自分がこれまで見聞きしたものを「俺ガイル」の比企谷八幡と川崎大志との間で交わされる問答にしてみました。
比企谷八幡と川崎大志の口調が可笑しいかも知れませんので、その点はお目こぼしをお願いいたします。


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pixivで投稿しました作品をこちらでも投稿しました。




比企谷八幡と川崎大志の問答

ある日のこと

 

 

 

大志「お兄さんに聞きたいことがあるっす」

 

八幡「聞きたいことだぁ?」

 

大志「はいっす」

 

八幡「内容次第だが?」

 

大志「鎌倉幕府の将軍って3代目の跡はどうなったのかと」

 

 

※ 将軍(征夷大将軍)

  元々は陸奥国(現在の青森・岩手・宮城・福島県)の蝦夷(古代、東北地方の住民に対して朝廷が用いた呼称)を征討する朝廷軍に置かれた臨時職。やがて武家の棟梁を象徴する地位などと目されるようになった。源頼朝が建久3年(1192)に任官されて以降、鎌倉・室町・江戸幕府に受け継がれた。

 

 

八幡「何故に鎌倉幕府?」

 

大志「2、3日前に〇H〇で放送していたドラマを家族で視聴したからっす」

 

八幡「あぁ~あのドラマか」

 

大志「そうっす」

 

八幡「それで3代将軍である源実朝の跡はどうなったのか気になったという訳か?」

 

大志「はいっす」

 

八幡「結論から言えば鎌倉幕府が元弘3年(1333)に滅びるまで将軍は居たぞ」

 

大志「そうなんっすか?」

 

八幡「まぁ、鎌倉幕府は執権を世襲した鎌倉北条家が動かしたってイメージが強いからな」

 

大志「鎌倉北条家・・・戦国時代の小田原城で有名な北条家と区別するためっすか?」

 

八幡「そうだ。鎌倉の北条家と小田原の北条家は “ 血縁関係がない ” という説もあるそうだからな」

 

大志「なるほどっす。それで何人の将軍がいたんっすか?」

 

八幡「皇室から4人、五摂家の九条家から2人が将軍に任官されている」

 

 

※ 五摂家

  摂家、摂関家とも呼称される。摂政(天皇が幼少の際、天皇に代わって政治を代行した役職)、関白(天皇を補佐する役職)を代々出した近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家の5家を指す。

 

 

大志「6人もいたんっすか!?」

 

八幡「そうだ。正確に言えば九条家から4代・5代、皇室から6代・7代・8代と最後の9代の6人だ」

 

 

※ 鎌倉幕府・歴代将軍

 

  初代 源頼朝

      生没年 久安3年(1147)ー 正治元年(1199)

      在職  建久3年(1192)ー 正治元年(1199)

 

  2代 源頼家

      生没年 寿永元年(1182)ー 元久元年(1204)

      在職  建仁2年(1202)ー 建仁3年(1203)

 

  3代 源実朝

      生没年 建久3年(1192)ー 承久元年(1219)

      在職  建仁3年(1203)ー 承久元年(1219)

 

  4代 九条頼経

      生没年 建保6年(1218)ー 康元元年(1256)

      在職  嘉禄2年(1226)ー 寛元2年(1244)

 

  5代 九条頼嗣

      生没年 延応元年(1239)ー 康元元年(1256)

      在職  寛元2年(1244)ー 建長4年(1252)

 

  6代 宗尊親王

      生没年 仁治3年(1242)ー 文永11年(1274)

      在職  建長4年(1252)ー 文永3年(1266)

 

  7代 惟康親王

      生没年 文永元年(1264)ー 嘉暦元年(1326)

      在職  文永3年(1266)ー 正応2年(1289)

 

  8代 久明親王

      生没年 建治2年(1276)ー 嘉暦3年(1328)

      在職  正応2年(1289)ー 延慶元年(1308)

 

  9代 守邦親王

      生没年 正安3年(1301)ー 元弘3年(1333)

      在職  延慶元年(1308)ー 元弘3年(1333)

 

 

大志「そうだったんすか。だから「『 将軍に任官されるには源氏でなければならない 』という説は俗説 」って話があるんっすね」

 

八幡「鎌倉、室町、江戸は源氏の将軍が殆どだったからそう思われがちだが、実際は源氏じゃない人物も将軍に任官されている」

 

大志「それがさっき、お兄さんが解説して下さった6人というわけっすね」

 

八幡「( お前にお義兄さんと言われる筋合いはないが )他にも有名どころでは坂上田村麻呂とかがいるがな」

 

大志「なるほど、勉強になるっす」

 

大志「そうなるっすと「 将軍に任官されるには源氏でなければならない 」って話は・・・?」

 

八幡「あぁ~それは徳川家康が “ 源氏に姓を変えて将軍になった ” のが関係してるかもな・・・」

 

大志「?徳川家康の “ 姓 ” は “ 徳川 ” じゃないんっすか?」

 

八幡「徳川家康の「 徳川 」は “ 苗字(名字) ” であって “ 姓 ” は「 源氏 」だからな」

 

大志「? “ 姓 ” と “ 苗字 ” って何か違いがあるんっすか?」

 

八幡「ざっくり言えば苗は “ 自分で変えられる ” が、姓は “ 許可が必要 ” ってところか」

 

大志「許可が必要なんっすか!? 因みに誰の許可っすか?」

 

八幡「朝廷、すなわち “ 天皇 ” のだ」

 

大志「て、天皇の許可っすか・・・?」

 

八幡「そうだ。姓は “ 天皇が下賜する ” というものだったからな」

 

大志「そ、そうなんっすか・・・。なら苗字は・・・?」

 

八幡「同じ姓を持つ人間がそこら中にいれば誰が誰なのかややこしくなるだろ?それを区別するために生み出されたのが “ 苗字 ” だとイメージすれば良い。知らんけどな」

 

大志「なるほどっす・・・。因みに苗字の付け方とかは?」

 

八幡「足利家の様に自分が住んでいる地名とか多種多様だぞ」

 

大志「なるほどっす。そうなるっすと徳川家康の場合は?」

 

八幡「自分の先祖が “ 源氏の血筋を引く一族の者 ” という系図を作ったそうだ。言うなれば、自分は “ 源氏の一族である徳川家 ” の人間ですと宣言したわけだ」

 

大志「系図を作った? ということはまさか・・・」

 

八幡「徳川家は “ 源氏の一族と僭称 ” したというのが定説だそうだ。つまり自称したという訳だ」

 

大志「そ、そんなことをしたんっすか!? それってマズくないっすか・・・?」

 

八幡「確かに今じゃヤバいことだが、あの当時ではよくある手の一つだったそうだ」

 

大志「あの当時ではよくある手の一つ・・・。因みに他には何があったんっすか・・・?」

 

八幡「豊臣秀吉の様に “ その家の養子になる ” だそうだ。初め秀吉は近衛家の養子となって、後に “ 豊臣 ” の姓を下賜されたんだと」

 

大志「なるほどっす・・・。でも俺としてはそっちの手が良い様な気がするっすのですが・・・?」

 

八幡「それが困難な場合もあるからな。俺がどちらかを選ぶなら断然、家康の方法を採る」

 

大志「因みに理由は聞いても良いっすか・・・?」

 

八幡「養子だとゴタゴタが起こりやすいが、系図だとそれらしい史料とかを用意すれば済むからな。あの当時ならなおさら丸め込めやすい」

 

大志「確かに一理あるっすね・・・。(かなりヤバい気がするっすけど・・・)ですけど、どうして家康はそこまでのことをしたんでしょうか? 将軍に任官されたいのなら源氏でなくとも出来る可能性はあるっすよね」

 

八幡「確かにそうだ。これは俺があり得ると思ったヤツだがそれでも良いか?」

 

大志「もちろんっす!参考までに是非!」

 

八幡「徳川家康が “ 姓を源氏に変えた ” のは “ 征夷大将軍 ” と “ 源氏長者 ” を得るためと言う説だ」

 

大志「 “ 征夷大将軍 ” と “ 源氏長者 ” を得るためっすか?」

 

八幡「そうだ。家康は慶長8年(1603)に征夷大将軍の他、右大臣、源氏長者、奨学院と淳和院の別当に任じられている。因みに奨学院と淳和院の別当は源氏長者が兼任するそうだ」

 

 

※ 右大臣

  太政官(律令制における最高行政機関)で太政大臣、左大臣に次ぐ官職。

 

 

※ 奨学院

  在原行平(生没年 弘仁9年(818)― 寛平5年(893)/歌人で有名な在原業平(生没年 天長2年(825)― 元慶4年(880))の兄)が元慶5年(881)に設立した教育施設。別当(奨学院の長官)を始めとする職員が置かれた。平安時代後期に衰退して別当は源氏長者が兼任した。

 

 

※ 淳和院

  淳和天皇(生没年 延暦5年(786)― 承和7年(840)/在位 弘仁14年(823)― 天長10年(833))の後院(譲位した天皇の居住する御所)。元慶5年(881)に管理職として別当が置かれた。後に別当は源氏長者が務めた。

 

 

大志「そんなに任じられていたんっすね。ところで “ 源氏長者 ” というのは何なんっすか?」

 

八幡「位が一番高い “ 源氏の姓 ” を持つ人物が任じられた称号だそうだ。言うなれば源氏全てのリーダーの様なものだ。武家では室町幕府・3代将軍の足利義満が初めて任じられている」

 

大志「そんなのがあったんっすねぇ。でも家康はどうしてその2つを得ようしたんっすか? それも系図を作って源氏の姓に変えてまで」

 

八幡「それは “ 豊臣家の下に置かれない ” ためだったではないかだそうだ」

 

大志「若しかして秀吉が何か関係しているんっすか?」

 

八幡「正解だ。何でも家康は秀吉から “ 豊臣 ” の姓を与えられたという説があるらしい」

 

大志「そんな説があるんっすか!?」

 

八幡「あぁ、その様だ。どうやら秀吉は天下を治める一環として、自分を本家筋の長、他の大名たちをその一族として遇するプランを構想、実行したそうだ。家康が秀吉から “ 豊臣 ” の姓を与えられたというのは、これによるものらしい」

 

大志「なるほど・・・確かにそのまま征夷大将軍に任官されたら」

 

八幡「 “ 豊臣 ” の姓のままだから “ 豊臣家の下に置かれる ” ことになる。秀吉には息子の秀頼がいて本家筋の長になるからな」

 

大志「だからこそそれを防ぐために」

 

八幡「姓を「源氏」に変えて “ 征夷大将軍 ” と “ 源氏長者 ” を求めたそうだ」

 

大志「自分は “ 豊臣 ” ではなく “ 源氏 ” であり、それに加えて “ 征夷大将軍 ” と “ 源氏長者 ” に任じられたとなれば」

 

八幡「少なくとも “ 豊臣家の下に置かれる ” ことは避けられるというわけだ」

 

大志「なるほど、とても参考になったっす!お兄さん、ありがとう御座いましたっす!」

 

八幡「( お前にお義兄さんと言われる筋合いはないが )別に構わん。聞きたいことは以上か?」

 

大志「はいっす。今日は本当にありがとう御座いましたっす!」

 




参考文献

 『源氏長者 武家政権の系譜』(岡野智彦/吉川弘文館/平成30年(2018))
   ※ http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b373384.html

 『最新版 角川新版 日本史辞典』(朝尾直弘、宇野俊一、田中琢/角川学芸出版)
   1997年4月20日 初版発行/2007年12月20日 5版発行 
   ※ https://www.kadokawa.co.jp/product/199999032000/

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