長々と書きました。読みづらいと思います。
専門的なことは良く解らないですし、時系列も曖昧です。原作を愛する方、現実感を重視される方には嫌われるかも知れないです。こんなの八幡じゃないと思われるかも知れませんが、八幡だと思って読んで頂けたら幸いです。

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時系列も曖昧です。原作を愛する方、現実感(リアリティー)を重視される方には嫌われるかも知れないです。こんなの八幡じゃないと思われるかも知れませんが、八幡だと思って読んで頂けたら幸いです。


きっとそれはありふれた絶望

「悪いね…」

 

幾分か皺だらけになった母親の手を取りながら俺は呟く。

 

「気にすんなよ」

 

今日はバイトも休みの土曜日。俺は母親と手を繋いで公道を歩いていた。かつては30度を超えただけで猛暑だとか最高気温記録更新などと言われていたのが嘘のように、ニュースを見れば40に届くのも珍しくなくなってきた今日日の夏。もはや地球が人類を滅ぼしにかかってきたのだと確信さえもてるような日照りの中、俺は歩いていた。

 

このまま直射を浴び続ければ骨なしチキンの俺はアップグレードして鶏ガラになってしまうし、息子視点でもここ最近頬の痩け方が気になる母親は小女子(こうなご)になってしまう。この歳のしかも自分の母親を“女子”などと呼んでたまるかと、俺達は冷房の効いた市民バスに乗り込み、駅のロータリーで専用バスに乗り換えて、我らが盛り場、総合アミューズメントパーク?というかショップ?こと“ムー大”へ向かう。

 

普段なら自転車、むしろ一人なら徒歩でも来れる場所でもこうしてわざわざバスを乗り継いでくると赴きが違うというか、いつになくワクワクしている俺がいた。あれか、いつも内科ばかり行ってる総合病院の形成外科に行く特別感みたいな心境か。違うか、違うな。そもそも形成外科は入学してすぐ世話になったしな。いやそれも話が違う。

 

運良く空いていた優先席に母を座らせ自分は立ったまま視界の中を流れる景色と共になんの意味も計算もなく独り言のように考えを巡らせていると聞こえた母の声。

 

 

「ごめんね、八幡。折角のお休みなのに、私なんかの為に使わせて…」

 

 

 

母親の口から溢れた言葉に含まれた意思は、“感謝”ではなく、“謝罪”だった。

 

 

それは今、俺が欲しくないものだ。

 

 

 

 

「気にすんなって言っても無理だろうけどさ、母ちゃん。俺が欲しいのは謝罪より感謝なんだよ、出不精の俺が外に出た。世間は今日この休日に俺の顔を見れた奇跡に泣いて喜ぶべきだろ」

 

 

誤魔化すように、何かを拭うように、早口で捲し立てる俺を見て母親は納得したのか俺らしいと思ったのか、窓から入る日の光に少しばかり儚げな雰囲気を纏いながら、小さく微笑みを称えた。

 

その唇の端に去年までは無かった皺を見て、俺は目を反らす代わりに目を閉じて無理に唇の端を持ち上げた。

 

それが、自分の嫌いな欺瞞(かめん)だとわかっていながら…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母親が体調を崩したのは俺が総武高校に入学して最初の夏に入る頃だった。初めは「なんとなくだるい」と言って仕事へ向かう時間を遅くしたり逆に早く帰ってきたり、「食欲がない」と言ってヨーグルトやゼリーといった簡易食だけを流し込んで出社することが増えた。

 

当然母の仕事内容など知る由もないが年中朝から晩まで働いて疲労感を化粧の上に施して帰ってくる母の激務に、そんな低カロリーでバットコンディションな体調でもつわけもなく、それでも俺や小町の「病院行け」コールを約1月半も無視し続け、とうとう欠勤が連続で4日続いたあたりでベットから這い出してきた顔色の悪い母親に、俺が「自力で行くか・救急車(ぜいきん)で行くか…選べ」とケータイを片手に迫れば観念したらしく自ら車を出し、俺を助手席に乗せて俺が入学時に世話になった病院へと行くに至った。

 

 

 

 

 

 

大腸癌。悪性の腫瘍が大腸に巣食っていると医者は言った。

癌という言葉から察する通り命さえ奪う大病だ。母親の隣で医者の診断、及び入院と手術について説明を受けた俺は感情を整理するよりも先に情報だけを持参していたメモ帳に書きなぐり、母の病室が用意されている間に仕事中の親父に不在着信を2件入れて大雑把な説明を書いたメールを送り、小町には「帰ったら説明する」とだけメールをして母の手を握っていた。

 

車椅子にのり、黙って俺の手を握る母の手の力の弱さが嫌でも「これは現実なのだ」と思い知らせてきた。

 

 

 

 

 

 

 

父は仕事を早引きして病室に入ってきた。駐車場から走ってきたのだろう。汗を流し息を荒くして、自分よりも死にそうな旦那の姿を見て母親は笑っていた。俺はあまり笑えなかった。

 

 

 

母親の手術は無事終わった。母は体内から悪性の腫瘍を除去するのと引き換えに、大腸の一部を失なった。そこらへんの話は俺に聞かせたくなかったらしく、母は自分が聞くからと俺や親父を診察室から追い出した。手術前に軽く受けた説明では排泄の仕組みが少し特殊になるらしく、それは自分で処理するからと意地になったらしい。まぁ、実の息子や仕事で疲れている旦那には見せたくないのだろう。母として、妻として、女として。全てとは言えないが言葉(字面)として納得したので甘んじてそこは母に委せることにした。もし母の手に負えないこと、自分に協力できることがあれば伝えてくれと母に隠れて医者に伝えると、「『自分でやろう』という意思も治療には強く影響するから見守ってあげてくれ」と言われた。そばで聞いていた看護士が微笑んで撫でてくるのがこそばゆかった。「君の目は私の腕でも治せそうにないなぁ」なんて恋人である看護士と一緒に笑っていた時は殺意を抱いたが。

 

 

入院中は何度も見舞いに行った。特に理由はなかった。ただ、抗がん剤治療によって苦しむ姿を、母として接するその姿を少しでも目に焼き付けようとでも思ったのかも知れない。あと、病室は静かで暇になりがちだから意外と勉強も捗った。意外にも理系だったらしい母親が時たま勉強を教えてくれて、『昔はこういう時もあったね』などと母の口から聞いた時には確かに存在した、まだ目が腐る前の俺の家庭の一コマが脳裏に甦った。

抗がん剤の副作用には脱毛という印象が強くあったが母親のそれは悲観する程ひどくはなかった。たくさんの錠剤や点滴で投薬していたから薬の組み合わせなどで防いだのかも知れない。それでも痛みや怠さ、吐き気などはあったようだが、出来るだけ要望には答えるようにした。母の言葉も、担当医の話もたくさん聞いた。

 

 

 

 

 

母の退院が許可された。当然完治などではない。一応体内から腫瘍は摘出されたが、転移などの可能性はあるし、抗がん剤治療を辞めて薬を身体から抜きつつ安静な日常に戻ろうという意図なのだろう。母は手術の前に仕事を辞めたので安静という条件付きとはいえ家に常駐することになる。そのことに小町がとても喜び、親父は羨ましがっていた。

親父は母に隠していたが、預金通帳を見て眉を寄せることが増えていた。

 

 

冬に入る頃には家計は安定性を失っていた。母親の癌の転移が見つかり、手術と抗がん剤治療の為何度か入退院を繰り返していた。手術、抗がん剤治療の度に病室のベットから動けなくなり心身共に辛そうにしている母のもとへ見舞いに行き、俺は夕方まで母の隣で勉強、読書をして、夕飯までには戻って小町と共に飯を食った。

 

母が何度目かの退院をしたが、不調も多くあまり家から出られなくなってきた頃、家の中の空気が悪くなり始めた。度重なる手術と抗がん剤治療は明らかに家計を圧迫し、ギリギリライフラインが止められることは無かったが、食費を少しずつ削っても小町の中学の修学旅行の積み立てが怪しくなってきたのだ。加えて現状母は心身共にかなり憔悴し、家事はおろか自分の身仕度すら満足には行えない。皆、そんな母親の姿を見たくはなかったのだろう。小町と親父があまり自分の部屋から出なくなり次第に廊下やリビングの隅に埃や落ちた髪の毛が溜まり始めた。

 

 

 

 

母親は日中リビングのソファーで毛布にくるまりテレビを眺めていた。本当にただ眺めているだけだった。何か興味を持つわけでも、笑いもせず、その目は画面と壁の区別がついているのか怪しいほど機微がなかった。そんな母親に、何も出来ず憔悴し、ただ痛みに呻き家計を圧迫する母の姿を見る目に『母が居なくなれば少しは楽になるのだろうか』等という狂気染みた考えが浮かぶようになった。誰よりも辛いのは母親なのだと皆わかっていた筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬休みが終わる前に親父と学校に了承を貰いバイトを始めた。小町は俺が家にいる時間が減ると不満気だったが、今後は家事を出来る限り手伝うと約束すると納得してくれた。

 

 

 

「いらっしゃいませ~!ようこそー!」

 

「「「「◯◯◯へー!」」」」

 

「美味しい舞台へ~?」

 

「「「「いらっしゃいませ~!!」」」」

 

 

バイトは家から一番近くのチェーンの回転寿司にした。目付きの悪さは自覚していたので、裏方で出来ることなら何でもやると言えば店長さんはまともに面接をしてくれた。現在の家の状況などを正直に伝え、給料の使い道は自分の教育費と携帯料金だと伝えると店長さんはとても理解してくれて無事採用の運びとなった。お店の特色で笑顔と声出しを重要視しているらしいが、金の為と奮起して声を出した。笑顔についてはあまり出来が良くないらしくキッチンの人達にとても気をつかわれたが、見えるところで悪口を言われなかっただけでかなり精神的ダメージは回避出来たといえる。

 

 

シフトは平日は17時~21時半。休日は休憩込みで9時間。休みは店側の都合の良い日に入れてもらった。なるべく早く起きて、小町が朝食を作ってる間に洗濯を回して干し、学校が終わってから一度家にもどって洗濯物を取り込んで寿司屋に自転車で向かった。

 

始めは洗い物と掃除から始まり、一日目はそれだけでも疲労困憊し風呂に入ってから飯も食わずに寝てしまった。食えなかった夕飯はそのまま次の日の弁当として詰めた。

次に客のオーダーを機械で受けながら軍艦巻きを作った。軍艦はキッチンからレールと板前さん達に接する場所で、キッチンで受けた注文やレールに流す商品を確認することも役割なので、どの担当がどのメニューを担当するのかをほぼ把握することができた。

同時に注文が重なることも多く、間に合わなくなった時は洗い物をしてるパートさんに頭を下げて手伝ってもらった。嫌な顔せず手伝ってくれた時はとてもありがたかった。それからは手が空いた時は然り気無く他の担当さんを手伝うように心がけた。

 

 

 

従業員になると従業員割引が貰えるようになる。無限に使える訳でなくチケット制だ。給料明細と一緒に月に8枚貰えた。休日に夕飯前にあがれた時に寿司を買ったり、次の日の弁当用に五目稲荷や揚げ物などを買って帰ると家族に喜ばれた。俺がバイトを始めてから家の中の空気が緩和してきた気がする。ただ俺が家にいる時間が減ったからそう思えただけかもしれないが。

 

 

軍艦の後は揚げ物担当に回された。揚げ物担当は火を使う商品全般を担当する。御代わり自由のあら汁や、茶碗蒸しなんかも仕事の範疇だ。商品数は軍艦担当とそう変わらないが、軍艦と違って単純作業とは言えないので覚えるのは苦労した。バイトを始めてメモ帳は2冊目に入った。

季節やイベントによっては俺が直接客に届けたり、御代わり自由のあら汁なんかの補給ではホールに出てホールの従業員とコミュニケーションを取らなくてはいけない。注文が入ると思わず舌打ちしそうになった。「鮑の踊り焼きとか、下ネタじゃね?」とか料理長に言われたが、童貞の俺に解るわけねーだろ。「そうなんですか?」と真顔で返したら童貞がバレてキッチンや社員の皆にバラされたが、皆笑いながら「今後が楽しみだなぁ」と言われた。見た目に反して声を出しながら仕事していたのが功を奏して悪い印象はもたれてないらしい。よかった。

 

 

シフトはほとんど店長に任せた結果、ほとんど週休2日状態で働かせて貰えたのでケータイ代とマッ缶、服はほとんど制服のYシャツとスラックスにパーカーやコートばかりになり、その他諸々で使っても多少余裕があったのでネット配信込みのケータイプランに変えた。家のテレビでもケータイでも共通アカウントで見れるようにして、母親に薦めてみた。自分のおすすめのアニメを見せたことで多少アニメの話も出来るようになった。笑ったりハラハラしたりでアニメにのめり込むことで少しでも痛みを忘れてくれればと思ったがその熱量は俺以上になった。母ちゃん…、社会復帰出来るかな。もう生涯脛齧るのは無理そうだ。

 

 

休日は二人で出掛けた。出来るだけ公共交通機関を使いつつ、近場で散歩して軽い食事をして帰るだけで気分は良くなるらしい。母親も嵌まったラノベなんかも途中で買ってくれたのでWin-Winというやつだろう。身体の不調故か母の歩みは遅く、もとより並の人間より歩速の速い俺としてはむず痒いところもあったが、道行く人にあだ名をつける遊びをして誤魔化した。この歳になって母親と手を繋いで歩くのは同級生の目などについた時ゾッとするものがあったが、もとよりぼっちなのだ。気にする意味もないと母の望むままに右手は預けっぱなしにしていた。度重なる手術と抗がん剤治療で髪に白髪が混じり、肌の張りを喪った母親の姿。社会で腕を(知恵を?)振るっていたあの頼もしさは何処へやら、しかしその儚さは我が母ながら美しいと思い笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

高校2年に入って少しした頃、生活指導の平塚先生から部活の誘いを受けた。曰く一年前期からの数学等の成績の伸びが目覚ましく、且つ友達付き合いにも積極的ではないと見えたから是非に…とのことだったが、事情を説明して「バイトと母と一緒にいられる時間を減らしたくない」と言うと残念そうにしていたが、頑張ってくれと背中を押された。この学校でここまで俺のことを見てくれた人は初めてだった。

後日、俺の靴箱に焦げたクッキー?が入っていた。具体的なことは何も書いてなかったが『ありがとう。遅くなってごめんなさい』と書かれていた。心当たりは全く無かったが、中のクッキーを無理矢理マッ缶で流し込み、『心当たりはないから礼も謝罪もいらない。でもありがとう』と付箋紙に書いて空になったラッピング袋に入れてそのまま下駄箱に入れておいた。数日後には無くなっていたのできっと送り主が見てくれたのだと信じたい。

 

 

 

最近母の機嫌がいい。俺によく飯のリクエストをするようになったしアニメ談義も嬉しそうにする。医者からもかなり好調だと聞いていて、少しずつ薬も減ってきた。食費や光熱費と小町の小遣いは親父が、小町と俺の教育費とかは俺が担当している。俺自身は修学旅行に興味がないので最初から積み立てをせず、小町の修学旅行の積み立てはギリギリ間に合っている。小町も当たり前のように給食費等をまっすぐ俺に持ってくるようになってきた。

一先ず我が家の家計は一定のレベルを保っているが、それでも危うさはついて回っている。バイトの給料日に中学校関係の支払期限が間に合わなかったりすると俺が電話をして待ってもらい、高校でも学年主任に頭を下げた。仕組みは解らないが、ひょっとしたら教職員が期日まで立て替えてくれたこともあったのかも知れない。迷惑をかけている自覚はあった。

交遊費はかからなくとも、最低限生きているだけでも金はかかる。頭を下げる度、請求書を見る度、余裕の無さが不安となって常に背中について回った。家族の中でもそんな不安を感じているのが俺だけなんじゃないかと思うと、家にいても家族のご機嫌な顔を見て少し息苦しさを覚えた。

 

 

高額療養費・医療費控除制度というものがある。これは一月にかかる医療費の自己負担額が高額になる場合、一定以上の医療費が控除されたり払い戻しが可能となる仕組みだ。具体的な数字は世帯の所得と保険証の発行元によって異なるが、かなり助けられる仕組みだ。俺はこの仕組みをネットで知り、母親の保険証と過去の明細書から申請していた。母の入院はもちろん、手術も薬もそこまで先進的なものではないらしく、これまでかかった医療費はうちの両親の貯金を食い潰していく高額となっていたのでなんの問題もなく通ると思っていた。これまで払った金の何割かでも帰ってくれば、今後の医療費の一部が控除されれば今の不安もなくなるだろうと、そう思っていた。

だが、現実はちがった。この制度は一月の1日から月末における入院費や薬、手術代のトータルが高額となる場合認められる仕組みだ。しかしどういう訳か母親の入院や手術は月を跨いで発生することが多かった。こうなると払った金額も月の代わりに従って分割されギリギリ高額療養費に届かなかった…。返ってきた金額は極僅か。誰が悪い訳でもない、ただ、ただ運が悪かった。

 

 

運が悪かった。実に今更な言葉だ。運悪く母が病を抱え、運悪くそれが長引き、運悪くそれが家庭を圧迫し、運悪く…社会に助けてもらえなかった。運。まるでサイコロを振って出た目で自分達の運命が決められるような、無機質で言い訳すら出来ないような残酷な事実。運が悪い。ただそれだけのことで、我が家の苦渋が、母の痛みが、俺の希望がなかったことにされたようでーーーー…。

 

 

 

 

 

 

 

そして数日後、

 

 

「また、癌の転移が見つかりました。余命、半年というところでしょうか………」

 

 

 

 

カシュッ…

 

 

 

 

ごくっごくっごくっ…

 

 

 

 

 

ふぅ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたい…と、一人ベストプレイスで涙を流した。

 

 

 

 

 

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高城です!よろしくおねがしゃっす!!」

「くっ、黒瀬莉緒(くろせりお)です。…よろしくお願いします…」

 

揚げ物担当にかなり馴れてきた頃、うちの店に新人が入ってきた。俺にとっては初めての後輩になるヤンキーっぽさのある男子と、ホールに配属される図書室にでも居そうな内気そうな女子だ。どちらも俺の一個下らしい。あまり仲良くなれそうも無いが、別に仲良くなる必要もない。挨拶もそこそこに、仕事に専念しよう。ぼっちの原動力はさっさと帰るという帰巣本能だ。

 

 

 

 

「あー高城…」

 

「あー比企谷くん!なんすか!?」

 

この店は高校生が少ない。社員は言わずもがな、キッチンのほとんどはパートのおばさんとおっさん達で回っていて、ホールは大学生の女子達とパートのおばさん達だ。高校生は俺と高城と黒瀬しか居ない。店のほぼ全員が俺より年上なので皆が俺を「比企谷君」と呼ぶ。その影響を受けてか高城は俺を「比企谷君」と呼び、初めて呼ばれた時はキッチン内の空気が凍ったが、俺自身が別に気にならないので普通に返事をしたことから止まった空気は正常に動きだし問題にはならなかった。

 

 

「洗った皿は色ごとに分けて籠に詰めろ。洗浄機に入れる前に色分けしとけば効率がいい」

 

「あー…あー!なるほど!了解です!あざしたっ流石っす!」

 

 

陰キャな俺の後輩として入ってきたヤンキー系男子高城の存在は、「比企谷がひびっちゃうんじゃないか!?」と料理長を含む多くの社員達に不安を持たせたが、プライベートならまだしも仕事の上で指示をするのに躊躇いは必要なかったので平静に接したところ、そんな俺の態度に新鮮さを感じたのか彼自身のヤンキー気質故か、なんか懐いた。

まぁ、きっかけは別にあると思うが…。

 

 

「比企谷さん!また!また一個!お願いっします!」

 

「はぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

ホール設置の御代わり自由のあら汁鍋が減ってくるとホール人が揚げ物担当に報告にくる。まぁ、本来は報告がくる前に自分で確認に行くのが理想なのだが注文が立て込んでくるとそうもいかない。

 

 

「比企谷さん、あら汁…えっと、どれくらい補充できますか…?」

 

高城と黒瀬が入って数日の土曜日、ピークを超えて注文も粗方片付けた時に新人の黒瀬がキッチンの俺の元にきて訊ねた。

 

「あー…これ終わったらあと味噌と出汁で味付けするだけだから…15分以内に補給する。他のホールさんと…もしお客に聞かれたらそう伝えてくれ」

 

「わかりました…」

 

入ってる注文も急ぎの作業も無かったのでそう答えると、黒瀬は遠慮がちに頭を下げてホールに戻ろうとした。が、

 

 

 

「あー黒瀬ちゃん!黒瀬ちゃん彼女いる!?俺らさー、同じ日に入ったじゃん?なんか相談乗ったりできるかも知れないし記念にLINE教えてくれね!?」

 

 

洗い物が片付いて若干余裕そうな、しかしピークを超えて若干ハイになっている高城に勢いよく訊ねられた。下心があるのか無いのかわからない。いや無いわけないか。黒瀬自体は派手さは無いけど図書室とか研究室とかが似合いそうな大人しめの美人だ。それでも、いきなり恋仲とかって程の情熱があるわけでは無さそうだが、仲良くなりたいのは本当だろう。記念なのか相談があるのかは解らないが。

 

 

「っ、えっ…えっと…」

 

突然のアクシデントに焦る黒瀬。見た目からして人付き合いが苦手そうな黒瀬と、見た目からしてちょい悪っつーかヤンチャな高城じゃ相性が悪い。仲良くなれないとは言わないが打ち解けるには少し時間がかかりそうだ。………俺?俺は人付き合いが苦手なんじゃなくて人付き合いが嫌いで人から嫌われるのが得意なのだ。………死んじゃおっかなー……。

 

 

「ね?ね?黒瀬ちゃん!どう!?俺どう!?」

 

「あ、あの……」

 

高城(こいつ)超直球だな…。焦る黒瀬を尻目に俺はレールに流そうと思っていた鶏の唐揚げのうち2つを包丁で一口大に切って、高城に声をかける。

 

「高城…」

 

「えぇっ!なんすか比企谷君!」

 

「………隠れて食えよ…」

 

 

「まぁじっすか!?」と小躍りしそうな程はしゃいで皿を持って隠れる高城に「ちゃんと仕事しろよ」と声をかけつつレールに唐揚げを流していく。

 

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

「あ、ありがとうございました…」

 

「あぁ、悪かった。すぐあら汁仕上げるから…」

 

「はい…!」

 

揚げ場から聞こえる「これうまっ!」という声に溜め息をつきながら俺はあら汁の仕上げにかかった。

 

 

 

 

「比企谷君っ、俺今度はタコ唐食いてーっす!」

「味しめんな…。暇なら手伝え。タコ唐も教えるから」

 

「いいんすか!?」

 

「お前が覚えれば俺の仕事も楽になるしな…」

 

「っしゃー!!」

 

 

 

 

 

寿司屋は季節毎にイベントや推し商品が変わる。みそ汁一つとっても蟹汁、はまぐり、あさり、つみれ。天婦羅や唐揚げも食材一つで好き嫌いは多く別れるだろう。それらを覚えて家で振る舞えば家族はとても喜んだ。特に茶碗蒸しやすまし汁なんかは体調不良の母親でも食べやすいと好評だった。しかも母が病院内で自慢をしたらしく医者や看護師に褒められレシピを聞かれて多いに困ったりした。

 

 

 

 

 

 

 

母親と休日に映画を観に行った。母親と俺が同時に「「一番後ろの席で」」と口にし、恥ずかしさと笑いがこみ上げ二人でひとしきり笑った。

 

 

ムー大に買い物に行った際、遠目にヤンキーを連れた高城と目が合い「おはようござっしゃーーーすっ!!!!」と強烈な挨拶を食らい矢鱈とヤンキー達から興味の視線が集まった。死にたい…勘弁してくれよ…。

 

 

休憩中に黒瀬に連絡先を聞かれた。なんでも店内の高校生組でLINEグループを作ったらしい。俺がグループの参加を断ると「なら万が一の時の為LINEを教えて下さい」と言われた為、LINEのダウンロードから一通りやって貰った。

 

 

次の週、小町と一緒に母の新しい寝具を見に行った。気分でも変わればと思ったが、小町のセンスが光り暖かい色の軽い羽毛布団を買った。決して安くはなかったが小町と母親が取り合いしてるのを親父と見ていた。

 

 

ある休みの日、テスト勉強でストレスの溜まった小町が甘い物が食べたいと言うので、茶碗蒸しの要領でプリンを作ってみた。家族全員が多いに気に入ったらしく。その後何度も作らされるようになった。

 

 

高城の奴が自分が食いたいばかりにやたらと揚げ物を揚げてはレールに流すようになった。料理長に「5人しか客がいねぇのに5皿も唐揚げ流してんじゃねぇ!」と怒られた。何故か俺も。…解せぬ。死にてぇ…

 

 

営業終了後忘れ物を取りに休憩室に戻ったら料理長と副店長が互いの脛毛を見せ合ってどっちが強いか等と言っていてマッ缶を吹き出した。ちなみに優勝はその時客として食べに来てなぜか休憩室で遊んでいた高城だった。

 

 

休憩室の冷蔵庫に俺が常に3本入れているマッ缶が消えることがあった。店長と副店長と料理長、座長、高城が犯人だった。女将さんが休憩室に正座させてた。その後は「比企谷さん、マッ缶を一本恵んでください」と高城や社員さんが頭を下げに来るようになった。

 

 

 

高城がまたやらかした。茶碗蒸しの三つ葉をデザート用のミントと間違えて16個作り、レールに流した4皿が客に届きクレームとなった。「めっちゃフルーティーっすね(笑)」などと笑っていた高城共々拳骨を食らった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?マジでか?」

 

「はい…」

 

 

うちの店にも段々と新人が入り、ホールキッチン共に高校生が増えてきた頃、仕事終わりの駐輪場で黒瀬に告白された。顔を赤く染め、両目の目尻に涙を溜めて真っ直ぐこちらへ想いを吐き出す黒瀬に嘘や悪意は感じなかった。

なんでも、気遣ってくれる優しさと常に身に纏うアンニュイな雰囲気、休日見かけた母親の散歩に付き合う姿に惚れたのだと言う。確かに重たいビール缶を代わりに運んだり、ホールが洗い物を持ってくる前に自分で取りに行ったり、客から直接注文されて焦って救援を求められた時は代わりに接客をしたりしたが、そんなのはたまたま俺だっただけでタイミングが違えば他の奴がそうしただろう。むしろ俺よりも愛想よくするまである。一瞬受け入れそうになるが、自身の状況を思い出し、代わりなんていくらでもいるだろうから「他の奴にしておけ。もっといい男はたくさんいる」とすげなく断った。

 

 

 

「卑怯ですね…比企谷さん…」

 

 

「あぁ、全くだ…」

 

 

俺は最後まで自分の想いを口にしなかった。感情でぶつかってきた黒瀬に対し、俺は自分が黒瀬をどう思ってるかも考えず、都合と理屈を使って応えを出すことから逃げた。

 

 

「それでもっ、ッ、ぐすっ、わ、私の気持ち…が、無くなる訳じゃ…ないので…。これっ、からもっ、ぐすっ…よろしく…お願いします…」

 

 

黒瀬は大粒の涙を流して何度も何度もしゃくりあげながら、涙を拭いつつも決して目を逸らさずにそう呟き、その芯の強さに俺は思わず目を逸らした。黒瀬は涙が渇くのも待たず星が瞬く夜空の下、自転車に乗ってフラフラと帰っていった。

 

帰り道大丈夫か。とか、何をよろしくお願いされたんだ。とか俺は思ったが、この期に及んで余計なことばかり考えてまだあいつの告白と本気で向き合っていない自分にほとほと嫌気がさした。…また、死にたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総武高校を卒業した。いつの間にか国語学年一位、その他も全教科で学年一桁に入っていた俺は特に苦労もなく県内の大学に入学が決まり、実家から通いつつバイトは継続して続けることになった。青春の思い出などバイトと家族しかない。

 

卒業式の後は家族で俺のバイト先へ向かい、これまで苦労を知っている家族からは喜ばれ、店長や料理長がやたらとサービスしてくれたり、高城が絡みにきたりと俺らしくもない、賑やかな一時となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、八幡。折角の休日なのにあんたまたYシャツにコートで…もうちょっとお洒落しなさいよ!ねぇ、莉緒ちゃんもそう思うよね?」

 

「え、えっと…比企谷さんは、その格好が一番しっくりくるというか…格好いいので…」

 

「いいこだわぁ…。もうあんた達付き合っちゃいなさいよ…」

 

「い、いいんですか…?」

 

「………………先行くぞ」

 

 

 

店を出た俺達家族を追いかけ出てきて涙ながらに再度告白してきた黒瀬をうちの母親は大層気に入り、こうして互いの休日が合う日は出掛けることも起きた。相変わらず卑怯な俺は、「まだお前を好きにはなっていないし、今は家族と自分しか大事に出来ない。だから、まぁ…お前を恋人として見ることは出来ない」と黒瀬を二度も泣かし、何故か二度目は礼を言われた。

 

 

 

余命宣告から数度の手術を乗り越え、高額療養費制度の力も借り、母は少しずつ回復をみせた。かれこれもう半年近く母親の癌は転移を見せないし、徐々に薬も減ってきた。あと数ヶ月もすれば薬も無くなり医者から“完治”の太鼓判を押されるだろう。

 

 

地獄と絶望の中でも、何か大きな切っ掛けなんてなかった。ただ押し潰されないように地道に、耐え、時に目を逸らしながらも当たり前を積み重ねてきただけだ。死にたいと思った。何度も思った。だが死ななかった。ただそれだけのことだ。その踏み出す一歩の方向が、今をつくってきた。

 

 

 

 

「あ、あの、比企谷さんは専業主婦志望なん…ですか?わ、わたしはその将来はお店をやりたいと思っていて…」

 

「あら、いいわね。大丈夫よ。この子もそのお店でちゃんと働かせるから。最近は家でもお店のアレンジ料理とか作ってくれてね、今度は莉緒ちゃんのお家の人にも食べてもらおうかしら…。あ、あとカマクラを看板猫にしてね…」

 

「ほ、ほんとですか?比企谷さんが料理してくらたら…その、嬉しい…です…」

 

「あんた、もう結婚しちゃいなさいよ…」

 

 

 

 

 

 

「………………家族全員癌になっても笑ってられるくらい貯金溜まったら、考えるわ…」

 

 

 

 

 

 

 

今日もまだ(性懲りもなく)、俺達は生きている。

 

 

 

 




医療費に関する助成金についてはよくわかってないです。
癌についても、ほとんど知識はありません。あくまでフィクションとしてお楽しみ頂けたら幸いです。

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