色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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2ヶ月間、ありがとうございました。


《エピローグ》色彩

 

 

 

 紗夜ちゃんと付き合ってから三年。私は大学一年生になった。Pastel*Palettesは紆余曲折ありながらも順調に続けられているし、大きなヒットを複数出したおかげで、音楽の特番なんかにも呼んでもらえるくらいに大きくなった。

 

 #丸山受験、#丸山合格、なんてファンを巻き込んだSNSが起こったのも記憶に新しい。同級生に家庭教師をやってもらうというのはなんとも情けないことなんだけど、紗夜ちゃんが付きっきりで面倒を見てくれたおかげで身の丈に合わない大学の合格を拾えた自覚がある。感謝しきりだ。

 

 そういう紗夜ちゃんはRoseliaに所属したままメジャーレーベルに入ることになって、俗に言う「プロデビュー」を果たしている。芸能界では丸山さんの後輩になるのね、なんて呑気に言われた。

 確かに芸歴は私の方が3年くらい長いことになる。先輩風を吹かせるべきだろうかと冗談を言ったけど、後輩よりも情けない先輩が誕生することになりかねないのでやめておく。

 

 今日も大学の講義の後、レッスンを終えての家路。自然と足取りが軽くなる。実家よりも事務所にほど近い場所に部屋を借りて、今は親元を離れて暮らしている。

 最初は反対されたものの、アイドルという職業柄セキュリティがしっかりしたマンションに住んだ方がいい、というマネージャーさんの説得がちゃんと受け入れられた形だ。

 

 マンションのロックを解除して、エレベーターで4階に上がる。鍵を開ければ、夕食の柔らかな匂いがした。

 

「おかえりなさい。早かったわね」

「ただいま! ……紗夜ちゃんこそ、練習じゃなかったの?」

「湊さんに途中で帰されるのよ」

 

 二人暮しを始めてからもう2ヶ月以上経っているのに、紗夜ちゃんが出迎えてくれるだけで胸がぎゅうとなる。ギチギチに詰め込んだ幸せの箱にもう1つ詰め込んでしまって、幸せが痛い。

 

 そう、紗夜ちゃんは家を出た。

 私が模試の問題を解いている傍らで何をしているんだろうと思っていたら、物件情報を眺めて難しい顔をしているものだから、焦って思わず「私と暮らそうよ!」と叫んでしまった。今思い出しても恥ずかしい。

 

 というか、実はずっと私が紗夜ちゃんを連れ出そうと考えていた。紗夜ちゃんが高校卒業までは実家に残るつもりでいた以上、高校生のうちに私が連れ出そうとしても頷いてはくれないだろうと分かっていた。だから大学合格が決まってから誘おうと思っていたのだけど、それより一年くらいフライングしたんだろうか。

 その分準備に時間を使えたから結果オーライではあったんだけど。

 

「でも、おかげで顔色はすごく良くなった気がする」

「寝れているからでしょうね。ストレスもないし」

 

 まっさきにまりなさんと二人で紗夜ちゃんを病院へ連れて行って、健康診断を受けてもらった。紗夜ちゃんが自覚している限りの体調不良を書き出してもらったら、どうして放っておいたのかとまりなさんが医者から怒られる始末。

 

 今は療養中だ。Roseliaの活動は続けているけど、Roseliaのメンバーも大学生だから主な活動時間は夕方や夜、土日だけだし、あまり負担にはならないだろうという判断。何もしていないのもそれはそれで紗夜ちゃんがしんどそうだし、無理はしないと約束してくれたからあまり心配はしていない。……嘘、心配だからRoseliaメンバー全員と連絡先を交換している。

 

 紗夜ちゃんは恋人がいることを誰にも言っていなかったらしく、紹介してもらったときはみんな露骨に驚いていた。「あのアイドルの!?」という驚かれ方じゃなかったのがちょっと不服。でも紗夜ちゃんに恋人がいますと言われる方がびっくりするのも分かる。紗夜ちゃんは「何かおかしかったですか」と首を傾げていたのがますます拍車をかけた。

 リサちゃんの驚きとはしゃぎ具合に普段のRoseliaでの紗夜ちゃんが透けている気がして、私としてはとても面白かったのを覚えている。

 

「夕食にしましょう」

「うん。……いつも任せちゃってごめんね」

「大学があるのだから仕方ないわ。むしろ苦労して入ったのだから、そちらに力を入れて欲しい。……それに、たぶん貴方が思ってるほど苦では無いのよ。慣れているし、好きでやっているところも大きいから」

 

 家事は分担しているけれど、紗夜ちゃんの比重が大きくなってしまっているのが現状だった。料理は任せて欲しいと言われてほとんど委ねてしまっているし(お手伝いはするけど)、そうなると洗濯とか洗い物とかゴミ出しくらいしか私が担当できるものが残らない。掃除は家にいる時間が長い紗夜ちゃんが黙って終わらせてしまうし、買い出しも料理を任せている以上紗夜ちゃん主体で動くことになる。

 

「……ん」

「なに?」

「先にお風呂ね」

「え、汗臭かった? ……あの!」

 

 荷物を置くなり脱衣所に押し込められて、パタンとドアを閉められる。ちょっとショックな反応だった。ううむ。匂いには気をつけてたつもりだったんだけど、限度はある。

 

 汗を流して湯船に浸かる。

 そういえば、一緒に暮らし始めて一番最初に驚いたのは、紗夜ちゃんの行水具合だった。「よく考えたら湯船を使ってもいいのよね」とか真顔で言うから、私が泣きそうになってしまう。本人は至って楽しそうだから、尚更。

 それと、これはあんまり関係ないかもしれないけど、最低限のスキンケアさえしているか怪しかった状態であそこまでの美人さんが保てていたのはすごい、という尊敬というか畏怖。

 

 お風呂を上がって、いつの間にか用意されていた部屋着に着替えてリビングに戻ると、テーブルの上には夕食が並んでいる。ロールキャベツと、アジの南蛮漬け。配膳くらいは私もやるのに、といつも思うんだけど、押し切られてしまう。配膳が楽しい、というのは、いつか紗夜ちゃんがぽつりと言い訳のように言ったことだ。

 

 どんな生活環境だったんだろう。

 学校ではずっと一緒だったのに、暮らしてみると新しいことが次々見えてくる。

 真っ暗な中では寝られないこととか、案外買い出しには不慣れなこととか、ソファに座っていると落ち着かなさそうにするところとか。

 

 詳しく知りたいような、掘り下げるべきではないような。

 

「いただきます」

「どうぞ」

 

 紗夜ちゃんの味付けは、どちらかと言うと濃いめだと思う。くどいわけではないし、むしろ美味しく頂いているのは前提として、これが氷川家のスタンダードだったんだなと思うとちょっと感慨深い。逆に我が家は結構薄味だ。そういう話をしたら、酒呑みと喫煙者の有無じゃないかという返事が返ってきた。

 

 美味しい、と漏らすと、良かった、と微笑む。

 こういう瞬間に、幸せと名前をつけて額縁に飾っておきたい。

 

 そして、幸せを実感する度に思い出すのは、紗夜ちゃんが私の両親と対面した日のこと。

 シェアハウスをするのに当然、親に秘密にするという選択肢は私にはなかった。家賃の面でもそうだし、どうせバレるとも思っていた。すぐ近くで暮らしているのだから、心配性のお母さんはどこかで様子を見に来るだろうと。

 

 隠すメリットもないなら、誠実でいた方がいい。両親にお付き合いしている人がいることを打ち明けて、その人と暮らしたいということも話して、紗夜ちゃんの許可を得た上で、紗夜ちゃんの境遇も少し話した。

 

 お父さんが「連れてきなさい」と言うので、何故か楽しそうにしている紗夜ちゃんを連れて一日お泊まり会をやった。案の定、娘の私よりも気に入られていそうな紗夜ちゃんとの同棲の許可はあっさり下りて、私としては肩透かし感がなかったことも無い。

 そういえば一応紗夜ちゃんと二人には面識があったんだった、と思い出したのは少しあとになってから。いい人達だと知っていたから特に不安はなかったと紗夜ちゃんが言って、心配していたのは私だけだったのかと力が抜けたのも良い思い出だ。

 

 ロールキャベツに箸を入れて、春キャベツの甘みに舌鼓を打つ。トマトソースの酸味がほのかに残っていて、食欲を増進する。

 

「明日はバイト?」

「ええ。ギターの講師なんて柄じゃないのだけどね」

「向いてると思うけどなぁ。まりなさんだって、そう思って紗夜ちゃんを呼んでるんだろうし」

「あの人は私に甘いから」

「紗夜ちゃんは甘やかされたっていいんだよ」

「……貴方も大概だったわね」

 

 今の紗夜ちゃんのギターは、春の雨の音がする。細く、しなやかで、しとしとと降り注ぐ雨。希望の芽を育てる色だ。

 紗夜ちゃんみたいな境遇の子の希望になると思う。音楽が救いになっている人というのは意外と沢山いるものだと、私はこの3年間で知り得てきた。

 

「……それで、さっきから緊張している理由は?」

 

 紗夜ちゃんがうっすらと笑って言った。

 数瞬、返事に詰まって、敵わないなぁと息を吐く。

 

「……日菜ちゃんを、ウチに連れてきてもいい?」

「ええ、もちろん。そのときは家を空けておくから、日時を教えてくれれば──」

「そうじゃなくて、えっと、日菜ちゃんに会って貰いたいの」

 

 あの日のような反応が返ってくることを予想していた。紗夜ちゃんと仲良くなり始めた頃、初めて拒絶の言葉を投げかけられたあの日。

 

「構わないけれど」

 

 だというのに、紗夜ちゃんはあっさりとそう言った。

 

「へ?」

「会うのは構わないわ。貴方が望むような形になるとは思えないけれど」

「……いいの?」

「ええ」

 

 そろそろいいかな、と思っていたのは、この2ヶ月が、紗夜ちゃんの記憶を風化させることなく、けれど過去の暮らしと地続きでないちょうど良い期間だと感じていたからだ。

 とはいえ、これは私のエゴにほかならなかった。紗夜ちゃんには、全てを忘れ去ってしまう権利がある。そこにちゃんと区切りをつけて欲しいと思うのは私のわがままであって、日菜ちゃんに寄り添いすぎた感情だろう。

 

「嫌ってはいたけれど、憎んでいるわけではないの」

 

 だから紗夜ちゃんが難色を示すようだったら、諦めるつもりだった。

 日菜ちゃんにもまだこの話はしていないし、3年前の感じからして、日菜ちゃんはまた遠慮しそうだ。無理矢理でも引っ張ってくるつもりだけど、千聖ちゃんは手伝ってくれるだろうか。

 

「妬ましかったけれど、今は満たされている。私にとっては加害者だったけど、同時にあの子も被害者だった」

 

 私に語って聴かせるというよりも、自分の心を確かめるような言葉。紗夜ちゃんが日菜ちゃんをどう思っているのか、ちゃんと尋ねたことはなかった。

 

 紗夜ちゃんは、うつくしい人だ。

 

 憎悪の感情を、決して私には見せなかった。両親のことを語るときだって憎しみは残っていたはずなのに、諦めと共にそれを「終わった感情」として語る。それは美しさであり気高さだったと思うのだけど、じゃあ、日菜ちゃんに対してはどうなのか。

 終わったものとして語られるのも恐ろしくて、とはいえ憎悪を見てしまうのも怖くて、わざわざ踏み込んでこなかった。

 

「代わって欲しかったとは思わないの。私が姉でよかったと思っているし、あの子が父親に似なくて良かったと思っている。……これって、情よね」

「……うん」

「……まあ、それ抜きにしてもスピカのことを訊いておきたいし、パスパレでの貴方のことも知りたいし」

 

 それと、と一呼吸。

 ふわりと笑って、紗夜ちゃんが続けた。

 

「彩がいるなら、恐ろしくはない」

 

 

 

 ──ズルい!!!!!! 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「あたしをダシにしてイチャつくのはやめてよね」

「うん。……あ、そういえば、日菜ちゃんがライブに来てるの、全部バレてたみたいだよ」

「……え」

「日菜ちゃんのそういう表情、初めて見たかも」

「……はぁ。これからいくらでも見れるよ。……それから、ひとつ釘を刺しておくけど」

「うん」

「あたしがぐちゃぐちゃに大泣きして、何も話せなくなっても笑わないでね」

「笑わないよ」

「あと、あたしを動かすのに千聖ちゃんを使うの禁止にしない?」

「それは……でもこれから、日菜ちゃんだって紗夜ちゃんを使って私を動かせるよ?」

「あたしはそんなことしませーん」

「ほんとかな」

「……緊張してきた。今なら彩ちゃんの気持ちがわかるかも」

「大丈夫だよ、日菜ちゃんの気持ちもちゃんと伝わるから」

「あたしもそう願ってるよ」

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