ポカポカとした陽気の日が続き、何なら今年は例年より桜の開花時期が二週間も早くなるだろうなどと言われている。私は、ようやく長かった受験が終わって、今度は入学準備に忙しくなってきていた。今日は、大学合格の報告と各種証明書発行の手続きをしに、三年間通った月ノ森女子学園にやって来ていた。校内に立ち並ぶ桜の枝先を見遣ると、蕾が膨らみ開いてしまいそうだ。
校門を抜け、桜の木の横を通り過ぎ、高校の校舎というにはやけに瀟洒な建物の中に入る。後輩達は、そろそろ授業終わりだろうか。左手に着けた腕時計で時間を見ると、針は十一時過ぎを指していた。今日は授業が午前中までのはずだから、あと三十分後にはおわるはず。もしかしたら
はぁ。私は大きな溜息を吐きながら校舎から出る。担任や、職員室の中にいる他の先生と話していたら、いつの間にか十一時半を過ぎていた。そこから、急いで証明書の手続きをしたけれど、結局全ての用事が済んだのは十二時を回ってからだった。私が事務所前で手続きを待っている間に、声を掛けてくれる後輩ちゃん達もいたけれど、そこに
「あった……!」
中庭の一角に、風で花弁を散らしている桜の木が見える。校門辺りの桜は蕾が膨らんでいるだけだったのに何故、この桜はもう咲いていて、しかも散り始めているのか。それはこの桜の木が、さっき見ていたソメイヨシノの木ではなく、早咲きで知られるカワヅザクラであるからだ。私は、庭園に一本だけ植樹されたカワヅザクラの下に歩み寄る。ソメイヨシノは白い花弁を持つのに対し、このカワヅザクラは、紫紅の花弁を持つ。この花を見ていると、少し春を先取りできるような感じがして、嬉しい気持ちになる。去年のこの時期は、学校帰りによく見に来ていた。今年は受験もあって、一月以降はほとんど学校に来ていなかったから、まだ見られていなかった。散り始めではあったけれど、今日見ることができてよかった。さっきまでついていないと思ったけれど、決してそういうわけでもないかもな。カワヅザクラの木の下で私はそう思った。
「あれ……?
私は声のした方向を振り向く。ああ、今日はとてもついている日らしい。会いたいと思っていた
「ましろちゃん。元気だった?」
今日、まさに会いたいと思っていた後輩である倉田ましろが、胸の前にノートを抱えてそこに立っていた。私は、ましろちゃんの元に駆け寄る。
「は……はい! 先輩も、お元気でしたか?」
「ましろちゃんを見て元気になったよ!」
「ええっ……!」
「だって、ましろちゃんって可愛いんだもの」
私の言葉に、あたふたするましろちゃん。その反応がいつも純粋で初々しくて、つい揶揄いたくなってしまう。
「か……、可愛いなんて。別に私は……」
「まーた卑屈になっちゃって。私が可愛いって言ったら可愛いの!」
この卑屈になっちゃうところ、変わらないなぁ。そこも含めて可愛いのだけど。
「そういえばましろちゃん。もう今日の授業は終わっているはずだけど、なんでここに?」
「あ、えっと……、モニカの新曲の歌詞がなかなか浮かばなくて……。ここの風景を見たら何か浮かぶんじゃないかと思って、あそこのベンチで考えていたんです」
ましろちゃんは後ろの方にあるベンチを指差した。モニカというのは
「ましろちゃん、作詞に悩んでいるとき、よくここにいるよね」
「そ、そうですかね……。えっと、ここは季節によっていろんなものが見られて……、好きな場所だから来ちゃうのかも知れないです」
ましろちゃんは、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「そっか。私と同じだね」
「新川先輩も……?」
「うん。私、この学校でここが一番好きなんだ。四季折々の花が咲いてて、趣があるというか……。春はソメイヨシノ、夏はサルスベリ、秋はキンモクセイ、冬はツバキ。みたいな感じでサイクルがあって、どの季節もここが色褪せることはなくて……。ソメイヨシノが咲くまでの間を埋めるみたいに、ほら」
私は、ましろちゃんに背を向けるようにして指差す。ましろちゃんは私の横に並んで、指差された方を仰ぎ見る。
「カワヅザクラ……」
私の言おうとしたことを補完するように、ましろちゃんがぽつりと言う。風に吹かれて散りゆくカワヅザクラを、しばらくの間二人で静かに眺めていた。私はふと、隣のましろちゃんを見る。カワヅザクラを一心に眺める横顔が美しかった。まるで、プロの撮る写真みたい。済んだ水色の綺麗な瞳を細めさせる、早春の柔らかな日差し。ましろという名前にぴったりな白銀色の髪を、さらさらと横に流そうとする風。それらが、ましろちゃんという被写体をより一層映えさせていた。
「ましろちゃん。とっても綺麗だね」
「ど、どうしたんですか……? 先輩」
またしても、私の急な賛辞におどおどしちゃうましろちゃん。
「だって、可愛い上に綺麗って最強だよ。反則だよ。ちょっと妬いちゃうかも……」
最後、思わず要らない本音まで漏れちゃった。
「せ、先輩の方が可愛いですし、綺麗ですよ!」
「ほらほら―。またそういうこと言う―」
「先輩のその黒くて長い髪とか、身長が高いところとか、憧れてます!」
「えー。この髪長いけど腰まであるから重いし、結構癖っ毛だから毎朝セット大変なんだよ。しかも、身長高かったら高かったで揶揄われることもあるよ」
「ええっ! ……そうなんですね」
「だからさー。ましろちゃん。自信持って!」
口元は、褒められて嬉しそうに緩んでいるけれど、顔は本当にそうなのかなと疑っているような表情をしている。ましろちゃんが人からの賛辞を素直に受けられるようになるのは、いつになるんだろう。
「そ、そういえば先輩! なんで今日は学校に?」
ここで、ましろちゃんは話を逸らしにかかる。別に良いんだけど。
「担任への合格報告と、大学に送るための書類の申請だよ」
「大学合格、おめでとうございます! えっと、慶鵬女子大でしたっけ」
「そうそう。ありがとね!」
私の合格報告にましろちゃんは、満面の笑みで祝福の言葉を送ってくれる。本当にいい後輩に巡り合えたなぁ。
「はぁ」
「いきなり溜息なんて、どうしたんですか?」
「寂しいなぁって」
「えっ……?」
「私も、卒業なんだなぁって」
授業や学校行事、同級生との時間。いっぱいあったと思うんだけどなぁ。いつの間にか、尊敬する先輩たちは旅立って、私に後輩ができて。この学校の生徒として、目の前のカワヅザクラが咲くのを見るのも、これでもう最後で。高校生活って、こんなにも短いんだね。
「先輩……」
ましろちゃんがシュンとした表情になる。ましろちゃんも、寂しく思ってくれているかな?
「新川先輩」
「ん? どうしたの?」
ましろちゃんが、私の目を真っ直ぐに見据えた。何かを伝えようとしてくれている。私は言葉を待った。
「私、新川先輩の後輩になれて良かったです。悩んでいるときに声を掛けてくれて、たくさん相談に乗ってくれて……、私、先輩への感謝の気持ちでいっぱいです!」
「そんな……、感謝されるほどのことでもないよ」
私もましろちゃんと同じく外部入学だったから、他の子に追いつこうといつも背伸びしようと頑張って、でもそれが空回りして自信を無くしていた時期があった。その時の自分とましろちゃんが重なって見えて、助けてあげたくなっただけ。ちょっと、私が世話焼き気質なんだよ。照れくさいなぁ。
「でも……、ありがと。私を頼りにしてくれて。あっ、そうだましろちゃん!」
私は、ましろちゃんに最後のお願いがあったことを思い出す。
「私、卒業するからさ。最後に一つだけ聞いて欲しいお願いがあって」
「は、はい……? そのお願いって何ですか?」
「私のこと、
「ええっ!」
ましろちゃんは目を丸くした。
「そんなに驚くことかなぁ……。ほら、ポピパのボーカルの人は、香澄さんって下の名前で呼んでるから、私もそう呼んで欲しいなーって」
「私なんかが、先輩を下の名前で呼んでも良いんですか……?」
「良いの良いの!」
「え、えっと……、それじゃあ……、ゆ、優花先輩……」
「先輩じゃなくて、さんで!」
「……ゆ、優花さん」
ましろちゃんの頬は、熟れたリンゴのように赤くなっていた。
「んーっ! ありがとう! 嬉しい!」
「何でそんなに下の名前で呼んで欲しかったんですか……?」
「えー、それはねー……、いや、やっぱり内緒!」
「何でですかー!」
もっと、ましろちゃんとの距離を縮めたかったからだよ。先輩というより、友達のような関係に。恥ずかしいから、言わないけどね!