2年後もしくは106年前   作:requesting anonymity

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105.決闘は戦場へ

 ホグワーツ魔法魔術学校の北門から一歩足を踏み入れた途端に広々とした庭園で憩う生徒たちの姿が目に入るのとは対照的に、ホグワーツ城の南側は普段は至って落ち着いた景観をしている。

 城壁と門によって遮蔽されている北側とは異なり、南側は深い谷がホグワーツ魔法魔術学校の敷地の内と外を隔てていて、そこに木製の屋根付き橋がかかっているが、この「木製の屋根付き橋」とその手前の「ホグワーツ領のすぐ外」との間には門も扉も何もなく、ただ総数も詳細も不明な多くの古く強力な保護魔法によってのみ守られている。

 そんなホグワーツ南側から木製の屋根付き橋を渡ってホグワーツの敷地内に足を踏み入れると真っ先に目に入るのはホグワーツ城を構成する幾つもの塔や棟のひとつである「時計塔」の地上階とそのすぐ手前に位置する中庭。石畳が敷かれたこの場所でも、普段ならゴブストーンに興じる生徒たちや、その周囲でゴブストーンを観戦したり、あるいは一緒にゴブストーンで遊んでくれる誰かが現れるのを独りでじっと待っている生徒などが比較的静かに過ごしている。

 

 しかし今日は違う。

 

「インセンディオ!!」

 

 頭上で巨大な振り子が揺れ続ける時計塔1階の屋内から開けっぱなしの跳ね格子の真下を突き抜けて中庭へと11歳のアルバス・ダンブルドア少年が放ったのは、月まで飛んでいけそうなほどの勢いとドラゴンが口から吐くそれよりも強烈な熱を持った、中庭どころか橋の向こうまでまるごと焼き尽くしそうなくらいに大火力の炎。

「キィィィェェェェァァアアア!!!」

 すかさずダンブルドア少年の隣に居たマホウトコロからの交換留学生にしてグリフィンドールの3年生たるシマヅくんがカタナを構えたまま凄まじい叫び声とともに炎の中へと、ひいてはその炎が吹き付けている目標である中庭にいる人物へと突入していく。

 

 しかし、シマヅくんはカタナを振り下ろせなかった。

 

「ヴェンタス!」

 

 迫りくる猛火に真っ直ぐ杖を向けた老婆が大きな声でそう唱えると、その老婆の杖の先から命の危険を直感させるほどの暴風が放出され、ダンブルドア少年の炎もろともシマヅくんは元居た時計塔の屋内、巨大な振り子の真下まで成すすべもなく押し戻された。

「くそ、なんて風圧だ――さっき防火の呪文か何かを俺にやってくれたな。感謝する」

「いーのいーの。どんどん頑張ってねシマヅくん。ほらアルバス押し返して!」

 暴風に炎で対抗しているダンブルドア少年はありったけの集中力を呪文に注ぎ込んでいるのがギュッと固く唇を閉じた険しい表情にも現れているが、一方でそのダンブルドア少年の放つ猛烈な炎に対して真正面から風を放って押し合っている小柄な老婆は心からあふれ出す活力と情熱を抑えきれていないかのようにギラギラとした鋭い眼光のまま、実にうれしそうに笑っていた。

 

「こりゃまた将来有望なおチビだね。唱えた呪文の出力でこの私に対抗できるのなんてオノリアとミネルバくらいのもんだと思ってたが――」

 

 ウィゼンガモット首席魔法戦士にして危険生物処理委員会委員長たるオリュンピアス・ウィーズリーは、ホグワーツの屋根くらい引っ剥がしてしまえそうなほどの暴風を杖から放ち続けながら、反対の手も前方に突き出した。

 

「デパルソ!」

「プロテゴ!」

 

 盾の呪文を間に合わせたシマヅくんのお蔭で吹っ飛ばされずに済んだダンブルドア少年は助けてくれてありがとうございますとお礼を言おうとしたが、もう隣にシマヅくんは居なかった。

 

こいはまたてそなバァのおっ(これはまた器用なバアさんがいたもんだ)!」

 

 今あの老婆は口ではデパルソと発声しつつ無言で呼び寄せ呪文(アクシオ)を行使したのだと、シマヅくんは成すすべなく引き寄せられて空中を飛びながら一瞬遅れて理解していた。

 一方で、中庭の石畳を焦がすどころかウィーズリー先輩の親戚のおばあさんの放つ暴風に押し戻されて自分が今いる時計塔より外へあふれ出ることもできずにただ時計塔の出入り口付近を赤熱させていく炎を引っ込めたダンブルドア少年は、次はどうするべきかと一瞬だけ悩んだ。

「ステューピファイ!」

 ダンブルドア少年は試しに失神呪文を飛ばしてみたが、オリュンピアスにハエでも払うかのような杖の動きであっさりと防がれてしまい、有効打どころか1秒すら浪費させられない。

 

「ディフィン――」

「よう、サムライ」

 

 呼び寄せられながら空中で体勢を整えて斬りかかろうとしたシマヅくんよりも、オリュンピアスのほうが速かった。杖を持っている方の手でオリュンピアスは目の前まで呼び寄せたシマヅくんの腹を呼び寄せ呪文の勢いが消えるより先に思いっきり殴りつけ、防御も間に合わなかったシマヅくんは空中で折れ曲がってうめき声を上げ、石畳の上に転がった。

 

「ああ゙ー……この歳でパンチなんか打つもんじゃないねまったく。腕も指も骨が折れちまったよ」

 

 殴るのに使った方の手を反対の手でさすりながらブツブツと喋っているオリュンピアスの足元では、腹に強烈な一撃をもらってしまったシマヅくんが起き上がろうとして起き上がれないまま、四つん這いの姿勢で石畳に止めどなく嘔吐し続けている。

 

「ブラキオ・エメンドゥム」

 

 右手の骨折を杖無し呪文でアッサリと全て治してしまったらしいオリュンピアスを見て、中庭の外周やそのさらに奥に続く屋外通路にまで並んで観戦している生徒やその親族たちの一部や、さらには皆の頭上や周囲に浮かんでいるゴーストたちも思わず感心して声を上げた。

 

「あの、今のはどこがすごかったんです? すんごい炎を押し戻したすんごい風の魔法ですか?」

 

 マグルなのだろう男性の質問に、すぐ後ろに浮かんでいたゴーストのマクイーン卿が答える。

 

「それもだがね。腕とか足とかの大きな箇所や指先なんかの繊細な部分の骨折は普通、呪文ではなく魔法薬で治すのだ。なにせ骨折を治す呪文は加減が難しくてね、少しでも間違えると元より遥かに状態が悪化するのだ。骨が余分に増えたり、接合されるべきでない箇所が接合されて関節が無くなったりなどはマシなほうだな。吾輩は学生時代に一度、横着した同級生が自分の左手の骨という骨を一度の『エピスキー』で全て木製に変えてしまったのを見たことがある。あの時は凄まじかった。皮膚を突き破って枝葉がみるみる伸びてきて、我が友ときたら痛みと恐怖でそれはもう――」

 

 その光景を想像してしまったらしく、誰か生徒の父親であろうマグルの男性は蒼褪めた。

 そしてグレゴール・マクイーン卿の解説に付け加えるかのように、マクイーン卿の隣に浮かんでいる同じくゴーストのギャレス・シーフォード卿がしみじみと懐かしそうに呟く。

「――ウィゲンウェルド薬でも飲んでおけば即快癒だったろうに、結局1週間も癒務室のベッドの上だった。さらには『なんと無謀な真似を』と寮監直々に大減点だ。3年生だったのだから叱られて当然だと言えるが、あの時は落ち込んだよ。我が事ながら、いやはや愚かだった…………」

 

 自嘲するような口調でそう言いつつも、ゴーストのギャレス・シーフォード卿は微笑んでいる。

 

「リタイアかいサムライボーイ?」

「ディッ、フィンド!!」

 

 石畳に嘔吐し続けていたシマヅくんは無理矢理に上体を起こして杖をオリュンピアスに向けたが、放った切断呪文は少し姿勢を変えただけのオリュンピアスにアッサリと躱される。

「そんな攻撃にゃ当たってやれないね」

 しかしオリュンピアスが回避に使った数瞬でシマヅくんは大きな声を出すとともに勢い良く立ち上がり、数歩後退してどうにか体勢を整えなおした。

 呼吸をする度に肩が大きく動いているシマヅくんが何度も深呼吸を繰り返すことで魔法に因らない回復を図っている中、時計塔の振り子の真下に居たダンブルドア少年が杖を真っ直ぐオリュンピアスに向けて一切警戒を怠らない臨戦態勢のままジリジリと前進して、中庭に進み出てきた。

 

「…………なんですか先輩。先輩も参加してくださいませんか戦闘に」

 背後からの視線を察知したダンブルドア少年が振り返らずに問う。

「笑っちゃ悪いなとは思ったんだよ? でもアルバスったらほっぺがお顔から溢れてるんだもの」

 

 後ろに振り向いて先輩を睨みつけたい衝動に駆られたダンブルドア少年はしかし、あのお婆さんと戦っているのだから今そんな余裕は無いと己を律して、オリュンピアスへと狙いを定め続ける。

 3年生のシマヅくんと1年生のダンブルドア少年はいつの間にか、どちらから提案したわけでもなく、ただ各々が性に合った戦法を選んだ結果、相手に肉薄して闘うシマヅくんをダンブルドア少年が離れた位置から呪文を投射して援護する、という役割分担を暗黙の内に確立させていた。

 

「魔法処には『武道』って授業があるんだったね。カタナを習うのかい? それは私物かい?」

 シマヅくんの目をまっすぐ見てそう問いかけたオリュンピアス・ウィーズリーの笑顔からは確かな余裕が感じられたが、しかし油断は一欠片たりとも無い。

「必履修ではないが、そのとおりだ。ある。そしてこれは刀ではなく太刀だ」

 流暢なイギリス英語で返答したシマヅくんに、7年生の青年はさらに問う。

「ねえシマヅくんさシマヅくんのおうちっておサムライの中でも特別すっごいおサムライなんだよね? おサムライのリーダーのおうちだってヘキャットせんせが言ってたんだけど本当かい?」

 

 3人でオリュンピアス・ウィーズリーに挑むという決闘の頭数に入っているはずなのに未だ杖を構えもせずに油断と怠惰に満ちただらしのない立ち姿のその青年は、良く言えば優雅に歩いてシマヅくんとダンブルドア少年のちょうど中間の位置まで進み出てきたが、しかしダンブルドア少年には、その先輩の歩き方は余裕に満ちたものではなく慢心しているだけかのように見えていた。

 

「そうだ。我が島津家は――」

「じゃあ部下が要るよねえ。戦うにはさ」

 

 小柄な老婆のそれとはとても思えない殴打を腹に深く貰ってしまったシマヅくんは1秒でも長く休息をしたいだろうと、先輩はそれを察しているから話しかけたんだとダンブルドア少年は会話する2人の背中と会話が終わるのを待ってくれているオリュンピアス・ウィーズリーの姿を見ながらそう推測したが、同時にダンブルドア少年の脳と心にまたがる別の部分は「先輩はそんな複雑な目的で動けるような深謀遠慮の持ち主ではない」と「よく躾けられた犬くらいの賢さなんだから先輩の行動の理由はもっとシンプルなはずだ」と、少々失礼な見解を基にして思考し続けていた。

 

 そして実際に、その7年生の青年がシマヅくんに一声かけた理由も、その7年生の青年がシマヅくんとダンブルドア少年がオリュンピアスに攻撃するところをほとんど援護もせず見ていた理由も、至ってシンプルなものだった。

 この7年生の青年は、自分がオリュンピアスおばあちゃんに一番に攻撃を仕掛けてしまってはシマヅくんとアルバスが僕を補佐しようとし始めてしまうだろうと、受動的な支援に力を注いでしまうだろうと考えて、そうなることを忌避したのである。

 シマヅくんより自分の方が実戦経験豊富だし今はまだアルバスより僕の方が強いと考えているその7年生の青年は、この考えはシマヅくんともアルバスとも共有できている3人の共通認識で、だからこそシマヅくんもアルバスも僕のことをオリュンピアスおばあちゃんに対する勝利の鍵だと思っていると、でもそれは違うんだと、7年生の青年は心の中で何度目か判らない結論をまた出した。

 

「シマヅくん。そこのおばーちゃんはね、きみと『軍略』で勝負できる。そんで僕よりもずっと実戦経験豊富だし、爆破呪文(コンフリンゴ)1発で巨人の腕をちぎっちゃうんだ。だからそのおばーちゃんに僕らが勝つには、きみとアルバスが大切なんだ。僕とアルバスはきみの武具だ。そのおばーちゃんと呪文を正面からぶつけ合って力比べして勝てるのはアルバスだけだ。そんでおばーちゃんの防御を掻い潜れる可能性があるのはきみだけだシマヅくん。だからきみは僕とアルバスを上手く使って、そのおばーちゃんに『まいった』って言わせるんだ」

 

 13歳の男の子がそんな注文をされても普通なら当惑するばかりだろう。しかしシマヅくんは侍である。それも単なる侍ではない。一国を領有する大名の家柄、それも平安時代からずっと同じ土地を治めてきた薩摩島津家の嫡男なのだ。この島津忠宝くんが明治12年の生まれで、その時すでに薩摩藩が鹿児島藩を経て県になっていたことも、父である忠義が公爵となっていたことも、忠宝少年には関係が無かった。たとえ世の平らかなれども島津家嫡男たるもの文武両道を修めずしてなんとするか、という見解を父である忠義と子である忠宝当人が共に有していたために、島津忠宝は明治の日本にあっては時代錯誤とすら思えるほどに、一貫して武将としての教育を施されてきたのだ。

 

「だからねシマヅくん。僕ねシマヅくんが兵隊を率いて戦うとこが見たいんだ。ちょうど相手はオリュンピアスおばーちゃんだしさ。そのおばーちゃんは兵隊をぶつけても受け止めてくれるよ」

 7年生の青年は相変わらず杖を構えもしないまま、緊張感の無い立ち姿で喋っている。

「お前とアルバス・ダンブルドアは合わせて2人だ。たった2人を率いる俺を見て、それでお前は『兵を率いて戦う様子を見物できた』と満足するのか?」

 そう訊ねたシマヅくんも、後方で杖を構えてオリュンピアスを狙っているダンブルドア少年も、遠巻きに見守っている者たちも、集まっているゴーストのほとんども、その7年生の青年が何を始めようとしているのかを察せていなかった。

 ただオリュンピアス・ウィーズリーとダニエル・ダングラス・ヒュームの2人だけが、青年が次どうするのかを理解しているかのように、クィディッチワールドカップの決勝戦を見に来たかのような高揚感に満ちた表情で「その時」を、今か今かと待ち構えていた。

 

「僕とアルバスの合計が2人? そんなわけないでしょシマヅくん。ここはホグワーツだよ?」

 オリュンピアス・ウィーズリーが予想した通りに、青年は杖を自分の背後へと向けた。

 ホグワーツ城へと。

 

「ピエルトータム・ロコモーター」

 

 青年が唱えたその呪文をダンブルドア少年は聞いたことも読んだことも無かったので、たぶん何かを動かす呪文なんだろうなというぼんやりした予想しかできなかった。

 だからダンブルドア少年は何か重いものが落下したようなゴトンという大きな音が聞こえても、それがいま先輩が唱えた呪文の効果だとは、すぐには察せなかった。

 そのゴトン、ゴトンという重い音はダンブルドア少年の足元より低い位置からも頭より高い位置からも、右からも左からも、何度もいつまでも、いつ止むのかと不安になってしまうほど延々と、止めどなく響き続けている。

 

「……先輩、いまの呪文はなんですか」

 

 薄々は察しつつあったダンブルドア少年だったが、しかし訊かずには居られなかった。

 ヒトだとすればあまりにも重すぎる足音が、歯車のように一糸乱れぬ規則正しさを保ったまま、ホグワーツ城全域からダンブルドア少年のところへと、否、正確には呪文を唱えた7年生の青年のところへと、集結してきていた。

 

「なにってシマヅくんに兵隊を貸してあげるんだよアルバス。ねえ、おばーちゃんだってせっかくだから思いっきりやりたいだろう? 思いっきり勝負しようよギャレスの親戚のおばーちゃん」

 

 青年がそう言い終わるか終わらないかの内に、重々しすぎる足音の群れの到来を聞き取って思わず振り返ってしまったダンブルドア少年の視界に飛び込んできたのは、ホグワーツ各所に配置されているはずの、石像および甲冑の隊列。

 未だに上からも下からも遠くからも聞こえ続けている足音の数からしてこの石像と甲冑の集団は「最前列」なのだと、ダンブルドア少年は悟った。

 

「……こんな呪文が、あったんですか」

 

 ぞろぞろと隊列を組んで無尽蔵かと思えるほど集結してくる石像と甲冑を見ながらダンブルドア少年が7年生の先輩に問う。

「そうだよアルバス。あったのさ。先生たちが全員この呪文を知ってるとは、僕は思わない」

「なんで先輩はご存知なんですか」

「教えてもらったからだよもちろんね。でもどの先生に教えてもらったのかは言えない」

 

 ヘキャット先生だろうなあと、ダンブルドア少年は当然に推測した。

 生前はホグワーツの校長を務めたニーフ・フィッツジェラルド先生との関係性を、この青年はセバスチャンやポピーちゃんやナツァイやオミニスにも、隠し通せているつもりでいる。

 

「これだけいれば充分だろうシマヅくん? 今だけホグワーツ中の石像と甲冑がきみの配下だよ」

 得意気な笑みとともにそう言った青年に、しかしシマヅくんは戸惑い気味の異論を返した。

「いかに強大な魔女とはいえ老婆1人を相手にこのような真似はあまりにも卑――」

「おまえ、まーだこの私をナメてるのかい。サムライ見習いの小僧の分際で」

 

 会話に割り込んできたオリュンピアスの声色があまりに剣呑とした雰囲気を伴っていたので、思わずシマヅくんは注意深さからではなく動揺した結果として、オリュンピアスの目から視線を逸らせなくなってしまった。

 

「どう戦うというのか」

 シマヅくんは流暢なイギリス英語でそう訊ねたが、オリュンピアスからの返答は無い。

「よく見ときなアルバス。そんで思いっきりやって体感しな」そう言った7年生の青年は、オリュンピアス・ウィーズリーが今から何をするのかを察している。「きみが超える壁の高さをさ」

 

 そして青年が察した通りに、オリュンピアス・ウィーズリーは最も得意とする呪文を唱えた。

 

「エクスペクト、パトローナム」

 

 オリュンピアスは来客に紅茶でも出すかのような気軽さで杖を構えもしないままクルリと一振りし、煙幕を張る呪文か霧で視界を覆い尽くす呪文なのではなかろうかと見ている者が勘違いしそうなほど大量に青白く光る煙のような何かを作り出した。

 

「あ。アフパドル卿ぉー! アルバスを肩車してあげて。アルバスちっちゃいから」

 止めどなくやってきている石像や甲冑たちのうちの1体に先輩が出した指示の内容はダンブルドア少年にとって屈辱的なものだったが、納得はできたためにダンブルドア少年は抵抗しなかった。

 ダンブルドア少年の目の前にやってきたその騎士の石像はにっこりと笑いかけてから、ダンブルドア少年を軽々と持ち上げて肩車した。

 

「……牛、ですね。ホグワーツのそばにもいる、長い毛に覆われてる種類の。でも先輩、守護霊呪文って…………あんなことができるものなんですか。あんな何十体も――」

 石像に肩車してもらって広い視野を得たダンブルドア少年が見たのは、青白く光る煙か霧のようなものでできた、空中に浮かぶ牛の群れ。

 それは次々と新しくできあがって、オリュンピアス・ウィーズリーの頭上に待機している。

「できるみたいだねえ、練習すればさ。知ってるかいアルバス。あのおばーちゃんってね、アズカバンへの立入禁止命令が出てるんだよ魔法法執行部から。ギャレスが言ってた。アズカバンで看守をやってるディメンターを駆逐されたら困るからだってさ」

 

 ことのついでにもう1頭だけ自分のすぐそばに創り出した牛の形をした守護霊を、オリュンピアス・ウィーズリーは杖を持っていないほうの手で撫でている。

 

「あのおばーちゃんはね、守護霊呪文がすんごい得意なんだよアルバス」

「見りゃわかりますよ先輩。『霧か煙のようなものでも創り出せたなら評判になるだろう』って本に書いてありましたし。もし守護霊が動物の姿になったらそれはもう誇っていい、とも」

 

 ディメンターやレシフォールドを撃退するためには必須であり他の呪文で代用することができず、しかし難し過ぎるためにホグワーツでは教えておらず、よってN.E.W.T.試験の実技課題になることも無く、ディメンターやレシフォールドを撃退する以外の使い道が一切無い。それが守護霊呪文であり、これを完璧に唱えられれば唱えた者によって1人ひとり異なる姿をした、実体のある動物の形の守護霊が創り出される。この実体のある守護霊は馬や犬、ウサギなどのごくありふれた動物から、稀ではあるもののユニコーンやルーンスプールなどの魔法生物の姿をとる例もあるが、これがいかなる基準あるいは法則によって選び出されているのかは、支配的な学説こそあれど完全に証明も解明もされておらず、最新の研究すら未だ推論の域を脱さない未解明の分野だった。

 

 しかし、決して多いとは言えない実例から、判明している事柄もいくつかあった。

 

「覚えときなアルバス。守護霊呪文でどんな生き物の形した守護霊が出てくるのかは選べない。小さい昆虫でも大きな魔法生物でも、それは守護霊呪文の強力さあるいは脆弱さとは関係が無い。だけどねえ――たまに居るんだってさ――」

 先輩の解説に耳を傾けているかのようなフリだけして聞き流していたダンブルドア少年は、アフパドル卿という騎士を象っているらしい石像に肩車してもらっているお蔭で確保された何にも遮られない視野の中央に捉えていたオリュンピアス・ウィーズリーと、ふいに目が合った。

 

「私はね、ウシが好きなんだ。良いだろ」

 

 オリュンピアスおばあさんがなぜ今そんな言葉を投げかけてきたのかが判らないダンブルドア少年の耳が聞き取ったのは、先輩がしてくれている解説の続きだった。

「いいかいアルバス。一番大好きな生き物の姿の守護霊を創り出すひとは、敵に回すと怖いよ」

「そんなひとが居るんですか」

 すぐそこで青白く光る薄ぼんやりした牛の群れを従えているオリュンピアスおばあさんがその実例だと理解しているのに、ダンブルドア少年はそう訊き返さずにはいられなかった。

 

「いる。守護霊呪文がどんな動物の姿になるのかは選べない。事前に知ることもできない。なぜその動物の姿なのかって理屈もまだハッキリしたことは解んない。その人の心のとっても深い部分を反映してるんだろうっていう予想だけがある――これは前にも話したよねアルバスには――けれどたまに、あんなふうに、自分が一番好きな生き物の姿をした守護霊を創り出せる魔法使いがいる。自分を偽るってことをまるっきりしない人間の守護霊はそうなるとか、なにか執着や強迫観念の現れだとかって推測されてるらしいけど……つまりは絶対に揺らがない『自分』を持ってる人なんだと僕は思う。クヨクヨといつまでも悩むってことをあんまりしない、優柔不断さとは無縁のひと」

 

 シマヅくんがカタナの鍔に空いている穴に自分の杖を挿し入れ、カタナと纏めて握り直した。

 ダンブルドア少年もまた、杖を握る手に無意識に力が込もっている。

 

「……確かに怖いですね、先輩。即断即決即行動って性格のひとを敵に回すのは」

「だろう? こんな機会なかなか無いよアルバス。だってウィゼンガモット首席魔法戦士だ!」

 

 オリュンピアス・ウィーズリーは、実体を伴った守護霊というものを、実体を伴うという点に注目して新たな活用を試みた、極めて稀かつ単純明快な発想の持ち主だった。

 オリュンピアスがその着想を得たきっかけは、自分で創り出した守護霊の動きを制御できずに足を掬われてすっ転んだ、当時はまだ恋人でもなかった若き日のエデュエイダスの滑稽な姿である。

 

「じゃ、突撃」

 

 オリュンピアスの気軽な合図で、青白く光る牛の群れは一斉に対戦相手たるシマヅくんと7年生の青年と石像に肩車されているダンブルドア少年へと、同時に彼らを守る数え切れない量の石像や甲冑の集団へと雪崩や洪水を想起させるほどに抗いようもない勢いをもって殺到した。

 

「移動しなきゃ勝ち目は無いぞ! この庭はこんな数の兵を詰め込んで戦える場所じゃない! しかもあの婆さんが操ってる霞じみた牛どもは――」

 周囲の石像や甲冑たちおよび背後にいる7年生の青年とダンブルドア少年にこれからの行動方針に関する意見を表明しようとしていたシマヅくんは、オリュンピアスの守護霊の牛が石像数体をすり抜けて自分へ突撃してきたために、続きを発声できなかった。

 

痛みゃ無かどん響きはある(いたくはないが衝撃はある)布団でくっくられたごたる(ふとんでなぐられたみたいだ)

 

 思わずうめき声を上げてしまったシマヅくんは守護霊の牛に押されて数歩後退し、その青白く光るぼんやりした輪郭の牛はシマヅくんに衝突した途端にその姿を崩す。そしてシマヅくんの背後で再び牛の形を成した守護霊は、他の牛たちと共に7年生の青年へと迫る。

 

「プロテゴ・ホリビリス!」

 

 先輩が守護霊の牛に杖を向けて唱えた盾の呪文はダンブルドア少年が初めて聞くものだったが、しかしこの状況から、それがどのような効果を発揮させるために唱えられたのかは推測できた。

「先輩、今の呪文は守護霊を押し返せるようになるものですか」

「そうだったらいいなって――ブゥエ!!」

 怒り狂っているかのような速さで猛烈に飛んできた守護霊の牛3頭の突進を同時に浴びて吹っ飛んだ先輩が今しがたプロテゴ・ホリビリスとやらを唱えたのは根拠のない思いつきだったのだと、そう理解して呆れているダンブルドア少年をよそに、シマヅくんは声を張り上げる。

 

「守護霊どもはいくら大量に居てもお互いが邪魔になったりしない! けど俺やお前や石像は違う! だから移動するべきだ――そこの橋を渡って一旦ホグワーツの外に出る! 魔法生物学の授業をやる小屋とフクロウが山程いる塔の間あたりまで移動するぞ!」

 シマヅくんはどうやら、戦闘の最中は決断の正確さよりも決断を下す早さのほうが重要だと、本能的に理解しているようだった。

 対案があるわけでもなく、この時計塔前の中庭で戦い続けることはオリュンピアス・ウィーズリーに有利だとも理解している7年生の青年とダンブルドア少年は大きな声で了承を表明し、青白く光り空中を駆ける牛の群れによる絶え間ない突撃をどうにか躱したり避けそこねてお腹で浴びたりしながら、シマヅくんと7年生の青年と小さなダンブルドア少年は駆け足で移動を開始した。

 

「走るの速かったんだねえアフパドル卿って――インペディメンタ!! シマヅくんアルバス先に行って! 僕はおばーちゃんの移動をできるだけ永く邪魔するから!」

 

 ダンブルドア少年を肩車している騎士の石像がシマヅくんを追い抜いたのを見ながらそう言った青年は屋根付きの木製橋を自分は渡ろうとせずに立ち止まって、背後を見もしないまま正確な狙いでオリュンピアスに行動阻害呪文を放った。

 躱されたと確信しながら、青年は振り向く。

 

「きみ残って。あとの皆はアフパドル卿を追いかけて、シマヅくんとアルバスの言うこときいて」

 

 石像と甲冑の軍団に指示を出した青年にも、さきほどアフパドル卿の石像に肩車されたダンブルドア少年とシマヅくんが自分の両脇を駆け抜けていった時も、オリュンピアスは妨害しなかった。

 この7年生が居る以上グリフィンドールの小僧2人は妨害したって通り抜けると解っていたのだ。

 

「1対1で勝負する気かい?」

「んーん僕もすぐ逃げるよ」

 

 一瞬の沈黙の後、7年生の青年とオリュンピアスは全く同時に杖を振った。

 

「ステューピファイ!!」

 

 2人の杖から放たれた赤い閃光が正面衝突しバチバチドボドボと光の飛沫を撒き散らしながら激しく押し合うが、その力比べはみるみるうちにオリュンピアス優位に傾いていく。

「わああ、あぁあぁあぁあぁ!! 無理むりむり強い強い!!」

 2秒とかからずに手元まで押し込まれてきた失神呪文を払いのけるように杖を大きく横薙ぎに振ってどうにか逸らした青年は、また空中を駆けて突っ込んできた守護霊の牛たちから逃げる。

 時計塔の中庭を駆け回りながら青年は試しにオリュンピアスへと古代魔法の落雷をお見舞いしてみたが、案の定プロテゴとすら唱えさせることもできずに無言でピシャリと防がれてしまった。

 

「グレイシアス、ディフィンド! コンフリンゴぅゎぁ! ボンバーダ! エクスパルソ!!」

 

 走り続けることで守護霊の突撃を躱そうと試みている青年は足を止めないままオリュンピアスへいくつもの呪文を投射するが、オリュンピアスはそれらを正確な杖捌きで苦も無く防いでしまう。

「んにゃああーーどうしよどうしよどうしよ……魔法生物出すのはブーちゃんがダメだって言ってたから今回は反則だしなぁーー噛み噛み白菜も毒触手草も有効打にはなんないだろうし――」

 

 守護霊呪文の牛を躱すべく飛び込んだ先に狙いすましてオリュンピアスが放った炎のようなオレンジ色の閃光を、7年生の青年は苦悩を声に出しながらも無言で防いでみせた。

 その直後7年生の青年はどこからとも無く取り出したマンドレイクの幼い株を勢い良く鉢から引っこ抜いたが、それによって響き渡った耳をつんざくような叫び声も、オリュンピアスはなぜかまるっきり平気であるらしかった。

 

「なんだいおまえ知らないのかい。ババアってのは耳が遠いもんなんだよ」

「ぇぇーーー……そんな無茶なァ……」

 

 シマヅくんとアルバスに追いつく前にまずオリュンピアスおばーちゃんに勝つ方法を思いついておきたいその青年はしかし、今のところ、何ひとつ打開策を見出だせていなかった。

 そもそも守護霊呪文を維持しながら他の魔法を行使して戦闘し続けるのも、呪文を撃ち合い狙いを定め躱し防ぎと目まぐるしく杖を振りつつ守護霊を操るのも、一度に何十体も守護霊を創り出すのも本来なら、理論上は不可能ではないというだけの、机上の空論だったはずの離れ業である。

 

「やっぱり僕じゃ相当工夫しないと無理ボぐぇぇあ痛たた……アルバスとシマヅくんが鍵だなあ」

 

 オリュンピアスおばあちゃんに魔法の出力で勝てるのはアルバスだけで、オリュンピアスおばあちゃんの防御を突破できるかもしれないのはヨーロッパの魔法族とはまるで違う戦い方をするシマヅくんだけだと、そしてオリュンピアスおばあちゃんの攻撃を最も高確率で防げるのは自分だと、7年生の青年は再び古代魔法の落雷をオリュンピアスに放って防がれたのと引き換えに自分は守護霊の牛の突撃を避けそこねて小石のように撥ね飛ばされながら、どこか呑気に分析していた。

 

 あくまでもこれはルールのある決闘で密猟者退治とは違うと、もちろんそう理解しているので、青年は許されざる呪文を始めとする強力で危険な闇の魔術の数々も、今回は使うつもりが無い。

 

「んぬぅーんぬんぬんぬん……ええぃエイビス、ジェミニオ、オパグノ!」

 

 杖を振って創り出したカラスを双子呪文で大量に増やしてオリュンピアスへ襲いかからせた青年は、これも有効打には成り得ないと重々承知していた。

 

「インフラマーレ」

 

 視界を覆い尽くしてクチバシや鉤爪で攻撃しようと飛んできた大量のカラスをゆっくりと優雅に杖を振って一瞬で焼き尽くしてしまったオリュンピアスの視界の端に、先程シマヅくんとダンブルドア少年が逃げていった方向へと大慌てで飛んでいく1羽のワタリガラスが映っていた。

 

「時間を稼げるつもりかい」

 

 単独でその場に残って行く手を塞いでいる、おそらく具体的な誰かを象っているわけでもないのであろう没個性的な騎士の石像に、オリュンピアスは真っ直ぐ杖を向けた。

 

「――あれ厄介ですね。実体があるからぶつかられると衝撃は確かにあって、けれど霧か霞みたいなものだからこっちの攻撃は手応えが無いですし、そもそも守護霊呪文を打ち砕ける魔法も、守護霊呪文を防げる魔法も僕知りません。本来なら対抗する必要なんか無い魔法なんですから――」

 

 担いでくれている石像のアフパドル卿に迫りくる守護霊の牛の突進を躱してもらいながら、ダンブルドア少年は頭を働かせ続けている。

 

「お前、肩車が似合うなダンブルドア」

 

 一方、青白く光り空中を駆ける牛たちによる執拗な突進を避けつつ自分もダンブルドア少年を担いだ石像と共に目的のポイントまで走っているシマヅくんは、とてもとても楽しそうだった。

 

 




 
【ブラキオ・エメンドゥム】Brachio Emendum
 ゲーム「ハリー・ポッター:ホグワーツの謎」に登場する、骨折を治す呪文。つまり原作本編でギルデロイ・ロックハートが唱えた「ブラッキアム・エンメンドー」はこれを唱えようとして言い間違えたものだ、という「ホグワーツの謎」の制作陣による解釈なのだろう。
 ただ、ブラッキアム・エンメンドーにせよBrachio Emendumにせよ、「腕よ治れ」という意味になるので、はたしてこの呪文が骨折ならどの箇所でも治せるのか、肩から手首までの部分のみ治せるのか、それとも割れた爪とかも治せるのかは不明。

【破顔公アフパドル】Affpuddle of the Cheerful Countenance
 ホグワーツレガシーに彫像として登場する、歴史に名を刻んだらしい魔法使いの騎士。
 手を振ってくれる。

Q.守護霊呪文を人にぶつけて意味があるのか? 何か起きるのか?
A.原作者がどう考えているかはともかく、実写映画版「不死鳥の騎士団」でロンが出した犬の守護霊にネビル・ロングボトムが足を掬われて転ぶ場面がある。

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