目が覚めた世界は、ワールドトリガーの世界だった。
見慣れた街並みを再現した市街地の一本道を小荒井は駆け抜けていた。
一刻も早く味方との合流するべく、弧月を右手に握りしめたまま一心不乱に足を動かして。
今ここで彼が落ちるわけにはいかないのだ。
B級ランク戦ROUND3。
影浦隊、生駒隊、東隊と三つ巴ではじまったこの一戦。
最初に試合が動いたのは、“最初の狙撃手”と名高い東の一撃だった。
同じく
北添の適当メテオラを躱そうとグラスホッパーを利用した高速移動を繰り返していたのだが、その移動先を完璧に捉えられていた。
マップ選択権を持つ部隊だからこそ出来た地形データと、そして第三者の隠岐の動きを完璧に見ていた観測者からの情報支援。これらを駆使する事によって東は隠岐の狙撃を敢行し、見事に成功させた。
遠距離戦の要を失った生駒隊に二部隊が挟撃する。
生駒隊はたちまち分断されてしまい、各個撃破の呈を示してしまった。
南沢も同様であり、彼は単独で東隊の二人――小荒井・小野寺コンビの追撃を受けている。
「このまま追い詰めるぞ」
「わかってるって!」
「うわわっと! くそっ!」
鍛え抜かれた高速のコンビネーション斬撃が決まろうとしたその瞬間、南沢も敵と同様にグラスホッパーを起動し、難を逃れる。
3者共に高速起動を可能とするトリガー・グラスホッパーを武器とする隊員たちだ。そのため互いに間を詰める事は容易ではなく、それが南沢にとってのメリットとなった。
『海、そのまま北上や。はよ合流して反撃といこうや』
『おう、できるだけ急いでな。こっちも手一杯やで』
「了解。すぐ追いつきますんで」
影浦隊と交戦中の水上・生駒から南沢へ通信が届く。その期待に応えるべくいつもよりも幾分か明るめの声で返事をした。
合流さえできれば生駒お得意の生駒旋空で場を一掃する事も可能だ。水上の指揮もある。この状況をひっくり返すことも不可能ではない。
いち早く彼らと合流しようと、南沢は東の狙撃も警戒して、できるだけ姿勢を低くして細い一本道を賭けぬけていく――
『今だ。愛』
「はい」
瞬間、凛とした静かな声が響いた気がした。
その直後、突如として南沢の頭部が大きく揺れる。
痛みはない。だが体がぐらりとバランスを失い、トリオン体はゆっくりと崩壊していく。
音も、気配すらもなかったはずなのに。
ちらりと、南沢が視線を右に向ける。
そこには黒く長い長髪を後ろで束ねた背丈の小さい女の子が拳銃の銃口をこちらに向け、佇んでいた。
「ちょっ、ええー。待ち伏せされてたのかー」
「ええ。全ては義兄さんの読み通り」
苦笑を浮かべる南沢に、彼女――
ほどなくして南沢は一筋の光を残して戦場を去っていった。
★★★★★★★
「影浦隊長もここで緊急脱出! ここで試合終了! 最終スコアは6対3対2! 東隊の勝利です!」
最後の脱出を見届けた実況者・武富が軽快な声でランク戦の終了を観客席中に知らせた。
組み合わせの中では最も順位の低かった東隊の勝利に観客席は今日最高の盛り上がりを見せる。
「さあ、本日の一戦はいかがだったでしょうか?」
「要所要所で東隊の読みの強さが光りましたね」
「ええ。ステージ選択権を持つ部隊としてはもちろん、東兄妹が得意とする情報戦が活きた試合だったと思うわ」
武富が話を振ると解説の犬飼・加古両隊員が東隊を称賛した。
東隊の主力である
この試合でも最後まで生き残ったこの二人は、精鋭と呼ばれる彼らも一目置くほどの実力者だった。
「まさに最強兄妹って感じだよねー。東さん一人でも怖いけど、ミニ東さんともいえる一番東さんの教えを濃く受けた愛ちゃんが控えているんだもん。うちも、うかうかしていられないかな」
B級トップを走るB級最強・二宮隊でも油断できないほどに。
はじまりの狙撃手と、その義妹。智勇を兼ねそろえた二人の存在。
犬飼の言葉に、観客席で恐怖を感じないものは存在しなかった。
★★★★★★★
「ふぅ」
一仕事を終え、作戦室のベッドに戻って来た東は大きく息を吐いた。
今回の相手は影浦という強敵がいた。
元A級である上に下手な隊員では攻撃を当てる事さえ至難の業である副作用をもつ難敵。東も最警戒していた隊員である。
この試合でも敵の中で最後まで生き残っていたのが影浦であったため油断はできなかったが、奥寺を犠牲にしてしまったものの何とか捉えることができた。
できることならあまり相手にはしたくないなと年下の隊員の強さに感心しつつ、東はゆっくりと立ち上がる。
「義兄さん!」
「お、っと!」
瞬間、背後から柔らかい衝撃が走る。
生身の体に戻ったために身体能力は大きく下がっているのだが、相手もそれを気遣っていたのか軽く体が揺れる程度で倒れるという失態は犯さずに済んだ。
「愛か。おどろかさないでくれよ」
「あら、ごめんなさい。でも一緒にこちらへ戻ったのだから、義兄さんはわかっていたでしょう?」
「そうだけどな。いきなりはやはりビックリするよ」
「フフッ」
軽く頭を撫でると、目の前の少女――愛はくすぐったそうに眼を細める。
解説の犬飼や加古は東兄弟と呼ぶが、二人は血はつながっていない。正確に言えば、元々は彼女は東にとっては親戚の少女であった。
9歳年下である彼女とは昔に何度か顔を合わせた事があったものの、話した回数は片手で数えて足りる程度で、親交はそう深くはなかったと思う。
だが、あの日――近界民の大規模侵攻が全てを変えた。
両親に聞いたところ、愛の両親はその襲撃で命を落とし、彼女も瓦礫の下敷きになっていたところを命からがら救助されたという。
そして肉親を失った彼女を東家が引き取ることとなった。
大きく年が離れ、あまり会話をしたこともない少女が突如妹となった事に、東も当初は『さてどうしたものか』と頬をかいた。
決して異性との付き合いは得意な方ではない。
人より落ち着いた性格と昔から褒められたことはあったものの、兄弟もいないため年下の相手との距離感が掴みにくかった。そのためどうやってなじんでいくか迷っていたのだが。
「では――師匠、と呼んでも良いでしょうか。あるいは先生でも」
何故か最初から距離感が近かった。というかおかしかった。
好きなように呼んで構わない、と言った直後の答えがこれである。普通に考えて義理の兄に対する呼び方ではない。そんなに年上に見えるのだろうか? 少し老けて見えると噂される事もある東は軽くショックを受けた。
緊張して、というのならばまだ話はわかる。だが愛の場合、それは面識が少ない相手、というよりも有名人や尊敬する人に対するものだったのだ。余計に困惑した。
「いや、もっと気さくな感じでいいぞ。兄妹になるんだからな。そう言われるのは少し俺としては居心地が悪い」
「そうですか? それなら――義兄さん、と」
彼女にとってもかなり譲歩したようで、悩みに悩んだ末の答えが現在に至る。
とにかく彼女がどういうわけか最初から東に信を置いてくれているおかげで東は義理の妹とのコミュニケーションにさほど困らずに済んだのだった。
そしてそこから東は波乱の日々を過ごすことになる。
「義兄さん! 義兄さんもついにボーダーに入るんですね!」
「ついに? ボーダーの話を聞いたのはつい最近なんだが」
「いえ。義兄さんならばあの大規模侵攻でボーダーという存在が現れた日から、きっと入隊すると信じていました。きっと義兄さんならばボーダー中の人々が一目置く存在になるはずです!」
「まあ、そうなれればいいけどな」
何故か東がボーダーに入ると聞くや否や、愛は感極まり、祝福し。
「愛!? そんな、お前も入隊したのか!?」
「はい! 私も義兄さんのように強くなりたくて!」
いつの間にか両親を説得していたのか、東に相談する事もなく彼の後を追うようにボーダーへ入隊し。
「あら東さん。愛ちゃんと一緒なんて珍しいわね」
「加古お姉さま! お疲れ様です!」
「……あー、愛。その呼び方はやめてくれ。周囲におかしな誤解を生む」
加古の呼び方でひと悶着を呼び起こしたり。
「東さん、お願いします! 俺達と部隊を組んでください!」
「俺からもお願いします!」
「おいおい。こんなところでやめてくれよ二人とも。……って愛? お前までどうした?」
「駄目です! 義兄さんは今度こそ私と一緒の部隊になるんです!」
足に縋り付いて頼み込む小荒井、奥寺に加え、反対側の腕に愛がしがみついて叫びだし、ついに東が折れて三人と共に部隊を結成する事になり。
そして、今や東兄妹と呼ばれ、一目置かれるようになった。
(俺が言うのもなんだが、愛の素質には驚いたものだ)
今思い返せば彼女は才能があったと言えるだろう。
東も他人よりも戦闘の才能があったと呼べる方だが、彼女も同様だ。
最初から人を撃つ事に抵抗がなく、視野が広く、思慮深い。状況に変化が生じてもすぐに立て直せる。こういった点も彼女がミニ東と呼ばれる所以なのだが、東も感心するほど彼女の素質はずば抜けていた。
「どうしました、義兄さん?」
義妹の声に意識が現実に戻る。
戦闘で少し疲れたのだろうか。
目の前の少女を心配させないように『大丈夫だ』と一言声をかけて東は手を彼女の頭から下ろした。
名残惜しそうな彼女の視線が刺さるが、いつまでもここにいてもいられない。
「何でもない。それより行こうか。解説を聞いてしっかり反省しないとな」
「はい! 私も少しでも義兄さんに近づけるよう頑張ります!」
真っ直ぐな信頼が少しこそばゆい。
だが彼女の高い向上心があってこその強さだろう。
東は「頑張れよ」と声を添えて、共に仲間が待つ部屋へと足を運ぶのだった。
★★★★★★
単刀直入に言うと、私は三門市という名の町で、普通の一般家庭の一人娘として生まれた。
生まれ変わり、日本では転生とも言うのだったか。第二の生はかつての世界でホームステイで来た日本人の学生が持っていた漫画で目にした世界だった。
正直に言えば、最初は現実なのか夢なのか、判断がつかなかった。
元の世界で私は女兵士として従軍していた。国際平和が謳われた世界で突如として隣国が侵攻をはじめ、多くの人々が命を奪われた母国。降伏も逃亡も気持ちが許せない。狙撃手として軍に残り、母国の為にと戦地に立ったのだが。
その最後は呆気なく、戦車の砲撃が籠っていた建物を直撃。私はその瓦礫の下になり、そこで死んだ。はずだった。
目を空けたら、やはり瓦礫の下だったが、周囲の光景、人々すべてが見慣れぬ光景だった。
(……日本人?)
助けようとする人々の人相、言葉がかつて出会った学生のものと一致する。
いずれにせよ敵でないとわかった事で気が緩んだ私は、そこで意識を失った。
目を覚ますと、この世界の記憶と知識が備わっていた。
病室の一室でその奇妙な出来事に違和感を覚えながら、この世界での両親の親戚であるという男性から両親の死を告げられた翌日に『養子にならないか?』と尋ねられ、即座に頷いた。
まだこの時は夢なのかもしれないと、それならばこのままなるようになってしまえと投げやりな気持ちであったような気がする。
とにかくそのような経緯で私は東家の養子となり――
「久しぶり、で良いかな? 覚えているか? 東春秋だ」
義兄さんと出会った。
夢なら覚めないでくれと、本気で思った。
生まれ変わって年齢が下がった事で精神も引っ張られたのだろうか、非常に感情豊かになった気がする。
東春明。
見せてもらった漫画で、一番のファンとなったキャラクターである。その人物が目の前にいる。後ろに回した手でガッツポーズした。
漫画を見せてもらった学生に『誰が好き?』と話題になった時もあったが、その時も私は迷わず東を推した。空閑や三雲、雨取といった主人公や他の人気キャラクター達も当然好きだが、私は迷うことなく東を選ぶ。
年齢離れした落ち着いた物腰に、戦闘時では殺気を一切感じさせない狙撃手。戦いを経験した身からすれば異形な存在であり、憧れの存在である。
同じ部隊の人間とどうやったらそんなことができるのかと笑いの種にしたこともある。日本人は皆忍者なんだろの一言で収まったが。
いずれにせよ学生の身でこんな振る舞いができるとは信じられないと、羨望ばかりが心の内をしめ、兄になるという話は私にとって光栄なものであった。
その後、私は義兄の後を追ってボーダーに入った。
漫画の世界やキャラクターにあこがれた――というだけではなく。
近界民、侵略者という存在が心底憎かった、という点も大きかった。
あの日、三門氏が更地となった日、作り込まれた記憶であったとしても、多大な怒りを抱いた。
突如として崩される平和。壊される故郷。蹂躙する敵。
あまりにも共通した世界観は、私が戦う理由には十分であった。
一度戦場を経験した身であるために銃を手にすることも苦ではなかった。
何よりトリガーという優れた武器の助けも大きい。義兄の助けもあって、私は無事にボーダーの一員として戦う日々を過ごしている。