それでも、伝わると信じて。
それでも、わかり会えると信じて。
それでも、手を伸ばす。いつか届くと、信じたいから。
――夕陽も落ちきった、暗がりの中。ただ私は、立ち尽くす。
視界は涙に歪み、身体は力を失っていく。このまま死んでしまえたら、どれ程幸福だろうか。でも戻らなければならない、こうしていてはいけない。
それが何よりも、辛い。どんなに絶望しようがどんなに苦しもうが、そこで道は終わらないから。自分で命を捨てる度胸もなければ、恥を忍んですがり付く勇気もない。何もかも中途半端でなにも成し遂げられない私だから、こうして苦しむのだ。
ああ、どうしてこうも私は口だけなのか。
こんなだからユメカに言われてしまうんだ、もう諦めたのかと。
私は諦めない、諦めたくない。バスケも、そして胸の奥に芽生えたこの想いも。どちらかを捨てなければならない、なんて認めない。
貪欲に、真っ直ぐに。どちらも手にいれてこそ、私は私なんだ。そう思うからこそ、私はああ言い切ったのだから。
ユメカはそれでもまだいつものように嫌味を言ってくれていたけれど、すぐ彼氏さんに引き摺って行かれてしまった。
なんだか変な空気のまま、取り残された私たちは顔を見合わせる。
「あー……。そろそろ、帰ろっか」
大喜くんを促して歩き出して、でも。私はすぐに立ち止まってしまう。
何だか胸が熱くて、頭の芯が痺れていく。周りを見回せばカップルばかりの雰囲気に、ちょっと当てられてしまったのだろうか。
しかし思えばこの気持ちを、どれくらい押し込めてきただろう。見ないふりをして、既に出ている結論を先伸ばしにし続けていた。
もう、良いのではないか。
私たちはお互い、自分の道をしっかりと歩んでいる。そろそろ支えあっても良いはずだ、それくらいの余裕はできたはずだ。
ならば、言ってしまえ。
「大喜、くん。あの……さ、聞いてほしいことがあるんだ、けど」
心の深くから上がってきた
内側から歯列を抉じ開け、唇を蹴り飛ばして。
勢いよく「
それは確かな指向性を伴い、遅滞無く大喜くんの耳を捉えてそして。その脳へと私の想いを伝達する。
それは全てを決定つける、致命の一撃になって余りあるだろう。
確信にも似た満足感と共に私は、大喜くんの返事を待つ。向こうもまた私を憎からず思ってくれている、そんなのは普段の仕草から分かっていた。後はそれを形にしてしまえば、それで済む。口に出来るか否かが一番の問題で、そこさえ乗り越えれば懸念事項はもう無いのだ。
しかし返ってきたのは――。
「どうして、そういう事を言うんですか」
怒りさえ感じる、ハッキリとした拒絶の声だった。
何が起きたか、一瞬分からなかった。いや、脳が理解を拒んだのだ。一世一代の告白が一息で跳ね除けられたという、事実を。
そんな事が、有り得るのか。大喜くんはそんなにも、私を低く見積もっているのか。ちょっと余所見をしたら崩れるほど、弱いのだと。
大喜くんと蝶野さんとの関係が遅々として進んでいないのは、
ひょっとして耳がどうにかしてしまったのではないか、私か或いは大喜くんの。
そう思って聞き直そうとした、その時だった。
「千夏先輩も俺も、そんな事を考えていられる立場じゃないでしょう。言いたくないですけど、もっと真面目になるべきだと思いますよ」
まるで私を諭すように、大喜くんが話し始める。漂っていた怒気は消え、いつもの優しげな声で。
その内容は理解できないものじゃない、それはそれで正しいだろう。お互いに立場はある、それは確かな事だ。それに居候の私が家主の息子に手を出して、気まずくならない訳はない。
だけど、でも。
――
私は色恋沙汰に逃げた訳じゃない、抑えきれない気持ちがあるだけだ。そしてこの気持ちは私の背骨であり心臓だ、大喜くんを想うからこそ私は立ち向かえる。それをそんな、只の逃げ口上みたいに言うのか。
唇を噛み締めて、それでも。それでも私は、引き下がらない。
「どうして、はこっちだよ……! 私は大喜くんが好き、それが間違ったことみたいに言わないでほしいな!」
声は荒く、拳には力が籠っていくのが分かる。
私は間違っていない、間違っているとしたら大喜くんの方だ。
「別にバスケを蔑ろにする気なんか無い、大喜くんを好きなのも本当なんだよ。ユメカにも言ったけど、両立させ――」
そこまで言って、でも途中で声は止まってしまう。
大喜くんは呆れたように首を振り、まるで子供をあやすように私の頭を撫でてきたから。
「そう、ですね。千夏先輩は立派な人だから、もしかしたら出来るかもしれませんね。だけどそれは、
ぽふぽふと優しい手付きは、その分だけ残酷だ。
相手にもしない、話も聞かない、そう言っているようなものだから。
沸騰しそうな頭を力尽くで制圧し、優しく暖かい手を振りほどいて私は僅かに後ずさる。
このまま終わらせてはいけない、もう二度とこの話は出来なくなる。なんとしてでも、大喜くんに理解させなければならない。
私は大喜くんが、好きなのだから。
「聞いて。そうじゃない、余計な事なんかじゃない。これは私にとって、大事なことなんだよ」
受け入れてくれとは言わない、好きだと言ってくれなくて良い。蝶野さんの事があるから付き合えない、とかでももう構わない。
でも私の恋心自体を、そんな風に否定しないで。
この想いが間違っているなんて、思わせないで。
「大喜くんがいるから私は頑張れる、好きになってほしいから戦える。どんな事があっても、折れずに突き進める」
「千夏先輩は強い人でしょう、他人を頼ったりしないでください。俺なんかいなくても、千夏先輩は大丈夫ですよ」
「私が日本に残る理由をくれた、バスケを続ける意味をくれた! 大喜くんと一緒にいるから、私は幸せだった!」
「周りを口実にしないでください、全部自分の意思でしょう。貴方は誰より強い、俺が憧れた人なんですから」
とりつく島もない、言葉の太刀は一合と持たずに弾き落とされていく。
理解も共感もしてくれないまま、私を突き放すその言葉に。
私は弱くて愚かで、自分に嘘を吐くのが上手な女だ。それが嫌だから、必死に自分を変えようとして来たのに。そのせいなのか、そのせいで私はこんな風に言われてしまうのか。変えてしまったから、変わってしまったから。
なら、どうすれば良いのか。回りの悪い頭をどうにか動かそうと、血が出るほど掻きむしっても痛み以外何も産まれない。何を言っても、伝わらない。
そんな私に、それでも尚大喜くんは優しく語りかける。
「俺も、千夏先輩を好きです。でもきっとそれは、
何時間こうしていただろう、私は壁にもたれたまま動けずにいる。
大喜くんは私を拒絶した、でも――好きだとも言った。その二律背反が、私の足を縫い止めてしまう。そしてそれよりも強く私を縛るのは、去り際に大喜くんが言った言葉。
『千夏先輩なら出来ますよ、全国制覇』
どう返事をしたか、それは覚えていない。だけどそれが、呪いになって胸の奥へと侵食していくのは分かる。
「帰らなきゃ……な」
私の好きな人がいる、私を好きになってくれない人がいる、あの家へ。
そしてまた、いつものように振る舞え。何事も無かったのだと、自分を偽れ。
私にはもう、そうするしかないんだ。
全国制覇、それだけを考えろ。寄り道してはいけない、何も見てはいけない。
心を閉ざせ、凍り付かせろ。いつか奇跡が起こる日まで、私はこの想いを秘め続けなければならないのだから。
独りは寂しいけれど、涙に暮れる暇など無い。どんなに辛くても、もう誰にも頼れない。
砂を噛むような日々の先に、報われる明日があると信じて。