最後の直線。
淀の坂を下った勢いそのままに。
第四コーナーに突っ込んできた時点で、キッドの後ろには『何も無かった』。
正直、並の馬……否、常識的なレースならば、セイフティーリードと呼んでも問題ない距離。
だが。
最後尾からスタートして、ジリジリと順位を上げてきたディープインパクトが。
最後の四コーナーを回った瞬間に解き放った鮮烈な末脚に、京都競馬場の――否、レースを見ていた人間全てが驚愕した。
「逃げろ! 逃げろキッド! 」
「行けっ! 行けっディープ!」
10馬身以上ある距離を、一完歩ごとに1馬身ずつ潰されると錯覚するような。
正に『飛翔』と呼ぶにふさわしい、強烈な末脚。
遅いはずなんてない。
緩いはずなんてない。
異端だが
むしろレコードペースだ。
なのに……
『一着、ディープインパクト!!』
全てを覆す、絶対的な末脚が。
ゴール前、僅かハナ差でキッドを追い抜いて、駆け抜けていった。
『うおおおおおおお!!』と……馬主席も観客席も大盛り上がりの中。
ぺしっ、と額に手を当てて、俺――蜂谷源一はため息をついた。
うん、やっぱり京都は鬼門だったかぁ……まぁ、でも……来るべき時が来たのだとしたら、納得できる負けだよなぁ……いや、3200の距離で、どんだけ残してたのよ、あの末脚。
だって、ディープが第四コーナー入った時点で、10馬身くらい差があって。
更にキッドも二の足は発動させていて。
それでコレだもんなぁ……
「はぁぁぁ……負けたかぁ……」
うん、悔しい。でもそれだけだ。
それよりも。
「おめでとうございます。金戸オーナー」
素直に敗北を認め、勝者を祝福する。
……ゲーマーだからね、俺は。だからこそ、敗北の悔しさよりも勝者への称賛が優先よ。
「いや、凄かったよキッド。追いつけないと思ったよ」
「やー、実況まで『セイフティリード』って言ってましたから『これは行けるか』と思ってたんですが……はい、負けました」
……というか、正直……
「蜂谷君。正直に言うね。
これだけのレースを見せたんだから、ディープと一緒に凱旋門に来てくれない?」
「いやぁ……それは、ちょっと。負けは負けですから」
来ると思っていた『凱旋門へのお誘い』を、まず回避。
「いや、ほぼ互角だったじゃないの。レコードタイムで10センチのハナ差だよ?」
「その10センチが分厚くて遠いのが競馬じゃないですか。宣言通り、次の宝塚の結果次第ですよ」
というか、もうコッチは回避する気満々ですって……つか、多分、宝塚は『もっと不利になる』と思うし。
……百万は血ゲロ吐くほど勿体ないけど、海外挑戦なんて無謀な状況を回避するためなら……ええい、経費だ経費。
「ひょっとして、海外とか行きたくない?」
「いや、怖いですよ……そもそもが日本の競馬と違い過ぎる環境でしょうし、正直言っちゃうと……あーその……凱旋門の登録って、元々
これ以上詰められても困るので。
もう色々とゲロしちゃう事にする。
「ほぉ?」
「いや、今年のドバイの招待の話がちらっと来た時点で、石河厩舎、管理する馬房が増えたのに厩舎の人手がカッツカツだったんです。
なのに『ドバイ行くぞー!』って
「ああ、なるほど……そういう」
「無理に海外に行っても負けるだけだし、かといってやる気を無くされても困るし……なので、少なくともウチとしては、凱旋門は『勝てる見込みを作ってから』の話なんですよ。
本当に、申し訳ありませんが」
「このレースを見て、まだ足りない、と?」
金戸オーナーのその言葉に対して。
俺は堂々と言い切った。
「はい、負けましたから」
「……レース前に『早めに行きたかった所』って、ココですか?」
春天で盛り上がった熱気が去り。
わざわざ京都競馬場の中に居残って、少し早めの夕食を軽くとった後、俺が新野女史と向かったのは。
『ライスシャワー碑』とかかれた石碑の前だった。
「いや、行きの時はあんな状況で、手を合わせそびれちゃったし。
っていうか……こないだ、うっかり映像で見ちゃって」
「見た?」
「この馬の最後。
……ちょっとトラウマになりそうで、個人的にレース前に無事を祈って、軽く手を合わせておきたかったんだよ」
そう言って、石碑の前でしゃがんで手を合わせて――祈る。
「……罪深いのか、それとも救いなのか……」
「え?」
「いや、そもそも人間が望まなければ『競走馬』なんて、こんな素敵で綺麗な生き物は生まれて来れなかったワケで……特にキッドなんて、俺が買わなければ最悪馬肉コースだったワケでさ。
でもライスのような最後だけは絶対嫌だな、って。
そう考えると、改めて競馬って『業』の深いゲームだな、って」
「……」
「TVゲームやカードゲームだったら、あんな風に死んだり壊れたり傷ついたりしないけどさ。
やっぱ俺も偉そうなオッサンたちが言う所の現代っ子だからなのか……そういう生身の怖さってのは、時々プレッシャーだよなぁ、って。
正直、こんな風に祈るしか出来ない『馬主』って立場が、こんなに怖いとは思わなかったよ」
そう言って。
『ウチのキッドが無事、今日もレースから帰って来れました。ありがとうございます』と。
軽く感謝を捧げて、俺は立ち上がり……
『大丈夫だよ』
「……え?」
「?」
「あ、いや……何でもない。何でもないですよ」
そう言って、何処からともなく聞こえた声を誤魔化すと。
踵を返して歩き始めて……
何となく。
もう一度、振り向くと、片手拝みで石碑に感謝の会釈するのだった。
???『あんな馬鹿、こっちだって手に負えないんだから。心配するだけ損だよ』
ピュアに一期目のウマ娘のアニメから競馬を知って。
最初に検索して出て来たのがライスシャワーの最後とか、サイレンススズカの最後とか……アニメが夢に満ちていた分、現実ってちょっとしたトラウマになりますよね……