陰キャ君と拗らせてる女達 作:依存スキー
土曜の昼下がり、ショッピングモールの広場は親子連れで賑わっていた。噴水の周りにベンチが並び、その向こうにイベント用の特設ステージが組まれている。
その中を、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いているくまの着ぐるみが一匹、いや一人? だ。
「まあ、動けないことはないか……」
金欠なことをオダナガに相談してみた結果、紹介されたのはこの広場で行われるイベントの単発バイトだった。「ショッピングモール公式キャラクターと写真を撮ろう」的な催しらしい。時給は破格に良かったが、比例して仕事内容はきつい。
まずシンプルに暑い。まだ夏ではないものの断熱性能ばっちりの着ぐるみに包まれているおかげで死にそうだ。
あと着ぐるみが尋常じゃないくらい重い。最初は歩くことすらままならず、手助けを借りながら数分慣らすことでようやく二足歩行が可能になった。普通の服など比べ物にならない厚みを持っているため、ある程度重いのは仕方がないと思う。
けど、いくらなんでも重すぎるんじゃないか? と疑問に思い調べてみた結果、この着ぐるみのマスコットキャラクターには背中に鉄板が埋め込まれており、悪役に拳銃で撃たれた時鉄板のおかげで一命を取り留めたという公式設定があるらしい。着ぐるみの鉄板もその原作再現のこと
訳がわからない……やっぱり断ってほかのバイトを探したほうがよかったかもしれない。
まあ、喋る必要がないのは個人的に大きなメリットだ。人前でヘラヘラ愛想を振りまく必要もないし、誰にも「日向奏多」だと気づかれない。僕向きといえばそうかもしれない。
問題は、何故か白石までこのバイトについてくることになった点である。合コンの一件でオダナガに悪態をつかれていたのは記憶に新しいが、こういう単発バイトに参加するのは意外だ。
「僕だってバイトぐらいするさ」
着ぐるみに慣れるまで手助けをしてくれた白石は少し笑って言うが、僕でも聞いたことのあるようなブランド物で全身が覆われているためとても信じられない。着ぐるみに包まれた僕をじろじろと見つめてくる。
「……なに?」
謎の視線に少し戸惑う。マスコットキャラクターの着ぐるみの中身が知人という事実が面白いのだろうか。確かに僕も湯川が同じ状況になっていたら小一時間は見ていられる。
「いや、当たり前だけど、誰が見てもこの着ぐるみが奏多くんだとは分からないだろうなって」
「はあ?」
発言の意味を解釈しかねている内に、白石はステージから少し離れた場所にある受付へ準備をしに行ってしまった。
――――
結局あの発言の真意は分からずじまいだったが、深く考えている暇もなかった。開始五分前だという声がけと共に、係員に半ば引きずられるようにして持ち場へと押し出される。
いざ本番となると、着ぐるみ……というか鉄板の重さも暑さも、意外なくらい気にならなくなった。目の前を歩く子供が転びそうになれば咄嗟に手を伸ばし、写真をせがまれれば分厚い手袋のまま精一杯のピースサインを作る。声が出せない分、身振り手振りが自然と大きくなった。普段の僕なら絶対にやらないような大袈裟な動きが、この毛皮の下でだけはやけにすんなり出てくる。
案外、向いてるのかもしれない。そんなことを考えながら、広場をゆっくりと巡回していた時だった。
噴水の縁に、見覚えのある茶色い髪があった。
湯川だ。
しかし何だか、様子がおかしい。スマホを握ったまま画面も見ず、噴水の水面あたりをぼんやり眺めている。いつもならこの手の人だかりを見つけたら真っ先に飛び込んでいきそうなものなのに、今日は借りてきた猫みたいに大人しい。
声をかけたくても、かけられない。今の僕は喋ってはいけないマスコットだ。
もどかしい気持ちのまま様子を窺っていると、受付業務がひと段落ついたらしい白石がちょうど広場に出てきた。同じ受付スタッフの女性に既に好意を向けられていそうな様子で、僕が必死に重い体を動かしている間もイチャイチャしていた。
「あ、湯川さん」
僕がやや恨みのこもった視線を向けていると、迷いなく気安い調子で湯川に声をかける白石。
……面識あったのか、あの二人。お互いに一方的に知ってるだけだと思っていたんだが……まあ、両方とも人気者だし。
しかし、地味に貴重な経験かもしれない。インドア趣味と交友関係の狭さのせいか、実は湯川が僕以外の人と話しているところを見たことがほとんどないのだ。
白石たちの方向にいる子供の相手をするふりをして、こっそり近づいて聞き耳を立てる。湯川本人の話だが僕以外に対しては猫をかぶっているらしい。
くそ、バイト中じゃなけりゃ動画でも撮ってたんだが。
「……あ、白石くん」
一瞬、誰が喋ったのか分からなかった。声のトーンが低い、愛想笑いすら浮かんでいない。なんか……思ってた反応と違うな。せめてしっかり記憶しておいて後々揶揄の材料に使おうと思っていたんだが……仲悪いのか?
「久しぶり、奇遇だね。買い物? もしかして……奏多君と来てたりする?」
白石がにやりと笑みを浮かべたのが遠くからでも分かった。非常に白々しい、何でもできるやつだと思っていたが演技の才能はないようだ。
「いいえ」
……ぽつりと一言、耳を澄ませていなければ聞き逃してしまいそうなほど小さな声。それだけ言って、また噴水の方に視線を戻してしまう。
明らかに元気がない。白石は少し戸惑ったように眉を上げたが、それ以上は何も踏み込まず「じゃあ、今バイト中だから。またね」とだけ言い残してその場を離れていった。
付き合いがそこまで深いわけではないが、白石相手にあんな態度をとる女性を初めて見た。コミュニケーション能力に限らず、対人関係のスキルが僕なんかより数段上の彼が相手でも、今の湯川はまるで心ここにあらずといった調子だった。
いつもの湯川なら、多少不機嫌なことがあっても表面上は誤魔化せる器用さを持っているはずだ。それがこうも露骨に地が出ているということは――
考えかけて、目の前を横切った子供に呼び止められる。仕事中だ、と自分に言い聞かせて、慌てて営業スマイルならぬ営業ポーズを作り直した。
けれど、視界の隅ではずっと、噴水の縁に座る茶色い髪のことが気になって仕方なかった。
――――
バイトが終わる頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。更衣室で着ぐるみを脱ぐと、ずっと閉じ込められていた熱気が放出され、清々しい解放感に包まれる。
「うへえ、汗だくだ……」
真夏でもないのにびちゃびちゃになった服を見て、割に合わない仕事だったかな、と今更後悔する。流石にあらかじめ持ってきておいた替えの服に着替え、急ぎ足で更衣室を出ると白石が待ち構えていた。バイト後の夕飯を一緒に食べる約束をしていたからだ。が、夕飯に行く前に聞きたいことがあった
「なあ、湯川の様子、おかしくなかったか? まだ病み上がりだし、あいつ風邪をまたぶり返したんじゃないだろうな」
開口一番そう聞く。やっぱりバイト中といえもうちょい気を遣って何かした方がよかったのだろうか……けど過保護すぎる気もするしなあ……
「……いや、湯川さんはいつもあんな感じだよ。流石に今日は少し落ち込んでる感じだったけど」
「……えぇ?」
いつもあんな感じ? ……充電が切れかけたロボットみたいな感じだったけど。もしかして別人? 双子だったりするか? よく考えると湯川の家族のことについてはよく知らないし、あり得るかもしれない。
「なるほどねえ……これは、思ったよりも……」
白石は眉をひそめて思案げな表情を作る。
「お前が嫌われてるんじゃないの?」
「ひどいなあ。これでも女の子の扱いには自信があるんだけど」
軽口を叩き合いながら、夕飯を食べにモール一階の広場に近いカフェへと向かう。店の中に入って、席の込み具合を確認すると、視界の端に茶色が映った。
……湯川だ。本日二度目の偶然の邂逅に少し驚く。
窓際の席で、頬杖をついてぼんやりと外を眺めている。僕らに気づいてはいないようで、その表情からはおおよそなんの感情も読み取れない。
さっきと同じ……いや、微妙に違う。
さっきよりも、もっと静かだった。表情がないというより、表情を作る必要をまるで感じていないような、そんな透明さがあった。まるで、誰にも見られていないと信じ切っている生き物の顔だ。
湯川は窓ガラスに反射した自分の姿を、ぼんやりと見つめている。瞬きの回数すら、心なしか少ない気がした。
背筋に、じわりと冷たいものが這い上がってくる。今まで感じたことのない感覚だった。
白石が僕に続き湯川より先に気づいて、軽く手を上げながら近付いていく。
僕らの姿を視界に入れた湯川の顔が、ほんの一瞬――本当に、瞬き一つ分にも満たない間――止まった。表情筋のどこにも、まだ光が灯っていない。空白のまま、動きを止めた顔。
それから、まるで誰かがスイッチを入れたみたいに、いつもの人懐っこい笑みがふわりと広がっていく。
「あ、白石くん。お疲れー」
自然だった。あまりにも自然すぎて、逆に不自然だと感じてしまうほど。
僕は、まだ店の入り口で立ち尽くしていた。モヤモヤした言語化できない嫌な予感が胸を埋め尽くしていて、いつも通りの顔で「よお」なんて軽く声をかけられる自信がなかった。
「奏多もいたんだ。どうしたの、そんなとこで固まって」
湯川がこちらへ視線を寄越す。いつも簡単に口を飛び出す軽口は出てくる気配がない。喉の奥が、変に狭くなる感覚がした。
「……いや、何でもない」
辛うじてそれだけ返して、僕は逃げるように湯川が座っているテーブルへと足を進めた。
案内された席に着くと、湯川はもういつも通りの調子で「今日、奏多もバイトしてたんだ。大変だった?」なんて聞いてくる。あの日ソファに寝そべっているた時と同じ、屈託のない、陽だまりのような声。
うん、いつも通りだ。いつも、3年間見続けていた湯川だ。
なのに、さっき見たものが頭から離れなくて、僕は「まあな」と、いつもより一拍遅れて返すことしかできなかった。