け取ることはできない」

「っ……」

「持参金なんて持ってこなくても、君が本当にウチのスバルのことを大事に想ってくれているのなら、それでいいんだ。今は時代も違う。言い方は悪いけれど、こういう行為は自分の息子を売り買いされているようで、正直良い気はしない」

「……はい」

 

 淡々と、諭すように父さんが語る。

 それに対して、美琴が打ち拉がれるようにして首肯した。

 

「……スバルも、こうなる前に止めてくれ。父さん、心臓止まるかと思ったぞ」

「いや、本当に申し訳ないです。マジで」

「あ、あの! 違うんです。昴くんは何も知らなくて、私が勝手に……」

「だとしても、だよ。これは二人の将来のために用意したお金なのだろう? なら、スバルも他人事ではなく、その責任を負わないといけない。金銭的負担が一方的なら尚更だ」

 

 こう言ってはなんだけど、父さんもキチンと父親なんだなって思ってしまった。

 いや、実の父親に対して物凄く失礼なことを考えているとは思うんだけど、これまでどこか頼りなさげな印象を抱いていた父さんを見直したというか、素直に感服した。

 

 俺がしょんぼりする美琴の頭を撫でながら、父さんが父さんしてるすげぇとか小学生並みの感想を抱いていると、それまで黙って事の成り行きを見守っていた母さんが唐突に口を挟んだ。

 

「……美琴さん」

「は、はいっ」

「あなた、ご実家は飛び出したそうだけど、これからどうするつもり?」

「それは……」

「この際だからハッキリ言うけれど、まだ学生の身分である昴があなたのマンションで同棲することを許すつもりはありません」

 

 それは、明確な拒絶だった。

 これ以上ないってくらい、反対の意思表示。

 

 息を詰まらせて二の句が継げないでいる美琴に、母さんは目を眇めて追い打ちをかける。

 

「たとえお金を稼いでいても、所詮は未成年。いくら間に弁護士を立てたところで、出来ることなんて高が知れているわよ」

「で、でも……」

「ご実家だってそう簡単には引き下がらないでしょう。どうするつもりなの?」

「……色々と保険はかけてありますが、どうしても介入してくると言うのなら、家庭裁判所に未成年後見人制度を視野に入れて申立てを行います」

 

 淡々と、冷淡に、平坦な口調で問う母さん。

 それに負けじと彼女も、静かに冷たい声音で言葉を返す。

 

 あの、母さん……? 持参金騒動が片付いてようやく緊張の糸が緩んだのに、どうしてまた張り詰めた空気を演出しちゃうの?

 室内の寒暖差の乱高下が激しすぎて胃がキリキリするんですが。父さん、頼れる父親として、ちょっとこの空気どうにかなりませんか? ……どうにもなりませんか、そうですか。了解、大人しくしておきます。

 

 悲壮に満ちた美琴の言葉。

 それがどれほど難しいことなのか、どれほどの決意を秘めた言葉なのか、今の俺では全てを理解してあげることは出来ないけれど、それでも彼女が軽々しく口にした妄言ではないと解る。

 しかし、母さんはそんな彼女の意思なんてまったく意に介さず、まるで論外と切り捨てるように言い放つ。

 

「無理ね」

「っ……! 私だって、簡単に事が運ぶとは考えていません。だから、弁護士も用意して──」

「あれは何らかの理由で親を失ったり、親権者が親権を剝奪されて取り残されてしまった子どもを守るための制度なの。夢見がちな箱入り娘の我が侭を通すための玩具じゃないのよ。いい加減にしなさい」

「ひぐぅ……」

 

 言葉は辛辣だけど、正論だ。母さんの言うことは、きっと正しいのだろう。

 でも、だからと言ってそれは……あんまりじゃなかろうか。

 

「母さんっ!」

「……スバル。ここは母さんに任せて、黙っていなさい」

「なっ、父さんは母さんの味方かよ!?」

「どちらかと言えば、私は家族の味方だよ。父親だからね」

 

 だから、家族じゃない、赤の他人の美琴は見捨てるってこと?

 母さんに現実を突きつけられて、傷ついて泣きそうな顔になっている彼女を放っておけって言うのか?

 

 ……ダメだ。なら、尚のこと俺が味方しないと、彼女はひとりぼっちになってしまう。それだけはダメだ。たとえ間違っているのが美琴の方だとしても、だからって孤独にさせていい理由にはならない。

 

 そう決心して、とにかく両親から美琴を遠ざけようと席を立った瞬間、これまで一度として聴いたことのない、怒気を含んだ低く重苦しい、大人の男としての声が耳朶を打つ。

 

「……スバル」

「と、父さん?」

「いいから、座れ。黙って見守れ」

 

 普段、正しく昼行燈な印象の父さんからはかけ離れた有無を言わせぬ声音に、気がついたらストンと腰を下ろしてしまっていた。

 そんな俺を一瞥することもなく、母さんはジッと美琴を見据えたまま、幾分か声の質を緩めて言葉を投げる。

 

「今すぐにじゃなくていいから、お互いに頭が冷えたら、一度会話しなさい」

「……無駄です」

「それは決めつけというものよ。『親の心子知らず』と言うでしょう」

「……いいんです。だって私はもう、捨てたんですから」

「どうせ勝手に試して一人で期待して、思い通りにならないから見限ったのでしょうけれど、人間そんな簡単な生き物じゃないのよ」

 

 どこか懐かしむように、母さんが遠くを見るような目で苦笑交じりの息を吐く。

 その疲れたような溜息は、いつも泰然自若としている母さんには珍しい表情だった。

 

「どうせ今なにを言われても聞きはしないとは思うけれど、頭の片隅には留めておきなさい」

「……」

 

 まるで困った子を見るような目をした母さんが、不貞腐れたように黙って俯く美琴に近づいて、そっと抱き寄せた。

 

「親なんてね、順当にいけば寿命で先に死んじゃうの。いつまでも家で待っててはくれない。後になって後悔しても、遅いのよ」

「ぁ……」

 

 いつか俺が彼女にそうしたように、かつて母さんが俺にそうしてくれたように、相手を安心させるように優しく抱き締めて、ゆっくりと頭を撫で摩る。

 

「多少時間は掛かってもいいから、相手が生きてくれている間に本音で話し合っておきなさい。その結果、改めて無駄だと判断したなら、それでいいから」 

「…………はい」

 

 まるで本当の親子のように、母さんに抱きすくめられながら照れくさそうに甘える美琴。

 そんな彼女の姿にほっとしながらもほっこりしつつ、安堵の息を吐く。すげぇな、母さん。あの美琴があっさり心許して甘えちゃってるもん。父さんが黙って見てろって言うのも頷ける。

 

「さて、もういい時間だし、お昼にしましょうか。あなた料理は……当然できるわよね?」

「えぇ、まぁ…はい。和洋中は一通り……」

「そう、なら手伝いなさい。今から四人前も作るの地味に大変だから。それに────」

「……?」

 

 名残惜しそうにする美琴を放置してさっさとキッチンに入る母さん。

 いつものエプロンを着けると、棚から予備のものらしいエプロンを取り出して、それを彼女に向かって放り投げる。

 

 そして、キョトンとしながらもしっかりエプロンを受け取った美琴に、澄まし顔の母さんが口端を僅かに上げて悪戯気に告げた。

 

「昴の好きな味付け、教えてあげるわ」

「っ……! は、はいっ!!」

 

 まるで大好きな飼い主に甘える子犬が尻尾を狂喜乱舞させながら飛び掛かるが如く、神速でエプロンを身に着けて全力ダッシュで我が家のキッチンへと突撃する美琴。

 そんな彼女の様子をぼんやりと眺めていて、ふと思った。

 

 あれ? これ、もしかして母さんに美琴をネトラレてね?

 いやいや、別に美琴は母さんと寝てないから、これはただ盗られただけだし。……やっぱりNTRじゃないですか、やだー!

 

 どこの世界に実の母親に恋人を掻っ攫われる男がいるというのか。

 ここにいましたね。信じて送り出した彼女が母親に懐いてNTRたどうも俺です。

 

 ……どういうことなの。

 

「なんこれ……?」

「あー……、母さんはアレだ。その、経験者は語るってやつだよ。多分、昔の自分を重ねちゃったんだな」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ファッ!?

 

「なんなんだろうな、本当に……。木下家の家系というか、血筋の所為なのか……」

「は? いや、え? なに、どういうこと?」

「親父……スバルからすれば祖父さんと祖母さんか、もそうだったみたいだし……。曾祖父さんに至っては祟りや呪いかもしれんと、一回本気でお祓いしたらしいからな。……まぁ、効果はなかったみたいだけど」

 

 いやいやいやいや……待って? さっきから飛び込んでくる情報が斜め上すぎて思考が追いつかないんだけど。

 ちょっと息子を置いてけぼりにして勝手に遠い目をしないで? 家系ってなに? どういうこと?

 

「えっと、話が見えないんだけど?」

「いやな、別に悪縁って訳でもないし、厄災ってことでもないから気にする必要はないんだが……。どうも木下家の男はそういう星の下に生まれてくるというか、()()()()()体質みたいでな」

 

 は……? ここにきてまさかの某週刊少年誌でお馴染みな『血筋 才能 勝利』な展開なの?

 そんな安易な設定、いまどき叩かれて炎上するだけだよ? ちゃんと火災保険入ってる?

 

 

「ちなみに、父さんと母さんの馴れ初めは?」

「…………話せば長い」

 

 

 そこでガチトーンやめて。怖くて聞けなくなっちゃう!

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 いま明かされる木下家の真実……!

 そんな展開は無い。無いったらない。知りたくなかった衝撃の事実は歴史の闇に葬り去ることにした。現実逃避とも言う。

 

 何だかんだで母さんにすっかり懐き、意気投合した美琴。母さんも満更でもないのか、彼女を見る目はいつもより少し柔らかい。ぼそっと『娘もいいわね……』って呟いて、父さんが肩をビクゥッって跳ねさせてたけど。

 いつもの家族プラスワンでの昼食後、美琴は母さんから昔の家族アルバムを見せてもらったり、俺の思い出話を聞かせてもらったりと、それはそれは我が木下家を心行くまで満喫した彼女が現在どうしているかと言えば──────

 

 

「みこと このいえのこどもに なりゅぅ」

 

 

 ──俺の部屋で俺のベッドの上で俺の布団に包まって幼児退行していた。

 

 

 なに、音殺して歩く並みに幼児退行するのクセになっちゃったの?

 それもう単にヤバいヤツだから、早く正気に戻って……。その抱き締めて離さない俺のTシャツあげるから。まぁ、それはともかくとして。

 

「美琴が木下家の養子になるなら、俺たちは義兄妹ってことになるけど」

 

 義妹というワードにちょっと心惹かれるものがあるというか、心が踊り狂いそうになっちゃうんですが。

 

「…………それも捨てがたいですね」

 

 あ、正気に戻った。おかえり。

 

「えへ…昴くんがお兄さんですか……。いいですね、それ。滾ります」

 

 ……何が滾るんでしょうか?

 

「昴兄さん…? それとも……昴お兄ちゃんの方がいいですか?」

「ぐっふぅ……っ」

 

 ひょこっと布団から顔だけ出して、満面の笑みでお兄ちゃん呼びされる破壊力たるや……。

 や、やめろぉー! 俺に新しい扉を開かせようとするのはやめろぉーー!

 

「おにーちゃん」

 

 やめ、やめてぇ……。

 

「ねぇ、昴おにーちゃん?」

「な、なぁーに?」

「ふふ、呼んでみただけぇー♪」

 

 あっ、あっ、あっ……。

 

「昴お兄ちゃん。んふふ…すばるお兄ちゃーん!」

「フ、フヒヒ」

「────昴」

 

 あっ、あっ、あっ゛……か、母さん。

 

「……」

「……」

 

 無言やめて。

 

「妹、欲しかったの……?」

「ちゃうねん」

 

 

 

 このあと滅茶苦茶弁明した。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 時の流れとは早いもので、時刻はそろそろ夕方近く。

 暗くなる前に帰りなさいという母さんの鶴の一声によって、美琴の帰宅が決定した。

 

 言われた当の本人たる美琴が俺のベッドに立てこもるという既定路線なハプニングがありはしたものの、そこは母さんの『その布団持って帰っていいから、早く帰りなさい。二度とこの家の敷居を跨がせないわよ』という脅しであっさり鎮静化した。

 

 あれ、俺の今日の寝床は……? あ、この寝袋使えと、ヨロコンデー。

 

「……それじゃ、また明日」

「……はい」

 

 玄関前で見送る俺と、見送られる美琴。

 昨日から続いた俺たちの非日常も、これで一旦は一区切りつくのだろう。明日からの学園生活がどんな日常になるのかと考えると、不安半分喜び半分で何とも複雑な心境だけど。

 

「ほら、学校に行けば同じクラスだし。これが今生の別れってわけじゃないんだから」

「……そう、ですね」

 

 お願いだから、そんな捨てられた子犬みたいな淋しそうな顔をしないで欲しい。

 うっかり抱き締めて母さんに同棲を願い出て即却下されちゃうから。あ、やっぱり却下されちゃうんですね。

 

「はぁ……。いつまでやってるの、あなた達。そうやって玄関前に立ち尽くして、かれこれもう三十分よ?」

 

 え、うっそ…マジかよ。……マジだった。

 いつの間に俺たちは時を超越してしまったのか。催眠術なの? 超スピードなの? 只のじれったいバカップルですね、わかります。

 

 俺たちのグダグダっぷりに呆れ果てたのか、それとも単に痺れを切らしただけか、母さんがやれやれと溜息交じりで美琴に近づくと、何やらこしょこしょと耳打ちをし始めた。

 最初こそ呆けてポカンとしていた彼女だったけど、段々と顔に喜色を浮かべて、最後には涙ながらに母さんと熱い抱擁を交わす。

 

 これ、やっぱりネトラレてませんかねぇ……。

 

 言いようのない俺の不安を察したのか、苦笑を浮かべた父さんが慰めるように俺の肩をぽんぽんと叩いてくれた。

 うぃっす。母さんに負けないように頑張ります。……でもちょっと敵う気がしないんだよなぁ。泣きそう。

 

「それでは昴くん、また明日お会いしましょう!」

「ああ、うん。そうだね。気を付けて帰ってね?」

「はい!」

 

 先ほどまでの時間はいったい何だったんだと言いたくなるほど、元気いっぱいなお返事でタクシーに消えていく美琴を見送り、俺は何とも形容しがたい微妙な表情で母さんへと振り向いた。

 

「ねぇ、母さん」

「なに?」

「さっき美琴に何て言ったの?」

 

 そんな俺の疑問の声に、母さんはニヤリと悪戯気な笑みを作ると、そっと人差し指を口に当てながらこう言った。

 

 

「ふふっ……。それは淑女の嗜みよ」

 

 

 淑女の嗜みってすごそう(白目)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──まだ同棲は許可してあげられないけど、通い妻くらいなら黙認してあげるわよ」

「……!」

 




あとがき

五千字程度でいちゃラブを(ry

改めてヒロイン君とヒロインちゃんの回想を振り返ってみると、ヒロイン君が一人で葛藤して勝手に失恋して空回りしてる間、ヒロインちゃんは裏で昴くんの汗拭きシートhshsとかやってたんだと思うと、色々と温度差がひどい。
あまりにも不憫過ぎるので、昴くんは何も知らないまま幸せになってほしい。

【最後まで活かされなかった設定】
●昴くんグッズ
 ・デフォルメ昴くん人形
  →昴くんシリーズの最初期型作品。
   ぬいぐるみの中にはこっそり回収した汗拭きシートが入っているので、抱き締めるとほんのり昴くんの匂いを楽しめる匠の遊び心あふれた逸品。
   この手法を最初に思いついたとき、自分のことを天才だと自画自賛したとかしないとか……。

 ・昴くんの肖像画
  →昴くんシリーズの初期型作品。
   根が善良なので盗撮という手段が思い浮かばず、悩み抜いた末に、自分で描けばいいのでは? という発想で仕上げた匠の業。
   部屋に飾っていないだけで、抽象画とか色々なパターンがある。

 ・昴くん彫刻像
  →昴くんシリーズの中期型作品。
   二次元じゃ我慢できなくなり、ついに三次元に手を出した結果生み出された匠の執念。
   ちなみに全身の寸法はすべて目視で済ませた。

 ・昴くんラブドール
  →昴くんシリーズの晩年型作品。
   石像を作ってみたものの、固くて温もりが感じられないという致命的欠陥に気付き、インターネットで情報集めて辿り着いた匠の境地。
   尚、流石に外注した模様。オーダーメイドを受けた業者は細部までミリ単位、グラム単位で指定された注文書に断ろうとしたものの、札束で殴られ即落ちした。


●介護部屋
 開かずの間。中の様子は家主しか知らない。

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