手書きの資料上で踊るミミズのような数字をひとつひとつ解読し、エクセルに入力していく。わざわざ定規で線を引いてマス目を作ったひな形を、再生紙に大量にコピーして使っている部長が作った資料を、男はPCで清書していた。
時刻は深夜。ビルの警備員が定期巡回で二回ほど様子をのぞきにきたが、男がこの真っ暗なオフィスに残っているのはいつものことなので、互いに会釈だけを交わした。
半年前の部署異動で新たに上司になった部長は、典型的なパワハラ上司だ。
会社自体はブラックでも何でも無い、普通の専門商社だ。商材は医療機器、顧客は病院や介護施設で、はじめこそ専門性の求められる商材知識の習得に四苦八苦したが、五年も経つと多少余裕も出てきた。段々と仕事が楽しくなってきていた矢先の部署異動だった。
営業部門には変わりはないが、主な顧客層がこれまでの介護施設や個人病院から、大きな総合病院や大学病院がメインとなる。それに伴い、動かす数字も二桁三桁大きくなる。キャリアとしてもステップアップだ。男はこれまでの働きが認められたかと浮足立ったが、ひとつ下の後輩が退職することとなり、その欠員補充として年次の近い彼が選ばれただけだった。異動前の面談でも、それ以外に特に理由は説明されなかった。
部長は「これまでのやり方が通用すると思うな、全て俺の言う通りにしろ」と強権的に男に振る舞った。この平成の時代に「パソコンが苦手だ」と言ってはばからず、資料作成やメール応対ですら男に丸投げする始末。一度やんわりと断りを入れた時は、
「この部署でのやり方を、俺が、わざわざ、一から教えてやっているんだろう!!」
と、部署全員の前で怒鳴りつけられた。
同僚は皆見て見ぬふりをしている。どうやら漏れ聞こえてくる話から推察するに、退職した後輩も、男と同じ目に遭っていたようだ。男はスケープゴートなのだ。
ラップトップのブルーライトに目がちらつく。画面から視線を外し、何気なく斜め向かいのデスクを見やった。
ああ、また
男は視界に入った奇妙な生き物を眺めた。今日のは手のひら大サイズだ。芋虫のようなフォルムで、背面(デスクとの接地面を腹とするならば)に鳥のような翼が生えている。頭にあたる部分に目は無く、人間のような唇のある口だけが付いている。「イィー」と鳴き声のようなものを発している。
これが何なのかは、よく分からない。ただ、幼い頃から見えていて、自分以外にこれが見える人間とはお目にかかったことがない。イマジナリーフレンド的なものかと思っていたが、幼児期や思春期をとうに過ぎても依然として見え続けており、どうやら何らかの精神疾患症状ではないかと疑っている。
今の職場のように、所謂"空気が悪い"ところで、こいつらはよく男の前に現れる。ストレスがトリガーになって幻覚症状を起こしている、というのが現時点での最有力候補だ。
「消えろ」と心の中で念じながら、芋虫を手で払う。いつものように、それはさっとかき消えた。
結局、仕事が一段落したのは丑三つ時だった。当然、電車もバスもとっくに止まっている。
男はビルの駐輪場に止めたロードバイクの二重チェーンを外す。残業で終電を逃し、タクシーで帰ることが頻繁になったので、思い切って前から欲しかったビアンキを購入し、自転車通勤にしたのだ。おかげで運動不足が解消された。部署異動してから唯一の良かった変化だ。
スーツのズボンの裾がタイヤに巻き込まれないように、バンドを巻いて止める。ヘルメットを被り、サドルに跨がる。ペダルを漕ぎ出すと、ぐんぐんと加速する。
昼間は車が途切れない駅前も、ぽつぽつと流しのタクシーが通り過ぎるくらいだ。ビルの合間を縫って、車道を気持ちよく進む。初秋の風が心地よい。夜空を見上げると、半分より少し太った月が沈みかけている。
夜景となるようなビルの照明もほどんど消え、月明かりもわずかの中、にょっきりと伸びる特徴的な円筒形のシルエットが浮かんでいた。
この街のランドマーク、新横浜プリンスホテルだ。
突如、男の脳内に存在しないはずの記憶が溢れ出す。
男は思い出した―――己がシンヨコの恐るべき高等吸血鬼だった前世を。
本当の自分を知ってしまったら、これまでのように生きることはできない。彼は本能の赴くまま、欲望に身を任せる。
男はその夜を最後に、会社からも自宅からも姿を消した。
◇
呪術高専二年の五条と夏油が渡り廊下を歩いていると、長身に黒のセットアップを纏ったポニーテールの女性―冥冥が目にとまった。五条が片手を上げ、気安げに声を掛ける。
「あっれー?冥さんが高専にいるの、珍しいね」
「ああ、仕事のことでちょっとね」
「ふーん、あ、なんだ歌姫もいたの」
割としっかり五条の視界に入る位置にいたにも関わらず、今気付きましたという適当な態度の
「アンタねぇ、それが先輩への態度!?」
「こらこら、悟。たとえ技芸において上の人という意味での先輩でなくとも、歌姫先輩は高専に先に入った人という意味では先輩だ。形式だけでも敬わないと」
「あ゙あ゙ん?」
夏油のフォローになっていないフォローが、庵の怒りの火に油を注ぐ。ぎりぎりと歯を食いしばり、般若の形相となる庵だったが、聞こえてきた家入の声に心が弾む。
「歌姫センパーイ!お元気ですか~?」
「硝子!!私のかわいい後輩はアンタだけよ!!」
女子特有のスキンシップで、庵が家入にぎゅっと抱きつく。おいおいと下手な泣き真似をする庵を、五条が鼻白んだ。
舐めた仕草に堪忍袋の緒が切れた庵が、五条に掴み掛かろうとしたその時、アラートが鳴り響いた。
高専に張られた結界に、未登録の呪力が反応したのだ。
「高専に侵入するとは大胆だね……」
「呪詛師!?それとも呪霊!?」
冥は慌てることなく、状況を見守る。庵は動揺している。これが一級術師と二級術師の実力の差なのか、性格によるものなのか。やや後者が優勢だろうか。
警告音が鳴り止まない中、夜蛾が廊下の奥から走ってくる。その後ろには一年の七海と灰原が追従している。
担任の厳つい顔を見た夏油が、条件反射で「私は術式を使ってませんよ」と告げた。彼は呪霊操術で取り込んだ呪霊の登録を面倒くさがって、そこそこにさぼる。そうした未登録の呪霊を、五条との
「それは分かっている、呪詛師が侵入した!全員で迎え撃つ、油断するなよ!!」
高専の守りは強固だ。ここ数年、夏油以外が警報を鳴らすこともなかった。呪術師の拠点である高専に、結界を突破して侵入してきた呪詛師の実力は、かなり高いことが見込まれる。
一同(五条はいつものごとく舐めプの態度だが)が緊張の面持ちで向かった先に、侵入者は仁王立ちで佇んでいた。立ちはだかった高専の呪術師たちに朗々と名乗りを上げる。
「我が名は吸けt、じゃなかった呪詛師 野球拳大好き」
「「「「「変なの出てきたーーー!!」」」」」
まさに出オチ。この一言に尽きた。
野球拳大好きは名乗った通り、「野球拳大好き」と書かれたのぼり旗とタスキをそれぞれ背負い、肩にかけ、ジャンケン柄の浴衣を着ていた。主張が激しい。頭にはラーメン屋の店主みたいな手拭いを巻いて、鼻まですっぽりと覆うフェイスガードをしている。唯一見える目はガンギマっていた。
「野球拳は守るべきこの星の文化財産である!!誰でもできる懐深い遊戯性!脱衣により、より親密さを増す人間関係!私は野球拳を若き世代へと受け継ぐ担い手である!!」
吸血鬼野球拳としての前世を思い出した今世呪詛師野球拳は、熱く語った。
「僕、呪詛師は初めて見るんだけど、みんなこうなの?」
「そんなわけないでしょう。アレがたまたま頭ポンチなだけです」
高専陣は出オチで闘志が霧散していた。術師の家系ではない灰原は、初めての呪詛師を珍妙な生き物を見る目で観察している。同級生の七海がすかさずツッコミを入れた。
「アウト!セーフ!よよいのよい!!」
おもむろに耳馴染みのあるリズムと音程で野球拳大好きがジャンケンを始める。チョキを出した野球拳大好きに対して、灰原が「えっあっ」と戸惑いながら、咄嗟にパーを出す。
「釣られるな灰原―――!!」七海がこれまで聞いたことない大声で灰原を止めるが、灰原は「靴って片方ずつでカウントされますか?」と素直に脱衣に応じる。「灰原――――!!!」七海が過去一の大声を出す。
「人が良いにも程があるでしょう、バカ!」
「ち、違うよ!あの掛け声を聞いたら……」
「よよいのよい」
七海と灰原の会話の合間にも、野球拳大好きは灰原との野球拳を止めない。野球拳大好きが出すパーに、灰原はグーで応じた。
「か、身体が勝手に野球拳しちゃうんだよ!」
「身体が勝手に野球拳しちゃう!?」
灰原の身に起こった不可解な現象を声に出して復唱してみても、七海には意味がさっぱり分からなかった。身体が夏になることは歌に歌われているが、身体が勝手に野球拳しちゃう現象は初耳だ。
七海たちが戸惑う間も、灰原はジャンケンに負け続けて上裸になっている。
「この野郎よくも灰原を半裸に!」
「催眠系術式か何かの使い手か!!」
野球拳といえども、本人の意思に反して行動を強制する術式は厄介だ。最強を名乗る五条と夏油のコンビが、野球拳大好きに攻撃を仕掛ける。
しかし、五条の呪力を込めた拳も、夏油の操る呪霊も、野球拳大好きには届かない。見えない壁に弾かれた。
「我が野球拳領域は無粋な者を通さない!私が野球拳をしている間は誰も邪魔はできないのだ!!」
「「「「「な、何―――!!!」」」」」
恐るべき高等吸血鬼の能力として前世で散々力を使ったおかげか、呪詛師野球拳大好きは今世では術式と呼ばれるそれを手足のごとく自在に操れた。呪術界の麒麟児たる五条でもまだ到達していない領域展開も、やすやすと成し得てしまった。
「こ、これは領域展開!?呪術戦の頂点とも言える高度な技術だぞ!!」
「その技術もっと他の用途あるだろ!!」
夜蛾は野球拳大好きの思わぬ実力に驚愕している。五条は自分が出来ないことをやってのける野球拳大好きに、しびれもしないし、憧れもしなかった。なんせやってることが野球拳。コレジャナイ感がすごい。
「とか言ってる内に灰原がすってんてんに!」
「お前ジャンケン弱いなー!!」
灰原は何のてらいも無くパンイチ姿を晒す割に、ジャンケンの弱さを指摘されるとなぜか恥ずかしそうにする。照れるポイントが分からない。
「敗者とはいえ共に野球拳をした同志!!裸のままでは哀れである!!このTシャツを着るがいい」
手書き風フォントで「野球拳大好き」とデカデカとプリントされたTシャツを差し出されると、灰原は素直に「わー!ありがとー!」と受け取る。彼は人を見る目もないが、ファッションセンスもないのか。
「ハイ二回戦、よよいのよォお――い!!」
「何っ私?うおおおおお!!」
「「「「「夜蛾先生ー!!」」」」
次の獲物は夜蛾だった。早速ジャンケンに負けてサングラスを取っている。サングラスを一着にカウントするあたり、なかなかセコいところがある。
「悟、次の参加者を引き込む一瞬があの領域の隙だ!そこを叩けば……」
「いや、それは難しいかもな。あまりにも一瞬すぎて俺の眼でも見えない」
「野球拳バックにクズたちが真面目な会話とかシュールすぎ。ウケる」
最強の二人ですら攻めあぐねる中、あっという間に夜蛾が剥かれてクソダサ野球拳Tシャツ姿の中年男が完成した。落ち込む背中に「I♡野球拳」のバックプリントがさらに哀愁を誘う。
「うーむ、呪術師は男ばかり……これではつまら…男女不平等!!」
手も足も出せない(ジャンケンの手だけは出していたが)男二人を次々と倒した野球拳大好きが、冥の美貌に目を止める。
「そこのお嬢さん!!野球拳の素晴らしさを知りなさい!!アウト!セーフ!よよいのよいッ!?」
「おっとさせないよ」
「傑!!」
「女性にこんな真似させられないからね。ああ、これは決して冥さんが弱いと言ってるんじゃなくて……」
野球拳大好きと冥の間に割って入った夏油が、紳士的振る舞いをアピールする。こうしてわざわざかばってやったことを相手に言うあたりが、クズたる所以である。
「冥さん帰ったぞ」
「金にならんことには付き合えないって」
夏油が振り返った先には冥はいなかった。五条と家入が無情なる真実を突きつける。
「っつーか何が文化保存だよ!露骨に女狙いやがって」
「女狙い!?何という侮辱!私に邪な気持ちなど一切ない!文化は男女ともに担っていくもの!女性も共に歩ん「「「「嘘つけー!!」」」」
五条が吠えた。野球拳大好きが弁明するが、なにかを揉むような妖しい手の動きと、目元だけでも充分に伝わるやに下がった表情では説得力は皆無だ。
「何もっともらしいこと偉そうに言ってんのよ!野球拳っていうのは本来脱衣ゲームじゃないっつーの!!」
「うっせ―――バーカ!!!」
「この野郎――――――!!!」
庵が元祖野球拳を持ち出してツッコむ。スポーツ観戦が趣味な彼女は周辺雑学にも詳しい。
野球拳大好きの低レベルな煽りに返り討ちにされて、キレ散らかしているので正論も台無しだが。
「クソッ!あんなゲスを野放しにはできない!」己のクズっぷりを棚に上げた夏油が、悔しさに顔を歪ませる。
「そうだ、はじめから脱衣している者なら奴の天敵になり得るのでは?」
このポンチな危機的状況にも、ずっと冷静に頭脳をフル回転させていた七海が閃いた。さすが伊達に七三ではない。目の付け所がシャープである。
はっと七海を振り返った夏油が、頷いた。
「というわけで私の手持ち呪霊にうってつけがある!仮想怨霊、妖怪大手の裸坊主!!」
「「「「ウオオーッ!行けーーーー!!」」」」
全身の毛がないつるりとした、大きな裸の赤ん坊のような異形が野球拳領域に入っていく。一同は固唾を呑んで見守った。
「そういう手合いには逆に負けるごとに着てもらう」
「イヤアアアアアア!!」
パンツを差し出された裸坊主が「汚サレタ……」と泣きながら塵となっていく。着衣を促されて祓われる呪霊を夏油はどこで取り込んだのだろうか。
「どんな感性だよ役立たず――!!っていうか傑アレどこで捕まえた!?」
「こうなったら誰か囮にしてあの結界に隙を作るしかないね」
五条のツッコミは夏油にスルーされた。
「五条さん、無下限バリアがあるんですから突っ込んで下さいよ」
「そうだね、どうしてそれを一番に思い付かなかったんだろう」
せっかくのアイデアが敗れた七海が、投げやりにゴリ押し作戦を立案する。夏油も便乗して、灰原は夏油に従った。
野郎三人に無理やり押し出された五条は、とうとう野球拳領域に入ってしまう。仲間の裏切りに五条は恨みがましく「テメエらこの野郎――!!」と叫んだ。
「よよいっ」と、野球拳大好きが出したグーに、五条の手はチョキを作っていた。確かに無下限術式で自身を包んでいた五条は「うわっ何だこれ無下限でも防げねえ!!」と戸惑いを見せる。野球拳大好きの野球拳は野球拳催眠なので、無下限術式でも防げないのだ。
絶体絶命だが、五条の優秀な頭脳は最適解を導いていた。
「へっ!だが俺はこれまでのバカとは違う!この最強の手なら絶対にジャンケン負けねえもんねー!」
五条は、小指と薬指だけを折り曲げた、所謂「無敵チョキ」を出した。
「ズルは一発退場」
「イヤ―――――――――」
野球拳領域内の縛りを破った五条は、鋭く走る稲妻によって着衣を全て引き裂かれ、生まれたままの姿になる。
絹を裂くような五条の悲鳴が、高専のグラウンドに響き渡った。
◇
一時間後、クソダサ野球拳Tシャツの一団が出来上がっていた。
「くそっ……補助監督さんたちも助っ人に呼んできたってのに、みんなTシャツにされちゃった……」
「なんてジャンケンの強い奴なんだ」
真面目にみんなのジャンケンを応援していた灰原が、力及ばずうなだれている。七海は確率計算的にあり得ない勝率を叩き出した敵に感心すらしていた。
「あとやたらいっぱい着てるんだよアイツ!」
六眼でなくても見える事実を五条が指摘する。野球拳大好きは浴衣をはだけて幾重にも着込んだ中のインナーを見せつけながら、高笑いを上げた。思わず夏油も普段の丁寧な物言いを崩して「チクショウ汚え!」と叫んだ。
「邪魔な男は全員Tシャツになった。これで残るは―――」
野球拳大好きは鋭い眼光でこの場に着衣で残る人間に視線を送る。
「!まずいっ」
「そこの二人だけだーっよよいッ!!」
「硝子!歌姫!」
「ゲス野郎てめぇー!!」
もはや建前すら並べず、露骨に女性二人に的を絞る野球拳大好き。
「硝子は下がってて!この勝負、私が受けて立つ……!」
庵は一歩前に出て、家入を後ろにかばう。その表情には覚悟の色がうかがえた。
「オッエー!歌姫の脱衣とか、どこに向けたサービスだよ」
「ほら、悟、世の中にはどんなジャンルにも需要があるらしいから……」
「おい聞こえてんぞ!そこのクズ共―――!!」
五条、夏油のクズコンビによって庵の覚悟は台無しだ。
「よよいのよい!よよいのよい!」野球拳大好きの野球拳の手は緩まない。「どうした!みるみる着衣が減っていくぞ!」庵はジャンケンに負け続け、髪留めのリボンや帯、ブーツ、靴下、袴と次々と脱衣させられていく。
「くそっ庵さん!!」本物の紳士たる七海が結界の縁を鉈で叩き割ろうとする。「この野郎!ここを開けろ!!」灰原が同級生に続いて呪力を込めた拳を撃ち込む。
「無駄だ!野球拳領域は無敵!外部からのどんな干渉も受け付けん!!外の貴様らには何の手出しも出来んというわけだァー!!」
野球拳大好きは己の勝利を確信していた。
「クソッ…そんな…そんな…」歯がみする一同だったが、ふとその時、全員の心の声が一致した。
((((そんなら内部の人がボコボコにすればいいのでは))))
襦袢姿の庵が、怒りが振り切れるあまりなんの感情も浮かんでいない真顔で野球拳大好きをタコ殴りにした。
腐っても二級術師。脱衣させられた屈辱の感情を変換した呪力がたっぷり乗せられた拳は、これまでの彼女のどんな攻撃よりも威力があったという。
◇
~後日談~
「おい!なんでソイツが高専にいんだよ!!」
夜蛾を訪ねて教員室に入った五条は、己の六眼を疑った。しかし、バカみたいなジャンケン柄の浴衣に包まれた男の身体に刻まれた巫山戯た術式は見間違えるはずもない。
野球拳大好きが、教員室で夜蛾の隣のデスクに座っていた。
彼は五条をちらと振り返ると、「よっ!坊主!」と片手を上げて挨拶すると、すぐにPCに向き直った。そのふざけた格好に見合わず、もの凄い早さでキーボードを打鍵している。箇条書きされた窓からの目撃情報のメモを、きちんとした体裁の報告書に起こしていた。
夜蛾はため息をついて、五条に経緯を説明する。
野球拳大好きは呪詛師を名乗っていたものの、非術師に危害を加えたことは一度もない。それもそのはず、術式を自覚したのは高専にやってくる前々日の夜だったのだ。
彼が前世を思い出してすぐに辻野球拳を仕掛けた相手は、何の奇跡か、たまたま呪詛師だった。裸に剥かれた呪詛師は、呪術がよく分からないまま術式を使っている素人に負けた屈辱から、その素人に高専の存在を嘘を交えて吹き込んだ。そうして野球拳大好きは高専に侵入こそしたが、やったことはただの野球拳。驚くことに重大な呪術規定違反はしていない。
しかしいくら素人同然といえど、領域展開までできる術師を野放しに出来るはずもなく、彼は高専預かりとなった。
意外なことに前職は普通にサラリーマンをしていたという野球拳大好きは、これまた意外なほど事務処理能力に秀でていた。彼は高専で呪術を学ぶ代わり、授業料として労働力を提供することとなり、そうして今に至る。
「はぁ~~~!?そんなんアリ??」
「現に、彼は高専の呪術師として登録されている」
夜蛾の顔は苦々しい。隣の男にいい年して野球拳させられて、パンイチにまで剥かれたのはまだ記憶に生々しい。
「じゃあ等級は!?ちょっと登録証見せろよ!」
肩を掴んだ五条に、強引に振り向かされた野球拳大好きは迷惑そうな表情を隠さない(といっても相変わらず目元しか見えないのだが)。
「登録証ぅ?」
「免許証みたいなカード、もらっただろ」
「ああ、あれな」
デスクの引き出しをごそごそして、蛇腹式のカードケースを出す。プラスチックの百均製だ。その中から一枚取り出して、「ほい」と投げるように寄越す。
難なくキャッチした五条は、それを見て今度こそ本当に己の六眼を疑った。
「はああああああ!?『特級呪術師、野球拳大好き』ぃ!?」
こうして事態は収束し、高専に新たな仲間が加わったのだった。
高羽の術式が五条悟にも対抗できうるなら、シンヨコのポンチ吸血鬼も最強に並びうるんじゃね?という思い付きで本作が出来ました。