タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう 作:フルゥチヱ
両親は放任主義だったが、欲しいと思ったものは何でも与えてくれた。
それ故なのか、私は物ではなく──知識が欲しかった。
知りたいのは"ウマ娘"そのものだ。
私の存在も、私のこの脚も、研究材料の一つに過ぎない。
トレセン学園に入学しても、その方針は変わらなかった。
私が求める可能性の果てに到達するのは、私でなくてもいい。
そこで、二通りのプランを用意した。
私自身が限界を超えるか。
誰かに限界を超えさせるか。
前者をプランA、後者をプランBと名付けた。
◯
眠れなくても朝は来る。
隣で寝息を立てている先輩を起こさないように、静かにベッドを抜け出して、パジャマからジャージに着替える。もうすっかり冬といった感じで、乾燥した空気は肌を刺すようだった。
思えば、トレセン学園に来てから随分時間が経つ。
色んな人たちと出会った春、練習漬けの日々を送った夏、初めてターフに立った秋。
時間が過ぎるのはあっという間だ。
それなのに──俺は未だに前に進めていない。
「……」
デビュー戦と3度の未勝利戦。
そのどれも、勝つことが出来なかった。
負けたレースを何度も見直す。
スタート、位置取り、仕掛け所。
課題はいくらでも見つかる。
トレーナーさんは何度も練習メニューを調整してくれたし、タキオンさんとカフェさんもたくさんアドバイスをくれた。
あまりにも足りないものが多い。
だからこそ、現実を直視するのが怖かった。
もし、このままずっと勝てなかったら……?
「……いってきます」
練習用のスパイクを片手に静かに扉を開く。
自分の部屋だというのに、まるで逃げるように。
朝練に向かうためだ。
もちろんトレーナーさんからは「無理をしない範囲でね」と言われているので、朝食までには戻るつもりである。
「うぅん……プスカちゃん……?」
すると、背後から眠そうな声。
ルームメイトのサムちゃん先輩だ。
できるだけ音は立てないようにしていたが、起こしてしまったらしい。
寒がりなサムちゃん先輩は、毛布でグルグルに包まった状態のまま、顔だけ出して声をかけてくれた。
「大丈夫……?」
……多分、大丈夫じゃないのだろう。
自分でも調子が悪いのは分かっていた。
だけど、眠ろうとしてもロクに眠れないくらいなら、少しでも練習をしていたい。
「大丈夫ですよ。ちょっと走ってくるだけなんで」
「お外、寒くない?」
「走ってれば温かくなりますよ」
サムちゃん先輩はやっぱり優しい。
そして本当に強い。
俺がデビュー戦で足踏みしている間に、秋の天皇賞も勝ってしまったのだから。
天皇賞の両制覇は、トレセン学園でも数人しか成し遂げたことのない大偉業だという。
そんな彼女のルームメイトに相応しい存在になりたいのに。
「……俺、もっと頑張ります」
その背中があまりにも遠い。
なんでこの人が三冠ウマ娘じゃないんだろうって不思議なくらいだ。
三冠──そういえば昔、クラスメイトたちの前で三冠ウマ娘になると宣言したことがあった。
いっそ笑えてしまう。
どれだけ愚かだったんだろう。
本当に恥ずかしくて、再び立ち去ろうとしたその時。
「プスカちゃんは、どこにも行かないよね?」
ふと、そんなことを聞かれた。
どういう意味の言葉なんだろう。
サムちゃん先輩には、俺が遠くに行ってしまうようにでも見えたのだろうか。
なら安心してほしい。
俺はトレセン学園にしか居場所がないし、トレセン学園以外の世界を知らないのだから。
「……朝ごはんまでには戻ります」
だけど。
このままずっと未勝利戦を勝てなかったら。
きっと、トレセン学園からも俺の居場所は無くなるのだろう。
◯
プランAは概ね順調である。
デビュー戦の内容も上々だった。
トレーナーという存在がウマ娘に与える影響は想像以上である。
何より研究も捗るし、大変興味深い。
そして、次のレースでは彼女たちとぶつかることになる。
既に重賞ウマ娘のジャングルポケット君と、ジュニアレコードを更新したクロフネ君。
この対戦が、私の研究をさらに推し進めてくれることに期待する。
◯
「おお、プスカじゃねーか」
早朝のグラウンド。
まだ日が昇る前の寒空の下、そこには先客がいた。
「ウオッカさん、おはようございます」
「おう。お前も朝練か? 頑張ってんな」
どちらからともなく一緒に走る。
グッと地面を踏み締めるようなウオッカさんの走り方は惚れ惚れしてしまうほど力強い。
ジュニア級とはいえ、実戦を経験したからこそ分かる──彼女の異次元の実力。
トレーニングで隣を走っていることすら烏滸がましく思える。
「なあプスカ」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ウオッカさんは視線を前に向けたままこんなことを言った。
「負けるってスッゲー悔しいよな」
「……はい」
ウオッカさんとスカーレットさんの3度目の対決となった秋華賞はスカーレットさんが勝った。
スカーレットさんはそのままシニア混合のエリザベス女王杯も勝ってG1を連勝。まさに完全復活である。
でも、ウオッカさんの負けはG1という最高の舞台での結果だ。
未勝利戦で負け続けてる俺なんかじゃ、比較対象にすらならない。
だというのに、ウオッカさんはいつだって俺を対等に見てくれる。
彼女の目は本当に真っ直ぐだ。
あまりの格好良さに惚れ惚れしてしまうくらいに。
「上がってこいよプスカ。俺はお前とも走りたいんだぜ」
ポン、と背中を叩かれる。
「それにさ、溜めの時間が長いほど高い威力を出せる気がするだろ? かめはめ波みたいに」
カメハメハ?
「まっ、何にせよ困ったことがありゃ言ってくれよな。悩める後輩を助けるのも、カッケー先輩には必要なことだからな」
爽やかに笑うその姿は、まるで──
「……ウオッカさんって、なんだかお兄ちゃんみたいですよね」
「あー、弟たちがいるからかもしれねえな。なんかプスカも弟って感じがするんだよな」
俺もお前も女だけどな、と笑うウオッカさんである。
それに対して、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
◯
デビュー戦と同じ戦略で勝利した。
ポッケ君とクロフネ君。
同世代の中でトップクラスの彼女たちとこんなに早く対戦できたのは嬉しい誤算だった。
やはりレベルの高い実戦ほど、素晴らしい成果を生む。
対戦以来やたらとポッケ君が絡んで来るようになったが、それはそれだ。
加えて、プランBの実行者であるカフェが未勝利戦を勝ち上がった。
お友だちとやらの影響で不安定なところはあるが、彼女の実力を考えれば当然の結果だろう。
そして、複数のプランを同時並行で進めるということは、いずれ彼女とも相対することがあるはず。
私らしくない考えだが──楽しみだ。
◯
「……何やってるんですか、ブルースリちゃん」
放課後。
トレセン学園内に併設されたジムに行くと、そこではクラスメイトのオウケンブルースリちゃんが壮絶なトレーニングをしていた。
巨大なダンベルを背負って空気椅子のような姿勢を保ち、そして何故か頭と膝の上にはお皿を乗せている。
なにこれ……カンフー映画の撮影?
「見たら分かるっしょ?」
「見ても分からないから聞いてるのですが」
「大臀筋と大腿四頭筋のトレーニング」
「だい……なんて?」
ブルースリちゃんがダンベルを床に置くと、ゆっくり下ろしたはずなのに地面がズンと揺れた。
何キロあるんだろう、これ。
「ウチ、腱が万全じゃなくてさ、走れないんよ」
プロテインの入ったシェイカーをシャカシャカと振りながら、自分の足元を見下ろす。
「正直焦ってる。ウチ、完全に出遅れてるから」
「……出遅れなければいいってものでもないですよ」
同期たちが次々勝ち上がる中で、お互い口には出していなかったけれど、お互いのことを意識していた。
未勝利戦を抜け出せない俺と、デビュー戦に出られないブルースリちゃん。
このままじゃ、クラシックに間に合わないんじゃないかって──
「おーい、アチョーちゃーん!」
若干気まずい沈黙が流れ始めたジムに、そんな明るい声が飛び込んできた。
振り返ると、明るい栗毛のウマ娘がブンブンとこちらに手を振っている。
「アチョーちゃん……?」
誰のことだろう。
ふと隣に目を向けると、ブルースリちゃんが顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
「す、スズカ先輩! その呼び方は部屋でだけにしてほしいんスけど!」
「でもでも、とっても可愛いと思うよ?」
「可愛いから恥ずかしいんスよ! ウチ、クラスではクール系なんで!」
「そうなの?」
そのスズカ先輩という方ははて? と首を傾げている。
もしかして、ブルースリちゃんがアチョーちゃん……?
「あら? あなたはアチョーちゃんのお友達?」
「あ、はい! クラスメイトのディープスカイです」
「え? ディープちゃん?」
彼女は誰かを懐かしむかのように優しく目を細める。
「そっか! アチョーちゃんと仲良くしてくれてありがと~!」
そしてガシッと握られた手をブンブンと振られた。
この人すごく元気だな。
それにしてもスズカ先輩か……。
「今更だけど、ウマ娘の名前ってたまにややこしい事があるよね」
佐藤さんとか鈴木さんがいっぱいいるようなものなのかな?
「……それ、アンタが言う?」
ブルースリちゃんは何故かジト目でこっちを見ていた。
◯
その日は酷い豪雨だった。
皐月賞の前哨戦──弥生賞。
出走前に晴れたのは不幸中の幸いと言えるだろう。
そして、私のコンディションも過去最高だった。
その結果は記すまでもないだろう。
同時に、カフェの異常な体重減少は懸念材料だ。プランBの再構築は避けられない。
とはいえプランAはいよいよ本番だ。
クラシックまであと一歩のところまで来た。
ウマ娘の限界の果て。
そこに、ようやく挑める。
◯
16人の足音がけたたましく鳴り響く。
5戦目──3度目の京都レース場。
既に年度を跨ぎ、クラシック本番はもう目の前にまで迫ってきている。
クラシック初戦の皐月賞は4月。ここで勝たなければ、参戦が厳しくなるのは確実だった。
『各ウマ娘が3コーナーに突入。残り800メートル』
未勝利戦に集うのは当然1度も勝利したことのない敗れたウマ娘たちだ。
中には前のレースで共に走って共に負けた顔見知りもいる。
だが、仲良く談笑なんて当然できるわけがない。
お互い、それだけ追い詰められていた。
『マゼラン、大外を回って上がってきた! ディープスカイも内を突いて追走!』
雨の影響でバ場は少し荒れているが、脚は残っている。
内を縫って抜け出せば──
「……ッ」
バ群が横一列になって立ち塞がる。
抜け、出す?
この集団の中を?
どうやって……?
『外からマゼラン! グングン上がっていくぞ!』
詰まってしまった内を横目に、4番のウマ娘はするっと先頭に立った。
それはもうあっさりと。
『マゼランゴールイン! 2着争いは接戦──』
今までで1番長い距離を走ったというのに、肉体的な疲労がそこまで襲ってこない。
当然だ。ロクに力を出し切ることすらできなかったのだから。
掲示板に俺の番号は表示されない。
いっそ笑えてしまうくらいの大敗だった。
「……ははっ」
前にトレーナーさんが教えてくれた。歴史に名を残すウマ娘でも、デビュー戦で負けた子はいると。
カフェさんやサムちゃん先輩も慰めてくれた。私もデビュー戦で負けてしまったと。
確かにそうなのだろう。
特にジュニア級なんて、みんな未完成なのだから、その結果だけで今後の全てが決まる訳じゃないはずだ。
だけど──
「……ごめんなさい」
何度も期待を裏切っているのは間違いなく事実で。
弱い自分も、どうしようもないくらいに現実だった。
まさにレース展開の通りだ。
前に進みたいのに動けない。
「ごめんなさい……ッ」
なんでこんなに弱いんだろう。
負けて負けて負け続けて。
タキオンさんたちに合わせる顔がなかった。
◯
結論だけ述べる。
皐月賞は勝った。
それで終わりだ。
季節は4月。
新入生を迎え入れて活気に満ちたトレセン学園に、二つの影が並び立つ。
アグネスタキオンとマンハッタンカフェだ。
「やあカフェ奇遇だねぇ。ちょうど新薬が完成したところなんだ、ぜひとも試飲を──」
虹色に妖しく光る試験管を手にしたタキオンはゆらゆらと近づくが、カフェはこれを慣れた様子で躱す。
「……飲みませんよ。私はこれから新入生の案内をしなければならないんです」
「新入生……? ふゥン? それはまた殊勝なことだねぇ」
タキオンが研究室に籠もりきっている間に、どうやらカフェは交友関係を広げていたらしい。
「アナタも学園に貢献したらどうです? 少しは見直されるかもしれませんよ……?」
「おいおい冗談はよしてくれよ。貴重な研究の時間をそんな茶番に費やすなんて無駄極まりないじゃないか」
聞くまでもなかったタキオンの返答に、カフェは溜め息を吐く。
「……まあ、アナタがどうしようがアナタの勝手なので私は口を挟みませんが」
「ところで、その新入生ってどんな子だい? 君が見込んだ才能の原石に、是非とも会ってみたいものだねぇ」
「紹介するわけがないでしょう……そんな危険物を持った人と」
「つれないねぇ。ところで、トレーナー君を知らないか? さっきから姿が見えないのだが」
タキオンはあたりをキョロキョロと見回す。
あの目立つトレーナーの輝きは、周辺にはなかった。
「あの人なら……模擬レースの見学に行ってましたよ。チームの新メンバーを探しに」
「チーム?」
「タキオンさんが結成したんじゃないですか……」
「ああ、そんなものもあったね」
まるで他人事のように適当な答えである。
「やれやれ仕方ないな。トレーナー君を手伝ってあげるとするか」
「アナタは行かないほうが良いかと……怖がらせちゃいますよ」
「どういう意味だいそれ……。客観的に考えれば、君の"お友だち"のほうがよっぽど後輩を怖がらせていると思うがねぇ」
「……まあ、否定はしませんが」
「それに、君が"凱旋門"を勝ってくれれば、新メンバーなんて嫌でも集まるだろう?」
カフェの耳が、ピクリ、と反応する。
「本気で言ってます……? それ……」
「私は可能性のないと思ったことは口にしない主義だが?」
「……私はただ、私にできることをやるだけです。それでは」
カフェは静かに立ち去っていく。
その場に取り残されたタキオンは、ぽつりと呟いた。
「できること、ねぇ……」
ひどく冷淡な瞳が、ぼんやりと虚空を眺めていた。
しばらくしてグラウンドの方へと向かうと、見覚えのある光源の姿がそこにあった。
「おーいトレーナーく──」
その七色に輝く背中に呼びかけようとした瞬間。
「あ、あの、そういう怪しい勧誘はちょっと……」
彼と一緒にいたウマ娘の姿に、思わず固まってしまった。
淡い栗毛と空色の瞳。
知らない子だ。
知らない子のはずなのに──目眩がするほどの何かを感じた。
「誤解なんだ! ぼ、僕はどこにでもいる普通のトレーナーで……!」
「普通のトレーナーさんは発光していません!」
鼓動が加速する。
血流が駆け巡る。
久々に感じた滾るような衝動。
思わず笑い出したくなってしまうほどだったが、一呼吸置いてからゆっくりと歩み寄る。
「──見つけた」
運命の歯車が、再び動き出した。
◇プランA
"最速"の限界を超えるための理論。
◇プランB
"最強"の限界を超えるための理論。