二人の姫と出会った少年は英雄の道を歩む   作:Kkky

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黒竜の守護を受けし村

 ぱちぱち、と火が弾ける音が聞こえる。

 部屋の中を橙色に染め、室内を温める暖炉の炎。冷えた体を癒す優しい温もりに瞼が何度も落ちそうになる度、僕は顔を大きく振って眠気に抗った。

 目の前にある寝具(ベッド)で寝かされる神様の手を、そっと包み込む。

 

「女神様のご容態は、いかがですか?」

 

「あ、カームさん……大丈夫みたいです、今は寝ています」

 

 ノックの音と共に入ってきたのは、少女に付き添われる高齢のヒューマン、名前はカームさん。

 激流から神様を助け出した僕は、アイズさんとともに深く険しすぎた渓谷を上るのではなく、岸を走っていたところ、川の様子を見に来たというこの村の人達に運良く会うことが出来たのだ。

 彼等に事情を説明すると、その人達もこの村の人達も二つ返事で迎え入れてくれ、現在はこの村……『エダスの村』に身を寄せている。

 

 本当に、この出会いは幸運だったと心から思う。

 今は落ち着いているけど、川に落ちて水に濡れた神様の体は冷えていく一方で、あのままだったら天への送還も有り得るほどに危険な状態だった。

 そんな状況で周囲を険しい絶壁で閉じられた山間部にある隠れ里のように存在しているこの村の人達に出会い、迎え入れてくれたことは本当に幸運としか言いようがない。

 彼等の厚意に何度も感謝し、そして今もカームさん達に頭を下げる。

 

「本当に、本当にありがとうございます。神様を助けてくれて……皆さんが助けてくれなければ今頃は、もしかしたら……」

 

「顔を上げてください、ベルさん。この程度のことは、人として当然のことで────」

 

 言葉の途中でカームさんが咳き込む。

 この村に迎えてくれた時からカームさんは何度も咳をしていた。それもただの咳ではなく、僕でもわかるぐらいに嫌な音の咳を。

 折り曲がるその体を娘であるらしいヒューマンの少女が支える。カームさんの様子に早く部屋に戻ろう、と心配そうに声を掛けていた。

 

「あの、無理をなさらない方が……あ、僕、魔法を使えるのでここで使って……」

 

「いえ、大丈夫です……お心遣い感謝いたします……ベルさん、この家をどうか好きに使ってください。困ったことがあれば私も娘達も力になります。女神様が、快方に向かうように」

 

 僕も慌てて治癒の魔法を使おうとしたけど、それを緩慢に動いたカームさんの手に制される。

 淡い笑みを見せたカームさんは、寝具(ベッド)で眠る神様をじっと見つめていた。

 長い時を生き抜いてきたその顔と瞳には様々な感情が宿っているように見える。彼は神様を気遣いながら、「どうかお大事に……」と言って、娘さんと一緒に部屋から出ていった。

 

「……………………」

 

 二人を見送った僕は椅子に腰かけ、眉間を揉む。

 出会ったばかりだけど、わかる。わかってしまう。

 

 カームさんは、もう長くない。

 あの咳だけじゃなくて、体の弱り方、顔の色。

 どれも、命の灯が消えようとしている人のものだ。

 

 故郷の村で僕は何度か死を迎えようとしている人と最期の時を過ごしたことがある。

 その人達が纏っていた空気とカームさんの纏う空気は同種のものだった。

 

「……………………」

 

 僕はカームさんにとても感謝している。

 運び込まれた神様を献身的すぎるまでに取り計らってくれたあの人には感謝の念でいっぱいだ。

 それだけに、その事実に心が曇る。きっと、今の僕に出来ることはあの人を静かに見送ることぐらいだろう。

 

 胸に残る無力感に頭を振り、神様の看病に戻る。

 戻ってからしばらく、部屋の窓の外に走ってくる影を見つけた。

 雨ざらしにこちらへ向かってくる外套を被った人物に、僕は一度カームさんの娘に神様を任せ、手拭いを手に玄関へと向かった。

 

「お帰りなさい、アイズさん。お疲れさまでした」

 

「ただいま、ベル。具合は、大丈夫?」

 

 玄関でびしょびしょになった外套(フーデットローブ)を脱ぐアイズさんは、濡れっぱなしの戦闘衣(バトル・ドレス)と防具を晒す。

 神様の容態を尋ねてくる彼女の髪を拭きながら、神様は安静にしていることを伝えた。

 

「そう、良かった…………ねぇ、ベル、自分で拭けるよ?」

 

「えっ……あ゛っ、ごめんなさい!? 失礼なことを……!?」

 

 不思議そうに自分を見上げてくる金の瞳に、今になってアイズさんを拭いていたことに気付く。

 無意識とはいえ、とても失礼な真似をしてしまったことに僕は慌てて、当然のように拭かれるままでいた彼女の側を勢いよく離れた。

 

「自分で、拭けるけど……でも、ありがと、ベル」

 

「い、いいいえ……!?」

 

 アイズさんとお母さんと過ごしていた幼い頃、雨に濡れた日や……その、一緒にお風呂に入った日にお互いの髪を拭き合っていたことがある。

 その時の癖が何故今になってここに!?

 僕が気恥ずかしさからアイズさんの顔を直視できないでいると、アイズさんが口を開いた。

 

「えっと……元の場所には、王国(ラキア)の兵士達はいなかったけど、アスフィさんもいなかった……戦った跡が残ってただけ」

 

「そう、ですか……今は夜なことに加えてこの天候だと、オラリオに連絡はできませんね……今日、明日の助けも期待するのは……」

 

 真剣な声音に僕も意識を切り替える。

 助けが期待できないなら、自分達の足でオラリオまで帰るしかない。

 ただ、今の神様の状態を考えるとと、それも難しい話になってくる。

 

「ひとまず、神様が元気になるまではこの村に滞在する感じで……」

 

「うん、それが良いと思う」

 

 行動は三人一緒、神様の体調が回復次第オラリオに帰還、それまではこの村にお世話になる。

 この先の方針はこれで決まりだ。リリ達には心配をかけてしまうけど、今はこれが最善。

 

 今後の方針が無事に決まると、途端に蘇ってくるのは先ほどまでの気恥ずかしさ。

 雨に濡れ、肌に張り付く服飾も相まってアイズさんのことをまた直視できなくなった僕は彼女に一言告げ、神様のところに戻る。

 アイズさんを直視できなくなった僕は、背後の彼女がどこか懐かしそうに目を細めながら、濡れた髪を拭いていたことに気付かなかった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『エダスの村』に入って三日目の朝。

 

「ごめんね……ベル君」

 

「もう何回も聞きましたよ、神様。大丈夫ですから」

 

 神様は村に入った翌日には目を覚ましたけど、まだ安静が必要な状態だった。

 その日とその翌日は寝台(ベッド)の上で寝たきりで、三日目の今日になってようやく顔色が良くなってきている感じだ。

 寝たまま謝ってくる神様に、側で付き添う僕は眉を下げて笑いかけたけど、神様は申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「ここは……いい、村だね」

 

「はい。みんな親切で、温かいです」

 

 部屋の窓の外で、色々な種族の村の子供達がこっそり中を覗いている。

『エダスの村』は、今では色々な種族の人達が集まっている村ではあるけど、もとを辿れば何と妖精(エルフ)の里だったらしい。しかも『古代』からの。

 他種族との交流を嫌い、こんな辺境の地に構えられた閉鎖的なエルフの村が、千年以上もの時の中でその在り方を変えていって、今のような村になったと聞く。

 神様の降臨を機に外界に興味を持ったエルフの若者がどんどんと出ていき、入れ替わるように、他種族の世捨て人が入ってくるようになったのだとか。

 

 いつからか、そんな世捨て人達を受け入れるようになった村は、今ではそんな訳ありの人達の子孫が住人の半数以上を占めているらしい。

 そのような背景があるからか、僕達のような余所者にも親身に接してくれる。

 

 地図にも載っていない、行き場を失った漂流者達のための隠れ里。

 それが『エダスの村』。僕が知らなかった世界の一端。

 

「お加減はいかがですか?」

 

 窓の外にいる子供達に神様が微笑みながら手を振っていると、部屋にカームさんの娘、リナさんが入ってくる。

 甲斐甲斐しくお世話をしてくれる彼女に神様が回復してきたことを告げ、これまでもそうであったように頭を下げる。

 本当にカームさん、その娘さん、そしてもう大人の息子さん達にはお世話になりっぱなしだ。神様を助けてくれるこの人達には感謝の念が尽きることはない。

 

 そんなこの人達に何かできることはないかと、僕は先程から気になっていることを聞くとともに彼女に尋ねた。

 

「あの、今日は何かあるんですか? 昨日より外に出ている人が多いような……」

 

「ああ、今日は豊穣を祈る村の祭りがあるんです。ずっと雨が降っていて心配だったんですけど、無事に止んで……皆さん、張り切っているんだと思います」

 

 結わえた黒髪を揺らす娘さんの微笑みに、僕はなるほど、と頷く。

 お祭りの準備か……僕の故郷でも小さかったけどお祭りは開かれてたな。

 

「……あの、神様」

 

「うん、いいよ。手伝っておいで」

 

 それなら手伝えることがあるかも、と神様に振り向いた直後。

 まるで僕の言おうとしたことを予想していたように神様は微笑んでいた。

 

「こんなにお世話になっておいて何もしなかったら、【ファミリア】の名折れだもんね。ボクは大丈夫だから、みんなに恩返しをお願いしてもいいかな?」

 

「もちろんです。でも、何かあったら呼んでくださいね? すぐに飛んできますから」

 

 僕からではなく、神様からのお願いという形となり、側で僕と神様を交互に見ていたリナさんに祭りの準備の手伝いを申し出る。

 彼女は僕達の申し出に喜んでくれたみたいで、神様の看病も快諾してくれた彼女に場を任せ、僕は部屋を出た。

 

「あ、アイズさん」

 

「おはよう……」

 

 廊下を歩いていると、アイズさんとばったり出くわす。

 村に来た時の装いではなく、ただの村娘のような服装をしている彼女は静かに微笑んでいた。

 

「その、今日もとてもよく似合っています……」

 

「ん、ありがと……」

 

 嬉しそうに頬を淡く染めるアイズさんに思わず見惚れる。

 雨に散々濡れた冒険者の装備に代わり、僕が麻の服を貸してもらっているのと同じように、この人もリナさんから服を借りているのだ。

 女神様と見紛うほどに美しくも可愛らしいアイズさんについ舞い上がって、可愛らしい衣装を選んだ、と彼女は照れながら語っていた。

 

 そうなってくると僕の語彙に不満が出てしまう。

 綺麗だけど、素朴な可愛らしさが引き立つアイズさんに対する言葉がよく似合っています、なんて一言で済ませていいんだろうか、いやいい筈がない。

 下手に慣れないことをしてもアイズさんを困らせてしまうだけだけど、もっと目の前の彼女に相応しい言葉があるのならば、それを彼女に伝える事が僕に出来る全てじゃないだろうか。

 

 僕の貧弱な語彙でアイズさんに相応しい言葉を紡ごうとしていると、彼女はそんな僕に小さく首を傾げ、頭の中では饒舌だったけど現実では無言だった僕に困ったように小さく笑う。

 それだけで紡ごうとしていた言葉が全部どこかに飛んでいった。言葉で彼女を飾ろうとした僕を笑み一つ、仕草一つで撃沈したアイズさんは撃ち抜かれた胸を抑える僕を不思議そうに見ていた。

 

「どこかへ、行くの?」

 

「あ、はい。今日は村のお祭りがあるらしくて、その準備の手伝いを」

 

 神様の看病でほぼ一室の中で過ごしていた僕が一人で外に出ようとしていることに気付き、アイズさんは小首を傾げる。

 その様子もまたとても可愛らしく、変な声が出そうになったのを抑え、平静を装ったまま彼女に事情を説明した。

 

「そうなんだ……なら、私も行く」

 

「えっと、いいんですか?」

 

「うん。服も借りたし、ご飯もごちそうになって……私も何かお返ししなくちゃ」

 

 穏やかに笑いながらそう言ってくれたアイズさんに僕も嬉しくなる。

 お祭りの準備を手伝うべく、僕達は二人でカームさんの家を出た。

 

「来た時は暗くて、雨も降っててよくわからなかったですけど……結構この村、広いですよね」

 

「そうだね……」

 

 僕達は行き交う村の人達に声をかけて、準備を手伝い始めた。

 元エルフの集落という事もあって、『エダスの村』は存外に広く、四方を背の高い木々、そしてべオル山地の絶壁に隠れる山間部の村は確かに隠れ里という表現が合っているような気がした。

 

 既に僕達の情報は広まっていたのか、カームさんの家を出てきた僕とアイズさんには自然に注目が集まった。中でも飛び抜けた容姿のアイズさんには男性達は見惚れ、既婚者の人は奥さんに頬や腕をつねられる。興奮するおばさんや子供達に捕まっては持て囃されるアイズさんは珍しくおろおろと困った姿を見せていた。

 困った顔をした彼女が僕の背中に隠れ、そっと顔だけを出していると興奮していたおばさん達は揃ってまあ、と口に手を当てて次にはニヨニヨと微笑ましいものを見るように笑っていた。一方で未婚と思われる男性陣達は僕を妬ましげな目で見ていたけど。

 

 いくつもの民家が並ぶ村の中央、広場には卓や焚き火の準備がなされ、既に設営が始まっている。普段は猟師かなにかをやっているのか、たくましいおじさん達に指示を聞き、僕はまだ困った様子のアイズさんと別れて村中を駆け回った。

 

 そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎて夕刻。

 木材や飾り付けを運び回っていた僕は、村の中で何度も見かけ、その度に意識が引っ張られていたあるものの前で立ち止まっていた。

 どこか不気味で、漆(・)黒(・)の光沢を放つ、まるで黒曜石のような物体。

 大きさは僕の胴体ほどもあり、村の外縁、森の境目に沿って石碑のように置かれている。

 まるで村を守るように設置された黒塊。村を守るように、と僕は表現したけど、これは守り神のようなそんな優しいものではない。平和なこの村とは決して相容れない……そんな何か。

 

 引っ張られ、奪われる意識に耐えられなくなった僕がこれについて尋ねると、近くにいた獣人のおばさんは答えてくれた。

 

「ああ、それは……黒竜様の鱗だよ」

 

「────」

 

 言葉を失った、いや、奪われた。

 衝撃的な答えに自分の耳を疑うと同時に、心のどこかでそれならば納得がいくと考えている自分がいる。

 空が血の滲んだような夕暮れの色に染まる中、平然としている獣人のおばさんは絶句している僕にこの村に伝わる伝承を話してくれた。

 

 遥か昔、英雄にオラリオの地を追い払われた黒竜が北に飛び去って行った時、この村の上空を通り、鱗を落としていったのだと。

 

 怪物(モンスター)の住処に囲まれるこの村が壊滅しないのはこの鱗のおかげだと、伝承を語ってくれたおばさんはポツリと呟いた。

 その話を聞いて、合点がいく。こんな場所にある村がモンスターの襲撃を受けるどころか、村の周囲からモンスターの気配を感じない理由が。

 怯えていたんだ。この鱗に染み付いた『竜の王』の気配、あるいは力の波動に。

 隔絶した怪物の存在を本能で感じ取ってしまうモンスター達は恐怖し、寄り付かず、そのおかげで『エダスの村』は平穏を保たれているのだと、おばさんは語る。

 

「モンスターを祀るなんて、おかしいってわかっているんだけどね……」

 

 瞑目するおばさんは両手を合わせ、漆黒の鱗を拝んだ。

 自分達を生かしてくれることに対する感謝────そして、誤魔化すことの出来ない恐れ。

 

 このおばさんは、この村の人達はきっと、祀って祈らずにはいられないんだろう。

 暴虐の怪物が沈黙を破り、世界に破滅をもたらす日が来ないように。

 彼の存在の恩恵と、脅(・)威(・)を常に感じているのだから。

 

「…………」

 

『神の宴』でヘルメス様が語ってくれた厄災の存在。

 あの時は会ったこともないその存在に激しい怒りを覚えた。そして、それは今も同じ。

 でも、今はそれだけじゃない。心の中に使命感のようなものがある。

 

『黒き終末』を祀り祈るしかないこの村の存在が、僕に知らしめてくれた。

 迷宮都市(オラリオ)に課せられた『三大冒険者依頼(クエスト)』の意味を。

 今も求められている、世界の悲願を。

 

 拝んでいた顔を上げて笑ったおばさんは、祭りの準備の続きをしよう、と努めて明るく振る舞いながらこの場を去っていった。

 少しの間、鱗を見つめたのち、僕も運ぶ途中だった木材を抱えて移動する。

 もう意識を引っ張られる感覚はない。でも、黒竜の鱗が点在するこの村は、先程までとは少し違って見えた。

 

「あ……」

 

 作業があらかた終わり民家の間を歩いていると、アイズさんを見つける。

 村娘の格好をしたあの人は、こちらに背を向け、とある石小屋の前で佇んでいた。

 

「アイズさん……?」

 

「…………」

 

 近寄っても何も反応を見せずに、無防備にアイズさんは小屋の中を見つめていた。

 中には例の鱗の破片が飾られている。さっきまで僕が見ていたものと違うのは、その前に食べ物や供物が捧げられているところだろうか。どうやらここは、祭壇のようだ。

 

 アイズさんも僕と同様、この鱗の正体と扱いを村の人達に既に聞いたように見える。

 ただ……何か、様子がおかしい。

 

 無言で鱗に視線を注ぎ続けているアイズさんの隣に立っても身動ぎ一つしない。

 まるで意識そのものを目の前の鱗に注いでいるかのようなその様子に、僕は思わず彼女の顔を覗き込んだ。そして、アイズさんの様子、その瞳に目を見開いた。

 

「……………………」

 

 瞳に宿る、憤怒、悲哀、そして憎悪。

 様々な感情がない交ぜになったような黒に彩られる彼女の凍てついた瞳。

 お母さんが少しだけ話してくれたアイズさんの過去の話が脳裏に蘇る。

 

 禍々しい漆黒の鱗を見つめる目の前の彼女とその記憶が、それを僕に確信させてくれた。

 

 ────『黒竜』が、彼女から全てを奪い、心に『闇』を植え付けた存在だと。

 

 たちまち、胸の奥で黒いものが湧き上がるような感覚に襲われる。

 僕に宿る『風』と共鳴し、共に外に解放されようとするそれを、僕は全力で抑え込んだ。

 今やるべきことは感情を発露することではない。僕がやるべきことは────

 

「アイズさん!」

 

「!」

 

 ────この人の手を、掴んで離さないことだ。

 

 アイズさんの名を呼んで、その手を掴む。

 彼女は驚いたのか小さく体を跳ねさせて、握られた手を一瞥すると、鱗から視線を外し、自分の隣……僕の方を向いた。

 瞳に宿る黒は未だ健在、見つめられるだけで圧される。でも、彼女の瞳から目を逸らさずに少しだけ強めに僕はアイズさんの小さな手を握った。

 

「……ベル」

 

 ふっ、と剣呑な様子だったアイズさんが目尻を下げる。

 僕の名前を呼んで、手を握り返してくれる彼女に僕も安心したような微笑みが零れた。

 

「ごめんね……少し、考え事してた」

 

「大丈夫です。僕の方こそ、急に手を握ってしまってすみません」

 

 もう、さっきまでの様子はどこにもなかった。

 普段通り、少しだけ感情に乏しい表情のアイズさんは握っていた手をそっと離す。

 

「……戻ろっか」

 

「はい」

 

 彼女と共に小屋の前から歩み出す。

 肩を並べ横顔を窺うも、夕暮れの光に顔を染めるアイズさんの様子は変わらない……あるいは落ち着いていると言うべきか。

 

 一緒に歩きながら思い出すのはアイズさんの黒が混じった瞳。

 そして、月が隠された曇り空の下で見た幼いアイズさんの涙。

 

 今まではこの人を助けられる『英雄』になることを目標にしていたけど、この時、明確に、倒すべき相手がわかった。

 世界を脅かす『黒き終末』。伝説の怪物を倒さなければ、彼女はきっと心から笑えない。

 

 竜に守られているこの村で、僕は決意を新たに最果てにいる『竜の王』を見据えた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 そこからはあっという間に時が過ぎた。

 カームさんと二人で少しだけ会話をして、お祭りに参加して、そこで体調が良くなった神様と踊って神様とアイズさんが踊って……お祭りが終わりを迎えた後、カームさんの最期を看取った。

 

 初めて会った時に僕が感じた気配の通り、カームさんはお祭りの日に天へと旅立っていった。

 彼に育てられた義子達に、僕とアイズさんに、そして……神様に見守られながら安らかに。

 

 その後に僕は神様と二人で話をした。

 いつか別れが来てしまうとしても、神様とずっと一緒にいたい……貴方の眷属(ファミリア)でいたい、と。

 そんな僕の言葉に、神様は嬉しそうに微笑んでくれた。

 そして、こんなことを言ってくれた。

 

 ────例え死が、ボク達を一度は引き離したとしても……ボクは、必ず君に会いにいくよ。

 

 何百年、何千年、何万年かかったとしても、僕に……その時の僕が、僕じゃなくなっていたとしても会いにいく、と。

 

 自然と、涙が零れた。そんな僕を神様は笑わずに、静かに優しく見つめてくれていた。

 

 これが目まぐるしく時が過ぎていった、『エダスの村』の出来事だった。

 

 村に辿り着いて三日、カームさんの埋葬を手伝って冥福を祈らせてもらって一日、『べオル山地』に遭難してから五日目の早朝に、僕達は村の人々に別れを告げてオラリオを目指していた。

 時折街に買い出しに行くという抜け道を教えてもらい、森を抜け、絶壁の隙間を下り、穏やかになった川の流れを見下ろしながら、朝日に濡れる山間を下山していった。

 

「……いい村だったなぁ」

 

「また遊びに行きたいですね」

 

「その時は、私も一緒に……」

 

 横に並んで声を交わす。

 悲しいこともあったけど、それでも僕達の表情は晴れやかだった。

 

「────ここにいましたか」

 

「わっ、アスフィさん!?」

 

 山道を歩いていると、上空よりアスフィさんが飛来する。

 驚く僕達の顔を見て、彼女は安堵した表情を見せていた。

 

「生存は疑っていませんでしたが、探しましたよ」

 

「えっ、もしかして天気が良くなってからずっとかい……?」

 

「いえ、正確には昨夜からですので大丈夫です、神ヘスティア。王国(ラキア)との後始末があったので」

 

 眼鏡の位置を直すアスフィさんは僕達が遭難した後のことを語った。

 アスフィさんが持ち帰った情報にフィンさんとロキ様達はアレス様達の捕縛を優先。僕達の攻撃で生まれた負傷者を抱えて動きが鈍っている敵本体に攻め入ったのだという。

 一部兵士達は逃したものの、敵軍の主神であるアレス様を捕らえることに成功したらしい。

 オラリオに連行された事で勝敗は決し、僕達の捜索隊も昨夜から本格的に動きだしたという。

 

「無事に貴方達を発見できたことで、ようやく私も肩の荷が下ります。一人ずつならば都市に運べますが、どうしますか?」

 

「んー……空を飛ぶのも魅力的だけどこの際だ、せっかくだから歩いていくよ。自分の足で帰りたい気分なんだ」

 

 苦笑するアスフィさんの申し出に神様が答える。僕もアイズさんも同じ思いだ。

 僕達の答えに笑みを浮かべたアスフィさんは都市へ戻って朗報を伝えておく、と一足先にオラリオへと帰っていった。

 覚えのある兜を被って透明になった彼女を見送ると、神様が明るい声を出す。

 

「さぁ、帰ろうじゃないかオラリオに! ヴェルフ君達を早く安心させてやらないとね!」

 

「はい!」

 

「ベル君もそうだけど、アイズ君もありがとう。君がいてくれなかったら結構危なかったかも」

 

「いえ……ヘスティア様がいなくなったら、ベルが悲しみますから……私も、悲しいです……」

 

「ん……そ、そうかい? 嬉しいことを言ってくれるじゃないか」

 

 感謝の言葉を述べる神様に僕が笑っていると、アイズさんの素直な言葉に神様が照れくさそうに頬をかく。

 むずがゆそうにする神様は少しの間、あー、とかうー、とか言っていたかと思うと、何か思いついたのか、そうだ!、と声を上げた。

 

「色々とお世話になったから、君個人に何かお礼をしたいんだけど、ボクに出来そうなことは何かないかな? ジャガ丸くんの割引券(クーポン)をいっぱいとかでも大丈夫だぜ?」

 

 お礼をしたいと、アイズさんの前に立った神様は笑う。

 アイズさんは神様が冗談めかしく放ったじゃが丸くんという言葉に一瞬目を輝かせたようだけど、ハッとしたように頭を振ると、考え込むように顎に手を当てた。

 穏やかな風が吹く中、考え込んでいたアイズさんは少し迷うような素振りを見せながら、彼女が今求めているものを口にする。

 

「その、ベルと……ベル達と一緒に、探索がしたい……です」

 

 アイズさんの答えに神様だけでなく、僕も目を丸くする。

【ファミリア】ではなくアイズさん個人の僕達のパーティへの参加。

【ロキ・ファミリア】を説得さえできれば、僕と神様が断る理由も特に見当たらない。

 

「そ、それでお礼になるのかい?」

 

「はい」

 

 思わず聞き返した神様にアイズさんは迷いなく頷いた。

 僕としてもアイズさんと探索をできるのは願ってもない幸運だ。

 喜びそうになるのを抑えながら神様の答えを待っていると、神様が頷く。

 

「リリルカ君達、それにロキ達にも話を通す必要はあるけど、ボクは大歓迎だよ。本当にそんなことでいいんだね?」

 

 再確認にアイズさんが深々と頷くと、神様はよしわかった!、と笑みを零した。

 まだ未定ではあるけど、アイズさんと探索ができるかもしれないという事実に僕も心が躍る。

 

 朝焼けに染まる山で、一つの約束をした僕達は山道を進んでいく。

 やがて、眼下に巨大な迷宮都市が広がると、我先に駆けていく神様に僕とアイズさんもその後ろを走っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────どうして君はそこにいる? どうして、そんな瞳で僕を見る?

 

 

 

 

 

 ────君は、本当に愚かだな……。

 

 

 

 

 

 ────ベル……大好き。

 

 

 

 

 

 ────選んだんじゃない。あの子は選ばざるを得なかったんだ。

 

 

 

 

 

 ────君は、私じゃなくて……その怪物(こ)を、選ぶの……?

 

 

 

 

 

 ────僕は、貴女を……っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────再会を…………再戦を。




次回より新たな章へと移らせていただきます。
決意を新たに英雄を目指す少年、英雄を求める少女、そんな二人を想う母がどのような道を進むことになるのか。
お楽しみいただけると幸いです。

また、前話の後書きに書いた通り次回は二週間後になります。
一週間に戻せるようになった際はこの場で報告させていただきますのでご了承ください。
ここまで見ていただきありがとうございました。
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