Day1(7月8日)
朝日 六花は定刻通りに到着したバスに乗らず、扉が閉まる光景をただ見ていた。去年の七月八日という名の黒い錘を足につけられたためか、乗車しようと試みても両足は動かなかった。
自身の葛藤に悩まされ、何時間経過しただろうか。バスに乗るか否か。六花の決断を待たずしてバスは何度も彼女を置き去りにした。何度も、何度も。
彼女にはわからなかった。東京から岐阜までの高速バスは何の躊躇いも無く、足を動かす事ができた。しかし自身の故郷に帰るためのバスに乗る時に足が動かない。原因は分かっていようとも解決方法が思い浮かばない。抜き差しならないこの状況の中で彼女に出来ることといえば途方に暮れることぐらいであった。
「ロックー!」
そんな彼女を迎えに現れたのはかつて六花とバンドを組んでいた中学時代の同級生が乗っている青色の車だった。彼女達も高校生活に順応しているのか、中学時代の頃と比べて大人びた印象を六花は感じる。
「遅かったじゃん!どうしたの?」
「う、ううん。何でもないよ」
普段であれば美濃弁で話すような言葉を標準語で話した六花に彼女達は一抹の悲しみを感じたが、時間が差し迫っている中でそんな事を気にしている余裕など無かった。
「とりあえず、乗って!もう時間無いよ!」
「あ、えっ、ちょっ…!」
六花の知己の一人、鳩村 真波に手を引かれるまま六花は車の後部座席に乗り、真波は扉をバン、と勢いよく閉める。
「パパお願ーい!」
「了解」
真波の父はサイドブレーキを踏み、レバーをドライブに入れると、ゆっくりとアクセルペダルを踏みこむ。アクセルペダルの踏み込みに応じて車もゆっくりと発進し、そのスピードは徐々に加速していく。
時刻は午後四時を過ぎ、車に揺られながら六花は過去を想起していた。それは見慣れた街並みを眺めた事によって目覚めた郷愁の念ではなく、過去という鎖で束縛された事による閉塞感が彼女にそうさせた。
去年の四月。中学三年生となった六花は新たなクラスに馴染めず、悩んでいた。話そうにも拒否される事が怖く、話しかけられない。話しかけても少し言葉を交わす程度であり、それ以降は話しかけられる事がない。文字通り彼女が“親友”と呼べる存在はクラスの中にはいなかった。
「朝日さん、大丈夫?」
そんな六花を心配したのか、彼女の隣の席の男子生徒が声をかけた。彼の名前は
夕哉は俗に言う天然パーマという髪型をしており、一見陽気な風貌でありながらも六花は彼に対してどこか穏やかな印象を感じた。肌は女性のように白く、その柔らかな笑顔は今にも壊れてしまいそうなほど儚いものにも見えた。
「あっ、はい……」
「俺は杣 夕哉。よろしくね」
「よ、よろしく……」
それ以降、夕哉は六花の事を気にかけ、頻繁に話しかけるようになった。最初こそ夕哉の事を辟易していた六花だが彼の優しさが伝わり、次第に心を開き始め、すっかり打ち解けた。
席替えをしても二人は休み時間に他愛のない話をしては、笑い合っていた。そうして積み重ねていった時間がいつしか二人の仲にある感情を甘く、そして切ないものへと変えていった。
「僕と、付き合ってください……!」
「…っ!実は……。私も杣君の事が、好きでした……。私なんかでよければ…………」
各々の想いを打ち明け、いつしか二人は交際を始めた。不器用ながらも二人は互いに距離を縮め合い、時間をかけ、季節を越えて濃密な関係を構築していった。
「ねぇ夕哉君、あと一ヶ月で七夕やけど短冊に書くお願い決めた?」
ある六月の日、六花は不意に夕哉に尋ねた。当の本人は視線を宙に浮かべ、星の数ほどある選択肢の一つを選ぼうとした。
「うーん、そうだなぁ……。『六花とずっと一緒に入れますように』って書こうかな」
「えへへ…。じゃあ、私も『夕哉君とずっと一緒に入れますように』って書こうかなぁ……」
六花は自身の願いを口に出した途端、何かを思い出したかのように「そうだ」と呟いた。
「夕哉君、今年の七夕祭り一緒に行かん?」
六花の答えに夕哉は一瞬狼狽し、いつも通りの柔和な笑みを見せた。その笑顔の裏にはどこか悲しげな色が隠されていたが、彼女にはそれを知る由も無かった。
「行きたいね。一緒に」
「うん、一緒に行こ」
二人で七夕祭りに行こうと約束を交わしたその数日後、六花は夕哉から教室に残るように言われた。自身の教室。そこは六花が夕哉から告白された思い出の場所であった。
「六花、お待たせ」
「夕哉君!どうしたん?」
嬉々とした表情で、輝きに満ちた瞳で見つめてくる六花を夕哉は見る事ができなかった。しかし今伝えなければならない。清水の舞台から飛び降りる覚悟で夕哉は口にした。
「俺たち、別れよう」
夕哉のその一言で六花の表情は一瞬にして変わった。あまりにも突然の発言に六花は現実を受け入れられずにいた。
「…え?嘘、やろ……?じょ、冗談よしてよ……」
何とか笑って誤魔化そうとする六花を見て夕哉は心が苦しくなった。しかし、彼は我に帰るなりすぐさまそのような感情は捨てた。
自分が別れを告げたせいで六花を悲しませてしまった。彼女にそのような思いをさせる事は不本意であり、辛い。否、そもそも別れ話を持ちかける時点でこのような結果になる事は覚悟していたはずだ。六花の方が辛い思いをしているはずなのに自分がそんな感情を抱くのは甚だおかしい。
そう思っていた夕哉は感情を押し殺し、強引に悲しみで氾濫する濁流を凪いだ。その影響からか、彼の下唇からは赤い血と歯の跡が付いていた。
「ごめん、本当なんだ」
「……どうして?」
「……言えない。けど、楽しかったよ!ありがとう!」
夕哉はこれ以上六花の顔を見ないように背を向けて教室から去っていった。六花は今起こっていることが事実なのだと認め、膝から崩れ落ちた。教室内から聞こえるのは六花の嗚咽する声と夕哉の上履きが地面と擦れる音のみだった。
「さよなら」
夕哉の最後の言葉は力強く、色褪せない想いを乗せていた。普段は温和な彼がその時に発した声色は六花の記憶から消えることはなかった。その次の日からだった。六花が失恋した翌日、夕哉は彼女の前から、否、学校から姿を消した。
六花が当時を振り返っている間、一向は目的地に到着し、真波の父は車をゆっくりと駐車場に止めた。皆が次々に車を降りる中、六花は心ここに在らずといった佇まいでずっと窓の外に視線をやっている。
「ロック、着いたよ!!」
真波は過去に気を取られ、呆然としている六花の耳を引っ張り、強引に降車させた。突然の出来事に六花は反応が遅れ、車から降りる直前に痛みを感じる。
「いだだだっ…!あっ、ごめん…!」
「ほら、これ持って!夕哉君の所に行くよ!」
六花は真波から渡された花束を手に取り、彼女達の後を歩く。花束は色も種類も統一感が無く、無造作に選ばれたものである事が伺える。彼女の視界には無数の墓石が写り、そのどれもが青く生える草原の上に立っている。
六花達はその中から一つの墓石の前に立った。その墓標には杣家という文字が彫られており、墓標の横には夕哉の名前が刻まれていた。
「今日でもう一周忌かぁ……」
真波は自身の持っている花束を墓石に添え、手を合わせた。一方、六花は水桶いっぱいに汲まれた水を隈なく墓石にかけ、花を添えた。
「夕哉君、天国でも元気にやってるかな。」
真波の言葉で六花は再び回顧する。今からちょうど一年前、夕哉は病に犯されてこの世を去った。享年十五歳であった。
六花と別れた原因は彼が持病を抱えていたことであり、自身の恋人に余計な心配をかけさせる事を恐れた夕哉は理由を言わずに互いの関係に終止符を打った。
当然、六花がその事を知らないわけがなかった。夕哉が学校に姿を現さなくなった事について怪訝に思った六花は担任の教員に自身の疑問をぶつけた。
「杣は持病が悪化して入院した。ん?本人から言われてなかったのか?」
その言葉を聞いた六花は声を失った。それと同時に夕哉の言動の意図を理解した。気を遣わせてしまった。その事実は六花に後ろめたさという錘を背負わせる原因となった。
朝日 六花はただの中学生であって、医者ではなかった。それは今も昔も変わらない。そのため、自分では夕哉の命を救う事ができなかった。ならば自分にできることは何か。
それは祈りを捧げる事だった。六花が夕哉の隠し事を知ったのは七夕祭り当日であった。それ故、六花は夕哉の病が治ることだけを強く願った。夕哉君の病気が治りますように。夜空を照らす天の川に六花は強く、強く、強く祈った。
しかし七夕祭りの翌日、杣 夕哉は帰らぬ人となった。その後、彼の訃報を聞いた六花は声にならない声をあげながら涕泣した。
「きっと、夕哉君はロックに会えて嬉しいと思うよ。だからいつまでもメソメソしてたらダメ。元気な姿を見せんと」
夕哉の納骨の時に真波が放った言葉により、六花は前を向く決意をした。しかし、それで心のモヤが取れたわけではなかった。それは今も変わらず、ずっと残り続けている。
「はい、これ。」
墓参りを終えた後、六花は車内で三人から灯籠の形をした置き型の照明を貰った。体積はあれど、思いの外軽く、一人でも持てる重量である。
「ちょっと早いけど誕生日プレゼント。ごめんね、ギターとかプレゼントした方が良かったかな?」
「ううん、これが良い。ありがとうね」
六花は三人からのプレゼントを大事に抱えた。その様子を見て三人は彼女がプレゼントを喜んでくれた事に嬉しさを感じた。しかし、家に帰っても六花はその照明の灯りを点さなかった。
Day2(7月9日)
「アナタ達、曲ができたから今日中に覚えてちょうだい!」
六花の所属するバンド、RAISE A SUILENのDJ兼プロデュース担当のチュチュがそう指示する。身長は百四十センチと小柄ながらも最強のバンドを率いて、音楽界の頂点に立つという大きな野望を抱えている。頭部に猫耳の形をしたヘッドホンをしており、彼女の性格も相まってもはや猫そのもののようである。しかし決してメンバーに飼い慣らされているわけではなく、むしろ一癖も二癖もある逸材を飼い慣らしていた。
そんなチュチュの率いるRAISE A SUILENことRASは七月十日の夏祭りに行われるライブのオファーを受けた。当初は反対意見もあったが、普段出ないような所にもライブをすればRASの活動をより多くの人に認知してもらえるのではないかという意見が出たことにより、出演が決定した。チュチュは来る明日のライブに向けて新曲作りを二週間前から行なっていたが、中々煮詰まらず前日になるまで完成せずにいた。しかし急にアイディアが降りてきたのか、チュチュは目にも留まらぬ速さで曲を完成させた。そしてライブ前日の今日からこの曲を練習しようと言うのだ。
「ようやくか」
マスキングこと佐藤 ますきがそうぼやく。マスキングはRASのドラマーであり、加入前はプロのバンドのサポートを行なっていた。プロをも度外視したその脅威的なアドリブから付けられた異名は“狂犬”。文字通り手のつけられない存在だった彼女を自分の世界の一部にした事実から、チュチュのプロデュース力やメンバーのポテンシャルの高さは一度聞くだけでも常軌を逸したレベルだと伺う事ができる。
「テンポは遅いし、何も難しい事はしてないわ。やる事と言ったら精々覚えることぐらいね」
「“Embrace of light”と同じぐらいかな。これなら今日中にでもマスターできそうだよ」
チュチュの後にそう言ったのはレイヤだった。レイヤはRASのベースボーカル担当であり、長く伸びた髪と身長が特徴的な彼女は見るものの目を引く。そしてその鋭い目つきやクールな雰囲気は数多くの女性ファンを虜にしている。
六花はふと、チュチュの作った新曲の楽譜を手に取った。その楽譜には“或夏憂日”と、タイトルらしき文字が大きく記されていた。自身の辞書には無い読み方に六花は戸惑いを見せ、
「或る、夏、憂う、日……?あかゆうじつ……?」
「“
チュチュは六花にタイトルの読み方を教える。タイトルを見た六花はその驚きの声を堪えた。従来までRASの楽曲のタイトルには必ずと言って良いほど英語表記が用いられていたが、今回に限っては振り仮名のみが英語という、異例の題名であった。
「早速練習して覚えなさい。パレオ、ジャーキー」
「はいっ、ご主人様!」
チュチュのメイドのような役目を果たしているキーボード担当のパレオが元気に返事をする。彼女が被っている桃色と水色のウィッグは派手な印象を与え、見る者全ての人間の記憶に色濃く残るほどである。
個々のパートの楽譜を頭に叩き込んだメンバーが各々の立ち位置についたところで、チュチュが別のヘッドホンで片耳を塞ぐ。日はすっかり暮れ、夕日の光が水や楽器、機材などに当たる。六花にはそれがダイヤモンドの光のように見えた。
「始めて」
チュチュの指示で演奏が始まった。防音室の中が静寂に包まれた後にドラムのカウントが始まり、ギターとキーボードが同時にゆったりと音色を奏でる。その伴奏にレイヤが自身の歌声を乗せ、Aメロ部分に突入する。
しかしどういうわけか歌詞を聞いた瞬間に六花の右手が止まり、伴奏がキーボードの音のみになる。違和感を感じたチュチュは防音室に繋がるスピーカーをオンにし、室内に自身の声を響かせる。
「Stop.ロック、手が止まったわよ。もう一度」
「はっ、はい!」
再びドラムのハイハット・シンバルの音が鳴り、イントロに入る。しかし、六花が奏でた音は一つ一つが強く、お世辞にも曲に沿った弾き方とは言えなかった。
「No!今度は強く弾きすぎよ。力を抜きなさい」
「はい!」
その後も躍起になってギターをかき鳴らした六花だったが、チュチュは首を縦に降らなかった。通常であればレイヤの歌声が主軸となって成立するRASの音楽がこの日だけは六花の音に無理矢理合わせていた。それはチュチュのみならず、六花以外の他のメンバーも感じていた事だった。
「ロック、もう今日は帰りなさい。そんなconditionじゃいくらやってもOKはできないわ」
「えっ?」
チュチュの唐突な宣告に六花は思わず素っ頓狂な声を上げる。チュチュの判断が腑に落ちない六花は「でも」と何とか声を絞り上げる。
「チュチュの言う通り休んだ方が良いよ。今日はゆっくり休もう」
レイヤもチュチュの意見に賛同する。その声色は決して揶揄うわけではなく、本気で彼女を心配しているものだった。
「すみません……」
六花は後ろめたさからギターをケースに片付け、マンションを後にする。練習を早退して彼女が来た場所はラーメン銀河というラーメン店だった。
このラーメン店はますきの働いている店であり、何度も共に足を運んだ。その経緯もあり、今や六花はこの店の常連となっていた。
海苔ラーメンを注文した六花は丁寧に目の前の麺を啜っていく。普段は海苔ラーメンを頼まない六花だが、何故か今日は普段とは違うものを口に入れたい気分であった。
「どうした?」
刹那、六花の右隣から声が聞こえた。不意に聞こえた声に驚きつつ、六花は右側を一瞥する。そこには先程まで六花や他のメンバーと新曲の練習をしていたますきがいた。
「ますきさん!?」
「私も練習抜けてきた。私も海苔ラーメン」
ますきが店長に注文をすると、ラーメンが届くまでの間に話をしようと思ったのか、六花の方へと向き直った。
「何があったんだよ」
「えっ?い、いえ、何も……」
「いいや、何かあったろ。じゃなきゃ、ああまでミスしない。頼ってくれ。嫌なら無理して頼る必要もねーけどさ」
「実は……」
六花は全てを話した。中学時代の恋人の事、その恋人の墓参りに訪れた事、新曲を聴いて今は亡き元恋人の事を思い出した事。ラーメンを食べ終わった六花はそれらの過去をゆっくりと語った。
「うっ、うぅっ……!」
「な、何でますきさんが泣いてるんですか……」
六花の話を聞いたますきはひどく咽び泣く。そしてますきは目の前のティッシュで鼻をかみ、涙で濡れた目を擦る。
「だっで、ぞんなの泣かずに聞げるがよぉ……!」
「ますきさん……」
六花は改めて佐藤 ますきという人間の優しさに触れた。彼女に相談してよかった。六花は心の底からそう思えた。
しばらくして、涙が止まったますきは咳払いをし、改めて六花の方に向き直る。
「大丈夫だ。ロックならできる」
「え?」
不意にますきからそう言われた六花は何のことか分からず、一瞬狼狽する。その後、すぐに新曲のことについて言及しているのだと気づいた。
「人は悲しみながら怒ることだってできる。だからロックは悲しみながらでもギターを弾ける。私達はお前のことを信じてるからな」
「……」
ますきの言葉に六花は口を噤む。当日までにこの暗雲を晴らし、新曲を演奏できるコンディションを整えなければならない。その重圧をひしひしと感じた六花は左手の拳を握りしめる。
「大丈夫です。ロックさんが新曲を弾けるようになるまで私が、私達がサポートします!」
「パレオさん!」
「私とチュチュ様を再び繋げてくださったんです。今度は私にお手伝いさせてください」
未だに心が晴れない六花の左隣にパレオが現れた。ラーメン屋に似つかわしくない派手な風貌だが、逆にそれが様になっていた。
パステルカラーを身に纏い現れたパレオは席に着くなり慣れた様子で店員に注文をする。そんな彼女を見て六花は自分も悩むより最初の一歩を踏み出そうと覚悟を決めた。
「私、成功とか失敗とか先の事はもう考えません!精一杯を、ぶつけてみます」
店を出た後、六花の決意を聞いたますきとパレオは柔和な笑みを浮かべた。彼女が立ち直った証を耳にしたことで二人はその安堵をようやく解放できたのだ。
「ロックなら絶対負けない」
「ロックさんは必ずチャンスを掴めます」
感謝の意を込めて、六花は二人の手を握った。すると、パレオが何かを思い出したかのように、そうでした、と口を開いた。
「ロックさんって、先日の七夕にどんな願い事を書いたんですか?」
その問いに六花は答えなかった。否、答えられなかった。夕哉君とまた会えますように、と書いたことなど、言えるわけがなかった。
Day3(7月10日)
翌日、即ち祭り当日は雲一つ無く、快晴だった。パレオの提案により、五人は浴衣姿で待ち合わせをする事となった。浴衣はメンバーそれぞれのイメージカラーを基調としており、不規則に描かれた模様が行き交う人々の目を引く。
天候が良好という事もあり、夕方とはいえ枚挙に遑が無い程の人々がひしめいている。からんころん、と鳴る下駄の音、フライパンの上で踊る食材から漂う匂い、赤く光る提灯の光。その他にも様々な光や音、匂いが六花達五人を歓迎する。
夜空には星が小さく輝いており、この賑わいに薪を焚べる五人を彩るスポットライトのように見える。その輝きには微塵も濁りがなく、五人の晴れ舞台に歓喜を示している。
「ねぇ、せっかくだからライブが始まるまでの間に夏祭りを楽しまない?」
そう切り出したのはレイヤだった。六花をリラックスさせたいという意図があるのか、それともRASの五人での思い出作りがしたいのか。
「ちょっと。ワタシ達は遊びに来たわけじゃないのよ。第一……」
「良いじゃねーか。ライブまで時間がまだあるし、それにチュチュだって浴衣まで着て来てるだろ」
「こっ、これはライブの衣装だってパレオに言われて着てるだけで……!」
チュチュは顔を赤らめながら弁明するが、彼女が夏祭りを楽しみにしてきたという事実は誰の目から見ても明らかであり、六花達の笑みは崩れない。
「それでは、決まりですね!まずはどの屋台に行きましょうか?」
早速パレオは屋台のチラシを開き、計画を練る。しかし屋台の種類が予想以上に多く、十分経っても五人は選択肢が絞れずにいた。そんな中、六花はチラシの上で存在感を放つある一つの屋台を指差した。
「まず、この
「たしかに名前が気になる所ですね、早速行ってみましょう!」
六花の提案で一同は最初に飴屋に向かった。ポピパキャンディーという商品はPoppin'Partyというバンドが提案した案から誕生しており、今や夏祭りの名物となっている。
五人が屋台の前に立つと飴屋の屋台から店長と思しきが顔を出した。マスクをつけているため、目元しか見えなかったものの、見る者に安心感を与える温和な目をしていた。
「いらっしゃい。何にします?」
「ポピパキャンディーを五つください」
「はい、合計六百円になります」
レイヤは他の四人の分まで会計を済ませ、キャンディーの完成を待つ。しばらくすると、五人の前に店主が現れた。
「はい御待ち遠様。家族で来たのかな?そこのヘッドホンの妹ちゃんは可愛いから特別にこの大きいの、あげるね」
「なっ!?」
店主の言葉によって心を抉られたチュチュはあまりのショックに三分ほどその場に呆然と立ち尽くしていた。そんなチュチュをパレオが慰め、彼女達以外の三人は次の屋台を決めるべくチラシに視線を送っている。
チュチュは徐にポピパキャンディーと称される赤い星形のキャンディーを口にした。キャンディーに凝縮された濃厚な甘さが口に広がり、液体となって喉に入り込む。その甘さによって彼女はすっかり正気に戻った。
「チュチュ様ー?もう行きますよ?」
「フン、私としたことが取り乱していたみたいね。次は輪投げに行くわよ!」
店主の発言が起因となったのか、チュチュも積極的に祭りに参加した。次に向かった屋台で五人は輪投げに挑戦していた。しかし、レイヤとますきとチュチュはその難易度の高さに苦戦している。
「Why!?どうして引っかからないのよ!もしかして……!」
「もしかしなくても飛距離が足らないだけだよ」
そんな中、六花とパレオは景品に向かってリングを投げた。彼女達の投げたリングは空中で鮮やかな放物線を描き、リングの穴に景品が入った。
「やりましたね、ロックさん!」
「はい!」
景品である菓子の詰め合わせを貰った後、五人は射的の屋台に足を運んだ。輪投げの屋台と同様に、形も体積も違う景品が丁重に並べられている。
「お嬢ちゃん、上手いね!はい、景品」
「やった!ありがとうございます!」
弾丸が景品に命中したレイヤは童心に返ったかのように喜び、飛び跳ねた。一方、ターゲットとの照準が合わない六花は自身の体を前に出して狙いを定める。しかし、体幹が安定せず、六花は引き金を引いた瞬間に後ろにバランスを崩して倒れかけた。
「うわっ!」
「ロック!」
そんな六花をますきが支え、転倒を防いだ。
「怪我は無いか?」
「あ、ありがとうございます……」
ますきとの距離の近さ、全身にその存在を知らしめるほどの鼓動の大きさに六花は顔を赤らめ、彼女から離れる。日が沈みかけ、顔色がオレンジ色に溶けたためかますきには六花がどのような心情なのかわからず、腑に落ちない表情を隠しもせずに首を傾げた。
「時間が迫ってきたわ。そろそろ行くわよ」
様々な屋台を回った後、最新の腕時計を一瞥したチュチュは四人にステージに向かうよう、指示を出す。ウォームアップとリハーサルは済ませてあり、後は本番のステージで全身全霊を披露するのみ。普段ライブハウスで行う時の空気とは違うものを感じ、五人の鼓動が高鳴る。
「Hello,everyone!We are RAISE A SUILEN!!」
時計の針が開始時刻を指し、RASのライブが始まった。ステージに立った五人は脚光と歓声のシャワーを浴び、各々の楽器を手に取る。ここで鳴らす音は昨日までの自分の音とは違う。六花はアンプやエフェクターのつまみを調整しながら自分に言い聞かせた。
アンプやスピーカーから轟音が鳴り、歓声が更に上がった。RASに詳しい人間が少数であるどころか、彼女達の存在を知らない人々が多数という完全にアウェーな空間でも彼女達の音楽は観客に大きな衝撃と感動を与えた。
中でも“或夏憂日”は最高の盛り上がりを見せた。ブルース調の伴奏にクラシックのようなどこか切なくも力強いメロディ、ロック調のビートが観客の心を掴んでは離さなかった。そしてこの曲を最後にRASのライブは無事に終了した。
「Thank you!」
六花がステージから立ち去ろうとした瞬間、彼女の視界に見覚えのある人影が映った。それは懐かしく、淡い存在。気がつけば六花はレイヤ達に頭を下げていた。
「すみません!私、行く所がありますので!」
「ちょっと!どこ行くのよ!」
「行かせてやれ、チュチュ」
六花は走った。昨年の七月にそっと消した夢が叶う。その喜びが六花の背中を押し、突き動かした。
「夕哉君!」
「六花……」
必死に足を動かし、ようやく六花は夕哉に追いついた。夕哉は悲しげな表情をしており、彼女に自身の名を呼ばれた途端に本心を韜晦するかの如く、晴れやかな顔をした仮面をつけた。
「生きてたの……?」
「いや、どういう訳か、あの世からこの現世に一時的に戻ってこれたんだ。ちょっと早いお盆みたいなものかな」
夕哉はそう言うと、微笑んだ。生前と変わらず、慈愛に満ちた笑みである。
「そんな事があるなんて……!」
「人間の科学だってそこまで完璧なものじゃない。だから証明できない事柄だって沢山あるんだ」
交際していた時に彼がよく口にしていた言葉を聞き、二人は思わず噴き出した。すると夕哉は何かを思い出したかのように、そうそう、と言って話を切り替えた。
「さっきのライブ、最高だったよ。六花自身も楽しそうだった。今の六花なら大丈夫。六花を待ってる人がすぐそばにいるから」
夕哉がそう言い終えた後、満点の星空を彩るかの如く花火が打ち上げられた。赤や黄色などの暖色系の色を纏った花火は二人の出会いを喜び、祝っている。花火の光に包まれる中、夕哉は突然頭を下げた。
「いきなりあんな別れ方して、ごめん。六花に辛い思いをさせたこと。学校に来れなくなった時からずっと後悔してた。失望、したよね……。でも、もう六花は俺がいなくても大丈夫そうだから安心した!じゃあね!」
「……本当に言いたい事は、それだけなん?」
「え?」
六花からの思わぬ一言に夕哉は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「夕哉君、さっきからずっと苦しそうだった。嘘ついててもわかるよ?本当の夕哉君の声を聞かせて!」
朝日 六花という人間は頑固な性格である。それは彼女と交際していた夕哉も分かりきっていた事だった。彼女の意志に根負けした夕哉は嘘で固めた仮面を剥がし、本心を口にした。
「……ライブが楽しかったのは本当だよ。俺が生きていた時にも行って、楽しさを教えられた気がした。でももっと観たかった。“次”がある事がこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった。もっと六花と一緒にいたかった。……生き続けたかったなぁ」
夕哉の本心を聞いた六花は微笑んだ。彼と別れる前に本心をこの耳で聞くことができたからである。六花の笑みを見た夕哉は彼女の頭を撫でる素振りをした。自身の手では触れられない。それを彼は悟っていた。
「もうそろそろ行かなきゃならないな。六花。今の六花は決して一人じゃない。他の誰でもない自分自身の人生を生きてね」
最後の一発となる花火が打ち上がった瞬間、光が夕哉の頬を照らした。別れを惜しむことなく、精一杯の柔和な笑みを浮かべた。
花火と共に夕哉は消えた。どちらも涙を流す事はしなかった。彼の想いに応えるため、六花自身も最後は笑顔で別れようと意を決した。
「おーい、ロック!行くぞー!」
「はい、すぐ行きまーす!」
ますきに呼ばれ、六花は彼女達のもとへと向かった。RAISE A SUILENのギタリストであるLOCKを包む音達は、今も彼女を愛している。彼女を待っている。そして何よりもその今を愛しているのは他でもない、六花自身だった。
夏祭りから帰宅した六花は徐に携帯を取り出した。画面にはメッセージの通知が届いており、その内容は真波が同級生の男子と交際したという報告だった。六花は自分の事のように歓喜し、彼女に憧憬の念を抱いた。
彼女に祝福のメッセージを送った後、六花は押し入れから灯籠の形をした置き型の照明を取り出した。墓参りの際に真波達からプレゼントとして貰ったものである。胸がすいた六花はその照明の明かりを灯した。それは暖かく、優しい光だった。
物書きとして、そして人として苦悩している最中にTwitterで思いがけず目にしたこの企画。乗るしかないと思い、参加させていただきました。しかしながら、今回のお話は非常に苦戦しました。夏という季節の淡い時間の存在を前提とした上で地の文の表現をどうしようか、キャラの言葉の言い回しをどうしようか。吟味する点は様々でしたし、原案も何度も練り直しました。それはまるで最高のテイクを出すために試行錯誤するアーティストのような気持ち。“夏日憂歌”のように、夏祭り特有の短夜を彷彿とさせるようなイメージで作ってみました。この企画の考案者であるas☆know様、ありがとうございました。
とまぁ、色々語りましたが、バンドリ作品書くのは半年ぶりなので内心緊張してました。気合い込めて書いたので感想高評価お気に入り登録等是非よろしくお願いします。
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