真面目で責任感が強い、となると。
溜め込むもの。
人は強く頑丈ではいられないから。
それでも、それでも。
人は、よろめきながら歩いていく。

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発売日に読んだばかりの話をさっそく。


アオを越えて盛夏近づき

 距離を置く、と。先輩は、そう言った。

 俺が夏風邪でダウンしたあの日の事は、忘れようと。これからは、ああいう事は起こさないと。

 先輩は、確かにそう言い切った。反論を許さない、毅然とした声で。

 縁を切られた訳じゃない、出ていく訳じゃない。仮の家族として、立場を弁えて過ごすと宣言しただけ。

 でもそれは、俺にとっては死刑宣告にも等しい。

 君を好きにならない、と言われたようなものだから。

 俺は千夏先輩が好きで、それが支えになっている。早起きして朝練しに登校するのも、先輩の真似から始まったことだ。先輩と釣り合う男になりたいから、インターハイを目指した。

 それは、間違っていたのか。俺は只の後輩、只の同居人でいるべきだったのか。

 胸が、苦しい。千夏先輩が好きだから、苦しい。

 俺は――。

 

 目に見えて態度が変わった、という事はない。いつものように、まるで家族のように俺たちは過ごしている。

 でも、ふとした時に気付いてしまう。

 必要以上の接近はしない。部屋には入らない、入れない。二人きりには、決してならない。

 見えない壁に阻まれているような、どこか寂しさを感じる微妙な距離。

 不満を漏らす理由はない、先輩相手にそんなことは出来ない。

 考えてみれば、当然かもしれない。俺は、男だから。先輩は、女だから。一緒に暮らす中で線引きをハッキリさせておくのは、当たり前の事でもある。

 そう、先輩は何も悪いことを言ったわけじゃない。

 俺の事以外にも、全てに於いて先輩は「良い同居人」であろうとし続けている。猪股家の為を思ってくれている。

 でも。

 それでも。

 正しいことだとも、思えない。

 俺が考えたって、どうしようも無いけれど。

 けれど。でも。

 俺は、嫌だ。

 

 最悪、先輩が猪股家からいなくなる。それどころか、二度と会えなくなる。

 でもこのまま何もしなくたって、再来年の春にはそうなるんだ。ならば、恐れる必要があるか。

 さぁ――行こう。

「千夏先輩、話があります」

 ドアをノックして、しかし返事はない。中にいるのは確かだけど、先輩は応えない。

 それでも構わない。俺は、ただ先輩に聞いてほしいだけだ。

「入ります、先輩」

 一応はそう断って入室すると、やはり先輩はそこに居た。

 ベッドに腰掛け、俺を睨み付けている。

「……こういう事、良くないよ。出ていってくれないかな」

 冷たく怒りを含んだ言葉。

 怖い。先輩の怒りを買っている事も、怒らせて尚怯まない自分も。

 覚悟は出来ているから、俺は引き下がらない。

「先輩、バカでしょ」

「あ"?」

 深まった怒りと、凄みの籠る声が漏れる。

 それでも、気圧されはしない。

 越えてはいけないラインを、勇気だけで踏み越える。

「居候だから、何ですか。立場があるから、何ですか。先輩は俺たちに気を遣う為に、日本に残ったんですか?」

 ゾワリ、と背筋が粟立つ。怒気どころか殺気さえ漂わせて、先輩が立ち上がったから。

 怯むな、俺。

 ここで引き下がったら、世界の果てまで後ずさる事になる。

 だから、前を向け。見据えろ。大好きな、先輩を。

「自分で勝手にルール作って、勝手に他人行儀な顔して、先輩は――」

「うるさい……、黙れぇ!!」

 パァン、と音がして。頬に激しい痛みが走る。平手打ちが、飛んできたのだ。

 痛いけど、止めない。痛いのも苦しいのも、俺は耐えられる。

「知ったような事言わないで! 私はバスケの為に、置いて貰っているの! だから――」

「それは本当に、先輩の夢ですか!?」

 先輩のお母さんは英明のOGで、女子バスケ部のエースとしてインターハイ制覇を夢見た人だ。

 その夢を、次代に託そうという意思もあるだろう。

 だからって、それを受け継ぐ義務なんか無い。

 先輩を縛り付ける全てを、俺は認めない。 

 俺の事なんか、どう思っててもいい。嫌ってくれて一向に構わない。

 先輩が自由になれるなら。

 無理矢理距離を置かされて、ようやく気付けた。

 先輩がどれだけ雁字絡めになっているのか、そしてそれを必死で隠そうとしているのか。

 この人は、ずっと苦しみ続けている。

 傷だらけになって、それでも自分を優先する事が出来ない。

 自分なんて、と思い続けている。

 それを見ているのは、辛すぎる。

「言われてもいない事で、勝手に自分を抑え込まないでください! 誰も先輩に、そんなの求めてません!」

「黙れって言うのが、分からないの!?」

 今度は握り締めた拳が、俺の胸に叩き付けられる。

 一発、二発、三発。呼吸が止まり視界が歪む、それでも俺は倒れない。

 痛みで挫けるようなら、とっくに運動部なんか辞めてる。

 俺はバカだから、鈍いんだ。

 無神経だから、強いんだ。

 悩む頭なんか、持ち合わせていない。

「何度でも言いますよ。先輩は、バカです。真面目過ぎて、背負いすぎてるバカですよ」

 顎に入った一撃に、脳が揺れる。でも倒れない。そもそも俺にそんな大層な脳なんかがあるか。オガクズとかが詰まってるに決まってる。

 先輩が何故「こう」なのか、も分かってきた。

 ずっと期待に応えて、結果を出して。そうでなければ誰にも愛されない、愛される資格がない。そんな風に、勘違いしている。

 だから、何処かで先輩は卑屈だ。自分を誇らない。誇れない。

 それが誰のせいなのかは、俺じゃ分からない。

 でも今の先輩は、間違っている。間違い続けている。ただしく狂っている。

「私は――、怖いんだよ。私なんかを笑って受け入れてくれる大喜くんたちが、怖い。おかしいよ、皆」

 絞り出すような声と共に、先輩の手が再び俺を叩く。

 でも握り拳は、いつのまにか解けていた。

 やって来るのは痛みではなく、僅かな衝撃だけ。

「そうですよ、俺たちはおかしいんです。だから、理由なんか無くても良いんです。先輩がどんな人であっても、受け入れますよ」

 なにしろ、俺の親たちだ。底無しバカの俺を形作った連中が、マトモなもんか。

 マトモじゃなくていいんだ、先輩が笑ってくれるなら。先輩が、自分を偽らずにいられるなら。

 俺は、先輩が好きだから。

「居候なのが問題なら、俺と結婚して家族になりましょう。親の夢を引き継ぐ必要もありません。千夏先輩は、千夏先輩で良いんですよ」

 上手く言う自信はない。でも、これでいい。俺はバカだから。

 言うだけ言った、それだけで良いんだ。

 後は、千夏先輩の心の中の問題だから。

 見えないものをどうにか出来るほど、俺は器用じゃない。

「……失礼しました、千夏先輩。おやすみなさい」

 思いの丈を吐き出し終えて、先輩の部屋を出て。

 自分の部屋へ入った、その途端。俺は膝から崩れ落ちた。

 やっぱり痛え。

 すげぇ痛い。

 気が抜けたせいか、留まっていた感覚が甦り始めたようだ。

 格好悪いなぁ、俺。何言ってんだかよく分かんないし、勢いだけで突っ走り過ぎだ。

 これからどうなるかなんて、分かるはずがない。でもきっと、何かが変わるんだろう。

 

 そして俺たちの関係は、……元に戻った。勿論完全ではないし、あれこれと綻びたままだ。

 でもあんなギクシャクした関係でいるよりは、多少マシだろう。

 心残りが有るとしたら、一つだ。先輩好きです、って言えなかった事。

 あの流れで告白しちゃえば良かった。引かれた線は無くなって、近付くチャンスだったのに。

 全く、俺はバカだな。ま、良いか。

 これから、夏が来る。

 この夏はきっと、人生で一番暑い夏だ。

 その熱に乗せて言おう、千夏先輩が好きだと。




…まあ、若い頃の私もやたら背負い込むタイプでした。
誰も助けやしませんでしたがね。

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