お労しいお兄様をお労せなかったらいいな
というお話
お労しい
これはもしものお話
もしも柱がもう1柱いたら
もしもその柱が日本一の侍を目指していたとしたら
もしも別世界で『史上最強の敗北者』と呼ばれていた者だったとしたら――
―――これはそんなもしものお話
無限城のある一室
多数の柱のみがある大広間程の大きさの部屋
その部屋の中で2つの影があった
1つは周囲を惑わし攪乱するように動く
変幻自在が特徴の剣技、霞の呼吸を扱う霞柱時透無一郎
もう1つはその場を一歩も動かずに構えている
六つ目の異形な姿の剣士
上弦の鬼、その中でも別格の強さを誇る上弦の壱
「こちらも抜かねば……無作法というもの……」
今までほとんど動きのなかった上弦の壱
ついに刀に手を構え、戦闘態勢に入る
月の呼吸壱ノ型 闇月・宵の宮
一瞬の内に放たれた斬撃
永い研鑽の果てに磨かれたであろう技術と剣に特化した血気術、それらを統合した斬撃
1つの大きな斬撃の近くに多くの小さな斬撃が発生する特異なその軌跡
素早く複雑で、何より力強い
柱と言えど初見ならば負傷するだろう、一撃
如何に剣術の天才である無一郎といえど、相手が悪かった
上弦の壱はそれより強かった
無一郎は小さな斬撃を測り間違え、あっさりと片腕を切断される
しまっ―――
はずだった
「参る」
無一郎の腕を切断するはずだった剣の軌道
そこに長刀が割り込む
ギィイイン
刀同士がぶつかり合う音が部屋中に響き渡る
割り込んだ剣戟は上方から振り下ろされた渾身の一撃
それは無一郎の腕を切断させるはずだった斬撃を地面にたたきつける
「………」
上弦の壱の斬撃ごと叩き伏せたその一撃
尋常ではない剣速と重みを内包した一撃だ
その剣戟は敵の攻撃の迎撃という役割を既に果たし終わったもの
振り下ろしが終わり、その勢いを利用して次の動作へ繋げる
だから次に意識するのは攻撃の流れである
しかしその直前、一瞬にも満たない僅かな時間
刀の切っ先が急速に遅くなり
そして完全に停止する
森の呼吸 壱の型 燕返し
刀の勢いを瞬時に完全に殺し、返しの刃が即座に振るわれる
軌道は下からの振り上げ
直前までの軌道とは正反対の動作
それは確かに予想外ではあるが、それはただ意表を突いただけ
道理に沿わないからこその予想外
非効率だからこその予想外、横道或いは邪道
至極当然の道理として、二撃目は一撃目より鈍る
だが現実はその逆
二撃目は一撃目よりむしろ加速する
振り下ろしの勢いを殺した力を溜として、より速く力強い斬撃が再度放たれる
当たれば頸ごと吹き飛ばさんとする斬撃
速く鋭く敵の脳天を破壊せんと音さえも切り裂いて突き進む
理外を超えた一撃
それはシンプルな強さ
最上と言える肉体と、絶技とも言える技術、その2つが合わさった必殺の技
初見であれば予想外の軌跡に対応できず、切られたことすら認識できずにそのまま頸を切り落とされていたであろう
仮に相手が神であっても、いくらかは驚愕するだろう斬撃
上弦の鬼であろうと油断していたら即座に決着に繋がるだろう、そんな斬撃であった
だが相手は剣に特化した異形の鬼であった
剣の道を更に進み続ける為に人の道から外れた化け物であった
「………ほぅ」
漏れ出た声は感嘆
目の前で振るわれた剣技に対する純粋な感動
化け物が長き時を生きた中でも、思わず声が溢れてしまう程見事なもの
だがそれは同時に余裕の表れでもある
必死に避ける程のものではなく、感嘆をつきながら避けられる程度のものである
そう無意識に判断しての事であった
至極あっさりとさけられ、髪の毛数本を千切るに留まる
「……新たな柱か」
上弦の壱はゆっくりと言葉を吐き、眼前の男を見る
現れた男は一尺の長刀を掲げ、赤い毛皮の襟巻をたなびかせた黒衣の剣士
その名は佐々木小次郎
剣に生きる剣に魅入られた生粋の剣士
「そういう奴さんは上弦の壱だな」
佐々木小次郎は目の前の敵を観察する
異形の刀を持つ鬼、しかも剣士としてもかなりの強者
上弦の壱という位だけでなく佇まいからもその強さをひしひしと感じる
全ての五感が本能へと警鐘を鳴らし続ける
相手はこれまでとは別格の強さを持つ敵である
仮に自分が間に入っていなければ、無一郎は即座に斬り捨てられていただろう
まだ若いとは言え、才能だけで言えば柱随一の素質を持つ無一郎
その無一郎を即座に負傷させることのできる強さを持っているのだ
「佐々木さん、気を付けて下さい! 奴は元柱で『月の呼吸』という呼吸法を使います!!」
「はーん、大先輩って訳かい」
元柱の呼吸使いで上弦の壱
加えて扱う呼吸法は聞いたこともないもの
つまり全くの未知
そんな、普通ならば少なからず動揺するであろうその事実
されどその事実に全く動揺せず、むしろ不敵に笑顔を浮かべて佐々木小次郎は問う
「つうことぁ、鬼側で最強の剣士はお前さんだな」
その問いかけに六つ目で異形の刀を持つ鬼———黒死牟はゆっくりと確かな自信を持って返答する
「あぁ……そうだ……」
黒死牟の答えにニカッと満面の笑みで次の言葉を紡ぐ
「聞こえるか、御屋形様ァ!援軍は不要!」
こちらを見ているであろうカラスに聞こえるよう、大声で言葉を紡ぐ
「上弦の壱の相手は吾、佐々木小次郎が致す!
この場の戦力は現状で十分!」
自らの刀を天にかざし、声高らかに宣言する
援軍はいらぬと
邪魔はするなと
吾1人にやらせろと
楽しそうに宣言する
黒死牟は『透き通る世界』を使い、血流や筋肉、脳内伝達つまり思考の動きを読む
そこから読み取れたのは――
興奮と集中
姿勢は体の重心を体幹に乗せた、臨機応変に対応できるもの
その他様々な要素も含めて1つの結論を導き出す
逃亡も戦略もなく、戦闘態勢である
それも小細工なしの正面衝突
つまり眼前の人間は時間稼ぎや陽動といった作戦などではなく、正真正銘1人で闘うと言っている
「……何のつもりだ……」
黒死牟は思わず問いかける
鬼狩りとは、鬼殺隊とは、そんな奴らではないと
鬼を殺すことにすべてを賭ける者たちだ
例外は自分と自分の弟だけ
強さを追い求めた己と最強であった弟だけ
この男も同様であるのかと
そう考えると、なぜだかとても苛ついた
無一郎も同様に混乱していた
肌で分かるその強さ
上弦の伍と対峙したからこそわかる
この上弦の壱は他の上弦達とは別格の強さを持っている
他の柱も呼んで最低3人以上は頭数を揃えて討伐するべき相手である
援軍がいらないなどはありえない
それともただのでまかせで密かに柱を集めるのか
上弦の壱を少数で足止めしている間に他の柱達で無惨討伐を行うのか
他に何らかの策があるのか
無一郎は全く小次郎の考えが読めなかった
混乱の境地に達していた
だからかもしれない、次の小次郎の言葉を聞いても自然と理解できた
「お前を倒し、吾が日の本一の剣士になる」
鬼も鬼狩りも使命も決戦も大義名分も全てを無視して、剣士として向かい合う
余りに楽しそうに笑いながら宣言するその姿
剣士としてただひたすらに頂きを目指すその姿
文字通り日本一の剣士になるために戦っている
剣を握り修練を積んだ者ならば
……いや、剣を未だ握っていない者ですらも分かるであろう
初めて剣を握った時を思い出させる
何処までも純粋で向こう見ず
だけどどこか目を奪われる
そんな笑顔
それは眼前の敵――上弦の壱にも正確に伝わる
「ならば名乗らねば……無作法というもの……
上弦の壱、黒死牟……」
黒死牟は上弦の壱としてだけでなく、剣士としても名乗りを上げる
それと同時に予感を抱く
目の前の男こそ、自身が殺すべき相手だと
『いつか自らを追い越すかもしれない後の時代の剣士』だと
理屈ではなく剣士としての本能で理解する
「はッ、鬼に先に名乗りを上げられるとはな
鬼殺隊、森柱佐々木小次郎」
先ほどの笑顔とは異なる、獰猛で好戦的な笑みを浮かべて、開戦の合図を声高らかに宣言する
「いざ尋常に勝負ッ!」
鬼と鬼殺隊、それぞれ最強を目指す剣士達の闘いが幕をあけた
♦ ♦♦♦
「御屋形様っ、近くの柱を援軍に送りましょう」
妹たちの声が聞こえる
この采配は分岐点だ
ここで悲鳴嶼行冥ら他の柱を呼び、確実に上弦の壱を討伐できるだけの戦力を揃えるか
それとも他の敵に当てるか
有象無象を除いた現在の敵戦力を考える
敵の総数は伍
無惨――現在休眠中
危険度:無限
優先度:最大。但し現在休眠中の為、現状は無視してもよい
上弦の壱――森柱佐々木小次郎、霞柱時透無一郎が戦闘中
危険度:極大
優先度:可能ならば討伐目標。最悪、無残討伐まで足止めできれば良い。但し足止めにしても最上級の戦力が必要であることを踏まえると、討伐を目標とするべき
上弦の弐――蟲柱胡蝶しのぶ及び継子栗花落カナヲ、隊士嘴平伊之助が戦闘中
危険度:大
優先度:他の敵と連携をとられた場合は非常に厄介なため、優先度は次点。無限城消滅以前、上弦の肆討伐前に討伐が必須
上弦の参――水柱冨岡義勇及び隊士竈門炭治郎が討伐済み
上弦の肆――蛇柱伊黒小芭内及び恋柱甘露寺蜜離が戦闘中
危険度:中
優先度:無限城を操作していると思われるため、優先度は最高。しかし戦闘力自体は低いので過剰な戦力は不要
上弦の陸――隊士我妻善逸が戦闘開始
危険度:小
優先度:最低
敵味方の配置と力関係
討伐可能戦力とその負傷度合い
各上弦を撃破後に無惨を討伐できる戦力の保持
戦力の一点集中による鬼の各個撃破と連戦の可能性
戦力のバランスをとった結果討伐できずに柱が各個撃破される可能性
様々な事が頭を駆け巡る
連戦など可能な限り避けるべきだ
無限の体力と生命力を持つ鬼とは違い、こちらは人間なのだから
理性でそう考える
だがそれでも理性を無視して上弦の壱を確実に倒したい
そんな凄みが上弦の壱にはあった
本能でそう感じる
―――上弦の壱にはこの戦力が最適である
直感が知らせた
子供達を信じて
己の直感を信じて
今まで紡がれてきたこれまでと、決着の先にあるこれから、自分達が生きている今日この時、それらを信じる
「……いや、上弦の壱は現状の戦力で討伐する
援軍は上弦の弐に送る」
運命の分岐点はここに決した
後は最期まで進むのみ
♦ ♦♦♦
本来の佐々木小次郎と異なる点
それは相手が人ではなく鬼であったこと
誇りを持った剣に生きる剣士ではなく、ただ人を殺すだけの化け物であったこと
参ったをすれば済む試合ではなく、負ければ終わりの殺し合いであったこと
負けが許されない闘いの連続だった
負けた経験から勝ちに繋げるやり方は許されなかった
闘いの最中の経験すらも即座に糧にして勝利に繋げなければならなかった
かすり傷さえも許されない戦いがあった
思考を常に読まれ続ける戦いもあった
近づくだけで毒に侵される戦いもあった
他にも様々な戦いがあった
だからかすり傷さえも負わないよう、より正確な先読みが必要となった
思考を読まれたとしても解読不能なよう、思考を更に高速化・階層化させた
どのような猛毒でも蝕まれるより速く倒せるよう、一撃必殺とせんとする剣技が磨かれた
様々な力が必要だった
通常、剣士として戦う以上の様々な経験を積んだ
だから佐々木小次郎は本来、死後の世界で弛まぬ努力を積んだ先にようやく完成するその奥義
それをこの世界では既に我が物としていた
千手無双
「最初から全力でいくぜ」
斬撃が部屋中を駆け巡る
2人を中心に絶え間なく駆け巡る
余人が生きる空間など一寸もない
互いの剣戟が互いの空間を埋め尽くす
絶え間なく流動的に、最も効果的に斬撃が流れ込む
敵を滅ぼさんと流れ込み続ける
それはまさに地獄への誘い道
飲み込まれたが最期、死へと流される濁流だ
筋肉の硬直も、息切れも、瞬きすらも、許されない剣の地獄
いや、剣士にとっては天国になりうるのかも知れない
最強というただ一人の頂点を目指す剣士にとって、格好の場所
この空間で生きることが出来る者にはそれを名乗る資格はあるだろう
この空間自体が剣士によって作られているという事実から目を背けるなら
月の呼吸 拾陸の型 月虹・片割れ月
頭上という死角から複数の斬撃が一瞬で降り注ぐ
森の呼吸 伍の型 落雷一閃
雷が如き迅き足さばきでその総てを避ける
月の呼吸 伍の型 月魄災渦
高速で寄ってきた所に『刀を振るうという予備動作』それ自体を無くして、無数の斬撃を振るう
森の呼吸 弐の型 水面
川の流れのように斬撃を受け流し、前に進む
月の呼吸 壱の型 闇月・宵の宮
月魄災渦で放たれた無数の斬撃に隠すように、最も素早い一撃を放つ
森の呼吸 参の型 炮烙
燃え盛る炎のように、斬撃ごと弾き飛ばしながら更に前に進む
月の呼吸 陸の型 常夜孤月・無間
弾き飛ばして生まれた一瞬の停滞を飲み込むように、小次郎に斬撃の波が押し寄せる
森の呼吸 肆の型 砂嵐風
暴風をまき散らし、細かな斬撃ごとまとめて吹き飛ばす
黒死牟の圧倒的な斬撃の範囲と攻撃の緩急、予想できない剣術と捌き切ることが難しい無数の小さな斬撃
それらの斬撃を見極め正確に対処する小次郎の予測精度と対応力
息をつく間もなく交される剣術の嵐
それは互いに本気で殺し合っているという事を忘れてしまうような、まるで演舞のようでさえあった
互いに一切の傷を負わず、一切の傷をつけられずにいる
つまりは膠着状態
現状相手の防御を破れずにいた
『透き通る世界』と『千手無双』
共に相手を見て予測する技術であるからこそ有効打を決められずにいた
両者は類似の技術であるが、しかし違いがあった
『透き通る世界』は現在を見て、現在を視る
相手の肉体を透かして見る技術だ
筋肉の動きや血の巡り、末は神経の動きまで
これらを見ることにより、相手の動きを予測する
つまり相手の現在を底の底まで見ることにより、次の動きを文字通り視るのだ
それは剣術としての確実性を極限まで極めるための技術
鬼の身体能力と合わされば、頸を切られるような攻撃はおろか、傷1つをつける事すら難しいだろう
対して『千手無双』は過去を見て、未来を視る
相手の立ち振る舞いから、未来を予測する技術だ
歩き方や重心の置き方、剣筋などから相手を解析し、脳内で模擬戦闘を繰り返すことにより相手の動きを完全に見切る
つまり相手の過去の動きから、今後の未来を予想するのだ
文字通り先の先のそのまた先まで
簡単に言えばただの見切りだが、佐々木小次郎の『千手無双』の領域まで行けば、それは最早未来予知と言っても過言ではないだろう
それは剣術としての強さを極限まで引き上げるための技術
完璧に予測できれば、剣術を必殺の領域まで至らせることも、1mm単位での完全回避すらも可能にするだろう
現在を見通し、勝利し続ける現在を選ぶ『透き通る世界』
未来を見通し、勝利する未来を選ぶ『千手無双』
その衝突―――現状は互角による拮抗
「……すごい」
無一郎は目を見開いて戦いを観察する
無一郎は他の柱と比較してもなお有り余る剣術の才能がある
だがそれでも足りないものを挙げるとするなら
それは直観や本能
圧倒的な剣才の代わりとして、無一郎は余りの短期間で柱へと就任した
今までは有り余るセンスと独自の剣術によって眼前の敵を全て葬ってきた
戦闘力だけで言えば既に柱の中でも上位に位置しているであろう
だがそれは同時に通常人が同じ強さを得るまでにかかるであろう時間と経験
それらを体験しなかったことをも意味する
時間と経験が積み重なって、不意の直観や咄嗟の本能というものを人は身に着けることが出来る
これは無一郎も例外ではない
幾ら才能があったとしても無からは生み出せない
『零』から『無限』に繋げる事は出来ない
『一』があって初めてその後へと繋げることが出来るのだ
生死を一瞬の判断が左右する戦闘においては、それらの積み重ねが無いことは余りに致命的
極限に至れば至るほどそういう底力が重要になっていく
だからこの極限の剣舞に割って入るには実力不足だった
今のままでは―――
一つの呼吸法を何百年も修練した果てに磨かれた剣術、月の呼吸
自然の流れ、野生動物の生存技能、他流派の剣術、様々な呼吸法、それらを統合した剣術、森の呼吸
その2つがぶつかり交わっている
今まで積み重ねた総てを存分に振るい、ぶつかり合っている
互いに初見の剣術同士であるからこそ、剣術を高めた経験や技術だけでなく、直感や本能をもフル活用して戦闘が展開されていく
無一郎に足りなかったもの
それらが最高の質をもってして目の前で揮われている
不足していた経験が膨大な密度で眼前に広がっていた
オリジナル呼吸
森の呼吸
簡単に言うと、色んな呼吸・流派からイイ感じの技をパクった呼吸法です