小さなトラブルは、あるものです。
まあ、大した事でもありません。
油断するくらいが良いんですよ。
小さな日々の、裏側を。

1 / 1
アオのハコ#9 sideB

 夢を諦めない、そう誓いを新たにしたあの日から。早いもので、もう一ヶ月が過ぎていった。

 どうなるものかと思った新生活にも慣れ、猪股家がすっかり我が家のように思えるようになっている。

 まあ、その辺ちゃんと線引きは必要だけど。私は仮住まいの身、甘えすぎてはいけないんだ。

 もう一ヶ月、まだ一ヶ月。いずれ来る、その時まで。

 私は大過無く、猪股家で日々生活していくんだ。

 

「千夏、さ。ホントに大丈夫なの?」

「へ。……あーまあ、元気だよ」

 食堂でお昼を食べながら、渚が急にそんな事を言うから少し戸惑ってしまった。

 言うことは足りないけど、まあ何を言いたいかは分かる。渚たちには、春から親戚の家に居候していると言ってあるから。柄にもなく、心配してくれているんだろうな。

 ……親戚じゃなくてお母さんの友達の家で、ひとつ下の後輩が一緒だって言ったら驚くだろうなぁ。

 さすがに言わないけどさ。色々揉めたくないし、面倒な事は好きじゃない。

「別に困ったこととかはないよ、皆優しいし。練習もちゃんとしてるでしょうが」

「そうだけどさ、やっぱ心配だよ。千夏は溜め込むからさ、なんかあったら渚おねーさんに言うんだよ?」

 いやあんた同じクラスの同級生でしょうが、とデコを一発弾いてやって。

 和やかな、いつもの時間は過ぎていく。

 さて、五限は体育だ。食べ終わったら着替えてしまおうかな。

 朝からずっとジャージでいられると楽なんだけど、それやると担任が嫌な顔するし。

 制服で登校して練習着に着替えて朝練、HR前に制服に着替えて授業受けて……って考えてみたらスゴい手間なのに。

 ……でも汗かくし、そのままでいるとキツいかな。

 ま、いいか。

 

 一旦教室にもどって、更衣室へ行こうとした時だった。

 手に持ったジャージに、僅かな違和感を覚えたのだ。

「……あれ?」

 何処かが、違う。洗ってもらったとは言え、自分の服と言うのはなんと言うか「気配」が染み付くものだ。

 でもそれが、感じられない。

「れ?」

 嫌な予感と共に、折り畳まれたジャージを開いていく。

 そして目に入った――「猪股」の文字。

「うわ」

 やってしまった、やってしまったぞ私。

 今朝は由紀子さんが私たち二人のジャージを出してくれて、大喜くんはその片方を掴んですぐに駆け出していったっけ。

 ちゃんと確かめるべきだった、そうすれば朝練の時点で交換できた。

 大喜くんからLINEも何も来ていないところを見ると、向こうは四限までは体育が無かったんだろう。

 でもこれは、不味い。不味すぎる。

 まさかこれを来て体育はできない、でも練習着も練習着でダメだ。

 現在時刻は12:45。時間がない。

 授業開始まで、あと20分。

 さぁ――どうするか。

 

 大喜くんにLINEしてはみたものの、誰も来なさそうな場所がお互い思い当たらない。

 片っ端から探しては「誰かいた」「人通りが多すぎる」と候補地から消していき、時間だけが過ぎていく。

 気は焦り、どんどん思考は鈍っていく。

 どうする、どうする、どうする。

 と。すれ違ったクラスメイトの顔を見て、一つの案が閃いた。

「ごめん、真理子! 鍵、今持ってる?! 貸して!!」

 真理子は天文部所属。今の天文部には三年生がいないから、二年ながら部長をやっている。

 確か定例の星空観測会用に、屋上の鍵を生徒会から預かっている筈だ。

 ……まあ星より「増えないかけ算」に夢中な子だけど。

 普段から部室にそういう本とか積み上げてるし、「BLは女子高生にとって炭水化物のようなもの」とか言ってるし。

 まあ、それは良いんだ。うん、それは。たまに貸してもらうけど、今はそっちじゃない。

「屋上のだったら、うん。貸すのは良いけど、放課後までに返してね」

「恩に着る!」

 急いでLINEし、屋上目指して走り出す。ああ、九死に一生って感じだ。

 

 にしても、油断したものだ。

 「鹿野」が書かれたジャージで体育の授業を受けながら、心のなかで溜め息一つ。

 私はもっと、気を張るべきなんだろうか。

 猪股家は私の家じゃない、だから油断しないように心掛けないと。

 ……でも、だ。どうにかなったのも、事実だ。何かやらかしても、やっぱり最終的にはうまくいくかもしれない。

 あまり気を遣ってると、由紀子さんたちに悪いしね。節度を持って、多少は甘えつつ距離感を適切に保とう。

 そんな器用な事が私にできるか、それはいまいち自信無いけど。

 私ガラッパチだから、細かいこと苦手なんだよね。

 しかし、大喜くんには迷惑かけてしまった。後でちゃんと謝ろう。

 と言うか授業出られたかな、私でさえ滑り込みだったのに。

 何で座ったままだったんだろう。「先行っててください」って、自分だって急がないといけないのに。

 座ったまま、立ち上がらなかった。顔を、真っ赤にして。

「あ」

 そうだ、大喜くんは――オトコノコ、なんだっけ。忘れてた。

 つまりそういう事、だったんだろうか。立ち上がったままじゃ立てないとか、血流がどうとかそういう。オトコノコの、……そういう事。

 そうなると、迷惑どころじゃなかったかもしれないなぁ……。

 私みたいなワンパクでたくましい子相手に、そうなる男子はそうそういないと思うんだけど。大喜くん、ちょっと変わった子なんだろうか。

 やっぱりもうちょっと、気を遣うべきだな。

 大喜くんの為にも、さ。

 さぁ、どうしようか。授業が終わるまでには考えをまとめたいけど、無理だろうな。

 なるようになる、のかなあ……。心配だ。




 真理子さんのイメージベースは、『先生、好きです。』の天文部部長です。
名前が出てる友達が少ないんですよ、前に渚さんのセリフに出てきた名前はひらがなでしたし。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。