本日2話投稿の2話目。前話必読。
最終話
「──だぁあ! つっかれたぁ……」
『ヒカル、お疲れ様でした』
ベッドにスーツのままで寝転がって、ヒカルが大きなため息を漏らした。
「ああもう、倉田さんってばオレにすっげー絡んでくるんだもんな、一局打ったらもう一局って、結局三局も打たされたのにまだ打つって言うんだから、もう勘弁してよ」
『すごく負けず嫌いな方でしたねぇ』
「オレも負けらんねーっての! 結局勢いで帰っちゃったけど、別に良いよな、オレの仕事はもう終わってたし」
頷いて、佐為はふと思い出したことを続けた。
『そういえば、和谷が中国に行ったらしいですね?』
「ああ、伊角さんが言ってただろ? 九星会のイベントかなんかで行く予定だったけど、無理言って和谷を連れて行って貰ったって。……ま、和谷なら大丈夫だろ」
『はい♡和谷が戻ってきたら打ちましょうね。そういえば、あかりとの約束は明日ですか?』
佐為の質問に、ヒカルはなんてことないように頷いた。
「ああ、明日だよ。まぁアイツのことだから碁会所巡って適当に飯食って、最後はオレんちで対局だろ?」
『そうですかねぇ。私は、ちょっと違うと思いますケド。そうだ、奈瀬と伊角は残念でしたね』
ヒカルと同時に合格した新初段の二人だ。ヒカルが塔矢行洋と打ったように、あの二人にも対局相手が準備されていた。
「……ああ。新初段シリーズか。結局勝ったのはオレだけだったよな、噂だと名人に感化されてマジになったタイトルホルダーにボコボコにされたらしいけど、二人ともそんなことでへこたれる性格じゃないし、大丈夫だろ?」
『そうですねぇ。でも奈瀬は弟子ですし、慰めてあげないんですか?』
「いや、付き合ったじゃん。カラオケとか、ボウリングとか、スケートにも連れてかれたじゃん。オレも奈瀬も転んでケツが痛いの何のって……。まぁ楽しかったけどさ。──ホラ、オレは寝るぞ、もう無理。ねむいもん」
いつまで経っても子供っぽいヒカルに、くすくすと佐為は微笑みをこぼした。
『ヒカル、着替えないと
「……ああ、めんどくさいなー」
そうボヤキながら、のそのそとヒカルが着替えている。
着替えながら暇だったのだろうか、唐突にこないだの事をヒカルが話し出した。
「そういえば、ウチの蔵に泥棒入ったって。碁盤が盗まれてなくてよかったけど、やっぱウチに持ってくるか? 『血の跡』がしっかり残ってるのは気になるけど、秀策との思い出の碁盤なんだろ」
『いえいえ、あれは蔵に置いてもらいましょう。……私は、ヒカルの側に居られれば十分に幸せですから』
「……ぉ、おう」
少し恥ずかしそうに顔を逸らして着替えを続けるヒカルは、傍に置いてあった週間碁を見つけて、着替えも途中なのにバサリと開いて読み始めた。そんな姿に佐為はくすりと微笑んだ。
(私がヒカルのために存在しているのなら。ヒカルもまた、私のために存在してくれているのでしょう。そして、私たちもまた他の誰かのために)
脈々と千年、二千年と受け継がれてゆく意志に佐為は想いを馳せた。
瞼を閉じる。
脳裏に思い描かれるのは虎次郎の姿。
優しく聡明な友人だった。
彼の遺した軌跡があればこそ、そこから何かを得た者もいるだろう。
(繋ぐため。私たちはそのために碁を打っている。……なんてね、少しキザでしたか)
クスクスと上機嫌に佐為が笑った。
先のことはわからない。
だけど、一つだけ確かな事は、ヒカルと二人で共に歩む道が眩しいほど輝いていて。
そう思えば、言葉は自然と佐為の口から溢れ落ちた。
『──ヒカル、あなたに出会えて本当によかった。心から感謝しています』
「な、なんだよ急に」
『ふふっ、いえ。なんだか今言わねばならないような気がしてしまって。不思議ですね?』
外では鯉のぼりが靡いていた。まるで何かを知らせるように揚々と、背景の透き通った空色が溶けてしまいそうなくらいに眩しい。
『本来』の佐為が──。実は、そんな日だった。
けれど『今の』佐為はその胸に何の心配も不安も抱いていない。
期待と希望とヒカルへの感謝を胸いっぱいに抱えて、心底嬉しそうに笑っていた。
そんな嬉しそうな佐為を見て、ヒカルは眩しそうに目を細めた。
「……あー」
そう言いながら、ガシガシ頭を掻いて、塔矢アキラの棋譜が乗っている『週間碁』の雑誌をベッドに放り投げたヒカルが碁盤の前に座った。
疲れ切っていたから、打つ気はなかったのに。
そう言われたら、そうだよな、と何故か自然に思えた。
ヒカルは少し疲れた顔だったが、けれど落ち着きのある微笑みを浮かべて、ちょいちょいと佐為を手招きした。
「一局打とう、佐為」
『ふふっ、はい♡ ──何度でも、何度でも打ちましょうね、ヒカル。まだまだ時間はたっぷりありますから』
「なーに当たり前のこと言ってんだよ。ほら、お前の黒番。今日こそはオレが白星を掴む!!」
『簡単には負けませんよ〜! 行きますよ、ヒカル! ──右上スミ 小目!』
ヒカルの部屋の窓は開け放たれて、カーテンのレースが穏やかに靡いている。
碁盤から響いた快音が、春風に乗って。
風薫る晴れた日の空に運ばれていった。
──『神の一手』
──『完』