俺たちは魚じゃない、人類だ   作:捨独楽

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黄猿と鬼鮫、どちらも真面目に仕事をこなす人ではありましたがある時点で限界を迎えてしまったという共通点を(勝手に)感じています。


黄色い閃光

 

 

 ぐるぐると、螺旋を描くように落ちていく。

 

 

『俺はもう……“人間“を愛せねぇ……!!』

 

 敬愛する主君、フィッシャー・タイガーの遺言を聞いたとき、アーロンに残されていた選択肢はそう多くはなかった。

 

 アーロンには、前世の記憶というものがあった。

 

 暴力と殺戮の支配する環境に生まれ育ち、戦争が繰り返される『閉じた鳥籠』のような世界の中で、アーロンの前世の人間、干柿鬼鮫もまた人を殺すという生業の仕事をしてきた。

 

 それが当たり前。そうでなくては生き残れない。そういう時代であり、そういう世界だった。

 それでも、アーロンの前世の人間は比較的恵まれていた。

 

 生まれ持ち、研鑽を重ねて得た暴力でもって己の身"だけ"は守ることが出来ていたからである。己の身を護れる強さがない似た境遇の孤児を殺して、前世の男は成り上がった。

 

 しかしながら、前世の男はアーロンから見てあまりにも繊細すぎた。幼いながらにその繊細すぎる人生の全てを思い出した……否、夢で見たアーロンは、己が鬼鮫であるのか、それともアーロンであるのか解らなくなった。

 

 魚人に生まれながら、人間の魂を持つ自分。

 戦うことでしか生き甲斐を見出だせない……否、見出だしてはいけない存在。

 

 そんな自分が唯一居てもいいと思える居場所が、タイヨウの海賊団であった。

 

 人間に対しての敵意や殺意が蔓延する魚人街の中に育ちながら、フィッシャー・タイガーは人間であろうと、魚人や人魚や他の種族であろうと関係なく奴隷を解放する男であったからだ。

 

 だが。

 

『俺はもう……“人間“を愛せねぇ……!!』

 

『人間の血なんぞで生き延びたくはねぇ!!』

 

 夢の中で、タイガーの言葉がアーロンを取り囲む。

 

 フィッシャー・タイガーは英雄であった。知識を授けられない魚人街の生まれでありながらも、短絡的な行動を慎む理性と己の中の鬼を押し殺す理性、そして、優しさを備えていた。

 

 そのタイガーのためにアーロンは生きたかった。仲間のために生きることで、己の中の矛盾を打ち消すことが出来るのではないかと信じた。

 

 アーロンはタイガーにとっての支えであり、騒がしくも面白い仲間達を護る盾でありたかった。

 

 しかし、それは出来ない。そうであってはならないのだ。

 

 アーロンの中には、『人間』の魂が確かにあるのだから。

 

 フィッシャー・タイガーの遺言を聞いてしまった以上、魚人海賊団の中に自分が居ることはタイガーに対する裏切りとなってしまう。

 

 その恐れと、そして、合理的な打算が、アーロンを無謀な突撃へと駆り立てたのである。

 

***

***

 

「……君の持っていた大剣……わっしは生まれて始めて見た。ありゃあマリンフォードの刀匠にもねぇ発想だった。見事なもんだ」

 

「"魚人島“にゃあ……あんな刀を作れる職人がゴロゴロ居るのかい?」

 

「……」

 

 闇の中から覚醒したアーロンは鎖で繋がれていた。そんなアーロンに話しかけるのは、マフィアのような海軍中将であった。

 

 アーロンが持つ魚人族の強靭な肉体を縛りつけられるように、鎖は四肢を厳重に拘束している。これでは下のことすらままならないと考えるアーロンに、己を打ち倒した男……ボルサリーノは言葉を続けた。

 

「……君には随分としてやられたねぇ~……」

 

 アーロンに負けず劣らずの高い背丈を持つ海軍中将は、濃い色のサングラスをかけている。その表情と意図が読み取れないままアーロンはじっと黄猿の言葉を聞いた。

 

「うちの若ぇ衆は随分と痛め付けられたが……死人はねぇ。むしろ、その治療のために貴重な時間を割くことになった。……おめぇ……この時間を稼ぐことが目的だったのかい?」

 

 黄猿の尋問、というか独り言に答える義理はアーロンにはなかった。見聞色の覇気で感情を読み取られることを恐れたアーロンは沈黙を選んだ。

 

 実際のところ、黄猿はアーロンの意図をほぼ見抜き正解を言っていた。

 

 タイヨウの海賊団はフールシャウト島において手痛い打撃を受け、海軍にその足取りを捕捉されていた。 

 

 フィッシャー・タイガーという戦力を欠いたまま海軍の追撃を受けることは海賊団の壊滅すら視野に入る。実際にアーロンを凌ぐ戦力の黄猿は、まだその力の底を見せてはいない。やり合ったのがたとえ海上であったとしても、壊滅的な被害を受けていたかもしれないのである。

 

 アーロンの単騎突撃によって海軍の軍艦が出撃できなくなった、結果的に、アーロンはタイヨウの海賊団の一命を取り留めたと言える。

 

 海軍から見てアーロンは重罪人である。軍艦を動かすには当然ながら人手も物資も必要で、それがなくては軍艦は動かないのだ。

 

(この方は私を殺したくて仕方ないでしょうねぇ……)

 

 そう考えながらアーロンはボルサリーノを見た。なんと、ボルサリーノは笑顔を浮かべているではないか。まるで何事もなかったかのように。

 

(……腹が立ちますね……)

 

 アーロンの折れた鼻が痛む気がした。アーロンの内心をよそに、ボルサリーノはまた来るよぉ~、と間延びした声で言った。

 

「5日後には君を迎えに政府の司法船がやってくる。それまでゆっくりと療養しているといいよぉ~」

 

 アーロンは安堵した。5日という期間は魚人族の回復力をもってすればあまりにも長い猶予期間であった。

 

***

 

「……奴隷解放の戦士……かい。ゼファー先生が、自分をヒーローだとは言わねぇわけだ」

 

 黄猿はこの海軍基地の中で、フィッシャー・タイガーの経歴を知っている数少ない一人であった。

 

 タイガーが元奴隷であることも、アーロン達タイヨウの海賊団が奴隷を保護していたことも。全てわかった上で罠にはめる計画を立てたのは、黄猿とごく僅かな参謀だけである。

 

***

 

 5日、という時間は思いの外退屈であった。船を動かすために仕事をするわけでも、剣術や体術の訓練をするわけでも、そして、尋問を受けるわけでもない。なにもしない、という退屈な時間の中で唯一アーロンのもとを訪れたのが、ボルサリーノであった。

 

 アーロンは海軍の将軍が暇であることに内心で安堵した。

 アーロンの目的は確実に達成された。

 

 ボルサリーノがここで釘付けになっている以上、タイヨウの海賊団が壊滅することはないのだから。

 

***

 

 5日後。

 

 司法の島、エニエス・ロビーにおいてアーロンの引き渡しが行われた。本来引き渡しのような任務を行なう筈もないボルサリーノは、なぜか、アーロンの引き渡しに同行した。

 

 ボルサリーノに対してアーロンは皮肉を込めた賛辞を投げ掛けた。それは、己を倒した相手への敬意と負け惜しみを込めたものであった。

 

「私の故郷には……」

 

「!」

 

「もっとも早く恐れられた戦士がかつて居ました。私には面識はありませんが……人は、その戦士をこう呼んだそうです」

 

「まるで『黄色い閃光』だと。貴方にぴったりだと思いましたよ」

 

「ソイツは何とも……奇遇な話だねぇ~」

 

 

 

 手錠をかけられたまま、アーロンは政府の役人に引き渡される。アーロンはボルサリーノに対して最後の負け惜しみを贈った。

 

「……『海軍本部中将黄猿』……その勇名には覚えがあります。新聞でもお噂は聞いていました」

 

「猿ではなく……天竜人の犬としての仕事。心中お察し致します」

 

「貴様ぁ!何を……」

 

 いきりたつ土茶をボルサリーノは宥めた。

 

「まぁ待ちなさいよぉ~」

 

「貴方はいったいいつまで、その仕事を続けられるのでしょうね?」

 

 正義のコートが風に揺れた。

 

「さてねぇ~。今のところ、わっしはこのコートを脱ぐつもりは無いねぇ~……」

 

 どこか惚けたように黄猿は答えをはぐらかした。

 

(掴み所の無い男でしたねぇ……あの猛獣とは違う……)

 

 アーロンはボルサリーノの中に、かつて前世の自分を倒した男を見出だそうとしていた。

 

 夢で見る宿敵は、刃物や術が飛び交う世界において、体術を最大の武器としていた。

 

 張り合ってきた親友のジンベエとも似ている、記憶の中にしか存在しない、蒼き猛獣。その姿と己を倒した黄猿を重ねようとする。

 

 理不尽の渦巻く世界において、それでも秩序の側に立ち。成すべきことを成し続ける男。生涯最後の相手としては不足はなかったはずである。

 

 しかし、やはり、違う。アーロンの脳裏に、魂に刻まれた一撃が浮かび上がる。

 

 

 あの一瞬の吹き抜ける風のような衝撃。己の全てを捧げたかのような一撃。

 

 ボルサリーノに敗北してなお、アーロンは記憶の中の、蒼き猛獣の姿を追い求めていた。

 

 記憶の中の宿敵と目の前の宿敵の姿を重ね合わせながら、アーロンは敗者として強者への賛辞を贈った。

 

「それではどうかお達者で。……『黄色い閃光』の健勝を祈っていますよ」

 

「……ふざけた男だ」

 

 裁判を受けるため司法省へと連行されるアーロンを見て、ボルサリーノに同行していた土茶大佐はそう呟いたという。

 

(……それはどっちのことだろうねぇ。海軍でありながら正義も信じられず、といって海賊や革命軍になる気もないわっしのことかねぇ)

 

 立場上、ボルサリーノは土茶を咎めることはなかった。しかし、ボルサリーノは自分の心が少し軽くなっていることに気付いた。

 

 自分でも、なぜアーロンを気にかけるのかボルサリーノは理解できていなかった。

 

 しかし、今。

 

 ボルサリーノは自分がなぜ、アーロンと話をしたがったのかわかった。

 

 アーロンと話をして、責められることで心を軽くしたかったのだとボルサリーノは理解した。

 

 

 アーロンは裁判においてこう証言した。この証言は記録には残されず、ただ、裁判長の記憶にのみ残された。

 

「貴殿方の言う、『市民の所持物を盗んだこと』について……私は、何ら恥じてはおりません」

 

 その姿は罪人のものと言うにはあまりにも堂々としていた。

 

「むしろ、その事を誇りにさえ思っています。考えを改めるつもりは毛頭ございません。同じ人類を『物』として扱う恥知らずの"正義“より、私は、"悪“であることを選択します」

 

 アーロンにはその日のうちに有罪判決が下り、インペルダウンlevel5、極寒地獄への収監が命じられた。

 

***

 

「ニュ~。ジンベエお……船長。何でそんなにしかめっ面なんだ?」

 

 ハチはジンベエが厳しい顔つきで腕を組みながら船長室に自分達を呼び出したことに驚いた。

 

 フィッシャー・タイガーからタイヨウの海賊団船長の座を引き継いだのは、海侠のジンベエである。海賊団のなかで最強であり、タイガーの意思を継がずとも、タイガーの遺した海賊団を継ぐ存在。ジンベエは、当初その役はアラディンをおいて他に無いと考えていた。

 

 タイヨウの海賊団の戦力を分析すれば、海上においてはほぼ無敵の海賊団であったと言える。タイヨウの海賊団の構成員は魚人族と人魚族である。培った技術によって水流を操り、チームワークを駆使して船底に穴を空ける自分達は無敵であった。

 

 うっすらと、人間族に対する侮りにも似た雰囲気が蔓延するほどに。

 

 そんな彼らを戒め、引き締め役を担っていたのが船長と二枚看板、そして船医であった。彼らは自分達の実力と限界を把握していたと言ってよいであろう。

 

 陸上においては、フィッシャー・タイガーという圧倒的頂点を"海侠のジンベエ"と、"ノコギリのアーロン“という二枚看板が支えるという図式であった"船医のアラディン"、“人たらしのマクロ"や、"水鉄砲のチュウ"、"コックのはっちゃん"、"修行中のクロオビ"といった構成員達は体術のレベルも、そして覇気の習得も未だ不完全であり海軍からは完全にノーマークであった。残酷な言い方をすれば、まだ新世界のレベルにはなかった。

 

 新世界を行く海賊団であっても船長、副船長が主力ということはあるのだが、この戦力の偏りは無視できるものではない。

 

 二代目の船長就任を後押ししたのはアラディンである。船医のアラディンもジンベエを立てたことで、ジンベエの船長就任は皆から受け入れられた。

 

 タイヨウの海賊団において、最も発言力があったのはフィッシャー・タイガーである。そして、次に発言力があったのは船医のアラディンである。

 

 アラディンは船員の話を良く聞いてくれる、良い医者であった。

 

 長い航海の狭間では、誰しも一度はホームシックに罹ったり、ストレスの限界を越えてしまうことがある。そういう時、向き合って話を聞いてくれるのがタイガーであり、アラディンであった。だから強さとは別の軸で、二人は慕われていた。

 

 対して、ジンベエとアーロンは強さを恐れられ、それ以上に敬われていた。彼らの強さはタイガーほど隔絶してはいなくても、荒くれ達が差を感じ畏怖と崇拝を抱くほどの領域にあったのである。

 

 ジンベエはタイガーを狙う海兵。つまり、人間に対して苛烈であり、人間に対して差別的な感情を抱いていた者達でさえ我に返るほどであった。ジンベエという過激派が居たからこそ、内心人間に対して思うところがあったチュウ達は必要以上に人間を痛めつけることはなかった。

 

 

 アーロンは一歩引いたような言動をして、人の輪を避けているようなところがあった。しかし、仲間の危機においてアーロンはいつもその大刀を盾にしてかばった。時に人間に対して苛烈すぎるジンベエを止めに入った。そして、輪に入ろうとしないアーロンにマクロが突っかかり、強引に輪に入れた。

 

 

 アーロンの兄貴分であり、タイガーを狙う人間の海兵に誰より苛烈な一面を見せたこともあるジンベエだからこそ、アーロンを慕っていたハチは従うことにした。ハチは固唾をのんでジンベエの言葉を待った。

 

 

「……皆に集まってもろうたのは他でもない。……この書類についてじゃ。」

 

「……ニュー。何が書いてあるんだ、チュウ?」

 

「チュッ!」

 

 舌打ちしながらチュウは見たくもないという風にハチへと書類を押し付けた。ハチは質のよい紙に共通語で書かれた書面を見て、絶句した。

 

「……うむ。驚くのも無理はないことじゃ。世界政府から……わしに七武海に入るようにとの文が届いた」

 

「書面には、奴隷となっていた者への恩赦が下されると書いてある」

 

「こんな紙切れが信用できるかッ!」

 

 思わず怒鳴ったのはクロオビである。クロオビの怒りに呼応するようにチュウも頷き、クルー達の何割かが怒った。

 

「政府のクソどもの駒になって手打ちだと?!ふざけているのかジンベエ!あんたはそれでも船長なのか!?」

 

 ジンベエはクロオビにとって、魚人空手道場の先輩にあたる。今では船長と、一船員の立場である。船の上においては本来異論など許されない上下関係にあることもクロオビは理解している。

 

 その上で受け入れられない理由があった。

 

「書類を最後まで読め、クロオビ。……ジンベエが七武海に加入すれば……アーロンを解放すると書いてある」

 

「ッ!」

 

「……思えばアーロンは……わしらを常に支えてくれておった」

 

「アーロンがあの時飛び出していなければ、わしらは満身創痍の状態で海軍の追手を相手に無謀な戦いを挑んでおったかもしれん。上陸した先の島で、先回りした海軍に死地に追いやられておったかもしれん」

 

「……アーロンさんを助けるためっていう理屈はわかった、お頭。チュ……」

 

「だが……政府の言いなりになるってことは……逃げ出した奴隷達はどうなる?」

 

 チュウはあえてジンベエだけを見据えて言った。  

 

 公には奴隷制度というものは存在しないことになっている。が、そんなものは勝者が作り上げた幻想に過ぎない。

 人攫いや海賊によって捕らえられ、天竜人の奴隷とされた被害者達は今もこの海に存在し続けている。

 

 レッドラインによって四つの海に別れ、予測不能な天候によって航海すらままならず、海賊が蔓延り、そもそも島と島との交易すら世界政府の許可を必要とするこの海において解放奴隷達の立場は弱い。解放されたからといって、故郷にすら帰ることは出来ないのだ。

  

 タイヨウの海賊団の設立意義は、そういった奴隷達を、彼らの故郷に送り届けることであった。

 

「……放免される。少なくとも、魚人海賊団の面々は」

 

 

「……!!」

 

 ぎり、とクロオビは歯を噛み締めた。

 

「クロオビ……」

 

 アラディンが心配そうに肩に手を掛けた。

 

「じゃあ……俺たちがここに居る意味は何だ、船長!俺達は……俺達は、奴隷を解放する戦士だった筈だ!」

 

 クロオビの言葉は虚しく響いた。   

 

 自分達は、一番救いたかった人の心すら救えていなかったのだ。

 

「……わしらはタイガーの夢を、理想を引き継いだ。……その事を忘れてはおらん」

 

 

「その上で、わしにはわしの夢がある。今のわしらがタイガーの理想を引き継ぎながら航海を続けるためには、わしの理想とする形をとらねばならんと思うておる」

 

「……どういう、意味だ……」

 

「魚人島を守るという夢じゃ」

 

 クロオビに睨まれながらジンベエは言葉を紡いだ。大多数のクルーにとっては夢物語であり、タイガーの理想からは、半歩後退した夢を。

 

「わしらの故郷は……魚人島には数多くの海賊達と……人攫いが訪れる。わしら魚人街の住人達は、人間どもを憎みながら……一方で、楽園からやって来た人間どもを歓待して金を巻き上げることで生計を立てておる」

 

 

 

 それは政治の問題であり、クロオビ達にも手の施しようがない地政学的な問題であった。

 

 魚人島。魚人族と人魚族が集う海底の島にはリュウグウ王国が存在する。

 

 偉大なる航路の前半……通称、『楽園』から、後半の海『新世界』を通る陸路は世界政府の管轄下にある。無法者達が後半の海に進むには、必然、魚人島に立ち寄ることになるのだ。

 

「わしは……この構造を利用しつつ、魚人島を護りたいと思っておる」

 

「……?どういうことなんだ?説明してくれ、船長」

 

 クルー達は困惑しながらもジンベエの話を聞いた。

 

「わしはかつてリュウグウ王国で兵士として勤めた。そして、その経験から言えることじゃが、王国軍というのは立場がある。組織がある。わしに多少の腕っぷしがあったところで、軽々しく動くことは出来んかった」

 

 ジンベエの言葉にハチは衝撃を受けた。

 

(ニュ~……そうだったのか……)

 

(ジンベエ親分も。そうだったのか……)

 

 はっちゃんは単純な男である。フィッシャー・タイガーのことを英雄として崇拝するように、ジンベエに対しても畏敬の念を持っていた。ただし、その畏敬の念は、人間族の少年が海の戦士ソラに憧れるような幼さも混じっていた。

 

 ジンベエは魚人街のスラム出身でありながら、王宮の近衛兵にまで出世した男である。ハチ達魚人街生まれの魚人達にとっては英雄であり、手の届かない万能の存在だとどこかで思っていた。

 

 しかし、組織に属したからこそどうにもならない限界というものをジンベエは味わっていたのだと言う。

 

「じゃが、わしが七武海となり……わしらが魚人島を襲う海賊どもを撃退するお墨付きを得たとすれば話は変わる!」

 

「……!」「そ、そうなのか、アラディンさん?」

 

 皆の心にざわざわと期待感が沸き上がってくるのをはっちゃんは感じ取っていた。アラディンは腕を組み、ジンベエの話を聞いていた。

 

「わしらはリュウグウ王国の判断を仰がずとも、独自の判断で動ける。組織が、その大きさゆえに身動きが取れない時にあってもわしらなら、いち早く駆けつけることが出来る。この紙切れにはそういう効果があるんじゃ」

 

「俺たちが……」

 

「故郷を、守れるのか……?」

 

「そうじゃ。……少なくとも、人間との融和を阻むことはない」

 

 死んでいた目の仲間達の瞳に、僅かではあるが光が灯った。

 

 仲間を率いるというのは簡単な話ではない。言葉を尽くし、時間を掛けて納得させられるだけの器を備えていなければならない。船長は、クルー達にこの海賊団でやっていこうと思わせるだけの、何かを示さなくてはならない。

 

 ジンベエの語った夢は現実を知った上での妥協に違いなかった。しかしそれでもまだ前向きな夢を船員に提示していた。

 

「あえて言おう。これは……妥協じゃ。しかし、わしらは……これから先、奴隷にされた者達を救うことが出来なかったとしても」

 

「わしらが七武海になることで……これから先、奴隷にされる同胞の数を少しでも減らすことが出来る。オトヒメ王妃の理想を阻むこともなく、わしらのやり方で魚人島の未来を繋ぐことが出来る」

 

「ジンベエ親分……あんた、そんなことまで考えていたのか……!」

 

 最年少クルーのミャクミャクはジンベエに対して崇拝の目を向けた。

 

 海賊として船に乗っているとき、クルーに必要なものがひとつある。

 

 それは、夢である。

 

 この旅の果てに、必ず意味があると。この波を超えた先には島があると。そうクルーに思わせる力が船長には求められる。運命共同体においては、夢という指針が必要なのだ。

 

 船長は理想だけではやってはいけない。しかし、理想を語れない船長のもとにクルーはついてはいかないのだ。

 

 少しだけだが、クルーに前向きな指針を示すことができたのだ。

 

「チュ……それしか、ねぇのか……」

 

 チュウは唇を噛み締めていた。

 

「……俺は……ジンベエの意見を支持する」

 

 真っ先にジンベエに賛同したのは、アラディンであった。

 

 

「ジンベエの判断がお頭の意思に反していると思うのは正しい。しかし、現実的に考えて今の我々に世界政府との交戦を続けるだけの戦力は無い」

 

「今のおれたちの力で守ることが出来るのは、故郷を含めたごく僅かの範囲だろう」

 

 その言葉は、アラディンが言うからこそ響く残酷な現実だった。

 

 アラディンはフィッシャー・タイガーや、コアラと同じ経験をしてきた。その上でなお、人間に対して過剰な殺戮をすることはなかった。誰より命に対して真摯なアラディンの言葉は、ジンベエとはまた別の意味で重かった。

 

 タイガーの理想とした、タイヨウの下を誰もが歩ける道を作るための戦いではなく。

 

 ジンベエの理想である、魚人島の未来のための戦いこそ、今のタイヨウの海賊団の道なのだ。

 

「……アラディンが、そう言うなら……」

 

「……そうだ。……タイのお頭に胸を張れるかどうかはわからねぇが……俺たちは、俺たちで出来ることをやってくしかねぇんだ」

 

 大勢のクルー達が割り切るしかないと思うなかで、その流れに乗ることが出来ない者達もいた。

 

 クロオビは頭を垂れて呟いた。

 クロオビの瞳には光はなく、ただ闇があった。或いは闇という名前の、星なき光があった。

 

「……俺達は……政府に負けたのか……」

 

 タイのお頭……タイガーの死亡。ジンベエと対を成すアーロンが海軍に捕らえられたという事実。世界政府を相手に無策で戦い続けることの無謀さを、皆は薄々察し始めていたのだ。

 

 しかし、感情は敗北を受け入れられない。

 

 タイヨウの海賊団のクルーは全員、タイガーの死に……死に際の遺言に、衝撃を受けていた。人間を憎む心、それを持った上で語るなと言ったタイガーの偉大さ。それほど偉大な男を壊した世界への怒り。

 

 そして、タイガーの心を救いきれなかった自分達への怒り。

 

 チュウやクロオビの言葉は、大なり小なりタイヨウの海賊団クルー全員が抱えていたものであった。同様の思いを抱えていたクルー達と、ジンベエやアラディンに賛同するクルー達の溝は深くなろうとしていた。

 

 そんな時。

 

 

「ニュ~…………」

 

 特徴的な唸り声が聞こえて、クルー達は声の主を見た。声の主は、6本の腕全てを組んで考えていた。

 

 難しいことを考えすぎて、はっちゃんの頭は崩壊寸前であった。

 

「おい、あまり考えすぎるなよハチ。……難しいことは、アラディンさんやジンベエ親分が考えてくれるんだし……」

 

「いや、俺は……」

 

 元々はっちゃんには人間に対する敵対心はさほどなかった。幼少期に魚人島直上の島、シャボンディ諸島において、とてつもない人間の剣士に命を救われていたことも大きかった。

  

 そんなはっちゃんが、海賊になると決めたのは。

 

『ほう、たこ焼き屋になって自分の店を持ちたいと?それは……美味しそうな夢ですね』

 

『私もハチの店のたこ焼きを食べてみたいと思いますよ』

 

 幼馴染みの中で唯一、夢を肯定してくれたアーロンが海賊になったからである。

 

「お、俺は……確かにみんなの言うとおり難しいことはわからねぇ。けど……アーロンさんが捕まっていて、それを解放できるチャンスがあるって言うなら……俺は……アーロンさんに出てきてほしい。アーロンさんに、俺の作ったたこ焼きを食べてほしいんだ……」

 

「……アーロンさんにか……」

 

 クロオビの瞳には闇がまだ残っていた。しかし、同胞の名を出され唇を噛み締めた。

 

「ニュ~。俺は、あの人に……店で作った熱々のたこ焼きを食べて貰ってよ、あの人を笑わせてみてぇんだ……」

 

「チュ。……ハチの癖に、核心をつきやがった。……そう言えば……『誰がアーロンさんを大爆笑させるか』の賭けはまだ続いてたな……」

 

 チュウも人間に対する敵対心を捨てたわけではない。しかし、仲間を解放したいというハチの純朴な意見に、人間に対しての融和など御免だというクルー達は心を動かされていた。

 

(……人間を許せはしない。だが……)

 

(自分達のために囮になったアーロンを、見捨てて良いのだろうか?)

 

 クルー達はジンベエの意見に賛同し、アーロンを解放するためにも七武海へ加入するという結論に落ち着いた。

 

***

 

「ハチ。ようやった。……皆を少しだけでも納得させられたのはお主のお陰じゃ」

 

「ニュー?ジンベエ親分?どうしたんです?見張りの時間はまだなのに」

 

「眠れなくてのう。わしも番をさせてくれ」

 

 夜の見張りの番を勤めるはっちゃんをジンベエは労った。はっちゃんは本来眠っているべき親分が起き出してきたことに驚いたのだ、当番ごとに交代で夜の番をする時間は退屈極まるものである。ハチは親分との談笑を楽しむことにした。

 

 夜空は半月であり、まばらに星が光を放っていた。通常の航路であれば星の位置から進路を割り出せるのであるが、偉大なる航路においてはそれすらあてにならないのが困り者であった。

 

「今は空も落ち着いていて、星も見える。……ここは夏島の領域じゃのう」

 

「……コアラも、この星を見てるといいなぁ……」

 

 はっちゃんは思わずそう呟いた。自分達を取り巻く世界の差別も、世界の情勢も、星の動きとは何の関わりもない。そう思うだけで気が紛れる。

 

「……コアラか……そうじゃな……」

 

 はっちゃんがコアラの名前を出したことに深い意味はなかった。ジンベエは噛み締めるようにハチの言葉を聞いていた。

 

「……ハチ。わしはお主に本当に感謝しておる」

 

「にゅ?何でだジンベエ親分?」

 

「タイのお頭は、行くあてもなかったわしを本気で殴り、気にかけてくれる男じゃった。そんな男に出会えるのは人生で一度きりじゃろう」

 

 噛み締めるような言葉は間違いなくジンベエの本心に違いなかった。

 

 ジンベエ親分とフィッシャー・タイガーとの出会いについてはっちゃんは詳しくは知らなかった。しかし、タイガーがどれだけの優しさを持った男であったかは痛いほどわかる。

 

「そして……」

 

「アーロンは……親も兄弟もおらんわしにとっては、唯一の兄弟……弟のようなものじゃ。……タイのお頭に続いて、アーロンまでも失えばわしは理想を信じてはおれんかった」

 

「じゃが」

 

「弟を救うために七武海に入ることに、わし自身不安もあった」

 

「どうてしてだジンベエ親分?……アーロンさんを助けてぇってもっと強く言ってくれたら、皆……クロオビやチュウだって、ジンベエ親分のことを尊敬したと思うのに」

 

 はっちゃんには仲間の中でもっとも純朴で、打算的な意識が低い。言い換えるとあまりにも目の前のことに対して素直で率直すぎるがゆえに、アーロン一人のために船の行く末を左右することの重大さを本気で理解してはいない。

 

 そしてそれ以上に、ジンベエには不安があった。

 

「わしが良くても……わしに救われることをアーロンが望むのか確信が持てなかったからじゃ」

 

「!」

 

 はっちゃんははっとしてジンベエを見た。ジンベエの目の下の隈は大きくなっており、あまり眠ることが出来ていなかったのだとはっちゃんは気付いた。

 

(ニュー……ジンベエ親分も悩んでいたんだ。タイのお頭みたいに……)

 

「あの単独行動はアーロンの独断じゃ。……誰より穏健派だったアーロンがああしたことで、皆が一旦冷静になってあの海域を離脱することが出来た」

 

「……あのまま全員で突撃していたら……全滅してた?」

 

「その可能性は充分にあった」

 

 ジンベエの言葉にはっちゃんは唸った。

 

「アーロンは己の身を呈してわしらを守った。そのわしらが政府に下ることをアーロンがよしとするかはわからん。戻ってきたアーロンがわしに愛想を尽かしたとして、わしはそれを責められん」

 

(……そんなことはねぇ……!)

 

 はっちゃんはジンベエの苦悩の全てを理解できたわけではない。しかし、はっちゃんはアーロンがジンベエを責めるとは到底思えなかった。

 

「アーロンさんは……ジンベエ親分が生きてて船長になったことを喜ぶぜ、ジンベエ親分」

 

「そうかのう?」

 

「ああ!俺はアーロンさんとの付き合いが長いけど……アーロンさんが怒ったところは一度だって見たことがねぇんだ!」

 

「なんと。ガキの頃くらいはガキ大将だと思ったんじゃがのぅ」

 

 アーロンとジンベエは兄弟分である。しかし、アーロンの幼馴染みであるはっちゃんにしか分からないこともある。はっちゃんの言葉はジンベエの心に深く染み入った。




自称『世界一のガード』ボルサリーノは一時期は『黄色い閃光』と名乗ります。
なお本人の自称のため定着せず。皆黄猿で済ませました。


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