「伯父上が庭にご興味があるとは知りませんでした」
そうつぶやいたフィニアスの隣で、ウィラード・ウィルビー博士は、六月の太陽の下で一年の内で最も美しい庭園を賛嘆の目で眺めていた。数か月ぶりにハリー・ポッターのファイアボルトの様子を見にホグワーツを訪れたのだという伯父は、箒をマクゴナガルに返したその足で管理人事務室に立ち寄り、甥に庭を案内してくれないかと頼んだのだった。
フィニアスは驚いた。まだ自分が子どもだった頃、伯父は病身の妹を訪ねてペティボーン一家の住む屋敷を度々訪れていた。しかし、その妹が手塩にかけていた庭園に足を踏み入れていた記憶はなかった。だから、てっきりこの人は庭には関心がないものと思い込んでいたのだ。それがわざわざ城の外れにある事務所に自ら足を運んでまで案内を求めるとは、フィニアスにとっては驚き以外の何物でもなかった。
「よ、予言者新聞のインタビュー記事を見てね。ウィ、ウィニーの作っていた庭を思い出したのだよ。それでち、ちょっと見てみたいと」
あの記事か。忘れかけていた苦々しい気持ちが込み上げてきた。お節介なハグリッドめ。使用人としてホグワーツに使われていることはあまり世間には知られたくはないことなのに。
「ああ、あの花はウィ、ウィニーが好きだった」
ウィルビー博士の視線の先には、一群れの深紅に輝くピオニーが咲いていた。確かにこの花は母ウィニフレッドが最も愛した花であった。フィニアスの記憶にもはっきり残っている。毎年春になると、車いすを執事のパークスに押させて小道に沿って咲き誇るピオニーのみずみずしい匂いを楽しんでいたのだった。その色鮮やかな記憶が、客人の前にもかかわらず、フィニアスに感傷的な気分をもたらした。
「ええ、母上にも見せて差し上げたかった。もし、生きていらっしゃったら――私が、こんな不甲斐ない息子でなければ――」
フィニアスが魔法力を失うことなく、ペティボーン家の当主を継ぐことができたなら、母は弱い体を押して跡継ぎである二番目の子を産むこともなく、結果として命を落とすこともなかったはずなのだ。つまり、母を殺したのは――
ウィルビー博士は急に足を止めて、ピオニーの前にかがみこんだ。
「君は、ウィニーの死に責任を感じているのではないだろうね?」
その通りだ。母を殺したのは自分自身だ。
「だとしたら、それは全く筋違いだよ、フィニアス。ヴィヴィアンを産むことを決めたのはウィニー自身だ」
「ですが、そう決断させたのは私が家を継げない状況になったからです」
ウィルビー博士はおもむろに立ち上がり、甥に向き合った。いつも通りの眼鏡をすかすような上目遣いで、だがこれまで見たことのない目つきで、瞬きもせずにじっとフィニアスを見つめた。
「き、君がそう思うのも無理はない。だが、ヴィヴィアンは望まれて生れてきたのだよ。家のためではなく、ほかならぬ母親のためにね。君は認めたくないかもしれないが」
フィニアスの頬にかっと血が上った。そうだ。母の死に負い目があるのは本当だ。だがそれ以上に認めたくないのだ。弟が祝福されて生まれてきたことを。母の愛情を一身に受けていたのは自分だけだと思いたかったのだ。これまでもこの独占欲に自分でも醜悪さ感じないではなかった。だが、魔法力を失うという不幸な境遇は、その醜さを濯ぐ免罪符になるはずだと信じていたのだ。ウィルビー博士にフィニアスを責める意図はなかっただろう。ただ母親の死に負い目を感じる甥を元気づけたいだけなのだ。
博士はふと目をそらして言葉を続けた。
「フィニアス、君が気に病む必要はない――」
その時、一匹の蜜蜂がウィルビー博士の耳元を通り過ぎた。その羽音に驚いた博士の甲高い悲鳴が、フィニアスを我に返した。同時に、博士の最後の言葉の微妙なニュアンス――例えるなら、告解室に入った後の最初の一言のような――も、一緒に吹き飛んでしまったのだった。
***
ウィルビー博士を客室に送り届けた頃には、日はすっかり傾きかけていた。ホグワーツ城内は、試験を終えた生徒たちの開放的なざわめきが徐々に大きくなってきていた。その中をかき分けるようにフィニアスは防衛術の研究室に向かっていた。今夜は満月だ。月が上るまでの短い時間を一緒に過ごしてほしいというリーマスの願いを叶えるためであった。
東の空に闇が混じり始めるのを窓越しに見ながら、フィニアスは足を速めた。リーマスが苦くてまずい脱狼薬を飲むのを渋るのをあやすようにして飲ませるのがいつもの日課だ。その後、不安と苦痛にさいなまれる友人の頭を膝に乗せ、指でその髪をゆっくりと梳る。その時間のなんと甘美なことか。自分の頭まで優しく撫でられているかのような幸福に包まれるのだ。想像してフィニアスの胸は高まった。この時間を一秒でも長く延ばしたいと、気が逸るのだった。
高揚する胸を人知れず抑えつつ、薄暗い無人の教室を抜けて、奥にある研究室の扉を押し開けた。
「リーマス?」
返事がなかった。部屋の明かりはついたままだったから、すぐに部屋の主が不在であることが分かった。フィニアスの胸の高鳴りは、一転して不穏な鼓動に変化した。満月の夜を迎えるという夕方に、なぜ研究室の外に出てしまったのだろうか。何よりも心配なのは、今日の分の脱狼薬を飲んだのかということだった。
部屋の中を改めて見渡した。応接テーブルの上に置きっぱなしになっているゴブレットが目に入った。うっすらと湯気が上がっているように見える。フィニアスの額にいやな汗にじんだ。狼に変身し、理性を失うことを何よりも恐れているはずのリーマスが薬を飲み忘れたままどこをほっつき歩いているのだろう。もう日が沈むまで幾許も無いというのに。
研究室の中をせわしなく行きつ戻りつしながら、リーマスが行きそうな場所を思い出そうとしていると、散らかしっぱなしの机の上に大きな紙が広げられているのに気付いた。その古ぼけた羊皮紙には見覚えがあった。学生時代、何度も何度も穴が開くほど眺めたものだ――ホグワーツの詳細な地図の上に、そこを歩き回る人々の名前を記した点が動き回っている。
「『忍びの地図』じゃないか、なぜこれがここに?」
この地図を「必要の部屋」の床に広げて、リーマスやその友人たちと頭をぶつけあながら覗き込んだ記憶がよみがえった。この地図はジェームズ・ポッターら悪戯仕掛人が自ら製作したものだった。彼らが新しい悪戯を考える時、そして嫌がらせをしてくるスリザリン生からフィニアスを逃がそうとする時、地図の上を行きかう人の名前が役に立ったものだ。だがその地図も、フィニアスが退学した後、彼らの卒業の直前にフィルチに没収されてしまって、その後どうなったのかはまるで不明なのだと、何かの折にリーマスから聞いていた。ならば何故それがリーマスの机の上に広げられたままになっているのだろうか?
懐かしさと疑問にとらわれかけたその時、テーブルの上のゴブレットのことを思い出した。今は「忍びの地図」が何故ここにあるのかにかかずらっている暇はない。まずは何が何でも脱狼薬をリーマスに飲ませなければならなかった。うっかり大事な薬を飲み忘れた――あるいは、わざと薬を飲まずに姿を消した――大馬鹿者はいったいどこにいるのだろうか。
フィニアスは「忍びの地図」の正面に立った。まだ就寝時間になっていないから、結構な数の生徒が城内を歩き回っている。この中からたった一人の居場所を見つけ出さないといけないかと思うと、地図の大きさに眩暈を禁じ得ないのであった。