澱は重なり、穢れていく。
それでも。それでも、まだ。
全て裏側に押し止めて、よろめきながら歩んでいく。
「これも――雛さまの戦略なんだから」
そう言った私は、どんな顔をしていたのだろうか。
大喜に背を向け走り去り、手洗いに駆け込んだその瞬間。
抑え込みきれなかった気持ちが、涙になって溢れてきた。
何が冗談だ。何が「するって言われた方がドン引きだわ」だ。
皆から離れて一人で教室にいたのも、大喜を巻き込んで練習し出したのも、全ては淡い期待から。もしかしたら、もしかしたら。このまま、キスしてもらえるかもしれない。千夏先輩が猪股家を出ている今なら、チャンスもあるはずだ。
そう思ったのに。
「どうしてよ……何で私じゃダメなのよ……!」
もしこれが、千夏先輩だったなら。大喜はあんなにキッパリと断ったりはしない。戸惑うだろうし躊躇うだろうけど、それでも結局は受け入れる。
大喜は千夏先輩が、千夏先輩だけが――好きだから。
私を嫌いな訳じゃない、でも「好き」じゃない。友達にはなれても、恋人にはならない。
絶対的な線が、私たちの間には存在している。
どんなに願っても祈っても、奇跡は起きてくれない。
千夏先輩がいる限り。
二人を引き離す手は、いくらでもある。一番簡単なのは、何もかもブチ撒けてしまう事。
千夏先輩は内外に知られるエースで、もしスキャンダルでもあれば学校全体のマイナスに繋がりかねない。うちが私立校である以上、経営自体にも影響するかもしれない。そうなってしまえば、周囲が二人を許さない。同居どころか、もう二度と一緒にはいられないだろう。
千夏先輩と引き離された傷心の大喜は、きっと私を受け入れる。
私は大喜が好き、だけど
――そうしてしまえば、楽になれる。
「……違う。そんなのは、私じゃない!」
私は逃げない、正面から立ち向かう。誰が相手だろうと、正々堂々と捩じ伏せる。そうであるべきだ、そうでなければ――
頭の奥から湧き上がる邪念を振り払うように拳を握り、壁に叩きつける。それでも消えない甘い囁きに、苛立ちばかりがつのってしまう。
なぜ大喜が私を受け入れてくれないのか、そんなの分かりきっているじゃないか。これこそが、その理由だ。どんなに理屈を並べても、本心は歪みきったプライドと見栄の塊。自分のためなら平気で人を踏みにじり、被害者面で同情を誘う。誰にも見せられないくらいに、私の心は真っ黒なんだ。
大喜を好きになって、変われると思っていたのに。なのに私はこんなにも、醜いまま。
どうにもならない私はそのまま、日が暮れるまで泣き続けていた。
人を好きになるって、もっとふわふわして楽しいものだと思っていた。でも大喜を好きでいるだけで、自分の弱さに打ちのめされてしまう。好きだから辛い、好きだから苦しい。
私は弱くて、狡くて、嘘ばかりだ。
返事がいらない、なんて嘘。
千夏先輩を好きでいても良い、なんて嘘。
私が好きだと知っててくれればそれで良い、なんて嘘。
好きだと言って欲しい、千夏先輩を嫌いになって欲しい。私の全てを知って欲しい。
でもそれは、絶対に許されない。こんな私に、そうなる資格なんて無い。
「あー……もう」
私だけが、足踏みしている気がする。部活でも恋愛でも。まったく、らしくない。
こんなのは、ダメだ。
せめてもう少し、上手く進めるようになろう。
もうじき大喜の練習試合がある、その時までには気持ちを整理し終えないといけない。きっと千夏先輩も応援しに来るだろうし、不様なままではいられない。
私は負けない、蝶野雛は崩れない。
見てなさい、この私から目を離せなくしてあげるから。