あの日、体育館で。
もう一つの視点から『アオのハコ』を紐解く、ちょっとした「裏側」のお話。

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連載版第一話をベースにして、扇町さん流に味付けしております。
クセはあれど相変わらず低カロリーに仕上げました、おつまみ感覚でお楽しみください。


アオのハコ #1 sideB

 冷えきった空気が心地いい。まだ誰もいない体育館で、心を研ぎ澄ませボールを構える。打ち上げたボールはただ放物線を描き――着弾する。澱み無くゴールを抜け、フローリングに落ち音を立て、そして何度か跳ねて身動きを止める。今朝も、どうやら調子は悪くなさそうだ。無心に練習を続けていれば、きっと――

「あー……ダメだ…」

 考えるな。考えるな。そう思うせいか、指先は微妙に震え始めている。そろそろ切り上げようか、とボールを叩いたその直後、

「――っ」

 ……すっぽ抜けてしまったボールは、丁度体育館に入ってきた男子の、……よりによって顔にクリーンヒットしてしまた。えー……どんなタイミング。っと、

「大丈夫!?」

「へ、平気です」

 当たり所はそこまで悪くなかったのか血は出ていないけど、でも額は赤くなっていた。……不注意過ぎる、私。集中しないといけないのに。――周りに迷惑をかけるようじゃ、ダメなんだ。私の事は、私が抱えてどうにかしないといけないんだ。

 

 そこからは正直狼狽えてよく覚えてない。あれはいつも私より少し後に朝練に来るバド部の中等部生だ、と思い出したのも昼を過ぎてからだ。そう言えば毎朝見る顔で、いつも高等部の練習に混ざっている。何て言うか、元気でよく目につく。弟キャラというか、如何にも運動部の後輩というか。ああいう熱心なのが上へ行って欲しい、と何やら姉のような視点で見てしまったり。……楽しそうだな、そういう後輩がいる部活。

 でも、そんなのは有り得なくて。――有り得なくて。

 

「海外転勤」という話を親から聞いたのは、ほんの少し前だ。仕事の都合で親が日本を立つ以上、一人で生活できない「子供」の私も当然一緒にいくことになる。手続き上三月いっぱいは日本で過ごし、春からは新生活。その予定は、私が口を挟む間もなく組上がっていて――。

 勿論、親を恨んだりはしない。新しい生活には、きっと新しい喜びもあるだろう。バスケだって、あっちの体格相手じゃとても通じないし辞めることになるだろうけど――そもそも続けていても将来に繋がるとは限らないんだし。友達とは直に会えなくたって、今はいつだって連絡できる時代だ。食い下がる理由も意味もなく、私は笑って受け入れた。それが、最善だと思ったから。それが、最善だから。

 

「あれ、開いてない……?」

 ある日いつもの時間に体育館へ入ろうとしたら、入口は施錠されたままだった。時々あるんだけど、春休み中だと教室で待つわけにもいかない。石段に腰を下ろし、待つことにしようかと思う。ルールブックでも読んでいれば、時間はすぐすぎるだろうし。

 ……とはいえ目は活字に落としたものの、文章は入ってこない。やっぱり身体を止めると、余計なことばかり考えてしまう。考えて何になるんだ。冷たい空気が今は逆に、思考を良くない方へ追い込んでいく。ダメだ、これは――。なにか、別なことをどうにか――と抗おうとしたその瞬間、

「先輩! あの、よかったらこれどうぞ!」

 不意打ちのような声と、つき出されたマフラーが私の意思を現実に引き戻した。

「あとこれ、あったかいお茶! この手袋もあったかいです、あとカイロもっ」

 よく見れば、それはこの間の男子。……私が寒くて俯いているように見えて、心配してくれたんだろうか。やれやれ、先輩として情けないったら。少しはセンパイらしくしないと。

「気遣ってくれて、ありがとう。私は大丈夫だから、君こそあったかくしてなさい」

 渡されたマフラーを、彼の首にかけてあげる。……どう見ても私より寒そうだし。と――タグに書かれた文字列が目に入った。……そうか、いのまたたいきって言うんだ。お母さんが書いてくれたのかな。なんだか、微笑ましいな。さっきまでの纏わりつくような不安感は、いつのまにか去っている。……視点を変えるって大事なんだな。

 

 そして、日はすっかりと落ちて。他の部員が帰ったあとも、私は体育館に残ってシュートを放っていた。動きをとめたくない、ボールから離れたくない。後僅かな期間を、後悔無く終わらせたい。最後まで、いつもの私のままでいたい。――その先がどうなったとしても。

 ――考えるな。動け。もう一度ボールを構え、

「あ、……まだ練習してたんですか?」

「!? ――っと、 いのまたたいき、くん。うん、部活中のプレーに納得いかなくて、ね」

 危うくまたボールをぶつけそうになったけど、今度は踏みとどまる。いや、そうだ、それより――

「ねえ、1ON1しよ!」

 ちゃんとボールを腕のなか目掛けて放り、フォームを取る。どうせ会ったんだ、センパイの憂さ晴らしに付き合いなさい後輩くん。

 

 ――で。まぁ……バド部とバスケ部が1ON1やって、そりゃ結果は見えているわけで。それは向こうも分かってるだろうけど、それでも全力で向かってくるのを迎え撃つのは、……楽しい。私Sっ気あるかもしれない。日本での思い出に、こういうのも悪くないかも。向こうでも遊びでボールを持つことくらいはあるだろうけど、こんなに本気になることは無いかもしれない。

 やがて二人ともヘトヘトになって、どちらともなくペタリと座り込んで。それで耐久1ON1は終わって、それでも何となく帰りたくなくて、とりとめの無い話が始まった。

 いのまたたいきくんはお母さんが英明のOGで、昔はその影響でバスケもやってたけど、「チーム競技に向かない」ってことでバドに行ったんだとか。練習熱心というか、単にドMなのかもしれない、とか。つい今朝まで名前も知らなかった、きっとこれから話すことも無いだろう後輩となんとなく過ごす時間が、なんだか楽しい。終わってほしくないくらいに。

「ドMって、先輩に言われたくないですー」

「お、誉めてやったのにこの後輩め」

「練習熱心なのは、先輩もですよ。中学引退の翌日も――練習してたじゃないですか。俺、見たんですよ」

「……っ」

 記憶の底が、溢れてくる。そうだ、覚えている――思い出せる。

 

 ほんの僅か、だった。皆掛け値なしの全力で、なにもかも賭けて、それでも及ばなかった。全国出場を逃したあの日は一睡も出来ず、ただ空が白むまで歯を食い縛っていた。我慢できなくなって早朝の体育館に駆け込んで、ひたすら、ただひたすらシュートを打ち続けた。指は痺れ、足腰はふらつき、視界は涙で歪みきっていた。それでも、それでも、それでも――悔しくて、堪らなかった。動かなくなるまで身体を苛め抜いて、声を殺して泣いて、それでも悔しさは収まらなかった。届くと思っていた、そこまで遠いと思わなかった、皆が力を合わせればきっと叶うと思っていた、……そんな甘ったるい気持ちになっていた事が、何よりも悔しかった。悔しがる事しかできない自分が、無力すぎて大嫌いだった。

 

 ――たかだが、一年半なのに。なぜ忘れていたんだろう。諦めるフリなんか、してはいけないんだ。もう二度と、あんな悔しさに沈んではいけない。終わった後に残るのは、後悔だけだ。ホイッスルが鳴るまで、足掻かなければいけないんだ。私が、私でいる為にも。

「……ありがとう」

 思い出させてくれて。踏み留まらせてくれて。私を、見ていてくれて。気付かせて、くれて。

「ありがとう、いのまたたいきくん」

 

 

 それから――私は全力で両親に思いの丈を叩き付けた。私はどんなことになっても日本に残る、絶対に諦めない、家出してでも一緒には行かない、と力の限りに好き勝手を言いまくってやった。声を張り上げ、物も投げ、子供の我儘を可能な限り激しくブチ上げる私。人が見たら退く限りだろうけど、知ったことじゃない。

 やがて、まずはお母さんが根負けした。そうなるとお父さんも折れざるを得ず、鹿野家の海外移住プランは大幅に軌道修正されることが確定したのだった。まさしくブザービーターという感じで。

 

 私はお母さんが英明時代に同じチームだった人の家に住まわせて貰う事となり、一先ず日本に残ってバスケを続けられそうだ。勿論それで何もかも丸く収まるわけじゃない、あれこれ問題は残ったままだ。それでも、あのまま諦めるよりははるかにマシだろう。

「――さて、と」

 まだ誰もいない、冷えきった空気に包まれた体育館。いつものようにシュートを放りながら、でも今日は待つことにしよう。気を遣わせたままじゃ申し訳ないし。まだお礼もちゃんと言ってないし。……他に言いたいことも、あるし。

「そろそろ来るかな、――いのまたたいきくん」




オリジナルの先輩ってモノローグ殆ど無いので、ほぼ独自解釈です。でも私は謝らない。


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