貞々☨夢想   作:カツヲ武士

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37話。動乱の気配

張角率いる黄巾賊の主力が潰えたからと言って、腐りきった漢という国が正常な状態に戻る……ことはなく。

むしろ民が蜂起することになった最大の元凶である腐れ役人どもが黄巾の乱によって失った財やらなにやらを補填すべく不正行為に励むようになったせいで、今では大陸中から民や土豪たちの怨嗟の声が聞こえるようになっていた。

 

そのため最近では、黄巾の残党や鳥桓の協力を得た張純なる人物が大規模な反乱を起こして幽州や青州を中心に暴れまわったり、遠く離れた益州でも馬相なる人物が暴れまわったり、冀州の北部で張燕なる賊が大規模な集団を率いて暴れまわったりしているそうな。

 

これだけでも問題なのだが、一番の問題は上記のように各地で混乱が続く中であっても漢の中心たる洛陽において多少の余裕ができた軍部とその伸張を抑えたい役人――正確には宦官――たちの間で行われている権力争いが留まるどころか激化しているところだろう。

 

もはやこの国が救えないところまできているという何よりの証だと思う。

 

(こんなときくらい争うのを止めればいいだろうに。『平和とは戦争と戦争の間に設けられた準備期間に過ぎない』とは誰が言った言葉だったか)

 

アニメで見たか本で読んだかは覚えていないが、じつに的を射た言葉である。

 

そんな各地で発生している混乱と争いについてはさて置くとして。

 

実のところ我々曹操陣営にも、すぐにでも解決しなくてはならない問題が発生していた。

と言っても別に命に関わるような状況というわけでもないのだが。

あぁいや、このままだと死ぬな。主に曹操と文若と夏侯淵と俺が。

 

「司馬朗。また桂花が洛陽に潜ませている者から連絡が来たわ……」

 

「またか。いい加減にして欲しいのだが」

 

「それだけ洛陽が荒れているということよ」

 

「……それだけではあるまい?」

 

「……まぁ、そうね。私としても少しやり過ぎだと思わないでもないけれど」

 

「少し? 本気でそう思っているのか?」

 

目の前に積まれている書簡の山を指す。

一向に減ることのないこの山こそ、現在我々を圧迫している唯一にして最大の要因である。

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、曹操殿が悪いわけではない……いや、曹操殿も悪いな、これは」

 

「……えぇ。私もまさかこんなことになるとは思わなかったのよ」

 

「反省はきちんとしてもらう。で、もう一人の元凶は?」

 

「執務室で書簡に埋もれているわ」

 

「そうか。そうだろうな。とりあえず曹操殿から命令を改めるよう言ってくれ。俺からでは角が立つだろうからな」

 

「……はぁ。過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったものね」

 

「あぁ」

 

もうそれしかいえん。

 

もしこの積り積もった書簡の山に書かれているのが領内の政に関するものであったのならば、俺とて文句は言わない。

 

むしろ一枚一枚に領民の命が懸かっていると思えばこそ、粛々と作業を進めるだろう。

 

だが違うのだ。この山となっている書簡に書かれているのは、その大半が取るに足らない噂話なのだ。

 

こんなものに目を通していたら時間がいくらあっても足りない。

 

しかしこの中に重大な情報が紛れている可能性も皆無ではない。

 

故に精査しなくてはならないのだ。

たとえ書簡に記されている内容の大半が『隣の奥さんが浮気している』だの『子供がお漏らしした』だのと言った、我々にとって全く意味のない情報だったとしても。

 

(必要なのはわかる。だが面倒なことに変わりはない。全部文若に回したいところだが、それで重要な情報を見逃したり、確認が遅れては意味がない)

 

我々が賽の河原で石を積むかのような不毛な作業をすることになった元凶が曹操と文若であることに異論を挟む余地はない。ただしその大本は、先に挙げたように洛陽での権力闘争が激化していることにある。

 

その争いの中心となっているのは、大将軍として軍部の利益代表者となっている何進と、役人の利益代表者である宦官こと十常侍だ。

 

また両者の争いに加え、名家閥も清流派と濁流派に分かれて争っているので、今は洛陽に居る権力者の大半が争いの渦中にあると言っても過言ではない。

 

ちなみに濁流派とは十常侍に味方して利益を得ている名家の連中のことを指す言葉で、清流派は宦官と敵対している連中を指す言葉である。

 

もちろん、清流派を名乗っているからと言って彼らが品行方正な人物の集まりではないことを明記しておく。

 

ついでにこの清流派は成り上がりの何進のことが嫌いなので、軍部に対して協力することは殆どない。

では絶対権力者たる皇帝に忠義を誓っているのかというと、それもない。

むしろ『皇帝を非難するのが自分たちの仕事だ!』と言わんばかりに、なにか災害が発生する度に皇帝を非難しているくらいだ。

その上で各勢力に自分たちを取り立てるよう声を挙げているのである。

 

つまるところ清流派を自称する連中とは『宦官も嫌。成り上がりも嫌。皇帝も嫌。でも自分たちを優遇しないのは許さない』という我儘を真顔で主張する連中なのである。

 

そりゃ追いやられるわ。

 

そんな清流を自称する誰にとってもありがたくない負け犬どもはさておくとして。

 

現状『州牧として兗州の安定化を優先する』という大義名分を掲げて洛陽と一定の距離を置くことに成功している曹操だが、元々隙を見せればどんな流れ弾が飛んでくるかわからないというのが漢という国だ。

 

そのため曹操は、洛陽にいる我が母から送られてくる情報や、文若が派遣している者たちから得られる情報の精査に集中せざるを得ない状況である。

 

救いがあるとすれば、曹操も宦官閥の一員ではあるものの彼女の祖父である曹騰が十常侍とは違う派閥であったことや、何より曹操自身が洛陽で十常侍と敵対していたため、今のところ何進からも名家閥からも敵視されていないという点だろうか。

 

十常侍に関しては……どうだろう。執念深さに定評のある連中なので内心では敵視しているのだろうが、ここで宦官閥を割ることの愚を犯すわけにはいかないと判断して、敢えて放置しているものと思われる。

 

この、軍部からも名家からも宦官からも明確に敵視されていないという奇跡のバランスを保つためにも情報が必要不可欠なのは間違いない。

 

だからこそ、というべきか。ここで曹操と文若はミスを犯してしまった。

 

なんと曹操は文若に『彼らが獲た情報が嘘かどうかを判断するのはこっちでやるから、どんな細かい情報でも送るよう指示を出しなさい』と指示を出してしまったのだ。

 

その指示を受けた文若は曹操を諫めるどころか『我が神の仰せの通りに!』と言わんばかりに承諾。

それどころか勢いもそのまま部下に『どんなつまらない情報でもでも漏らさず持ってきなさい!』と命じてしまった。

 

その結果、名門中の名門である荀家の現当主様から厳命を受けた部下たちは本当に細かい情報――それこそ主婦が井戸端でしている四方山話――まで送ってくるようになったのである。

 

で、当然のことながら、送られてきた情報は誰かが目を通さなくては意味がない。

 

しかもそれは誰でもいいというわけではなく、情報の正否や重要性を理解し、判別出来る人間が見る必要がある。

 

しかし、その判断ができる人材は多くない。

今の曹操陣営であれば、文若と夏侯淵。あとは俺と曹操の四人くらいしかいない。

 

そう。我々は、六〇万を超える人口がいると言われている洛陽にて日常的に行われている噂話レベルの情報を、たった四人で精査しなくてはならなくなってしまったのである。

 

当然、他の仕事をしながら、だ。

 

仕事をしている横で積み重なる書簡の束、束、束。

こんなの処理できるわけがないだろうが。

 

ちなみに我が実家である司馬家は、我が母と妹がフィルターとなって必要と思われる情報を吟味して送ってくれているので、このようなことにはなっていない。

 

ただ、曹操としては、その“司馬家のフィルター”がかかっていない情報が欲しかったのだろう。

 

そのための荀家。その為の文若。

 

それは理解できる。しかし彼女の判断は余りにも拙速だったと言わざるを得ない。

 

なにしろこの件で苦しんでいるのは我々だけではないのだ。

一部の幹部だけでなく、一般の文官たちもこの影響を受けているのだ。それも派閥や職務を問わず、ほぼ全員が。

 

彼らが何をしているのかというと、洛陽から送られてきた文章を時系列順に並べ替えたり、誰が見ても分かるよう(曹操が見ても不快に思わぬよう)書き直していたり、荀家にとって有益と思われる情報を俺や夏侯淵に見せないよう隠したりと、こまごまとした作業を行っているのである。

 

当然それをする為には送られてきた書簡の中身を確認しなくてはならないわけで。

 

この作業を行うため最近文官衆はほぼ毎日が徹夜状態。

 

俺とて普通に朝を迎えたのは何日前になるか覚えていない程だからな。

 

あまりの酷さに曹操と文若の顔に泥を塗るような意見具申をしたわけだが、納得してもらえて何よりである。

 

ただ、これだけではどうにも腹の虫が収まらない。

 

しかし、主君が反省して方針を翻すと口にした以上、直接的に非難するのはよろしくない。

 

(さて、どうしたものか)

 

どうにかして皮肉を交えたクレームを入れようと考えた俺の脳裏に浮かんだのは、前の前の文学青年だったときに目にしていたとある漢文。それも中国文学に名を遺す偉人・孟 浩然が残した詩であった。

 

「『春眠暁を覚えず。処処啼鳥を聞く。夜来風雨の声。花落つること知る多少』」

 

有名な詩である。

歴史で言えばあと四〇〇~五〇〇年後くらいに詠まれた詩で、五言絶句の見本として国語の教科書にも載るくらい有名な詩である。

 

解釈としては【春眠暁を覚えず】を『春はぐっすり寝てしまうので暁(夜明け)を知ることができない』という、寝坊的な意味。

 

次の【処処啼鳥を聞く】は、これは読んで字の如く『周囲から鳥の鳴き声が聞こえる』という、春の陽気を表すものとして。

 

【夜来風雨の声】は『昨晩は風や雨の音がしていたなぁ』と回想するものであり、最後の【花落つること知る多少】と合わせることで『夜の間にどれほどの花が散ったのだろうか』と散った花を想うという、本来はニートが春の陽気を詠っている詩なのだが、後年開元の治と謳われた唐の極盛期のような治世と、世紀末真っ盛りの漢、それも書簡に殺されそうになっている執務室の中では受け取り方が全然違う。

 

「……ふむ、中々どうして。些か以上に皮肉と外連味が効きすぎているように感じるけれど、それを差し引いても素晴らしいとしか表現できないほど完成度の高い詩ね。惜しむらくは耳にした時と場所かしら。こんな書簡に埋もれた執務室ではなく、もう少し余裕のある時にもっと風情のある場所で聞きたかったわ」

 

「そう言われてもな」

 

皮肉や外連味がどうこう言うのだから、おそらく曹操は先の詩から俺の言わんとしていることを正しく認識したのだろう。

 

【春眠暁を覚えず】は『春の夜は短いというが、寝る間もなく仕事をしていたらいつの間にか朝になっていた』という、仕事をしていたらいつの間にか夜が明けていたという社畜の嘆き。

 

【処処啼鳥を聞く】は『そこかしこから声(噂)が聞こえる』という、ノイローゼ一歩手前の社畜の言葉。

 

【夜来風雨の声】は『夜にも風雨に混じって声(噂)が聞こえてくる』という、ノイローゼとなった社畜の言葉。

 

【花落つること知る多少】は『どれだけの人間が意識を落とすことになるのやら』という、現状に対する不満。

 

つまりは現状に対する不満をぶつけるつもりで言ったのだ。

 

だから曹操よ。真正面から堂々と非難されたことを理解しておきながら、嬉しそうに『貴方、そんな身なりで詩才もあったのね』みたいな顔をするのは止めて頂きたい。

 

かなり本気でそう思っているのだが、そんな俺の純情な感情は1/3も曹操に届いていないのは明白であった。

 

その証拠に。

 

「ふむ。普段のように事実をそのまま伝えられるのも悪くはないのだけれども、たまには今のように詩的な形で報告をしてもらうのも悪くないかもしれないわね。この方式なら不平だろうと不満だろうと楽しんで聞ける自信があるし」

 

詩の出来が良ければそれを理由に意見を翻すこともできるって? 気持ちはわからんでもないが。

 

「やめておけ」

 

本当にやめておけ。

 

「あら? つまらない書簡を延々と捌くよりも良いと思わない?」

 

「思わん。そう思うなら、試しに夏侯惇殿にやってみてもらってはどうだ?」

 

曹操に言われたら彼女は頑張って全ての事柄を詩にして報告してくるだろう。

しかし悲しいかな、彼女に詩の才はない。それこそ俺や妹並みにない。

 

必ず読まなければならない報告書が出来の悪い子供が詠んだレベルの詩で装飾されているとか、地獄だぞ。

なんの罰ゲームだ。

 

「……まぁ、向き不向きはありそうね」

 

「わかってもらえてなによりだ」

 

本当にな。

 

「春蘭は無理でも秋蘭や桂花ならどうかしら? ……いえ、彼女たちでも今の詩と比べられるのは酷というもの」

 

なんとなく諦めきれていないようだが、普通に困るから止めてほしい。

 

最終的に、このあと曹操から命令を変更するよう言われた文若は、死ぬほど悲しそうな顔をして配下に命令の変更を伝えたそうな。

 

「おのれ、司馬伯達ッ!」

 

うん。司馬家ではなく荀家を名指しして貰ったにも拘わらず不甲斐無い結果に終わったことを恥じる気持ちは分かるし、一度下した命令を変更するのが恥ずかしいのも分かるが、それで俺を睨むのはどうかと思う。

これに関しては完全に被害者だぞ。俺は。

 

……一人で激昂する文若を宥めたり、情報を纏めたりしているうちに季節は巡り。

首都、洛陽にて漢全土を震撼させる事件が発生した。

 

「なんですって!?」

 

一時の平和を謳歌する兗州にその報が届いたのは、秋の収穫が終わるかどうかという時期のことであった。

 

 




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