でも見たくない、見せられたくない。
そうやって逃げても尚、その日はやって来る。
来なくてもいいのに。
ああ、寒いなあ。大喜くん、早く帰ってこないかな。
歯医者から戻ってきた所を、偶然を装って声をかけようと私は待っている。ちょうど散歩行こうとしてたんだ、一緒にいこうよ、なんてね。
この間は夢佳のお陰で何だか微妙な空気になっちゃったし、やり直しみたいな感じで歩きたい。……普段は同居を隠す都合上、あんまり一緒にいられないし。
大喜くんと並んで歩きたい、たわいもない話をしたい。そう思うのはやっぱり、――好きなんだろうな。まだよく分からないけど、さ。
もしあそこで夢佳が絡んで来なかったら、もしかしたら。
「言えたかも、ね。……好きって」
柄にも無くそんな事を考えたせいか、寒さも少し緩んできたような心持ちになってしまう。
にやけた顔を手で覆いながら待つこと、しばし。
近づいてくる足音に合わせ、私は表情を少しだけ引き締める。緩んだ顔は見られたくない、格好悪いから。
「大喜くん、おかえり。今日冷えるね」
散歩したいと言うと、二つ返事で着いてきてくれた大喜くん。こう言ってはなんだけど、やっぱり大喜くんも私を、……好きなんじゃないだろうか。あの日真面目な顔をしたのはもしかして、ひょっとしたら、万にひとつではあるけど、告白というのをするつもりだったのかもしれない。
そうなってくれたら話は早いのに、と思いながら夜の町を当てもなく歩くのは何だか楽しい。冬枯れの街路樹の傍らを通り抜け、足の向くまま気の向くまま。半歩後ろを着いてくる大喜くんと、ただただ歩く。
あの日見下ろした光の中を私たちは、過ぎていく。幻想的で、でもちょっとだけ気恥ずかしい。柄でもないかな、こういうのは。
そうだ、良い機会だから。
「この間はごめんね、私の……知り合いが、さ」
今の私はもう、夢佳を友達とは呼べない。離ればなれになって久しい、縁もすっかり途絶えてしまった。でも私に繋がっていた人のせいで、大喜くんが傷付いたかもしれない。だからとりあえず、謝らないといけない。
そう思いながらもこの数日、なにも言えなかったのが不甲斐ないな。
もし、逆だったら。大喜くんの側にいるのが夢佳で、偶然再会した私が無神経な事を言ったなら。きっと夢佳はその場で倍くらい悪口雑言を返して、そしてすぐにそんなこと忘れてしまうんだろうな。良くも悪くも、暴風雨みたいな子だから。
――夢佳だったら、か。夢佳は誰かを好きになったら、こんな風に悩んだりしないな。口が悪くて不器用だけど、気持ちをまっすぐに伝えて結果を出す。
私はいつだって、あの強さに憧れた。ああなりたい、と思っていた。
だから、そう。
私は決意を込めて、立ち止まる。怪訝そうな大喜くんに向き合い、そして。
「好き。私は大喜くんが、好き」
胸の奥に燻っている想いを、ただまっすぐに突き付けていた――。
ほんの数分、もしかしたらもう少し長いかもしれない間。大喜くんは少しだけ戸惑ったような顔をして、僅かに俯いてしまう。
早まったかな、とは思うけれど後悔は無い。聞いて欲しい、知って欲しい。私の想いを。
だけど、でも。
大喜くんから返ってきたのは、私の想像していたものとは違っていた。なにもかもが、違っていた。
「そう言うのは、良くないと思いますよ。そりゃ千夏先輩だって人間ですから
まるで、失言をやんわり指摘するように。
私が間違った事を言ったかのように。
至極冷静に、そう言ったのだ。
「千夏先輩って、そういう所がありますよ。……悪いとは言いませんけど、でももうちょっと考えましょう。ね?」
もう子供じゃないんですから、と笑って歩きだそうとする大喜くん。その袖を、私は無意識に掴んでいた。
不思議そうに振り向くその顔を見据えたまま、私は動けない。
何が起きているのか、全く分からなくなってしまう。私は告白をした、それにどう反応するかは大喜くんの判断だ。蝶野さんが好きだから私とは付き合えないとか、部活に集中したいから誰とも付き合えないとか、それならば構わない。ほんの少しだけ泣いて、また前を向けば良い。
でも、だ。そんな事を考えてはいけない、なんて言われるとは思っても見なかった。
「私、……は。大喜くんが好き、って伝えたくて……。それは、私がずっと……思っていて……」
口から出る言葉は歪んで、形を為してくれない。
そんな私を気遣うように、大喜くんは優しく微笑む。
「そういう事は、止めましょう。思ったことを只言えば良いってもんじゃないですよ、千夏先輩」
そうじゃない、そう纏めて欲しくない。私は大喜くんが好きなんだから、それだけを知って欲しいんだ。
思いの丈を叩き付ける私を、でも大喜くんは優しく制するだけ。
その優しさが、痛くて辛い。
「どうして、そんな風に言うの。手近だからじゃない、大喜くんだけを好きなの。ねえ、聞いてよ!」
「大きな声出しちゃダメですよ、近所迷惑ですから」
どうしてそんなにも冷静なのか、どうして私をなだめようとするのか。
私には何も分からない、分からないからこそ止まれない。
声を抑えながらも言葉を止めない私に、大喜くんは少しだけ困った顔を見せる。
「えっとだからそういう所なんですよ、……夢佳さんも、言っていました。名前通り千回夏が来たような、暑苦しいあの子がずっと嫌いだったって。言いたいことしか言わないから、一緒にいて疲れて仕方ないって」
そう言われて私は、今度こそ押し黙る。夢佳が私を、本気でそう思うなんて信じたくない。
確かに私は、不器用だ。嘘も吐けない、小細工も出来ない。だからせめて、真っ直ぐ前を向いて人と接してきた。
それが私の長所で、魅力だとさえ思っていたのに。只の押し付けがましい、暑苦しい人間だと思われてきたのか。
確かに夢佳から嫌いになったと言われたけれど、何時もの通りな憎まれ口だとしか感じなかった。そうは言いつつもずっと仲良しなんだと思っていた。
なのに。……なのに。
私は何にも気付けないくらいに、愚かだった。
「大喜くん、も……? 大喜くんも私を、嫌い……?」
もしそうなら、そうだったなら。私はもう、どうにもならない。
いやしかし、私は知っている。
知っているからこそ、怖い。
大喜くんがどう返すか、手に取るようにわかってしまうから。
「そんなわけ、無いでしょう。……まあ、困った人だなとは思いましたけど。俺はもう気にしません、バカなんですぐ忘れますよ」
思った通りの返答に愛想笑いを添えて、大喜くんは歩き出した。
気が付くと握りしめていたはずの袖はスルリと抜け落ち、私の手には何も残っていない。
ただ雪が、降っていた。
宵闇の住宅街に、雪が降り積もる。
何事もなく、深々と。
それから日々が過ぎて、私たちは殆どいつも通りに生活している。
違うのは、ほんの僅か。
隣り合って座ったときの距離は、前より拳半個分遠くなって。
私はジャンプを借りる時、大喜くんの部屋に入らずドアの前で受けとるようになって。
大喜くんは私と生活動線が被らないよう、少しだけ気を使って行動するようになって。
それだけの事、私たちはあるべき姿に戻ったにすぎない。お互いがお互いを気遣っているから、こうやって距離をおいているだけ。
それを寂しく思ってしまうのが、私の悪い部分なんだろう。そんな事を考えなければ、きっとこうはならなかった。
私は人を好きになっては、いけないんだ。ひたすら押して押して、相手を潰してしまうから。
いつかちゃんとした距離感で人に接することが出来るようになったら、その時は――。
「
なんの意味も無い空虚な呟きは、春の風に吹かれて消えていく。
私がもっと器用なら、もっと優れていたら、こうはならなかった。でももう、私はこうなってしまった。
だからこれで、この話は終わってしまうんだ。